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2014年9月30日

残業という名前の指定時間外業務が減らない理由を考察する

オフィスワーカーにとって、残業は切っても切れない存在です。

そして、残業削減の掛け声がありながらなかなか実際の残業が減らないという状況をどのように解釈したら良いのかずっと平社員として考えておりました。

本日は、なぜ残業が減らないかという点につき、単に労働「量」の多さからだけではなくもっと別の理由から考察してみたいと思います。

結論を先に申し上げれば、昼間のオフィスでは「仕事」でなく「作業」に忙殺されるから、となります。

本当にクリエイティブな仕事をしたいと思ったとき、ライターや漫画家や作曲家といった創作活動が必要な人は特に、静かで誰からも邪魔されず、一人で没頭できるが自分から他の情報にアクセスするのは容易な場所と時間を求めます。

新幹線の中や海外便の飛行機の中で執筆が捗ると言っている作家や漫画家の大家の言葉があるように、他の要件や頼み事や電話で、自身の思索や所為を中断させられたり、予定されている会議や打ち合わせや来客対応で、15分から30分の細切れの時間を拠出することを続ける平日昼間の環境では、自分自身が真に打ち込みたい仕事を持ち込むのは難しいということになります。

ゆえに、経営者の多くは早朝かなり早くオフィスにやってきて、そして自分の時間を思い切り過ごすことにしたりするのでしょう。

経営者・役員・株主といった人々には労働時間という観念があまりないですが、それでもわざわざ彼らは朝や休日の「邪魔されない時間」を求めてやってきます。

会社にやってくるのは、もう一つの条件である「他の情報にアクセスするのは容易」なように、各種労働装備-パソコンやインターネット環境やプリンターなどの印刷機械やキャビネットといった閲覧書類-が手の届くところに容易にあって使いやすいからでしょう。

自宅を仕事場にしてしまっている人もいるように、多くのオフィスワーカーにとって、職場は情報源としては最適ですが、平日の労働時間として過ごすには他の作業で忙しすぎるという環境になっているのではないかと思うのです。

これはヒラの社員だろうが社長だろうが変わらないと思うのです。

社長だって来客や応対、急な相談事での判断を求められたりすることはあるはずですし、なかなか自分の時間を持つことはできないのは一緒だと思うのです(なったことがないので見ている想像の範囲ですが)。

したがって、会社側としては平日の夜という時間を求めて仕事をしたい人について、それがかなり根源的な欲求でもあることにも一定の理解を示し、うまく付き合っていく必要があるのかもしれません。

本人との合意により業務時間としては参入しないけれども会社に残ること自体は咎めない、その時間を自己啓発といった大切な時間として認めるといった方策が考えられます。

深夜早朝の執筆時間を確保しておりますが、なかなか筆が進まない能力不足の筆者からは以上です。

(平成26年9月30日 火曜日)

職場(例)

2014年9月29日

[2014年日本プロ野球ペナント過去記事]ソフトバンクとオリックスの熱き譲り合い


ホークス本拠地の直接対決勝利で優勝決定なるか


おはようございます。

2014年9月の記事です。

あまり賞味期限の短い速報系の記事は出さないポリシーなのですが、今回はあまりにも面白いので緊急アップさせていただきました。

日本プロ野球の長きペナントレースもまさに大詰め、セ・リーグは東京読売ジャイアンツが優勝しましたが、パ・リーグのほうはことのほか面白くなってまいりました。

9月中旬までは首位を独走していた福岡ソフトバンクホークスですが、まさかの大失速、連敗続きで2位オリックス・バファローズに背中を掴まれる状態に相成りました。

残り試合数は圧倒的にオリックスの方が多く、このままでは10月2日のホークスにとっては最終戦でありかつオリックスとの直接対決を待たずしてオリックスに優勝をさらわれてもおかしくない状態でした。

しかし、鷹ならぬふらふら雀状態のホークスと仲良く並んで闘牛から乳牛に変わった感もあるオリックス・バファローズも仲良く足踏み状態を続けたのです。

9月28日(日)も、双方仲良く負け試合を演じた結果、同日日程終了時点で、ソフトバンク残り試合1(先に述べた直接対決のみ)、オリックス残り試合5(うち、先のソフトバンク直接対決は3試合目)、ゲーム差1という大変面白い団子もつれ状態に至りました。

双方に優勝のチャンスがあるのですが、実はソフトバンクにとっては唯一残している直接対決で「勝利」すれば、オリックスが残り4試合を全勝しても勝率で上回ることができないのです。

ゆえに消化試合から一転、10月2日(木)の最終戦(しかも本拠地ヤフードーム)のチケットはプレミアムチケットになりそうな勢いです。

興行的には最高の盛り上がりですし折角だから最後までペナントを楽しもうと思います。

この記事は数日しか賞味期限はありませんが分析させていただきました。

博多に住んでいながら大きな声では言えませんが、実はオリックスの森脇監督のファンの筆者からは以上です。

(平成26年9月29日 月曜日)

2014年9月28日

バーベキューなどで活躍するロケットストーブを製作してみました

ロケットストーブ(例)


おはようございます。

2014年9月の記事です。

庭や公園や河川敷でバーベキューをするのは大変楽しいです。

しかしバーベキューをするというのは準備から大変です。

大体調理器具が揃った屋内キッチンをわざわざ出て、野外で準備をするということは労力のかかることなのです。

それも含めてバーベキューの醍醐味であるのですが、できるだけ手軽に効率よく準備ができるよう、いろいろと野外調理用グッズがホームセンターやキャンプ用品専門会社から出てくるようになりました。

そんなバーベキューの中でも、最も大変でコツがいるのは、「炭火起こし」ではないでしょうか。

炭火で焼くというのはなかなか屋内でできない贅沢であるからこそ、バーベキュー料理の美味しさにつながるのですが、この炭火を起こすというのは手間がかかります。

普通にバーベキューセットに炭を置いてライターで火をつけても、まず炭は燃えません。

ゆえに炭をブロック上に積み上げて中に着火剤を入れ、紙や牛乳パックを放り込んで導火剤に加えて炭に火が移るのを待つというプロセスを踏むのですが、風がちょっと強い日などではすぐに火が消えてしまいます。

こんな状況を解決すべく、最近流行っている「ロケットストーブ」を導入してみました。

ロケットストーブとは、1980年代に米国で発明され、2000年代に日本に上陸し、東日本大震災といった地震および津波や豪雨水害といった被災生活などの強い味方としても、また燃料を選ばないエコサイクルな道具として広まっているものです。

ロケットストーブは、燃焼すると強力な空気吸い上げ機能を発揮する煙突状の形状が特徴で、これが唯一無二の特長といえます。

この簡単な構造により、(1)風が燃料側から煙突側に常に一定方向に流れ、燃焼効率がよく完全に燃え切り煙が少なく、(2)燃料の種類を選ばず(間伐材や廃材、新聞紙や牛乳パックでも十分)、という効果が得られます。驚きの性能です。煙突を高く、そして狭くするほど勢い良く炎が出てよく燃えます(結果燃料の消費も早くなります)。

一斗缶を応用したものなどが有名で、それらを使ってロケットストーブをつくろうというワークショップも盛んですが、ホームセンターなどで、1個100円~200円程度で売っているコンクリートブロックやレンガを積み上げても簡単に作ることができます。

この自作ロケットストーブで、焼けた炭を作ればいいですし、そもそも煙突部分にそのまま金網を載せてしまえば簡易バーベキュープレートのできあがりというわけです。

焼く肉がない筆者からは以上です。

(平成26年9月28日 日曜日)

2014年9月27日

[不定期連載]邪馬臺国謎解き(一応全部で5回あるうちのその1)

西都原古墳




おはようございます。

2014年9月の記事です。

長らくお待たせしました。

これから断続的になると思いますが数回に分けて邪馬臺国の比定地につき筆者の現在の考えを述べたいと思います。

なお何回で終わるのか今のところ未定ですし、本件は不定期連載とさせて頂く旨ご了承ください。

さて時間のない方のためにも結論だけ申し上げますと、筆者の邪馬臺国の比定地は「宮崎平野」、卑弥呼がいた宮殿の所在は「宮崎県西都市西都原古墳群近辺」です。西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)とは、宮崎県中央に位置し、標高70-80メートル程度の丘陵上に形成されている古墳群です。

中でも最大の古墳が、宮内庁管理となっている『男狭穂(おさほ)塚・女狭穂(めさほ)塚陵墓参考地』となっております。

西都原古墳群は、我が国最大のまさに古墳銀座です。

この地域に集中して実に300基以上の古墳があるのです。

数といい集中度(古墳密度?)といい、これ以上の規模の古墳群はほかでは見つかっていません。

畿内説の皆様のみならず、北部九州説の地元の皆様にも大変残念なお知らせとなってしまいましたが、そうあってほしいという希望以上に、魏志倭人伝や後漢書東夷伝、その他地名等の事象を読み解いた理屈を合わせると筆者としてはどうしても宮崎に行き着くのです。

しかし筆者とて、かつては太宰府説、そして学生時代を過ごした近江説、そして吉野ヶ里遺跡近辺、それからまた関西の纏向遺跡(箸墓古墳)と研究深化と新発見の連続を経る中で変節を重ね、そうして先祖の地でも宇佐説を経てようやく今の宮崎説にたどりついたわけでして、一人の人間ですらここまで変遷する以上、各人毎に違った考えが当然あることを尊重している点はご理解いただきたいと思います。

ただ、筆者の考えとしては、北部九州にも女王国の勢力は連合国として及んでいたと考えますので、筆者説は南部九州説ではなく「汎九州説」とでも名づけたいところです。

それでは次回以降の謎解きにご期待ください。

結論からイントロだけで終わってしまいましたが本日は以上です。

(平成26年9月27日 土曜日)


(追記)邪馬臺国謎解きシリーズ(全5回)

(その1)

(その2)

(その3)

(その4)

(その5最終回)

2014年9月26日

実際の北方領土回復アプローチについて私見を述べておきます

ボリス・エリツィン


おはようございます。

2014年9月の記事です。

北方領土についてここ数回書いていますが、では実際にその返還交渉はどのように行われてきたのか、またこれからありうるアプローチは何かという私案も示さないといけないと思いましたので書きます。

戦後の北方領土占拠から、日本も手をこまねいていたわけではなく、時の政権トップはこの問題に様々なアプローチを続けてきました。

1956年の日ソ共同宣言において、両国の国交は回復、関係も一応正常化しましたが、肝心な国境問題は先送りされました。

その後、田中角栄総理とプレジネフ書記長との会談では田中総理側からしつこく四島問題について尋ね、プレジネフに領土問題についての存在を認識させ言質を得、さらに1993年の細川護煕総理とエリツィン大統領との東京宣言において、領土問題として北方四島の島名を具体的に列挙して、その帰属に関する問題と位置づけることにこぎつけました。

そして、1997年、ロシアのクラスノヤルスクにおいて、橋本龍太郎総理とエリツィン大統領の間で、東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすことで一致しました。

そして1998年4月、日本の川奈における橋本総理とエリツィン大統領の間で、平和条約に関し、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けた日露の友好協力に関する原則等を盛り込むことで一致したのです。

この川奈合意の交渉の席上、橋本総理側から日本外交の乾坤一擲の矢が放たれたそうです。



国境だけとりあえず定める



それは、「ウルップ島と択捉島の間を国境と定める」、ただそれだけというものです。後は当面何もしなくてよい、ただ観念的な国境のみをそこに引くことで、あとは100年かけてでも実在としての主権をじっくり回復していけばよいという気の長いアプローチです。

筆者はこの話を聞いて日本の政治家や外交官も相当やるなあと思いました。

国境線を引くということを認めるだけで、各種の経済支援やら経済交流などの「実利」を取れるのであれば、実際の主権回復をロシア側の都合で相当先延ばしにしていけばこの先数十年ロシア側にとってもおいしい案だと言えるからです。

一日三食バランスよく、原理原則を大切にしたいと思いつつも、つい目の前のお菓子は別腹と食べてしまい、夜は飲み屋帰りの四食目五食目と延長しがちな筆者からは以上です。

(平成26年9月26日 金曜日)

2014年9月25日

改めて日本の国土でありますところの北方領土について(後史)

北方領土(赤地)、南樺太・千島列島(白地)



おはようございます。

2014年9月の記事です。

さて昨日の前史に続き、いよいよ北方領土問題が発生するまでの歴史的経緯、概要をおさらいしておきます。

そもそも、日本は北方領土を発見・調査し、遅くとも19世紀初めには四島の実効的支配を確立していました。

そして、19世紀前半には、ロシア側も自国領土の南限をウルップ島(択捉島のすぐ北にある島)と認識していました。

この認識を条約という形で、日本とロシアが最初に対等な立場で締結した日魯通好条約(1855年:当時の帝政ロシアのことを、我が国では露ではなく魯と表記した)において、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の両国国境をそのまま確認したのです。

しかも加えて更に大きな樺太については両国民雑居として問題を先送りしています。

しかるに時代は下り、1945年8月、帝政ロシアの後継国であるソビエト社会主義共和国連邦は、日本との間の日ソ中立条約を一方的に無視、勝手に破棄して南樺太、千島列島から日本に侵攻してきました。

そうして日本がポツダム宣言を受諾し無条件降伏を受け入れた8月14日以降も軍事占拠を続け、遅くとも同年9月5日までに南樺太・千島列島のみならず、北方領土をも占領したのです。

ここで、太平洋戦争に日本が敗れたことと、旧ソビエト連邦がこうした行動を取ったこととは何の理論上の関連はありません。

ヤルタ会談で、米英を中心とする連合国からいくら旧ソビエトが参戦を催促されたとしても、ヤルタでどんな密約を結んだとしても、それは何の関係もないのです。

負けたんだから黙ってろ(しかも直接の交戦国でもない)というのは、論理的なアプローチではありません。

さらに書生的に厳密に申し上げますと、日本は戦後サンフランシスコ平和条約において、「南樺太と千島列島は日本の領土ではないと確認して主権を放棄する」と明言していますが、「ソビエト連邦の領土である」と認めたわけでもなく、またこの無主の地となった南樺太と千島列島の領土的帰属がどこになるのかという国際的な取り決めは現在に至るまで何らなされていないという状態なのです。

更にソビエト連邦はそもそもサンフランシスコ平和条約に署名していませんから、同条約上の権利もありません。

完全に「白」の状態なのです。

北方領土とは別の問題として、南樺太と千島列島の帰属についても本当は議論しなければならないのです。

これは評価の定まった歴史の話ではなく、今を生きる我々がこれから取り組んで解決しなければならない問題なのです。

これから刻む歴史に興味を持つ筆者からは以上です。

(平成26年9月25日 木曜日)

2014年9月24日

改めて日本の国土でありますところの北方領土について(前史)

宗谷岬に間宮林蔵が臨む


おはようございます。

2014年9月の記事です。

最近古代中国の書物を紐解いて、西南鎮西の地のことについて数回に分けて述べましたので、日本の北端のことにも少し触れておこうと思いまして筆を取りました。

北方領土のことです。

改めて、北方領土がどこなのか、どんな島々なのか、そもそも何で北方領土というのか簡単におさらいしておきたいと思います。

今回は、2,000年以上も前の日本列島の話ではなく、ほんの60年ほど前までの話になります。

北方領土とは、北海道本島の東北の海上に連なっている歯舞諸島(はぼまいしょとう)、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島のことをいいます。

少し昔の日本人が住んでいた頃の様子ですが、人口は1万7千人、小学校は39校あったそうです。

主な産業は漁業。

寒流と暖流が交わる天然の漁場であり、古くは松前藩の時代から大規模な漁業が行われていました。

また林業も主要産業で、良質の森林から生産される木材は重要な輸出源でした。

古く江戸時代に遡ると、江戸幕府は蝦夷地や北方領土などの様子をくわしく知るため、最上徳内や近藤重蔵といった、すぐれた探検家を送って国内領土の調査を行いました。

間宮林蔵は、樺太(サハリン)が島であることを突き止め、対岸の大陸にも渡り、その地に清の役人が定期的にやってきていることを確かめ、ロシアの勢力はまだこの地および樺太には及んでいなかったことも確かめています。

さて、時は下り最初に日本とロシアとの間で結ばれた日露通商条約において、日本とロシアの国境は、択捉島とウルップ島の間、樺太は両国雑居と決まりました。

その後、樺太・千島交換条約を締結して千島列島は日本の領土となり(代わりに樺太はロシアの領土となり)、日露戦争の結果、ポーツマス条約にて取得した南樺太を合わせて日本の領土は拡大しました。

このまま、運命の昭和20(1945年)8月を迎えることになります。

[後半、北方領土後史に続きます(リンクあり)]

(平成26年9月24日 水曜日)

2014年9月23日

死ぬまできちんと歩きつづけるというとてもまっとうな健康法

富山市の市電


おはようございます。

2014年9月の記事です。

日本全国少子高齢化の世の中になりまして、平成40年くらいまで人口が増え続ける都市圏といえば北部九州の福岡都市圏くらいになっており、その増加幅も僅かというのが統計上の大方の予想となっております。

1年に生まれてくる子供の数は現在100万人程度、団塊ジュニアと言われる、日本において1971年(昭和46年)から1974年(昭和49年)までのいわゆるベビーブームに生まれた時代は、1年に180万人以上を輩出していたわけですので、無理もありません。

日本人の平均寿命はわずかながら伸びていますが、平均年齢も当然伸びていまして、2011年には45歳と言われていたのが、20年後の2031年には50歳を超えてくるという状況です。

しかしながら、そんな少子高齢化を逆手に取って、日々高齢化してゆく我々は生きていかなかればなりません。

相対性理論を極める間でもなく、若返る人というのはいないわけです。

これまで小学校として使っていたけれども廃校となった小学校を、温泉水を利用した介護予防センターに作り変え、高齢者の園に変えた富山市の例が参考になるかもしれません。

さてこんな状況の中、富山市では、街の中心街を活性化させて、歩いて散策できる仕組みを進め、中心市街地への居住人口をプラスに転じることに成功しています。

富山市全体の人口が減っていくことは否めませんが、中心市街地への高齢者の住み替えを推奨し、補助金も出すことで中心市街地の人口増を実現しました。

確かに、行政区域である市全体で見れば、資金の偏重配分であり不公平な政策です。

しかし人口減が避けられない以上、そしてその上で地方都市が持続的に生き残るには選択と集中しかないというのです。

市域一律のサービスを見直し、結果として、中心地の地価を維持し、市税収入の多くを占める固定資産税と都市計画税の減少を防ぎ、そしてそれらの資金を原資にさらに中心市街地に新たな施策を投入するということです。

バリアフリーの市電サービスの充実、市電自体の環状化など、人を歩かせ消費を喚起することで医療費自体の節約にもなっていきます。街が歩きまわる高齢者で活気づくというわけです。

地方都市が限られた、かつ高齢化する人的資源で生き残っていくための策は、当の高齢化率が高い北陸や東北地域でより進んでいるようです。

年を重ねて40歳になっても迷いっぱなし、相変わらず飲み屋で一気飲みの筆者からは以上です。

(平成26年9月23日 秋分の日)

2014年9月22日

「漢書」地理志に続いて「後漢書」東夷伝を20秒で読んでみませんかという話




昨日の日本の歴史の話の続きです。

「漢書」地理志が記載した日本列島史において、最初のお宝と固有名詞が登場する後漢書東夷伝という書物です。

こちらも、わずか32字ですが、中国後漢の正史「後漢書」東夷伝の中に西暦57年と107年の重大事件について書かれています。

二つの文に分けて述べます。

曰く、「建武中元二年、倭の奴国、貢を奉じて奉貢朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜ふに印綬を以ってす。」

[適当訳:建武中元二年(西暦57年)、倭の奴国が朝貢してきた。使者は自分のことを大夫と名乗った。奴国は倭国の南端である。光武帝は、印綬(金印と組紐)を与えた。]



金印が出土した博多湾志賀島



この金印こそ、福岡県志賀島から江戸時代に出土した「漢委奴国王」の金印だと言われます。

こんなお宝が乱発されるわけないでしょうから、おそらく本物かと思われ、日本列島古代史における超弩級の発見だと言えます。

次に、「安帝の永初元年、倭国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願ふ。桓霊の間、倭国大いに乱れ、更相攻伐し歴年主なし。」

[適当訳:安帝の時代である永初元年(西暦107年)、倭国王と名乗る帥升などが生口(奴隷のこと)160人を献上し、安帝に謁見(お目通り)をお願いした。桓帝、霊帝の時代(西暦146~189年)の間、倭国は大いに乱れ、さらに互いに攻め合い、何年も王がいなかった。]

卑弥呼の前に登場するこの帥升という人こそ、日本列島史において最初に登場する固有名詞の人物であり、一体どんな人だったのか興味があります。

何しろ西暦107年に、倭国王と自称する帥升自ら中国後漢皇帝の居る洛陽まではるばる海を超えてやってきたというわけですから、卑弥呼より更にドラマティックな人生を歩んだ強者と言えそうです。

気軽なブログ記事を大きく超え、論文的になりそうなので漢字率ナンバーワンであろうこの記事はここまでに致します。

またまた邪馬臺国まで到達できず誠に申し訳ありません。

西暦107年から約1,900年、帥升ならぬ現代の酔升の一人である筆者からは以上です。

(平成26年9月21日 倭国北端の日曜日にて)

金印(福岡市博物館蔵)

2014年9月21日

「漢書」地理志で現在の日本列島に関する部分をわずか10秒で読んでみる話

漢書地理志(右側に記載あり)


おはようございます。

2014年9月の記事です。

本日はシルバーウィークということでレジャーに観光に忙しい方々もいらっしゃるかと思いまして、いわゆるレジャー・スポーツの話題にしようかと思ったのですが、先日日本列島古代史の話をしたところ意外にも多くの反響をいただきましたので、その関連でいきたいと思います。

先日触れた「魏志倭人伝」とは、正確には中国の歴史書(正史)である「三国志時代」中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称で、約2千字の漢字文の中に、当時の日本列島にあった各国及びその連合王国全体を統べた女王卑弥呼を擁する邪馬臺国という国と女王卑弥呼のことが述べられています。

さて、この魏志倭人伝が記載する時代よりさらにさかのぼり、そもそも日本列島に住んでいた人々(我々の祖先)のことについて文字で記された最初の様子とは何でしょうか。

当時の文明先進地域でいち早く象形文字(漢字)を持っていた中国前漢の正史「漢書」地理志に、倭人に関するわずか漢字20字の記載があります。

これが現在のところ、中国から見て朝鮮半島の先にあった日本列島にいた人々のことを最初に記録したものとなっています。

紀元前1世紀ころの日本列島の様子です。



夫れ楽浪海中に倭人有り。分れて百余国を為す。歳時を以て来り献見すと云う


曰く、「夫れ楽浪海中に倭人有り。分れて百余国を為す。歳時を以て来り献見すと云う」

[適当訳:朝鮮半島の楽浪郡の向こうの海に倭人といわれる人々がいて、百余りの小さな国に分かれている。定期的に中国に来朝し皇帝や名代に献見朝貢する形で各種水産物などの交易をしたという。]

どうです。

すごいですね。

2,000年もの昔、この日本列島にはしっかりと私達の祖先が生きていたのですね。

この「倭人」というのが現在の日本列島のどのあたりに住んでいた人々を指すのか、ここの推定解釈が邪馬臺国論争(畿内説と北部九州説)を解く鍵になりそうです。

つまり、ここで言う「倭」なる「国」の範囲が、北部九州のみを差すのか、現在の日本列島全体を包含する「日本」の別名(古名)であるのか、という「解釈」次第ということになります。

...と思わせぶりに述べながら、本論を次回以降に先送りさせていただく筆者からは以上です。

(平成26年9月21日 日曜日)

2014年9月20日

非対称バットという野球の歴史におそらく初めてであろうと思う発明

ビッグブレード(漕艇)


おはようございます。

2014年9月の記事です。

140年以上の歴史を誇る我が国の野球の世界にも、衝撃的で画期的な道具がリリースされました。

名づけてJグリップと呼ばれるそのバットは、なんと左右非対称のバットです。

思えば、漕艇ボート競技の世界で、今から約20年ほど前に、これまで主流だった左右対称の「マコンオール」から、右側漕ぎ(ストロークサイドといいます)と左側漕ぎ(バウサイドといいます)毎に、水面と平行になるように非対称の形状をした通称「ビッグブレード」というオールに転換したという業界の歴史を知っている筆者としては感慨ひとしおです。

マイナースポーツの漕艇ボートよりはるかにメジャーな野球においてこの発想をする人が今まで出なかったのは不思議だと思ったのですが、逆に固定観念が強いほど柔軟な発想は出にくいという例なのかもしれません。


非対称バットの実際


Jグリップのバット(野球)



普通のバットだと、振り込んでいくと下手の付け根がグリップ部分に当たって痛いし、特に身体の内側に飛び出たグリップ部分が、下手側の有鉤骨や尺骨神経周辺の損傷すら誘発しかねないという問題がありました。

これを解決するために、ずいぶん昔から「タイカッブ式」といって、グリップエンドの部分に向かって直径が大きくなるバットはありました。

かつてメジャーで活躍した球聖・タイカッブが使用したことからこの名がありますが、今回のこの製品は、タイカップ式バットのアイデアに、更に左右非対称というアイデアを加えた画期的な製品だと筆者は思っています。

筆者も実際に構えて振ってみましたが、左手の付け根(因みに筆者は右打者です)がしっくりと馴染んでバットに吸い付くようですし、降り始めもスムーズ、またインパクトの瞬間にしっかりとリストターンすることができ、手首に負荷をかけることなく、最大パワーを伝えることができるような気がしました。

おそらく、筆者含めて野球素人が陥りがちな、ヘッドが下がることを防ぎ、直線的なスイング面を確保し、合わせてヘッドスピードの向上にもつながるのではないかと思います。

道具の進化は素晴らしいものです。

しかし、道具の真価を発揮するのは使う人間の方ですので、それを忘れないよう練習しようと思います。

ボートやゴルフと間違えて、「左打ち用はないのか」と思ってしまった残念な筆者からは以上です。

(平成26年9月20日 土曜日)

2014年9月19日

邪馬臺国論争を改めて解説しておきます(まずはおきまりの畿内説から)

箸墓古墳(奈良県桜井市)

おはようございます。

2013年9月の記事です。

最近の小学校では高学年の社会の授業の参考に、魏志倭人伝の原文コピーを配るところもあるようで、家に持ち帰られてきたそのわら半紙プリントを見ながらしばし懐かしがっておりました。

この我が国について書かれた(よって現代の子孫も読むことができる)ほとんど最古の史料を小学校における歴史教育に使うのは、何事も原典原文に触れるべきと考える筆者としては大変いいことだと思うのですが、さてそこに載っている邪馬臺国という国がいったい我が国のどのあたりにあったのかがさっぱりわからないというのが悩ましいところです。

大きく、機内説と北部九州説とありまして、考古学的発見も合わせて卑弥呼の国都は一体どこか論争されてきました。

後ほど、筆者の個人的見解も述べたいと思いますが、これはあくまで個人の意見でありますところ、例えば家に帰ってきた子供に対し「本件は、公式に学校では未定としか教えられないが、自分はこう思う」という立場を示しておくことも重要かと思ったゆえのことです。



とりあえず畿内説の概要



まず最初に、現時点で卑弥呼の墓の第一候補と言って良いのが、奈良の纏向(まきむく)遺跡の代表的な古墳である箸墓(はしはか)古墳です。

巨大な前方後円墳で、まさに大和朝廷に至る機内有力者の墓であることは間違いありません。

日本の古墳の中でも最古級と考えられている3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳で、以前は、築造年代が卑弥呼の死亡時期とずれているという指摘もありましたが、考古学の発達により、年代推定が精度を増した結果、まさに箸墓古墳の築造年代が卑弥呼の没年(西暦248年から少しあと)に一致することとなり、この古墳こそ魏志倭人伝が伝える倭国の女王、卑弥呼の墓とする説が一気に浮上してきました。

そして箸墓古墳を含む一帯の纏向遺跡の大規模発掘調査の実施により、大規模な祭祀が行われた跡や、都市構造の遺構など、魏志倭人伝に記載されている「国」のレベルに匹敵する大規模な「クニ」があったことは間違いないことがわかってきました。

...と、ここまで書いておきながら、筆者は機内説をとりません。それはまた次回に譲ります。

筆の進みの遅い筆者からは以上です。

(平成26年9月19日 金曜日)

2014年9月18日

薄いんだけどカメラが飛び出す仕様にこっそり変わったiPhoneの話

カメラが飛び出す


おはようございます。

2014年9月の記事です。

少し前のバージョンの話です。

予約が開始され、発売日に手に入れることが確定した方も多いと思われるiPhone 6/iPhone 6 Plusです。

端末の大型化と薄型化が注目されていますが、一点だけ、どうしても気になる部分がありました。

カメラ部分の出っ張りです。しかし、製造元のApple側でこのことについての公式なコメントはないようです。

特に、この新製品を横から見た図について、カメラのレンズ部分が出っ張っているのを確認できないようになっているのはミスリードだと思います。

レンズ部分の出っ張りは、そのままこのデバイス端末を使うものにとっては結構障害になることが予想されます。

レンズ部分は、操作する画面部分とは反対についていますから、当然床やテーブルに直接触れることになります。

これまでのiPhoneシリーズでは少なくとも妙な出っ張りはなかったので置くことは簡単でしたしストレスもないのですが、カメラ突起部分が引っ掻いて、柔らかい素材の木のテーブルなんかに傷でも付けようものなら結構ショックではないかという気がするのです。

これだけで、テーブルに置いたりする際にストレスになってしまうような気がします。

出っ張らせたのに哲学があるならば、それを語れば良いのですが、今のところそうした話はないので、技術的な限界だったのかもしれません。

しかし、限界を超えてきたのがAppleという会社なので、じょぶず、という「昔いた人」ならばカメラの突起を出さない技術を持った会社を買収してでも、発売日を遅らせてもフラットなデザインに拘ったかもしれません(会ったこともない人ですから、全く当方の想像です。)。

全体を一ミリ厚くしてその分バッテリーを強化したほうがよかったのではないかとも思ったりします。

今のスマホの一番のボトルネックは多機能性より電源問題だと感じるからです。

顧客は、メーカーの前向き挑戦のミスには寛大です。

かつてiPhoneでも、特定の持ち方をすると、急速に電波を拾えなくなるといった問題などがありました。

これは躯体強化の金属枠をアンテナとして流用しようとした挑戦の結果であり、その改良により顧客の支持も回復しました。

しかし、同じ顧客は、思想なく妥協の産物だったと感じられる点には徹底して冷淡になります。

いろいろ書きましたが、ともあれ、世界中の消費者に、新商品の発表前からあれこれ予想され、未確認リーク情報が飛び交い、発表と同時に世界中の一次販売店で予約が受け付けられ、発売当日は3日徹夜の行列待ちなんてざらのフリークがハイタッチ!でヨロコビに目を輝かせて購入していくので発売後はしばらく世界中で品薄になってしまうというような、そんなお化け商品はめったにありません。

お化けといえば日本では妖怪ウォッチというのがそんな現象を生んでいるようですが、妖怪といえばゲゲゲの鬼太郎しか認識できず、予約して並んで買ったといえば、小学生の時のドラクエを思い起こす筆者からは以上です。

(平成26年9月18日 木曜日)

2014年9月17日

かつてネットブックというPCデバイスカテゴリがあったというお話

既に[歴史の]ネットブック


おはようございます。

2014年9月の記事です。

2008年の8月に、台湾エイサーというメーカーが発売した初代「Aspire one(A150)」というノートパソコンは、これまでのラップトップパソコンの概念を覆す画期的なモデルでした。

この後、PCメーカー各社は競ってこの手のPCジャンルをネットブックと名付けブームを作っていきます。

ネットブックとは、厳密な定義はありませんが、ウェブサイトの閲覧検索や電子メールやチャットといった基本的なインターネット上のサービスを利用することを主な用途とした、安価でかつ小型、軽量な簡易ノートパソコンということになります。

しかし、同時期に爆発的に浸透したスマートフォンに押される形で、2012年にはこのカテゴリーでのパソコンは姿を消してしまいました。

カンガルーやコアラといった有袋類が、大きな大陸において我々人類のような有胎盤類に押され、ついには島大陸のオーストラリア以外で哺乳類の主役を譲ったようなものです。

確かに、ネットブックはキーボードが付いているだけの、それゆえ持ち運びが面倒なスマホなだけではないかとも言われます。

しかし、筆者のようにキーボードに手を置いて、がしがし記事を打ち込む(叩き込む)昭和スタイルで文書を書く者にとっては、とても重宝する代物だったのです。

一方で、スマホのフリックっていうんですか、指をこちょこちょさせて画面をスライドさせるあれがどうしてもうまく行かない前時代ユーザーは筆者だけではないと思います。

値段も5万円程度と割と高価かもしれませんが、スマホの価格だって、2年とかの割賦販売にしているだけですから、実勢の本体価格は6万円以上するものはざらにあるのです。



その後スマホが市場を席巻した



キーボードを省略して指のフリック動作でのインターフェースに統一してユーザーの使い勝手に革命を起こしたスマホですが、やはりおもちゃや井戸端会議以上の利用用途を求めるビジネス層にはどうしても受け入れられない溝のようなものがあるのではないかと思うのです。

ネットブックというものがあったねというお話でした。

しかし今絶頂のスマホだってアイホンだって、数年後にはそういうものがあったねと言われるかもしれないのです。

それだけ世の中の動くスピードは早くなっています。

息の長い製品を作るというのは難しいです。

ポケベルで文を作ることができるようになった頃にはポケベルサービスがなくなってしまい、「114106」=あいしてる などという暗号を使う機会を永久に失った筆者からは以上です。

(平成26年9月17日 水曜日)


2014年9月16日

飛行機の中でWifiがつながり座席が職場になる日も近いのではないかと思う話

機上の眠り人

おはようございます。

2014年9月の記事です。

既に新幹線などでは車内運行中のWIFI通信とコンセントによる電源確保が実現しておりまして、新幹線の中はまさに職場としてメールの送受信やインターネットでの検索や調査が可能になっております。

2014年の9月1日から、空の航空機においても、WIFI搭載と離着陸時の電子機器利用への可能性が開け、一部の運行会社ではかなりフリーな状態で電子機器を利用し情報のやり取りができる事例が広がっているのでご紹介したいと思います。

本当はこのようなことを書くと、飛行機の空の上では通信不可ということで時間を稼げたのですが、そういうわけにも行かなくなってしまうのでどうしようか迷いました。

しかし、そもそも仕事を受け身で考えているからそのような思考に陥るのだとここは心を決めて、前向きに攻めの姿勢で捉えていきたいと思います。

具体的には、航空行政を所管する国土交通省が、「航空機内での電子機器使用についての一部制限の緩和」を発表し、それが9月1日より実施されています。

これまで離着陸時に利用できなかった電子機器や、使用を大きく制限されていた電波を発する機器の利用範囲が広がっています。

もちろん、実際に搭乗する航空機内で使用可能な機器について各航空会社に問い合わせるようにとの条件付きですが、これまで、とりあえずドアが閉まったら電子機器の電源は切っておく、電波を発しない機器はアナウンスが入る離着陸前後の上空飛行中しか使えないといった一律ルールは、各航空会社の判断により、柔軟に対応されていくはずです。

例えば、機内無線LANシステムを搭載した飛行機であれば、飛行機に乗っている間は無線LAN搭載のノートPCは常時使えるということになります。

こうした環境変化を認識し、機上の人となった場合でも何らかの作業進捗を図ることができることを考慮に入れておくことは、企業人として必要なリテラシーと言えましょう。

といいつつ、機上の人でも机上の人であっても、眠気が襲ってなかなか生産性が上がらない筆者からは以上です。

(平成26年9月16日 火曜日)

2014年9月15日

古巣凱旋(香川ドルトムント復帰)海外欧州サッカーで活躍する日本人選手の話

ドルトムント香川選手


おはようございます。

2014年9月の記事です。

2014年9月、2年間にわたる他流試合を経て、ようやく古巣に戻ってきたエースが躍動しました。

世界的ビッグクラブへ移籍して2年、最後の1年はまさに自分のスタイルが悪いのか自分のフィジカルが弱いのか全てが問題なのかという堂々巡りの自問自答の鬱屈した日々だったかと思いますが、やはり職場が合っていなかったというのは厳然とした事実なのだと思った瞬間でした。

古巣のドイツ・ドルトムントに復帰したサッカー日本代表10番、香川真司選手の復帰戦での躍動です。

これまでの2年間の鬱憤を晴らすかのような、復帰戦でのお土産代わりのゴールでした。

特に2013年シーズンから1点も取っていなかった選手が復帰後の初戦で点を取るというわけですので、やはりドーバー海峡の向こうの職場が向いていなかったということだったのでしょう。

確かに得点の有無は運に左右されることもありますが、1年を通じてゼロゼロ行進を続けていたわけですから、さすがに偶然で片付ける問題では無いと思います。

組織は、サッカーチームに限らず、能力と熱意を信頼している上司(監督)がいて、ボールを回してくれる共に戦う同僚がいて、そして何よりも選手香川を愛して鼓舞してくれる熱烈なサポーターがいるという「職場」が最も働きやすく、能力を発揮できるというよい例だったと思います。



イングランドではなかなか居場所が定まらなかった



海峡の向こうのチームでは、香川選手はビッグネームに囲まれたワンオブゼムの選手でした。

たまに出場させてもらえても、サポーターも監督も、果ては同僚もが「さあ、何を見せてくれるのかな?」と査定するような目で見ていたのではないでしょうか。

サッカー選手も企業の社員も、冷たく査定する対象として見てしまうとその躍動感は失われてしまうようです。

もちろん、サッカーは11人しか出場できませんので、全ての選手にチャンスを平等に与えることはできません(加えて今年の海の向こうのユナイテッドは、欧州チャンピオンズリーグへも出場しませんので、試合数が極端に少ないこともあります)が、やはりサッカーたるもの、他の選手との統合情報コンビネーションを組み上げていかねばならない競技であることを改めて感じた次第です。

個人がその組織に合う合わないというのはあくまで個人的な問題として片付けられる傾向もあるかもしれませんが、逆に組織自体にも多用に影響する、非常に大事な課題であるということだと思います。

夜の飲み屋だけに限らず、今の職場でももっともっと他と絡んで統合していなかければならないと思った筆者からは以上です。

(平成26年9月16日 火曜日)

2014年9月14日

サービス商品の中身ではなく付属する決済と配送を握るという企業戦略

クロネコヤマトの介護便が走る日も?


おはようございます。

2014年9月の記事です。

どんな商売でも避けられない面倒な手続きがあります。

「決済」です。現金で支払おうがクレジットカードで支払情報をやりとりしようが、小切手を発行しようが電子マネーでしゃりーんと言わせようが、とにかく通貨であるお金をバックに持つ何らかの情報やり取りが行われないと、商行為が完了せず売上が立たないのです。

この面倒な「決済」をオンライン上で簡単にできる仕組みがいろいろと発明されてきました。

しかし、取引にはもう一つ面倒な側面が残っています。商品の「配送」です。

お客の方から店舗に来てもらい、レジで決済して持ち帰ってもらうという店舗展開小売業とは、つまるところ「配送」の手間を削減したいがためにそのように行ってきたと言っても過言ではありません。

そして、いくらオンライン購入ができるからといっても、実際の商品を、最後の一歩まで持込み直接手渡す配達員ネットワーク(要するにヤマト運輸や佐川急便の人たち)がなければ商品はお客の手元に届きません。




配送業務のラストワンマイルを解消した宅急便



宅急便(商標)に代表される家庭宅配サービス(一般名称)の発展はこの配送業務の効率化を追求した歴史とも言えそうです。

おそらく、各配達地域の個人情報や家族構成などを最も把握しているのは、これらの配送サービス現業員ではないでしょうか。

地図サービス会社もかなり靴をすり減らして各戸を回るそうですが、これにはかないそうにありません。

選挙区内を回る政治家でも、個別訪問に応じてくれない家庭もあることを考えると、必ず届けなければならない宅配業者のネットワークは膨大なものになると思います。

将来は、宅配サービス会社の新事業展開として、介護サービスや直接物販販売(要するに行商)といった昭和なスタイルが復活するかもしれません。

かつて、いつも仕事のヒントは現場にあると教えられた筆者の勝手な予想は以上です。

(平成26年9月14日 日曜日)

2014年9月13日

浪人生が減っているので予備校業種も不況であると改めて感慨深い話

代々木ゼミナール本部校 代ゼミタワー オベリスク


おはようございます。

2014年9月の記事です。

大手予備校「代々木ゼミナール(通称代ゼミ)」が、全国27校ある校舎を7校に集約し、全国模試を廃止するといったリストラを柱とする事業縮小計画を2014年に発表しました。

これは大手予備校としての地位を自ら取り下げる名誉ある撤退です。

予備校業界は、代ゼミ(東京)、駿台予備校(東京)、河合塾(名古屋市)が長らく「三大予備校」と呼ばれ、浪人市場を寡占していました。

もちろん地域ごとに根ざした小規模予備校もありましたが、そのシェアは大きくはなかったのです。

そして、3校の中でも、特に浪人生や私立文系受験生に対する駅前大規模教室での講義を強みとしてきた代ゼミだったのですが、少子化に加え、「大学の入りやすさ」すなわち現役合格率の向上や理系学部を多く擁する国立大学法人人気の高まりという幾重にも重なる逆境に対応できず、生き残るための事業縮小を余儀なくされた形です。

18歳人口という文部科学省が出しているグラフを見ますと、平成4年には205万人いたのが、平成24年は119万人と、ピーク時の6割に減っています。



急激な少子化は学習市場の激化を招く



この急激な少子化に対応して、全国の大学・短大の定員が減っているわけではないため、いわゆる現役合格率が向上し、浪人生という存在が珍しくなってきているのです。

因みに平成4年の大学入学者数は54万人、その半数近くが浪人生だったと推定されますが、平成25年の大学入学社数は61万人、浪人生は4分の1程度と推測されます。

これだけ、環境が変わってきているのです。

代ゼミ以外の予備校は、早くから現役生をターゲットにした校舎展開を進め、具体的には駅前にこだわらず高校に行きながら通学に便利な立地へ進出しました。

また、東進ハイスクールのように人気講師の授業をサテライト配信する手法で、分散した生徒集客を進めるところも出てきました。

浪人生の「通学」に便利なターミナル駅前の大教室での一斉授業という、平成初期まで通用したビジネスモデルが、環境に合わなくなってきたということなのでしょう。

栄枯盛衰時代は変わります。

かつて大学ではよく遊び、そしてよく寝てよく遊んだ筆者からは以上です。

(平成26年9月13日 土曜日)

2014年9月12日

スマートウォッチ市場にアップルが本格的に参入した2014年9月になります

レガシーウォッチ


おはようございます。

2014年9月の記事です。

日本時間2014年9月10日午前2時から、カルフォルニアのアップル本社で新商品紹介のプロモーションがありました。

iPhoneの新作と一緒に初めて同社からスマートウォッチが発表されましたので、この業界が一気に活気づくかもしれません。

技術革新により、デバイス全般の小型化と低価格化が進んできました。

この点はウォークマンに代表されるようにかつては日本が世界の先端を走っていたようで残念ではあります。

しかしながら、爆発的に成長してきたモバイル端末、いわゆるスマホ市場においては、主力商品のサイズは大きくなる一方でした。

多機能化や視認性を追求した結果、業界の嚆矢であったAppleですら、代を重ねる毎に高さが、そして今回は幅自体も大きくなってきたのです(iPhone3GからiPhone6まで、高機能化と大画面化の歴史でした)。



腕時計型デバイスは市民権を得るのか



ようやくここにきて、満を持して腕時計型のデバイスの参入余地が開けたということなのかもしれません。

眼鏡と合わせて腕時計というものは長期の歴史があるレガシーな装飾品であるところ、高機能なデバイス機能を付与するのはまさに新しい市場の開拓です。

消費者に対して最初にこのように使うものだというソリッドな方針を示し、その方針が支持されるデバイスに限り、新市場における主力商品となるでしょう。

この意味では、Appleウォッチといえども今後の展開は未知数です(商標の関係でiWatchとはできなかったように見受けられます)。

スマホの機能をまるごとスマートウォッチに移し替えることは不可能でしょう。

あまりにも画面が小さすぎるからです。

電池も持ちません。

何を取捨選択するか、そして、ウエアブル(身体にくっつけ続けること)による、歩数計や各種健康バロメーター機能をどのくらい付与することができるかが鍵となります。

繰り返しますが、電源バッテリーの「持ち」も重要な問題です。時計なのに電池切れで時間もわからないではお話になりません。

ともあれ、世の中はすごいスピードで動いています。

答えはなかなかわかりませんが、とりあえず退屈しないなあと感じる筆者からは以上です。

(追伸)

*2016年9月、アップルは改良版のアップルウォッチ2をリリースしました。

(平成26年9月12日 金曜日)

2014年9月11日

日清食品のカップヌードルが登場した時の開発秘話などを語ります

カップヌードル(登録商標)*この後完食



おはようございます。

2014年9月の記事です。

2014年夏のテニスで日本初の全米オープン決勝進出、準優勝を成し遂げた錦織選手は、日清食品の所属です。

同社では、決勝戦を社内パブリックビューイングを設置して観戦応援したそうですが、同社は世界初のカップラーメン(一般名称)を発明した奇跡の会社です。

現在の年間消費数100億個以上とも呼ばれるカップラーメン(一般名称)の草分けとなるカップヌードル(登録商標)を開発したのは、名物社長と言われた安藤百福氏とその命を受けた若い技術者たちでした。

その頃は、袋入りラーメン全盛期で、カップの中でお湯を流すだけでラーメンを食べるようにするという発想はなかったのです。

カップは調理器具であると同時に食器となり、そして陳列時にはパッケージとしての役割も兼ねるというまさに自由都市大阪仕込みの大胆不敵な発想でした。

カップラーメン開発は、困難の連続でした。まず生麺を油で揚げ、お湯で戻すようにしないといけないのですが、カップラーメンに入れる麺は袋入りラーメンより分厚く、中まで油が通らないのです。

試行錯誤と何万食にも及ぶ試食の末、揚げる麺の「かさ」を少しだけ少なくし、うまいエビ天のように、一旦麺全体が沈むように揚げてから、水分が飛んだ麺が油の上の方に上がってくる頃合いを研究し、均一に油が行き渡りカラリと揚げる方法を編み出しました。

少し量を減らすという逆転の発想でした。

フリーズドライの具をまぶすという方法についても試行錯誤を重ねました。

卵や肉、そしてネギ、最後にうまいエビです。

フリーズドライとは、真空凍結乾燥技術のことで、通常水分を含んでいる食品を、マイナス30℃程度で急速に凍結し、さらに減圧して真空状態で水分を昇華蒸発させて乾燥する技術として、カップラーメン作りに応用されました。

カップヌードルは、日本の最先端流行地・銀座で一日で何万食売り尽くすという大規模街頭プロモーションを行い、日本人の認知を得て世界中に広まっていきました。

夜間の現業職員や輸送事業者、災害時の非常食に欠かせない品物となったのです。

今でも世界中の紛争や災害に日本政府が送る緊急支援物資には、メイドインジャパンのカップラーメンが入っています。

錦織選手おめでとうございます。

さすがは「日々清らかに豊かな味をつくる」社是の日清食品です。

ビルの防災センターにおいても、工事立会い夜勤明けに食べるカップヌードルの味は格別です。

そんな筆者からは以上です。

(平成26年9月11日 木曜日)

2014年9月10日

トラロープの見やすさに見ることができる黄色と黒は勇気のしるし

トラシール


おはようございます。

2014年9月の記事です。

今日は業界用語の話を致します。

よく工事現場や、事故現場の立入禁止区内を仕切るために張ったり横渡ししている、黄色と黒の縞模様のロープやシール、こう書けばみなさん、あああれねとわかってもらえると思いますが、あれは「トラロープ」と呼ばれています。

用例として、ビルの設備管理の現場の朝礼などで、引継ぎ事項として、本日◯時に空調機点検に◯◯業者さんが来られますので、専用駐車場区画にトラロープを張っておいてください、というように使われます。

黄色と黒のまだら模様だからトラというのはすごくわかりやすいです。

因みに本当の名称は標識ロープというらしいですが、ロープに標識?というのはイメージしにくいです。

なぜトラ模様が採用されたのかといいますと、黄色と黒は彩度差と明度差が非常に強くあり、目に入りやすい色の組み合わせなので、目立つ標識として重宝されるからということです。

例えば踏切にある警報機の柱は横の黄黒縞で、遮断機は斜めの黄黒縞と法律で決まっているくらいです。

一般に警戒標識と呼ばれる道路標識も、黄色に黒が基本となっています(落石危険とか動物飛び出し危険などの標識です)。

自然界ではトラの外に、スズメバチなどが危険な針や毒を持つということを、黄色と黒の縞模様で示しています。

黄色と黒は勇気のしるし、24時間戦うのです。

トラロープに限らず、すぐにあれをこれしてこうやっといて、と物の名称がなかなか出てこないものです。

24時間寝ていたい筆者からは以上です。

(平成26年9月10日 水曜日)

2014年9月9日

2014年9月テニスの全米オープンで日本の錦織選手が決勝進出

テニス大会風景


おはようございます。

2014年9月の記事です。

全米オープン、2014年9月の本日はテニスの話です。

いよいよ本日午前6:00(日本時間)錦織圭選手とチリッチ選手の全米オープン男子シングルス決勝戦が始まります。

地上波放送がないというのは大変残念ですが、プロテニスの世界で、日本人選手が四大大会と呼ばれる全豪全仏全英全米の決勝に進んだのは史上初めてのことです。

サッカーの世界やメジャーリーグの世界で日本人選手が超一流の舞台に登場しているのは記憶に新しいですが、それを上回る衝撃が世界中を走っています。

かつてテニスという競技が日本に普及したとき、男子日本テニス界は、佐藤次郎という不世出の名手に恵まれました。

1930年代前半に四大大会で5度の四強を達成するなど国際舞台にめっぽう強く、大いに活躍しましたが、現役中に26歳で海外遠征に向かうマラッカ海峡の船から自ら命を断ったのです。

国の名誉をかけて争うデビスカップへの過度なプレッシャーが一因とも言われています。

その後日本男子テニス界は長い雌伏の時を経ますが、坂井利郎、松岡修造といった先人たちの後を受けて、およそ100年ぶりに錦織選手が四大大会準決勝まで駒を進めたのです。

準決勝の相手は、ノバク・ジョコビッチ。世界ランク一位、現時点で最強の呼び声高いテニスプレイヤーです。

現代の男子プロテニス界は、ジョコビッチ、ナダル、フェデラーと、テニスを全く知らない人でも名前くらいはきっと聞いたことがある、いずれの実力実績も歴代最強クラスのラスボス系強豪ひしめくタフな世界ですが、錦織選手は堂々の内容で、ジョコビッチを撃破し決勝に進んだのです。

まさに、世界中が驚いた世紀の一戦でした。

最強王者を倒しましたが、まだ終わっていません。

夢の最上段まであと一歩、さあこれから始まる決勝を固唾を飲んで見守りたいと思います。

人々の欲望が弾けた100年に一度の金融危機より、こちらの本当の100年に一度のチャンスに臨み、そして皆で歴史の生き証人になりたいものです。

テニスでも相変わらずの野球打ちで、まったく相手コートにボールが入らない筆者からは以上です。

(平成26年9月9日 火曜日)

*これより2年、錦織選手は再び世界ランキング2位のマレー選手を破り、全米オープン準決勝に駒を進めました。2016年リオ五輪では四天王の一角とよばれるナダル選手を破って銅メダルに輝くという栄誉を得た錦織選手、選手として最も脂が乗った充実した時期を迎えているようです。

2014年9月8日

野球好きにはたまらない変則守備の実例を説明したいと思います

シャア専用


おはようございます。

2014年9月の記事です。

事実は野球漫画より奇なりということで、メジャーリーグで驚きの守備シフトが出現しました。

満塁時に一塁と二塁の間に野手4人を等間隔に並べるというシフトで、あとは二塁三塁の間にサードが1人、レフトとライトだけで外野を守って残りのセンターファーストセカンドショートの四人を一直線に並べたのです。

打者が左バッターで、極端な引張り型の打者だったため、ホームでフォースアウトを取るべく一塁二塁側にサッカーよろしく「壁」を作ったという事例です。

さてこのように極端なシフトを取るのも、打者毎の飛球データが詳細に取られてきており、それに沿った最適な守備位置と走者の状態を考えればある意味当然の対応と言えそうです。

そもそも野手はフェアグラウンド内ならばどこを守っても良いわけで、外野手が内野手の前に来ようが、レフトとサードが入れ替わろうが本質的には全くプレイに問題はありません。

その昔、豪速球を誇るピッチャーの球を打てないので、セーフティーバント作戦を取ろうとした攻撃側に対抗すべく、守備側はセンターをキャッチャーの左前方すぐのところに配置し(外野はレフトとライトの2名のみ)、バントを封じるという作戦を取ったという例もあります。

因みに現に守っている守備位置とは関係なく、登録された野手の処理として守備は記録されます。

ですので、捕手の前に守ったセンターが、バント処理して一塁でアウトにすれば、センターゴロが記録されます。

相手の作戦に応じて自らの作戦を立案する、これは企業戦略でも投資戦略でも相手の出方を想定するという至極当たり前の対応なのです。

「戦いとは、常に二手三手先を読んで行うものだ。」

3倍のスピードと戦略を誇る赤い彗星に憧れる筆者からは以上です。

(平成26年9月8日 月曜日)

2014年9月7日

時代を感じるというエポックメイキングなことがあったというほぼ雑談の話

光genji世代


おはようございます。

バック・トゥ・ザ・フューチャーという映画シリーズがかつてヒットになりました。

ここでは主人公がタイムマシン車「デロリアン」を駆って親父お袋が過ごしたレトロな青春時代まっただ中に飛び込み、あろうことか親父お袋の恋のキューピッド役になってしまいます。

そうして、自分自身の存在[出生]をかけて若い親父お袋を何とかくっつけようとするというストーリーで、そのレトロな時代自体が笑いになるという要素がありました。

しかし、この話をしている筆者の世代がすでに現実世界で親父お袋の世代になっていますので、この話を聞く子供世代には余計にわからないものになってしまいます。

先日も、東京オリンピック(1964年)を覚えている、もしくはその近辺に生まれた世代の方々と話していたのですが、東京オリンピックといえば既に近い将来の[2020年]のものを一般的に指すことになってしまっています。

ちょうど東京オリンピック[1964年]から50年(半世紀)が経過し、その年に生まれた人が50歳というのは考えてみれば凄いことです。

50年前の映像や音楽を鮮明に見ることができるというのは大変不思議な気がします。

今見ますとすごく野暮ったい格好で入場行進したり競技をしたりしていますが、それはその時代の最先端のスタイルだったのです。



平成初期にバブルがあった



そしてその時代の方々は、我々には想像もつかない平成初期の「バブル」というものを現実に体感した稀有な世代として、今も時代の語り部として、いろいろ面白い話をしてくれます。

一生のうちに自国オリンピックを2回見ることができるのも凄いことですが、若い世代には東京オリンピック[1964年]やそれに続く大阪万博[1970年]といってもリアルな記憶はなく、せいぜい漫画や映画「20世紀少年」でそういう時代があったことを知っている程度でしょう。

若い世代、などと一概に言いますが、最近までは「平成生まれ」→「若ーい」だったのが、「200◯年生まれ」→「もうすぐ社会に出てくる」という状況になってきています。

近頃の若いもんは、というフレーズは、5000年前のエジプトの遺跡からも出土したと言われる(真偽の程は定かではありませんが)くらい、人類共通のものらしいですが、時代を語りつつもしつこくないオトナな大人を目指したいものです。

アイドルといえばローラースケートで滑りながらマイクを飛ばしてしまっても歌っていた昭和世代の筆者からは以上です。

(平成26年9月7日 日曜日)

2014年9月6日

男もすなるカラオケといふものの個人的ランキングを掲載します

小さい秋見つけた


おはようございます。

2014年9月の記事です。

先日接待懇親の二次会などですなるカラオケといふものを、書いてみむとて、記事にしたところ、思いの外のご反響をいただきました。

全国100[万]人の読者の皆様誠にありがとうございます。

更に進んで、ビルメン君の具体的なオーダーは如何なるものや、[教えよ]、とのご質問ご要望も多数いただきましたので、今回は特別に筆者の好きな野球のオーダーに載せて発表させていただきたいと思います。

なおあくまで皆で盛り上がれ、かつ男性ボーカルで音域の狭い筆者が歌える歌ということ、それから本オーダーは2014年9月時点のものであること、加えて、現実のプロ野球球団や少年野球チームとは何ら関係ない点につきまして予めご了承ください。

1番サード「約束の橋」佐野元春

接待の初めにおいて、まだ場は静かなところのトップバッターに切り込み隊長として送り出します。

古い歌ですがしっかりと聴かせる歌で、次に続く選曲にも期待と余裕を持ってもらえるリードオフマンです。

2番ショート「白い雲のように」猿岩石

送りバントさながら、短くテンポよく終わる曲です。男性ボーカル二人のデュエットですので、ちょっぴりシャイなお客さんや上司も巻き込むこともでき一石二鳥です。

3番DH「悲しみは雪のように」浜田省吾

持ち歌最前線を繰り出します。愛という名のもとに、というヒットドラマの主題歌で、かつ筆者も深い縁ある端艇[ボート]競技という非常にマイナーな世界を取り上げたもので、かの業界人には歴史的記憶であります。

一般的にも非常によく知られた定番の一曲で、サビの繰り返しで喉が痛むところではありますが、このチャンスを活かさない手はありません。

4番キャッチャー「小さな恋のうた」MONGOL800

ドカベンさながらのクリーンアップに座るのはこの曲、既に場が充分あたたまっている場合、集団コーラスでさらに盛り上がれること必至です。

ここで必要なのは歌のうまさではなく、サビに向かって盛り上がる一体感と巻き込み感です。

要するに下手でも構わないということです。

5番セカンド「島唄」THE BOOM

まだまだチャンスは続きます。

こちらも定番、かつ沖縄の異国情緒も出しつつしっとりと歌いあげることが肝心です。

ただ曲時間が6分以上かつリフレインつきと筆者定義では若干長いので、雰囲気とよく相談しながら送り出してあげてください。

沖縄奄美石垣島といった南西諸島に縁ある人がいる場合には、打順繰り上げも検討したいところです。

...6番から9番、そしてピッチャーについては、次の機会があればお知らせいたします。

それでは、今宵もアミューズメントスナックでお会いしましょう。

昨日も盛り上がったようですね。

のど自慢出場を逃したこちらからは以上です。

(平成26年9月6日 土曜日)

2014年9月5日

整理整頓を習慣付ける方法としてまずモノを減らすという選択を

空模様も規則正しく


おはようございます。

2014年9月の記事です。

仕事に限らず、勉強でも生活でも、モノを整理してきれいに掃除しておくことは非常に大切です。

大切なんですがどうしても綺麗にならない、片付かないという人のために、筆者が失敗を重ねて心がけるに至ったノウハウをここに開帳して、皆さんのご意見を仰ごうと思います。

掃除する心構えを作ればいいだけだとも言えますが、これでは解決になりません。

問題は、心構えが習慣まで昇華された状態に如何に体系化して到達するかの具体的アプローチです。

明日から整理するようにしよう!といくら寝る前に決心しても、明日からまた同じことの繰り返しというのは、筆者もよく経験するところです。

まず、第0段階として、整理を始める前に、「いらないもの」を捨てておくというのが必要です。

ものが多すぎて溢れているのは見ていて気持ちの良いものではありません。

ものが多すぎて、ものが本来収納される「ホームポジション」に困ってしまうのです。

これでは整理がつきません。なので、ものに対する欲求を少し下げて、なかなか難しいことですが必要なものや今現に使っているものだけを残すようにしたいものです。

次に、第1段階として、ホームポジションを決めることです。

モノによってあるべき場所を決めて、確実に、いつもそこに置くようにします。

例えば筆者の長財布は必ず持ち歩いているカバンの書類入れの奥の長いポケットスペースと決まっています。

そして紛失リスク管理のため、中身も多すぎないように気をつけています。

まあ気をつけなくても財布の中身だけはいつもスッキリなのですが...。

コップや皿、文庫本のたぐいも、このスペースという風に決めていきます。



使ったらあった場所に必ず戻す



仕上げの第2段階として、使ったものを、必ずホームポジションに戻すということを徹底します。

使った後は、必ず元の場所に戻す。すぐ後に使うつもりでも、一旦元の定位置に戻すのは、少年野球で投手(ピッチャー)が一塁手(ファースト)に牽制するときに右翼手(ライト)が一塁後方をカバーするためダッシュする、そしてライトの定位置にまたすぐ戻る、というくらいに単純ですが大切な決まりと理解するのです。

この繰り返しで周りはすっきり、そして考えや頭の中もスッキリしていくのではないでしょうか。

明日から飲み過ぎないようにしよう!と決心していつも夜中に寝るものの、翌日21時過ぎにはむくむくと同じことを繰り返す同志を求めて定位置に繰り出してしまう筆者からは以上です。

(平成26年9月5日 金曜日)

2014年9月4日

社会の公民の話として内閣(行政府)と政党(私的一般団体)の役割

国会議事堂 向かって左が衆議院


おはようございます。

2014年9月、今日は固いお話をわかりやすくお届けしたいと思います。

昨日内閣改造が行われました。

戦後最長の閣僚交代のない内閣だったということで、人心一心のため内閣を改造した(首相は変わりません。首相が変われば内閣改造ではなく新内閣発足です)ということなのでしょうが、この内閣に入るというのと同時に幹事長とか選挙対策委員長といった、政権党での役員交代というのも同時に行われるのが通常です。

国政にあたる政治家というのは、一般にまず主義主張を共通にする何らかの社会観や政治観をもつ人々によって構成される政党に属することになります(無所属というのもありますがここでは割愛します)。

これらの政党は、相互にそれぞれの社会観・政治観に立脚し国民の諸利益や意思を集約した政策を形成します。

そして、その政策を実現するために議会を運営することができる国会議員を選挙に勝つことで送り込み、その多数派が政権を担当し、行政の府である内閣を形成するということになります。



政党の存在は憲法上予定されていると解される



したがって、まず政党があり、そして政権党となった政党の主導で内閣が形作られることになります。

外務大臣というのは1名しかいませんが、幹事長というのは政党ごとに存在しえます。

よく報道されているのは、「政権党」の役員(ポスト)のことなのです。連立与党の場合、「政権党のうちの主要なもの」になります。

小選挙区制で戦う衆議院議員についても同じことが言えます。

原則、1選挙区に1名の衆議院議員の定数しかありません(比例代表制についてはここでは割愛します)。

複数の政党が同じ選挙区で議席を争って選挙を戦う場合、いずれも「国会議員」ではなく「(それぞれの政党の)支部長」という肩書となります。

もちろん現職の国会議員が「支部長」を表立って名乗ることはありませんが、例えば落選して浪人中の候補者は、しばしば「支部長」「前衆議院議員」といった肩書で、むしろ現職の議員よりも地元選挙区で活動している場合もあります。

この支部長のポストに付くには、所属政党の本部からの後押しが当然必要です。

本部としては、まず選挙に勝てそうな候補予定者を支部長に勧誘すべく、普段から人材発掘に注力することが求められるのです。

政権党の党内主要ポストは、首相以下内閣を形成し行政に当たる議員の後詰として、大変重要な役目を担っているので、内閣の改造と同時に(あくまで私的な団体ながら)その役員交代が大きく報道されることになるのです。

飲み会の幹事にはよく就任させていただき大統領と呼ばれることも多い筆者からは以上です。

(平成26年9月4日 木曜日)

2014年9月3日

カラオケレパートリーについてあらためて考えてみた話

カラオケルーム

おはようございます。

2014年9月の記事です。

全国の悩める営業マンの皆さんこんにちは。

私も悩み多き営業職の一人です。

さてお客さんや取引先、はたまた協力業者といった関係先面々との懇親や接待の場を設ける際、二次会なんかでカラオケを一曲ご披露といった場面がきっとあろうかと思います。

そんな時、一体どのような選曲をすればよいか、これは高度な技術が要求されるものです。

まず、歌が三度のご飯より好きという向きでも、人前で歌うという訓練機会はなかなかありません。

筆者は駆け出しの頃、わざわざ休日や業務後の夕食後に一人カラオケルームに篭って訓練したのでわかるのですが、ボイストレーニングというのはかなり難しいです。

風呂場でのんきに歌う数倍の体力と精神力が必要です。

加えて音楽が好きというのと、カラオケで歌って場を盛り上げることができる、というのには、天と地ほどの違いがあり、単に歌がうまいというわけでは足りないのです。

筆者の長い経験上、ポイントは、うまく歌えるということよりもむしろ、「誰もが知っている歌」を「盛り上がって歌える」ほうがずっと重要です。

そういう経験を経る中で、筆者もいざカラオケという場面で使える歌をレシピとしていつもポケットに忍ばせています。

そこで今回は、どのような歌を選んでいるか、その一端をご披露したいと思います。

まず、できるだけ短い歌を選ぶということです。全体で7分を超える歌もあれば、3分を切る歌もあります。

長さがまちまちでも、一曲単位で認識されます。

3分の歌だからといって「歌いなさすぎもう一曲」とは決してなりませんから、リスク管理のためにも短い歌にしておきたいのです。

仮に盛り上がらなくても早く終わりますから、次に速やかに展開することもできます。盛り上がればあとでもう一曲披露すれば良いのです。

次に、終わりがすっきり終わる歌を選ぶということです。

最後にリフレイン(繰り返し)でフェードアウトする歌は、聴く場面においては余韻が残っていいのですが、ことカラオケで歌い切るという状況には向きません。

筆者はゴダイゴの「銀河鉄道999(スリーナインと読んで下さいね最近の若者の皆さん)」という歌が大好きなのですが、この歌は最後にサビを繰り返す典型的なフェードアウト曲なので、大好きなんですが筆者カラオケ本番一軍にはなかなか招集されないのです。

最後に、前奏が短く、サビが前半にすぐ来る歌を選びます。前奏やイントロが長すぎると、折角「おっ、次はビルメンくんか」と観客に思ってもらっても歌い始めてまもなく間延びしてしまいます。

誰もが一度は聞いたことがあるサビの部分ができるだけ早めに登場する曲が求められるのです。

このように、曲を聴くというのと、歌を歌って聞いてもらうというのは大変違うことだと改めて思った次第です。

といいつつも、マイクを持ったら十数曲、離さなくなってしまって踊り狂い、決まって喉と関節と評判を痛める筆者からは以上です。

(平成26年9月3日 水曜日)

2014年9月2日

冷水摩擦という健康法に紐つけた寄付をするというブームが突然来た話

羅臼岳登山[知床半島]



おはようございます。

2014年9月の記事です。

ついに私のところにも知り合いの社長さんから氷バケツチャレンジが回って来ましたので、人知れず風呂場で氷冷水をかぶっておきました筆者です。

冷水摩擦式でやりました。

絞ったタオルでまず身体を慣らすように首から腕にかけて擦っていき、全身を冷水タオルでなじませたら、バケツ桶の水で一気に頭からかぶります。

全身の血液がめぐるようで、身体が手足の先までぽかぽかになります。

ジムでトレーニングもいいですがたまにはこのような身近な健康法も良いかと思いました。



寄付のやり方を少し変えてみました



さて肝心の寄付ですが、野球好きとしては、延長50回連投後ダブルヘッダー決勝戦などという状況がこれ以上出現しないように大会試合環境が整備されることを願って、また老弱男女ハンディキャップの有無に限らずできるだけ多くの人が野球を楽しめるような場が整備されることの一助になればということで、来年8月に第30回を迎える「全国盲学校野球大会」へささやかながらの協賛をしたいと思います。

ポロシャツやTシャツ、タオルといった協賛グッズの購入程度ですが、すかしてやらないよりまず行動ということで、ここに表明しておきます。

ハンディキャップがあることや年寄りであること、女性であること、それ自体と「野球をやる」こととは何も関係ありません。

みんながスポーツを正当に楽しむ権利があるわけですから、そうした楽しい場が多く生まれるような取り組みは支持したいと思います。

ジムでトレーニングしたことがまだありませんが、70歳を過ぎたところから元プロ野球選手にも勝つことを目標にしている、超大器晩成型の筆者からは以上です。

(平成26年9月2日 火曜日)

2014年9月1日

図書館にふくろうがいるわけをギリシャ神話から紐解いてみます

ふくろうの親子


おはようございます。

2014年9月の記事です。

大きな図書館にやって来ました。

筆者の住む街は大きめの地方都市ですので、図書館も結構大きくて広いです。

そこかしこに椅子や机があり、夏休み最後の休日を、本を読みながら静かに過ごす人々でいっぱいです。

さてこの図書館の入り口にふくろうの大きな銅像がありました。

なぜ図書館にふくろうかといいますと、ギリシャアテネの昔から、ふくろうは知識知恵の象徴として信仰の対象にもなっているからなのでしょう。



ギリシャ語でアテナはローマ読みでミネルヴァ



その昔、アテネの知恵の女神アテナ(ローマ読みでミネルヴァ)はふくろうを使いとして、飛び立たせ世の様子を探らせたともいわれます。

その際、ミネルヴァのふくろうは黄昏に飛び立つ、というように決まって夕刻以降だったそうで、これは物事の事象はそれが終わらないと正当な評価はできないという教訓のことだとはるか昔の難しい法哲学の講義でかすかに聞いた記憶があります。

なおノアの箱舟でオリーブの木を持ち帰ったのは鳩ですが、これは明るい昼間のことでしょうから、ふくろうの役目ではなかったのかもしれません。

世の知恵を探るには、鳥のように飛び回ることが必要なのかもしれません。

私も負けずに飛び回り、業界に革命を起こすくらいの気づきや閃きを得たいと思いました。

ミネルヴァ書房という出版社もございます。

文鳥しか飼ったことのない筆者からは以上です。

(平成26年9月1日 月曜日)