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2017年3月12日

国会議員は全国民の代表として振舞うことが求められるがそれは難しい



おはようございます。

今日は国会議員をはじめとする政治家がともすれば陥りやすいことと(本音)、そもそも国会議員や政治家がどのように振舞うことを憲法は予定しているのか(建前)というお話をして、日本の政治社会における本音と建前に迫りたいと思います。

政治家が集まって何らかの意見調整を行おうとするとき、往々に対立する二つの意見がはげしくぶつかる場合があります。

こうした場合の両陣営は、その案件の帰趨によって利害が大きく損なわれる場合がある場合が多いです。

こうなると、その両陣営は、支持者や業界団体の支持と事実上の指示を受けた議員たちによる、業界団体同士の代理戦争の様相を呈します。

そんな、賛否が分かれる議論において、明快に意見を出すことは、大変勇気がいるものです。

だいたいにおいて、それを不服とする業界団体が気分を害し、こうした率直な発言をした議員を敵視するようになるのです。

こうして、雰囲気を読んで空気を読めば読むほど、自分の意見は封印して、ポジショントークと呼ばれる、自分の立ち位置を自分を支持する側において、一方的な意見を述べるようになります。

いわゆる族議員とか業界代表とか言われるようにもなります。

しかしながら、これでは、世論を二分するような大きな論点であればあるほど何も発言しないほうがましである、ということになり、そうした議員は処世ばかりが上手いつまらない国民代表になってしまいます。

大きな論点であればあるほど、例えばさらに国民全体に人気のない政策(たとえば増税など)について、多くの支持者や団体を敵に回すというのは大変リスクが高いことです。

顰蹙どころか、次の選挙でまともな得票が見込めず無残に落選することにもなりかねません。


日本国憲法も全国民の代表たれと望んでいます



しかし、それでも日本国憲法第43条に

「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」

とあるように、議員はあくまでも全国民の代表として振る舞え、と憲法は要請しているわけです。

業界団体による選挙や日頃の支援には感謝も恩義も感じるものですが、そのために己を殺してしまって、大事だと自分が信じることを言わなくなってしまうというのは、魂の抜けた案山子のようなものであるのではないでしょうか。

国民の代表として振る舞った結果、国民代表を選ぶ選挙に落ちてしまう、ということもあるというのが議員という悪魔の職業の性なのかもしれません。

そんな悪魔の職業を生業にする人たちに、知の巨人マックス・ウェーバーの「職業としての政治」からの一節を贈ります。

「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中がどんなに愚かであり、卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても、それでもなおと言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への転職を持つ」

こちらからは以上です。

(平成29年3月12日 日曜日)