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2017年5月24日

仲が良いことと信頼されていることの概念は全く別物であると気づく話



2017年5月の論考です。

人に信頼されるということは非常に難しいことです。

しかしながら、人への信頼を積み上げて、ある種のリスペクトを得て人は生きて行くものであるのもまた真理だと思います。

そして、非常に似て異なる概念として、仲が良いということが挙げられると思います。

仲が良いとはこれもよいことで、自分を出せる人間関係を構築しておくことは、こちらもまた人生において大変必要な要素であることであると言えるでしょう。

しかしながら、この2つの概念が混ざり合いますと、あまりよくない効果が生まれるような気がするのです。

たとえば、筆者もよく立ち寄る立ち飲みカウンターがありますが、この惑星のこの地方に住まう特にサラリーマンと呼ばれる男たちは、群れると非常に声を張り上げ騒々しくなるようです。

そして、何を語り合っているのかといえば、例えば彼らが根城にしている鎮西九州という土着の地におけるビジネスというのは、全て土着の人間関係が全てなどと、世界地球レベルでは全く珍妙な意見を肯定的に平気で語り合ったりされています。

曰く、同じ高校だ、同じ部活だ、同じ地域出身だ、郷土の英雄(ビジネス上の)つながり同士だ、というような話題が鉄板です。

仲が良いことと信頼されているということは全く別の概念


しかしながら、場末の飲み屋で語り合っている分には全く問題はありませんが、例えば、命の次に大事な自分の資産を誰かに預けて安定的に増やしてもらおうとする場合、仲が良いから任せるということにはならないと思うのです。

資産運用の要諦は、自らでは考えられない別のリスクを取りに行き、様々なリスクをバスケットにしてポートフォリオとして管理し、全体としてのリスク低下を狙うということですから、自らの気の合う友人は、自らの判断と同じような判断をするという同調圧力があり、わざわざ手数料なりの適正対価を支払い委託するという行動に応じた合理的期待を持ち得ない、とも言えるのです。

ここは、委託したい業務をもっとも極めたプロか否かという観点で、「信頼できる」ファンドマネージャーなり投資哲学をもった資産運用担当者を選定して任せることが必要になってきます。

このように考えますと、仲が良いということと、信頼されてるということは違うものであろうと思われます。

仲が良いから、大切なことを任せるということにならないということです。

同じように、いい人であることと、信頼されていることも違います。

これも、いい人がみんな仕事ができるとは限らないからです。

いい人ということと、(任せたい仕事なりが)できる信頼が持てる、ということとは全く異なる概念なのです(なので、両方備える場合もあるし、どちらか一方備える場合もあるし、両方とも揃えない場合もあります)。

何をもって信頼を得るのか。

これはかなり難しい、永遠の課題です。

ただ、いい人であって仲の良い友人をたくさん作るだけでは、少なくとも信頼を得るという結果にはあまり直接つながらないということです。

筆者レベルの頭で考えられることは限られておりますが、どんな小さなことでも自らやると決めたことはやる、すぐやる、という構えができている人には信頼が寄せられるような気がします。

信頼とは、すぐやることの繰り返しから得られるものなのかもしれません。

飲み会だけは社交辞令だろうが何だろうがすぐやってしまういい人でもない筆者からは以上です。

(平成29年5月24日 水曜日)