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2016年11月30日

2016年末九州場所が終了しました(相撲の横綱の話をここで改めて)




おはようございます。

2016年11月の記事です。

相撲は年6場所行われますが、年の終わりの11月は九州場所として福岡で行われるのが慣例となっております。

さて、2016年も無事全日程を終了いたしましたが、日本相撲協会の横綱審議委員会(いわゆる横審)が東京の両国国技館でありました。

横審は無報酬で、その最大の任務は横綱を推薦することです。

委員の定数は7名以上15名以内です。

横審の内規にある、「2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績」という成績を満たしたと判断した場合、まず相撲協会理事長は横審に横綱昇進について諮問します。

そもそも諮問を受けなければ横審は審議できません。

ここは、具体的な憲法訴訟の事案が起こらないと審議できない、いわゆる附随審査制を日本の裁判所が有しているのと同じようなものです。

横審は諮問を受けて審議しまして、出席委員の3分の2以上の賛成があれば横綱推薦を理事長に答申することになります。

理事長は答申を受けて臨時理事会を招集し、理事会において横綱昇進について決議し、正式に昇進を決定するという流れになります。

さて、2016年九州場所後の総括で、横審の守屋秀繁委員長(千葉大名誉教授)は大相撲九州場所で7場所ぶり3回目の優勝を果たした横綱鶴竜については、「大変安定感のある相撲で、こんな強い横綱かと思った」とたたえました。

一方、前回の場所で全勝優勝を飾りながら、今回の「綱取り場所」で9勝で終わった大関豪栄道に対しては「綱を取るにはちょっと力不足かな」と評価したとのことです。

3横綱を連破し、鶴竜に次ぐ12勝を挙げた大関・稀勢の里に関しては「(勝ち)星は準じているが、優勝争いに絡んでいない」と指摘し、来年1月に東京で行われる初場所を14勝以下で優勝しても「もろ手を挙げて(横綱昇進に)賛成とは言い難い」と述べ、来場所は綱取り場所とならないとの私見を示したとのことです。

ただ、全勝の場合は「そういう(昇進に賛成する)こともあり得る」とも語りました。

このように、「準ずる」というあいまいな内規によって、いろいろと解釈に違いが生じて、それが批判の対象となるというところも相撲の特徴なのかもしれません。

確かに、テニスのように世界ランキング1位、といった風になってしまうのも、どうも感覚がそぐわないことから、横綱という地位を附随するさまざまな伝統とか文化とか品位とか格式とか、そういったものを体現する手段として、批判はありながらも横審という制度は今後も続いていくのではないかと思います。

さて、横審の内規である、「2場所連続優勝またはそれに準ずる成績」というものの個人的解釈としてあえて申し上げますと、準ずる成績というのは何回か優勝している大関への救済措置で、今場所準優勝とはいえ、一回も優勝していない稀勢の里に適用するという感じではないというのが個人的な意見です。

この点、過去には5回優勝した魁皇や3回優勝した小錦(いずれも最高位は大関)がいますので不公平という意見が根強くあります。

一方、横綱の中で優勝回数が少ない大乃国(優勝2回)、三重ノ海(優勝3回)あたりを考慮しますと、通算で3回優勝したら、条件なしで横綱とするとか、既に2回優勝していたら、準優勝や優勝同点でも横綱昇進としても、その後十分横綱の質の確保は図られると思います。

こうすると、1回も優勝がないまま横綱に昇進し、その後廃業したという双羽黒の事例も繰り返されることはないとも思うのです。

すべて個人的意見ですが、そもそも、日本人力士と外国人力士について評価や判断が違うといった批判を受けないように、勝手な外野からの意見ですが横審も襟を正してもらいたいといます。

以上、相撲好き(好角家)を祖父祖母にもつ好事家の筆者の分析は以上です。

(平成28年11月30日 水曜日)

2016年11月29日

年間残業時間2,000時間の実例について2016年時点のものを記録しておきます

散らかった仕事のイメージ



おはようございます。

2016年11月の記事です。

平成も28年末まで来ているというのに、相変わらず残業自慢の昭和世代の筆者です。

年間残業時間2,000時間といえば、通常の8時間勤務での年間就業時間が1,850時間程度ですから通常の勤務時間を上回る残業をしていたということになります。

ここまでくると残業ではなく別業でしょうか。

さて、2013年度のある北関東県(公務員)の時間外勤務手当で最も長く残業した税務課の職員がこの節目の残業2,000時間超えを見事に果たし、年間時間外手当740万円の支給を受けたということです。

この報告を受けた同県の県議会議員の一人は、

「普通の職員の2倍、朝から翌日未明まで仕事をしていたことになり、この職員は県庁に住んでいたのか、という話になる。支給金額はともかく労務管理上、問題がある」

と指摘したとのことですが正確ではありません。

ここまで残業漬けになってしまうと、土日も祝日もなくなります。

土曜日と日曜日は8時間の勤務(休日出勤、時間外労働)くらいで許してもらうとして、通常の平日は14時間勤務(17時から23時くらいまでで終電で帰ります。タクシー代はこのご時世出ないでしょうから)、これで平日の5日間は残業6時間、土日8時間(休日出勤)で、見事一ヶ月(4週間とする)の残業時間184時間、一年で2,208時間という計算となります。

さすがにお盆や元日くらいは休むでしょうから、2,000時間は職員としての限界の数字でしょう。

県職員側は、「税務システムの切り替えがあり、その部署の職員を中心に負担が増した」ということですが、人を年間2,000時間残業させるシステムとは何でしょうか、本末転倒の気がします。

システムとは本来人を楽にさせるものなのではとの疑問が拭えません。

しかし、ここまで残業の必要があるならば、もはや派遣社員かパート職員を1人雇ったほうが絶対早いと思います。

民間企業でもサービス残業の問題は根深いですが、こうまで硬直化した官僚組織になると他部署からの応援も何もないままこのような帰宅難民が出現するのでしょうか。

絶対こなせない業務量を任せられ残業代が問題だと議会で取り上げられるとはそ因果な商売です。

問題は県の人事のはずなのに、これでは家庭も自分のプライベートも犠牲にして職務に忠実に振舞った税務課職員は報われないことだと思います。

と、いろいろ書きましたが振り返りますと自らも相変わらずワンパターンの残業自慢の昭和世代から脱却したい筆者からは以上です。

(平成28年11月29日 火曜日)

2016年11月28日

業界に長くいるのに不動産投資に失敗する理由をたった一つあげてみる



おはようございます。

2016年11月の記事です。

不動産業界には割と長くいるのですが、実は不動産投資が大変下手な筆者です。

ひところ有名になりました書籍「金持ち父さん」シリーズのロバート・キヨサキ氏によれば、経済主体としての自然人(経済人)全般を、従業員、自営業者、経営者、投資家の4つにカテゴリー分類しています。

そして、経済人は従業員から順番に上っていき最後は投資家を目指すべきだと語られています。

ここでの主張を大胆に要約しますと、

1.お金に働かされ雇用の不安に苛まれる従業員から、
2.雇用の自由度が高まり、働き方のコントロールが出来る自営業、
3.他人と組織を動かすことで高収入を得る経営者(ただし費用・リスクも高い)、
4.そして組織に縛られず経済的自由になりお金が自分のために働いてくれる投資家(ここがゴール)

という順番です。

投資の手段は、株や債券、FX、ブックメーカー投資などがありますが何もしないでお金が入る不動産投資こそ不労所得に1番相応しいということで不動産投資なかでもマンション投資を推奨する内容になっています。

しかしながら、金持ち父さんに書かれているように不動産投資は何となくやってみて上手く行くほど甘いものではありません。

なぜでしょうか?

端的に申し上げれば、「不動産投資には膨大な費用がかかる」からなのです。

土地や建物を保有した瞬間から固定費として費用がかかります。

まず公租公課(税金)、それから建物部分の減価償却費、建物倒壊や災害の補償となる保険料があります。

誰も賃料を払ってくれない空ビル(文字通り空気に貸している場合)でも、これだけの費用がかかります。

株や債券、FX投資の良い所は、保有コストや市場参加コストがほとんどかからないことです。

取引コストは少しかかりますが、保有しているだけで税金が取られるということはありません(儲かったら所得税の対象になりますが)。

さらに、不動産投資は、そもそもの取得に膨大なお金が必要で、加えて保有する期間に応じて多額の追加投資が必要になります。

そのお金は貯金で賄えるものではなく、金融機関から多額の借金をする必要が多いです。

多くのお金を借りると、成功しないといけない、でも、本当に成功できるだろうかと迷ってしまい、理論上100%利益が出せる物件を探そうとしてしまいます。

しかし、そんな都合のいい物件はないのが現状なのです。

結果買い急ぎ、不適な物件に手を出す場合もあるのです。

よく考えてみてください。

売り手は売る事情があってその物件を手放すのです。

トレードで本当の超一流選手を獲得できることは少ないと思います。

通常は双方の球団にいるポジションが余った一流半の選手同士の交換になるものでしょう。

加えて、不動産投資は一度始めると撤退することが容易ではありません。

この撤退しにくいというところが、現状への甘えと将来への希望を削ぐのです。

日本の不動産絡みの不良債権問題を見てみましょう。

1989年のバブル崩壊から25年、四半世紀が経過しているとしているのにいまだに塩漬け状態の不動産はたくさんあるのです。

この間に失った時間的価値のほうが遥かに大きいのです。

株やFXは、少額からも始められ、(負けた時の)撤退も容易です。

取引コストも僅少で上記の労働者であるあなたが投資家になるための一歩として相応しいと思います。

株式市場も全く読みを外す筆者からは以上です。

(2016年11月28日 月曜日)

2016年11月27日

平成の初期の頃にあったというバブル経済の話です(バブルは繰り返す?)




おはようございます。

2016年11月の記事です。

今更という感じもありますが、平成生まれのバブル経済の話をします。

プラザ合意の後、円高誘導で日本の輸出企業が打撃を受け、そして国内でも売れなくなったモノを売るために、低金利政策で景気対策としましたところ、肝心な雇用は増えずに不動産や株式がバブル状態となってしまいました。

中身のない風船が膨らむように、実態を無視した過剰な期待がバブル経済を現出させたのです。

失礼ながら大した家にも住んでいない日本人の中流層が、高価なゴルフ会員権を複数借金で保有するなどの状況が、日本人の価値観を更に貧相にしたと思っています。


株と土地の投機に躍って庶民までが「一億総ギャンブラー」となってしまいました。

株は本来、長期的に配当を得るもので、頻繁に売り買いをするのは要するに博打の世界です。

その売り買いをメディアも煽りました。

競輪・競馬の予想は載せない一般紙が株式予想を掲載して庶民をギャンブルに誘い込み、素人が世界のプロを相手に博打を打ちました。

日本人は目先の株価上昇下落に翻弄されるようになっていったのです。

それから25年、失われた時として日本人の喪失感が増すそのツケを払う時代は続いています。

今、元来た同じ道を歩んでいないのでしょうか?

強く警鐘したいものです。

アメリカの株高などにくれぐれも惑わされぬよう。

実のところ株で儲け損ねて悔しい筆者からは以上です。

(2016年11月27日 日曜日)

2016年11月26日

失敗はすべて未来につながっていると言ったダイソン掃除機開発者の話

ダイソンの掃除機


おはようございます。

2016年11月の記事です。

今日は格別いい話をします。

長くなるかもしれませんがよろしくお付き合いください。

紙パック不要のサイクロン掃除機で世界中で有名になっている「ダイソン」シリーズの開発者ジェームズ・ダイソンという人の話です。

アイデアを形にするということは大変です。

そして、発明家がアイデアをあきらめそうになる時は、数えきれないほどやってくるものです。

吸引力が落ちない長く使える掃除機を作りたい、そういうアイデアを形にするために、ジェームズ・ダイソンは試作機の制作と開発にとりかかりました。

15代目の試作機(プロトタイプ)の時には3番目の子供も生まれ、家族を養っていかなければならなかったジェームズは、開発に没頭し、そして失敗に失敗を重ね、プロトタイプの数は雪だるま式に積みあがっていきました。

そして遂にプロトタイプが2,500台を超えるころ、資金は尽きてしまいそうになり、掃除機の研究開発自体が続けられなくなりそうになりました。

3,500代目のプロトタイプのころには、ジェームズの妻は美術教室を開いて文字通り生活費を稼いでいたという状況だったそうです。

そして1993年、15年という歳月を経て最初の完成品としてについに「DC-01」というサイクロン掃除機を世に出すのです。

その前に積みあがった試作機の数は実に5,127台を数えていました。

試行錯誤を重ね、苦難と苦闘を舐めた足跡である5,127台の試作機を前にして、最後の試作品だけが最終製品につながったのではない、ひとつひとつの失敗したプロトタイプすべてがこの製品の開発につながっているのだ、ジェームズ・ダイソンはそのように語っています。

うまくいった最終的な試作品だけが製品ににつながったのではない。

ひとつひとつの試作機すべてが貴重な糧となり、最終的な実を結んだのだ。

5,127という数字以上の重さとストーリーを感じる素晴らしい話です。

まさに、失敗やうまくいかないことを積み上げてきたことこそが、何よりも代えがたい想い出であり、素晴らしい経験であった、とジェームズ・ダイソンは心からそう言っているのです。

かの発明王エジソンも言いました。

「失敗ではない。うまくいかない方法を1万回試して発見しただけだ」と。

失敗はすべて未来につながっているのです。

私も、ダイソンの掃除機を使っています。

今日だけは失敗を恐れず真面目に生きようと思った筆者からは以上です。

(平成28年11月26日 土曜日)

2016年11月25日

配偶者控除が改正される模様であるという話(2016年11月時点未確定)


おはようございます。

2016年11月の記事です。

久しぶりですが、たまには少しは生活の役に立つ記事を投下します。

2016年も年末に押し迫ってきておりますが、毎年歳末にまとめる政府与党による税制改正大綱に盛り込む内容が漏れ伝わって来ております。

その中で、最も国民の生活に直結しそうなのが、配偶者控除の「見直し」です。

一見、一方の配偶者のみに所得が片寄る世帯向けの所得税の配偶者控除の対象を「年収103万円以下」から「年収150万円以下」に拡大するという方向であると聞くと、なんだか減税という感じがいたしますが、一概にそうではないのです。

まず、現在の配偶者控除とは所得控除の一種でして、ある世帯の一方配偶者の年収が103万円以下の場合、もう一方の配偶者の給与所得から38万円を控除して世帯としての所得税額を減らすという仕組みです。

所得の少ない配偶者から「減税」することは現行税法上の仕組みでは難しいので、その減税効果をもう一方の所得のある配偶者から所得控除することによって代替する、という制度だといえます。

ただし、専業主婦(主夫)を養うことができる程度にリッチな夫(妻)を優遇するという制度になっているという批判や、そもそも双方が103万円を相当程度超えた年収を得て頑張っている共働き家庭については全く代替制度もなく、本件はそもそも全くもって逆差別であるという(至極もっともな)批判がある制度です。

事実、かつて政府与党で当初、配偶者控除を廃止して共働き世帯にも適用する「夫婦控除」の創設を検討した経緯があります。

これですと、夫婦である限り双方の所得の片寄りとは関係なく控除が受けられるということで共働き世代にも平等となり、かつ結婚を経済的に後押しすると言った効果も得られるのではないかと期待されたのです。

しかしながら、やはり現在恩恵を受けているいわゆる「専業主婦世代」からの反発が強いことが予想され、これじゃ選挙に勝てないよ、と慎重姿勢を見せた一部政府与党の中の声に押されて、どうもこれは見送られたという経緯があるようです(あくまでも未確認です)。

筆者などは、すでに少数派となっている専業主婦世帯よりも、その2倍の世帯数となっている共働き世帯に向けて改革を訴えた方が、よほど選挙に勝てるのではないか、などと思いますが評価は後の世に委ねたいと思います。

さて、現在の税調での見直し方針は、所得の少ない一方配偶者の年収が103万円を超えた世帯にも適用する配偶者特別控除の拡大で、その新しい水準は「150万円」ということのようです。

これによる減税の恩恵をうけるのは約360万世帯と試算されています。

よいことではあります。

ただし、これでは単なる減税大盤振る舞いとなってしまい、すでに台所は火の車状態の国家財政のことを考えると、財源の確保が必要となってまいります。

そこで、出て来たのが、所得の多い一方配偶者の「年収制限」という案なのです。

現在の配偶者控除の仕組みでは、所得の多い一方配偶者の「所得制限」といった仕組みはありません。

しかしながら、「見直し」案をよく読むと、控除の対象を拡大する財源を確保するため、配偶者控除を受ける所得の多い一方配偶者の年収には制限をかけると言っているのです。

すなわち、かの一方配偶者の年収が1120万円を超えると徐々に控除額が減って1220万円で適用外となる案と、1120万円を超えた時点で控除を受けられなくする案があるというのです。

こうなりますと、約100万世帯が増税になります。

先の前者の減税の恩恵を一見うけると思わせておいて、後者の制限により実質増税になるという世帯も相当程度含まれるでしょう。

配偶者控除を受けるために、自らの所得も「抑えて」働かなければならないとなると、ますます窮屈なだけの制度になってしまうような気がします。

やはり、これだけ人手不足の世の中なのですから、余計な「調整」はできるだけしないで、能力とやる気と時間にしたがって、稼げるだけ稼いだ方が得であるというシンプルな仕組みにした方が、全体の経済活性化にも資すると考えているのです。

お金はありませんが、能力とやる気にしたがって、全力で飲みまくりたい筆者からは以上です。

(平成28年11月25日 金曜日)

2016年11月24日

新しい電気自動車の形を素人解説します

自動車の運転が下手な筆者です。

しかし、自動車の進化はとどまることを知りません。

厳密にはこれまでのハイブリッド車でも、純粋な電気自動車でもない新しいタイプの自動車が開発されてきています。

正確には、「レンジエクステンダーEV(EVは電気自動車のこと)」と呼ばれているらしいのですが、レンジエクステンダーなどと言われてもわからない方が多いと思いますので、筆者による素人解説をさせていただきます。

まず、現在の普通の電気自動車は、バッテリーを搭載してそこにため込んだ電気を利用してモーター(駆動系)を動かして走るというものです。

原理はラジコンと同じで簡単です。

エンジンが要らないので車体も軽量化でき、安全性も高く乗り心地もよく排気ガスも出さないという夢の機械です。

しかしながら、バッテリーに貯めておける電気量に限界があります。

また、給電にも時間がかかります。

満充電しても、走行距離は最大200キロメートル程度といわれています。

街乗りであれば特に問題ありませんが、郊外に出るときや遠くに旅行したり出張する際には、給電ステーションの場所を確認しながらいかなければなりません。

そこで、駆動系は電気自動車のまま、エンジンで発電してバッテリーに給電していけばいいのではないかという発想で、新しい車が誕生したのです。

つまり、モーターを動かすためにエンジンを搭載して稼働させるのではなく、エンジンは単なる発電機に特化します。

そうして創り出された電気をバッテリーに一旦ため込み、バッテリーからの電気でモーターを動かし車を走らせるのです。

発電機搭載付きの電気自動車、これがレンジエクステンダーEVの正体です。

ガソリンを積んでいますので、走行距離は一気に600キロメートル程度まで伸びます。

いわゆる燃費も高く、通常のハイブリッドカーを上回る燃費を出している車種も出てきました。

確かに、ハイブリッドという混載ではなく、発電と走行(駆動)という完全分業制を敷いているこのシステムの方が、より部品を洗練できるのかもしれません。

発想の違いで、まったく新しい商品やサービスの地平が拓ける、大げさではなく人間の創造性に驚いたところです。

「エンジン」で発電してモーターで走る、そんな新しい車に乗ってみたいです。

車の運転は下手な筆者の素人解説は以上です。

(平成28年11月24日 木曜日)

給電プラグ不要の電気自動車(EV)

2016年11月23日

リラックスして話すために必要な雰囲気づくり

話べたな筆者です。

しかしながら、営業先や会議ではまったくうまく話せないのに、喫茶店だと不思議と雑談から会話が盛り上がったりすることはよくあることです。

これは単に友達とはうまく話せるけど仕事の話になると、というだけのことなのでしょうか。

どうやらこれには話す内容ではなく  環境に理由があるようなのです。

自分は話下手だと卑下する必要はどこにもないということです。

圧迫面接という環境を人工的につくりだして反応を見るというゲームがあります。


大学の授業で実際に行われているものですが、5人ほどの学生が1人の学生に対して矢継ぎ早に質問を繰り返す集団模擬面接で、面接を受ける生徒は「立ったまま」質問に答えなければならないのです。

回答だけでなく、その理由なども次々に聞かれるので、どんなに話が上手な人でもうまく対応することができないのです。

そして、気の毒になるくらい、「え~、それは」「いや、あの」と立ち往生してしまうといいます。

これはどんなに優秀な学生でもそうなるので、人間一般の法則といえます。

ところが、別に面接を受ける学生の前にテーブルを置き、座って面接を受けた場合、立っていた時よりも上手く質問に答えられるようになるのです。


さらに、テーブルにコーヒーなどの飲み物を置くと、さらにリラックスして返答できるようになったのです。

つまり、座る→テーブルやカウンターがある→珈琲や飲み物というものがあるだけで人間の緊張感はかなり削減されるということがこの実験から分かります。

直立しているだけで座ることもできないという状況では、手持ち無沙汰で両手の置き場にさえ困ってしまい、人間は普段通りにしゃべれません。

逆にテーブルをひとつ置いただけで気持ちが楽になります。

テーブルが面接官から発される圧迫、プレッシャーに対するディフェンス役になるのです。

自分を取り戻すといいましょうか。

講演でも講演台があるのとないのとでは、全く話の仕方が違います。

講演台がない場合、話者はよく身振り手振りを交えながら演壇場を歩き回り、動きをアピールしようとします。

そうしないと話している方が疲れるからです。

喫茶店やカフェやスナックは、この実験に必要なテーブルやコーヒーが目の前にあります。

確かに社内で報告会議をしている時よりも、喫茶店やカフェやスナックで話している時の方が盛り上がるし、心理的な負担は少ないです。

これは話の内容も硬くないということもあるのでしょうが、くだけた話の内容だけではなく、大切な話や難しい話であってもお店で話した方が相手もリラックスしているからで、こうした場の雰囲気づくりを行うことで、話しかける方もこちらの意図する答えをもらいやすくなる可能性も上がるように思います。


話べたの筆者からは以上です。

(2016年11月23日 水曜日)



2016年11月22日

はじめに言葉ありき

英語が不得意な筆者です。

しかしながら、英語勉強歴は長いです。

かれこれ25年になりますでしょうか。

そして、四半世紀を経まして一つの結論に達したのでここに披歴したいと思います。

特に英語の文法を勉強している方に申し上げたいのですが、文法問題集のたぐいの解説は一切信用しなくていいのではないでしょうか。

例えば副詞とか動詞とかの定義や、こういうときには不定詞がつかないといったことですが、所詮外国語の英語に日本の言語学者が勝手に決めたルールで解説を付しているだけで講釈の域を出ません。


ネイティブには摩訶不思議なものだそうです。

ルールでは説明できないことがたくさんあります。

そして無理に説明しようとするとルールばかりが無限に増えていくのです。

言葉には理屈理論ルールでは解決ができないことが多くあります。


文法というルールの範疇になど収まらないフリーダムなのが言語というものなのです。

しかも言語の形は時代によって変化していきます。


古文と現代語が異なるように流動的なものなのです。

万物は流転します。

言葉だって流転するのです。

しかし学者は言語を解読するためにルールを無理矢理作りました。


解読するまでならましですが、大きな問題があります。

それはそのルールはこれからの言語の変化には使えないということなのです。


結果、言語の変化に乗り遅れたおかしな表現やネイティブに通じないに英語を日本人は話しています。


文法から言葉が生まれたわけではないのです。


はじめに言葉があったのです。

文法はその後で誰かに勝手に作られました。

だから文法から言葉を作り出すのは大間違いです。

さて、これは投資理論と経済そのものに置き換えても、全く通じることだと思います。


過去の成功体験だったらいくらでも引き写すことができますが、これからの成功事例は過去の歴史を参考にしながらも、自らの頭と手で作り上げていかなければならないのです。

英語は不得意ながら、それでもTOEIC865まではようやく到達しました筆者からは以上です。

(平成28年11月22日 火曜日)


2016年11月21日

ストーリーは完結させてこそ価値があるという話

おはようございます。

漫画ばっかり読んでいる筆者です。

ところで皆さんは、シリーズ物の物語や映画について、どのように対しますでしょうか。

もっと詳しくいいますと、シリーズ物については、既刊されるごとに待ちわびて読む(観る)派か、そうでなくて、シリーズが完結してから最初から一気に読む派なのか、という違いです。

筆者は、「続きが気になる」というタイプですので、前者の態様を取ると逆にストレスがたまってよくありません。

その昔、「ズッコケ三人組」シリーズという小学校高学年にとってバイブル的な面白い児童本シリーズがありまして、それをリアルに(半年ごとに1冊という感じで)待ちわびて買って読んでいた昭和の正しいジュニアベビーブーマー世代といたしましては、例えばその後に同じシリーズを子供の世代に勧めるにおいて、自分も並行して全50巻を拾い読みして越入りしているというようなことがございました。

平成時代のバイブル、「ハリー・ポッター」シリーズにおいても、次にハリーにはどんな困難が待ち受けているのだろうと思うと、夜も眠れなくなってしまいます。

全世界的に次回作が待ち焦がれた結果、同時期にリリースされた映画「プラダを着た悪魔」において、出版前の同シリーズの最新刊を自分の双子に見せたいと無茶な要求をアシスタントにかましてくる女ボス(悪魔の上司)の話が描かれたりしたものです。

そんなハリー・ポッターもようやく最終決戦を終え、落ち着いたと思いましたら今度は19年後に親父となったハリーとその次男がまたまた騒動に巻き込まれるという第2章が始まり、またまた全世界が期待で待ち焦がれるということになってしまいました。

筆者はそういうわけで、シリーズ完結を確認してから、やおら1巻から読みたい派です。

現代日本における、漫画最強コンテンツの一つに成長した「ワンピース」についても、いつ読み始めても面白いと思うのですが、あえて筆者はグランドラインに入る前、イーストブルーにいる時代で止めております。

なので今の麦わらの一味が何人いるのか、実のところあまり知りません。

中国の春秋戦国時代の末期、秦帝国成立を描く暑苦しい描写ですが面白くてたまらないという評判の「キングダム」についても、第1巻第1話くらいを見てから、これは化けると思ったので完結してからの楽しみに取っています。

こうした「化けるな」といった感覚は、結構幼少期から変わっていないもので、筆者は小学校の時に「ジョジョの奇妙な冒険」や「ドラゴンボール」を読み始めた時、同様の感覚を得たのをよく覚えています。

今後も、将来に向かって花咲く創作物がどんどん生まれて来るでしょう。

楽しみです。

40年200巻をもってついに完結した「こち亀」の例を観るまでもなく、どのような名作シリーズもいずれ終わりがやってきます。

このきちんと終わらせるということの大切さは、仕事や、人生そのものにも通じる大切な視点なのかもしれません。

そういうわけで、漫画ばっかり読んでいる筆者からのつぶやきは以上です。

(平成28年11月21日 月曜日)


2016年11月20日

ルーターのファームウェアを更新したら爆速になった

2016年11月のITガジェット環境情報です。

耳寄りな話がございますのでここにご報告します。

最近、自宅のWifi環境が何となく遅いと感じるようになってきました。

PCのクリーンインストールやiPhoneやiPadの更新や買い替えも進めたのですがあまり目に見える効果がありません。

これらのデバイス(端末)とインターネット環境を繋いでいるWifiのルーターに何か問題があるのではないかと気づきました。

改めて、部屋の隅に鎮座している埃まみれのルーターを取り出し、周りをウェットティッシュで拭きます。

あっという間に真っ黒です。

しかし、これだけでは表面が綺麗になっただけで、機能面での改善は見られません。

ルーターを買い換えるということも考えられるのですが、このルーターは、最近(といっても1年くらい前ですが)買い替えた割と新しい、しかも(筆者が購入するにしては)高機能品種です。

電源を切って再起動します。

そして、インターネットでいろいろ調べ、ブラウザ上でのルーターの管理者画面というところに、Wifiで繋いだ端末(筆者はiPhoneでやりました)で入り込むことに成功しました。

ここで、「ファームウェアの更新」というタブがあるので早速実行します。

すでに、十数個のアップグレードがリリースされているということは、筆者は割に新しい端末(ハード)は持っているけれどもソフトウェアは10世代前のバージョンで使っていた、ということになるわけです。

最新のファームウェアを搭載したルーターは、これが同じハード端末かと思えるくらいの爆速無線速度を叩き出し、非常に快調に動くようになりました。

これで一安心です。

例えば、iPhoneにおけるiOSにしても、MacブックにおけるmacOSにしても、ウィンドウズ端末におけるWindows10にしても、少なくとも数ヶ月に1回はソフトウェア上のアップデートが行われ、その端末(ハード)が最も効率よく動くようにプログラム側で制御するようになっているのです。

ルーターも、ファームウェアというプログラムで動く端末(デバイス)の一つですから、同じように定期的にアップデートしてあげなかればならなかったわけです。

ハード自体をより性能の良いものに買い替えて代替するというのも手ですが、ハード(端末)は変えられないけれども投入するプログラムを更新していくことで、当初のハードの能力をはるかに上回る性能を引き出すことだってできるわけです。

すでに本体としての役目を終えた宇宙船パイオニア1号が、虚空のかなたから発する微弱電波を収集するというミッションで、再度見直されて研究素材として復活したように、ハードウェアが設計寿命をはるかに超える供用を見せるということはよくあります。

ハードで恵まれなくても、ソフトで勝負する。

スポーツでもかくありたいと願います。

頭脳のソフトウェアにバグが散見されておりまして、無線LAN速度は速くなりましたが記事作成がそれに追いつかない筆者からは以上です。

(平成28年11月20日 日曜日)


2016年11月19日

自社製品のパッケージに他社製品の宣伝を入れて売る(隙間産業の話)

2016年の年の瀬になってまいりましたが、ふといつもの商品を手に取って見て驚いたのでレポートします。

ほぼ毎日飲んでいる牛乳パックの背面に、カフェラテにどうぞという感じのコーヒー飲料の広告が載っているのです。

これは上手いと思いました。

確かに、雪印の牛乳に、サントリーのコーヒー飲料の広告なので少し違和感があります。

しかしながら、自社商品のパッケージまで広告欄にして広告として販売すれば、筆者のように、とにかく毎日牛乳を飲むのを習慣にしているような者にはうまく宣伝できそうです。

隙間広告産業が最近盛んです。

例えば、給与明細や割り箸の紙袋まで、広告スペースとして買い取ろうとする業者・会社なども存在します。

自ら広告主を見つけてくるのは大変だとしても、こうした広告代行業者に一括して場所や時間を「貸し出し」「売り切り」してしまえば、あとはこうした業者が頑張って営業して広告出稿者を見つけてくるというわけです。

広告といえば、サッカーのユニフォーム(FCバルセロナの背面シャツにに日本の楽天のロゴが載るようです。総額数百億円とか)やF1マシンのスポンサー企業のロゴを筆者は想起しますが、最近はすでにこうした、場所や媒体限らず広告を行い、消費者心理に訴えていこうと各事業者はしのぎを削っているのです。

牛乳にコーヒーといえば、カクテルのカルーアミルクような甘いのが好きな甘党の筆者からは以上です。

(2016年11月19日 土曜日)


2016年11月18日

和食立食という新業態が登場

外食業界といえば過当競争の総本山といったところで、1990年台後半には30兆円あった市場規模が今や20兆円を切る状況になってしまったというくらいの厳しい業界です。

このようないわゆるレッドオーシャン(過当競争が起こって血の海になっているさまに例えてこのように呼ぶマーケティング用語)の外食業界ですが、このたびそんな市場の・で、新しい新業態で勝負をかけるところが出てきました。

老舗寿司チェーン、もともとは郊外型の持ち帰り寿司を展開するある会社が新業態店として東京築地に立ち食い寿司店をオープンしましたのです。

また郊外店も店内で飲食可能(イートイン)できる店に改装するということです。

都市部に戻ってきた外食顧客を取り込む奥の手として、その場で食べられる立ち食い業態に目をつけました。

特に時間のない営業サラリーマンや昼食時間が厳格に決まっている都市部OLまで幅広いニーズがあると考えられます。

太巻きや納豆巻きなどをファストフード感覚で味わう、そんな業態です。

むろんその業界はすでにコンビニ業界やコーヒーチェーン業界も競合となっており厳しい船出が予想されますが、何とか新しい消費を喚起してもらいたいと思います。

価格帯はリーズナブルで、一貫70円からの単品握りや600円程度のセットメニューを充実し、持ち帰り客の需要にも対応するようです。


毎日の食生活を代えてしまうアイデア装置である外食産業。


収支は厳しい業界ですが目が離せません。

いつもカレー、カツ丼、ラーメンのヘビーローテーションの筆者からは以上です。

(平成28年11月18日 金曜日)



2016年11月17日

外国人の日本語表記について論じます(ほぼ雑談ながら長くなります)

「ギョエテとは、俺のことかとゲーテ言い」という川柳を残したのは明治の小説家斉藤緑雨という方らしいですが、 (Goethe) を紹介したいと思った明治の日本人は漢語の知識と教養を総動員して、日本語片仮名「ギョエテ」「グーテ」「ゲエテ」などいろいろ試しながら「ゲーテ」に落ち着かせてきたわけです。

このように外国語の表記は、日本語ではなかなか正確に言い表せません。

言語が違うのですから当然です。

結局統一されずに(violin)などバイオリンと言ったりヴァイオリンと言ったりしたまま残ったものもあります。

さらにより面倒な事例としては(こちらの方が多いのですが)、そもそも輸入された外国語の表記や読み方自体が複数あるという場合です。

(Julius Caesar)は共和政ローマを帝政ローマに文字通り変革した人類史上稀有な英雄であり世界的に超有名だと言ってよいと思います

この点に関しましては、本当はナザレのイエスやモーゼにムハンマド、これらの中東起源の一神教系宗教のはしりとも言えるゾロアスター教開祖のザラスシュトラ、東方においては孔子に仏陀くらいの事例を挙げたいのですが今に続く宗教的な機微情報=取扱いに配慮が必要な情報に触れざるを得ず、衡平な記述の自信と能力がないので断念します。

話が大幅に逸れましたが元に戻します。

もともと雑談であるところ誠に申し訳ありません。

さて(Julius Caesar)を日本語で古ラテン語的読み方をすればユリウス・カエサルですが、その後発展した英語っぽい読み方をすればジュリアス・シーザーとなり、英国随一の劇作家であろうシェイクスピアによって書かれた(The Tragedy of Julius Caesar)という悲劇は「ジュリアス・シーザー」と読むのが習わしです。

特に教育に携わる方々には、このように「日本語で世界のこと」を教えるときにかかるフィルター作用(誤解)についてよく認識してもらいたいと思います。

なぜなら、私もこの読み方の違う「二人」が同一人物であることを知ったのは結構なおとなになってからなのです(本当です)。

同じ王朝の王様でもドイツ語読みではカール、スペイン語読みではカルロス、英語読みではチャールズ、フランス語読みではシャルルと言ったりと様々です。

でもみんな元は同じ「名」だったり「ファミリーネーム」だったりするわけです。

こういった「お作法」についてはなかなか教科書などに記述するのが難しいので、個々の教諭の力が試されるところだと思っています。

だから児童生徒学生諸君も、スマホで調べるばかりではいけないのです。

ブルータス、お前もか!などと言われないように気をつけてください。

そんな青空教室での筆者のつぶやきは以上です。

(平成28年11月17日 木曜日)


2016年11月16日

出向者に捧ぐ(2016年11月版)

おはようございます。

出向先でいつもの出勤を迎えた筆者です。

昨今、さる銀行員のテレビドラマで極端な一面が強調されたように思われる出向者という存在ですが、外部ノウハウの吸収や新しいネットワークの開拓や精神修養、多様な視点の獲得など有用な側面も実は多いです。


筆者も出向者でありますが、かのスティーブ・ジョブズが自らが創業したアップル社を追われて、そして復権して戻ってから語った言葉を噛み締めて、日々の糧にしたいと思っていますので共有したいと思います。

「その時は分からなかったが、アップル社に解雇されたことは、私の人生で起こった
最良の出来事だったと後に分かった」

「成功者であることの重さが、再び創始者になることの身軽さに置き換わったのだ」

「何事につけても不確かさは増したが、私は解放され、人生の中で最も創造的な時期を迎えた」

さらに、こう続けます。

「そうして、自分がじきに死ぬということを自覚しておくことは、これまで私が出会ってきた中で、人生で大きな決断を下す手助けになる最も重要な道具だと思った」


「ほぼすべてのこと、すべての外部からの期待、あらゆるプライド、恥や失敗に対するいかなる恐れも、死の恐怖を前にすれば消え去り本当に重要なものだけが残るからだ」

外の世界を知ることで世界が広がったという教訓を、このように明快で力強く語ってくれたのです。

確かに、何事につけても不確かさは増しますし、不安にもなりますが...。

ジョブズ自身は入学も卒業もしていない、スタンフォード大学での卒業式でのスピーチからというのも面白いと思います。

自ら作った会社に解雇されても、恨みを恩に変えて頑張り、再び復帰したこの人の話に比べれば窓際だろうが出向だろうがそんなの関係ねぇと思いました。

どこでも現場は一緒、住めば都の筆者からは以上です。

(2016年11月16日 水曜日)



2016年11月15日

日本プロ野球ドラフト制度の制度趣旨を論じます

本日は日本プロ野球におけるドラフト制度の制度趣旨を書生っぽく論じます。

毎年、さまざまな事案が起こり議論に事欠かない感があります日本プロ野球のドラフト制度ですが、2016年のドラフトでは、

「上位指名のみプロ球団入団するが、下位指名ならば社会人野球に進む」

と宣言した高校野球部所属の選手についての事案が話題となりました。

事実関係を整理しますと、

「3位以上の使命をもらえればプロに入団するが、4位以下の指名ならばある社会人野球の野球部に入るので、(指名を)ご遠慮ください」

と事前に全球団について「通知」しており全球団のスカウトもそれを認識していたというところ、

とある「空気を読まないので有名な」日本のハムというプロ野球球団(くしくも、2016年ペナントレースを制して日本一に輝いた球団です)が、6位の指名を「強行」して、交渉権を取得し、本人側とプロ入団についての交渉をもった、ということです。

結局、入団はならずに当初の予定通り、社会人野球に進むようですが、もし仮に入団に至ったとしても、現行ルール上問題はありません。

かような事案です。

しかしながら、このような「処置」には、そもそものドラフト制度の根幹を揺るがす重大な問題をはらんでいるのです。

もともと、ドラフト制度とは、日本プロ野球全体の戦力均衡こそが、全球団およびリーグ全体の利益となるという考え方で、有望な選手をできるだけ公平にランダムに選ぶということにしているという点にあります。

いわば、プロ野球選手として、一括して「プロ志望」の選手を各球団に公平に割り付け、そしてあたかも、一つのプロ野球組織に属する各チームという「部門」でそれぞれの選手はプロとしてのキャリアをスタートするということです。

もちろん、現実には資金力のある球団や戦力に恵まれた球団や本拠地やフロント監督親会社、といった「格差」「違い」「好き嫌い」は当然にありまして、選手の中には特定の球団に本音では行きたいというところがあるかもしれません。

しかしながら、「新卒」でドラフト指名される場合は、まずは全体としての日本プロ野球機構という組織に所属して、どのチームに獲得されるかというのは運任せ、その後国内FAか海外FAの資格を取って、自らが行きたい球団との移籍交渉を開始するというのが本来の流れなのです。

ここに、ある例えば非常に将来有望な高校球児がいたとします。

この高校球児や高校野球部側が、ある入団を希望するプロ野球球団と「組んだ」場合、例えば、ドラフト前にある「社会人野球チーム」に進むと公言したとします。

すると、ほとんどの球団はドラフト指名の枠を犠牲にしたくないので指名を回避しますが、その意中の球団だけは指名することができます。

ドラフト後の独占入団交渉の場で、その有望選手が説得を受けて、「一念発起してプロでやってみようと思いました」と宣言したことにすれば、現行ルール上は全く問題ない入団経緯の出来上がりです。

最初から出来上がっていた話でも、17歳か18歳の高校球児にそのように言われれば、特に問題はないと、世間はスルーしてくれるのかもしれません。

そして、いったん入ると決めていた社会人野球チームに対しては、その翌年かほとぼりがさめた数年後でも幾人かの選手をプロ選手として指名してあげる、といった恩恵を施せば、そのような案山子か藁人形の役目くらい、いくらでもしてもらえそうな気がします。

あくまで、上記は「仮定の話」ですが、かような「疑義」が入らないようにするために、ドラフト制度についての細かい取り決めがあるはずなのです。

それなのに、ドラフトを待つ身である側が、いろいろと条件を付けだしたら、こうしたドラフト制度の信頼は、それだけで失われてしまいます。

上記のような裏の取引があるのではないか、という疑義が払拭できなくなるわけです。

例えば、

ある特定球団の指名でなければ社会人に行く

1位指名でなければプロ野球には入団しない

といった「条件」をつけることがまかり通るのであれば、

その条件に対する対応に各球団が迷い、本来の戦力均衡というプロ野球ドラフト制度の制度趣旨と信頼が失われてしまうのです。

17、18歳の高校生といっても、プレーしてお金をもらう「プロ」になる以上、その世界に入るところで不正をするようではいけません。

その選手が有望であればこそ、ドラフトの趣旨を尊重してプロの門を叩いてもらいたいものです。

したがいまして、ドラフトにかかる可能性がある選手としては、一切の希望や申し入れをあえて行わない、という態様が大切になります。

裏取引が存在すると考えれば、誰でも気持ちがよくありません。

クリントン大統領候補のメールサーバー疑惑についても、単にメールサーバーを自分専用にセットしただけ、と弁明されても、やはり国家機密である重大情報を自分の私的蓄財や地位に違法に流用したのではないか?という疑念を抱かれてしまうのです。

制度に対する信頼を維持するというのは大変ですが大切です。

今回は、制度に対する信頼という観点から書生っぽい意見を述べてみました。

裸一貫でドラフトの声がかかるのを待っていますが、未だ無風の筆者からは以上です。

(平成28年11月15日 火曜日)


2016年11月14日

MM理論を説明します(金融理論の初歩の初歩をわかりやすく)

おはようございます。

トランプ大統領の登場で、毎日最高値を更新し続けるニューヨーク株式市場ですが、この勢いはどこまで続くのでしょうか。

さて、本日は、書いてみれば当たり前のことなのですが、改めて立証されたMM理論について簡単に説明します。

金融理論の初歩の初歩です。

モジリアーニとミラーという経済学者が唱えたものなのでその頭文字をとってMMといいますが、「企業価値は配当政策によって変化しない。また、企業価値は資本構成によって変化しない。ただし、法人税がない場合に限る」というものです。

要するに、完全市場の前提に立って法人税を無視すれば、配当をどのようにしようが株式・借入金どちらで調達しようが現実の企業価値に変化はない、ということです。


さて、現実に法人税があるのが我々の世界ですから話を進めますと、有利子負債の調達金利以上の利益率を確保できる限り、負債による資金調達を行った方が、節税効果分、企業価値が高くなることになります。


すなわち、借金しまくってもその借金の金利以上に利益が増すから企業価値は高まるということになります。

しかし、実際には、有利子負債比率が高まれば高まるほど、倒産リスクが高まることになり、この倒産リスクが限度を超えると、金利の上昇などを招き、結局企業価値の低下を招くことになります。


要するに、現実世界での最適資本構成には一般的な公式は存在せず、各企業の業態や評判、リスクによって変化するということです。


当たり前の結論に落ち着きました。

投資は不得意で市場の読みはいつも外れる筆者からは以上です。

(2016年11月14日 月曜日)


2016年11月13日

出世しない権利を主張する人たちへ

出世しない権利。

今の若いサラリーマンはここまで考えています。

日本経営協会の調査によると、入社3年程度社員の4割弱が「めんどうなので昇進したくない」と考えているそうです。

出世を望まない若者が増えているとは前から言われているのですが、確かに驚きの数字です。



ただ、その理由の中には、必ずしも「(余計な)責任を負いたくないから」というような後ろ向きのものだけとは限らないとのことです。

特に専門職として現場で仕事を続けたいという人だっていると考えられます。

しかしながら、まだまだ20代で仕事のイロハもそんなにわかっていない世代の方に専門職だ現場だというのは若干おこがましくも映ります。

結局、本音は余計な責任や時間的拘束がかかり人生全体でを考えると昇進はNO、ということなのかもしれません。



管理職になると残業代がつかなくなってむしろ収入が減るという笑えない目先の話もあります。

労働基準法上の管理職、たとえば一般には「課長」になってしまうと、時間外手当の対象ではなくなり、営業日でも22時以降の慎也残業にかからないと時間外労働手当が法的にもらえないのです。

部下の課長代理の月当たりの時間外労働時間が100時間を越えるようなことがあれば、部下より給料の低い上司というのが現実に日本のそこかしこに生まれています。

課長も一緒になって付き合って時間外労働をしているのであれば余計に救われません。

さらに、その部下がうつ病になってしまえば上司としての使用者責任にも問われかねないのです。

本来、うつ病は病気ですから、業務からは外して休ませるべきなのです。

しかしながら、うつ病になってしまっているのではないか、という部下を無理やり業務監督しなければならない上司や会社の身になってみると、それは大きな心理的ストレスになると思います。

頑張れ、と言えば過大な負担を与えたと認定されてしまいのであれば、上司の方も、精神的に参ってしまうでしょう。

このように、上長や会社が一見余計な責任だけが被せられるような気がするので敬遠されるのもわかるような気がします。

しかし、世の中は意外に公平にできているものでたいていそれらは一時的なものです。

他のほとんどの善良に働く従業員や心優しい経営者や株主からして、業務に貢献するのではなく単に会社に対する不当要求を行うだけの社員がいることは何の特にもならないということは自明ですので、いろいろあっても結局衡平な形で決着していくのではないかと結構楽観的に考えているのです。

人の上に立ってマネジメントする仕事の面白さを知ることは、経験を積む意味でも人間の幅を広げる意味でもやはり貴重な経験です。

また、昇進の打診があるということは、そもそも能力を認められた証拠なのですから、長い目で見れば待遇や環境も良くなるものです。


人間の器を広げるチャンスと思います。

出世して行った上司や同僚や後輩をよく見る筆者からは以上です。

(平成28年11月13日 日曜日)

頼れる上司

2016年11月12日

平成28年NHK大河ドラマ「真田丸」を好き勝手に論考する

今日は2016年夏の映画「シン・ゴジラ」の名セリフ「君らも好きにしろ」に従い、好きに書きますので長くなると思いますがご容赦ください。

平成28年のNHK大河ドラマ「真田丸」もいよいよクライマックスを迎えております。

最新の調査結果もふんだんに盛り込まれ、非常に練られた脚本で筆者などは感心しきりでございますが、やはり果敢に散った武将というのは古今東西判官贔屓(はんがんびいき)と呼ばれて支持が絶えません。

無論、筆者も大好きです。

もともと判官贔屓の判官とは、源平合戦で大活躍の司令官であったのに頼朝に疎まれて誅殺された源義経が「九郎判官」といわれたところからきています。

平家討伐に最大の功績を挙げた義経は、京でも大人気になったのですが、それゆえに、源氏の棟梁である兄の性格暗く猜疑心の強い頼朝に憎まれてしまうのです。

奥州平泉に逃げた義経は、奥州100年の栄華を誇った藤原秀衡に助けられましたが、秀衡の死後、秀衡の子である泰衡に襲われて自ら命を絶ちました。

さて真田信繁とは反対に天下を取って国家260年の安定をもたらした徳川家康は、どうしても悪役になってしまいます。

三河三重名古屋あたりの視聴率が伸びていないようですが、それも当然の事かと思います。

筆者も、昭和の昔の子供の頃に、初代ファミリーコンピューターで「真田十勇士」という戦国RPGゲームをプレイしまして、苦難の末十勇士をつれて悪魔の城三河に乗り込み、ラスボス家康を見事誅殺、「いえやす、かくごーっ(当時のゲームは平仮名)」というエンディングを迎えたという経験を持っておりますので、

当然に家康は嫌いです。

小学校の時の社会の自由研究ノートで、関ヶ原の西軍東軍の配置図から書き取り、東軍メガネを排した石田三成の有能ぶりや宇喜多秀家の奮戦、島津義弘の敵中突破退却などを死んだ爺さんに聞かされて作るなどしておりました。

そんな筆者も日光東照宮に行った時には人並みに感嘆しておりましたが。。

さて、これまでの大河ドラマで主役の舞台となることの多かった東北地方ですが、今回派遣いたしますのは悩み多き上杉景勝と、家康全力クリンチの伊達政宗という役どころです。

上杉景勝は、真田信繁との縁もあり、関ヶ原では西軍に呼応し徳川と一戦交える根性を見せますが、破れて大幅減封をくらって失意の中大坂の陣にもやってきます。

片や伊達政宗は、特に悩みもなく、徳川につくというそれはそれで一本筋が通った態度です。

ちょっと徳川へのごますりが過ぎるんじゃないか、というくらいですが、徳川の警戒を解いて改易を免れるには仕方ない「演技」だったのかもしれません。

しかし、レーザー光線の中を颯爽と若き渡辺謙扮する独眼竜政宗が奥州の虎として天下に号令しようと奮戦したことを知っている昭和の私どものような世代には、こちらもちょっと軽い扱いで若干の不満が残ります。

仙台や米沢での視聴率もあまり高くはないのではないでしょうか。

徳川ヨイショ組としては、加賀百万石の前田家や、筑前五十二万石の黒田家などもありまして、特に黒田家などは自ら九州を切り取って西軍東軍そして九州勢力まとめて列島三国志状態を現出しようとした藩祖黒田官兵衛を中二階に追いやったか、その息子の初代長政も含めて全くといっていいほど出てきません。

なんと、黒田藩を脱藩して西軍に組した後藤又兵衛が大坂方の偏屈面白キャラとして登場です。

まあ2年前に軍師官兵衛で散々やっているので、その印象が強過ぎるので出演させると逆効果と判断されたのかもしれません。

逆効果といえば、物語の序盤、あっという間に本能寺の変が起こり、たった1回の出演で明智光秀に殺されてしまう信長公ですが、こちら、2年前の軍師官兵衛の主役官兵衛を丸ごと食っていた江口洋介扮する織田信長の印象が強烈すぎ、「信長公が違う」と我が家では大騒ぎになったことも記憶に新しいところです。

光秀を足蹴にしただけで退場してしまった今回の信長公、あまりに可哀想です。

ところで筆者は姓を上田と申しまして、信州長野の上田城とは何の関係もないのですが、上田には3度ほど訪れたことがあります。うち2回は上田城もしっかり見物しました。

アニメの「サマーウォーズ」も大好きです。

真田十勇士が大好きな上田の人たちの気持ちが伝わる栞を買って帰りました。

さて大河ドラマ「真田丸」に戻りますが、いよいよ最新の研究成果を踏まえた大阪冬の陣での真田丸の活躍と夏の陣での最後の突撃が描かれ、真田幸村の討ち死にで全50話が完結するのでしょう。

「真田日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)、いにしえより物語にもこれなき由」

と敵方が記録した活躍を楽しみにしたいと思います。

私は好きにした、君らも好きにしろ

歴史おたくのつぶやきは以上です。

(平成28年11月12日 土曜日)



2016年11月11日

見切り千両損切り万両

投資においても勇気ある撤退という話をします。

まず相場が盛り上がってきた時には、すぐに利益を確定せずにじっくり上がり切るのを待つべきです。

逆に、相場が急落し、どこまで下がるのかわからない不安な場合は、一刻でも早く損切りすることをおすすめします。

見切り千両、損切り万両などと言います。

皆、反動をまってホールドしようとしますが、そんなに甘くありません。

少しでも値が戻ったら売ってやろうと構えている潜在的売り手が沢山いるマーケットに、上昇余地はほどんど残されてはいないからです。

自らの失敗を認めて損切りするのは大変勇気がいることですが、神ならぬ人間のやること、自分の予想が外れていたと素直に認めて撤退することが肝要です。

あなたの資産はかなり目減りしたでしょう。

しかし0になったわけではありません。0でなければ、たとえ半額になってもまた勝負をかけることができます。

相場を大所高所から俯瞰し、勇気ある撤退ができる人こそが、相場で勝てるのです。

昔一気に儲けたデイトレーダーの方はおっしゃっていました。

「今日は5千万円の損でした。5千万円でよかったです」と。

写真は瀬戸大橋です。相場が上げ下げしながらずっと続いていくイメージを表現してみました。

相場で張る勇気のない筆者からは以上です。

(平成28年11月11日 金曜日)
 

2016年11月10日

「国家資本主義」という大きな存在

国家資本主義という自由主義経済の異端児というべき存在が今日世界を席巻しつつあります。

学者や立場によってまちまちですが、アメリカのシンクタンク社長でもある政治学者イアン・ブレマー氏によると「国家が経済のPrincipal Actor(主役)として政治的目的を果たすために市場を利用する究極的な経済システム」と定義されるとのことです。

例えば、石油業界では既に全世界に権益を拡大したメジャー(かつてセブンシスターズと呼ばれた)である欧米の超巨大民間企業に迫る勢いで中東アラブの王族国家やソビエト社会主義共和国連邦の後継国家、そして人口世界一といった21世紀の大国の国営企業の存在感が増してきているのです。

こうした会社は直接国家がその株式を保有し、優秀な国家官僚が直接経営に参画し国益を追求した大胆で合理的な投資行動を取ってシェアを拡大していきます。


2008年のリーマン・ショック後、一時的とは言え、自由主義国家の盟主を任じていた西側の大国も、当時世界最大の保険会社と、当時世界一の自動車会社と、大手銀行数行の経営者になりました。


望んでいなかったことかもしれませんが、あきらかに株主の究極の姿として国家という存在が全面に出てきた時代に我々は生きています。


日本も、大手銀行の優先株を引き受けたりナショナルフラッグの大手航空会社を文字通り国営化したりと、似たような状況でした。

国家が国家直営企業をますます増やして富を確保しようと動くとどうなるのでしょうか。


本来資本主義は自由な競争を担保するために規制当局すなわち国家には公正な市場の整備を求める建前だったわけですが、国家と国家直営企業の近すぎる結びつきは、試合の審判と選手が同じという笑えない状況になっていきます。

我々のごくごく小さい資金を振り向ける市場という存在自体が本来調整役であるべき国家当局によって歪められているとしたら、それは市場の信頼を損ねる重大事でありましょう。

国家資本主義について更に考察します。

2012年のダボス会議のテーマの1つが「国家資本主義の将来」でした。

今後の世界経済の帰趨を新興国を中心に、国営企業の存在感がますます増しています。

特に、資源エネルギー、メディア、金融、インフラ開発など幅広い業種において、その資金力と戦略的意思決定の速さを武器に、彼らのマザーマーケットはもとより世界市場を席巻しつつあります。

一方、ガバナンスやコンプライアンスでいわば迂遠な手続きを強いられたかに見える先進国のグローバル大企業はそれに比べて決断が遅れがちです。


リーマン・ショックなどによる消費者や市民や株主からの現実利益とサービス向上の突き上げにより、企業決定における「大胆さ」も失いつつあります。

透明性の向上や四半期ごとの厳しい業績のチェックに意を払いすぎるあまり、主体的な経営ができにくくなり困っている状態です。

ここまで考察した上で、今の時代に求められる企業経営形態はどちらなのでしょうか。


1.民主的なガバナンスには若干(相当?)欠けるものの、国家のオーナーシップの下で加速される企業成長でしょうか?

2.それとも、短期利益を追いがちな株主を上に戴きつつも、民主的で透明な意志決定に敬意を払い、長期的な株主支持を集める独立した経営者と従業員主体の努力による企業成長でしょうか?

答えは筆者にはわかりません。

しかし1.2.どちらか一方というわけではなく、それぞれのよい要素をうまく良い意味でバランスしていくしかないのではないかというところが現時点での考えです。

皆さんのお考えも聞かせていただきたいところです。

買った株がことごとく下がることで自信のあります筆者からは以上です。

(平成28年11月9日 水曜日)












2016年11月9日

道路大規模陥没事案発生(2016年11月8日火曜日早朝@博多駅前通り)

2016年11月8日の水曜日の朝、いつものように博多の街の朝も明けてこようとしていた午前5時15分頃、博多駅前2丁目交差点付近で道路陥没事故が発生しはじめました。

そして、福岡県警察より博多口交差点から博多区役所南口交差点の区間において全面通行止めとなりました。

怪我をされた方はおられません。

おりしもこの区域において、数年後の開業を控えた福岡市営地下鉄延伸工事を行っていたことが何らか関係していることは推測されるため、他の地下工事区間でもまず同じような可能性や危険がないか、工事業者に緊急点検が指示されました。

漏れ出したガスを元栓から遮断し、爆発の危険性がある都市中圧ガスの遮断と拡散が終了しました。

残る細い枝管を通っている低圧ガスも遮断するよう指示がなされました。

現場周辺のビルの皆さんに避難勧告を出し、全館避難を完了しました。

続いて下水道管に被害が出ており、このままでは陥没地域に流れ込むことになりますので、「博多駅前、駅南、駅前東、比恵町」の地域に下水道の使用を最小限にとどめるよう協力を要請しました。

(禁止ではなく要請です)

被害のあった下水管を避けて流す迂回路を全力で構築し、完成次第その解除を行います。

福岡市役所として、復旧にかかる全ての協力を先頭に立ち行うので、最速の復旧にできるだけの協力を頂けるように改めてお願いしました。

停電、上水の断水、そして下水の使用制限、および銀行ATMの障害や窓口業務の支障や商業大規模ビルの全館停電による休業など、多方面にご迷惑をおかけする形となりました。

今後、まずはライフラインの復旧に全力を尽くし、今回の施工業者(大成建設JV)だけでなく、あらゆる関係業界に協力を要請し、出来ることは何でもして一刻も早い普及を行うように福岡市としてお願いをしております。

当日13時半からポンプ車を使って流動化処理土を投入し、地盤の安定を行って、二次被害の防止に努めます。

なお、陥没での直接の人的被害が無かったのは、朝5時にトンネル施工業者の担当が地下で出水を発見し、すぐに5時10分に道路を通行止めとしたとのことです。

通行止めの5分後には陥没が起きており、人や車の通行が無く直接の人的被害は避けられたということのようです。

続いて、本格的な復旧作業ですが、まずは3日ほどかけて陥没した道路の埋め戻しを行い午後から作業に入っています。


詳しい技術面について、現地対策本部の工事担当者からの直接の話として以下共有します。

質問①

穴に溜まった水(下水や上水)は抜かないのか?

回答①

水は抜いてはいけない。逆に地下水レベルまで水が溜まったので地盤が安定したといえる。

土砂崩れは穴が空いた部分と周りの地下水を含んだ土の高さ、レベルが違うので土砂の移動がおきる。

陥没事故対応の基本は水を入れることである。

質問②

水はこれ以上増えて溢れないのか?

回答②

周辺の地下水と溜まっている水のレベルが同じになった。

また下水の大きな排水管部分までの水位になったので、そこから余分な水は排水される。

質問③

道路復旧までの手順は?

回答③

まずは穴を埋めるために流動化処理土というものを入れる。

これは水の中でも固まるもの。

地上近くの地下埋設物(電気、電話、ガスなど)のレベルまで埋めて、固まったら中に入って電話や電気、ガスを復旧して、さらに埋めて車が通れるように仮復旧する。

質問④

何日くらい掛かるのか。

回答④

埋めるのに最長3日。

あとは電気や電話を繋ぐなどの復旧の時間が未知数だが、さらにそこを上から埋めれば通行可能になる。

質問⑤

陥没を埋めるための流動化処理土を投入する量を増やして時間を早められないのか。

回答⑤

特殊な薬剤なので福岡市だけで一日に作れる量が限られている。

他都市に支援を頼んでも持ってくる間に固まってしまう。

全てこの薬剤ではなく、現在は他のものが使えないか検討している段階だが難しいかもしれない。

質問⑤

下の基礎がむき出しになっている建物もあるが、大丈夫なのか。

回答⑤

交差点沿いの建物は全て地盤まで杭が届いている。

計測しているが現在のところは時間が経過しても傾きなどは発生していない。

以上、2016年11月8日午後9時現在でのわかる範囲での情報です。

事案の重大性に鑑み、速報ベースでのアップとさせていただきます。

現場からは以上です。

(平成28年11月9日 水曜日)




2016年11月8日

銀行家と投資家の違い(私見ですが)

企業に対するステークホルダーとして、よく銀行と株主が出てきます。

両者は会社の業績にその投融資効果が左右されるという意味で同じ利害を持っていると見えがちですが、実はそうではないという話をしたいと思います。

銀行にとって、会社に成長してほしいという期待は実はそんなにありません。


それよりも、大事な大事な貸金を、一円の損もなく元本を回収したいというインセンティブを持っています。

何しろ貸し付けているお金は預金者の大事なお金なのです。

自分のお金ではないのです。

利子は少なくても良いのです。

高い金利が取れるのだから、少々の元本の毀損はOK!

という論理は銀行には全く通用しません。

100万円貸して、元本は90万円しか戻って来なかったけど別途利息と手数料で20万円もらったとします。

これはIRR(投資回収率)の考えで見れば10%の利回りで美味しい投資ですが、銀行屋はそうは考えません。

元本が10万円毀損したということを監督当局に申告すれば、同様同類の融資には全て10%の引当金を積まなければならなくなり、銀行の自己資本など簡単に吹き飛び取り付け騒ぎになるからです。

そういうわけで、銀行は極力元本の回収リスクを排除しようとします。


それは銀行イコール預金者の自己保身の当然の帰結なのです。

自己保身というととても世知辛いような書き方に見えますが、みなさんも、銀行にはお金を「預ける」と思っているでしょう?

この銀行に、「預ける」という形、消費寄託という考え方こそが、銀行に預けたお金がもどってこなくなることなどありえない、という銀行システムに対する無限の信頼に繋がっているのです。

誰も、銀行に自分のお金を「貸した」とはいいません。

普通、他にお金を渡す場合、それは売買の対価として渡すか、貸し付けるか、投資するか、そのどちらかです。

なのに、銀行だけは、自らの金庫のように「預ける」というのです。

銀行家にとって元本は絶対なのです。

その次に利息はそれは高ければいいけど、そんなには求めないわけです。

企業の成長は二の次、まずは元本利息の適切な支払いが大事ということなのです。

以上このすべては、これまで述べてきた「(みなさんのようないたいけな)預金者からの信頼」を守るためなのです。

つまんないですね。


そうです。

通常の商業銀行というのはつまらない商売なのです。

そのつまらなさが銀行に対する預金者の信頼につながっているのです。

投資家は違います。

自らのリスクで資金を張ることができます。

銀行家も投資家もやったことがある筆者からの私見を込めた説明は以上です。

(平成28年11月7日 火曜日)


2016年11月7日

鈴木商店というものすごい会社がかつてあった

かつて鈴木商店という大商社が日本にありました。

三井三菱を凌駕し、瞬間ながら日本のトップに君臨した総合商社です。

大番頭金子直吉が興して発展させました。

鈴木商店のオーナーの鈴木よねは、金子の博才を買っており少々の投機の失敗は意に介せずブルドーザー金子と呼ばれた辣腕に経営の全てを任せました。

1914年(大正3年)、第一次世界大戦が始まったとき、戦争はすぐに終結し戦争被害による影響で物価が下がるというのが大方の見方であったところ、鈴木商店は海外電報からの情報を駆使して戦況を集め物価は高騰すると読み、世界中で投機的な買い付けを行いました。

鉄、小麦、船などについて日本を介さない三国間貿易を始めるなど独創的な手法で売り上げを急拡大し、金子は「この戦乱を利用して大儲けをなし、三井、三菱を圧倒するか、あるいはその二つと並んで天下を三分すべし」と記しました。

恐ろしい商才とビジョンです。

そしてその全盛期、鈴木商店の売上は16億円(当時の日本のGNPの約一割)に達し、三井物産や三菱商事を遥かに上回ったのです。

当時のスエズ運河を通過する船の一割は鈴木商店所有といわれたものです。

台湾銀行との強力な関係を梃子に、ほぼ無尽蔵の資金供与を受けられる体制にあった鈴木商店は、第一次世界大戦での塹壕の土嚢も供与するなど世界中で羽振りを利かせ、この世の春を謳歌するに見えました。

しかし、鈴木商店の絶頂は一瞬でした。

第一次世界大戦後の反動で株価、工業製品価格、船舶運賃は軒並み下落します。

株式を上場せずに銀行からの借り入れのみで運転資金をまかなっていた鈴木商店は大きな打撃を受け、折しも関東大震災で大量の焦げ付きも被りもともとの経営体力で優位に立つ三井三菱にその取引領域をますます侵食されていくことになります。

ついに昭和恐慌のあおりで日本中の銀行に取り付け騒ぎが起こる中、後ろ盾であった台湾銀行という実質当局監督下の銀行も鈴木商店を見放し、実質的に急遽グループ傘下に収めてきた地方銀行では鈴木商店の巨体は支えられず、鈴木商店は事業停止、清算に追い込まれました。

その後、鈴木商店の関連会社の殆どは当時の商売競合であった三井財閥系列に統合されていきましたが、唯一、金子の部下だった高畑誠一を中心に鈴木商店の子会社本流だった日本商業会社を日商と改め再出発を図り、日商岩井、双日を経て今に至ります。

鈴木商店の流れを組む会社は他にも神戸製鋼所、帝人、太平洋セメントなど沢山あります。

財閥系を瞬間でも凌駕し世界に雄飛した商売人の溢れ立つエネルギーを受け継ぐ企業群です。

栄光なき天才たちだった金子直吉を始めとした鈴木商店のスピリットに、日本人の底力を感じずにはいられません。

我々もどうせ投資や事業をやるなら、夢を乗せたいものです。

三井三菱に入社できなかった筆者からは以上です。

(平成28年11月7日 月曜日)


2016年11月6日

地方「経済」分権という厳しい道

地方自治や地方分権が議論されるときに必ず地方側から提起されるのは、都会(特に東京)に若い労働力人口を取られてしまうという論調です。

確かに東京側が吸い取っているという面は否めませんが、地方側が彼らの職、食、食い扶持を確保できていないから若者は都会に逃げていってしまうということでもあり、既得権にあぐらをかいているように見える自称地元名士ほどその現実が見えていないようにも思えてなりません。

地方の疲弊が叫ばれて久しいです。

東京圏で生まれ育ったり生活をしていたりするとなかなか地方の実情について知ることは少ないです。

しかし、東京へは毎年地方から多くの若者が上京し、やがて東京圏に定住していきます。

なぜ住み慣れた故郷から移動し、そして何を得て、何を失うのでしょうか。

まず地方に残った場合ですが、例えばフリーター率は低いです。

それはフリーターになろうにもまずアルバイトすらないからという笑えない状況なのです。

求職者ひとりあたりの求人数を表す有効求人倍率に関しては常に全国で下から数えたほうが早い地方では、公的援助や公共事業や米軍基地などに雇用を頼る構造です。

ある地方の市内の職業安定所に行けば、求人票にコンビニエンスストアのアルバイトの求人票が貼ってあります。

それくらい仕事・雇用がないのです。

さらに加えて過疎が叫ばれる地方になりますと、例えば原子力関連と医療、基地に関する仕事ぐらいが安定雇用で、その中でも一番収入が良いとされているのは地方公務員です。

東京圏の人からすれば、地方公務員になるのは高い収入を得るためというより安定を求めてという側面が強いと思いますが、例えば東北最北端に近い県では最も給与の高い職業が公務員というそれ自体生産性がない業態なのが現状です。

そういった仕事のない状況だとやはり他の土地に出て仕事を求めるしかないわけです。

ざっと地方では大学・大学院卒の若者の約半数が進学や就職を機に東京か大阪へ出ています。

大卒の子たちには経済的利益が見込めるでしょう。

しかし、高卒の子たちに関しては、移動による経済的利益は比較的少なくなるでしょう。

もちろん、地元にいてはできないような若干レベルの高い仕事(機械組立など)を東京では経験できる可能性はあります。

デメリットとしては故郷を離れることですが、一見、東北の若い子たちは、東京で孤立して暮らしているのではないかと思っていたところ、実際には、東京に出た地方出身の若い子たちの半分くらいがすぐ会える範囲に友人がいると答えているように、そうでもないという現実があるようです。

実際東京は田舎者の集まりなのかもしれません。

特に東北地方の方々にしてみますと、彼らにとって唯一の、そして最大かつ最短の都会は東京一択ということになり、特に都市圏を「考慮」する必要がありません。

この点、関西圏や名古屋圏といった別の都市圏を考慮に入れることができる西日本や九州四国の若者より悩みが少ないのかもしれません。

以上のように検討してみますと、地方も都会もそれぞれの事情によりうまく役割分担をしているというものではないでしょうか。

地方とか都会とか無理して切り分けて、議論をややこしくしている嫌いもあるように感じます。

地方のよいところと、都心の良いところ双方を享受しながら働き暮らす、今はそんな生活拠点を2箇所持つ「デュアルライフ」という生活形態も出てきているようです。

これは、従来の本宅と別に避暑地としての別荘を持つ、というライフスタイルではなく、仕事を自らの力で切り開いていける自由な立場の自営業者やライター、デザイナーの方々では、今密かにブームとなっているようです。

確かに、創作活動を行うために自宅を出てカフェや食堂をはしごするというスタイルならば、別にオフィスなりアトリエなりを自分で持った方が安上がりなのかもしれず、いちいち並んでコーヒーを買わなくても席が確保できるのであれば、そちらの方が数段クリエイティブに過ごせそうです。

地方経済からデュアルライフまで話が飛びましたが、まずは自宅の掃除から始めたい筆者からは以上です。

(平成28年11月6日 日曜日)


2016年11月5日

お金で時間と経験を買うということ

お金を借りるということは、大企業のM&Aだけの話ではありません。

お金を借りて「動く」というのも時には大事です。

人生において勝負の時というのは間違いなくあります。

上場企業の社長が臨時ニュースで何兆円規模の会社を買収したりするニュースを見るとお金を借りて買い物するということは「時間を買うこと」なのであるということです。

ただそれは無駄な買い物であってはならないのです。

そこは買い物の共通点です。

真に必要なものであれば、少々高くても仕方ありません。

無駄なものを買ってはいけませんが、その時間の金利分を乗っけて買ったと思えば安いものです。

そういった人生の勝負の分岐点は結構多々あるものです。

ですがほとんどの普通の人はそういった勝負を意識的に避けています。


学生の頃はお金がないが時間はある、新卒になって働き始めて小金は出来たが覚えることややりたいことが多すぎて結局何もできずに過ごしてしまう。


私も、お金を借りてでもをしておけばよかったなと思うことがあります。


学生の頃、もっと旅行に行っておくべきだったということです。

若い時の旅は買ってでもせよ、若い時分に行く事にこそ効果があったのではないかと思うのです。

学生であれば少々の粗相も優しく許されたかもしれません。

このブログでもよく海外のどこにも行ったことがないと自虐的に書くこともありますが、色々な経験を積んでいればよかったと少し後悔しているのです。


お金をいざ使うべきときに使うのだというわけではなく、ただなんとなく本当にちょっとした遊興費や生活費といったあまり記憶にないことばかりにいつの間にか使ってしまうのです。

そんな、無駄遣いをして足りなくなってお金を借りてしまうのは寂しいことです。


できればやりたいことを先に出して借りて行きたいと思います。

ニューヨークに行きたいか〜というクイズ番組が大好きだった筆者からは以上です。

(平成28年11月5日 土曜日)