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2017年5月31日

昔のゲームはストーリーも育成も長かったということを改めて感じた話





おはようございます。

2017年5月の記事です。

最近ゲーム、特にRPGの話ばかりしているようですが、言い足りないのでさらに話をしたいと思います。

昔のゲームはとても長かったのです。

シューティングゲームの草分け、ゼビウスや1942などに見られるように、なかなかステージクリアまで行きませんし、ステージをクリアしたところでまたさらに延々と続きます。

パズルゲームの草分け的存在と筆者が勝手に認定する「バブルボブル」などに至っては、アーケードゲームとしては超絶の30分以上のゲーム時間をワンコインでやりきる猛者が現れ、興行的には全く儲からないゲーム台として有名でありました。

そのうち、ゲームも大衆化し、ストリートファイターなどの、「試合時間が決まっている」ゲームが登場し、これでゲーム回数の回転率向上が図られました。



RPGもキャラクターの成長にものすごく時間がかかった



RPG(ロールプレイングゲーム)についても、この傾向は顕著でした。

日本のRPGの草分けと言ってよい「ドラゴンクエスト(Ⅰとはつけない)」において、最初に出会う敵である青い「スライム」の経験値はわずか1EXP、獲得するゴールドも同じく1ゴールドでした。

少し稀に登場する赤い「スライムベス」は経験値は1で同じですが、獲得ゴールドが2倍の2と、お得感満載だったのです。

しかるに、最近のRPGの育成のインフレたるやなんということでしょう。

軽く、明治時代の通貨感覚から黒田日銀総裁緩和並みのインフレターゲットぶりです。

昭和生まれのプレイしていたRPGにおいては、その育成はかなりしんどく時間を食うものであった、けれどもそれも含めてゲームの味であったという感じが致します。

今のゲームは、よくも悪くも結果をすぐ求められる、スピード重視かつ他レーベルに顧客を持って行かれないように次々とイベントを投入する、いわば強制動的紙芝居的な面もあるように感じます。

いわば小説をじっくり読みたい昭和派と、動画音声加えてVRで効率的に情報収集をするのが当たり前になっている平成派のせめぎ合いといったところでしょうか。


ラスボスにできるだけ低いレベルで会いにいくというイベント競争



さてそんな骨太で攻略が難しい昭和のRPGにおいて、たとえばドラゴンクエストでは、「竜王会見斬」というイベントが少年ジャンプ誌上で繰り広げられました。

これは、最終ボス(ラスボス)である「竜王」の前にどれだけ「低い」レベルで到達できるか、ということを競うイベントで、どうしても経験値が上がってしまうところを抑えに抑えて、戦闘シーンは運に任せて逃げまくり、なんとかダンジョンを抜け竜王の玉座にたどり着くというものです。

ドラゴンクエストでは、最後の最強呪文ベギラマを覚えるのがレベル19で、レベル19では竜王を倒せる確率は半分半分、レベル20だと何とか倒せるというような感じでした。

MP(マジックパワー)を使い切るまで回復呪文を交えつつ、ひたすらダメージ一桁を竜王に与え続けてようやく勝てるという状況でした。

さて、この竜王会見斬、誌上で毎回記録が更新されていくのですが、最初はレベル18や17だったのが、レベル12まで一気に落ちたところで驚愕しておりましたところ、最後にレベル7!という状況で竜王に話しかけている猛者が現れ、一体この者はどれだけの時間をこのゲームにかけたのだろうかと気が遠くなったのを昨日のことのように覚えております。

なぜ、レベル7かというと、攻撃呪文ギラと睡眠呪文ラリホーを覚える最低レベルだからです。

基本的に、偶然に遭遇する戦闘は全て逃げるコマンドで回避し、どうしても回避できないイベント扱いの戦闘(必ずクリアしないとシナリオが次に進まない)については、ラリホーで眠らせてギラで攻撃、というパターンで進めるしかありません。

理論的にはそうだとしても、実践には気の遠くなるような時間がかかるはずです。

このように、昭和生まれの一部の層は、骨太なストーリーと手ごたえのある、いわば北九州製鉄所名物の「堅パン」のような歯ごたえ最高のRPGを求めているのです。

ドラゴンクエストで実現できるレベルの上限はレベル30、こうなるといつもは次のレベルに到達するまでの経験値を教えてくれる王様からも「そなたはじゅうぶんにつよい!なぜりゅうおうをたおせないのか」と叱られてしまう始末です。

そこまで育成するのにどれだけの時間を費やしたか、本当に思い出深いです。

現実世界からは逃走したい筆者からの論考は以上です。

(平成29年5月31日 水曜日)

2017年5月30日

手ごたえ十分の本格派RPGタイトルをついにスマホで楽しめる時代に





おはようございます。

寝不足の筆者(シドニィ・シェルダンの小説を読んだわけではない)から、2017年5月の記事をお届けします。

記事といっても、ゲームに関する筆者の放談で長いですから、その点ご了承ください。

これまで、漫画ばっかり読んでいる筆者です。

漫画に加え、最近ではゲームも再開して、ますます遊んでばかりの日々になってきています。

さて、筆者はジュニアベビーブーマーのど真ん中で昭和49(1974)年に生まれて、同級生は180万人を超えているという世代ですが、この世代が小学生の時に、それまでのゲームの常識を覆す、RPG第一弾「ドラゴンクエスト」が発売されました。

当時人気の絶頂だった鳥山明のキャラクターデザインということで、これまた当時はオバケ的発行部数を誇った週刊少年ジャンプに、この新RPGタイトルの特集ページが組まれました。

そんな特集ページの「世界地図」を切り取り机の前に貼り、発売されたら世界のどこを旅しようかと楽しみながら数ヶ月間を待ち焦がれたものです。

早速発売初日に購入してプレイしました。

それまでの、現実世界までもが違って見えるような気がしました。

公園から空をみあげると、リムルダールの街並みやプレイマップが鮮やかに見えるような気がしたことを覚えています。


たかがゲームではない



たかがゲームではなかったのです。

あきらかに、そこには世界があって、身体ごと身体とコントローラーを傾けながら駆け回る別の世界が広がっていたのです。

友達ともゲームの話題で盛り上がり、書店で攻略本を立ち読みして試しました。

ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジー2、聖剣伝説2、そしてクロノ・トリガー、ファイアーエンブレム 聖戦の系譜…。

こうした「名作」のストーリーに、音楽に、世界観に触れ、それを友人たちとシェアしながら楽しい少年時代を過ごさせていただきました。

・・・それから20年あまり。

そんな筆者も社会人になり、仕事に追われ、家族ができ、さらに時間に追われるような日常の中、ゲームからは随分離れてしまいました。

たまにスマホで「復活」したドラクエやFFの話題を見ても、操作性に難があるとかストーリーがオリジナルに比べて薄いなどといった評判も耳に入ったりして手を出すことはなかったのです。

しかし、それで良いのでしょうか。

我々はゲームの黄金期に生まれたのです。

ゲームウオッチから始まりカセットビジョン、そして初代ファミリーコンピュータ(
「ー」は正式にはつけない)に至って第1次黄金期を迎えるそのゲーム黎明期を同時代に見て聞いて楽しんできた者にとって、練りに練られた世界観を体現した本格派ゲームは心の故郷です。

ゲーム専用機をテレビ前に据え付けてプレイすることが時間的制約や家族の目からどうしてもできない家庭のおじさんたちができる機会はもう二度と来ないのでしょうか、やはりそのような時間は失われたと思っておりました。


時代がついに追いついてきた



・・・しかし、時代がついに我々おじさんにも追いついてきたのです。

いつでもどこでもできる「スマホゲーム」のジャンルに、ついに、我々の世代が心から待ち望んできた本格的なRPGが出てきたのです!

・「ファイアーエンブレム」を彷彿とさせるキャラクターごとの人格背景の作り込み

・「聖剣伝説2」のようなマップ上でのスムーズな操作性

・「ファイナルファンタジー」を上回る多彩な戦闘システムと戦略性

・「ドラゴンクエスト」に劣らない素直で綺麗で広がりのある世界観

そして、筆者が歴史上最高と考える名作「クロノ・トリガー」に迫る深いストーリー性

このような手応え歯ごたえやりごたえのある本格的RPGジャンルゲームが、平成生まれの若造が「かったるい」と斬って捨てるような「遅い」ストーリーの噛みごたえ十分のRPGが、我々にもプレイできるようになってきたのです。

2017年5月23日(火)にリリースされたこのゲームのタイトルは「エアリアルレジェンズ」。

こちらからダウンロードできます。

★ App Store (iOS)
https://itunes.apple.com/jp/app/id1204607472?mt=8

★ Google Play (Android)
https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.gl3inc.AerialLegends&hl=ja

iOS、Androidでプレイすることができます。

作ったのは福岡拠点の映像・ゲーム会社、グッドラックスリー

もう一度、少年青年時代に2日ほぼ徹夜でクリアしたFF7のような体験ができそうです。

すでに寝不足でブログ更新が怪しくなってきている筆者からのとりあえずの報告でした。

実際に最も時間を使ったゲームは「ときめきメモリアル」であったことは秘密にしておきたい筆者からは以上です。

(平成29年5月30日 火曜日)

2017年5月29日

有効需要の創出に繋がる公共投資を見つけることが難しくなってきた



おはようございます。

2017年5月、自称ビルメン王の記事です。

先日、最近の日本のGDPは増えてきているという記事を掲載しましたところ、読者の方々より、それは最近の公共事業でかさ上げしている部分が大きいというご示唆をいただきました。

確かにそうした側面がありまして、直近の一般予算の膨張を賄うための赤字国債の増発により、国民全体で背負う借金は地方分も含めれば優に1,000兆円を超える水準に到達しております。


ここでなぜ公共投資が有効需要対策になるのかおさらい


赤字国債を発行し、公共事業で景気を回復させるというのは、1929年の世界恐慌により、いわゆる市場経済がうまく立ち行かなくなって来たときにケインズというイギリスの経済学者によって理論化体系化された修正資本主義の一派です。

公共事業投資等による有効需要の創造により非自発的失業をなくすことを政策目標としました。

一派と言いますが、ある程度の経済政策の効果を当時はあげたため、ケインズ学派として長く経済学会の主流を形成するに至りました。

それまでの資本主義の考え方は、古典派とも呼ばれまして、失業というのは給料の引き下げに抵抗する労働者側の「自発的失業」によるもののみ、とされていました。

要するに、失業するのは労働者側のわがままであるということです。

ケインズは、そういう面もあるかもしれないが(確かに働きたくなくなることは筆者に限らず人間誰でもあると思います)、より労働者にはどうしようもない事情、例えば企業が採用を取りやめる、業務を縮小するといった採用側の事情により失業者にならざるを得なくなった「非自発的失業」があると考えたのです。

そして、自発的失業を政策的に救うことは難しいけれども、非自発的失業の方は、政策により解消することができるのではないか、と考えたわけです。

そうして、具体的には国家が赤字国債を発行して金融機関や国民に買ってもらい、そのお金で公共事業を行い、雇用を新しく生み出そうと考えました。

赤字国債は借金ですから、当然いずれ返さなければなりませんが、公共事業で景気がよくなれば消費が増え税収も増えるはずです。

そうしたらその増加分を充てて返済すれば良いわけです。

一時的に赤字は出るけれども回りまわってやがて赤字が解消され財政は長期的には均衡すると考えたのがケインズ学派の基本的立場です。


だが90年近くが経過し効果のある公共事業が見えにくくなった



日本でもこれにならって、景気が悪くなると、政府が赤字国債を発行して道路をつくったり橋を架けたりするいわゆる公共事業を増やし景気をよくしようという議論が行われます。

この理論的支柱がケインズ理論です。

しかしながら、これは、やろうとする公共事業に、将来の回収蓋然性がある、すなわち公共事業に採算性なり新しい便益が付加されるという前提あってのことです。

誰も通らない橋や誰も使わない道路をつくったところで、そこには便益が生じるはずもなく、少子高齢化で今後どのような公共事業が回収可能性があるのか、だんだん自信が持てなくなって来ているのが昨今の日本の偽ざる姿なのかもしれません。

世界恐慌の時に、その力を発揮した修正資本主義、ケインズ理論ですが、21世紀を生きる今にはまた新しい装いが必要になって来ているのかもしれません。

経済理論はこれから勉強したい筆者からは以上です。

(平成29年5月29日 月曜日)

2017年5月28日

人口減少社会に入っているのに経済成長を続ける凄い日本経済社会の話



おはようございます、2017年5月の日本経済状況をお伝えしたいと思います。

少子高齢化が進んでいる中、日本経済の実質GDPは着実な上昇を続けております。

これは、かなりすごいことです。

人口オーナス(ボーナスの反対)の中、付加価値額の総計である国内GDPを増やし続けるというのは下りのエスカレーターを駆け上がることに似て相当きついことだからです。

これは、どのような背景で実現されているのでしょうか。

それこそが、現在待機児童問題として日本中の課題となっている保育施設の整備です。

結局、子育てをしている片親(母親であることが太宗ですが)に、外に働きに出てもらって何がしかのGDP貢献をしてもらう、ということを政策的に打ち出して、それまで家庭や地域社会(のみ)に展開されていたこうした専業主婦層を改めて労働層として捉える、その欠くべからざる前提として育てる子供達の保育施設が必要であるという当たり前の現実に、ようやく政府が本気になったというだけのことです。

そして、待機児童を減らしても減らしてもなかなか一定数がいつも待機児童として残ってしまう「問題」というのは、保育施設があれば働けるという潜在主婦層を掘り尽くすまで進むはずであり、現在そうした「解消」が進まないなどと言っている場合ではなく、粛々と、着実にその層が一旦解放されるまで保育施設は増加させるべきというのが当面の答えになります。

でないと、GDP目標として政府が掲げる安定的な経済成長というのは実現できません。


空前の人手不足の日本社会



日本は、今空前の人手不足です。

そうして、この状況は、少なくとも当面40年くらいの間は続くことが確定してしまっています。

本当の解決策は、早期に出生率を2.0以上に戻して人口減少を食い止めることなのですが、その方針のためにも、保育所の整備は重要です。

生まれてきた子供とその親は声をあげることができたとしても、そもそも生まれてこなかった子供達は声を上げることすらできません。

待機児童ゼロを目指してもすぐに潜在的な保育需要が出てくると思いますが、ここはぐっと我慢して保育施設の拡充を進めるべきだと思います。

そうしないと、人口減の中の経済成長という日本経済の第三の奇跡は担保されません(第一は明治維新、第二は高度経済成長とするならば)。

外国人採用を云々する前に、高齢者、女性、若年ニート層と、日本には使える労働対象者はまだまだたくさんいると思います。

そろそろ引退したい筆者からは以上です。

(平成29年5月28日 日曜日)

2017年5月27日

なぜ空前の人手不足状況なのにもかかわらず実質賃金が上昇しないのか





おはようございます。

2017年5月の自称ビルメン王(@shinya_ueda)の記事をお送りします。

2017年も夏を迎えるにあたり、歴史的に空前の人手不足の状況を日本経済は迎えています。

数字にもはっきりと現れておりまして、例えば有効求人倍率は2017年3月で1.45倍と一本調子で上昇し、一方完全失業率は同じ時期で空前の低さで2.8%という水準で、低下の一途を辿っています。

これだけ労働市場の需給関係が逼迫すれば、さぞかし賃金も上がっているのであろうと思うのですが、どうも庶民の実感としてあまりそのようなことはないように感じます。

もちろん、一部の地震復興需要などで引く手数多の建設業の職人さんなどにおいては、その確保するための日割りの給料が何割増しかになったといった話も聞きますが、そのほかの、いわゆる人手不足が慢性的に言われている介護業界、小売業界、流通業界、警備業界、清掃業界といった分野について、なぜ労働力の供給が逼迫しているのに価格(サービス価格や賃金)が上がらないのか疑問です。

ここには、人手不足にもかかわらず、賃金をあげてその分をサービス価格に転嫁すれば良いのでなないかという無邪気な妄想が一瞬で弾け飛ぶようなサービス市場の熾烈な競争があるのです。

増やした人件費を継続的に支えられるだけの基本的な売上高を確保できるという自信があれば、経営者や株主は賃金の増加も構わず事業を拡大しようとします。

ちなみに筆者は労働者サイドに長くいる人間ですので、何となく「供給サイド」が物やサービスの価格を決めるという古い発想をおそらく無自覚に持っています。

たとえば、富士山頂のビールは一杯2,000円するけど当たり前、という発想です。

賃金を上げたぶん人件費が高騰するが、それをそのまま商品の価格に転嫁できると素朴に信じているのです。

しかしながら、筆者のように牧歌的な富士山のビール販売のようないい話が世界中に広まっていると信じるのは間違っています。

現実はもっと厳しいのです。


商品の価格は人件費というコストでは決まらない



商品の価格は需要と供給で決まります。

人件費がどれだけ高騰しようと、顧客である需要側には全く、毛の先ほども関係ありません。

そして、人件費を商品やサービスの販売価格に転嫁できるかは人件費が高騰していますという供給側の事情とは「全く」関係なく、値上げをすれば、当然にその分売り上げ数量が減り、その結果販売単価の増分を売り上げ数量の減少が相殺し、最悪の場合売り上げ自体は減ってしまうかもしれないのです。

そうすれば人件費を上げただけ、コスト増になるだけです。

最悪の場合は、売り上げ総量が減ってしまい、利益が吹き飛んでしまうかもしれないのです。

しかしながら、続く少子高齢化により賃金水準は社会全体の要請としてじりじりと上がり続けています。

賃金の上昇をどうしても商品やサービスの価格に転嫁できない事業分野の事業者にとってみれば、これは空前の好景気で仕事はあるのに自社の利益は確保できないという状況に陥ってしまうのです。

そして売り上げは社会全体の景気にも左右されます。

そうして、売り上げを伸ばす余地もなく、かつほかの部分で経費削減する余地もない企業であれば、賃金水準の高騰による人材不足で事業すら継続できなくなって廃業するということにもなりかねないのです。

宅配サービス業界は、業界を挙げての賃上げ交渉により、利益の大きな部分を人件費増にあて、サービス継続に繋げました。

そして、先ほど「ほかの部分で経費削減」と書きましたが、まさに、ここが産業革命直後から世界中の経済社会で延々とつづいてきた、業務の機械化標準化ということになるのかと思います。

人工知能の台頭も、この延長線として捉えないと、方向を誤ることになりそうです。

清掃警備設備管理サービスを経験して10年になろうとしております筆者からの率直な感想は以上です。

(平成29年5月27日 土曜日)

2017年5月26日

明治製菓の定番お菓子の「カール」がローカルスナックとして存続する



おはようございます、2017年5月の記事です。

地域限定のアイスやお菓子というのはよくあります。

そうして、その地域を出て他の地方に移り住んだ時に、あああの商品は地元オリジナルのものだったななどと気づくのです。

例えば、福岡に限定して売られている食品の代表例が、「ブラックモンブラン」という棒アイスです。

竹下製菓という地元のお菓子会社がずっと作っています。

本社と工場が佐賀県小城市小城町にありまして、竹下さん一族が経営する立派な中小企業ですが、知名度は抜群ではないでしょうか。

そのほか、「銀チョコ」や「マンハッタン」といった古くから定番の菓子パンもあります。


「カール」が西日本ローカライズお菓子に?



さて、そんな日本の一地方を超えて、全国ブランドとしてその名を誇った明治製菓の「カール」が、いよいよ続く菓子販売競争と少子化から廃盤の危機に瀕しているというニュースが飛び込んできました。

カールといえば、「うすあじ」以下すべての種類について大好きな筆者などにしては、なぜカールがなくなるんだという衝撃でしたが、思えば筆者が子供の頃には同い年(同じ学年)の子供は180万人いたのに、今では100万人を切っているといいますから、市場もそれだけ縮んだのです。

カール部門の売り上げは、1990年代(筆者が子供の頃)には実に190億円に達したそうですが、最近では60億円程度とのことです。

スナック菓子市場の飽和と少子化によるダブルパンチで、国民的ブランドを誇ったカールも、単体部門では実は赤字という状況だったのです。

全商品の取り扱いを取りやめるという最悪の判断もよぎる中、なんとかブランドを維持したい明治製菓は、カールの生産工場を全国5つから愛媛の1工場に集約し、そして配送と販売も西日本に限定することを決断したそうです。

これは、お菓子のローカライズ化の一方策と言えるのかもしれません。

大消費地の関東地方を捨てて、西日本を販路に維持した明治製菓の決断に頭が下がりますが、明治製菓からカールを卸してもらった販売業者が、自社トラックなどで関東地方や東北地方に配送し、そして送料も含めて売るという途は残されています。

本来、地方産物なのですから、全国で統一料金にする必要もないわけです。

これからは、愛媛の工場産であることを売り出して、息の長いブランド展開をしてもらいたいと考えます。

物流コストがかかるという当たり前の事実を日本の消費者が知る良い機会になればなどと思いました。

カールも好きですが、かっぱえびせんも好きな筆者からは以上です。

(平成29年5月26日 金曜日)

2017年5月25日

会社や組織が回ると回り回って個人の労働者も豊かになるという仕組み

ソヴィエトの国旗(星と鎌とハンマー)



おはようございます。

2017年5月の後半、思う通りに書いてみるシリーズ記事です。

明らかに通常に比し長くなります(本文字数3,800字超)ので、お察しください。

日本における新卒一斉就職による4月のフレッシャーズの状況も一段落し、そうして毎日の通勤電車のひとときの混乱もだいぶおさまりつつある季節ですが、そもそも会社に勤めるということの仕組みの長所を考えてみたいと思います。

いわゆる産業革命において、労働生産性を飛躍的に高めた結果、その担い手としての資本家というものが発生し始めました。

そうして、その原点に近いところにいたイギリスや、海を渡ったアメリカにおいては、そうした資本家の横暴を適度に抑え、その仕組みを労働者側にも適切に還元するような仕組みで社会を再構築するような革命が比較的ゆっくりと行われました。

ここでの産業革命の担い手は、いわゆる都市部の中小自営業者や、地方の農場主およびその子弟といった勢力が中心でした。

彼らは、もともと貧乏な小作や農民であった場合も多く、そこから這い上がり、かつ家業としての事業を営むためにかつての自らのような境遇にあるところの労働者を従業員や委託先として雇っていたという状況から、貧乏な人たちを豊かにするには、一時金をばらまくのではダメで、起業家自体を増やしてビジネスの総量を多くし盛んにして、そして労働力以外に売るものを持たない人々の雇用の不安を解消して待遇(賃金)もよくしていくしかないと現実的に考えました。

健全な労働市場の伸長の上に、健全な金融投資市場が育つというまともかつ穏健な考え方で、利益の一部を内部留保し、適切な税金を国家に支払い、そしてさらにその残りから将来の設備投資などに資金を再投下して、単位労働あたりの生産性を高めるという方法を地道にとりました。

そうすると、だんだんと労働生産性があがり、労働者も高度な職人として、比較優位の賃金が保障されたわけです。


資本家層が登場する前に資本家層を打倒する革命が起こってしまった


しかしながら、ここでそもそも健全な資本家層が育つ前に革命を迎えてしまった少々不幸な国々が現れました。

典型的なのがまだ産業革命のとば口にも来ていなかったロシア及びその周辺国でありますが、彼らは兎にも角にも威勢良く王政を打倒し、皇帝を吊るし首にしたあと、急速な富の再分配を行ったのです。

しかしながら、企業や産業は、そこに生まれ続ける利潤や利益の一部を内部留保し、設備投資や労働装備に回してこそ息が長く続くものです。

その大切な将来の再投資の種銭をすべて根こそぎ資本家(の卵)から巻き上げ、労働者革命と称してとにかく平等に分配すべく強力な共産国家による巻き上げをおこなったとあっては、今後まともに事業を展開しようとする気がなくなるのは仕方がないところだったのかもしれません。

共産主義革命政権下においては、資本家は労働者階級から搾取するのみの存在で、打倒されるべき存在と規定されました。

もちろんそうした一面もあるかもしれませんが、より構造的には、資本を回して雇用や賃金を増やしていくためには、資本家がもつ企業が受け取った利益の一部を内部留保して、設備投資などに回して、労働生産性を高めるしかありません。

そのため、資本家は、労働者の生み出した付加価値の一部を利益として確保して、税金を払った後の残りを内部留保して、設備投資などにあてるのですが、これが一見すると、労働者からの搾取に見えるわけです。

実際には、設備投資などによって労働生産性が高まり、労働者の賃上げや待遇改善に繋がっていき、新産業も生まれてGDPが向上する効用のほうが大きいのですが、それは先の話になるので、種銭レベルで目の前を目の前だけ見ると搾取に見えるのかもしれません。

さらに、そうした資本家層にも、公開株式市場などを通じて、労働者階級や庶民も些少ながら株式投資や年金資産の投入などで入り込むことが可能になり、さらに資本家と労働者という対立構造に意味がなくなってきました。


一見最もな対立構造に議論を単純化することが往々にして行われる


しかしながら、一見労働者のこうした劣位に置かれている立場を殊更に言い立て、そこを一点突破して自らの政治的主張とリンクするように運動する層もいまして、そうした勢力による「資本家による搾取」理論が、一定の理論的支柱を得てこうした下からの共産革命を成功させた一因であろうかと思います。

この点を突いて、例えば共産主義を標榜すると称する人々などが、資本家による搾取だーなどと無茶を言うことがあるので、ここは、(全てを)真に受けないようにしないといけないと思うのです。

特に、大学を出る、大学に入学するといった一定の知識層に対しては、社会での現実を知る前に、こうした価値観を一気に植え付けるという勧誘手法が、未だに残っているようです(筆者が大学に進んだ時にはさらに大々的に運動されており、白昼堂々と授業を妨害しての宣伝活動が活発でありました。教育を受ける自由の重大な侵害なのですが)。

世の中に貧しい人や困ってる人がいるのは、いつの時代もそうでありまして(筆者なんか本当にモテないので困っています)、それは比較的豊かな家庭に生まれて大学などの高等教育機関に学ばせてもらっている自らのせいでは全くないのですが、例えばそこに、極端な運動家によって「お前はプチブルだ、総括しろ、反省しろ」と言い続けられた場合、一見純粋な人ほど、自分が豊かな家庭に生まれたこと自体が悪ではなかったのか、などと勘違いしてしまう場合もあるのです。

そうして、その意味の少ない「贖罪」行為としてこうした活動に身を投じるという場合もあるのです。

わが国でも連合赤軍のあさま山荘事件や、よど号ハイジャック事件など、一見大変滑稽で困った社会事件が起こったのも、厳然たる歴史的事実です。

時代を遡ると、良家の子弟ほど、こうした社会の矛盾を一気に解決する劇薬を求めました。

あるものは共産主義革命に憧れ、あるものは宗教上の神秘主義に浸り、またあるものは極右思想による世界制覇と民族浄化を夢見ました。

没落貴族の子弟などは特に、自らの没落した理由を社会の歪みのせいにしたがり、さらにそうした不満を左翼右翼限らず極端な革命活動に絡め取られたりする事例が歴史上たくさんあったわけです。


壊したものは元に戻らない


もちろん、社会をぶっ壊したところで、その再建にはさらに時間と手間がかかりますので、今の社会を少しずつよくした方が良いことはわかりきっていると思うのですが、なぜか急進的かつ極端な人たちは、まず壊すことの甘美さに抗し得ないようなのです。

そんな没落層が、さらにもともと貧しく資本の蓄積のない社会層及び農村部の農奴制が色濃く残る極寒のロシアの地で、初めての共産主義革命を実現したことは、非常に示唆的です。

社会主義革命論を説いたドイツの哲学者である巨人マルクスは、資本主義社会の最終段階が壊れるその次に社会主義革命がやってきて、真の共産主義社会がやってくるであろうと説いたのですが、実際は、産業革命が起こる前の農奴制社会から一気に共産党独裁の巨大社会ができあがってしまったというわけです。

しかるに、1920年台当時のロシア及びその周辺国には、そもそも、そこまで資本主義的な産業の芽がなかったこともあり、さしたる抵抗もなく、共産主義革命と称した壮大な社会実験は一定の成功を収め、その後は計画経済と称した国家による統制経済による高度に統制された経済秩序による発展が志向されることになりました。


壮大な社会実証実験


ソヴィエト社会主義共和国連邦におけるこうした強力な中央集権主義による上からの経済高度化については最初の段階では非常な成功を収めたものの、やはり全てを中央の共産党幹部が机上で決めるということに無理があったのか、ソヴィエトの歴史は約70年で幕を閉じます。

具体的には、ソヴィエト社会主義共和国連邦は、1922年から1991年までの間に存在したユーラシア大陸における首都をモスクワとする長大な国家でした。

実に15のソヴィエト共和国により構成された連邦国家であり、マルクス・レーニン主義を掲げたソヴィエト連邦共産党による一党制の社会主義国家でもありました。

こうした歴史の話を振り返って思いますことは、やはり社会の不満とかそういうものを、社会のせいだとか自分自身のせいだとか極端に思い込もうとすることの大きな副作用として、社会全体を不安の渦に叩き込む恐れがあるものだということです。

巨額な賠償金や劣位に置かれて民族的な誇りを傷つけられた純粋なドイツ国民5,000万人が、ほぼ全てヒトラーを支持し、当時世界で最も民主的と言われたワイマール憲法体制を自らが選んだナチスという政党を通じて「否定」して、全ての権限(大統領と首相)を一人に集中させて国家の力を最大限発揮することを「求めた」のです。

大戦時を犠牲を凌ぐ数千万人ともいえる犠牲者を強いながら、それでもソヴィエトの連邦国家群は、スターリンという絶対権力者に全ての権限を捧げたのです。

何事も、全ての責任を他人にゆだねることや、うまくいかないことを全て外の何かや自分自身のせいにしないようにすると、手痛いしっぺ返しを食らうというのは学びにしたいと思います。

そういうことでとにかく話も考えも、覚悟も仕事も顔も何もかも中途半端な筆者からの今日の放談は以上です。

(2017年5月25日 木曜日)

2017年5月24日

仲が良いことと信頼されていることの概念は全く別物であると気づく話



2017年5月の論考です。

人に信頼されるということは非常に難しいことです。

しかしながら、人への信頼を積み上げて、ある種のリスペクトを得て人は生きて行くものであるのもまた真理だと思います。

そして、非常に似て異なる概念として、仲が良いということが挙げられると思います。

仲が良いとはこれもよいことで、自分を出せる人間関係を構築しておくことは、こちらもまた人生において大変必要な要素であることであると言えるでしょう。

しかしながら、この2つの概念が混ざり合いますと、あまりよくない効果が生まれるような気がするのです。

たとえば、筆者もよく立ち寄る立ち飲みカウンターがありますが、この惑星のこの地方に住まう特にサラリーマンと呼ばれる男たちは、群れると非常に声を張り上げ騒々しくなるようです。

そして、何を語り合っているのかといえば、例えば彼らが根城にしている鎮西九州という土着の地におけるビジネスというのは、全て土着の人間関係が全てなどと、世界地球レベルでは全く珍妙な意見を肯定的に平気で語り合ったりされています。

曰く、同じ高校だ、同じ部活だ、同じ地域出身だ、郷土の英雄(ビジネス上の)つながり同士だ、というような話題が鉄板です。

仲が良いことと信頼されているということは全く別の概念


しかしながら、場末の飲み屋で語り合っている分には全く問題はありませんが、例えば、命の次に大事な自分の資産を誰かに預けて安定的に増やしてもらおうとする場合、仲が良いから任せるということにはならないと思うのです。

資産運用の要諦は、自らでは考えられない別のリスクを取りに行き、様々なリスクをバスケットにしてポートフォリオとして管理し、全体としてのリスク低下を狙うということですから、自らの気の合う友人は、自らの判断と同じような判断をするという同調圧力があり、わざわざ手数料なりの適正対価を支払い委託するという行動に応じた合理的期待を持ち得ない、とも言えるのです。

ここは、委託したい業務をもっとも極めたプロか否かという観点で、「信頼できる」ファンドマネージャーなり投資哲学をもった資産運用担当者を選定して任せることが必要になってきます。

このように考えますと、仲が良いということと、信頼されてるということは違うものであろうと思われます。

仲が良いから、大切なことを任せるということにならないということです。

同じように、いい人であることと、信頼されていることも違います。

これも、いい人がみんな仕事ができるとは限らないからです。

いい人ということと、(任せたい仕事なりが)できる信頼が持てる、ということとは全く異なる概念なのです(なので、両方備える場合もあるし、どちらか一方備える場合もあるし、両方とも揃えない場合もあります)。

何をもって信頼を得るのか。

これはかなり難しい、永遠の課題です。

ただ、いい人であって仲の良い友人をたくさん作るだけでは、少なくとも信頼を得るという結果にはあまり直接つながらないということです。

筆者レベルの頭で考えられることは限られておりますが、どんな小さなことでも自らやると決めたことはやる、すぐやる、という構えができている人には信頼が寄せられるような気がします。

信頼とは、すぐやることの繰り返しから得られるものなのかもしれません。

飲み会だけは社交辞令だろうが何だろうがすぐやってしまういい人でもない筆者からは以上です。

(平成29年5月24日 水曜日)

2017年5月23日

(労働法制)解雇の金銭的解決制度が制度化される見通しになった模様




おはようございます。

2017年5月の記事をお送りします。

会社や組織で働くというのも、契約の一つでありますから事情が変わった時にはお互い終了できることが原則です。

まず、労働者側からの離職は、特別な事情を除いては、民法上2週間前の予告でできるとされています。

(2週間先の日付を述べて)やめます、といえばよく、もちろん会社側はその撤回を求めることはできますが、撤回がなされなかったら当然に契約は終了となります。

しかしながら、雇用者側から労働者を離職させること、これを解雇といいますがこれには非常に厳格な正当事由という要件が課されています。

解雇に関するもっとも重要な法律条項といえば、労働契約法16条において、

「解雇は、客観的に合理的理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合には、その権利を濫用したものとして無効とする」

と規定されています。

では、そもそも、なぜ、このような規定が設けられているのかといいますと、対等な個人間同士による契約と違って、労働者側にとっては一般に仕事を失うという重大な効果を生じせしめ、生活の基盤に直結するという意味で極めて重いと捉えられているからです。

そこで、こうした「いたいけな」労働者を保護するという観点から、政策上、裁判例においても、雇用主からの解雇については、正当事由、すなわち①客観的合理的理由、と②社会的相当性という厳しい要件を課せられ、これらが満たされない以上は無効となり解雇の効力が生じないとされているのです。

しかし時代は変わってきた


しかしながら、時代や社会情勢の変化によって、いたいけな労働者と同様に、いたいけな雇用主というものも理解されるようになってきました。

具体的には、終始環境が非常に厳しく労働者の労働環境が非常に悪いいわゆるブラック企業の存在です。

こうした会社では、いくら強行規定があろうとも、問答無用で違法な解雇通知がなされてきており、労働基準法令上それは認められないと訴えても結局泣き寝入りしているような場合も多いと耳にします。

加えてすでに雇用主との関係が破綻している職場において、毎日出社して働き続けるという選択も、お互いにとってなんら特でもありません。

そういう中で、解雇に関する雇用者側と労働者側の紛争について、結局あらかじめお金で解決できる、いわゆる「解雇の金銭的解決制度」を巡り、厚生労働省の方針で、解雇された労働者側が職場の復帰を求めなくても、それに代えて解決金の支払いを要求できる権利を認めることで、紛争の早期解決を目指すことを柱とした制度の導入が議論されることになりました。

早ければ、2017年の夏以降にも、労働法制の改正に向けた具体的な論点整理が始まるということです。

確かに、従前の職場でいつまでも労使がもめていては、雇用主側も頭が痛いし、解雇通知を受けた労働者側も、これ以上従前の会社に居座っていても特に待遇が改善するわけもないことは明白であるため、さっさと解決金で手打ちにして、お互い次に進む方が合理的であることは確かです。

それでなくても、最近の労働市場は少子化による生産年齢人口の現象が本格化し、人手不足が顕在化しています。

有効求人倍率はうなぎのぼりで、失業率は過去最低水準を更新する勢いです。

もちろん、労働側に立つ識者や勢力からは、「会社が解決金に近い金額を示して労働者に退職を迫るリストラの手段に使われる」と非常な反発があります。

しかしながら、現在の法制度においても、結局職場復帰を主張しながら、その実解決金と称した金額の増加を狙う訴訟戦術に現行制度が使われているという現実もあり、こうした濫用について雇用者側としては非常にリスクに感じているのも事実なのです。

雇用者側の不安は、そのまま同じ雇用者のもと働く他の労働者に伝播します。

これでは企業の生産性向上など見込めません。

労働者側の、合理的に働き成果を出していれば突然解雇されることは少ない、と安心感を求めたいところと、雇用者側の、地位にあぐらをかいて全く働こうとしないもしくは働く能力がないことが合理的に判明した労働者をすっきり解雇したい、という要求双方の着地点を丁寧に探ることになるのでしょう。

いたいけな労働者であります筆者からの考察は以上です。

(平成29年5月23日 火曜日)

2017年5月22日

わが国の国家官僚の時代国家認識に一般と徹底的な差異があるという話




おはようございます。

2017年5月の記事をお届けします。

本日は割と長文かつ筆者の意見が色濃く出る系統の記事ですので、読み進まれる場合はご留意ください。

学生時代、国家公務員総合職試験(院卒者、大卒程度)の試験を受けることすらしていない筆者が通ります(旧司法試験も不合格です)。

さて、経済産業省の次官・若手プロジェクトなるものが2017年5月に世の中に発表した「不安な個人、立ちすくむ国家〜モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか〜」という紙がありまして、この内容が面白いので言及するものです。

リンク先はここです。

http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/020_haifu.html

の中の、資料2「不安な個人、立ちすくむ国家〜モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか〜」というのが当該資料です。


時代国家認識に徹底的な差異がある


この手のパワーポイント資料は、21世紀になってしばらくしてから、特にリーマンショックに端を発した世界的な景気後退や金融危機、もしくは日本国債の際限ない増加と少子高齢化といった人口構造の変化による年金福祉への不安が世の中を覆ってきた、と勝手に自己推測規定する官僚たちの自己満足の作品群の一つで、同じ内容をいろいろ表現を変えて述べているおもちゃ的資料だと筆者などには見えました。

筆者もだいたい20年くらいはこの手の資料に触れてきています。

曰く、最近新しい公共とかいう珍妙な言葉で言われてきたものと同じような類のものであり、今更そんな現状認識でやっていけるのかと思うくらいの内容になっているような気がしてなりません。

パワポ内容のデータ群の間違いの前に、そもそもこういったペーパーを世に出せる時代認識というか社会背景への理解が徹底的に偏っていると思うのです。

すなわち、冒頭で述べられている「かつて、人生には目指すべきモデルがあり、自然と人生設計ができていた。」というくだり、いきなり「かつては人生設計は自然とできていた」らしいのです。

笑うべきところだと思います。

一体、バブル崩壊の足音の中で狂騒から目が覚めた昭和末期の人たちが、どこで自然と人生設計ができていたのか、農村から都市へひたすら流れ込んで続く公害問題に打ち震えながら高度経済成長を体現してしゃにむに働いてきた昭和中期の人々がどこで自然と人生設計ができたのか、さらに前になれば戦後の混乱期の中で必死にもがいて生きた昭和前期の方々や、そもそもかの大戦をアメリカやイギリスといった世界の覇権大国相手に戦い、陸に海に多大な犠牲を払った散った我々の先人たちが、明治の時代後期は世界の超大国ロシアと遠く満州の極寒の荒野まで数十万規模で戦いに出向いた我々のご先祖様たちが、どこで自然と人生設計ができていたのか、直近では2011年の地震による大震災にて生活基盤と愛する家族や知人を根こそぎ奪われた方々などが、自然と人生設計ができるのか、本当にこれは市井に生きた我々の先人たちに対する通常の認識で書かれたものであるかきわめて疑問なのであります。


人生は100点満点らしい


ペーパーは続きます。

「今は、何をやったら「合格」「100点」か分からない中で、人生100年、自分の生き方を自分で決断しなければならない」

らしいです。

人生に点数が、しかも100点で満点とは、その発想自体が本当にかぐわしい香りが致します。

自分の生き方は、いつだってご先祖様も自分で決めてきました。

今を生きる我々の人生も、自分で決めなければなりません。

誰か点数をつけてくれるのでしょうか。

さらにペーパーは続きます。

昭和型人生スゴロクという珍妙な言葉が出てきます。

ここには、官僚や一部上場の大企業のサラリーマンが持っている「ような」人生観のみが彩られ、中小企業やいわんや自営業の方々に対する目線はそもそもありません。

みんな大卒であることが前提のようです。

それは自らの環境からすれば、仕方のないことなのかもしれませんが、中卒や高卒の人たちの方が多数派であることを、わかっていないことをわざわざ表現されるのはよろしくないと思います。

自分自身でペーパー自体で1/3しか存在していないと試算している終身雇用型人生を100点と換算し、それ以外は減点していくというのは笑うべき視点です。

そもそも、昭和型主婦業や終身雇用による家計の一本足夫転勤族、といったモデルこそ、長い我が国の歴史上異端的な特異な(悪い意味で)限定的な社会的制度であって、軽く200年前には彼らの金科玉条とするところの官僚機構すらなかったことを考えますと、画一的な価値観が多様な価値観に変化した云々というより、自分たちの立ち位置の方が特異な分野に属していたということであることなのに、それが分かっておらず天動説的に世の中が変わったなどと御託を並べるのは控えめにいってほとんど冗談、率直に言って有害だと思われるものです。


もともと国家も人生も多様でした


もともと、歴史的に世の中多様でした。

そして、これからも世の中は多様でありましょう。

このような行政文書に垣間見える多様な価値観という言葉自体、要するにこれまで見えていなかった世界を見た方々が嬉々として書いているだけで、そんなのどっこいずっと昔から市井には存在しています、ということなのです。

まるで、すでに存在していたものを、意識下に持っていなかったものが、新発見だと騒いだところで滑稽なのと一緒で、官僚の価値観と彼らのかくあるべきという社会制度設計にそぐわない方の人が多いことに最初から気づいていないか気づこうとしないわけです。

有史以前から、社会も個々の人生も多様性に満ちております。

そうやって歴史は形作られてきたわけで、そんな必死に生きたご先祖様の最後のつながりで今の我々がフロントの今を生きているわけです。

再掲しますが該当ペーパーでは、「漠然とした不安や不満」が今出てきてますみたいなこと言ってますが、100年前は日本国の浮沈をかけて日露戦争を戦っていたわけですから、漠然どころか物凄い不安と不満の中で、それでも前向きに市井の人たちは生きてきたのです。

人生は双六ではありません。

さらに、「今後は人生100年、二毛作三毛作が当たり前」などとも書いておりますが、そもそも同時に複数から収入などを得るのが当たり前の生活なのです。

現役時代はどこかの組織に一意専心働いて、定年になって体よく追い出されたら二毛作なんて、そんな認識自体が錯誤的です。

従来の業務や仕事の概念もものすごい変化にある中、一定年齢後の退職後に何か稼いでね、では話になりません。

年金出せないからといって自己責任で丸投げにしているだけです。

ちなみに年金や健康保険制度がなくても昔からみな割と強く生きてきました。


日本イコール自分たちと言い切れる幸せ


そして、極めつけは、最後のほうの「なぜ日本は、大きな発想の転換や思い切った選択ができないままなのだろうか」という大上段の問題提起です。

来ました、大上段からの日本(にっぽん)論。

大きな発想の転換や思い切った選択ができないのは、官僚機構におられるご当人だけで、既に日本人の発想の転換はいつの時代でも状況に応じて柔軟に行われています。

柔軟に発想するから、政府が必死に納めてねと願う国民年金の未納率は上がるわけです。

貰えそうにないからです。

柔軟に発想するから、法科大学院の入学者数は減少の一途なのです。

弁護士になるのであれば予備試験を受ければよいし、そちらの方が合格可能性が高いからです。

官僚文章はこうした流れを後追いで記載して悦に入ったり苦言を呈しているだけです。

官僚たちイコール日本ではありません。

日本はもっと大きな存在で、多様性に満ちております。

鎖国だって政府が言ったら記録上鎖国ですが、市井の人たちの認識は違います。

琉球とだってつながって砂糖の密貿易で財を成したし、アイヌとの昆布の交易で年貢を払った藩もあったし、そもそも長崎や平戸では定められた貿易量をはるかに上回る闇の商品流通網が整っており大阪や堺などとつながっておりました。

したがって、このようなペーパー作業しかできな政府が具体的にできることは非常に限られております。

せいぜい、余計な規制を緩和して個人や組織の活躍の邪魔をしないといった程度のことなのです。

われわれの現在の生活や国家基盤を支えているのは、個人、そしてその集合である企業や非営利団体の日々の努力の積み上げということです。

このペーパーが、民間企業のコンサルタントによってつくられ売られたとしたら、それを買う人は特にいないと思います。

解決策がないからです。

そういうわけで、私は好きにする、君らも好きにしろ、という言葉で本稿を一旦締めたいと思います。

こちらからは以上です。

(平成29年5月22日 月曜日)

2017年5月21日

筋肉痛の上に重ねて運動をするとやっぱりさらに痛かったという話です




おはようございます。

2017年5月の記事です。

日中熱くなってきまして、最高気温30度を超えたところもあったそうです。

たとえば東京都心では今年(2017年)初めて30℃以上の真夏日となるなど、東日本や東北南部を中心に気温が高くなっているのですが、なんと、群馬県館林市では、午後3時過ぎに35.3℃を観測し、全国で今年初めての猛暑日となったそうです。

そんな今年の夏も暑くなりそうな予感ですので、ゴルフの春シーズンも今がたけなわとなっており、筆者の技量向上も待ったなしで求められているという状況です。



筋肉痛の中再度打ちっぱなしに行ってみた


さて筋肉痛の筆者ですが、どうせほっとても治らないので、時間がある際にまたゴルフの打ちっぱなしに行ってみました。

そうするとどうでしょう。

まともに飛ばないのです。

もちろん普段から、まともに飛ばないのには定評がある筆者ですが、今回は、それをはるかに上回る飛ばなさで我ながら驚きました。

単に痛いというだけではなく、筋肉が正しい動きを覚えていないというか覚えているのかもしれませんが全く再現できないのです。

これは驚きました。

まるで右に左にランダムに打ち出す壊れた機械のように、方向も、角度も何もかも定まりません。

筋肉痛というのは、筋肉が痛いだけではなく、通常考えている動きそのものが著しく阻害されているものだということが改めて実験して分かったというわけです。

やはり、ものごとは正しく動くことができてから、それを少しづつ早くしていくことが上達への道筋であることがわかりました。

さらに筋肉痛となってしまい、寝るのも痛くて変な夢を見そうな筆者からは以上です。

(平成29年5月21日 日曜日)

2017年5月20日

数日遅れてくる筋肉痛は本当に加齢に伴うものなのか調べて見た話です




おはようございます。

2017年5月の記事です。

先日、久しぶりにゴルフの打ちっ放しの練習に行きまして、そして中古クラブショップが併設されているのをいいことに、ずっと古いクラブをそれなりに古いクラブに買い換えたというお話をしたかと思います。

そして、試打も含めて久しぶりにボールを打ちまくっておりました。

その後、数日経過した後のこと、朝腰が重くて起きられなくなりました。

特に、左の腰の付近が重く、かつ分裂しているような激しい痛みです。

これはどうしたことかと思っておりましたら、その翌日、さらに右の胸筋も痛くなってまいりました。

そうして、その日の夕方には右腕の僧帽筋の裏にも鈍痛が走ってきたのです。

そもそも右の胸筋が痛いことなどめったにないことなので、これは何だろうとはじめ思ったのです。

そうして、傘を使ってゴルフのスイングの真似事をしてみますと、まさに、その動きで使う左腰の付け根部分、右腕の胸筋、そして僧帽筋付近と、鈍痛が走ったのです。

ゴルフの打ちっ放しにいってから、実に数日が経過しております。


数日遅れでくる筋肉痛は年をとったからなのか


年を取ると、その日のうちは筋肉痛にならないが、数日経過してから筋肉痛になるものだ、といった俗説はけっこうまことしやかに言われております。

筆者も最初、自分の加齢のせいかと思ったくらいです。

しかし、これは厳密に考えると変です。

別に若かろうが年をとろうが、筋肉痛には理由があるはずです。

筋肉痛の原因は、完全には解明されているわけではもちろんありませんが、とりあえず次の三つの要素が関係することは間違いなさそうです。

まず、疲労物質の蓄積です。

乳酸が有名ですが、こうした疲労物質が痛みを起こす一つの原因であろうと言われております。

次に、筋繊維の損傷です。

筋肉が大きな力で収縮を繰り返し、小さな傷や断裂を生じさせます。

そして、こうした傷ついた部分が大きな炎症を起こすことにより、痛みとなるのです。

しかしながら、これらの2つの理由は、運動をしている最中もしくはしたすぐ後に最も顕在化しているはずなので、例えば筆者のように3日後に急速に苦しみだすということとはあまり関係なさそうです。


そんなあなたは3日後から筋肉痛


それでは、3日後に改めて体の中で起こりうる作用とは何なのでしょうか。

これが3つ目の理由として考えられる、身体を修復しようとする作用による痛みなのではないかと考えられます。

大きな運動により傷ついた筋繊維は、一度分解され、そして新しい筋繊維が合成されて行きます。

超回復というプロセスです。

そうして、超回復を超久しぶりにするような個体の場合(要するに普段運動しておらずその手の負荷が久しぶりにかかった個体)、損傷した筋繊維やその周辺組織が回復過程で生じさせる通常の炎症反応を、過敏に個体として認識してしまうのではないかというところなのです。

神経系の痛み物質が筋膜を刺激し、えも言われぬ痛みを伴います。

そうして動かさなくなることにより、さらに固まってしまい、再度動かした時に痛みがさらに襲うという感じになってしまいます。

筋肉が一度分解されることによって起こる痛みが、主に遅れて発生する筋肉痛(遅発性筋肉痛)の原因といわれているのです。

すなわち、運動後すぐに起こる筋肉痛は、筋肉の断裂と疲労物質です。

そして、数日後に痛いのは、回復している身体の炎症作用ということになります。

さらに、普段運動していない体ほど、回復するのにダメージを多く感じる身体になってしまっているということがあり、やはり運動不足を痛感することになるわけです。

若い頃は、筋肉痛など出ないレベルの不可であった運動が、筋繊維が中途半端なダメージを受けてしまい、数日後に筋繊維の分解と超回復が必要なレベルの運動になった場合、数日後の筋肉痛に苦しむことになります。

しかしながら、筋肉痛は超回復の生みの苦しみですから、その後はすっきりと回復した体が手に入ると信じて、しばらく安静に過ごしてストレッチを行ううようにすれば良いと思います。

ゴルフは一向に上達しませんが、筋肉痛が連続していて一向に抜けきらない筆者からは以上です。

(平成29年5月20日 土曜日)

2017年5月19日

返礼品競争になりつつあるふるさと納税から降りる自治体が登場した話




2017年5月の納税意識が高まる記事を配信します。

ふるさと納税制度が広まり、各地の返礼品競争も過熱しておりますが、中には、この流れに反して返礼品を送ることをやめ、そしてふるさと納税の実績がゼロになることを選択した自治体も現れました。

埼玉県所沢市がそんな決断をした自治体の一つです。

同市は、2017年4月の新年度から、これまで2年間続けてきた「ふるさと納税」に対するお礼(返礼品)を取りやめました。

そうして、2016年度までは集めていた寄付によるふるさと納税増額分を潔く手放したわけです。

返礼品競争になっている


所沢市の決断は、ともすればとにかくどこの返礼品が得かということに流れる納税者のあさましさを突いたものと言えそうです。

もともと、ふるさと納税の理念は、自分を育ててくれた、またお世話になった場所をふるさととして心に持ち、そんな感謝や応援を税金を納めるという形で示すという趣旨であったはずです。

しかしながら、お金欲しさにモノで釣って、そうして税金の総額は変わらないところを自治体間で奪い合い、余計な経費として返礼品やふるさと納税課という意味の薄い自治体の過剰行政サービスに消えるというありさまだという批判ももっともなのです。

納税者側も、ふるさとへの応援というより、とりあえずいいモノもらいたいということに夢中なだけで、本来ふるさとを応援したければ追加で寄付をすべきところ、納税する総額はほとんど変わらない(厳密にも2,000円増えるだけ)ことにかこつけて、好き放題やっているようにも見えるわけです。

そもそも限界的な地方自治体に金をすこしでも回そうとしたわけなので、大都市である東京や大阪といった自治体がよその自治体に納められるはずだった税金を奪う必要もなく、自然に救われるべき弱小自治体にふるさと納税が自然に回ればそれでよいとの判断だというのもうなずけます。

所沢市に名産がないというわけでは決してなく、こうした際限なきゼロサムの獲得競争からは一旦降りて、そうして全体の税収なり国民全体の生産性の向上にシフトした方が確かに賢いのかもしれません。

ちなみに、返戻金の目安はだいたい納税額の3割から4割といわれます。

これでは、実質の実入りが6割となり、確かに単なる所得移転にしては高すぎるメリットではないかと言えそうです。

ふるさと納税をやっている納税者のひとりでありますが、これから長い少子化時代を迎えるにあたって、ふるさと作りとは本来難しい議論だということを改めて感じた筆者からは以上です。

(平成29年5月19日 金曜日)

2017年5月18日

世界株式市場の時価総額上位企業が固定化されてきたように感じる理由



おはようございます。

2017年5月の五月晴れの日の記事です。

世界の投資市場、特に株式市場が好調です。

そうした中、人はわかりやすい銘柄の価格を押し上げるのか、ついに世界中の株式時価総額のトップファイブ、すなわち五人衆がおそらく誰でも聞いたことのある会社で占められるようになりました。

すなわち、時価総額で80兆円から40兆円くらいの間で(数字は適当です)、

①アップル(80兆円くらい)
②グーグル(65兆円くらい)
③マイクロソフト(55兆円くらい)
④アマゾン(45兆円くらい)
⑤フェイスブック(40兆円くらい)

の5社がこれからの世界を牛耳っていき、6位以下との差を急速に引き離しにかかった、そんな感じがしているのです。


第二集団との距離は更に離れつつある


6位以下には、世界最大の運用会社であるバークシャー・ハサウェイや世界最大の石油会社のエクソンモービル、世界最大の消費財メーカーであるジョンソン・&・ジョンソン、世界最大の銀行グループのJPモルガン・チェース、そして中国のテンセント・ホールディングスやアリババといった巨大企業が続いていますが、正直このグループは二番手グループとして、上記の5人組寡占グループを脅かす存在にはなりにくいのではないかと感じるのです。

毎日使っている知っている会社が強い

筆者も、アップルのモバイル端末を使ってグーグルでブログを書き、マイクロソフトのオフィスで会社の業務をこなし、アマゾン定期便で買い物をしてフェイスブックのメッセージで連絡を取り合うという生活で、この5社との接触抜きには生活が成り立たなくなるくらい取り込まれてしまっています。

なかなか、この気持ちの良い軛(くびき)から逃れるすべはないようで、そうすると、やはりこの5社が最もダイレクトに消費者である筆者のようないたいけな市民に近くサービスを提供しているということになりそうです。

こうした会社の存在は、既にある意味国家を超えた力を持つようになってきているとすら感じています。

ここに投資している数限りない個人投資家の運命も多く担っているということになるわけで、国レベルの社会的責任を負っているといっても過言ではありません。

そんなことを感じながら投資に関しては素人の筆者からは以上です。

(平成29年5月18日 木曜日)

2017年5月17日

お金に働いてもらうというお金持ちが見ている観点を説明したいと思う




2017年5月のお金持ちに関する記事です。

世の中お金もちが少なからずおります。

お金を手にする方法は大きく2つありまして、まず、お金を得るために自らが労働市場で働くか(個人事業も当然含みます)、もしくは持っているお金自体に働いてもらうかの2つがあります。

3つ目として、近しい人(子供や親族、オーナーとして所有する会社で従業員として働いてもらっている人も含む場合もある)に思い切りお金をかけて教育・リテラシーを与えてバリバリ稼いでもらう人材になってもらうという方法もありますが、これは教育が大切だということを言いたい別の機会に言及することとします。


お金自体に働いてもらうという発想



さて、大きくお金を自身で労働市場から稼ぐのか、自らの持っているお金に働いてもらって、金融市場で稼ぐのかという違いと言っても良いです。

そして、労働市場から稼ぐ方法がどうしても健康や自分の時間とのトレードオフになりやすいことからすれば、もう一つの方法、お金にどう働いてもらうかという金融リテラシーの観点が、現在の日本社会においては大変不足しているのではないかと思うのです。

労働者が仕事で稼いだお金は、すべて「使って」しまうのではなく、その一部に自らの責任で仕事を与えないといけないのです。

たいていの人のお金は、おおかた使われてしまうか、もし残ったとしても仕事を与えられるわけではなく、銀行の金庫や預金残高で単に寝ているだけに過ぎないのです。

これではいけません。

自身の尊い労働の対価である自らのお金に、仕事を与えて働いてもらうのです。

そして、どれだけ彼ら(お金たち)によい仕事をあてがうことができるか、それはその人次第ということになります。

お金の仕事を測る尺度として、例えば投資利益率が挙げられます。

英語でReturn On Investment(ROI)ともいいまして、
「投資利益率=利益÷投資額×100%」で算出されます。

例えば、この利益率が最も悪い、乗り物として最も遅いのが預貯金などの貯蓄となります。

利子が年率0.1%(という高い利率)であるとしても、200年経ってもその額は1.2倍になるだけです。

200年は相当長期です。

おそらく、今いる人間のすべてはいないでしょう。

債券投資や株式投資については、もう少しスピードが速く、未公開株などへのベンチャー投資などはリスクもあり投資金額が0となるリスクも大きい代わりに、化けると数百倍も狙える投資になります。

自らの勤労意欲は非常に高いのが日本人の特長とするならば、自分の持っている虎の子のお金にも働いてもらうように金融リテラシーを強化することも同じくらい重要ではないかと思います。

予習はばっちりですのでこれからお金持ちを目指したい筆者からは以上です。

(平成29年5月17日 水曜日)

2017年5月16日

何でも点けるときと消す時が一番電気を食うという余計な話を致します


おはようございます。

2017年5月のエコロジーな記事です。

電化製品については、何でも点灯するときと消灯するときが一番電気を食うものであるということを話したいと思います。

まず、iPhoneですが、アプリケーションが大量に開かれていると、なんだか余計に電気を食い電池切れを起こすような気が致しますので、いちいち気づけばホームボタンを二回クリックしてからスワイプですべてのアプリケーションを閉じまくっておりました。

しかしこれは電池の節約になるどころか、電池を過大に消耗させるだけの無駄作業だったとアップルの公式ページにも書かれているのです。

(アップル公式ページより引用)
ホームボタンをダブルクリックすると、最近使った複数の App が表示されます。これらの App は開いているわけではなく、操作しやすく、マルチタスクで扱えるように、スタンバイモードになっています。App は反応しなくなった場合に限り、強制終了してください。


使わないアプリの表示は単なる残像


実は、サムネイルに残っているように見えるアプリたちなのですが、これ、使わないアプリは自動的にスリープモードになっているので映っているのは残像に過ぎないのです。

これをフリックして終了させるということは、わざわざ既に起動を終了しているアプリケーションを再び再実行しアクティブにしたうえで、改めて強制終了の手続きを取って終了しているので、再起動と消去というふた手間をすべてのアプリにおいて時間をかけて行っているということになります。

さらに、また同じアプリを起動するときにも余計に電気を食うという、割に合わない作業なのです。

このような事例は、枚挙にいとまがありません。

例えば夏のエアコンですが、つけたり消したりを繰り返すより、一定の温度でずっと点けっぱなしにして運用した方が結局電気代が安いという結果が得られています。

最初に、室温を想定の中に持って行くために、エアコンは最大減送風し、その時の電気負荷は通常の運転モードの実に十倍かかるという状況らしいのです。

ですので、一旦切ってしまって部屋を暑くしてしまうくらいならば、点けっぱなしにして28度で一定の送風をし続けた方が楽だし、電気代の節約にもなるということです。

蛍光灯やLEDも、点灯するときにインバーターや端子に最も負荷がかかるので、あまりに消したり点けたり繰り返すのであれば、点けっぱなしにしておいがほうが機器の寿命も延びますし電気代の節約にもなるということです。

特にLEDの消費電力は非常に小さくなっていますから、余計な点灯や消灯による電気消耗が相対的に強く影響しますので、注意です。

スマホにおいても、画面を起動して照らすための電池や、アプリケーション等の起動にこそもっとも電池を食うと割り切って、操作を優しくしてエコな運用を心がけたいものです。

いつもインターネット画面をリロードしてしまう筆者からは以上です。

(平成29年5月16日 火曜日)

2017年5月15日

創造的でリーダーシップの取れる仕事と労働時間とは本来関係ないもの




おはようございます。

2017年5月の勢いに任せた自己主張記事です。

昨今、働き方改革と言われていろいろな施策がなされておりますが、画一的に1日労働時間を8時間と定めている労働の根本原則であるところの労働基準法のあり方がだいぶ時代に合わなくなってきているように感じております。

仕事の生産性と負荷、マネジメント能力や専門性の必要の高低そのものと、労働時間とは、特段何も関係がないのに、生産性が高いと言われる職種のマネジメントクラスになればなるほど長時間労働になるというのはおかしいと思うのです。

例えば、すぎやまこういちという作曲家がいらっしゃいます。

言わずと知れた、ドラゴンクエストシリーズのゲーム音楽を作った方です。

とりやまあきらという漫画家がおられます。

同じく、ドラゴンクエストシリーズのキャラクターデザイン(モンスターも含む)をされた方です。

このような他を突き抜けた実績や品質の作品を作ることのできる人に仕事をお願いする場合、「何時間かけてください」「何日以上かけて考えてください」といったようなお願いや業務発注の方法はいたしません。

この人たちに時折おりてくる神の声が、彼らに突き抜けた作品を描かせるまで、待つしかないし、そのような技量を身につけるために、すでに膨大な学習時間、訓練時間を費やしているのは間違いないのです。


普通に「労働」することにおいてもこれは一緒


同じことが、程度が落ちても仕事、とくに生産性が高く創造的でマネジメントスキルも必要とされる業務にも当てはまります。

とりあえず、なんらか組織やメンバーをまとめるリーダーに抜擢された人がいたとして、その人が最も期待されるのは、

・他のメンバーに先んじて作業を「早く」行う

ことではなく、

・他のメンバーをまとめて、一定の方向に組織を持っていくように支援する

ことであります。

この業務において、「俺残業漬けで死にそう」といっているリーダーや管理職に、正常な判断力が備わっていると希望的に観測できると言えるのかという話です。

残念ながら、残業漬け徹也漬けの身体では判断力は鈍ります。

リーダーは、組織が脇道に落っこちないように、一番後ろで目配りを欠かさず、さらに常に先頭に対して向かう方向を示して修正していかなければなりません。

作業に疲れ切っている場合ではないのです。

作業に落とす前の、どうやってやるのか、さらにその前の、なぜやるのかというところをメンバーに共通認識を持ってもらわないといけません。

そこで、例えば人生経験が豊富な70歳くらいの方に、これまでの技能経験を生かしてリーダー的な役割を期待するとします。

しかし、その70歳の人に、現役世代と同様の負荷での作業ボリューム「も」与えてしまうのが現在の労働法制になってしまっているのです。

自分で判断してやり方自体を決めていかなければならない仕事において、最初から作業ボリュームを過度に与えては本末転倒です。


労働時間と仕事の創造性に特に関係はない


本来、労働時間などとは全く関係なく、

・労働時間は関係なく、とにかくリーダーシップを発揮して他を導くことが求められる仕事

は非常に多く存在すると思うのですが、そういった求人はなかなか見つかりません。

わずかに、企業経営者に対するご意見番(顧問)的地位で助言を求めます、といったような案件がわずかにあるのみです。

しかしながら、リーダーシップを磨き成果を出すが、労働時間としてはリンクさせて考えて欲しくない、という労働層は非常に多いと感じています。

単純に、子を持つ親(特に母親)がフルタイムで働くのはきついけれど、もともと創造的な仕事をしていたのだから能力がある、のであれば会社の側で労働時間は無視して業務委託契約的に日に3時間の勤務を認めるとか、健康上の理由で毎日の地獄の通勤列車は厳しいけれどもリモートワークで1日一定の成果物(例えば株のトレード結果など)を送って寄越す仕事とか、いろいろやりようはあると思うのです。

筆者のような下手なサラリーマン投資家が適当にネットニュース見て買う投資判断などはるかに凌駕する情報を、ずっと家に引きこもっているニートな若者の方が持っているという世の中なのです。

労働時間は関係なく、きちんとキャリアを積みたいし、仕事でもリーダーシップを発揮する機会を得たいという層に対し、それを心から期待している企業側の割に、そういったことに踏み出している会社が非常に少ないと感じています。

本来フルタイムの勤務などなく、人生はいつもフルタイムで、その中でどう仕事や自己啓発や生活を位置付けるかだけの話だと思います。

24時間働けますかという宣伝がありましたが、人間寝ないといけないし食べないといけないのでずっと労働というわけにはいきません。

それでも、人間やっている限り成長の機会はあるわけです。

そこをできるだけすくい上げて有効活用する、これがこれからの人手不足感満載の労働市場にあって、企業採用側が真剣に考えて実行しないといけない「課題」だと思います。

長時間働くことが、リーダーシップをとって創造的に仕事することの前提ではないのです。

創造的に仕事をすることが大切で、その上でその仕事に自らの時間を日々どれだけ投入するかはその創造的な仕事のやり方に含まれるのです。

責任あるポジションというやつが、「地獄の長時間労働」と否応無くセットにされている以上、だれも出世したいと思うことはなくなるのではないかと思っています。

そんな無理ゲーにあえて自らを飛び込ませる必要はないわけです。

女性は管理職になりたがらない、などという一見もっともらしい言葉も、では家事も育児も介護も自分の趣味(麻雀とかゴルフとか飲み会とか)までもすべて外注してきた昭和の典型的なサラリーマンおじさんたちが言うのではあまりインパクトがないのではないか、などと思うのです。

いろいろカッコつけて自己啓発とか書きましたが、実は楽して儲けて南の島で暮らしたいという貧相なイメージしかない筆者からは以上です。

(平成29年5月15日 月曜日)

2017年5月14日

バイオリンの名器ストラディバリウスが現代の一級品に道を譲ったお話




おはようございます、2017年5月のニュースです。

世の通常の中年男にはよくある話だと思いますが、筆者も非常に物持ちが良いことで通っております。

実は、つい先年まで高校時代の山岳部の時に山行きで着ていたチェックの上着を20年近く愛用していたくらいです。

いよいよボロボロになってしまったので、泣く泣く捨てたのですが、もはや家族の誰よりも付き合いの長い奴だったので、感慨もひとしおでございました。

自転車も、ずいぶん長く使う派です。

小学校5年生のときに、長距離サイクリングをするために買ってもらったスポーツタイプの自転車で、小学校時代120キロサイクリング(朝5時に出て夜7時に帰る)などやりながら中学、高校、そして大学と使い続け、ついにある晴れた日の京都三条駅(今は無き京津線)のそばで盗難にあってしまうまで、筆者のまさに足代わりだったのです。

さてそんな物持ちのよい筆者であるせいか、久しぶりに新しいものを見ると、その性能の向上に驚きます。

スポーツタイプの自転車の重量の軽いこと、ペダルの形状やチェーンのスムーズさなど、これまで乗っていたものはこんなのでスポーツタイプだったのかと驚きましたし、そもそもライトがLEDでものすごく軽く点灯します(しかも自動です)。

衣服についても、例えば雨合羽は高校時代から持っている適当な(水はけのよい)カッパだったのが、汗は蒸散して濡れずに外からの雨はガードするゴアテックスという特殊技術が磨かれて、もはや別物となっております。

ゴルフクラブやテニスラケットについても、20年前のものと今のものでは全く別物です。


300年以上も最も優れた楽器という評価だったストラディバリウス


このように、ものは時代と共にものすごい勢いで進化する、ということを肌身で知っている身であっても、300年以上経っても超一流の音を出すバイオリン「ストラディバリウス」についての神話については別格の扱いでした。

木というものは、実は切られてから400年程度は剛性が高まり、実は強くなる、ということは薬師寺東塔1,300年の話が国語の教科書に載っていたくらいですから知っており、それでちょうどこのくらいの年数が経過する木製の楽器は自動的に進化していくのだと思っておりました。

しかしながら、最近の実験で、ストラディバリウスと現代の超一流バイオリンとで覆面ひき比べ(ブラインドテスト)をしたところ、現代製のほうに軍配が上がったとのニュースがありました。

筆者はもちろんクラシックやバイオリンについては素人なのですが、これで、作られた当初においては段違いの音を発していたストラディバリウスについてもようやく現代の名工がそれを追い抜くことができた、ということでなんだかとても安心しました。

ストラディバリウスの方も、ようやく肩の荷がおりたのではないかと思うのです。

たとえばスポーツの世界においても、あまりにも、過去の名場面や名選手を神聖化するあまり、現代の選手や試合にそれを無批判に当てはめていろいろ論じようとする向きもありますが、そういうのは、現代の常識で過去を批判したり論評したりすることと同じようにあまり意味がなく、むしろ混乱のもとなのかもしれません。

やはり何事も日々進化していると実感する方が面白いです。

昔は良かったが口癖の昭和生まれの中年男からの昔話は以上です。

(平成29年5月14日 日曜日)

2017年5月13日

まずは正しく行うことが大切でスピードを上げることは後からできる




おはようございます

2017年5月も中盤に差し掛かったところの記事です

毎日暑くなってきました

すでに気温が30度を超えた地域もあったようで、日本列島の新緑も一気に夏モードに変わっていくのでしょう

さて本日は、スポーツや勉強や仕事やその他家事でも趣味でも何でも通じる、正しくやることの大切さについて思いと勢いに任せて語ってみようと思います

まずは、正しく行うことが大切です

なぜかというと、スピードの上げ下げはその後の訓練で調整調節できるようになりますが、雑な作業はいつまでたってもそれ以上のレベルに到達しないからです

ですから、速度は極力落として「正しい」動きを身体と脳髄に覚えこませる必要があります


ボート競技でも正しく漕ぐことが大切


筆者もやっていた、ボート競技で見てみましても、「ノーワーク」というほとんど力をかけないで漕ぐことを繰り返し、オールが水をつかんで艇がまっすぐ正しくできるだけ波打たずに進むことを体感します

体感しないと余計な動きをすればノイズとなり、艇の推進力にマイナスの力となってしまいます

きちんとオールで水をつかんで押して、そして自らも乗る艇を前に(漕手から見れば後ろ向きに)まっすぐ進ませられるように訓練するのです

その上で、すこしずつ強く水を押す、オールを強く引くために負荷をかけていきます

しかし、乱れたら負荷を下げ、一定時間内に漕ぐ回数である「レート」もゆっくりに落とします

レースの時は、レート40以上、これは1分間(60秒間)に何回漕ぐか、というものを示すメトロノームのような数字ですが、これを半分の20くらいに落として、そして力も入れずにノーワークですいすい漕げるようになるまで水上練習を繰り返すことになるのです

ともすれば、すぐに負荷をあげてしまうところですが、雑に早くやったってなんにもなりません

正しく、そしてそれができた前提で「早く」「強く」行う

これが物事の上達の早道だと思います

カラオケではすぐシャウトしてしまう反省のない筆者からは以上です

(平成29年5月13日 土曜日)

2017年5月12日

ワークライフでなくワークライフシナジーでいくべきだという主張です




2017年5月の勢いに任せた主張をいたします。

ワークライフバランスという言葉があります。

筆者はこの言葉はあまり好きではありません。

なんだか、生きるということに働くということは含まれておらず、まるで仕事している時は息もしちゃいけないような息苦しさを感じるからです。

明治の富岡製糸場だろうが、産業革命初期のイギリスの工場だろうが、そこの工員たちは別に機械でもなんでもなく、生きた人間であり、生み出す製品がどこで役に立つかということを割と明確に意識して仕事に勤しんでいたのではないかと思うのです。

したがって、長時間労働とか激務とかいろいろ言われますが、やはり働くことの意義を人生の中できちんと理解または消化してご先祖様は額に汗して働いていたわけではないかと思うのです。

仕事も人生の一部であると認識しないと、仕事を人生から取り出してその二つを天秤にかけて、はい釣り合ったからバランスしていますよね、といったような話ではないのではないかと思っておりました。

「男たちの大和」という映画がありまして、これは先の昭和16年に始まったいわゆる太平洋戦争(日本政府が定めた公式の戦争の名称は大東亜戦争)の末期、昭和20年に沖縄水上特攻に向かう超弩級戦艦大和の乗組員たちを描いた作品ですが、その中に、「死んだら戦えん!」というセリフがございます。

当たり前ですが、死んだら戦えません、仕事できません。

物理的に死んだかどうかは別にしても、死んだような身体と精神で、呼吸だけしているのでは、よい仕事はできようもありません。

仕事をできるようになる大前提として、きちんと人生を生きているかということが重要なのです。

そして、仕事それ自体の主に失敗経験は、人を非常に大きく成長させる良薬であったりします。


さっさとやって、とっとと失敗せよ


さっさと行って、とっとと失敗する。

これこそが、何事も上手くなるための一番の秘訣です。

泳ぎを覚えるのに、陸上で泳ぎ方をいくら習ってシミュレーションしても、決して泳げるようになりません。

失敗しても致命的でない環境を確保して、その中で思い切り失敗を繰り返せば良いのです。

そうするうちに、泳げるようになります。

自転車も同様です。

まずまたがり、足をつきながら流して行きます。

時々転びますが、足がついているので大事には至りません。

そのうちサドルに足が届き、踏み込めるようになり、自走し始めます。

こうして自転車に乗れるようになるのです。

つまり、仕事は生活、人生の中にしか存在しえないし、人生を無視した仕事作業媒体としての人間など存在しないので、ワークライフバランスという言葉は正確ではありません。

そこで、ライフワークシナジー、もしくはライフワークコラボレーションという言葉を推奨します。

要するに、仕事やプライベートが渾然一体となって人生を形作り、それがますます面白い人間を作り上げ、面白い人間はクリエイティブな仕事という成果を生み出し自分としても面白い人生を送っていると心から感じられるようになる、といった考え方です。

したがって、ここには仕事やプライベートという明確な線引きはあまりありません。

ただし、ここでいう仕事とは自らが選びとって行う仕事のことを差し、断じて他人から指図されて行う作業を含むものではないということを特記したいと考えております。

以上、ライフワークを旧ブログ名に採用しておりましたくらいのライフワークを信条にしております筆者のこだわりをお送りしました。

人生において、読まれないブログを書き続ける失敗をひたすら積み上げております筆者からは以上です。

(2017年5月12日 金曜日)

2017年5月11日

データを可視化することにより前向きな議論が期待される幾つかの理由




おはようございます、2017年5月のデータをお送りいたします。

相変わらずアニメ好きの中年の筆者です。

さて、前回アニメコンテンツがどのように売り上げ展開していてこうした版権を持っている会社に対して利益貢献しているのかという表をお見せしたところ、結構な反響がございました。

そして、そのコンテンツごとの売上高の年度推移を表にしたものを写真にして見せていたのですが、最近こうした表を簡単にグラフ化して可視化するツールがいろいろ出てきているのでご紹介したいと思います。

現在、こうしたデータ可視化ツールとして先頭を走っているものの一つとして、アメリカ発のTABLEAU(タブロウ)というソフトがあります。

スタンフォード大学でコンピューターサイエンスを専門に取り組んでいた学生がその研究室からスピンアウトして創業したTABLEAUは、データーベース(いわゆるエクセルのシートなど)を可視化し多様なグラフィックにする専用のコンピュータ言語や仕組み(ソフト)を研究し、2005年に最初の汎用ソフトをリリースしました。

その後研究はユーザーを巻き込む形でスパイラル型に進められ、TABLEAUは巨額の研究投資による赤字もものともせずツールであるTABLEAUソフトを鍛え上げ、そうして日本にも進出し、筆者のような日本の田舎のいち素人ユーザーにも届いた、というわけです。

ちなみにTABLEAUはアメリカの証券市場に上場していますが、その上場記号(ティッカー)はDATAといい、データに関する同社のこだわりが感じられる内容となっております。


早速売上推移のデータを可視化してみました


早速、先日のエントリーで示してみたバンダイナムコホールディングスが発表した決算資料による知的財産(いわゆるキャラクターの版権)別に紐つく売上高推移と予想を3期分可視化してみました。

可視化してみますと、一目瞭然です。

ドラゴンボールのリバイバル(再投資効果)による売り上げ増、しかもそれは2018年度の業績にも大いに貢献することが一目瞭然であり、対して妖怪ウォッチはかなり売り上げを落とすトレンドにあることがわかります。

可視化することで、トレンドやコンテンツごとの重要度も一目でわかり、表の数字とにらめっこしながら頭の中で割合を視覚的に再構成せずとも前提がわかり、その上での建設的な議論(この場合妖怪ウォッチにもう一度テコ入れの投資をすべきか否か)ができるようになるわけです。

この効用は大きいです。

これまでの会議の資料は、その経営なり事業の状況を「把握」するまでが一苦労であり、その上で本来なされなければならない今後の事業の方向性や力の入れ方についてはなんとなく消化不良のままの経験と勘に基づくものを繰り返して精神論で絞めて終わり、というような会議が多かったような気がしています。

こうすれば、細かいところはおいておいて視覚的に一発で事業環境の状況を把握することができるので、同じファクトとしての認識のもと、建設的な一歩進んだ議論ができるというわけです。

このように、物事を視覚化するというのは、よくあるチャート図やベン図をホワイトボードに書いて悦に入るのではなく、実際の事実としてのデータを使って行うべきものであり、そうすることで事実に基づいた地に足の着いた議論が行われることにつながるということになりそうです。

データの可視化も、プログラミングを行うプログラマの専売特許ではなくなってきました。

今後、英語と並んでビジネスマンには必須のスキルになることは間違いないと思っています。

いまだPCブラインドタッチができないので、文章入力の速度が上がらない筆者からは以上です。

(平成29年5月11日 木曜日)

2017年5月10日

キャラクターコンテンツたちが稼ぎ出す売上高の推移を実額で検証する




おはようございます、2017年5月の記事です。

アニメ好きの昭和生まれの筆者です。

アニメ、映画、キャラクターグッズの製造販売、そうしたキャラクターコンテンツが稼ぎ出す巨大な売上高がいったいどのくらいかみてみたいと思います。

例えば、2017年5月10日に、キャラクタービジネスを手広く展開するバンダイナムコホールディングスが発表した決算資料には、知的財産(いわゆるキャラクターの版権)別に紐つく売上高を写真のとおり公表しています。

これによると、2018年度においては、

・機動戦士ガンダム 703億円
・ドラゴンボール 435億円
・ワンピース 260億円

と、一つのコンテンツで地方中核都市に展開する大型百貨店に相当する売上高を稼ぎ出していることがわかります。

そして、このバンダイナムコにとってのキラーコンテンツである上記3つのコンテンツは、過去から息が長く売上に貢献しており、ファンの裾野と支持期間も長い老舗の良質コンテンツとなっています。


やっぱりドラゴンボールは定番


確かに、筆者のように、小学生でやっていたドラゴンボールを未だに見ていたり、ガンダムシリーズもどこまでも追いかけている中年男も多数いるところから(初期のファンはすでに50歳代と思われ購入余力も大きいと思われます)、この御三家の地位は当面安泰であろうかと思います。

反対に、幼児世代にフォーカスして展開した妖怪ウォッチは、一時期三大コンテンツに食い込む働きを見せていましたが、だいぶ下火になってきたようで、ここにも栄枯盛衰が見られます。

おそらく、散歩型娯楽という新ジャンルと共に颯爽と登場したポケモンGO(同社コンテンツではない)に食われてしまったのではないかと思うのです。

妖怪ですから、恨みもあるかもしれず巻き返しもあるかもしれません。

定番コンテンツを配信するスマホゲームなどの裾野も順調に伸びていますので、こうしたオンラインオフラインかかわらずこうしたコンテンツビジネスは、石油利権と同じように大きく育っていくものなのかもしれません。

ちなみにバンダイナムコホールディングスの2016年3月期決算は、売上高が7.7%増の6,200億円、営業利益が27.4%増の632億円になるなど非常に好調でした。

定番キラーコンテンツ以外も、日曜日朝のテレビ放送でおなじみのプリキュア、戦隊シリーズ、仮面ライダーの三連荘コンテンツにアンパンマン、アイカツ!といった女の子向けコンテンツも好調で、こうしたコンテンツは日本のみならず世界を席巻しているのです。

実は最近もウルトラマンの映画を見に行った筆者からは以上です。

(平成29年5月10日 水曜日)

2017年5月9日

日本の金融業界はもっと情報でお金をもらうようにした方が良いと思う




2017年5月の記事です。

金融庁長官の金融改革の音頭によって、さまざまな業界からの反応がなされておりますが、日本の金融機関が作って売っている金融商品がいまひとつのように思えるのは、そもそも、その金融商品や金融サービスについて付随する情報について、対価をびた一文支払うことがないという日本独特の文化が根源的問題として横たわっているように思うのです。

例えば外資系銀行において、預金口座を開設した時は、口座維持管理手数料を徴収するのが普通です。

預金口座を維持するシステムコストもかかれば、ロックを破られないように安全性を担保したり、口座を管理するための要員を充てないといけませんから当然のことなのです。

預金口座という、金融商品(もしくはサービス)を売っているわけですから、当然こうなるのが海外の常識です。

しかるに日本ではそうではありません。

無料であることは大前提で、さらに預金や投資信託、住宅ローンを積めば積むほど、時間外ATM手数料が無料になったり、送金手数料が月7回まで無料になったりするというサービス過剰ぶりなのです。

本来金子を徴収してしかるべきサービスや情報の対価を他の(高額)商品の販売単価にこっそり忍ばせ織り込んで設定していることで、その(高額)商品の優位性が損なわれるという事例がそこかしこで起こっているわけです。

例えば、手数料や信託報酬が非常に高く見える投資信託などがあります。

パフォーマンスを上げるためには手間をかけなければならず、例えばプログラムによる機械的高速売買を繰り返すようなファンドの場合、その自動売買AIの開発運用コストが乗っかってきますので、その点ではわかるのですが、逆に高い手数料を得るべく推奨ファンドとして売りあるくといった話にも繋がってくるのです。

さらに、こうした手数料や信託報酬の高い金融商品を売りあるくことで得られた釣果収益を、NISAといったいわゆる低額で儲からない商品の管理コストに流れているという点は見逃せません。

不採算で小口な事業を当局が事実上義務付けてしまうことにより、結果的に高額手数料金融商品の推奨助長に繋がっているようにも思えてしまうのです。

やはり、それなりの情報や手間のかかるサービスには、そのサービス部分のみでも手数料やフィーを都度支払うという方式、いわゆるアンバンドリング(業務執行と情報サービスの提供をあえて分けて、それぞれのサービス価格を明示するやり方)が積極的に進められておりますが、どんぶり勘定の好きな日本人の特性なのか、なかなかそうした取り組みは積極的に進められていないようです。



サービスにはチップで対応するのがマナー


海外にいっても、気持ちのよいおもてなしを受けることも可能です。

しかし、きちんとしたおもてなしやサービスを受けたら必ずチップでお返しするというのが基本でして、これをもってサービス部分の分離独立が図られているのです。

いくらいいサーブを受けても、食べるものは一緒とばかりウエイターやウエイトレスに対して冷淡な態度を取れば、回り回って日本国民全体の不人気になりかねないので注意が必要だと思います。

自分で情報を取れる人は投資信託など買わずに個別株でポートフォリオを組めばいいし、それだけ自前の運用になりますのでリスクも高く、売りぬけるタイミングを逃すとずるずる下がることになるわけです。

とにかく、日本の金融機関(特に銀行)に対し、こういった合理的な価格形成による商品設計が広がることを期待したいと思います。

こちらからは以上です。

(平成29年5月9日 火曜日)

2017年5月8日

常識から新しい価値を創造するのは難しいが常識なければもっと無理



2017年5月の記事です。

最大9連休であった方々も多かろうゴールデンウィークが終了し、久しぶりに会社や学校や保育園といったホームポジションに格納されるため、朝から公共交通機関はごった返しております。

体調を崩す人も続出し、電車が止まったり、止まった電車の再開を待つためにホームに人が溢れてもっと気温が上昇してさらに体調を崩す人が続出するといった負のスパイラルが起こったり、フェーン現象や黄砂で山火事が起こったりと、皆が皆通常に戻ることによる社会的影響というものも無視できないななどと感じました。

一斉に休暇をとり、一斉に帰省し一斉に帰省ラッシュを引き起こし、そうしてGWが明けたら通勤ラッシュということで、いつもラッシュに巻き込まれていれば体調も悪くなろうというものです。

たまには人の逆を行ってみるのも良いのかもしれません。

このように、常識から新しい価値を想像するのは難しいものです。

誰もが当然と思っている常識に慣れればなれるほど、今度のGWどこに行こうかということになります。

常識を超えるならば、GW前やGW後にゆっくり休み、帰省や海外旅行などもそうしたハイシーズンを避けることが有用ではあります。

もちろん、スケジュールの調整は大変です。

しかしながら、GW中に仕事をしたってよいわけです。

神が与えたもうた休日ではなく、日本政府が過去の流れから決めてきた祝日です。

祝日の過ごし方といて、他の日を空けるためにあえて仕事をするというのも面白いと思います。

常識を超えた発想を非常識と言いますが、そうした発想は常識に縛られると生まれにくいといわれます。

確かに、新しい価値が生まれるのは非常識な発想からであることが多いです。

それでは、なんらかの分野の専門家がまったく新しい価値を想像することは難しいのでしょうか。

筆者はそう思っておりません。


常識を身につけた者しか常識を裏から見ることはできない


常識になれ親しみ、常に前向きの心構えをもって習慣化し訓練してした専門家は、その常識を裏返して見ることも容易にできるのではないかと思っているのです。

常識を裏にして見るというのは、訓練で容易にできます。

しかし、常識を身につけることは非常に長い時間がかかるのです。

真に創造的で将来が楽しみな児童に対して、常識を裏返す価値の創造をいきなり求めることは無理です。

児童の創造性を伸ばすため、型にはめた教育が必要なのです。

日本の歴史上最大級の偉人・超人だと筆者が勝手に考える空海(弘法大師)も、ひ弱なエリートでは決してなく、おそらく書という書を読み漁り、山という山、地方という地方をその超人的な健脚で歩き通した究極の常識人だったわけです。

書を読み歩き人と対話する、という人間の常識を徹底的に追求した人間だからこそ、後世の人間たちにあれだけ崇められる存在となったのだと思います。

凡事徹底、非凡に通ず

と筆者が入った会社で初めて見たその部の部長は言っておりました。

その部長は、朝は7時にオフィスにいますが、夕方は取引先の接待やらプライベートやらで、必ず17時にはオフィスを後にしており、我々下々の者がいろいろと作業したり話し合っていろいろ決めていく雰囲気に水をささないようにしておりました。

常識から新しい価値を創造するのは難しいけれど、常識を身につけない者が新しい価値を想像するのはそもそも無理な話である、という結論に達したところで本日の論考を終わります。

目玉焼きには醤油が常識だと思っております筆者からは以上です。

(平成29年5月8日 月曜日)

2017年5月7日

フェイクニュース全盛の起源は昭和の日本の漫画誌上にあったという話



2017年5月の記事です。

近年、フェイクニュースというのが世間をにぎわすようになったと思います。

最近ではフェイスブックやグーグルといったSNS系のサイトや動画に本当ではない記事やニュースが掲載されるという問題でフェイクニュースということが言われるようになったように思いますが、少し前を振り返りますと、日本発祥の虚構新聞がそのはしりではなかったかと思います。

虚構新聞とは、京都近辺の滋賀県に居を構える社主UK氏が主宰するフェイクニュース媒体で虚構新聞という名の通り冗談を売り虚構世界のニュースを配信しています。

面白いことに、紙面の広告も一部虚構にすり替わっており、徹底しております。

記事内容も、現実と虚構のはざまに潜む面白さを抉り出すものに仕上がっており、社主主筆のレベルの高さが推測されます。

このように、虚々実々のニュースサイトですが、実は、これらのフェイクニュースが有名になるはるか前に、少年週刊漫画誌に彗星の如く登場したフェイクニュースの元祖ともいうべき存在を紹介したいと思います。



民明書房刊と言えば思い出す人もいるかも


それは、少年ジャンプ「魁!男塾」で引用された各種武術系の関連専門紙です。

民明書房や太公望書房といえば、その存在を思い出す方々も多いのではないでしょうか。

作中登場する超人的な格闘技の解説によく出てくる民明書房ですが、もちろん民明書房の解説は全て虚構、フィクションなのですが、なんとなくもっともらしいエピソード(これも虚構)や専門的学術的用語を駆使した解説コラム欄は読者の人気も高く、少年誌としては異例の文字の多さながら民明書房の解説は作中に出てくるいわゆる「技」の公式解説本として絶大な人気を誇りました。

そのうち漫画の中であるところを忘れてしまった読者が、本気で民明書房の書籍を東京神田に探しに出かけるといった嘘か本当かわからない逸話もあるくらいで、間違いなくこの民明書房等のフェイク出版社のフェイク記事が、現在のフェイク市場の歴史、土壌を作ったといえると思います。

フェイクか本当か、嘘か真か、ますます見極める眼力が読者に求められる世の中になったといえそうです。

正確であることを追及してはいますが、ブログ記事の内容には妄想が混じっており責任を持てない筆者からは以上です。

(平成29年5月7日 日曜日)

2017年5月6日

素人ゴルファーですがクラブやアイアンを20年ぶりに買い換えてみた

グラウンドゴルフ



おはようございます。

2017年5月の記事です。

ゴルフのコースでのベストスコアは99、それが2回だけという筆者です。

さて、前回もゴルフコースに誘われ、楽しくコースを外れて芝刈り(ラフ)や砂遊び(バンカー)でたくさんクラブやアイアンを振ってきたわけですが、1日の大半を過ごして安くないお金をかけるのに、あまりにもそれに向かう心構えが無さすぎると思い直しました。

そして何年かぶりにゴルフ練習場、いわゆる打ちっぱなしに来てみました。

ゴルフクラブもいい加減古く、20年前に社会人になりたての時に会社の寮の先輩にもらったアイアンセットをずっと使っていたものです。

会社の寮の先輩は、自分の父親からもらったものであると行っておりましたので、すでにデビューからすれば30年くらい経過しているはずのアイアンセットです。

打ちっぱなし場は、ゴルフクラブの中古ショップも兼ねていますので、このアイアンセットを下取りにして、新しいカーボンのアイアンセットを買い求めてみました。


30年前の道具から10年前の道具に進化


新しいといっても、その中古ショップでの1番安い部類のアイアンセットです。

セット全部で5,000円程度です。

3番アイアンから9番アイアンまで7本、ピッチングウェッジ(PW)1本、フェアウェイウェッジ(FW)1本で合計9本ですので、一本あたり500円程度となります。

これでも、30年前のアイアンから10年前くらいのアイアンセットに長足の進歩を遂げたわけです。

ついでにサンドウェッジ(SW)もスチールシャフトの古いものからカーボンシャフトのものに変えてみました。

砂に愛される下手ゴルファーとしては、SWを使う場面は多いので、これで同じバンカーを二度も三度も掘り返すことが無くなるかもしれません。

たまには高級買い物もいたします。

その後、道具を買い換えたことで満足しそのまま練習場を後にしてしまった筆者からは以上です。

(平成29年5月6日 土曜日)

2017年5月5日

NISA(日本版少額投資非課税制度)を利用し売却益配当を非課税に




おはようございます。

2017年5月、資産運用に関する記事をお送りします。

NISAという制度が創設され、庶民の資産運用の大きな味方となっております。

もともと、この制度は英国発祥と言われておりまして、個人貯蓄口座(Individulal Saving Account、略称ISA)を登録し、この口座の中で株や投資信託の買い入れを行った場合、その配当や売却時の売却益について、一定限度で非課税を認めましょうという制度です。

そして、この制度を日本式に導入する際に、ジャパンではなくニッポン、ということでNをつけたというわけです。

NHK(日本放送協会)と同じNというわけです。

なお、日本航空はNALではなくJALです(NALはあくまで創作小説であるところの沈まぬ太陽で用いられた国民航空の略称です)。

また、民営化されたJRと言いますが、国鉄の時の略称はJNR(Japanese National Railways)と言いました。

NはNipponの略ではなく国の、という意味でした。

ですのでこれを外してJR民営化としたわけです。

Jリーグは昔は日本リーグと言いましたが、その略称はJSL(Japan Soccer League)でした。

NだったりJだったりいろいろありますが、特に法則性はなさそうです。

一つ一つ覚えていくしかありません。

話が逸れましたお許しください。

具体的な非課税枠の話


さて、具体的には、現行のNISAにおいては、日本において、株式及び投資信託の投資法人に対し、本来税制上20%程度の源泉分離課税か総合課税がなされて引かれる所得税部分について、年間120万円までの投資分については非課税となるということになります。

すなわち、売却益や配当が年間120万円に満つるまで非課税になるというわけではなく、年間120万円の資金で購入した株や投資信託に対して、売却時等に儲けた売却益への所得税約20%が免除になるということなのです。

したがいまして、例えば120万円で購入したある上場株式が、爆上げして10倍にもしなったとしますと、1,200万円で売却し元手は120万円ですから、1,080万円の売却益となり、本来ならばその売却益の20%である216万円の所得税がかかるべきであるところ、なんと全額について非課税になるということなのです。

制度について賢く学んで、よりよい資産運用と生活作りをしたいものです。

そもそも売却益が見込めるような株を選ぶことができない投資下手な筆者の希望的観測は以上です。

(平成29年5月5日 金曜日)

2017年5月4日

日本のメガバンクの基幹系システムが遂にリニューアルされたという話




日本の金融業界において、戦後から2000年代のはじめまで存在していた都市銀行がいくつかのグループでまとまり、メガバンクなるものが生まれた時、その一つの青色のメガバンクの誕生は大規模なシステムトラブルとともにありました。

そのシステム障害の対応と復旧、顧客への謝罪に最前線で従事したうちの一人が筆者でありましたが、そのような筆者にとってようやく胸の支えがおりたようなニュースがありましたのでご報告いたします。

遂に、かのメガバンクの基幹系システムがリニューアルされるというのです。

新システム、といいましてもいつから新システムと言い続けてきたのかもはや覚えがないくらい昔からのことでしたが、とにかく旧行から引き継いだシステム群をつないだだけの仮設システムではなく、ようやく一つの銀行にふさわしい一つの設計思想から生まれた一つのシステムを持てるというのは、ようやくとはいえ大変嬉しいものです。

2002年の統合から、足掛け15年。

2017年にようやく発表の運びとなりました。


新システムは2017年に完成し順次本番データ入替えの模様


銀行持ち株会社のフィナンシャルグループ(FG)が発表したところによりますと、開発中の新システムは2017年夏に完成とのことです。

そもそも旧行3行が2002年に持ち株会社形式経営統合して発足したフィナンシャルグループは、ついに顧客向け自行システムを統一できます。
 
これまで、統合直後の2002年、及び大きなものでは2011年で大規模なシステムトラブルを起こしてしまいました。

特に2002年のものは、その後の銀行統合やシステム変更におけるリスクを満天下に知らしめたということで経済史にも顕著な事例として記憶されておりまして、同グループにとってシステム統一は最大かつもっとも完遂困難な経営課題でした。

数度にわたる開発延期により、想定以上のコストと人件費をかけましたが、収益面での圧迫以上に、そもそもの銀行業としての安定稼働につきまとっていたシステムリスクを一定以上下げることができることになりそうです。

しかしながら、現行のシステムから新システムへのデータ以降という難関が待ち構えており、今後もますます慎重な運営が求められそうです。

かのシステムトラブルの渦中にいた者としては、この新システム開発に関わった方々にお礼を申し上げ、正式稼働の暁にはお祝いに駆けつけたいと考えております。

かつては銀行員、そしてシステム屋、コンサルを経て今はビルメン王に向け修行中の筆者からは以上です。

(平成29年5月4日 金曜日)

2017年5月3日

SNSサイトの質の確保のため最大手もやはり人員を大量投入する模様



おはようございます。

2017年5月の記事をインターネットで配信します。

「フェイスブック」という同窓会サイトから始まったSNS世界最大手(2017年5月時点)のフェイスブックのCEO、マーク・ザッカーバーグ氏が、サイト上の暴力的もしくは不適切な投稿を常時監視し適切な処置をするための専門部隊として、取り急ぎ3,000人の部門新設と要員アサインをすると語っているそうです。

つまり、パソコンやタブレットの前でネットサーフィンすることが、立派な仕事として認められたということになります。

ここのところ、彼らSNSがビジネスモデルとしているターゲッティング広告というやつが、あまり実質的に機能していないのではないか、つまり届けたい広告対象者に対して適切な広告が届いていないのではないか、という広告主の質問に真正面から答えているわけではないものの、広告配信対象の動画や投稿自体の質を保つという意味では意味がある措置だと思っています。


結局最後は人の感覚で判断するしかない(現時点では)


しかしながら、人工知能の発達で一気に今ある仕事のほとんどは無くなるといった風潮がさいきんとみに蔓延していたようにも思いますが、その最先端を行っているはずの世界最強時価総額企業の一角自らが、「やっぱり人員大量投入でサイト監視します」というのはなんだか昭和生まれの当職などにしてみればほっとするような一面もございます。

また、ザッカーバーグ氏は、フェイスブックとしてはユーザー側からの問題点のフィードバックを今後積極的に受付ける仕組みを構築して、不適切かつ暴力的な投稿を削除するなどの措置をとりやすくするということです。

最後はやっぱり人で品質を担保しなければならないというのは商品でもサービスでも同じなのかもしれません。

SNSサイトを運営していますが閲覧がなかなか増えない筆者からは以上です。

(平成29年5月3日 水曜日)

2017年5月2日

「陛下」「殿下」の敬称はどのような場合に用いられるか再度おさらい




2017年5月のゴールデンウィーク中日の記事です。

2017年は平成29年ですが、平成は30年までで終了し、今上天皇陛下が譲位され、新しく現在の皇太子殿下が即位されて天皇となり、新しい元号が始まるというそのためにさまざまな有識者会議での検討や答申、そしてそれを受けた政府の法律改正案の上程や国会での承認といったスケジュールで、着々と昨年2016年夏に今上天皇陛下が発せられたおことばに強くにじんだ天皇の職位を全うするための適切な継承者への生前譲位を目的としてものごとが進んでいるようです。

さて、そもそも天皇陛下という「陛下」の敬称はどのように引き継がれてきたのでしょうか。

陛下は日本においては天皇等に対して用い、陛下の陛の字は宮殿に上るための階段のことを指します。

つまり、天皇のおわします宮廷に登るための階段の下を意味しており、尊敬の対象である天皇といった高貴な存在から遠く離れたところにいけばいくほど敬意を表するということにつながるわけです。


殿下や閣下も同じ流れで説明します


同じように、殿下という敬称もありまして、これは皇太子などの皇族の方々に用いる敬称ですが、これは皇族の方々のおわします「宮殿の中に入った階下」といった意味になります。

陛下より若干近づくというわけですが、まだまだ階段の下であることは変わりません。

そして、政府や朝廷の高官(皇族の方が兼ねることもあります)に対しては、閣下という敬称で呼びます。

閣下の閣は楼閣の意味で、行政府の長官の職務場といった意味になりましょう。

こちらも、その楼閣の中に入った階下というような意味になります。

その他、例えば医者の紹介状などには、何々先生机下、といった風に、何かの下につくという言い方はよくあるものです。

さて陛下に戻りますが、2017年5月現在において陛下の称号を使う対象は、天皇陛下、皇后陛下、皇太后陛下、太皇太后陛下といったところに限られます。

今上天皇の譲位がなされた場合、上皇となられた今上天皇は、引き続き上皇陛下と呼ばれるということになりそうです。

古く奈良平安の律令の時代よりある陛下という称号、現行の皇室典範においても23条において「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は、陛下とする」、同条2項において「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」と定められております。

現代のマスコミにおいては、親しみを込める意味でひらがなの「さま」を特に皇后陛下に使う場合も多いですが、本来天皇陛下、皇后陛下ということになります。

天皇皇后両陛下、と縮めていう場合でも、両方に陛下という敬称が付くということです。

本日は基本的な常識の確認をさせていただきました。

次の元号になりますと、昭和生まれがますます遠くなってしまいそうで気が焦ります筆者からは以上です。

(平成29年5月2日 火曜日)

2017年5月1日

漫画のマザーシップかアップルの新本社アップルパークがついに完成す




2017年5月最初の記事として、アップルの新本社の完成をお伝えします。

昔読んだ手塚治虫の火の鳥宇宙編に出てくるような未来型スペースシップといいますか、映画インディペンデンスデイに出てくる超巨大な宇宙船マザーシップといいますか、そのようなものを現実の社屋として完成させるというプロジェクトがぶち上げられて、しばらくみない間についに現実のものになるというニュースが入ってきました。

米国の世界最強時価総額企業(執筆時点70兆円以上)、アップルの新しい本社ビル「アップルパーク」の完成です。

立派な本社ビルを作る会社は傾く、と嘯く筆者などの余計な心配など何のその、アップルパークと呼ばれる宇宙船マザーシップ型の新しい本社は、総工費50億ドル、つまり6,000億円もの巨額投資です。

敷地の広さは70万平方メートルで、これは米国国防総省、通称ペンタゴンよりずっと大きいとのことです。

いち民間企業が国家のみならず世界軍事の総本山を上回り、彼を軽く凌駕する情報量と研究開発機能を有するに至ったということの証左でしょう。


建物の延床も敷地も駐車場も桁違い


建物の広さも想定外です。

新本社のビルは、約28万平方メートルの延床面積を占め、イギリス建築界の頂点に君臨するノーマン・フォスターの設計です。

丸いバウムクーヘンのような社屋に曲面ガラスを駆使して、屋内と屋外をつなぎ、エコとコラボを追求した快適な職住一体の想像空間を実現しようとしております。

なんとなく、機動戦士ガンダムのサイド7のような気分がしてくるのは筆者くらいのものでしょうか。

最初のこれを構想したのは今は亡きアップルのカリスマ、スティーブ・ジョブズだそうです。

外装をアップルストアのようにガラスで覆い、全てを曲線とし、平らなガラスが全くないという贅を尽くしたつくりです。

この一つの巨大な「街」の中で、さまざまな異文化に触れた特長あるチームごとが適宜適所で打ち合わせや開発や販売促進の作戦を立て、そして迅速に意思決定していき世界中に指令を下す、時にはマスコミを引き入れて新商品サービスのプレゼンテーションを最適なタイミングで行うといった、巨額投資に見合った成果と果実が得られると自信満々なのでしょう。

ここに集うアップルの従業員や委託者、派遣社員等を全て含めると1万3000人とのことです。

ちなみに、駐車場だけで広さ約30万平方メートルであり、車両1万1000台の収容が可能となるとのことですが、筆者のようなどこに停めたかわからない人間にとっては、駐車場から自分の車を見つけることから慣れないといけないと思いました。

世界は驚きに満ちています。

車庫入れは非常に下手な筆者からは以上です。

(平成29年5月1日 月曜日)