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2017年1月31日

買い手がいなくなって国債の利回りが急に上昇するリスクが高まります



少し前の話ですが、欧州通貨危機という問題が起こりました。

通貨ユーロを離脱せず、厳しい財政再建の選択を行う結果となった、金融危機下にあったギリシャの再選挙の効果により一旦落ち着いた欧州マーケットでしたが、そのままではおさまらず、さらに周辺国に波及したのです。

債務危機に陥っているとされる他の国の国債の利回りも急上昇(価格が低下)し、10年物国債は「持続的な財政運営が困難になる」と識者らが言っている7%台を超える水準になったのです。

そうなりますと、世界の金融市場では再度、拡大する欧州債務危機への警戒感が高まり始めました。

ラテン系国々の10年物国債利回り(標準的な国債)が5-7%という、金融緩和をしているにもかかわらず国債が売れないのです。


国債の買い手がいないと利回りは急上昇する


国債の利回りが高すぎる、ということは、その国債について、それだけの利息を付けなければ引き受け手がいない、ということであり、上記の水準は比較すれば非常に高い水準です。

100万円借りたら、毎年利息だけで5-7万円の財政負担なのですから。

さて日本国債は日銀のマイナス金利政策もあり、1%をはるかに下回る利回り水準です。

国内の金融機関(銀行など)が国債を引き受けてくれているわけでまだ保っていますが、如何に欧州の現状が厳しいか、そして対岸の火事ではない、ということが窺い知れましょう。

国内の金融機関にお金を預けているのは我々国民が主であり、その国民の信認と余力が尽きれば、国債の金利急上昇という最悪な状況を招きます。

日本は、長期債務の対GDP比で言えば、先進諸国で最も高いのです。

つまり企業で言えば売上(GDP)の2倍もの借金を抱えている国、ということなのです。

借金を一定範囲内に抑えながら景気を浮揚させて人口減少を食い止めなければならない。

21世紀の先進国は共通したそんな悩みを抱えているのです。

もう新年が明けて12分の1が経過しようとしております。

そんな2017年1月の月末日からは以上です。

(平成29年1月31日 火曜日)

2017年1月30日

「議員定数削減」という公約公党間の合意は葬り去られたのでしょうか

退任したオバマ大統領

平成29年1月20日現地時間9:00、米国第44代大統領であったバラク・オバマ氏の任期が終了しました。

お疲れ様でした。

さて、目を少し前の我が国に転じます。

去る平成26年11月21日に衆議院解散の詔勅がなされました。

天皇の国事行為でも最大重要な一事である衆議院解散とは、いわば衆議院議員全員の首を一斉に切るという激しいことになります。

国民に消費税増税を迫る以上、国会議員も身を削らなければならない。そのために歳費2割の削減、衆議院比例定数の40人削減、これを今国会もしくは次期通常国会で必ずやりきることを約束するなら解散時期を明言し明後日解散しても良いと迫った当時の野田首相には気合が入ってました。


党勢の急速な求心力低下及び退潮著しい現状においては、精いっぱいの結構な戦略だと思いました。

もういつ選挙をやっても(当時の)民主党は負けるのは自明だったような気がします。


であれば議員定数を減らすことで大勝するはずの自民党に打撃を与えておくという作戦です。

自らの民主党からも離党者が相次ぐでしょうが、選挙互助会の如くどこに与しようかはたまた自身で新党結成かなどと右往左往している勢力も覚悟を決めて行くでしょう。

そうすれば民主党は良い意味で純化され、今度こそきちんと政党としての綱領や方針を持った野合ではない政党として生まれ変わったのかもしれません。


当然野党に転落しますが、50人も衆議院議員がいれば新生民主党の再生はできるし、自らがその新生民主党の盟主になるという野田首相の最後の意地だったような気がします。

意外と、民主党に推戴された中では骨のある首相だったのではないでしょうか。



衆議院解散時の約束


さて解散時の約束ですので議員定数の削減もしっかりと水面下で進んでいることを当時は期待したのですが、どうやら選挙が終わってしまったら選挙民は奴隷に戻るという格言にもあるように、議員自体の活動での議員減は、期待薄のようです。

この点、ルソーの「社会契約論」には、

「(選挙制度の発達している)イギリス人民は、自分たちは自由だと思っているが、それは大間違いである。彼らが自由なのは、議員を選挙するあいだだけのことで、議員が選ばれてしまうと、彼らは奴隷となり、何ものでもなくなる。自由であるこの短い期間に、彼らが自由をどう用いているかを見れば、自由を失うのも当然と思われる。」

という文があるようです。

わが国も本格的な人口減の時代に突入しております。

消費税の再度の引き上げも先送りされたこととは関係なく、最も権威ある国民代表たる議院や議員自体の地位についての改革も、待ったなしの状況に至っていると思います。

就職試験でも採用面接でも、定数枠すれすれで合格したであろう筆者からは以上です。

(平成29年1月30日 月曜日)

2017年1月29日

三分法といって株式債券不動産に分けて投資する方法を少し紹介します



投資の三分法、という考え方があります。

株式・債券・不動産というメジャーな投資カテゴリを配分よく適度にミックスさせて、安定したリターンを狙っていこうという考え方です。

手持ち現金を含めると四分法なのでしょうが、こちらはあまり言われませんね。

世の中の金利が下がれば債券価値は上がりますが景気が減速しているということで株式にはネガティブな動きとなります。

この場合、一般には借入金の金利も低い ということで不動産にとっては前向きな指標となります。

もちろん企業の調達金利も下がりますのでいずれは株価の下落も止まると思います。

このように景気は 循環していくのが通常の経済論理ですが、ここ25年は金利は下がりっぱなしのデフレ状況なので、今を生きる我々は通常の経済論理がよくわからなくなってき ています。

次に金利が上がれば債券価値は下がりますが株式は景気浮揚により一般には上がります。


不動産はまた違った動きを見せる


不動産は高金利には弱い資産と言われており、これは金利の上昇分を賃料に転嫁しにくい、ということから来ているのですが、逆に金利が上がりインフレ気味になると、供給量が限られている不動産の賃料ではなく価格のほうがそれにつれて上がる傾向にあるので、インフレ防止には強い資産ということができます。

かように、金利の上下のみでもさまざまな投資カテゴリごとの価格上下が想定され、また現実の世界は理屈より複雑怪奇であるため、将来の安定したリターンを少しでも享受しようと、多くの手持ちがある投資家はかような分散投資を進める傾向にあります。

さて筆者ですか?

私は立派な零細投資家なので黙ってドンと「自分への投資」この一点買いです。

冗談は以上です。

(平成29年1月29日 日曜日)

2017年1月28日

頭と尻尾はくれてやれ(相場格言から2017年の株価を読み解く)



有名な相場格言です。

「頭と尻尾はくれてやれ」

頭は最高値。

しっぽは最安値のことです。

特に持っている株が急激に上がり始め、いつ利益確定 をしようかワクワクしている瞬間を思い浮かべましょう。

いつまでこのフィーバーが続くのか?

上昇波動はいつまで続くのか?

わくわくしながらも不安でいっぱいです。

一般的に、ある株や業界が人気化した場合数日はそのトレンドが続きます。

しかしこれも相場ですので、次第に売って利益確定をしたいと考える相場参加者も増えていくにつれて、値動きがだんだん鈍くなってきます。

どうも上値を追いかけないなあという感じがしたときが潮時です。

もう少し上がる余地は残っていると思いますし、現に高い値段での指値をしていたら今の株価よりもう少し高く売れることも時にはあるでしょう。

しかしするすると値を下げだしてからでは遅いのです。


なにごとも、終わらせるのが難しい


株に限らずものごとは手仕舞うのが最も難しいのです。

頭と尻尾は相場にくれてやれ。

最高値で売れる人なんてごくわずかです。

野球でいえばサダハル・オーやヒデオ・ノモといった才能と努力を必要とする神業の領域です。

または完全試合を達成するくらいに難しいのです。

我々はそこから下の凡人でも到達できるレベルの最上を狙いましょう。

これで十分あなたは相場で勝つことができます。

下がり相場を狙う場合も同様です。

下がりきったその近辺で仕込むのが最上ということになります。

何も最安値で買う必要はないのです。

ししゃもは頭から尻尾まで食べる筆者からは以上です。

(平成29年1月28日 土曜日)


2017年1月27日

アメリカ株はなぜこんなに高い水準になったのかを勝手に考察します

株価ボート(東京市場)

(少なくとも年を入れておかないと、後で読み返した時に何時書いた記事かわからなくなってしまうため、2017年1月の記事と前置きします)

2017年も始まり月末に近づいていますが(もう新年も12分の1が過ぎようとしています。年初に立てた目標をそろそろ実行しないとこのまま1年終わってしまいそうです)、国としてものすごく異能な大統領を選出したり、かつては財政難から国としての機能停止を行ったり、上院下院大統領府のねじれ問題が本家の日本をはるかに上回って激しいものであったアメリカ合衆国ですが、ここにきて、空前のダウ平均株価20,000ドルという高水準に達しました。

20,000円ではなく20,000ドルです。

のではないかと思われるアメリカですが、ダウ平均株価はなぜこんなに高いのでしょうか。

具体的には、リーマン・ショックの前につけた最高値14,198ドルをはるか下にみて、20,000ドルを超える水準で推移しているのです。


株高の「合理的な」理由をいくつか挙げます


世間で言われている「合理的な理由」として以下大きく2つです。

まず、経済がリーマン・ショック後確実に回復しているということです。

各種経済指標からも、若干時間はかかりつつも経済回復は進んでいます。

確かに金融不動産バブルという状況もありましたがそこが健全に調整されていると見られます。

確かに、アメリカ合衆国全体で見ますとまだ人口も増えており、しばらく世界第一位の経済大国の地位は安泰なようです。

そして、もう一つは矛盾するようですが異例な金融緩和をまだまだ継続していることです。

本来ならば、経済が好転したならばこうした大盤振る舞いの低金利・マネーサプライの増加といった金融緩和政策は転換させて、インフレ防止のための金融引締めが必要だと思われるのですが、景気腰折れを懸念するマーケットの声に遠慮してなかなか金融緩和の出口戦略を定められず、またFRBの現在の議長もインフレ懸念派の論調が敬遠された結果、現在の金融緩和を継続する方針を持つジャネット・イエレン氏が大幅な緩和政策を引き続き維持しています。

米国政府の信用力に過大に依拠したこの世界的な株高については、近いうちに修正が入るのではないかと筆者は考えておりますが、さてどうなりましょうか。

いつもながら経済や投資業界の見立てはことごとく外す筆者ですが以上です。

(平成29年1月27日 金曜日)

2017年1月26日

今の東京中心の我が国の原型を辿ると小田原北条氏に行き着くという話

小田原城

我が国400年ほど昔、関東平野は牢人(浪人とも書き今ではこちらが主流ですが)北条早雲を始祖とする後北条氏が小田原城を居城として4代100年に渡り最大版図240萬石を支配する地でした。

因みに当然正式には単に「北条氏」ですが、歴史の先達に代々鎌倉幕府の実質的頭目として執権の地位にあった「北条氏」がいて直接の関係はないことから、便宜上後代の史家が両者を区別するためこちらの伊勢平氏の小田原北条氏には「後」をつけるようになったそうです。


領国経営の方法は極めて合理的かつ組織的官僚的

この後北条氏は、内政統治に優れた大名として北条早雲以来、日本史上最も低いと言われる四公六民の税制を行い、大規模な検地を定期に実施し歳入管理を徹底し、在地の豪族・国人に徴税実務を任さずこれによる中間搾取を排除し、そして飢饉や戦乱の際には効果的に減税を行うといった、極めて公正な政治を行い、もともとの関八州の地味に富んだ地政学上の地位にも助けられ、安定した両国経営を実現したということです。

因みに農耕技術の発達により、関東ローム層という富士山火山灰が降り積もった地での農業生産もこの頃になると上がってきたようです。

その政治のやり方としても、早くに合議制による効果に着目しており、家督相続においては正室を重んじ廃嫡騒動や家臣団の派閥化を防ぎ、意思決定においては定期の小田原評定による議論や虎の印判による官製文書など、室町幕府由来の極めて精度と効率の高い官僚制度を持っていました。

まるで昭和後期の高度経済成長を成し遂げた日本の原型を見るようです。

しかしそのような戦国時代に保たれた100年の平和も、京の聚楽第を本拠に、西は九州まで制覇し尽し東北宮城の伊達氏も配下に収めた豊臣秀吉によって侵されることとなります。


小田原城が降伏するまで落ちなかった忍城(おしじょう)


この小田原攻めの中、後北条氏の数多ある支城の中に、北条方成田氏が籠もる「忍城(おしじょう)」がありました。

沼地に浮かぶ城はまさに浮き城に相応しい威容で、秀吉は、本拠地小田原に次ぐ兵力2万人を、功臣石田三成に命じてこの忍城に差し向けます。

理財(後方補給)には功のある三成に、武功を立てさせ家臣団の嫉妬を黙らせたいという秀吉の余計な配慮と、理財に比してどうも軍略に素養のなかった真面目人間石田三成により、忍城攻略戦の幕が切られます。

結果、城に籠もる成田正親以下農民兵含めて3,000人を攻略できないまま、小田原の本拠のほうが先に陥落して戦が終わるわけですが、ここで豊臣軍が忍城を落とせなかったのは、三成自身が認めるように自身の軍略の欠如が決定的要因と言えましょう。

しかし、それでは後世に残る物語にならないのではないかと思うのです。


強いものがただ勝つのはつまらない


強い者がただ勝つ、というそれだけの世の中は何とつまらないものか、という成田長親の命を張った「正直な気持ちに沿った覚悟」が軍略を超越したという方がだんぜん面白いのです。

三成は勝って当然、天下人の戦いをしようなどと勝者の奢りに満ちている。

守る成田側は、領民総出で城に立て籠もり、一泡吹かせようとエリート軍団を迎え撃つ。

緒戦に手痛い負けを喫した三成は、備中高松で秀吉に見せられた水攻めをしたいと言います。

これは合戦による手柄を奪うことなので諸将の士気はますます下がり、結局三成は部下からソッポをむかれていきます。

逆に成田長親はおのれの命をかけて百姓の心をつかみ、堤防を決壊させます。みんな命をかけて戦っているのだから、これは大きな差になります。

三成はその後関ヶ原で敗走、京都六条河原で斬首、一方成田正親は68歳まで生きたそうです。


小田原北条氏の領国と経営制度はそっくり江戸幕府がいただいた


さて負けた成田氏ですが、その家中の多くは新たな関八州の首領となった徳川家康によって高禄をもって召し抱えられたそうです。

さらに後北条氏が持っていた官僚制度の多くをそっくり受け継いだ徳川幕府が、それまでの日本の首府の地位を、京から江戸(そして明治以降は東京)に移したのです。

今日も、都の地位は京都御所ではなく千代田区丸の内の皇居にあります。

そう考えると小田原北条氏は、今の東京を中心とする日本の原型を作ったといえるのではないでしょうか。

そんなことを考えながら関東平野に思いを致した筆者からは以上です。

(平成29年1月26日 木曜日)

2017年1月25日

20世紀は人口爆発の世紀、21世紀は世界人口が減る世紀となるか


国連の「世界人口白書」によりますと、2011年10月に世界人口が70億人に到達したと推計されています。

世界人口が50億人に到達したと推計される1987年7月11日を記念して、国連人口基金ではこの日を「世界人口デー」と1989年に制定しています。

50億人から70億人に増えるのに実質20年間しかかからなかったわけで、この爆発的な伸びが如何にすごいものかわかります。

人類の誕生は約20万年前ですが、18世紀の産業革命以降に世界人口の増加ペースは急速に高まってきました。


そして、20世紀に人類は人口爆発と呼ばれる人類史上最大の人口増加を経験したのです。

国連の推定では19世紀末の1900年におよそ16億人だった世界人口は20世紀半ばの1950年におよそ25億人となり、20世紀末の1998年には60億人にまで増加したそうで、特に第二次世界大戦後の増加が著しいです。



21世紀後半には人口減少の世界となる


ここまでは爆発的な人口増加ですが、どうやら21世紀になりその成長スピードは急激に鈍化したようです。


教育の高度化と長期化などで、多産が減少し、2~3人程度の子供を持つのが一般的になり生涯独身も珍しくない今日の世界では21世紀末の人口は90億人をピークに下降に転じると言われているのです。

世界的な少子高齢化、そして人口減少の世界です。

人類は経験したことのないステージに入ることになります。
その時は、確実に迫っているのです。

不思議な時代にいきていると日々実感する筆者からは以上です。

(平成29年1月25日 水曜日)

2017年1月24日

2013年のアメリカの債務上限引き上げ問題にみる拡張財政への警鐘



2013年に、アメリカの債務上限引き上げ問題が勃発しまして、一時は解決の糸口がつかめないままチキンレースの様相を示してきたのは記憶に新しいところです。

周りは早く解決してほしいと思っているはずなのに、なぜ意図ぜざる方向に物事が進んだのでしょうか。

まず、アメリカで法案を法律として成立させるには、国民投票で選ばれる議員で構成される下院と上院の双方が独立してそれぞれ可決して、その上でさらに国民投票で選ばれる大統領が署名する手続が必要があります。

そして2013年時点においては、大統領職と上院は民主党が支配していますが、下院は共和党が過半数を占めていたのです。

そして、国会議員に限らず議員というのは通常自分の所属する政党が決定した方針に従って集団的に(没個性的に)行動します。

これが党派主義といって普通の姿です。

個々の議員にとって普段は党の意向に従って振る舞うほうが、党の今後のサポートも受けやすくなりますし、次の選挙で推薦を貰い票を上積みし議席を維持できる可能性も高まるのですから。

下院を支配する共和党は連邦政府予算の圧縮を唱えています。

もっとも金食い虫なのが社会保障給付など、今後も長期にわたり雪だるま式に予算を食いそうな危険性があるところ(要するに日本の社会保障費や医療費のようなもの)の削減を厳しく主張しています。

一方上院で過半数を握る民主党はこうしたオバマケアという一連の政策で実現しようとする年金生活者・身体精神障害者・低所得者層などの保護と再チャレンジは譲れない一線だと考えています。

両者とも、その政党の「色」を決定付けるコアな価値観のところで真っ向から対立しているわけですから、個々の議員の行動としては天晴れなことなのです。

合理的な行動なのです。

それぞれの政党の支持者も応援しています。

こういう状態では、共和党が支配している下院から出された共和党寄りの法案は上院の民主党多数派で潰され、民主党が支配している上院から出された民主党寄りの法案は下院の共和党多数派で潰されることになり、結局何も決められないまま時が過ぎていくということになります。


2017年トランプ大統領の主張する政策は実現可能か


法案や予算が早期に成立しようが、実は議員が得るものは少ないのです。

これが、政治の安定を願う投資家と根本的に利害を異にするところです。

しかし、党派主義的な行動が「もはや得策ではない」と感じられる瞬間が迫ってきた結果、それぞれの主張に妥協する形で、債務の上限は引き上げられたという経緯があります。

さて2017年1月に就任しましたトランプ大統領は、これまでの共和党出身の大統領とはだいぶ異例の大統領のようで、債務削減というより財政出動の大盤振る舞い、壁を作ると言った公共事業礼賛の姿勢、加えて国民に対しては大幅な減税を打ち出すというまさに魔法の杖のような政策を引っさげてきています。

このような何でもOKという政策が一体実効性があるのか、いつまで続くのか、筆者としては非常に注目しています。

世界的な少子化時代はもうすぐ来ていることをひしひしと感じずにはいられない筆者からは以上です。

(平成29年1月24日 火曜日)

2017年1月23日

コンビニ商品単価が駄菓子屋並みの限界に挑戦しているという話


最近のコンビニチェーンには単価10円の商品が登場しています。

昔懐かしい駄菓子屋に売っているような、うまか棒やフェニックスガムや千代田チョコなどです。本当に10円(税込)で売っているのかと思いましたが確かに10円でした。

さすがに1品だけ買うのは恥ずかしいと思いましたが、意外にそれだけ買っている人もいるので驚きました。

これは、デフレが進行してここまで商品単価が低いものが登場したのかと後ろ向きに考えることもできますが、筆者は前向きに捉えたいです。



販促と考えれば計算は合う


つまりこの単価ではさすがに利益は出ないものの、下手な販促をして余計な経費を使うよりうまか棒を買ってくれる顧客を店内に引き入れたほうが店が活気づくし、ビールや牛乳やたばこのついでにこれらの駄菓子を買ってくれることをコンビニ側は期待するということなのでしょう。

確かにこのような商品は、この言葉だけでほとんどの中高年男、この層は意外にもコンビニの主要顧客ですが、理解しうる魔法のブランドです。


コンビニが品ぞろえの中に引き入れたのも頷けるところです。

立ち読み主流の筆者からは以上です。

(平成29年1月23日 月曜日)

2017年1月22日

テザリングに見る通信サービスの劇的な進化を追ってみる


テザリングという通信のイノベーションが進んでいます。

テザリングとはそれまで携帯電話といった単一の通信機器でしかなかった端末を、あたかも小型無線局のように利用し、周辺のPCや別の携帯端末にもその通信機能を享受させようとするもので、要するに無線WIFIルーター機能が、独立して携帯スマホに搭載されてきたものと理解すればよいです。

この既に存在する機能「のみ」を取り出して新しい言葉を与え、あたかも全く新しいサービスが登場している的な宣伝をして情報の少ない利用者に購買させようという手法は、最近の業界であるほど顕著な傾向のような気がします。


しかし、通信業界はベル電話から200年経過しようとしている老舗業界なのですから、もっと商品サービス本位の宣伝をお願いしたいと思います。


かのテザリングにしても、携帯電話にWIFIルーター機能が付いたサービスといえば「ああ付加サービスの名称なのだ」とわかるのではないかと思います。

そもそもそうした機能であることすらあまり説明されていないので、端末の名称かと思っている人も多いです。

考察を続けます。


私は、テザリング端末が出まわるということは、それまで単体で売れていたWIFIルーターが売れなくなってしまうということなので、キャリア側はわざわざわかりにくい呼び名にしているのではないでしょうかと思うに至りました。

それまで3Gという「あまり速度が早くない回線」が不便だから、別に高速回線WIFIルーターを持ちましょうという宣伝で2つの端末を売り込んでいた携帯ショップや家電量販店にとっては、2つ売れるのが1つになってしまうのでこれは困った話なのかもしれません。


シェアすれば、実は一人一台いらない


もっと考察すると、現在のWIFIルーターやテザリング機能は同時10台以上接続など当たり前ですから実は1人1台持つ必要などないのです。


友人間・家族間で貸し借りすれば、また同じ事務所なら1人が1台持って、それで10人が接続しサービスを受け、その1名に対して残りの9人は時々昼食でも奢れば用はすんでしまいます。

このような傾向は、カーシェアリングといった形が普及しつつある車の世界でもあります。


レンタカーではなく、カーシェアとなります。

共有という考え方によるコスト削減方法です。
もはや売り手の思い通りに消費者が購買行動をするという時代は終わりました。

そのことに早く気づいた者が、時代の経済社会の主役となるような気がしてやみません。

賢い消費者になるのは、賢い投資家になる近道です。

人類はお金を生み出し専門化と分業を追求し文明を進めてきましたが、ついに原始共産制に戻りはじめたのかもしれません。

頭の中が繋がっておりませんでなかなか記事はかけない筆者からは以上です。

(平成29年1月22日 日曜日)

2017年1月21日

終末期医療を考える(これからの世代にそのお金を回せないか)



これは、なかなか文字に出して簡単に言える話ではないものなのですが、あえて申し上げます。

いいかげん高齢化社会で医療費がたくさん掛かるのに、今のままでは良くないのも分かりきっているのに、やるべき高齢者医療負担の通常化を選挙の都合で進められないというのを止めて貰いたい、ということです。

健康で長生きして頂きたい、長生きしたいというのは国民皆の心からの願いです。

筆者だって長生きしたいです。

しかし終末期の過剰医療はもう止めにしたいと思うのです。

長生きはして欲しいし、したいと思っています。

でもチューブだらけで寝たきり意識も無い状態を生きているといえるのでしょうか。

それはただ死んでないだけの状態ではないでしょうか。

私は心の冷たい人間かもしれません。

しかし人生の最後の3日間くらい、子や孫や後輩たちの人生のために捧げても良いのではないでしょうか。

元気なころの3日間ではなく、チューブ入れられて意識も朦朧としてほぼ何も考えられないであろう3日間ならば。


医療は必要とする世代に公平に


病院は高齢者の公民館ではありません。


健康保険料を最高額払っても健康診断だけやっている現役世代の方々の身にもなってほしいと考えています。

隗より始めよと言いますので、私は終末期医療はできるだけ受けないことにしたいと考えています。

むしろ、その時がくるまで、悔いなく精一杯生きてやろうと思っています。

世界的にみても、高齢者だけによる高齢者だけに偏った政治になっているのは国民全体として悲しいことです。


若者や現役世代が選挙に行かないことにも原因の一部はあります。

しかしながら、そもそも、生まれてこなかった若い世代を野放しにしてきた結果、新生児年間100万人割れという抜き差しならない状況に今の我が国は来ているということも直視しなければなりません。

皆さん払っている税金や社会保険料がどう使われるか、その意思を示すため選挙に行くなり声をあげるなり、少しづつ考えていってほしいと思います。

ピンピン長生きして、死ぬときはコロリとはい左様なら、といきたい筆者からは以上です。

(平成29年1月21日 土曜日)

2017年1月20日

自家用車に減価償却の考え方を導入してみましょう(易しい経済の話)



よく社会人になると会社のゴルフコンペに行く時などに複数で車に乗りあわせて行きます。

そこでは高速代プラスアルファを乗り合わせる人数で割り勘するのが普通なのでしょうが、厳密に申し上げますと、運転するという労働を考慮に入れなくても、これでは自家用車を供出している人が割負けることになるのです。

具体的に試算してみましょう。

車の前提を、新車1,000,000円、走行距離12万キロ、乗る期間は10年、車検は2年に1回12万円、税金は年4万円、保険は年4万円、とします。

この車を10年間、12万キロ乗り続けて乗り潰した場合、ガソリン代や高速代を除いてかかるすべてのコストは下記のようになります。


1,000,000円+120,000円×5回+40,000円×10年+40,000円×10年
=2,400,000円となります。


これで12万キロ走りますから、
1キロあたりの費用は、20円/㎞となります。

結構高いと思いませんか。100㎞乗せてもらったら2,000円をガソリン代や高速代金とは別に貰わなければ割に合わないということなのです。

しかし、タクシー代には人件費も含まれていますが、これを除いた車の減価償却費用などの固定費が入っていると考えれば妥当な金額なのです。

車を持っているということの隠れたコストを認識するのによい考え方ですので覚えておきましょう。


車は持っていない筆者からは以上です。

(平成29年1月20日 金曜日)

アメリカ大統領トランプ就任の日に寄せて

2017年1月19日

喫煙者お断りの職場や契約について(サービスや労働環境の細分化)




みなさんが生命保険に入るとき、禁煙者のほうが喫煙者よりも安い保険料で同等のサービスが受けられるというのがあります。

これはこれで該当される方は大いに利用されたほうが賢いですが、今回はこんな小さな話ではなくて、就職できるかできないかという話にまで事は大きくなって来ました

星降るホテルグループこれは日本の和のもてなしを提供するという地方旅館の立て直しで最近注目される旅館事業者で、京都などにも宿を持っておりファンも多いですが、ここの従業員採用のページが話題です。喫煙者は採用しません、採用する際には禁煙を誓ってもらいますという社長自らの宣言での徹底ぶりです。


分煙・嫌煙の流れが加速し、喫煙者は肩身の狭い思いをすることも多いですが、これはれっきとした採用側の理屈があっての話ということになっています。


曰く「企業競争力を弱めることから、喫煙者を採用しない」。


その理由は3つです。


喫煙しない者を採用する理由


煙草中毒症状によって集中力を維持できなくなることが結果的に社員の潜在能力を低下させ作業効率低下を招くことを防止すること。

次に少しでもスペースがあるなら顧客へのサービスに当てるべきである旅館事業において、従業員の喫煙場所の確保や投資は施設効率の低下につながり認められないこと。

ダメ押しに喫煙者だけに頻繁な休憩を認めると非喫煙者の社員に不公平であり非喫煙者に説明できない職場環境上の理由となっています。

以上のように厳しい雇用環境である旅館業(人件費の比率が大変高い)において喫煙者を採用することの不利益を人件費の圧迫という理屈で提示しているのです。


人件費抑制のための苦肉の策とも取れなくもないですが、この点確かに、筆者も非喫煙者で喫煙者だけがなぜか就業時間内にタバコ休憩を取れるのはおかしい、だったら非喫煙者がアイスクリームやパフェ、ドーナツ、お菓子などを専用個室で業務時間中に食べるのも認めよとまではいいませんが同じようなことを考えていた口でもあります

何故嗜好品で煙草だけが特別な地位を占めているのか、これは煙草と人類の長い歴史を紐解いて行かなければならない重大な問題です。


同じように酩酊状態になるのでは変わらない酒類の摂取については、厳しい周りの目があるのに考えて見れば変な話です。

これも時代の流れなのかもしれません。ただし、客として同旅館に宿泊する方は、この話を聞くと少し肌寒い気もするかもしれませんが。


(平成29年1月19日 木曜日)

2017年1月18日

IT業界というより製造業に先祖返りしているのではないかという仮説



物理的なモノとITの関係について以前からとても気になっています。

ともすればITこそが世の中のすべてだと考える人がいます。

特に、金融や知的サービスの提供者として(時には相場師として)働き、毎日書類とPCだけをいじっているホワイトカラーと呼ばれる存在はそう誤解するかもしれません。

ネット民とよばれる自宅警備に余念なく、社会とはPCやスマホの窓を通じた先にしかないと思っている一連の民族も、そのたぐいなのかもしれません。

しかし、やっぱり我々は明らかに物理的存在であり、自然から与えられたものを食べ続けなければ死んでしまうというのが現実なのです。


手塚治虫の火の鳥やブラックジャックに、体中コンピュータや臓器移植で何百年も若く生き延びた人間というのが出てきますが、最後はその人格記憶そのものを司っている脳自体が老化や放射能汚染によりやられてしまうという話があります。

人生とは儚く虚しいものです。

インターネット自身のインパクトよりも、インターネットを利用して、決定的にモノの作り方が変わろうとしているということを直視するほうがより開明的な見方であると思います。

現実のモノの作り方が変わるほうが、ITそれ自体の変化よりはるかに大きく急速で、インパクトがあることなのです。

20世紀型製造業ではとても大きいロットでしかモノを作れませんでした。しかし、21世紀型製造業はとても小さいロットでもモノを作れることを多くの実例が示してくれます。

そして、個人ですら製造を簡単に発注することができます。


卑近な例では、キットカットのラベルや風船ガムのパッケージも自分で注文できます。

何かの景品での利用が主でしょうがこれも立派な個人発注です。

その方法は、アウトソーシングしたり自分たちで3Dプリンターで作ったりいろいろあると思いますが、とにかく個人個人で考えて実際に作ることができるのです。


製造業が身近な自分ものになるという世界


製造業が自分のものになるのです。

そうした自分で作るハードウェアの未来がいかに大きいか、これから証明されると思います。

そうなると在庫の概念や工場の概念が変わります。

モノを作ることで起業したいという人はこの考え方を頭に入れるべきです。

学者の未来の予想ではなく、今すでに動いている現実の実例なのです。

ニッチビジネスは想像以上に大きく、顧客にすぐ好きな量を適時適当を提供するというのは古くはラーメン屋などの外食産業のようにいろいろあるということです

日本人はよい会社員になる教育しか学校では受けません。


起業の方法は一般的には秘密というより千差万別です。

すぐにベンチャーキャピタルだ資本だなんだでお金を借りないといけないと思い込み、やはり好きな仕事で食べていくことはできないと思い込んでいます。

しかし、自分個人が手軽にやってみて個人がメーカーになり世界中に売ることは思ったよりも簡単なのです。

筆者個人は、船のオーナーになる船主ビジネスや造船業に興味をかきたてられています。

披露宴の余興のためのコスチュームくらいしか、このようなファブリックな製造工程に発注したことはありませんが、これも立派な製造業だと思っております筆者からは以上です。

(2017年1月18日 水曜日)

2017年1月17日

ファンダメンタルズ分析とチャート分析(投資分析の話)



投資にはファンダメンタルズ分析、というのがあります。

経済の実態に即して判断しようとする、いわゆる「まともな」アプローチです。これは結局長期的には市場は妥当な評価(株価)を示すはず、という予定調和理論を基礎にしています。

予定調和理論などというとなにか難しいように思えますが、ごく普通の考え方です。


チャート(罫線)分析という手法もある


しかし、これに真っ向反対する「チャート分析」という少しばかり呪術的ともいうべき方法もあります。


過去の株価のトレンドから将来の株価の予想を行う、その株の会社の経済状況や取り巻く環境などには敢えて背を向け無視して投資を行います。

したがって、とにかく社歴が長くて生き残っている会社、将来の生存可能性が高く流動性が高い株、ということになります。

こうした特徴を持つ会社は当然ファンダメンタル分析にも即していますので、結局情報が広く公開されている東証一部上場企業の流動性が高い株からとりあえず始めるほうが、突然の倒産といったリスクからは遠いということになります。


無論大企業でも倒産する会社はありますから、一概には申し上げられません。株は通貨と違って沢山の種類があり、それだけ個別のデフォルト(債務不履行)のリスクも高いのです。

上がる株がわかれば苦労しない筆者からは以上です。

(平成29年1月17日 火曜日)

2017年1月16日

低金利の通貨と高金利の通貨への投資はどのように違うのか



通貨選択をして都度強い通貨に投資を行うのがいわゆるFX(外国為替証拠金取引)の流れですが、より大きな特徴として通貨の魅力には「金利」というものがついて回ります。

今の日本円の短期金利はほぼ0%、長期金利(約10年)でも2%以内の水準がこの20年近く続いておりますので、日本円は金利という点では非常に辛い通貨ということになります。

しかし円は強いのです。

なぜでしょうか。

例えば米ドルの短期金利を現在2%と仮定します。

円で短期金利で運用してもほとんど利子がつかないのに、米ドルで運用したら、1年後には100ドルが102ドルになります。これは有利と見えます。

しかし、円で運用を始めようと米ドルで運用を始めようと、1年後のそれぞれの通貨の価値は「同じ」はずです。となりますと、1年後に102ドルになった米ドルと相変わらず(金利がつかず)同じ額の日本円が同価値ということになりますので、米ドルが100分の102だけ「安く」、つまり円高ドル安になるはずです。

そうしないと市場で裁定取引が起こって結局調整されます。

つまり、高金利の通貨は手前は強く、将来的には低金利の通貨より弱くなるという相反する性質をもつというわけです。

円については、これ以上の円高を何とか食い止めようと、金利面でも0%政策を撮っていますが、これは将来の円高を黙認しているとも取られるのです。

なかなか当局の考えるようには行かないのが実際の投資や経済の世界の面白いところです。

相場は読めませんが素人解説はこのようにいたします筆者からは以上です。

(平成29年1月16日 月曜日)

2017年1月15日

金融用語でよく出てくる「原資産」というものを超簡単に解説します


今日はちょっとむずかしい話をします。投資を考えるときに、金融オプションなどの金融派生商品については特に、原資産が何かということをきちんと理解することが大切です。

原資産とは、先物やオプション取引の基本となる金融商品や現物商品そのもののことを指します。

通常は、株式、債券などの個別金融商品から通貨、株価指数、標準国債、作物、天気、気温など、金融取引の基準となりうるあらゆる商品を総称して「原資産」といいます。

たとえば、取引されている「株式」という現物資産が原資産であり、この株式という原資産を基にして取引されている、たとえば日本を代表する研究開発型のエレクトロニクスメーカーの株式に連動して上下3倍の振れ幅で価格が上下するという金融商品があれば、この金融商品(デリバティブ)の原資産はかのエレクトロニクスメーカーの現物株式ということになります。

さて、為替取引における原資産は、外国通貨(通常米ドル)となります。

FXとは外国為替証拠金取引(margin Foreign eXchange trading)の略で、外国の通貨を売買して、利益を得る取引のことを意味します。

そのまま外国為替取引を行う(現物取引を行う)こととの一番の違いは手元の資金を担保に、何倍もの金額の取引ができる「レバレッジ」が使えることです。

例えば、100万円が手元にある場合、レバレッジを10倍にすれば、1,000万円分の通貨を原資産として取引できます。

為替差益やスワップポイントも10倍になります。

しかしながら当然リスクも10倍ですので、仮にここでの原資産である1,000万円の為替が100万円の為替差損を抱えた場合、手元資金100万円は消し飛んだ、ことになります。

このようにリスクもリターンも自由に設定することができますが、あくまでリスクとリターンは表裏一体というものということになりますので、気をつけましょう。

投資の下手な筆者からの解説は以上です。

(平成29年1月15日 日曜日)

2017年1月14日

今更聞けない株式投資で利益が出てくる根本的な仕組みについて



株式等で投資する「原資産」つまり為替や株式会社そのものですが、ではそれらがどのように利益を持ってくるかという根源的な課題に迫ってみたいと思います。

株式会社を例にとります。

株式会社という組織体は、いわばブラックボックスです。

この会社の均一的細分的持分、である株式が1単位あたりいくらで取引される額が株価であり、その株価はその1単位の株式が将来的にいくらの利潤を上げてくれそうかという期待値から算出されます。

ということで、将来的に上げる利潤、というのが根源的な価値ということになります。

今すでにある存在ではないのです。

逆に今「有名すぎる」銘柄は、今がピークで、例えば組閣当初の某国内閣支持率や大統領支持率のように、あとは下がるだけが通例とも言えるのです。

さて、将来、といっても企業は会計年度ごとに決算を行い利益や配当を確定されますから、将来の各決算期の平均的な利益の寄与度、ということになります。


利益とは売り上げから経費を引いた差分概念


利益、とは、売上から経費を引いたものです。

この経費、には減価償却費や税金などの固定費、売上を上げるために一定割合で必要な変動費とありますが、まずは経費が先に取られるというところが重要です。

銀行からの借金の金利も経費、公租公課はもちろん経費、つまり、お上や銀行さんは我々株主よりも先に経費としてお金を取るのです。

ここが今回の一番のポイントとなります。

したがって、政府や銀行とよい関係を(少なくとも悪い関係ではない)築いているというのは、投資にあたっての非常に大切なポイントとなります。

それらを控除した最後の手残りが、利益ということになります。

これが株主への配当か、その株式自体の価格の上昇という形で、株主に還元されるというわけです。

初歩の投資のお話は以上です。

(平成29年1月14日 土曜日)

2017年1月13日

借入金を積み増して投資総額を増すレバレッジという金融手法の功罪



手元資金にいくらか借金を重ねて何かの原資産を購入する、というのは通常の企業経営や個人家計でも普通に行われていることです。

ですので直接的に価値的に何も悪いことではありません。

例えば、自己資本比率を50%に保ち、のこりを負債として銀行(メインバンク)からの長期借入を行い、2倍の資金調達で工場の新設や既存の販売網の拡充、といった固定資産の確保を行う、というのは通常の企業運営です。

また、家計においても、頭金いくらかで銀行から住宅ローンを借りて、分譲マンションを購入して住む、というのは普通にあることです。


レバレッジ自体に罪はない


逆に、借金をうまく使わないと、株主からその消極的な姿勢を責められてしまうくらいです。

なぜかというと、手元資金が厚く銀行から低利の融資が受けられる場合、同じ事業に投下する資本が多ければ多いほど、儲け(貰い)は多くなるというのが資本主義社会の摂理だからです。

過剰設備が問題になることがありますが、まずは市場占有率を狙って一定の借金によりレバレッジ効果を使って投資を行う、ということは身に着けておいていただきたい金融リテラシーです。

しかも、企業においては借入利子は税法上損金になります。

家計においても住宅ローンの金利も還付の対象となります。

政策的に大きく投資してもらおうと税務当局もこうした優遇策を用意していますので、よくよく考えて適切な金融マネジメントを行なっていただきたいと思います。

レバレッジ自体に罪はありませんが、レバレッジの結果、大きく張りすぎて大損するということに留意していただきたいということです。

大損するのが怖くて張れない筆者からは以上です。

(2017年1月13日 金曜日)

2017年1月12日

税率と税制度は国家競争戦略そのものであるという話をします


日本は北欧諸国に比べれば、税率の低い国と言えます。

もちろん社会保障費が例えば国民皆保険を採用していないアメリカなどと比較すれば高いとも見えますが、世界でもっとも福祉が充実した国としてよくあげられるフィンランドを例に取りますと、GDP比で40%を超える税金・社会保険料を支払っておりますから、それに比べれば日本はかなり低いということが言えましょう。

この点、税率の高い国は、そのかわり教育福祉に関して政府からほとんど無料の高いサービスを受けられるわけです。

そのための税金を払っているという実感があれば、この高負担高福祉の政策は国民の支持を受けます。

日本の場合、その点が不明瞭なので、税金の恩恵がなかなか実感できないのではないでしょうか。


高額納税者を讃えよ


北欧では金持ちは高額な税金を課せられており、その上で高額納税者に対する社会的名誉が確保されています。

日本の金持ちや資本家に対し、税金を沢山払っていることの名誉が保たれる仕組みは寡聞にして聞きません。

そういうわけで、日本国民の中上流階級は所得税や法人税増税よりも、消費税増税の現政権与党を支持するということなのでしょうか。

そもそも、日本の場合、高齢化も進んでおり、国家財政も大赤字、いずれは税率を北欧並みにしないと財政が破綻してしまうのは一目瞭然です。

このような台所が火の車であるところに増税の国民の承認を得るためには、第一にまず、政府の固定支出を削減する効果の高い国家機構のスリム化、すなわち官僚機構(現業・地方・中央全て、当然議会も含みます)を適切に身の丈に合ったものに抑えていくことが緊急の課題といえます。

税金のGDP比率より、国家機構である官僚制度維持コストのGDP比を一定割合に抑える、という政策運営が肝要だと思います。

交通信号ばかりの道路では、走る車も出てきません。

夜の飲み会消費で消費税に酒税とその点では良き納税者の筆者からは以上です。

(平成29年1月12日 木曜日)

2017年1月11日

これでは外食産業が消えていってしまうのではないかと危惧しています


筆者が社会人となり働いて自分で生活するというステージに入った記念すべき1997年時点、外食産業は国内30兆円規模の大きなマーケットでした。

しかも首位の世界最大の米国発祥のハンバーガーチェーンですら市場占有率0.3%という非常に広域広範にわたるマーケットを形成し、多大な雇用を擁しておりました。

しかし、経済のデフレ化と節約志向、内食、中食化が進み、現在は20兆円未満。20年でマーケット全体が3分の2以下になってしまいました。

外食産業で時価総額1,000億円はとても大変


これでは外食産業は文字通り食っていけません。

少し昔まで日本初のセントラルキッチンを要してファミリーレストランの名を全国に轟かせた東西の外食産業の巨人たち。

ちょっと昔はそこで外食するのは贅沢だったのです。

しかし今ファミレス、といってそのイメージを持つ人は少ないです。

ブランドも多様化しすぎて、値段も安かろう、そこそこの味だろう、のオンパレードで、少なくとも上場企業で外食産業は成り立ちにくい(多角化しなければならない)、という世の中になってしまいました。

実際、かの国内外食産業の巨人たちも、上場を廃止して経営を再建したり、またはビジネスホテル部門や航空機内食といった別部門に注力しているようです。

世界最大のハンバーガーチェーンも、往年の勢いはないようです。

しかも最近は食品安全確保の問題もあり、消費者庁によりユッケも事実上禁止、レバ刺、にいたっては完全禁止になってしまいました。

確かに生肉での中毒死はなくなるかもしれませんが、焼肉店自体が火の車で危殆に瀕するという冗談ともとれない状況になっています。

規制に左右されやすい外食産業に投資する際は、株主優待は確かに魅力的ですが、こうしたリスクもよく考えてご検討ください。

とりあえず外でラーメンでも食べてきたい筆者からは以上です。

(平成29年1月11日 水曜日)

2017年1月10日

中学部活動に休養日を設定しようとする通達あり(教員の負担軽減)



おはようございます。

この歳にしてずっと中二病の筆者(@shinya_ueda)です。

さて日本においては中学校までは義務教育です。

したがって、義務教育期間である中学校の期間における監督官庁の文部科学省の権限と責任は非常に大きいものがあります。

この中で、2017年に入り、戦後連綿と続く中学校の部活動のあり方について、休養日を適切に設定するよう求める異例の通知を、全国の教育委員会を通じて出した模様です。

確かに、強豪校の有名スポーツの部活動にもなりますと、朝練放課後練、そして学校休校日には早朝からの一日練習と、部活動顧問の熱心さによってはそれこそ365日部活漬けな日々を過ごしてきた元中学生の皆さんもいらっしゃることと思います。

そうでないと、いわゆるクラブチームに所属する連中には試合に勝てないし、面白くないし、中学生は心身ともにどんな人間でもものすごく技量が上がって上手くなる年齢であるので、ついつい指導に熱がこもってしまうこともわかります。


故障は取り返しがつかない


しかし、厳しい練習と背中合わせなのが、選手の故障のリスクです。

物理的に故障することもつらいですが、心の方が折れてしまうことの方が非常に厄介です。

まだ、たかだか15歳以下の若い者に対して、彼らの人生を決める勝負事が部活動レベルで起こることはめったにありません。

負けても何も失わない、しかし負けることも含めて重要な経験である、ということを教えるのが部活動の本来の姿だと思います。

もちろん、高校に進んで、例えば高校野球で甲子園出場を狙って日々合宿して練習に明け暮れる、というのは、義務教育ではありませんし最終的には進学する本人及び保護者の決断ですからその点では問題ありません。

しかしながら、義務教育である中学校までにおいて、過度な勝利至上主義による選手の酷使は元に慎まなければならないのです。

この点、先の文部科学省の「通達」は、あくまでの現場教師の負担軽減をその主な趣旨として発せられているような気がしてなりません。

本来ならば、指導を受ける中学生たちの心身の十分な休養を目的とすべきです。

これだと、うがった見方をするならば、例えば複数顧問制を敷いている部活動の場合、ローテーションで指導する側の教員が休養すれば、部活動自体は全く問題なく毎日続けてよろしい、という間違ったメッセージにすらとらえかねられません。

小中高校大学と、才能ないため様々なスポーツ部活動を転々としました筆者からは以上です。

(平成29年1月10日 火曜日)

2017年1月9日

頑張れば報酬が上がるという呪縛が過度な残業やうつ病過労死を呼ぶ


春闘での連合会長の発言「頑張れば賃金上がる社会」


おはようございます。

いつも営業サボりがちな筆者(@shinya_ueda)です。

いつも楽して売り上げ増えないかなー、楽して利益出ないかなーと思いながら日々ぶらぶらしております。

さて、今年(2017年)の春闘に関して、日本の労働組合の総元締めであるところの、日本労働組合総連合会(以下略称「連合」と触れる場合は書きます)のトップである神津会長(当時)が、NHKのインタビューに答える形で、「頑張れば賃金が上がるという常識を取り戻す」と述べたそうです。

具体的には、「ベースアップできるところは4年目も継続させ、定期昇給などの制度も維持し、頑張れば賃金が上がるという常識を取り戻すことが極めて大事だ」と答えておりますようで、すなわち、「頑張れば賃金が上がる」というのが彼らにとっての常識的な社会であるということのようです。


経済学の常識は、「少ない労力で効果を上げよ」


しかしながら、経済学においては、1987年のノーベル経済学賞の受賞講演でロバート・ソローがいみじくも述べたように、「人々がより一生懸命働くから成長するのではない、よりスマートに働くから成長するのだ」というのが「常識」とされています。

すなわち、わかりやすく有体(ありてい)に申し上げますと、一生懸命働くことは重要「かも」しれないが、より生産的に効率的に総所得が増えるように、成長するように、要するに豊かになるためには、「スマートに働くこと」が徹底的に重要であるということなのです。

この点、利益追求体としての企業経営の論理はとても明快です。

ピーター・ドラッカーや五つの力のマイケル・ポーターを持ち出すまでもなく、仕事は「一定の成果をあげるのに投入した労働力が少ないほど良い」ということになります。

最小の努力で最大の効果を、というのは間違っていて、一定の努力で最大の効果を、というのが正しいと思います。

良い会社と良い労働者の条件として、この一定の努力というものの効用をどれだけ最大化できるかということが競争要因となるのです。

さて一方、冒頭の「頑張ったら収入が増える世界」はどんな労働世界になるでしょうか。

頑張れば頑張るほど収入はとりあえず上がります。

つまり、ハードワーク=高収入、という世界です。

つまり、タクシー運転手ならば寝ないで24時間流しておけばいいし、小売の陳列ならば24時間、常に欠品を陳列していれば良いということになります。

しかし、これでは、最大でも8時間労働の3倍の賃金しか手に入らないのです。

そして、結果として際限なく残業が増えていき、サービス労働時間含めて総労働時間は伸びていきます。

そう、誰かが過労によってうつ病になって自殺するか、何らかの革新的な事柄が起こってしまうまで、となります。


頑張り続けることの先に待つ不都合なこと


個人的には、労働者が頑張るという観点においては、少なくとも(筆者を除く)日本人はかなり限界近くまで頑張っていると思われ、もはやこれ以上の頑張り増分は見込めないような気がしています。

やはり、頑張るという負荷ではなく、どういった方向で頑張るのかという点にもっと注目した方が良さそうです。

実際、これ以上どんなに頑張ってもなかなか商品は売れないし、どんなに頑張っても客は評価せず、ネットショッピングですかすか買って行ってしまいます。

レジすらない、アマゾン・ゴーという商品だけ陳列小売店で全く言葉すら交わさずに買い物ができてしまう環境で、顧客は嬉々として生鮮食品なども「購入」していくのです。

残念ながら、今後のビジネスの方向性としては、知識やアイデア、そしてやり方の確立といった、単に(いまのやり方を)頑張りつづけるというのとは別のものなのです。

それなのに、日本全国の労働者の総元締めの代表とあろうお方が、労働者をレミングの群れのごとく崖下に突き落とすようなもっと頑張れの旗を振るのはおかしいのではないかと思っています。

おそらく、この彼も、「頑張り」によって今のトップの地位に登ったのではないと思うのです。

何らか組織内力学や運、といった作用から、うまいこと生き残ったという感じがしてなりません。

そして、経営者に対してもっと給与を寄越せというのであれば、もっと人を効率的に使うための方法論を考えろとか、ただ頑張れというだけの経営者には退場願うとか、そういった提言をしてほしいなあと思ったのです。

繰り返しますがそういうわけで極めて頑張っていない労働者の筆者からは以上です。

(平成29年1月9日 月曜日)

2017年1月8日

英語学習歴30年の筆者が中学英語に訪れる壁について論じます

中学生に英語を教えている外国人教師の図

30年営業勉強後のTOEIC結果


おはようございます。

2016年末に、英語学習歴30年にしてついにTOEIC865点(リスニング430点、リーディング435点)に到達することができました筆者です。

今年は英語ノンネイティブとして遜色ない900点以上の成績をとって、TOFELとかGMATにも挑戦してみたいと思っています。

そしたら40代にしてハーバードやスタンフォードへの留学とかできたりするかもしれません。

今までの人生で一番今が若い、という言葉を大切に、今年も頑張っていきたいと思います。

英語初歩学習者の陥りやすい分野について


さて、そんな英語勉強30年のキャリアの筆者ですが、最近ようやく、英語初級者がどこでつまづくのかわかってきました。

中学校の英語でまず基本的なことを習ってから、中学2年生にかけて訪れる、3つの文法的壁が、ほとんどの中学生の理解を得られず、彼らの英語苦手意識の温床になってしまうということなのです。

中学3年生になりますと、これに加えて、「受け身(受動態)」「現在完了形」「関係代名詞」という悪魔の三兄弟がやってきましてわからないレベルがぐんとまたさらに上がってくるわけですが、その前に中学2年生時での苦手分野を以下詳しくご紹介したいと思うのでしばらくお付き合いください。

まず最も中学生のほとんどにわかってもらえていないのが、①「to+不定詞の使い方」です。

3つの用法があります。

to go to school という句があるとして、この句はおよそ以下3つの用法、解釈があるのです。

(1)学校に行くこと(が好き)(名詞的用法) I like to go to school.
(2)学校に行くために(起きる)(副詞的用法) I get up to go to school.
(3)学校に行くための(バスに乗る)(形容詞的用法) I get on a bus to go to school.

このように、to go という不定詞は、時にそれ自体が名詞的に使われたり、何々するために、と副詞的に使われたり、またバスのような名詞を学校に行くための〜と修飾する形容詞的に使われたり変幻自在に変化するのです。

また、別に原型不定詞というやつも入れれば4つということになり、大変です。

ここをきっちり理解できているか否かが、中学2年の英語の成否を決めると言っても過言ではありません。

続きまして、②「Whで始まる疑問詞を使った疑問文」がきっちり書けるか、というところもポイントとなります。

ここも、はっきり申し上げてほとんどの現役中学生が身につけていないところと断言できます。

疑問詞というのは、

What、Who、When、Where、Whose、Which、How

のことですけれども、多くの中学生は、上記単語の日本語的な意味さえ覚えれば大丈夫と誤解しています。

違います。

これらの単語は、単に、アップルがりんご、といった単語以上の深くて広い意味用法があります。

「What」は「何」「When」は「いつ」

といったことではなく、

「Whで始まる疑問詞の後」

に続く文章が書けるかどうかが重要なのです。

最後に、③「形容詞の原級、比較級、最上級」です。

これも、8割近い中学生が理解していない部分です。

英語が苦手で30年格闘してきた筆者だからこそわかる要点です。

比較級の  better
最上級の (the) best
原級の  as good as

比較級の more interesting
最上級の (the) most interesting
原級の  as interesting as

が、整理できていないわけです。

このように、単に単語を覚えて行くというだけではなく、こうした「非常によく使う用法」についてもわかるようにしておき、同じ形容詞でも比較級最上級もまとめて覚える、といった形で広げていかないと、その先つらいことになります。

中学3年になると、さらにレベルはぐんと上がり、さらに高校英語になると、さらに全く違ったレベル感での学習理解が要求されます。

過去完了形とか未来完了形とか、すなわち、過去現在未来の一定時点での事象を示す、現在形、過去形、未来形のそれぞれの時点を線で繋ぐような感じです。

すなわち、現在完了形とは過去形から現在形までを繋ぐものであり、未来完了形とは現在形から未来形を繋ぐ形と理解するのです。

そして、過去完了形とは、ずっと過去からそれよりは現在に近い過去を繋ぐものと理解します。

点と点をつなぐ線をイメージするのです。

そのほか、人称代名詞とか動名詞とか仮定法とか、いろいろと高度になってまいります。

どこまで行っても、全世界で数十億人が操る事実上のデファクトスタンダード言語なのですから、きりがありませんが、学び続けるしかないのです。

大学の学部生でも、研究室に入ったら英語で論文を書かなければなりません。

だいたい、読んで書けて喋れる、といったレベルに到達するには、駆使できる英単語が1万語以上から、と言われています。

中学校の学習指導要領では1,500語、難関私立高校の入試問題に対抗するには、最低でも3,000語程度が必要でしょう。

それでも、TOEICで取れる点は600点前後に過ぎません。

筆者も、大学卒業時点で510点でした。

そこから20年で、350点を加えたのです。

ちょっと時間がかかりすぎです。

という反省も込めまして、スポーツと同じく、数学や英語といった学問についても、だいたいどの辺がプロ野球、独立リーグ、社会人野球、大学野球、高校野球、中学野球、のレベルになぞらえてイメージしておく方が今後の学習に有用だと考えております。

次は、英語に続いて数学についてもやってみようかと思いますが、今回は紙面の都合でここまでといたします。

いずれこうしたノウハウを体系化した私塾でも立ち上げてみようかと考えております。

松下村塾に習って、一緒に学ぶ姿勢で臨みたい筆者からは以上です。

(平成29年1月8日 日曜日)

2017年1月7日

審査の多様化(「2016年大晦日紅白歌合戦」に見る社会文化論)

2016年の大晦日12月31日は、NHK紅白歌合戦を見て過ごしました。

なぜ視聴者審査及び会場審査の多数が白組優位を投票したのに、審査員団を含めた全体の得票では紅組が上回り紅組優勝となったのか、そのあたりは少し疑問でしたが、年々、この生放送番組は、「その年の文化芸能に何があったか、何が流行ったか」を広く振り返るものとして秀逸だと筆者は捉えています。

紅白歌合戦、は、その名の通り歌合戦番組でして、男性歌手を主体とする白組と女性歌手を主体とする紅組で争う形式です。

そして、2016年の紅白歌合戦の審査はゲスト10人の10票と会場の「ふるさと審査員」が1票(タモリとマツコはついに到着することができませんでしたが)。

それに会場の観客に割り当てられたのが2票です。

日本野鳥の会や麻布大学野鳥研究会のみなさんがカチカチとカウンターで数えていますが、これは演出上のもので、実際の票は観客に配布されているペンライトで双方向通信ができると思われるのでそちらで数を合わせているのであろうと思っています(未確認です)。

それにデータ放送などで投票した視聴者投票の2票を加え、合計15票の奪い合いとなり紅組が9対6で勝利しました。

NHKは紅白歌合戦終了後赤組の9票は全て会場の審査員の票だと発表しました。

この審査員にふるさと審査員が含まれるのかはわかりませんが、とにかく、最も近くでこの生演奏生放送を見た会場の審査員は、圧倒的多数で紅組に入れたということになります。

確かに、会場で間近に見るのと、テレビでカメラが切り替わりながら見るのとでは、受ける印象も違うでしょう。

筆者は男ですが、確かに、2016年大ヒットの「君の名は」(英題はYour name。なぜ1What’s your name?ではないのか不思議ですが)の主題歌である前前前前前世(少し多いかもしれません)が出たり、日本怪獣のオリジンであるところのシン・ゴジラが登場してPPAPのピコ太郎やX-JAPANが歌声によって撃退したようなところの演出では白組の印象がどうしても強いと思われました。

しかし、あくまで番組は歌合戦ですから、こうした「演出」は置いておいて純粋に出場歌手の歌唱力を評価すればこの結果になるのかもしれません。

この審査の方法を知らなかった筆者などは、視聴者の票(もっとも大きな母集団)が、白組420万票くらいと紅組250万票という、圧倒的な差だったので、これを見て白組の圧勝だなと早合点してしまいました。

これだけの大人数の双方向の意思確認ができてしまう現在においては、この審査のやり方についても再考の余地がありそうです。

運動会の赤白対抗のごとく、途中での配点や得点が明らかであったわけではないので、今後の運営については、例えば1組ごとに勝敗を明らかにしてポイント制にするといったところまで検討していくのかもしれません。

スポーツにおけるビデオ判定の導入にも似た、納得感のある「勝負」を見たいという視聴者の要求にどこまでエンターテイメント性を損なわずに応えていくか、NHKの挑戦は続くのでしょう。

テレビ・アニメ世代の筆者からは以上です。

(平成29年1月7日 土曜日)

2017年1月6日

表現の自主規制の変遷について(妖怪人間ベムはもう見れない?)

おはようございます。

2017年新春の特別番組もひと段落し、いよいよ通常運転の2017年の始動というところでしょうか。

さて、そんな新春番組を見ながら考えたのですが、小学校の頃大人気だった週刊少年ジャンプ600万部発行世代の筆者としまして、最近の映画やアニメやいわゆるコンテンツの自主規制というか表現の自由といいますか、視聴者に受け入れられる程度が劇的に変わってきたことを感じましたので述べさせていただきたいと思います。

筆者が小学生の時に読んでいた週刊漫画雑誌の代表格と言える「週刊少年ジャンプ」におけるキラーコンテンツは、名作「ドラゴンボール」を筆頭とした錚々たる面々でした。

「北斗の拳」「魁!!男塾」や「ジョジョの奇妙な冒険」といった、ありとあらゆるヒーローたちの独壇場だったのです。

しかし、そんな少年少女の心を鷲掴みにした、例えばドラゴンボールの第1巻を改めて手に取って見ますと、いきなりノーパンのブルマ(主人公の悟空のお守り役のお姉さんの名前です)を見て鼻血を垂らす武天老師(かめはめ派を編み出したその時点では無敵のお師匠さん)、といった塩梅です。

これは、今の少年誌ならばNGではないでしょうか。

また、毎週のように数人(または数十人単位で)殺戮を繰り返す「北斗の拳」など論外でしょう。

筆者の昔のうっすらとした記憶ですが、この漫画のアニメ版が、ヨーロッパのある国(たしかフランスと記憶しております)で放映されたところ、あまりにも批判・非難の声が多すぎて、放映中止に追い込まれたという話もあるようです。

確かに、いかに悪者とはいえ、少々殺しすぎではあると思うのですが、あの時代(本記事執筆よりおよそ35年ほど前)の少年たちは、嬉々として「お前はもう死んでいる」といいながら経絡秘孔(けいらくひこう)を突き合っていたのです。

心臓が右についている、と言えば聖帝サウザーが即座に出てくる、そんな時代だったのです。

絶対に、北斗七星はケンシロウの胸についていなければならなかったのです。

そのほか、さらに時代がさかのぼりますが、「妖怪人間ベム」これはもうネーミングからしてNGのような感じです。

三つ指の不完全擬態の妖怪人間ベム、ベラ、ベロ。

妖怪人間の目標は、「早くにんげんになりたい」とアニメ主題歌に歌われます。

もはや21世紀の小学校では、その存在すら口に出せそうにありません。

筆者が小学校の自分に校内で行われたのど自慢大会において、筆者は細川たかしの「北酒場」を歌いましたが、筆者の弟は友達5人で水中眼鏡と被って「妖怪人間ベム」の歌を燃焼して踊り、見事特別賞に輝きました。

児童も生徒も教師も校長も、保護者も教育委員会ですら、みんなそんな歌唱を、仮装を微笑ましく見ていたのです。

時代は変わったと本当に思います。

そのほか、飛ぶシーンでは必ず下着が見えてしまい、父親が絵描きでバイトはヌードモデルで超能力者である「エスパー魔美」とかも、普通に月曜19時のゴールデンタイムでアニメでやっていたのですが、これももはやお茶の間には流せない類のものになってしまっているのでしょう。

ドラえもん、の主要女性キャラクターであるしずかちゃんは、さまざまな時代の要請を受けてスポーツもできる活発な女性の側面も付与されてきましたが、最初はいつものび太にお風呂シーンを覗かれるだけだったのです。

日本のコンテンツに限りません。

映画界の名作とあることは疑いない、「スタンド・バイ・ミー」という映画があります。

CGのドラえもんの「スタンドバイミードラえもん」ではありませんよ。

このドラえもん版は、オリジナルの「スタンド・バイ・ミー」を当然にオマージュしてつけた邦題だとわかるのは、実は本稿執筆時点(2017年)において35歳以上の人だけではないのでしょうか。

そのオリジナル「スタンド・バイ・ミー」のあらすじを一行で述べるとこうです。

線路に轢かれて死んだ少年の死体を見にいく12歳の少年4人組の旅。

冒頭、よくある少年たちの秘密基地で12歳の少年たちは、タバコをふかしながらカードゲーム(おそらくポーカー)に興じています。

おそらく金も賭けていたでしょう。

これでは、のっけから現代の地上波放送は難しいと言わざるを得ません。

最近発表された「風立ちぬ」という宮崎駿監督の最後の作品と言われるアニメーションにおいても、登場人物(当然大人)の喫煙シーンが多すぎると批判されているくらいです。

30年も経てば世の中変わります。

その中を、1年生から100年生くらいまでが平気で同じ時間を生きているというのが改めて不思議な感じがいたしました。

つまり、同じものを見ても、感じることは全く違うということなのです。

新春、業務に疲れてうつ病になり自殺した社員の責任を取って、その会社のトップ(社長)が辞める、といったことがありました。

これだけ、時代が変わったのです。

残業月間80時間の社員がいる会社は公表されるという、その一方で、深夜23時を回っても、近所のコンビニにたむろす学習塾や予備校帰りの中高生が制服着てたむろしている、というよくわからないバランスの社会に生きている気も少しだけいたします。

昭和は遠くになりにけり。

平成も29年目になりました。

皇紀で言えば2677年です。

そんなことを考えます新春ですが、今年も本ブログをご贔屓に、よろしくお願いいたします。

昭和49年生まれ寅年、今年は本気出したい筆者からは以上です。

(平成29年1月6日 金曜日)


2017年1月5日

初詣に「ベビーカー自粛」を呼びかける神社が現れた!どうする?


2017年の年明けです。

初詣でごった返すある神社か寺だかに、「ベビーカーご利用自粛のお願い」なる看板が立っていたということで論争になっているようです。

確かに、残り364日は全く混んでいなくて全く並ばなくてお参りし放題の筆者の近くの神社においても、元旦は早朝から初詣のお参り客が長蛇の列をなしておりました。

このように、日本においては、「とりあえず行っとく」といった行動様式が多く、対応する側が時にトンチンカンな対応をしてしまうことがあるようです。

ベビーカーは小さい子供を持つ親には必携のアイテムです。

私も遠い昔、小さい頃がありまして、間違いなくベビーカーに乗っていました。

私にも子供がおりまして(今もいますが)、小さい時分にはベビーカーに乗せていました。

おそらく、ベビーカーに乗らないままに大人になる子供は皆無ではないでしょうか。

子供は、見た目より重いです。

暴れまわる5kgか10kgの米袋(かつ繊細)のようなものです。

また、この米袋は暴れまくったと思いきや、急に寄生獣ミギーもびっくりな睡眠に入ります。

こんな物体をいつも担いで、またはおんぶして家を出てから帰り着くまで数時間抱え続けるというのは、外出するなということに等しいです。

ちなみに、同じことは車椅子を必要とする人にも言えます。

社会的に弱いものに対して心を向けるということが、初詣に行く時に必要な最低限のマナーではないかと思うのです。

ごった返していてベビーカーや車椅子が邪魔だと感じるのであれば(感じることは人間の自然な思考であるのでそう思うなと強制することはできません)、わざわざ1年365日の中で最も混み合う元日や正月三が日でははく、例えば2月中旬の世の中がチョコレートやバレンタインデーと浮かれている日などに詣れば、心の底から参拝を満喫できると思うのです。

どうも、子供づれでこんな混み合ったところに連れてくるなんて、という「批判」は、すでに子育てを経験した女性に多いようで、これも問題を複雑にしています。

代表的なものとして、「人混みがあるとわかっていて、ベビーカーで子どもを連れてくるなんて非常識だ!」というような厳しくも一見正しそうな意見です。

そのほか、

「子どもの安全を第一に考えたら、人混みは自発的に避けるべき」
「抱っこひもで十分に代用が可能」
「必要不可欠な行事ではないのだから、子どもが小さいうちくらい我慢しろ」

といったご意見です。

全て、ご意見としてはごもっともで拝聴いたします。

しかしながら、これは、「俺たちの若い頃は深夜残業なんて当たり前だYO」「宴会芸でラーメン鼻から食った」的昭和なおっさん(筆者含む)の発想に非常に似ているような気がします。

こんな不寛容な世の中であるからこそ、新生児数が1年で100万人を割るような世の中になってしまったのではないかと思うのです。

ラーメン鼻から食うくらいでは、人は死にませんが、初詣も行けないとわかってわざわざ子供を産もうとするでしょうか。

生まれてこなかった子供の数は数えることはできません。

しかしながら、厳然たる事実としまして、ラーメン鼻から食った筆者の同級生は、実に200万人を超えておりましたが、こんな結果で子供は半分に減ったわけです。

ものすごい負のスパイラルです。

かの初詣の看板についても、例えば筆者なら「正月の初詣は混雑しておりますので皆さん道を譲り合ってお参りください」的なものにしておけばよいですし、つけくわえていうならば、「初詣だけじゃなくて、朔日(ついたち)参りとか、そんなのもおつですよ」「神社は年中無休です」「2月のお参りには巫女さんのありがたい言葉つき」などと書いておけば、お客の平準化が図れてより双方ハッピーではないかと思うのです。

もちろん、初詣の看板一つで少子化問題が全て解決するわけではありませんが、日本国に強く漂うこうした「雰囲気」についてはより掘り下げて考えていきたいと思います。

かつては、「雰囲気」で取り返しのつかない大戦争に突入してしまい、なぜそうしたか、当の政府の最高首脳や軍部幹部もなんとなく始めてしまったと戦後述懐しているくらい、日本の社会において、雰囲気やその場の空気というものの力は大きいのです。

ベビーカーひとつとっても、究極的には価値観の問題ですから、何が絶対に正しいということはないわけですが、こうしたことが取りざたされる根底には、日本社会に深く根ざす、子育て世代や弱者といったマイノリティに対する不寛容さというか、不自由さというか、無用な我慢を知らず知らずのうちに強制するといった点です。

障害者にも、子育て世代にも、「普通に」接すればよいのです。

障がい者、といったり子ども、といったり、言葉尻を変えてもなんの解決にもなりません。

「普通な」人たちが「普通」と思うように、普通な人たちも歩いて参拝するわけですが、例えば歩くのなどけしからん、秒速5メートルで走れとか、階段でなくて垂直に壁を攀じ登れとかいわれたら困ります、という程度の話なのです。

話を大きく戻しますと、筆者は少子化の最大の温床は、我が国の社会構造が、子供を持てば持つほどいろいろと不自由になる社会であるということです。

子供を持つと、仕事のキャリアが途絶える、学費も高い、そもそも世間の目が気になる、不登校になったらどうしよう、親がリストラされたら?といった不安ばかりが先に立つわけです。

あらゆる行動が制約される袋小路に、わざわざ突っ込んで行く合理的な人間がいなくなった結果、とってもすっきりとした街並みに、子供の声は消えてセレモニーホールとビジネスホテルと全国チェーンの居酒屋ばかりが立ち並ぶ日本の中堅都市駅前の風景が重なります。

「子どもを産んだら、しばらくは〜くらい我慢しろ」

と、「普通の」行動を平然と制限してくるような社会では、だれも積極的に子どもを産みませんし育てたりしないのではないかと思います。

ということで、筆者は子育てしている家庭を見たら、できるだけあたたかく見守るようにしたいと思います。

昔はラーメン鼻から食いましたが、本当は永遠の17歳の筆者からは以上です。

(平成29年1月5日 木曜日)


2017年1月4日

MacやiPhoneの感圧タッチパネルという技術

感圧タッチトラックパッド
2017年新年に相応しく、モバイルガジェットをiPhone7にアップデートしましたが、この最新スマホには、感圧ボタン技術というものが採用されています。

すなわち、これまでのホームボタンは物理的に押し込んで(プッシュまたはプレスして)、反応させていたわけなのですが、この技術では、実はボタンは何ら押し込まれていないのですが、ぶるっと内部の機構が震えて反応を返すことにより、なんだか実際にクリックしているような感覚を指先に覚えるようにしたという優れものなのです。

この技術は、実は新しいMacbookとして従前より筆者が使っているPCのトラックパッドにもすでに採用されていたようですが、実は筆者は、このトラックパッドは実際に押し込まれているとこの記事を書く時まで思っていたくらいなのです。

ずっと、実際には押し込まれていなくて振動を指に受けていただけなのに、押し込んだと錯覚していたのです。

要するに、騙されていたのです。

その証拠に、シャットダウンして電源を完全に落としてからこのトラックパッドやiPhoneのホームボタンを「押して」みてもなにも反応しません。

押し込めないのです。

ぐいぐいやっても何も反応しません。

それもそのはず、感圧タッチトラックパッドは電気を使うので、電源が切れているときはクリック操作に反応することができないのです。

クリックしたと錯覚させるあの「触覚フィードバック」には電源供給が必要なのです。

このことは、iPhone7以降のスマホにも、Macノートブックコンピュータに内蔵されている感圧タッチトラックパッドにも当てはまります、とアップルの公式ページにも触れられておりました。

例えていうなら、自動車をガソリンスタンド内にある自動洗浄機で洗うときに、何だか止まっているはずの車が、洗浄機が動くのと合わせて前や後ろに進んでいるように見える、あの錯覚感と同様のものでしょうか。

ハイブリッド車で名高いプリウスについても、低速で電気モードで走行するときの音が静かすぎて事故の原因になるというので、わざわざガソリン車に似た「エンジン音」を搭載すべきといった話がありますが、このように、人間の古い感覚で慣れきったものに何とか合わせつつ、新しい技術を適合させていくのは結構大変なことだと感じました。

感圧タッチパッドについても、もし触れるだけで画面が切り替わるのであれば、特に「押した」という感覚を指に伝えなくても良いわけです。

そのうち、この「感圧」は次第に小さくなり、そして現在筆者が打ち込んでいるPCのキーボードについても、物理的に押し込むボタンではなく、この感圧技術により「打ち込んだ」微弱な感覚で代替されるようになっていくのでしょう。

物理ボタンを廃することで、隙間への粉塵の侵入や防水には格段の向上が見込まれます。

しかしながら、人間の物理感覚、五感を元にした作業との兼ね合いの中で、今後も試行錯誤が続くのでしょう。

PCの仕様に関わらず、記事の内容はいつも試行錯誤の筆者からは以上です。

(2017年1月4日 水曜日)


2017年1月3日

日本の少子高齢化はレジャーの世界にも影響しているという話

新年最初のアクティビティとして、スキーに行ってきたという話をしましたが、ここで感じたもう一つのことは、こんなに整備されて綺麗なスキー場でありながら、参加している人が筆者の想像よりもとても少ないように見える、ということでした。

具体的には、およそ20年以上前の記憶を辿りますと、とにかくスキー場といえば夜行バスを連ねてやってくる団体のみなさんや、車をシェアして乗り込む若者たちの合宿などでものすごくごった返していて、昼食の休憩の席を取るのも一苦労、スキー場に行くためのレンタルスキールームも激混みであるというのが定番でした。

しかし、今回ほぼ空手で来たにも関わらず、駐車場からスキー場に歩いてほぼすぐ、そしてレンタルスキーも問題なく借りられ、洒落たウエアに身を包み、そのまま外に出ればすぐゲレンデと、ほぼ全くストレスなくスキーできる状態になったのです。

そして、スノーボードを楽しむいわゆる若者たちの群れというのも特になく、確かにあまり広くない人工雪スキー場ではありましたが、皆トラブルもなく楽しく譲り合いながらリフトに乗っておりました。

なんだか、とても綺麗に整備されたレジャー施設となっていたのです。

これはこれでとてもアメニティ的には素晴らしいことです。

しかし、昭和な香りを懐かしいと感じる筆者には少しの違和感があったのです。

すなわち、もっと昔はごちゃごちゃしていたが、よくわからない活気がありました。

しかし、今はとても整備されて小綺麗になったけれども、「寂しい」感じがしたのです。

スキーリゾートに行って寂しいと感じるとは相当ずれているかもしれませんが、これは、筆者が普段取り組んでいる「地域の活性化」的な話とものすごく相似形だと思ったのです。

すなわち、我が国の地方都市が等しく抱える問題が、少子高齢化による中心市街地の過疎化です。

過疎化というと過激ですが、要するに昔はお店とか人だかりとかがごちゃごちゃしていた中心市街地の街並みが、なんだかすっかり「整備」されて「小綺麗」になって「景観」は良くなったと思うのですが、どうもそこを行き交う人々はいなくなって、代わりに整備された「景観」の中に、セレモニーホール(要するに葬儀場)やらビジネスホテル(要するに地方への異動ではなくて出張で用を済ますビジネス形態)ばかりが乱立して、そして食事処といえばナショナルチェーンの居酒屋くらいしかないという「景色」との奇妙な一致です。

綺麗な街並みに、人々の行き交う「賑わい」があればいいのですが、こうした賑わいは、郊外のショッピングセンターに片寄せされているようで、しかも、こうした作られた屋内の賑わいは、なんだか力強さに欠ける感じがします。

スキー場においても、昔の(しつこいようですが昭和の昔という意味で言っていますがいい意味も悪い意味も含みます)それにおいてはよくわからないエネルギーが充満していました。

スキー場の経営も、少ない資本でなんとかやっていたと思いますが、努力や工夫によって集客が図られ、それはそれで楽しみがあったような気がするのです。

今の時代においては、これだけの人工雪製造機を設置し、整備されたレンタルルームに食事処(宿泊施設も兼用)を擁し、そしてリフト券も完全ICでいちいち係員に見せる必要もないという省エネ運営で非常に合理的でありながら、それでも利用客の集客に苦労しているという状況なのです。

思えば、昭和48年、第二次ベビーブームのピークの年には、実に209万人もの出生数がありました。

しかるに、平成28年の推定出産数は、100万人を割ることが確実視されています。

すなわち、子供の数が半分になった、ということは、その子供たちにスキーをさせてみようと思う親の数も減っているということに他ならないのです。

こうした黄昏の世の中に生きているということを改めて感じた新春のスキーでした。

肝心のスキーの技量もほとんど向上していませんでしたが、どうやら自転車と同じようなもので、昔乗れた程度にはこなせることも同時にわかりました。

そんな昭和の残り香を今のゲレンデには合わないショッキング原色のスキーウエアに包んでスキー場に残して来ました中年の筆者からは以上です。

(平成29年1月3日 火曜日)


2017年1月2日

およそ20年ぶりにスキーに行って考えたこと(スノボ9割)


2017年の年初に足を伸ばしてスキー場に行ってきました。

広島県廿日市市(はつかいちし)にある女鹿平(めがひら)スキー場という西日本にある有名なスキー場です。

しかしながら、九州から中国地方まで足を伸ばしましたが、やはり暖冬というか温暖化の影響というか、その両方かで雪はほとんどありませんでした。

その代わり、人工雪製造機がガンガン稼働しており、人工雪ゲレンデにはシャーベット状になった雪とも氷ともつかないものが敷き詰められておりました。

とにかく気温5度程度の明らかに雪ではなくて雨が降ってしまいそうな曇天の中でも、曲がりなりにもスキーができてしまうということにまず驚きました。

筆者が今回の直前にスキーに行ったのは、実に20年弱前の、社会人2年目くらいの会社での志賀高原(だったと思う)でのスキーツアーでした。

やはり本場長野とか北海道といったスキーの本場の雪はやはりパウダースノーというのでしょうか、いい感じにふわふわしている雪で、コケてもほとんど痛くなくて楽しかった思い出があるのですが、今回の人工雪ジャリジャリの即席スキー場においては、雪というか氷のシャーベット状の人工雪が、スキーのエッジに絡みつくような感じです。

それでもこの西日本でスキーができるということは驚きです。

それから驚いたのは、スキー場と言いながら、そのほとんどの参加者は、「スキーヤー」ではなく、「スノーボーダー」であったということです。

繰り返しますが筆者が最後にスキーにでかけた20年前は、スノーボーダーの割合は、約2割弱といったところで、まだまだスキーヤーが主流でした。

しかし、今回見て見ますと、8割以上がスノーボーダーであり、そして残りのマイノリティと化したスキーヤーのうちのまたその半分くらいが、いわゆるストックを使わない短いスキー板だけで滑る(ファンスキーというらしいです)ものになっており、いわゆる筆者のよく知る長板+ストックという(カービングスキーというらしいです)いでたちの人たちは1割以下にまで縮小していたのです。

これには驚きました。

筆者の知らないうちに、スキー場は激変していたのです。

しかも、スノーボードについても、筆者の知るスキー靴と同じようなプラスチック製の靴をがっちりはめ込むボードはほぼ絶滅しており、ボードを持って歩きやすいように柔らかい靴をボードに入れてベルトで締める柔らかタイプが主流になっています。

道具の進化はスポーツ競技自体を変えてしまうということを改めて感じたスキー体験でした。

その昔、長野オリンピック(1998年、平成10年)の頃、スピードスケート界にスラップスケートという革命が起こり、それまでの業界勢力図をげきへんさせたことを目の当たりに見ましたが、それとはるかに上回る変化が、ゆっくりとしかし着実に怒っているのだということを感じたのです。

やはり物事は現場に行かないと頭の中にあるイメージからはずれていくというよい例だったと思っています。

スキー場において気づいたことは、これ以外にも想像よりも参加者が少ないように見えて、やはり少子高齢化の影響はこうしたレジャーの世界にも如実に現れているのだなと感じたことですが、これは別の機会に述べたいと思います。

どうしても、やはり自分たちの若い頃は、という話をしてしまいそうな昭和は遠くになりにけりの筆者からは以上です。

(2017年1月2日 月曜日)


2017年1月1日

あり方とやり方(2017年初における抱負を述べます)


2017年、平成29年の初めての記事を投稿します。

これまで、あり方にこだわって来ました。

あり方とは、毎日繰り返される基本的な習慣こそが人生の鍵であり、そこに意味を見出すのが大切であるといった考え方です。

たとえば、同じ十字架に架けられて死んだとしても、横の泥棒たちと真ん中のナザレのイエスという人では、そのことの解釈が違ったわけです。

彼の教えに強い啓示を受けた人々は、彼の十字架上の死を、神が遣わした唯一の子を人々の原罪を注ぐために差し出したものと捉えたのです。

まさに、起こったことの解釈、あり方の話です。

筆者は、そういうことでこれまで、毎日の習慣こそが人生の味であると見定めていくように努めてきました。

しかし、新年を迎え、より実際に具体的にやることにもこだわって行きたいと思います。

例えば、筆者は海外に行ったことが非常に少なく、記事でもそれをネタにしているくらいですが、これからは、単に行けなかった事実として捉えるだけではなく、楽しみは後にとっておくものと考え直して、これからどんどやっていけばいいわけです。

これまで行けなかった、と考えるのではなくて、これからいくらでもできると思えば楽しみも違ってきます。

あとは、出し惜しみせずに、来たチャンスを逃さず圧倒的に挑戦して行きたいと思います。

迷ったら困難そうな方へ。

の精神です。

今年もよろしくお願いします。

(平成29年1月1日)