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2014年1月31日

後世語り継ぐものがいたから親鸞の教えは生き返ったのだという話

親鸞上人

本日の話の要点は、語り継ぐものがいることが大切だということです。

浄土真宗は日本で最も広く普及している仏教の宗派です。

浄土宗を興した師の法然の弟子であった親鸞上人(海外の方へ注:じょうにんとは読まずに「しょうにん」と呼びます)が開祖です。

しかし、「浄土真宗」という宗旨名が呼ばれるようになったのは親鸞の没後です。

その後、開祖親鸞の教えとして、三代目の覚如のときにまとめられ、八代目の蓮如に至って、全国に普及されました。

難しいと敬遠されがちな教義を消息(当時の言葉で手紙のこと)の形で分かりやすく説いた「御文(おふみ)」というものを大量に発行して布教したところ、爆発的にヒットした模様です。

今で言うチラシやフライヤー広告のはしりかもしれません。

開祖と教団化した人は別


そういった教団発展の顕著な業績から、蓮如は浄土真宗本願寺派では中興の祖と言われるようになるのですが、そもそも覚如や蓮如がいなかったら、開祖親鸞のこともこれほど広く知られるようにならなかったわけです。

業績が顕著であることはもちろん必要ですが、後世に残るにはそれを語り継ぐ人たちがいなければならないのです。

別の言葉に、「コピーされ続けたものが残る」とも言います。

御文は仮名書きによる法語ですから複製も簡単で、正規ルートにかかわらず非正規品や模造品、コピー品も多く出回ったと思います。

しかしながら、数多くコピーされたお陰で、数百年の時を経て現代にも伝わっているとも言えるのです。

語りつぐ者が大切だというお話でした。

本家は禅宗(曹洞宗)の筆者からは以上です。

(平成26年1月31日)

2014年1月30日

中の人などいない(心理的な思い込みを取り去ってみることの大切さ)

ジョハリの窓

ご当地ヒーローやゆるキャラが活躍する昨今ですが、中の人が誰かといった追っかけも賑わっています。

しかし、そもそも「本当は」「誰が」などというのを詮索するより、まずはそのキャラクターは確かに実在すると考えていったほうが大切なことに気づくような気がしています。

人間誰しもいろいろな側面を持っています。

良好なコミュニケーションと対人関係を築くためのツールとして、「ジョハリの窓」という考え方があります。

心理学者ジョセフ・ルフト (Joseph Luft) とハリー・インガム (Harry Ingham) が1955年に発表したもので、ジョハリという人がいるわけではありません。


四つの窓から自分を見つめる


縦横二つの仕切り、合計4つの部屋がある格子を思い浮かべてください。

横軸は、自分が知っているか知らないかで分かれます。

縦軸は、他人が知っているか知らないかで分かれます。下の図でいいますと、左上は自分も他人も知っている「開かれた窓」です。

この領域ではコミュニケーション上の不都合は生じません。

しかし、右上の自分は知らないが他人が知っている領域「気づかない窓」については他者のアドバイスを「受容」していかなければなりません。

また左下の自分は知っているが他人が知らない「秘密の窓」領域については自分のことを「開示」して同じく開かれた窓に持って行くことがコミュニケーション上有効でしょう。

そして、右下の自分も他人も知らない「未知の窓」については、受容と開示双方で誰も知らなかったあなたの側面をまさに「発見」していくことができるのです。

世の中知らないことだらけ、自分のことすらわからないものです。

そう考えると、中の人を詮索するより、自分の中を覗いてみたほうがいいかもしれません。

心理学に長けた友人は多い筆者からは以上です。

(平成26年1月30日)

2014年1月29日

日本が貿易収支赤字国に転換してから数年経ちました(経済の話)

海外貿易
2014年1月末の記事です。

日本が貿易収支赤字国となってから、2年が経ちました。1年前の衆院総選挙で誕生した第二次安倍内閣が主導した金融緩和・財政出動政策(いわゆるアベノミクス)により、ここ1年で以下のような流れが現出しました。

まず、大幅な金融緩和で日本通貨「円」の価値が下落しました。

要するに円安になりますが、これだけでは実体経済には関係ありません。

次に円安の恩恵を受けるであろう輸出関連企業の生産量や(海外)販売額が増えます。

ここではじめて実体経済にプラスの効果が出ることになります(諸外国からは自国の製品が売れずにやっかまれますが)。

そして、その効果は国内の消費拡大にもつながり、内需拡大によるデフレ脱却への力強い足音になるであろう、というわけです。


東日本震災後の貿易収支は赤字基調


しかし、皆さんご覧のように、東日本大震災前までずっと続いていた日本の貿易収支が赤字となってしまいました。

震災以降、エネルギー関連輸入が大幅に増え、そして円安効果によりさらに輸入「額」が増加した結果、その輸入増加が輸出増加効果を軽く打ち消し、全体では大幅な貿易赤字となったのです。月に1兆円、年間12兆円という大きな赤字という状態です。

更に言いますと、燃料代を払っているのは所得階層にかかわらず全国民であり、輸出関連企業は企業や個人事業の一部ですから、この為替の変動は全所得者から輸出関連企業への所得移転効果しか生んでいないとも極論されるのです。

もちろん、貿易はモノの売買だけではなく、金融取引や投資関連の所得収支も合わせて総合的に見なければなりませんが、貿易収支に関しては赤字が常態化しているという事実は認識しておく必要があります。

輸入輸出は表裏一体であり、単純に円安で輸出が良くなって、景気もよくなっているといった理解明快ストーリーではないということです。

経済教室からは以上です。

(平成26年1月29日)

2014年1月28日

運がいいのか悪いのか(コンサルティング業界における考え方を少し)

カラスとハト
2014年1月のある朝のことです。

通勤していますと、鳩のフンがコートに命中しました。

2年ぶり5回目の当選です。

運がついたので、今日はいいことあること間違いなしです。

しかし、朝の天気予報が雨でなくても、傘が必要なのではないかと思いつつ、そして傘の場合でも糞がついたら拭き取らなければならない手間は大して削減されないことを考えるとちょっぴり憂鬱でした。

さて鳩のフンが実際に特定の人体に命中する確率はどのようなものなのか考えてみました。

要素は沢山想定できます。

まず糞害となる平和の使者ハトがいなければ当該事象は起こりません。

私の街は大きな神社や城跡があり、その近くが通勤経路となっているためハトの生息地から極めて近いです。

というよりハトの生息域の下を我々が通っていると言っても過言ではありません。

それからハトの飛行経路や止まり木下というのは危険性すなわち当選確率が高くなるでしょう。

今回の糞の場合、コートの胸下部分に命中したことを考えると飛行時から放たれる入射角も考慮に入れなければなりません。


コンサルの世界でもこのようなことが起こっているのではないかと思う


様々な要素を検討し、私の当選確率が計算されたわけですが(そして傘を毎日指す手間とのトレードオフの検討の上、今後もこのまま通勤することとなりました)、このような合理的な検証を強く求める業界にコンサルティング業界があります。

例えば類似の事例として、「日本中にあるゴルフボールの数は?」といった面接時の質問がなされます。

本当に数えることはほぼ不可能ですが、ゴルフ場やゴルフ練習場、店頭や工場、各家庭に標準的にいくつのゴルフボールがあると仮定して、それらを掛けあわせれば推定できることになります。

このような「合理的」な思考が取れることが、まっきんぜえやぼすとんこんしゃるてぃんぐ、えいてぃかあにいといった戦略コンサル会社のメンバーに求められているのです。

短い期間ですがコンサル業界に属したことのある筆者からは以上です。

お気軽にお問い合わせください。

(平成26年1月28日)

2014年1月27日

貼らないカイロというネーミングで売る普通のカイロが売れる世界

貼らないカイロ

寒い日が続きますがいかがお過ごしでしょうか。

今日はネーミングの工夫によりその商品が持っている魅力を再認識させる高度なマーケティング手法の実例をご紹介したいと思います。

それは、「貼らないカイロ」です。

エジプトの首都であるカイロではなくて、日本語で懐炉と書きますのでこの際一緒に覚えてください。

40年ほど前までは、中にベンジンを入れてゆっくり酸化発熱させる繰り返し使用のものが主流でしたが、1975年に封を切ることで発熱を開始する使い捨て型カイロ「ホカロン」が発売され大ヒットしました。

今に至るまで使い続けられるロングセラーになったのです。

最近ではカイロといえば使い捨てカイロのことを指すようにまでなりました。


レガシーな商品のネーミングを工夫してみる


しかしながら、発売より40年が経過し、最近では当該商品もあまりにも一般化され、単価の相次ぐ下落によりコモディティ化してしまっておりました。

そこで、衣服に直接貼り付けることのできる「貼るカイロ」などの高付加価値商品を相次いで業界は開発し投入していくわけですが、やがて、本家本元の「(使い捨て)カイロ」を「貼らないカイロ」としてリネーム投入したところ、消費者の意識に新たに受け入れられたというわけです。

コカ・コーラも、クラシックコーラとしてリネームした事例もあります。

中身を変えなくても商品訴求方法を変えるというマーケティング手法について、みなさんも周りのものを見渡してみると良いかもしれません。

臨時マーケティング講義教室から以上お伝えしました。

(平成26年1月27日)

2014年1月26日

平成26年4月1日から減税されるものをご紹介(領収書の印紙です)

領収書の書き方(例)
皆さん、朗報です。

たまにはいい話ができそうです。

消費税が4月から8%に上がること(増税)は既にご存知かと思いますが、ひっそりと減税される部分があるということを今回お知らせしたくて筆を取りました。

何かといいますと、領収書に貼る収入印紙についてです。

2014年1月現在、額面3万円以上記載の場合には収入印紙200円以上が必要となっておりましたが、これが平成26年4月1日以降は額面5万円以上になります。

逆にいいますと、現在は3万円未満の場合のみ印紙税非課税だったものが、4月以降5万円未満で非課税となり、非課税枠が広がるということです。

さて、収入印紙を貼るべき領収書の金額に消費税が含まれるのかという更に高度な疑問にもお答えしますと、印紙税の課税対象額は税抜き価格でよいとされているのですが、厳密にいうと、消費税額が明らかでない場合は印紙税の課税対象額としてカウントされてしまうので、53,784円(税込)という領収書を書いてしまうと収入印紙200円が必要となってしまいます。

53,784円(内消費税3,984円)と記載すれば、税抜き価格49,800円が明らかとなりますので非課税となります。

更に、支払いをクレジットカードにした場合、信用取引により商品を引き渡すものであり、その際は領収書であっても金銭又は有価証券の受領事実がありませんから、表題が「領収書」となっていても、印紙税対象の文章には該当しませんので気をつけましょう。

なお、クレジットカード利用であることを当該領収書に記載しないと通常の領収書と同じで印紙税対象文書となりますので、合わせて気をつけてください。

開業準備応援の非公認コンサルタントからは以上です。

ご相談いただければいい税理士など紹介します。

(平成26年1月26日)

2014年1月25日

(野球上達の早道)一人でできる練習を理解し時間を取って行うこと

素振りは一人でできます

多くの人間が集まって何かをやろうとする場合、まずその人数がいないとできない練習から始めたほうが良いと思います。

例えば少年野球でチームが集まってやる場合、最初のアップと称して長い間ストレッチやダッシュばかりを繰り返すのはあまり得策ではないと思うのです(故障防止という観点は敢えて考慮していません)。

9人以上いて、確保するのが大変なグラウンドが使えて、かつ外がまだ明るいならば、まずは各ポジションに散らばってからのシートノックやワンナウト1、2塁といった試合を想定したシミュレーションを行うべきです。


貴重なチーム連携練習機会を逃さない


明るいうちから、グラウンドが使えるのに、ただ体操したり走ったりする「だけ」という練習ならば機会を活かしているとは言えないのです。

それは暗くなってボールが見えなくなったところで取り組めばよろしいのです。

キャッチボールも同様で、2人とそれなりの空間があればできるわけで、そういった一人もしくは2人といった少人数でできるワークや練習を、多くの人数でただ一緒にやるというのはなんだかよくわからない一体感のために大切な機会を無駄にしているのではないかと考えています。

したがって、先の野球の例で言うならば一人でもできる素振りやシャドーピッチング、マラソンなどは自分で時間を捻出してやっておくべきであり(ここでは仮に基礎練習と名づけます)、チームとして集まって練習できる機会には、チームとしての力がアップするような練習(同じく仮に実戦練習と命名します)から行うべきだということです。

基礎練習への意識があり実践している者が、チームでも上手な選手となり、実戦練習でもレギュラーとして出場して更に差がつくということになりましょう。

同じようなことが、セミナーのワークショップや討論会でもありまして、折角オンサイトに参加しているのに、いきなり一人でもできるワーク課題の取組から始まることがあります。

そういうのであれば事前に準備しておくように課題として与えておくべきだし、わざわざ集まってやる必要のない一人作業を皆が集まった集合研修会場で黙々とやり続けるというのは変な気がします。

普段は忙しい社会人が集まっているのであれば、相互の意見をぶつける討論から始める、または講師の貴重な体験を生で語ってもらうことが一番機会を生かすという意味では大事だと思うからです。

予習が大切だということはわかっているのですがいつもやっつけ仕事の筆者からは以上です。

(平成26年1月25日)

2014年1月24日

サイトのPCからモバイルへの流れは双方の垣根も溶かすかもしれない

モバイル端末

モバイル端末(スマートフォンが主ですが、一応ガラケーと呼ばれる端末もインターネットアクセスは当然可能ですのでかような定義としました)は、多くの人の予想を超える速度で急成長して私たちの生活を変えていきました。

それもそのはず、PCでは有線でインターネットにつなぐためにジャック(端末)を繋がないといけないというのが面倒であるところ、外出先においてWifi環境以外においても自前の携帯電話回線を通じてインターネットにいつでも手軽にアクセスできるモバイル端末が、インターネットアクセスのファーストチョイスになるのは自明のことだったのかもしれません。

既に2013年中に、ネット利用デバイスとして、モバイル端末がPCを追い抜いたとの観測もあります。

モバイル利用時間がPC利用時間を超えていき、その差が開いていくのはもはや止められない流れのようです。


極めて大きいモバイルネットユーザー層


隣国中国では、モバイルネットユーザー数が5億人に達するという勢いだそうで、我々にはよくわからない数字の領域に到達しています。

筆者も、ガラケー時代に商品をその端末から購入したことはありませんが、スマホに変えてからはよく買います。

PC(特にWindows系)は立ち上がりや動作が遅く重いと感じられるので、PCに向かうときは家や会社で表計算ソフトで表を作るか、ワープロソフトで文書を作成するか、長い連絡電子メールやこのブログを書くくらいになっています。

モバイルとPC端末の差は、もはや指で入力ができるキーボードがくらいしかないのではなかろうかと思います。

今後は、モバイル/PCといった垣根すらなくなっていくのでしょう。

モバイル対応がどうも遅れているブログレイアウトの筆者からは以上です。

(平成26年1月24日)

2014年1月23日

10代ティーンになかなか受けないと言われるフェイスブック?

facebookサンダル

フェイスブックがアメリカのティーンエイジャーには受けていないようなのです。

近頃の若いもんは、というのはエジプト古王朝時代のロゼッタストーンにも記されたという、人類が昔から慣れ親しんできた言葉のようです。

なお本件は未確認でありますので当該碑文を取り寄せての調査を今後前向きに検討してまいります。

これは、時代はいつもすごい早さで過ぎ去るものであり、例えば新しい建物が建築されている現場で、その前にどんなものが建っていたかなど「とんと思い出せない」ことでもよくお分かりになるかと思います。

若年層はそのような時代の波に乗るかのように自ら追随同化し、いつしか自分のものとしていきますが、年長者になっていくにつれ(絶対年齢としては40歳程度からその傾向が始まると考えています(ビルメン王仮説))、自らのそれまでの波乗り経験が固まってしまい、その上で都合の悪い事実を忘れきれいなキラキラした経験のみを拾い上げた人生杓子を作り上げてしまい、それに固執するあまり新しいものを受け付けることができなくなり波乗り若者に対して大人が大人気なく反発するという人間の業のようなものではないかと考えています(ビルメン王2014による)。


フェイスブックはすでにデファクトスタンダード


脱線しましたがフェイスブックは既に世界中の10億人以上のユーザーに利用された立派な社会的公器といえるものに成長しました。

実はそれ自体がフェイスブックの抱える最大の課題と言えまして、つまり、自身の保護者や面倒な大人の多くが利用しているフェイスブックは、ティーンが望んでいる自由と解放感を阻害しまう息苦しいものという雰囲気を与えてしまっているのではないでしょうか。

ですので、いくらサービスをクールにしたところで、利用している大多数の大人たちがいるだけで、若者はフェイスブックを敬遠してしまうということになります。

そういうわけで、同一サービスプラットフォームに無理やり自由と解放を望む若者を取り込む苦労を考えれば、フェイスブックとしてはそのような移り気な若年層に受ける必要はなく、アメリカのシニア層とアメリカ以外の世界の多数派を握ってしまえば問題ないと考えるのが自然かもしれません。

そして、もしアメリカの若年層に受けるプラットフォームが出てくるならば、会社ごと買ってしまえと達観しているのかもしれません。

そんな企業買収ウォッチャーの筆者からは以上です。

(平成26年1月23日)

2014年1月22日

携帯電話で話す立錐スペースが事務所に用意されたら仕事が捗るかも

「古き良き」公衆電話ボックス

会社で営業する際には、ちょっと込み入った条件面の話や取引仕様についての繊細な情報のやりとりをする場面が当然出てきます(ここが肝要なところで、天気の話やプロ野球の話は導入に過ぎません)。

今までの時代、そういった交渉は企業秘密として応接室や会議室といった閉じられた空間において、お互い膝詰めで行われたものです。

もちろん、最もお互いのことを分かり合おうと思うのであれば、会って人払いをしてから話すのが一番なのですが、最近の高度に専門化された世の中では、全ての経営判断を全ての関係者から直接話してもらってから行っていては間に合いません。

もちろん、電子メールといった文章でやりとりするという方法もありますが、文章での連絡は状況の報告や整理にはなっても、刻一刻と動く交渉には使えません。

ということで、VIP同士がどうしても直接会えない場合、お互い社長室などの個室にこもって固定電話で重要な交渉や商談をしたものでした。

というような中、携帯電話が登場しました。

吉田茂首相の時代ならば、大磯の私邸に重要な人物が出入りして物事が決まるということで問題なかったのですが、今の時代は首相や官房長官でも携帯電話は欠かせないと思います。

国会議員や市会議員でも携帯電話は必須でしょう。


その割に、携帯電話で話せるスペースは用意されていない


その割に、世の中に「携帯電話で話すスペース」は用意されていないように感じるのです。

昔の公衆電話はガラスボックスであったことが多かったのですが、犯罪の防止ということで電話ボックスは解体されてきた歴史があるようです。

そんな歴史も相まって、携帯電話スペースは、空港などで電話ボックスの固定電話が取り去られた跡地や、喫煙ルームの横に申し訳程度についているくらいです。

なので、副総理兼財務相といった政府高官が、あろうことかコンビニの前で衆目の見ている前で携帯電話で話している画像が出まわったりしてしまうのです。

本来、電話という(電話会議でない限り)1対1で話す機会で時候の挨拶や周りに聞かれても良い立ち話ばかりになるはずはないのです。

であれば会社の業務を遂行しやすくするために、会議室の確保と同程度の重要度で「携帯電話で立って話すだけの仕切られた立錐スペース」が必要だと考えるに至りました。

私の会社でも、営業担当者はいつも取引先からかかってきた電話を取りながら事務所外の給湯スペースで話しています。

重要かつ会社の運命を決めてしまうかもしれない商談や交渉なのに、当の会社自体にその程度の「話す場所」しか用意されていないことに違和感を覚えます。

私が新社屋や新事務所レイアウトを設計するならば、縦に細かく仕切られて声が届きにくい電話ボックス(といっても中身はないから費用もかからない)を会議室や喫煙ルームと同じように設置して、会社の対外交渉「感度」を上げたいと考えています。

 成績振るわない営業担当からは以上です。

(平成26年1月22日)

2014年1月21日

ドラクエⅡをプレイするために絶対必要だったふっかつのじゅもん

ドラクエ(Ⅱではありません)

ふっかつのじゅもん(復活の呪文)というものがありました。

最大52文字にも上る意味不明なひらがなの羅列暗号を何度となく打ち間違えながら、呪文の写し間違いにおののきながら、ドラクエⅡの世界に舞い戻ってはプレイしたものでした。

日本中の少年少女(当時)たちがロンダルキアのハーゴン神殿を目指した1987(昭和62)年1月の冬の日々があったのです。

ゲームのやり込み過ぎで青年たちが高校や大学受験に失敗したなどという社会現象も巻き起こしました。

当時、ロールプレイングゲームという概念はまだ定着していませんでした。

そしてパーティーを組んで冒険に出るなどというワクワクなシチュエーションはどのゲームにもなかったのです。

ゲームを超えた「世界」を示したのがドラクエⅡの世界観でした。

Ⅰ(公式には単なるドラゴンクエスト)ではたった1人だったプレイヤーが、一気に3人になりました。

ローレシアの王子として旅立つ主人公は、仲間を作っていくのです。

ほとんど会話はない3人ですが、ずいぶん生き生きしたパーティーでした。

お互いに探し回りなかなか会えないサマルトリアの王子、逆に犬に変えられてけなげについてくるムーンブルクの王女。

キャラクターが実に「立って」いました。


ものすごく世界は広かった!


とにかく、世界は広かったのです。

最近のRPGの世界は、何故か旅することができる範囲が不自然に狭められていて、あたかも紙芝居のようにイベントが繰り返されていくといった感じなのですが、とにかく、ドラクエⅡの世界は広いのです。

船を手に入れる前も広かったですが、船を手にすればもはや世界一周の旅が始まります。

マップは256マス×256マス=65536マスと、当時のゲーム世界としては破格の大きさでした(ドラクエⅠの100×100=10000マスでも十分広かったのに、単純計算で6.5倍です)。

容量の限界に挑戦したゲーム魂がありました。

まさに、世界を旅して紋章を集め、海を彷徨って精霊ルビスのほこらを探し当てたものです。

敵も強かったです。

ダンジョンも難しく経験値やゴールドもインフレしていないから、ゲームの謎解き前に「強く」なるための専門職人みたいな係もいましたっけ。

ドラクエⅢ以降は、ルーラという一度行った街にいつでもいける便利な魔法の呪文が「進化」するため、世界を旅しているという感覚が却って希薄となってしまいました。

輸送手段が発達すると、世界は狭くなることを、数十年経ってからしみじみと考えるのです。

…とこのままではドラクエブログになってしまいますので、続きは次回ということでご容赦ください。

(平成26年1月21日)

2014年1月20日

どこで切っても同じ角度で切れるというスーパーなハサミについて

こんな風にはなりにくい鋏です

スーパーで買ったハサミがスーパーだったという話です。

ハサミは開きすぎて切ろうとすると、角度が大きすぎてうまく切れないことがあります。

また開きすぎないで先端だけで切ろうとすると、角度が小さすぎてこれまたうまく切れません。

要するに、直線の刃と刃を重ねあわせているので、大きく開くと角度が大きく、小さく開くと角度が小さいのはXという文字を見てもらえばわかることと思います。

そこに、どこで切っても同じ角度というハサミが登場したのです。


どこで切っても同じ角度で切るには


これは画期的です。

専門的には「ベルヌーイの螺旋」を利用したとありますが、2枚の刃で作り出す切る角度が30度で同じで変らないように計算したカーブを刃につけたとしか筆者にはわかりません(数学や物理に詳しい方、後学のため説明いただけると助かります)。

もちろん、刃先の方で切るならば、テコの原理が働かず、やはり力は若干入りにくいことはあるのかもしれませんが、このどこで切っても同じ角度という発想の転換に痺れました。

商品名は、プラス社「fitcutCURVE フィットカットカーブ」といいます。

早速買ってみたところ切れ味なめらかです。

普段から使っているものにも地味で画期的な変化が起こることを感じた週末でした。

針なしホチキスに続くちょっといい話は以上です。

(平成26年1月26日)









2014年1月19日

海の正倉院とも言われる玄界灘の神の島「沖ノ島」のことを語ります

スライム砂時計(隣はメタルスライムです)

ロールプレイングゲームの草分けといえるドラゴンクエストシリーズですが、筆者が個人的にその最高傑作と考えているのはドラゴンクエストⅡ~悪霊の神々~です。

作品が出た時期と筆者の多感な子供時期がぴったり重なったことも一因としてありましょうが、社会現象を巻き起こした購入ブームを尻目に、1年前から近くの玩具店に予約し、初回納入分数本のうちの1本を発売日に購入でき遊んだことをよく覚えています。

さて、この物語には絶海の孤島に浮かぶ小さな島「ルビスのほこら」が出てきます。

メインシナリオとなる5つの紋章を集めると最後の敵の神殿へと入ることのできるお守りアイテムを貰えるという設定なのですが、このゲームのシナリオライターは、きっと現実世界の「沖ノ島」のことをよく知っていたに違いないと思っています。


沖ノ島とは


沖ノ島は北部九州の宗像から北西に60キロメートルのところにある絶海の孤島です。

大和政権が成立したと考えられる4世紀以前から祭祀がなされていたらしく、本格的な学術調査で発見された遺物数万点がまとめて国宝に指定されるなど、まさに神の島といってよい存在です。

古来より、沖ノ島のことは「お言わず様」といいその名前を出すことや島での様子を口外してはならない、また女人禁制や入島する際に必要な全裸での海中の禊ぎなど様々な神秘に満ちています。

宗像大社の本宮「沖津宮」が置かれ島全体が神域である沖ノ島は、大和政権が無視し得ない大陸との通商交流ルートの先鞭をつけた北部九州の宗像海人族との関係が偲ばれるものです。

沖津宮に祀られる田心姫神(たごりひめのかみ)以下宗像三女神は、伊勢の天照大御神(あまてらすおおみかみ)の娘であることからも、この地の重要性やかつて彼らが果たした大陸との海の交通路という重要な役割が推察されます。

かの日本海海戦も肉眼で始終を観察したという現代に生きる神秘の島、いつか行ってみたいものです。

(平成26年1月19日)

2014年1月18日

お年玉付き年賀はがきを利用した簡単な集客マーケティングのお話

40円の官製はがき

平成26年のお年玉付郵便はがきの抽選は1月19日(日)に行われます。

今年は1等賞品現金一万円、2等商品は各種食材、そして3等賞品はいつもの80円と50円がセットになったお年玉切手シートです。

1等ははがき10万枚に1本、2等は1万枚に1本、そして3等は100枚に2本の割合で出るそうです。

つまりはがきの下2桁の番号が2本発表されるというわけです。

2%の確率で130円分の切手シートをプレゼントするというわけですから、3等に限っても払い戻しの期待額は2.6円となり、一枚50円のお年玉付郵便はがきですから、実に5.2%もの払い戻し率となるのです。

如何に、年賀はがきというビジネスが巨大か改めて感じます。


お年玉年賀はがきを利用してマーケティング


さてこの年賀はがきの制度に乗っかりうまく自らのビジネスに活かしてしまう方法があります。

例えば、発表する番号と一致する年賀はがきを外食店に持ってきてくれたら、一品サービスしますよといった感じです。

クリーニングならワイシャツ一着分タダにするなどでも可です。

スーパーならゴミ袋くらいつけたら良いでしょう。

ただし、お年玉シート並みに当たりを増やしてしまうと、あくまでサービスという領域を踏み越えてしまい予算を圧迫しますから、下3桁で発表するのが良いという調査結果が出ました(平成26年ビルメン王調べ)。

なぜならば、000~999の1000通りありますので、5つの番号を発表しても当選確率は200枚に1枚ということになり、「各家庭に1枚くらいは、なさそうでありそう」な感じになるのです。

逆に下4桁にしてしまうと、一万枚に1枚ということでかなり当選確率が小さくなり、わざわざ番号表と年賀はがきをにらめっこする手間をかけるお客さんが少なくなってしまいますのであまり効果はあがらないと思われます。

不動産の世界に、千三つ(千に三つくらいしか話がまとまらない土地・家屋の売買を仲介斡旋する職業またはそれに従事する人のこと)という言葉があります。

あまりに成約しないならば職業として成り立ちませんが、なさそうでありそうな千分の三という確率にマーケティングの粋があるのだと妙に納得いたしました。

いつも千の九百九十七ばかりで実績の上がらない筆者からは以上です。

(平成26年1月18日)

2014年1月17日

大きい石から入れよ(世界一聞きたい講義を紹介します)

人生の壺(イメージ)


先生は教壇の後ろから大きな壺を取り出し、その壺に横に置いてあった大きな石を一つ一つ入れていっぱいにした後で、生徒に対して問うたそうです。

「この壺にはもう入りませんか」

「満杯です」

と答えた生徒に先生は、そうかなと静かに答え、次にバケツに入った砂利を取り出しました。その砂利を壺の中に流し込むと、砂利は大きな石の間を伝って埋まっていきました。

そしてまた生徒に問います。

「いっぱいですか」

「まだ入ります」

生徒が今度は自信を持って答えました。

そうだと先生は答え、今度は別の砂の入ったバケツを取り出して壺に注ぎ込みました。

大きな石と砂利の間に砂を詰め込んだのです。

そして更に聞きました「この壺はもういっぱいですか」

生徒はいいえと答えました。

最後に先生は花瓶の水を壺に流し、縁いっぱいまで注ぎました。


このたとえ話が意味することは何か?


さて、この例え話が言いたいことは何なのでしょうか。

筆者は、もう限界だと思っても、視点を変えれば入る余地はいくらでもあるという話かと思ったのです。

例えばマーケットシェアの過半を取った分野があったとしても、その分野をもう少し細かく切り分け眺めてみれば、まだ占有度が足りない分野が浮かび上がり、成長余力をそこに求めることができるのではないかといった話です。

世界最強企業の一つと言って良いGE(ゼネラル・エレクトリック)にとって家電事業全体はナンバー1ナンバー2ではなく、撤退すべき事業だけれども、電球事業に限って言えばエジソン以来ナンバー1の地位を保っているのでそこはむしろ強化するといった具合です。

しかし、ポイントはそこではありませんでした。

この事例で示される真実、それは

「大きな石を先に入れない限り、その後それが入る余地はない」

ということだったのです。

つまり、もっとも大切なことから詰めて(行って)いかないと、人生という壺はすぐ取るに足らない小さなもので埋め尽くされてしまうということなのです。

大きな石から先に入れよ、そうしなければ自分の人生が重要ではないけれど緊急性だけは高い何らかの取るに足らないものに満たされてしまうことになろう。

そうした後で、大きな石すなわち自らが最も大切にしたいことに割り当てる時間や余裕を失うことになるだろうということです。

人生まだまだ、これからです。

そんなお話を教壇からお伝えしました。

こちらからは以上です。

(平成26年1月17日)

2014年1月16日

290円で本物の新幹線に乗って旅をしよう(JR西日本の西端駅)

博多南駅(写真はイメージです)

290円(2014年1月現在)で新幹線に乗ることができるといったら驚きますか。

入場券で新幹線改札を通りホームに入って停まっている新幹線に乗ってみるわけではありません。

路線規格としての新幹線ではなくて新幹線車両に乗って在来線特急区間を走るという立て付けにはなりますが、

れっきとしたJR西日本管轄の新幹線車両に乗客として乗込み、

堂々と列車の旅を楽しむことができます。

JR西日本の新幹線区間は、

西は博多まで伸びています(小倉~博多間は九州にありますが、

管轄はJR西日本です)が、

実は博多駅の南に新幹線専用の「博多南駅」があるのです。

博多から南に伸びる新幹線線路は、

従来は単なる回送線に過ぎませんでした(在来線としての鹿児島本線は別のところを通っています)。


地元の熱心なJR線誘致運動


しかし、新幹線基地のある福岡県那珂川町が福岡市などへの通勤地として宅地開発がされてくる中で、

ここから博多に通勤するのにはバスで一時間以上かかる不便さが課題となっていました。

そうしてJR西日本に対する住民らによるJR新駅建設の運動となり、

めでたく平成2(1990)年に特例として博多南駅ができたのです。

れっきとした新幹線車両が走っており、

博多駅の新幹線専用ホームに到着するという豪華さです。

一方博多南駅~博多駅間は在来線特急扱いで、

乗車券190円、

特急料金100円の合計290円で10分間の快適な新幹線の旅を楽しむことができます。

新幹線車両を利用した「特急」しかない路線です。

290円で新幹線に乗れるわけです。

新幹線車両の回送を乗車用に割り当てるという工夫で、

博多駅まで10分の列車通勤を実現した那珂川町の皆さんとJR西日本の取組みを車内から紹介致しました。

筆者営業訪問先の那珂川町からお伝えしました。

こちらからは以上です。

(平成26年1月16日)

2014年1月15日

「早生まれ」(1月〜3月生まれ)はのちのち有利に働くのか否か

桜の季節

日本では4月1日を年度の初めとする制度となっておりますので、例えば中学生3年生といえば14歳か3月31日を迎えていない15歳ということになります。

年と年度という2つの暦が日本において採用されているのは、やっぱり桜の季節に入学式を迎えたいものだという日本の風流のなせる技なのかもしれませんが、真面目に経緯を記してみます。

(イ)1月を年度初めとしたところ、慌しい(本来の暦という意味での)正月時期に年度変わりも重なり大変だということで取りやめた。

(ロ)一方、稲作が経済の中心だった明治の日本における現状に鑑み、米作りの準備を始める4月を年度初めとすることに国が決め、会計年度を4月から翌年3月とした。

(ハ)その考えが急速に民間にも伝わった。

という流れだったとまとめられます。


なぜ遅く生まれたのに早生まれというのか


そういうわけで、生れ年が1年遅くても、3月31日(民法第143条によると、満年齢は起算日に応当する前日をもって満了する、とありますために厳密には4月1日)以前に生まれた人は、いわゆる早生まれとして前年に生まれた人と同学年となります。

なぜ早生まれというのか、本当は遅生まれというべきではという疑問の向きへのご回答としては、単に年の早い月に生まれたからというのが通説だそうです。

自分以外の家族全員が早生まれ(加えて実父と実弟と義父も)の筆者からは以上です。

(平成26年1月15日)

2014年1月14日

年下の義理の兄がいるときの呼び方に少々困惑する(親戚考察)

家系図の例

筆者の妻の実の兄は私と同い年ですが、日本語として筆者からは義理の兄、「義兄」と呼びます。

筆者の場合同年令とはいえ、厳密にいいますと義兄より10日ほど筆者が後に生まれたということですので、文字通り兄と呼ばせていただくくことに違和感はないのですが、さて例えば妹の夫が自分より年上でも自分からは義弟と呼ばなくてはならないのでしょうか。

年齢が上だから「義兄」とよんでもいいような気もしますが、年齢の上下は全く関係なく、妹の夫であることの関係を示す「義理」の言葉であることから、義理の弟「義弟」と呼ばなくては日本語としておかしいことになります。


国際結婚の場合は?


えらく年上の義理の弟(しかも国際結婚)を持つ方からのご相談にお答えしましたが、無理して日本語のカテゴリーにおさめる必要はなく、恥ずかしがらずにファーストネームで呼べばよいのではないかとアドバイスさせていただきました。

因みに姉妹でも用法は同じです。

ぎし、ぎまいと読みます。

にわか姓名鑑定団からは以上です。

(平成26年1月14日)

2014年1月13日

複眼複合都市「福博」に住まうということ(自前の都市発展論)

福博の空(イメージ)

先の講義で見ましたように、福岡と博多、博多と福岡という題名でも気を使っているように、部外者である筆者(筆者は1901年官営八幡製鐵所お膝元の北九州市八幡の出身です。ここを書くと長くなるので本編では割愛し別の機会に)から見るとこの二つの都市の張り合いはかなり深刻に映ります。

博多もんは、今でも博多市にしちゃろうと本気で思っています。

因みにJR博多駅でありJR九州に「福岡駅」というのはありませんので域外の方ご注意ください。

筑前国に福岡などという地名はそもそもない、福岡なぞ中央権力からの天下り役人人事の象徴に過ぎない、あの名君黒田家も嫡流は五代で途切れているし、あとは中央権力の出先にすぎんやんかといいます。

博多なのか福岡なのかの争いは今も続き、ちょうど博多と福岡の中間にある大型複合商業施設の名称を、福岡にするのか博多にするのかも最後まで紛糾したそうです。

結果当時の開発責任者(博多出身)の抜け駆けで「博多」になった模様ですが、この施設に入っているビジネスホテルの名前は「福岡」となっています。ご興味ある方探してみてください。

しかし「中央直轄の出先」だったからこそ、この地に帝国大学もできたし官庁集積もなされて、結果明治以降九州の中心であった熊本をしのぎ、人口150万人の九州の主要都市としての格付けがなされてきたことは間違いないので難しいところなのです。

港町、貿易港、博多商人としての栄光だけならば筆者の出身門司港レトロと同格になってしまいます。


昔は門司港の方が上だった


そもそも近代国家創設において門司港の果たした役割は、博多港をはるかに凌駕しているのです。

都市としての発展において、そもそもの貿易港としての発展に、城郭経済政治都市としての福岡が加わり、その補完相互反駁作用で今の福岡市の発展につながったと外部から冷静に見るのが大人の対応かと思いますが、筆者も自身の地元についてかような冷めた論調を張られると知らんもんがごちゃごちゃ言うなと思うくちでありますので、この辺で終わります。

福岡と博多を隔てる那珂川を挟み、鉄道も銀行も進学校もちょうどそれぞれ存在する、そんな面白都市福博へどうぞお越しください。

福岡市博多区にございますキャナルシティ博多におります筆者からは以上です。

(平成26年1月13日)


2014年1月12日

福岡と博多(福博とも呼ばれる複合都市の成り立ち:その2)

博多弁

博多の街は古くからあり、いつごろ成立したかもよくわからないくらい昔からの港町でした。

古代においては、西の都(本当は倭国と呼ばれた九州王朝の王都だったと筆者は信じています)と呼ばれた太宰府へ大陸の賓客を迎えるための大切な玄関口だったようです。

同時に大陸からあらゆる新知識が入ってきました。

この頃現在の「福岡」と言われる同市中央区のあたりはほとんどが海の底だったところ、博多には当時の最新知識であった仏教(密教)を持ち帰った天才留学僧であった空海が日本に戻って最初に立てた寺もあります。

名づけて東長寺といい、これから東の都(天武天皇の頃から「日本」と名乗った後発の京都奈良の都のこと、と同じく筆者は信じています)に向かってこの最新トレンドである密教をバッチリ伝えていくのだという空海の気合を感じることができます。

空海伝説は四国のお遍路に限らず日本全国にありますから、地球一周の間寛平も真っ青の超絶ウルトラランナーだったと思われます。


日宋貿易で大儲け


中世に入ると博多はその地の利から貿易都市として大発展します。

日宋貿易で巨万の富が流れ、続く日明貿易で絶頂を極めます。

博多は自治都市として、大名を凌ぐ勢力を持ち中国のみならず琉球や東南アジアまでその活動範囲を広げ、一介の博多商人が琉球国王の代理人として生糸や砂糖の貿易一手を取り仕切るような世の中でした。

明の生糸が京都では数十倍にもなったそうです。

逆に日本の銅は明国で数倍で売れました。

しかし、戦国時代になるにつれ、足利将軍家や細川管領家の貿易利益の代理人でもあった機内の堺にその地位を脅かされていくことになります。

世俗の権力と結びついた堺自体も、いずれ更に強力な織田信長に飲み込まれていくことになりますが、博多も大友宗麟や少弐氏といった盟主に支配されていくこととなりかつての栄光を失っていくことになりました。

しかし、1,000年以上にわたりこの地で栄えた博多の商人は、博多弁や博多祇園山笠、博多人形、博多ラーメンや博多明太子など、世界に通用する数々の文化を生み出しました。

昔、日本はグローバルプレイヤーであったことを雄弁に語る博多の地に是非お越しください。

実は博多出身ではありませんで、官営八幡製鐵所のお膝元、北九州市八幡出身の筆者からは以上です。

(平成26年1月12日)

2014年1月11日

福岡と博多(福博とも呼ばれる複合都市の成り立ち:その1)

福岡城 潮見櫓を望む
平成26年、大河ドラマ「軍師官兵衛」で盛り上がっている福岡ですが、官兵衛こと黒田孝高(如水)の出身は実は播州姫路です。

すぐ西の播州平野の戦国大名小寺家の家臣として始まり、やがて西の毛利家、東の織田家に挟まれたこの地で織田信長の世界戦略をいち早く見抜き播磨一国を織田家に引き入れ、信長家臣団の中で頭角を現した羽柴秀吉麾下に加わります。

秀吉の参謀として毛利家との戦場に出向き、信長急死後、秀吉が次の天下人としての名乗りを上げさせ中国大返しという日本戦史屈指の強行軍を仕込み、主君を射った明智光秀(家臣団の序列は秀吉より格上と言われる)を破る功績を上げます。

そして秀吉より豊前中津に十萬石の領地を賜り、若くして引退し家督を譲りつつ中津の街づくりを行います。

そうして秀吉死後の天下分け目の戦いでは嫡子長政を関ヶ原に送り、自身は九州平定の最後の大勝負をかけるのです。

福岡もともと官兵衛の出身地の名前


最後に家康により黒田父子が封じられたのが福岡の地、ここに黒田家五十二萬石の藩主として君臨することになります。

福岡という地名は黒田家の出身であった備前国福岡庄に因んだものです。

初代は長政ですが如水は藩祖として仰がれます(零代目ということです)。

ここに、今に続く福岡150万都市の礎は築かれたのです。

次に続きます。

(平成26年1月11日)

2014年1月10日

大企業ほど年末年始の挨拶が「会議室訪問」になっている件について

年末年始の挨拶でも、会社に入れない


年始の挨拶回りを行っている筆者ですが(筆者は一応営業職です)、年々会社訪問がしにくくなってきているように感じます。

真綿で締められるというか霞がかったというか、靴の上から足のウラを掻くというか白い壁に向かって話しているような、そんな感じです。

会議室訪問


会社を訪問しているのに、会社に入れないんですね。

個人情報保護の観点や業務上の守秘義務は当然あるのでしょうが、会社に行っても受付だけ、インターフォンで担当者を呼び出して受付や会議室での面談となります。

これでは担当者以外に会えません。

しつこい受付
できれば社長にも会わせてもらえませんかと当の担当者に言うのもアレだし、仮に社長が来てくれたとしても、わざわざ取り次いでロック扉の向こうから来てもらうまでを考えると気が重くなってしまいます。

知りたいのは会社全体が醸し出す雰囲気や、今何をやろうとしているかの方向感の確認なのですが。。

オープンな会社を目指すとか口ではいいながら、逆のことを日本中の会社がやっているのです。

コミュニケーションに時間はそんなに必要はないのです。

大事なのは「こんにちは、じゃあまた!」という顔合わせの「頻度」なのです。

取引先や協力業者が自然に集まってくる会社には情報が集まり、中にはおいしい話も転がってくるかもしれません。

そんなときはしっかり打合せの時間をとってじっくり面談すればよいのですが、そもそも何の端緒もないまま会議室で向い合って話をつなぐのは大変疲れます。

営業している側がそう思うのですから受ける側はよりそう思うと思います。

会社訪問ならぬ会議室訪問となっている営業活動の改革のため、今年は青空営業を強化したいと思います。

今年の仕事の抱負は以上です。

(平成26年1月10日)

2014年1月9日

チャイニーズキャラクター(要するに中国の漢字とか漢文の話)

戦国の七雄
チャイニーズキャラクターといいましても、チャイナドレスを着た女の人のことではなくて、「漢字」のことですが中国に関するものを「漢」というようになった経緯を私見含めて述べたいと思います。

既に紀元前の遠い昔、稲作の発祥である華南地域を持つこの地域は人口と文明が他の地域に先駆けて爆発しますが、夏→殷→周という都市国家のような存在が徐々に国としての版図を広げ、紀元前770年から春秋戦国時代という諸国乱立の時代が長く550年程続くことになります。

その中で戦国の七雄といういわば決勝ラウンドに駒を進めた大侯国が並び立っていきます。

紀元前221年、七雄の最強国となった西方の秦は、秦王政の号令一下、他の六国を滅ぼし中国を統一し始皇帝を名乗ります。

しかし滅ぼされた側の国、特に南の大国であった楚の恨みは強く、始皇帝死後各地で内乱が勃発、楚の項羽を中心とした討伐軍により秦もまたあえなく滅亡するのです。

ではそのまま中国は楚で再統一されたのかというとそうではありません。

既に秦や楚といった戦国時代の諸侯の名称を中国全土の名とすることに違和感があったのでしょうか、項羽によって危険視され、奥地辺境であった漢中(秦の要地であった関中ではない)に追いやられていた草莽の農民出身の義侠であった劉邦を支持する層が急速に増え、楚漢戦争というプレーオフ最終ラウンドが始まることとなります。

項羽は各地で奮戦しますがついに進退窮まり垓下の戦いではまさに四面楚歌の状況となり討たれます。

そうして漢が中国全土を統一し、いつしか漢こそ中国の代名詞となっていったわけです。

漢語を貰い平仮名片仮名漢字混じりの日本語を開発した日本人の末裔である筆者からは以上です。

(平成26年1月9日)


2014年1月8日

天下統一は信長だけの野望だったのではないかという意見について


信長の野望シリーズ

日本の戦国時代をテーマとした歴史シミュレーションゲームの草分け的存在であり今も同ジャンル最大手の地位にあるといってよい「信長の野望」シリーズですが、これがヒットしたのは全国あらゆる登場武将に天下統一のチャンスがあるというマルチシステムにあると思います。

すなわち登場する大名全てをプレイヤーが操作する主人公として選択することができ、思い入れのある地域の武将や好きなエピソードを持つ大名に成りかわり、ゲーム上の世界ながら武将や軍、領国を拡張して天下統一を果たすというところが受けたのだと思います。

そうなる前提として、現実の戦国時代も、諸国諸侯相乱立して互いに天下を窺いしのぎを削るといったシチュエーションだったと思いたいのですが、どうもそうではなかったらしいのです。

室町幕府の衰退と天皇家を頂点とする公家勢力の衰退、地方領主の勢力伸長によって数百年戦乱が続いていた戦国時代にあって、改めて日本の新しい秩序と仕組みを自らの手で再構築してやろうといった革命的な発想は、どんなに有能な領主であっても持ち得なかったと思うのです。

まずは己の家系の存続、次に近くの領地の切り取り拡張といったことこそ「常識」でした。

うかうかしているとお家もろとも潰されてしまいますので。

一気に京に上って天下に号令し、諸侯将軍家公家に寺社勢力と権力乱立ぶりも混乱ぶりもまさに当時の日本の縮図だったであろうこの地を、時には比叡山焼き討ちや将軍家追放といった過激な方策を用いて新しい秩序体系の下で落ち着かせ、その上で安土城という新しい天下布武の拠点を京の近くでありながらも全く別の地(水利交通の便ある琵琶湖畔)に作るといったことを考え実行したのはただ一人織田信長しかいません。

自らの拠点も自国の伸長に合わせて清州城(既存)→小牧山城(新築)→岐阜城(稲葉山城を改名し改修)→安土城(超新築)と変えていき、自らの統治の独自性を追求していきます。

ですので、天下統一というのは後の時代の我々として常識になっているようですが、当時ではそんな突拍子もないことを考えた革新的な構想は信長くらいしか持ち得なかったのではないかと思うのです。

合戦レベルの強さでは同格以上と言ってよい武田信玄や上杉謙信、領国の絶対面積で優に勝る西国の覇者毛利元就や関東小田原の北条氏康、攻められにくい地の利のある四国の雄長宗我部元親や東北の伊達政宗、九州の島津義弘でも、自分の領地を増やすことに多大な興味はあっても、居城を動かすことは殆どなかったのがその証拠と言えましょう。

信長のこのような「天下に号令する」という行動を見た同時代の人が、あたかも時代全体がそのような雰囲気だったと思い後世に伝えたのかもしれませんが、今の知見を無意識に当時にあてはめると間違った解釈になるよい事例ではないかと思います。

世の中の半歩先を行きたいのですが、気付けば周回遅れぎみの筆者からは以上です。

(平成26年1月8日)

2014年1月7日

筆者が索引がついている書物を積極的に選ぶいくつかの理由

蒼い時(イメージ)
筆者は、書物については「索引がきちんと付してある」ことを判断の基準としています。

索引を付すということは、全編にわたって複数人の十分な推敲と検討が加えられた作品であるという証左であり品質保証であると考えるからです。

漫画の神様である故手塚治虫氏は、世に出す漫画タイトルに対し、大体三倍以上の量を書いたといいます。

出ていない部分も是非観たいと思うのが素人読者の偽らざる心境ですが、心血を注いで書いて、そして選んで捨てるという構想部分がなければ、発表した作品は輝かないのでしょう。

文字通りの歴史的アイドル歌手であった山口百恵さんが唯一書いた自伝「蒼い時」は、担当編集者によって草稿をズタズタにされ、調子の良い上滑りな文章は全てカットされたその上で、敢えて本人が書きたくない、避けたい事柄を書かせて共に声に出して推敲し、まさに二人三脚で出版されたそうです。

そして、この本は発行部数344万部の大ベストセラーとなりました。

今のマスコミや編集者の世界で、こういった美風はまだ生きているのでしょうか。

この文章を書くのに1.1倍も下書きできなかった筆者の今日の文章はここまでです。

大いに反省したいと思います。

(平成26年1月7日)

2014年1月6日

日本の紙幣に使われている人物について論じます

野口英世像
2014年現在の日本の千円札は野口英世です。

正式には千円紙幣E号券といい、2004年から現役ですのでもう10年経つことになります。

その前は誰だったかわかりますか?

夏目漱石です。

青っぽい色合いと似顔絵がなんとなく似ているので、人物が変わったということすらわからないかもしれませんが、その前の伊藤博文(初代内閣総理大臣)まで遡るとかなり雰囲気が違ってきます。

色も今の青い感じではなく、薄い黄土色といった感じでした。

なおバブルの昔、インフレ続く日本では十万円紙幣の登場も秒読みかと言われたことがあったそうですが、それから四半世紀続いたデフレによりそのような話も聞かなくなり久しいです。

ということで日本のお札での最高額は一万円紙幣ということになりますが、この地位に長らく留まっているのが福沢諭吉です。

なんとバブル前の1984年からの現役ですから今年で30年目となります。

なぜ福沢諭吉はこんなにも長く一万円札の顔として君臨し続投しているのでしょうか。

時の首相や大臣が慶応閥だったなどとも言われますが、おそらく流通量としては格段に多い千円札を東日本の代表ともいえる科学者である野口英世(福島県猪苗代町)にしている以上、西日本の教育者の代表ともいえる福沢に代えうる適当な人物がいなかったことも一因のようです。

政治家は外すという暗黙のルールがあるために、同じ大学設立者でも首相になったことがある大隈重信(佐賀)では駄目らしいです。

大学設立ならば双璧と言ってよい新島襄(京都、同志社)を推したいのですが、もう大河ドラマ「八重の桜」における準主役として新島襄は出てしまったので難しいのかもしれません。

慶應ではありませんが中津出身の祖父を持つ筆者からは以上です。

(平成26年1月6日)

2014年1月5日

誰かがその地位を占めたであろう

秋山兄弟や正岡子規といった偉人が生まれる土壌というのに筆者は興味をひかれます。

これは愛媛松山という土地自体がすごいということもあるのでしょうが(筆者に四国の縁者は居ません念のため)、そうした人材を輩出する仕組みが国としてできていた、むしろ国家事業推進のためには猫の手も借りたい状態であり、有能で熱意のあるものであれば、何かしら「やること」が目白押しに詰まっていたという明治という時代背景を抜きにしては語れないと思われます。

軍人にしろ作家にしろマスメディアにせよ政治家にせよ、とにかく話がわかって実行できる人材が決定的に不足していたのです。

司馬遼太郎氏は、秋山兄弟が仮にいなくても、きっと誰かがその地位を占めたであろうと言っていますが(坂の上の雲あとがきより)、これは秋山兄弟の業績を貶めようとしたわけではなく、名も無き当時の人々が歴史を作っていったのだ(その中の単なる事例として秋山兄弟と正岡子規を描いたにすぎない)という最大級の時代への賛辞なのではないかと思います。

我々も、後世の歴史家が書くことをたくさん残せるような時代を築きたいものです。

そろそろ本気出したい筆者からは以上です。

(平成26年1月5日)

坂の上の雲

2014年1月4日

丁字戦法(ていじせんぽう:日露戦争日本海海戦の話)

松山が生んだ秋山兄弟の話です。

時は1904年開始の日露戦争の折、兄の好古は日本陸軍将校として満州の地でロシアコサック騎兵に相対し、弟の真之は日本海軍参謀として日本海海戦を練りに練った作戦「丁字戦法」を擁して戦い勝利に導きました。

因みにアルファベットのTではなくて、甲乙丙丁の丁字ですので、ここはお間違えないように強く願います。

相手艦隊の先頭艦に向け、こちらの艦隊の全砲門を集中させるという作戦ですが、これは予め艦隊を横展開させておくというものではなく(そうしてしまえば相手艦隊はそのまま直角に変針して逃げてしまいます)、敵前回頭後、しばらく平行して進む両艦隊のうち、速力に優る自軍の艦隊をかぶせるように接近していくところで変則的な丁の字を完成させる(イの字に近い)というものです。

地球を半周し、船底に牡蠣や貝が大量に付着し速力も落ちたバルティック艦隊に対し、味方の速力の優位性をフルに発揮した作戦でした。

なお真之が立案したこの作戦は、古く村上水軍や九鬼水軍で伝承されてきた作戦にヒントを得たものだそうで、日本古来の技法が非常に合理的なものであったことが伺われます。

なお時代は下り、水軍兵法書にもある小舟で大船を殲滅するがごとく、日本海軍は零式艦上戦闘機を開発し、一瞬世界の頂点に立ちますが、その後過酷な運命を辿ることになります。

詳しくは別の機会に譲ります。

海軍航空隊整備兵を祖父に持つ筆者からの昔話は以上です。

(平成26年1月4日)

戦艦三笠と東郷平八郎像

2014年1月3日

ほととぎす(松山:正岡子規)

日露戦争において陸で海で日本軍を最終的な勝利に導いた愛媛松山の秋山兄弟は、ベースボールを野球と名づけた俳人正岡子規の友人でもあります。

子規はおそらく数十年もの間、日本の小中学校の国語の教科書に横顔の写真が必ずと言っていいほど掲載されており、そのシンプルな坊主頭は落書きされやすい教科書上の偉人としてナンバーワンの地位を誇っています(平成26年ビルメン王調べ)。

なおこの写真は結核に臥せってからのものらしく、元々は頑健な体格で、野球も喀血してできなくなるまで続け、捕手のポジションがお気に入りだったとのことです。

子規の雅号は、ホトトギスとも読みますが、これは血を吐いても鳴くのをやめないと言われるほととぎすに自らを例えたということです。

ここにもまた激烈な人間性を見ることができます。

決して教科書の人物伝には出ないような話です。

相当な激情家であったとも伝わります。

また幼名を升(のぼる)といい、野球を「のぼーる」と読ませて雅号にしたりと粋な人間でした。

結核や脊椎カリエスといった病で満34歳で世を去りますが、病についての恨みや暗さを出さない強い生き方だったようです。

似顔絵落書きの児童の皆さんにも、そのあたりが伝わるような授業にしてもらいたいものだと思いました。

正岡子規より遥かに馬齢を重ねた筆者からの教壇話は以上です。

(平成26年1月3日)

子規記念博物館

2014年1月2日

組織か個人かその両方か

組織が強いのか、そこに居る人(リーダー)が強いのかという命題があります。

例えば、人の三井と言いまして昔から三井財閥は人間の能力を極限まで生かし切るように仕事を任せたといいます。

一方三菱財閥は、組織の三菱と言いまして、人間が所属する組織の強さを極限までに高めるために、全責任を負うトップの権限と裁量を認め、組織に属する個々人が、この全体方針に従って動きやすくするように努めたと言えます。

いずれも個人の能力を如何なく発揮するように組織や企業のあり方を揃えたと言えますが、アプローチが異なるため外部の者からは非常に特徴的に映ります。

そして、一緒に仕事をしていく上では、最初は安全を見て社格やブランドから入っていきますが、徐々にその中の誰と一緒に仕事を進めるかという点が重要になってきます。

取引銀行の担当者が「当たり」の場合は面白い提案や時には預金者を代表した耳の痛い忠告も聞けるでしょうし、いざというときに非常に頼りになります。

逆にそうではない場合、銀行は単なる御用聞きとなり肝心なときに何の役にも立たない金庫となってしまいます。

組織の力を生かすことができる個人になるよう努めたいと思います。

そして属する組織に貢献することができれば、それが自らの能力の拡張にもつながるでしょう。

組織と個人は相反するものではなく、相互に補うものであると記して、今年の年頭の挨拶と致します。

こちらからは以上です。

(平成25年1月2日)

ある年頭訓話風景


2014年1月1日

和をもって尊しとなす(2014年元旦)

新年になりまして、初詣に行かれる方も多いと思います。

さて初詣に向かうのは神社が多いと思いますが、日本古来からの風土信仰や神話を整備していく中で成立した日本の神社の世界に対し、最初の新知識として海外からもたらされたのが仏教です。

因みに当時の僧侶とは、大陸の最新文化を吸収した国家公務員の留学エリートのような存在だったと思われ、仏教という一つの宗教のみを単に伝道したわけではなかったようです。

そんな最新洋行知識階級の中心に、聖徳太子こと厩戸皇子は生まれます。

日本では、なぜか歴史的に中途半端ながら、その上に立つ地位の者よりも苦労した者を応援する判官贔屓という文化があります。

源頼朝に対する義経、藤原四家に対する菅原道真、新政府軍に対する西郷軍、曹操に対しての劉備玄徳、読売巨人に対する横浜ベイスターズなど枚挙にいとまがありません。

聖徳太子も、女帝推古天皇の甥として天皇にはならずに皇太子や摂政で生涯を終え、さらに子孫は強力な後ろ盾でもあり二人三脚で国政に当たった蘇我氏から全て滅ぼされてしまったので、この例に漏れない存在のようです。

和をもって尊しとなすとは、この聖徳太子が定めた憲法十七条の第一条に出てきます。

そんなことをいいながら、当の若き厩戸皇子は、2.26事件の早熟エリートも真っ青の武闘派戦争好きでした。

物部氏を滅ぼす血塗られた戦争と権力争いの末に、ともかくも形を整えた天皇中心の国家像を振り返ったところに出た反省の言葉とも言えましょう。

つまり、今は一線から退いた好々爺の名誉会長や特別顧問、相談役が、実は昔はイケイケの武闘派だったり学生運動をやらかしていたりするようなものかもしれません。

初詣の長い行列で思ったことは以上です。

今年もよろしくお願いします。

今年こそは本気出したい筆者からは以上です。

(平成26年1月1日)