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2013年12月31日

笑う門には福来たる(門松の話)

笑う門には福来たるの門松ですが、竹の継ぎ目の節のところに斜めに切込みを入れると、節目のところが口のようになり笑ったように見えます。

このように切り込みを入れるとまさに笑ったように見えてくるので不思議です。

昔の人の知恵に驚かされます。

ちなみに、竹を切るときは、上から切るとかえりという筋張った部分が下の見える部分に出てしまうので、下から上に切るようにしたほうがよいとのことです。

時代劇などで竹を日本刀で切るように上から切っているわけではないようです。

門松は名前の通り松なのですが、真ん中の竹が目立つようになっています。

地方によっては、松を飾らないところもあるようですが、周りの松のほうが本体であるところも日本文化の奥ゆかしいところです。

かなり日本に詳しい外国の方でも、真ん中の竹のことを松だと思っている人が多いので、教えてあげるときには気をつけたいところです。

正式な門松は、竹を三本束ね、そのまわりに松をあしらって、むしろと荒縄で縛ったものを、対にして立てます。

松の内とは、元日から門松を取り外すときまでの期間のことで、これは地方によって違いますが、大体七草粥で有名な七日に外すことが多いようです。

それでは今年はこのへんで。また来年お会いしましょう。

来年こそは本気出したい筆者からは以上です。

(平成25年12月31日)

門松の例

2013年12月30日

外車といえば左ハンドルだった時代のお話

昭和天皇が御在位された昭和のころ、筆者は小さい子供でしたが、外車といえば左ハンドルが定番でした。

筆者は実は最近まで国産車が右ハンドルで外車は左ハンドルというルールが有るのだと思っていたのですが、少し考えればその国が道路のどちら側を車が走るルールになっているかだけの違いだったのに気づくのにかなりの時期を要しました。

敢えて書きますと、日本では左車線を車で走ることになっているので、ハンドル(運転席)は車の右前方にしたほうが、対向車との距離感も近く運転しやすいということです。

反対に、世界的には右車線で走る国のほうが多いようです。筆者は左ハンドルの自動車を日本で(いや外国でも)運転したことはまだないのですが、かなり不便な運転になりそうです。

子供の頃は日本ではお金持ちになるとわざわざ運転しにくい左ハンドルに持ち替えて自動車を運転するものだと思っていましたが、そのうち右ハンドルの外車も多く作られるようになり、今では左ハンドルの車自体を見ることも少なくなりました。

また、所謂原チャリといわれる原動機付自転車ですが、これを運転免許の試験の時に「二段階左折」といって笑われたこともあります。

これも日本の道路法令上で通用する話で、右側通行の国では二段階右折というのがありえないことになります。

ここまで右左の話を引っ張って書いたので、近い将来はハンドルが右でも左でもないマクラーレンのスポーツカーにでも乗ろうと思っております。

乗るときにはお見せします。

自動車素人の自転車移動の筆者からは以上です。

(平成25年12月30日)

アイルトン・セナが乗っていたマクラーレン・ホンダ

2013年12月29日

旧い技術が優れることがあるという例(石垣)

日本の城郭建築において基礎となる石垣積みの技術は非常に大切です。

江戸時代に近くなっていくと石を採石場から切り出してから、平地に真四角の用地に壮大な城郭を建築するようになりますが、その時代には既に城郭は要塞としての役割というよりも為政者の権威の拠り所としての意味付けのほうが大きくなり、実際に城主が通常住まうのも天守閣ではなくその下の本丸御殿といった平屋の建物になってきます。

その時代の天守閣は居住用というより倉庫としての用途くらいになってしまいます。

少々幻滅する話ではあります。

城主が壮麗な天守閣に住まっていた例としては、築城後3年で焼け落ちてしまった織田信長の安土城が有名でしょう。

詳しい城郭構造は想像に任せるしかないのですが、記録された文献によれば信長がここに実際に居住していたことは明らかになっています。

しかし何層にもわたる高層建築物に、エレベータもなく階段のみで住むというのは、城主も楽ではないということになります。

さて石垣ですが、この安土城の時代までは、野面積みといって、自然の石をそのまま石なりに積み上げ、その隙間は小さな石で埋めるという業で石垣を作り上げてきました。

後世においては切込み接ぎといって切り出した石を隙間なく積んでいく技法に代わり、我々の今よく知る城郭の多くはこの方式でのものになっています。

しかし、切り込み継ぎでできた石垣は、中に雨水がたまって孕み出しという石が外に浮き出てくる現象に悩まされ、定期的な手入れが必要になってしまいます。

その点、野面積みの石垣は、雨水も隙間から適度に排出することができるため、何百年の風雪に耐えて現代までその遺構が残っています。

旧い技術が優れている点があるというお話でした。

参考になれば幸いです。

古い発想と頭で仕事しています筆者からは以上です。

(平成25年12月30日)

野面積みの石垣の例

2013年12月28日

中心市街地の再活性化について

特に地方都市の中心市街地の過疎化が進んでいます。

旧市街と言われる昔ながらの商業中心地は、遠くから自家用車で入ってくるには不便な場合が多く、勢い近くの幹線道路沿いに外食や土産物店などが並ぶことになってしまいます。

ですので観光資源であるお城や神社そのものの近くに食事処すらろくにないという状態になってしまっています。

そうして、古い歴史のある旧市街はますます人の流れから置き去りにされてしまうことになります。

しかし、遠くからの観光客を当て込んで中心市街地に幹線道路を通すような対応をしてしまうと、ますますストロー現象といわれるように観光客はより有名な観光地に向かって自家用車で通りすぎてしまうだけになってしまいますので逆効果でありましょう。

あらゆる地方都市に、太宰府天満宮や長崎くんち並みの全国レベルに有名な観光スポットがあるわけではないので、近くの地元の人間に繰り返し訪れてもらうように努めたほうが良さそうです。

遠くからの観光客をあてにして道路網始め都市機能を充実させようとするのは海外も含めた観光地ライバルの少なかった昭和の発想かと思いました。

さるあまり有名でない観光地に訪れた時に考えた、さるあまり有名でない観光地出身の筆者からは以上です。

(平成25年12月28日)

あるお城です




2013年12月27日

好き嫌いなのか個性なのか

残念ながら、個性を表に出して自分らしく振る舞えば振る舞うほど、周りの相手を不機嫌にさせたり嫌われたりということがつきまとってきます。

万人に好かれることはできません。

「自ら顧みてなおくんば、千万人ともいえども我行かん」と叫んだ吉田松陰は江戸幕府に極度に嫌われ(恐怖され)、29歳で斬首されます。

まさに幼少から天才として知られ、かつ努力を怠らず兵学の講義を長州藩主にわずか11歳で行うほどの人物でした。

松蔭の弟子であった高杉晋作は、「諸君、狂いたまえ」との師の言葉に押され、長州藩をまとめ松蔭を殺した幕府打倒に邁進します。

こちらも27歳と太く短い生涯でした。

「Stay hungry, stay foolish(馬鹿であれ)」とスピーチを締めくくった、かのスティーブ・ジョブズと通じるところがあります。

このように、自らの強烈な能力(個性)を放つ偉人の伝記や逸話を読むにつけ、これはそのまま庶民の生き方に当てはめようとすると大変なことになるなと感じる筆者です。

反対に、自分の個性を適度に抑え、相性や好き嫌いでは判断しないようにして、幅広いお友達をつくって浅く広く無難に付き合っていくという処世もあります。

友達百人できるかな、と小学校1年生において唄われるわが国の義務教育は、個性重視と掛け声はありますが、どちらかというとこの没個性のほうに軸足がありそうです。

どちらがいいというわけではないのですが、生き方を大上段に振りかぶるのではなく控えめに申し上げれば、やはり友達というのは好き嫌いやウマが合うか合わないかで選んでいいのではないかと思いました。

来年は、もっと「友達」を作ろうと思いました筆者からは以上です。

(平成25年12月27日)

松下村塾跡

2013年12月26日

インスタントコーヒーとは呼ばないで

コーヒー世界大手のネスレグループの日本法人であるネスレジャパンが、突如インスタントコーヒーの呼称をやめます、これからはソリュブルコーヒーと呼びますと2013年の夏に宣言して約4ヶ月が経過しようとしております。

インスタントコーヒーは、コーヒー豆を粉末状にしたものではなく、抽出液を乾燥させ、お湯で戻すことのできるように粉末状に加工した食品です。

アルファ米やインスタントラーメンで使われている技術と同じようなものです。

即席の意であるインスタントではなく、溶けるという意味のソリュブルという呼称に変えてみたものの、そもそもソリュブルってなんだっけ、ネスカフェに代わる新しいブランド名かしらと訝しる向きも多いようで、お世辞にも浸透しているとは言い難いです。

しかも、最近ではそもそもインスタントということをことさら言い立てなくても、同様のファスト系フード(飲み物含む)の国民生活への浸透により効用は十分浸透してきたと思うのです。

ネスカフェエクセラやネスカフェゴールドブレンドと商品名で呼んでも、それを本格派ドリップ系珈琲だと思う消費者のほうが少数派でしょう。

粉末状の溶けるコーヒーだというのは既にわかっていることであり、わざわざ名称変更して変な名前をつけるより、単にフェイドアウトしていけばよかっただけなのではないかと思います。

筆者は、実はお茶派です。

次が紅茶で、コーヒーはあまり飲まないのですが今日はこのへんで失礼します。

使っている急須の蓋がついに割れてしまった筆者からは以上です。

(平成25年12月26日)

(付記)本件は、単なる名称変更ではなく、凍結減圧乾燥法という、ものすごい技術で作られており、ドリップコーヒーと遜色ない味と香りだという自信の表れだとのことです。ということで、むしろ新しい商品のリリースだと理解することに致します。

「ネスカフェ」

2013年12月25日

カラシニコフ(自動小銃AK-47開発者)

世界で最も多く使われている自動小銃AK-47の開発者であるミハイル・カラシニコフ氏が2013年12月に死去したというニュースが飛び込んできました。

1947年式カラシニコフ自動小銃として旧ソビエト連邦陸軍に制式採用され、半世紀以上にわたって歩兵用突撃銃として未だに使われています。

使われているというよりむしろ、世界中にこの銃の正規品、ライセンス品、非正規コピー品や改良版、模造版が広がっており、一説には延べ1億丁以上も制作され、その多くが現役だとのことです。

世界のいたるところでの紛争地域の戦闘の様子をテレビの報道などで見ることがあるかもしれませんが、こうしたところに登場している多くのマシンガンがこのAK-47類です。

直接に人を殺傷したという歴史で、世界最悪の兵器だとも言われています。

大変簡単な設計で低コストでの量産に向いています。

そして、極寒酷暑水濡れにも耐え、手入れしなくても問題なく撃てるという極めて高い耐久性と確実な作動性を持っています。

このため旧ソビエト連邦の影響が大きかった地域から、いわゆる発展途上国などで大量に造られました。

多くの兵士の信頼を得た武器なのです。

現に、AK-47類は戦乱を戦い抜いた頼もしい戦友であり、民族自決や自主独立の象徴でもあるのです。

それゆえにこのため、モザンビークの国旗には、AK-47の図柄が組み込まれているほどでです。

カラシニコフは、開発者というよりAK-47という銃そのものの通り名で有名です。

もちろん、軍の技術者として、純粋に祖国ロシア防衛のための自衛手段として優れた兵器を考案開発したということなのだと思います。

しかしながら、ダイナマイトを開発したノーベルの平和利用の願いも虚しくそれらが軍事転用された爆薬と同じように、人間というものの業の深さを感じざるを得ません。

クリスマスに似つかわしくない話題を振った筆者でしたが今日は以上です。

(平成25年12月25日)

「カラシニコフ」AK-47

2013年12月24日

しぶとく生き残るガラケー

しぶとく生き残っているガラケーについて論じます。

ガラケーとはガラパゴス携帯の略称です。

ガラパゴス諸島は太平洋に浮かぶまさに孤島群で、他の土地との陸上の接点が全くないまま長い期間にわたりその島の陸上動植物が独自の進化を遂げたところです。

かのダーウィンが測量船ビーグル号に乗船してこの島を訪れ、進化論の着想を得ることになったことと合わせて有名ですが、転じて、IT技術などで国際的なデファクトスタンダードと異なる独自の普及を遂げた技術に基づきサービス展開している携帯電話を指すようになりました。

日本のいわゆる二つ折りが主流の携帯電話は、ワンセグや赤外線通信、電子マネーなどの世界標準とは言い難い高付加価値サービスを搭載しています。

これらの規格は、日本人の感性にマッチし支持を受けたため発展してきましたが、数年前より世界標準のスマートフォンと呼ばれる情報端末の物量に押され、一時は絶滅するかとまで言われました。

しかし、ここに来てスマホの勢いも鈍化し、ガラケーが盛り返しているようです。

結局、モバイルシーンで使うのは電話とメールだけというライトユーザー層が多く、また、ヘビーユーザー層についてもこれで本を読んだり音楽を聞いたり家計簿をつけたり万歩計に使ったりとアプリ重ねになればなるほど、内蔵電源バッテリー切れを起こしやすくなってしまい、そもそものモバイル性が損なわれてしまうというジレンマに陥ってきているのです。

モバイルでなければ、このブログを今書いている筆者のように、パソコンの前でやればいいだけのことなのです。

外出先で道端に立ちながらできることといえば、やはり電話と簡単なメールチェックくらいなものでしょう。

そう考えると、電源長持ちで料金と使い勝手に優位性のあるガラケーへの一定の支持が続いているのも頷けます。

企業の現場では、数十年前のプログラム言語で構成されたシステムが立派に稼働していますし、東京の地下鉄銀座線も1927年(昭和2年)に開業し今でも立派に現役であることも考えれば、数年で業界地図がガラリと変わるIT業界というもののほうが「異端」なのかもしれません。

今日はここまでにいたしとうございます。

ガラケーでもスマホでも、特に電話が来ることはない筆者からは以上です。

(平成25年12月24日)

ガラケー

2013年12月23日

将来日付のクーポンという販促方法

最近のスーパーや専門店に買い物に行くと、いわゆる割引クーポン・チケットの有効期限の始期が将来(一週間後とか一ヶ月後)であるものをもらうことが多くなりました。

これまでは、例えばこれまでの割引クーポンは、「次回ご利用のときから使えます」といったものが多かったと思うのですが、売上レシートから直接クーポン券まで印字するというレジ機器の技術向上により、有効期限の始期と終期までを当該クーポンに都度印字できることになったところが大きいと思います。

これは売上動向に革命的な変化を及ぼすことになりそうです。

始期と終期を指定できるのですから、売上がどうしても欲しい日や週にピンポイントでクーポン券の有効日として大量に投下すればその日にはお客が殺到することになります。

また、有効日になるまで当該クーポンを大事に財布などに保管し、そして意図する有効日に来店してくれるお客はかなり店へのロイヤルティが高い大事なお客ということになりそうです。

単に割引の特典だけを目当てとするタダ乗り(フリーライダー)のお客との選別もできますし、何より「次回から有効」ではないので、将来の消費を先に利食ってしまう、消費税駆け込み効果と反動のような副作用も少なくなるのではないでしょうか。

消費税増を控え生活防衛に抜け目ない安売り現場からでした。

安物買いの銭失いを地で行く筆者からは以上です。

(平成25年12月23日)

スーパー店内です

2013年12月22日

外国語素人の筆者が冠詞について論じてみます

名前をつけないことであえて名乗るということの続きです。

冠詞というのは我々日本人にとってなかなかわかりづらいものですが(逆に諸外国の人たちには、日本語の主語を形作る語尾である、「は」「が」といったニュアンスがわかりにくいようです)、aなのかtheなのかといったところに非常に強いこだわりを持たれているので訳すときなどには気をつけなければなりません。

フランス人に、パリで単に「セーヌ(川)ですか」といっても、絶対に「ラ・セーヌ(La Seine )」と言い返してくるはずです。

「ラ・マルセイエーズ(La Marseillaise)」でないと国歌ではなく、単に「マルセイエーズ」では一般的なマルセイユの歌というだけで、何のことかわからないことになります。

Laはフランス語でTheに当たる冠詞ですが、単に頭にかぶせるだけではなく、とても大切な特定のものを指し示すときに使う大切な言葉なのです。

ロサンゼルスという都市がありますが、Los Angelesというのはもともとスペイン語の天使(男性名詞)に定冠詞Losがついたものです。

なので「ロスに行ってきます」など縮めて言うのは、冠詞のみでは地名にならず、かなり恥ずかしいことになりますので気をつけたいところです。

真田丸ロス、逃げ恥ロスな感じです。

それはロス違いです。

では今日はこのへんで。

パリにもロスにも行ったことのない筆者からは以上です。

(平成25年12月22日)

La Seine [Paris / France]

2013年12月21日

唯一のものには名前がないという例を挙げます

写真は、ゴルフの全英オープンの一覧です。

140年以上も続いています。

全英オープンは、ゴルフの世界4大メジャートーナメント大会でも特別な歴史的地位を持っている大会です。

ゴルフ発祥の地で最長の歴史を持つこの大会は、別名"The Open"(ジ・オープンと読みます)と呼ばれます。

ただのオープン、つまり固有の名前がないのですが、これが他を超越する唯一無二の価値を出しているものの「正しい」呼び方なのだというイギリス人の自負が聞こえてきそうです。

日本で「ミスター」なんていうのもその例に倣ったものでしょう。

読売ジャイアンツの永久欠番3を持つ長嶋茂雄選手のことであるのは周知の事実です。

868本ホームランを打った永久欠番1の王貞治選手(第1号の国民栄誉賞受賞者です。そもそも国民栄誉賞は同選手の本塁打世界記録756本を記念して創設されました)もすごいですが、「名無し」の称号まではありません。

それだけ当時の国民に鮮烈な印象を与えた選手であったのでしょう。

記憶に残る選手という言われ方もします。

また、東京大学は当初単に「大学」でした。

つまり、「官制の大学」といえばただ一つであり、それがたまたま東京にあろうとどこにあろうと、わざわざ名付ける必要はなかったわけです。

二番目以降の国立大学ができていくのと同時に法令も整備され、正式にも通称でも東京帝国大学を名乗らざるを得なくなりますが、「ただ一つ」は東京大学の応援歌として今も続いています。

また同大学の校章は今でも単に「大学」という文字だけをかたどったものです。

なお、私立大学は、創業者の理念に沿って同志社や慶應、早稲田といった名前がつけられています。

こちらは国に私人での大学の設置を認めさせたという経緯から建学の精神をとても大切にしていますが、逆に東京大学には、特に創立時に明文化された建学の精神はないのも面白いところです。

名前をつけないことであえて名乗る、というお話でした。

二番目以降の大学出身者から以上お伝えしました。

ゴルフのスコアが100番台とは聞かないでいただきたい筆者からは以上です。

(平成25年12月21日)

ジ・オープンです

2013年12月20日

喪中の連絡を送るという習慣について(年賀状関連)

過度な販売ノルマをこなせない郵便局員が自ら購入するような事態などあってはならないと、監督官庁の総務相より注視させるとの声明が官房長官よりなされるくらいの国民的行事となっている恒例の年賀はがきについてです。

筆者もせっせと作っていますが、12月になり、事前の喪中の葉書をたくさんもらうようになりました。

喪中葉書は、喪中の人は身内に不幸なことがあったために喪に服しており、それで「新年の挨拶をしないこと」を失礼ながらよろしくご了承くださいという趣旨で出されるものです。

本来、あくまで「喪に服している側」からの年賀の挨拶を失礼するということであって、年賀状を寄越すなという意味は全くないのですが、喪中葉書をもらった人に対して、「新年おめでとうございます」「謹賀新年」「めでたい」ということを不躾にも送りつけるのは遠慮したいという日本人的心象が働き、いつしか喪中葉書をもらった相手には年賀状を出さないという文化が根付いていきました。

しかしながら、確かにお祝いを述べるのは遠慮したいところですが、一年に一度のやりとりで、こちらの近況の報告などしておきたいという場合も多いと思います。

そういう方には、わざと新年の年賀状ではなく、寒中見舞いとして少し遅れて届けるといった上級お作法も存在するようです。

しかしながら筆者は、喪中か否かで住所録を振り分けたり、また葉書の絵柄を複数作成するといったデザイン能力に欠けるため、年賀状様式の葉書でデザインも一種類でお送りしますが、喪中の方にも読んでもらえる程度に「お祝い」要素を取り去った「近況報告」系のものとして年始に送るようにしています。

「新年にあたりご挨拶申し上げます。今年もよろしくお願いいたします」

というような文言で喪中か否かに関わらずお送りし、喪中の方には近況報告、そうでない方には年賀状として読んでいただこうと都合のよいことを考えております。

以上理屈っぽいですが郵便ポスト前からでした。

忘年会でいつも赤くなっております筆者からは以上です。

(平成25年12月20日)


典型的な我が国の郵便ポスト

2013年12月19日

歩いて健康保険料を削減するという試み

最近、手首などにつける運動チェック器具が出回るようになり、これでスマホなどで歩いた歩数や運動量をチェックすることができるようになりました。

そして、例えば毎日1万歩の歩行を達成した人には特典を進呈するなどのサービスも始まっています。

机で仕事をすることの多い事務職には、歩かないことが健康増進のネックになっています。

そして、わが国の健康保険財政は、多く病気をする人も医者いらずの人も、等しく標準報酬月額や賞与額によって一律の割合で健康保険料を支払って(給与から天引きされて)います。

これでは割り勘になってしまい、どうしても自らの医療費を自らの保険料で賄っているという意識が希薄になってしまいます。

もちろん小さな子どもや被扶養者が多い家庭で病院通いが多ければ、支払う保険料より医療補助(3割負担を除く部分)が多くなり、そこは保険という「助け合い」の本質を発揮してもらえばいいのですが、あまりにも病院を公民館や井戸端会議所代わりに利用していては、全体の健康保険料を増大させるばかりになります。

そこで、歩きまわることで健康増進になるのであれば、例えば毎日一万歩を継続した人には、健康保険料の「減額」を認めるなどの措置を取ってみてはどうかと思うのです。

技術の進歩により、単なる申告ではなく客観的なデータは取れますので、導入に技術的な障害はありません(車いすの人には、移動距離などで代替します。要は適切な運動をカウントすればいいのです)。

申請者側で、データを会社に提出し、会社側は標準報酬月額によって定まる健康保険料から、一定の割合か金額を減らせばよいだけです。

事業者に過大な負担かもしれませんが、健康保険料は従業者と同額事業主も支払わなければならないので、その削減により会社の費用も削減されるのです。

従業員の健康増進と会社経費の削減で、ダブルの効果があります。

また、入院患者の多くの人にとっての最良の社会復帰のための方法は、まず歩くなどの運動をすることだそうです。

血栓や褥瘡性潰瘍などのリスクを低下させ、退院を早めることができます。これも入院期間の短縮と社会復帰の早期化につながり、結局健全な健康保険財政に一役買うことになります。

病院前からお伝えしました。

走るのは遅い筆者からは以上です。

(平成25年12月19日)

2013年12月18日

公的年金制度の財政方式について

公的年金制度(国民年金と厚生年金)では、制度が発足した当初は受給者も少なく、受給者毎の年金額も、加入期間が相対的に短かったことから一般に少額のものでした。

しかし制度発足から年数が経過し、合わせて平均寿命が伸びたことに伴い、加入期間の長い受給者が増えていくにしたがって急速に年金給付に必要な費用が増えていくことになります。

このように、増大していく給付費用をどうやって賄うかの考え方には、大きく2つ、すなわち「賦課方式」と「積立方式」があります。

賦課方式とは、その時の年金給付に必要な費用をそのつどその時々の被保険者から保険料で賄なう方式です。

この方式では、現役世代から集められた保険料がそのまま高齢者(年金受給者)に配布される形となり、「世代間扶養」を実現する方式となります。

この方式には、そもそも保険料を積み立てていくという概念がなく、社会経済情勢に対応しやすいという利点もあります。

しかし、世界的な少子高齢化を迎えた現代社会にあっては、大勢の高齢者に配布する年金を少人数の現役世代で負担しなければならないため、保険料の額が際限なく上昇し、現役世代のやる気を削ぐという負の作用も大きいです。

一方積立方式とは、将来の年金給付に必要な費用はあらかじめ自分たちで積み立てていく方式です。

積み立てられた保険料は積立金として運用され、最終的にその積立金の運用益と保険料により年金給付が賄われます。

この方式では、各種税法上の優遇処置(社会保険料控除となります)や国庫からの補助も見込んだ上で現役時代に支払った保険料が将来において(生きていれば)その者の年金として戻ってくるということになるので、現役世代の理解も得られやすく、また少子高齢化の影響も受けません。

現在、わが国の公的年金制度においては、賦課方式を基本としつつ、積立方式の考えも取り入れた制度設計となっています。

しかしながら、筆者は「自分のことは自分でせよ」という考え方なので、先輩世代については大切にしたいと考えておりますものの、だからといって安易に子が親を養えという考え方は取らずにより積立方式によりシフトすべきだと考えています。

本日の筆者による政見放送は以上です。

(平成25年12月18日)

確定拠出年金の運用利回り(例)

2013年12月17日

ちょっとした操作(Tips)

チップ(Tip)といっても、海外のホテルにいったときのボーイに支払う心付けのあれではありません。

Tipにはヒントや助言という意味もあり、デジタル端末で文章やグラフや表を作る際に役に立つちょっとした操作のことを指すことがむしろ多くなっているようです。

古典的なTipsとして当職が思い起こすのは、ウィンドウズの表計算ソフトであるエクセルのセル(格子)の中の文章を改行するには「Altキーを押しながらRnterキーを押す」というものです。

これは当時の上司や先輩に幾度となく教えた記憶があります。

おそらく巷でもっとも流布したTipsの一つなのではないでしょうか。

最近では、フェイスブックのコメント欄に最初の記事のアップ主が返信する場合、返信であることがわかるように、名前の前に記号>や→を入れている場合が私を含めて多いのではないかと思います。例えば、>ビルメン王さん、コメントありがとうございます。

というような感じです。

実は私も直近知ったのですが、名前にリンクを張って返信している格好いい方がいらっしゃいます。

やり方は簡単で、コメント欄にまず@マークを入力し、その後に続けて返信する人の名前を入力すれば自動的にリンクで候補が表示されるというわけです。

@マークをつければ何人でも入力できるので、集団向け返信もできます。

このように、技術は進歩していますがこうしたちょっとした気の利く機能というのに人間臭さを感じます。

そんな初歩的なTips現場で喜んでいる筆者からは以上です。

写真はチップとデールです。

(平成25年12月17日)

チップとデール


2013年12月16日

餅つき@2013年12月

筆者の家では5年前から餅つきを企画実施しています。

餅つきは大勢の人数が必要な大イベントで、段取りや準備、参加してもらえる方々への事前の声かけなどが必要になってきます。

社内の飲み会の上手なセッティングは仕事の出来に通じると信じている筆者は、同じように如何にたくさんの美味しい餅をみんなの力で作れるかというところに、大げさに言えば組織の力の発揮にとても興味を持っています。

大変勉強にもなります。

準備して、餅米をふかして、臼と杵で(人力)ついてから素早く丸めるまで、流れ作業が進むように台やコンロの配置も考えなければなりません。

参加者の状況を見ながら、何キロつくか、餅米の調達から始めなければなりません。

当日飛び入りの人にも何らかの作業に入ってもらえるよう、そして入ってもらって役に立ってもらうよう、作業の標準化を図らないとみんなが楽しくありません。

敷居が高くなってしまっては元も子もありません。

だいたい、30キログラムの餅米を前日から水につけておきます。

蒸し布につつみ、重ね蒸籠(アルミ製)で蒸かします。だいたい2キログラム強ですので、臼と杵でつくのは15回弱となります。

3人でつくのが一般的ですが、最初のお米をこねてある程度の餅にするまでが重労働で、さらについていくのは更に労力が必要です。

最後は1人のつき手でつるつるの餅に仕上げます。このように書いていますが、私も実は素人で、隣家の「昔とった杵柄」の先達からのご指導なくてはうまく立ち行きません。

ですので隣家のスケジュール確保も大切です。

餅つきに参加する近所の子供たちですが、結構楽しみにやってきます。

今年は可愛いフライヤーも作りました(友人の作です)。

小学校高学年にもなると、意外にもつき手としての戦力になります。

特に女の子はまるめる作業も喜んでやってくれますので、大変重宝します。なにしろ筆者は家族で大の餅好きですから、いくら作って冷蔵庫に冷凍していても、必ず春までには消費してしまいます。

一つの家族ではできないことを皆の力を借りれてできるわけですから楽しみで仕方ありません。

あとは、当日雨や雪がふらないことを祈るばかりです。

お近くに寄られたら餅を振る舞うことができると思います。

是非どうぞお越しください。

餅つきも食品の安全面からなくなりつつあるということなどを聞きながら、なんとかこうした伝統は続けていきたいと考えている筆者からは以上です。

(平成25年12月16日)


2013年12月15日

買ってみたら左右非対称スニーカーだったので理由を考察してみた


まず写真を御覧ください。

さる格安量販店で購入(3桁円)した激安スニーカーを履いたところですが、右足には靴紐で縛る「へら」のところに紐通しがくっついているのに対し、左足にはありません。

購入時には気が付かず、大したことではないのでやり過ごそうとしたのですが、気になったので考察してみました。

まず第一に、落丁であることが考えられます。

つまり紐通しもつけるのが本来の仕様であるところ、スニーカー製作工程において、左足の私のスニーカーのみ何らかの原因でそこがスルーされたというわけです。

実は気づいた時にはそれで早々に結論としようとしたのです。

しかし、コスト削減のため片側ドアミラーしかつけないインドの自動車会社の話がふと頭に蘇り、そうではないのではないかと思ったのです。

ですが、スニーカーは両足で両方同じように踏みしめて使うので、運転席側のみドアミラーをつけているかの車と同列に論じることはできません。

そこで大げさながら閃きました。


左右判定のため?


これは製品検査を行う時、ちゃんと右左が揃っているかを瞬時に判定するために、わざとつけている「印」なのではないかという仮説です。

つまり、整然と生産されているスニーカーですが、まれにラインを外れてしまうことがあります。こうした場合、紐通しあり→右、紐通しなし→左という仕様で組まれているならば、左右一足を組み直す手間が大幅に削減されるのではないかということなのです。

私はこの説を推したいのですが、何せ実証できる方法がありませんので皆さんのご協力を仰ぎたいと思います。

因みにこのスニーカーで遅いタイムながらリレーマラソンで激走し翌日筋肉痛で動けなくなりました。

そんな素人ランナーの日常からの報告は以上です。

(平成25年12月15日)

2013年12月14日

カプチーノとは具体的にどういうコーヒーなのか

喫茶店でメニューにあるカプチーノというのを注文したのです。

そのものズバリのコーヒーというのがなかったからですが、そもそもコーヒーとどう違うのでしょう。

更に、同じようにカフェラテだのカフェオレだのありますが、まとめて整理しておきたいと思いまして筆を取りました。

まず、広義のコーヒーの抽出方式に二つあり、浅煎りの豆を普通にお湯で抽出するドリップ抽出方式と深煎りした豆を敷き詰めて高温高圧で抽出するエスプレッソ方式があるとのことです。

水出しコーヒーというのもありますが、ドリップ抽出方式の一種です。

ドリップ抽出されたものをそのまま飲むとただのコーヒー、ミルクを入れたらミルクコーヒーです。

エスプレッソ抽出されたものをそのまま飲むのをエスプレッソと呼びます。

初めて知りました。

大変濃いコーヒーです。

少量ですので器も専用の小さいものを使います。

そして、そのエスプレッソに、ミルクを入れたらカフェオレ、高温高圧の泡立て牛乳を乗せたらカプチーノ、そして、同じく泡立て牛乳を少し垂らしたのがカフェマキアートというとのことです。

これで、似たようなコーヒー種類の整理ができました。材料を要素分解すると、コーヒー、エスプレッソ、ミルク、泡立て牛乳の4つとなります。

あとはその組み合わせにより呼び名が違うということになります。

これで洒落た喫茶店でも迷わずに注文できそうです。コーヒーより紅茶、紅茶よりお茶派の筆者からは以上です。

(平成25年12月14日)

(注)写真はお茶です。


2013年12月13日

ちょっとユニークなタクシーの話

筆者が街で時々見かける変わったタクシーについに乗れたという話をします。

トヨタのプリウスというハイブリッド車をタクシーとして使っている事業者は最近多くなっています。

燃費がよいのでタクシー事業者にとって採用しやすいのだと思いますが、最近では個人タクシー事業をこのプリウスで行っている人も多いようです。

サラリーマンやOLが極端に「歩かない」都市NO.1福岡(平成25年度ビルメン王調べ)では、バスやタクシーが所狭しと走っていますが、その中でプリウスのトヨタ自動車の「ロゴ」の中身が赤いタクシーがいるのです。

トヨタ自動車は、ハイブリッド車についてはそのロゴの中身を青くしており、エコカーであることのブランディングをしているのですが、この車については同型の新型プリウスのはずなのに、なぜかロゴが赤いのです。

もしかしたら同型限定発売車なのかと思っていたのです。

さて、歩きやバスでは間に合わない急ぎの用があり、かのタクシーを偶然見つけたので早速停めて乗ってみました。

運転手に早速聞いたところ「みんな青だから赤いフィルムを自分で貼り付けてみた」だけのことでした。

しかしちょっとした作業ですが、確かにトヨタのハイブリッド車なら例外なく皆青いロゴになっているところに赤いロゴなものですから大変目立ちます、私はこの車を何回も街なかで見てますよと伝えました。

運転手はそんなもんかねえと言いながらも嬉しそうでした。

ちょっとした工夫でお金などかけなくても十分目立ってアピールすることができる。

そう思った朝でした。

街乗りタクシーからは以上です。

因みに写真はイメージですので念のため。(平成25年12月13日)


2013年12月12日

世界を動かしたネルソン・マンデラ

2013年12月、亡くなったネルソン・マンデラ氏の追悼式が南アフリカ共和国の最大都市ヨハネスブルクで行われました。

因みに最大都市とは耳慣れない言葉ですが、同国は首都機能を各都市に人工的に分散させており、一応各外国の大使館の多くが置かれている行政府都市プレトリアを首都とみなすことになっていますが、歴史的にカイロと並びアフリカ最大の都市の一つと言ってよいヨハネスブルクは商工業の中心地であり首都ではないため、このような呼び方になるようです。

マンデラ氏は若くして同国のアパルトヘイト(白人と非白人を相互に隔離する政策)に反対し、その結果国家反逆罪で終身刑の判決を受け27年間を獄中にて過ごします。

その後アパルトヘイト撤廃運動の旗手として、アフリカ民族会議という政党の党首となり、1993年にノーベル平和賞受賞、1994年にこの制度を撤廃し初めて行われた全人種参加選挙を経て同国大統領に就任したという文字通りの歴史上の巨人です。

追悼式には、米国からオバマ現大統領、ブッシュ、クリントン、カーターの元大統領が出席し、英国は首相のキャメロン、フランスは大統領のオランド、デンマーク首相トーニングシュミットなど、100人を超える要人が集まり、出席者の要人度としては世界史上最大規模と言ってよい式典となりました。

日本からは皇太子さまが、福田康夫元首相らと出席されました。

各国の王室以外の葬儀や追悼式で日本の皇室(しかも皇太子)が参加されるのは初めてのことですが、国としてこれは正しい対応だったと思います。

先年亡くなったスティーブ・ジョブズに対する世界中からの追悼はものすごく、記憶に新しいところですが、やはり「人類社会に深く根ざした『差別』というやつと戦う」ということが、世界を動かすヒーローの条件なのだと改めて思いました。

日本では、「出向」させられたら人生の終わりだなんていうドラマが今年流れていましたが、世界はもっともっと広くて悲嘆と希望に満ちています。

27年「獄中」のマンデラ大統領の爪の垢でも煎じて飲みたいものです。

謹んで哀悼の意を表します。

そういう偉人に遠く及ばない凡人の筆者からは以上です。

(平成25年12月12日)

2013年12月11日

各地方自治体で空前のゆるキャラブームとなっていることについての話です




おはようございます。

2013年12月の記事です。

くまモンという熊本県をPRするゆるキャラが人気です。

「熊本県営業部長」の肩書を持っています。

あの世界的なクリスタル製品ブランドであるバカラから、くまモンをデザインしたクリスタルガラスの置物も出るくらい活動範囲を広げています。

先日は天皇皇后両陛下の表敬を受け、皇后陛下より「くまモンはお一人でやっているのですか」とのご質問を直接いただいたとのことです。

「中の人などおりませぬ」と答えたかどうかは存じませんが、自治体公認キャラクターとしての成功例と言えるでしょう。

一方、千葉県船橋市を中心に活動する「ふなっしー」は船橋と梨をかけた語感と落書きがそのまま飛び出したような雑でゆるい顔と、その強烈なキャラクターでまた別の人気を博しています。

実は船橋市は非公認の立場を取っており、勝手に活動させているという関係なのですが、それゆえに、ふなっしーは自治体公認という制約なく、ヒャッハーと叫びつつハイテンションに踊り跳び回り、かなり自由に支離滅裂に活動することができている模様です。

船橋市としては、公募して市民の支持を受けたものではなく、また時としてテンションが高すぎる言動や下品な振る舞いが市のイメージダウンにつながりかねないということで非公認の立場を保っているとのことです。

また船橋市が売り出したいのは本当は梨ではなく、海苔だということです。

これはこれでよい距離感なのではないかと思いました。

今日はここまでです。

ゆるい顔の筆者からは以上です。

(平成25年12月11日)

2013年12月10日

グローバル企業というのは国境を超えて成長目指して貪欲に行動する組織体です





おはようございます。

2013年12月の記事です。

グローバル企業とは国境を超えて成長それ自体を目的にして貪欲に行動する存在と言えます。

資本主義社会において、国家が作った市場ルールを飛び越え、利益と成長ある場所を目指して世界中に拠点と販路を広げていきます。

しかし地球は有限です。

このグローバル企業というものの取扱いについて、地球政府を未だ持ち得ない人類の手には若干余る存在になって来つつあるような気がしてなりません。

中国の伝承に「トン(けものへんに貪と書く)」という怪物がおりまして、これは獰猛で欲深く、何でも食べなければ気が済まない巨大な怪物です。

何でも食べて、山も太陽も天地も食べ尽くし、果ては自分自身も食べてしまい無を残すと言います。

バベルの塔も、天に届く塔を建てようとして崩れてしまったという旧約聖書の神話にありますが、同じように行き着くところまで行ってしまうことの怖さを説いたものと言えそうです。

企業という法人格が細胞分裂して個人を構成するのではなく、一人ひとり主体的な意思と行動を担う人間が集まって企業を構成するものである以上、どちらが主従であるかは自明です。

人間は企業がなくても生きて行けますが、人間なくして企業はありえないと思います。

写真はバベルの塔ではありませんので念のため。

組織の歯車になっております筆者からは以上です。

(平成25年12月10日)

2013年12月9日

外国語を使う際に必要なバックグラウンドについての話です





おはようございます。

2013年12月の記事です。

筆者の自宅の近くに、「アイムホーム」という建売分譲相談のお店があります。

つい最近屋号を変更したのですが、私はてっきり「私は家です」というそのまんまの屋号では広告効果が見込めないので社名変更に踏み切ったとばかり思って女性の友人に申し上げましたところ、「I'm home.」 は「ただいま」という意味ですよと突っ込まれてしまい恥ずかしい思いを致しました。

このように、外国語を学んでいくのに必要な言い回しやそのような言い回しを行う背景(バックグラウンド)がわからないと会話や意思疎通が成立しないということはよくあります。

また気候や宗教が違うので、例えば「冬のソナタ」という以前ブームを博した韓国ドラマの主人公たちが着こなしているマフラーが格好いいと評判でしたが、これは韓国ソウルの冬の気温がマイナス20度にもなる、日本で言えば北海道の旭川のようなところであるということを抜きにしては語れません。

また欧州においては同じキリスト教系の国々であっても、旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)、ギリシャ正教にロシア正教、イギリスでは国教会と沢山の流派があり、異宗教以上にその違いに敏感ですので大変です。

イギリスは外交的には単一の国ですが、イングランドとスコットランドとウェールズと北アイルランドとは別々にサッカー他スポーツの「代表チーム」を持っており、ブラジルのワールドカップに出場するのはイングランドです。

スコットランドの首都のエジンバラで、「今度のイギリス代表は期待できるねえ」などと言おうものなら総スカンを食うでしょう。

二重に間違っています。

外国語を学ぶ前にまず日本語でしっかり思考できる素養と土台を作ってからでないと、国際人にはなれないのかもしれません。

国内派の筆者自宅前からお伝えしました。

アイムホームはただいまとわかって、また一つおりこうになった筆者からは以上です。

(平成25年12月9日)

2013年12月8日

いつも心に太陽をポケットにバッテリーを持ち歩いておきたいものです

多勢に無勢


おはようございます。

2013年12月の記事です。

いつも心に太陽を、というフレーズがありますが、先日通勤自転車で「いつも心に下心」と大書している運送トラックに遭遇し軽い衝撃を受けた筆者です。

「頭痛が痛い」「馬から落馬する」並みの畳文ですがなんだか心の下に残ってしまいました。

さてそんな私のスーツのポケットにはいつもスマホ充電用のバッテリーと充電用ケーブルが入っています。

スマホの高機能化に伴って電源(バッテリー)の大容量化が図られているわけではないため、最近はすぐ電源が落ちてしまいます。

アプリの見栄えなどどうでもよいので、とにかく電池が長持ちする機能があれば飛びつくのですが、なかなかそうなりません。

ゆえに、いつも予備のバッテリーを一緒に持ち運ぶことになります。

何しろ「マーフィーの法則」ではないですが重要な電話やメール連絡をしなければならないときほど、突然のバッテリー切れを起こすことが多いです。

一度ならず、重要な商談を電話で受けている時に電源切れを起こしたこともあります。

クレームに対応している時など目も当てられません。

バッテリーは重いですし、そもそもバッテリーの方も充電しておかなければ給電の意味をなさない(文鎮化)するので、結構な手間ですが仕方ありません。

スマホのデザインや解像度や多機能化はとりあえず凍結してよいので、とにかく「モバイル端末」の原点に戻ってせめて一日昼間だけでも電源が持つようにしてもらいたいと思っています。

そうして、筆者はいつもバッテリーも持ち歩くようになっております。

心は下心からできている筆者からは以上です。

(平成25年12月8日)

2013年12月7日

2013年12月に見た駐車場の上で八百屋の商売するという発想が凄いという話




おはようございます。

2013年12月の記事です。

筆者の会社に行く途中、駐車場の上で野菜を売っている店があります。

地産地消の無農薬、低農薬というのが売りで繁盛しています。

かなり朝早くからおじさんやおばさんが甲斐甲斐しく商品を並べ、夕方も遅くまでやっているので重宝しています。

生産者が直接そこで売っているもようです。

もちろん一農家では品揃えが広がらないので、友人の同業の商品もそこで並べているとか。

そうすると小売の機能も果たしていることになりましょう。

糸島や七山から福岡市内まで運んでくるのは大変だけれども、道の駅に並べるよりお客さんに近くて楽しいとのことです。

駐車場を貸している「家主(家ではありませんが)」にとっても、各種権利関係が複雑な賃貸借契約ではなくて駐車場利用契約ですので、契約関係も簡便ですし、借りる側も売上がいい間だけ月極駐車感覚で借りているので、双方にとってメリットがある究極のお手軽不動産運用ではないかと感動しています。

最近は「店舗」を駐車場スペース数個分まで「増床」し、看板まで作って「店構え(構造物ではありませんよ念のため)」もしっかりしてきました。

それで、ちゃっかり「お客様用駐車場」も確保しています。

いろいろな工夫で、消費は喚起されるものなのかもしれません。

八百屋前からお伝えしました。

写真は禁煙の煙草屋というパスタ屋です。

ラーメン好きな筆者からは以上です。

(平成25年12月7日)

2013年12月6日

いわゆるパソコンのいわゆる一般的なキーボード配列について考察する話です




おはようございます。

2013年12月の記事です。

最近はスマホ・タブレット全盛時代ですので、もはやパソコンのキーボードで文章を書くというのも時代遅れというふうになっていくのかもしれません。

これからは、

口述→石に刻む→羊皮紙に書く→紙と墨の発明→(ずっと長く続く)→鉛筆の発明と紙の大量生産→パソコンの発明によるキーボード導入(今述べているのはここ)→スマホ・タブレットへの直接手書き入力→録音や意思伝達の神経回路から直接クラウドハードディスクに記録...

という具合に今後の世の中進んでいくのでしょうか。

キーボードについては、もともと英文タイプライターのタイプバー(印字棒)がジャムる(絡まる)のでわざと打ちにくい配列にしながらも、THやERやTRといったよく使われる並びは近いところに配置するという工夫により定まってきたようです。

この配列はQWERTY(クワティー)と呼ばれており、ローマ字かな入力を行う我々日本人も、アイウエオ(aiueo)が変なところに散りばめられているこの配列で慣らされるわけです。

人類史上最も成功したデファクト・スタンダードと言えるかもしれません。

今のタブレット端末でも、液晶画面にこのキーボード配列を「表示」して入力させるようになっていますが、どうもキーボードを「打つ」あの感触が指先に伝わらないので創作活動が進みません。

これは、原稿に万年筆でないと書けないと言っていた昔の作家のようなものでしょうが、慣れ親しんだスタイルから次のステップに踏み出すには、勇気と多少の不具合を飲み込む好奇心が必要だと思いました。

今後、おじさんロートルのみキーボード付きのパソコンが支給される時代が来るのかもしれません。

執筆現場からお伝えしました。

筆が進まないのを筆のせいにしている筆者からは以上です。

(平成25年12月6日)

2013年12月5日

建築の話で言われることがある施工管理と工事監理の違いについて



おはようございます。

2013年12月の記事です。

建築の話で言われる施工管理と工事監理とはどう違うのでしょうか。

特に監理は皿カンといって建築施工の世界ではよく使われます。

建物作りに必要な工程であることは変わりませんが、両者には文字以上の違いがあります。

まず施工管理とは、目指す建物の竣工のため、建築に必要な人員と資材の調達、そして作業場所(事務所)の確保、作業工程のすり合わせと、現場作業員への指示、応援スタッフの投入や納入業者や協力業者との折衝など、建築現場で作業がスムーズに行うため、マネジメントする仕事となります。

現場監督のやる仕事と言って良いと思います。

現場指揮官としての経験が大切になりますが、特に法律上の決まりはありません。

一方工事監理(皿カン)は、現場で今行われている建築作業が、法令に基づいた過提で、設計図を具現化するように執り行われているか、設計者の意図に沿った現物に仕上げているか、耐震基準などの建築法令に沿っているかを進捗管理するものを言います。

工事の段取りではなく、工事の内容に踏み込んで「監理」するのです。

施工管理者とは違い、工事監理者は原則建築士の資格が必要で、一般的には設計を担当した建築士が工事監理者となる場合が多いのです。

工事監理者は、構造、耐震、設備、配管、給排水、電気設備や採光、照明や植栽など、細々とした法令に照らしあわせて施主のニーズに沿った建築物建築に責任を負う重要な役回りです。

施工管理者は現場の作業を通じ、設計段階では出てこなかった課題点を施主、監理者と協議し解決していきながら段取り良く施工実務を取り仕切ります。

監理と管理、この2つのカンリで施主のニーズと良質な建築は担保されているのです。

建築現場からお伝えしました。

まちづくりは難しいと感じる筆者からは以上です。

(平成25年12月5日)

2013年12月4日

建築物を建てる際には大きく二つの考え方があるという話です



おはようございます。

2013年12月の記事です。

建築物を施主が請負により建ててもらう場合、大きく分けて設計と施工を分けて発注する「設計施工分離発注方式」と、単一の業者グループに任せる「設計施工維持一貫方式」があります。

設計施工分離発注方式は設計事務所などが主張します。

設計施工維持一貫方式に対し、完全な実施設計図の制作合意完了を待たずに見切り発車で工事が始まり、その流れでなんとなく事実上の工事請負金額が決定していくことが多いと批判します。

施主の値引き要請に対し、一定の譲歩がなされ、ある金額で最終的な工事金額が決定したとしても、その金額には何の意味もないと言うのです。なぜなら最終決定した図面がないのですから、工事金額に合わせ設計内容が都合のいいように「省略」できてしまうというのです。

逆に設計施工分離発注方式であれば、概算での工事金額に合わせた設計を別途発注し、施主と設計側が完全に合意した図面を基礎にして、工事金額を精緻に査定交渉することができます。

もちろん、交渉により設計内容自体が変更され、工事金額に影響することもあるでしょうが、設計したものを建築するという流れ(ウォーターフォール)に沿った合理的なやり方だということです。

逆に、設計施工維持一貫方式は、一般的に大手ゼネコンなどが主張します。

契約金額に合わせて設計内容を決めるのと、設計内容に合わせて契約金額を決める、これは渾然一体とした手法であり、どちらが正しいということではなく案件ごとの実情に応じて決めていってよいはずだというのです。

さらに、良い建築物を納品・引き渡すために、棟梁による企画設計から施工維持に至る建築工程のすべてに一括して責任を負うことこそ顧客が最も求めていることだというのです。

特に設計と施工のシームレスな連携により、より工程の品質向上が図られると説きます。

同じ事象でも、根底の考え方の違いによりいろいろな解釈ができるものだと思います。

建築現場からお伝えしました。

こちらからは以上です。

(平成25年12月4日)

2013年12月3日

2013年12月に福岡市が福岡マラソン(市民マラソン)を始めると発表しました




おはようございます。

2013年12月の記事です。

平成25年12月1日(日)に行われた伝統の福岡国際マラソンではなく、市民マラソンの福岡マラソンの話です。

福岡市と福岡市の西に位置する糸島市が検討している市民参加マラソンである「福岡マラソン」の大会概要を発表しました。

普通マラソン大会といいますと、運営と参加者の利便を図るため、スタートとゴールは同じ場所にするのが普通です。

しかし、この大会は、福岡都心の天神をスタートし、ゴールを糸島市庁舎にしようとしている点が新しいと思います。

こうすると、参加者はわざわざ天神から荷物をおいてスタートし、ゴールの糸島市から天神まで戻るか荷物を別の人に運んでもらって合流するかしないといけないし、例えば棄権した場合に救護バスがどこまで乗せて行ってくれるのかといった課題がたくさんあります。

単純にA地点からB地点まで重複なくコースの景色を楽しみながら走れますね、ということでは済まされないのです。

しかし、筆者はあえてこの取組みを支持したいと思います。

都心をスタートし、千人規模のランナーとその関係者が大挙して糸島市という「郊外」に来場するまたとない機会になります。

美味しいものを食べるもよし、観光するもよし、糸島市としてはおもてなしの腕の振るいどころです。

福岡市側としても、ゴール地点に戻ってきたランナーたちのケアを都心でまた行うのは運営上非常に負担になります。

郊外に抜けてくれたほうが交通規制の手間も半分になるという目論見があるのではないかと思います。

双方にとってメリットもありそうな福岡マラソン、運営の成功を祈っています。

市民ランナーの聖地大濠公園からお伝えしました。

短距離走の方が得意な筆者からは以上です。

(平成25年12月3日)

2013年12月2日

名称に魂が宿るという言霊という考え方が続いている日本の国の事情について

司法試験にも落ちてます


おはようございます。

2013年12月の記事です。

言霊といってわが国には言葉には自然の霊力が宿っているという考え方があります。

ですので普通に使われている言葉は下手に変更するより使い続けたほうがよいと思います。

地名から転じて永田町は政治立法府の本拠を差し、霞ヶ関は行政府、官僚機構そのものを指す言葉になっています。

これは国民のお約束といえる大切な暗喩です。

日本語をよく勉強してきた堪能な外国人でもこの辺は難易度が高いです。

新聞紙上等で、政府首脳や政府高官がしゃべることが記事に出ることがよくあります。

政府首脳とは、主としてその公式の立場では言いにくいオフレコの発言を掲載する場合、その発言の主をぼかすために使う言葉ですが、「内閣官房長官」であることは周知の事実です。

また政府高官という場合は、「内閣官房副長官」を指すことが多いです。首脳といってすぐ首相と飛びついてはいけません。

組織の名称も、最近はリストラ合理化による統合が流行りですので、どんどん長くなってきています。

長さに耐え切れず伝統ある名称を平仮名にしてしまった銀行(銀行とも言わずに今は「メガバンク」とか「フィナンシャルグループ」などというようですが)や、片仮名商品ブランドをそのまま会社名にしてしまい、世界中の誰もが知っていると言ってもよい創業者名を捨ててしまったメーカーなどあるようですが、考え方によっては大変惜しいことです。

人材獲得の面でも、やはり有能な官吏を集めるのであれば財務省より大蔵省のほうが効果的だと思います。

大蔵という名前はおそらく律令国家創建時から使われていたものと思われるからであり、まさに日本の歴史を体現している面もあると思います。

変えるべきものと変えないべきものを見極めるのは難しいものです。

官邸前からお伝えしました。

大蔵省には落ちた筆者からは以上です。

(平成25年12月2日)

2013年12月1日

記事に自信がないときに使いたくなる「へもか」記事のなんとも言えない曖昧さ





おはようございます。

2013年11月の記事です。

このような記事のタイトルを見ることがあるかと思います。

「楽天イーグルス田中投手、来春メジャー移籍か」

このように、へもか言葉は語尾につければ希望憶測以上未確定のことを何でも書ける魔法の言葉です。

「大洋ホエールズ復活へ」

「孫社長、増毛も」

「鳩山首相、宇宙へ帰還か」

といった具合にいくらでも複製できます。

因みに、「へもか」に加えて「に」も含めてその現在の使い方をひも解いてみますと、「に」は8割本当かと思わせるもの、「へ」は半分程度確実かと思わせ、「も」ならば3~4割ほど、「か」に至っては2割以下の信憑性で事実と符合したらむしろラッキーという程度かと思われます(平成25年度ビルメン王調べ)。

しかしこれでは事実を報道するニュースとは言えません。

筆者も大好きな虚構新聞じゃないのですから、ニュースソースはきちんと検証した上で、結果誤報になったら訂正記事を打つくらいの気概で報じてもらわなければ困ります。

昔の新聞社では、新人記者はデスクや先輩に、みっともないから「へもか」は絶対に使うなと教えられたそうです。

保つべき美風だったと思いますが、今のマスコミを見るにいかがでしょうか。

へもかにすれば、全部憶測ですから、書いてあることが厳密に間違いになることはありません。

しかし、それこそ各記者の魂の入っていない駄文です。

責任逃れの言い訳はせずに、自らのリスクで表明することが求められていると思います。

「ビルメン王、次期衆院選出馬か」

当該新聞紙上からお伝えしました筆者からは以上です。

(平成25年12月1日)