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2017年8月19日

いかなる個人でもその個人を含む「チーム」には勝たないと思っています




おはようございます。

2017年8月の記事です。

いかなる個人でも、その個人を含む「チーム」には勝たない。

これが、筆者が組織とか共同体とか社会的集まりに参画する大きな理由の一つになります。

勝つ、負けるという概念をはるかに超えた「家族」というカテゴリもありますが、ここではできるだけ仕事をして「稼ぐ」組織体をどのように作って行くかということにフォーカスしますが、改めて、いかなる組織体の個人個人だけでは、その個人を含む「チーム」のパフォーマンスを上回ることはできないと思っています。

つまり、チームになるというのは、個人の潜在能力を、他者との共有共感コミュニケーションにより拡張発展させていく作用を自動的に含むものであり、学ぶとか能力を向上するとかという「教育」の効果を包含しつつ、よりよい業務成果を上げることにつながる魔法のような作用になるのです。

しかし、単に個人が集まっただけではチームにはなりません。

単に、集まった個人が持っている知識技能を広げたところでも効果は得られません。

集まった個々人がそれぞれオリジナルに持っている知識経験技能を披瀝し、そして他者がそれを尊重して自分の中にあるそれらと照らし合わせようとする「面倒臭い」作業がどうしても必要になります。

それがコミュニケーションやディベートです。

ですので、議論においての目的は、相手の人格にストレスを与えることではありません。

相手の持っているものについては素直に尊重することが大切です。

そうすると、自分の持っているものが他者に承認されるというのは気持ちいいもので、自分の承認欲求も満たされていきます。

ここまでくれば、チームになるまではあと少しです。

人格ではなく違いを尊重して建設的なやりとりが始まれば、チームビルディングという個々の能力を超えた創造的なチーム運営の始まりです。

コツさえつかめれば、ラケットのスポットゾーンに当たったテニスボールのように、バットの芯を食って飛んだ野球のボールのように、気持ちいい当たりを連発できるようになります。



チームを維持して行くのは大変でチームは脆いものでもある



そうしたチームになれたらしめたものです。

周りからは、なんとなく羨ましく参加したいということで仲間が増えてきます。

ここで、既存のチームメンバーが排他的な選民的な態度を取らないように気をつけなければなりません。

チームに参加した時期や先後にかかわらず、参画したチームメンバー全員が大切なメンバーです。

メンバー同士が、相互牽制的になりお互い自分の立場を守ろうという方向に働くと、チームはやがて崩壊していきます。

慣れ、表層的な理解、思い込みや決めつけといった相互作用の欠如により、崩壊していくチームもこれまた多いものです。

チームとは、非常に脆く弱いものなのです。

などと書いてまいりましたが、さてさて、夜の飲み会の即席チームの作り方はうまいのですが、どうも仕事や業務にそれが生かせずもどかしい筆者からは以上です。

(平成29年8月19日 土曜日)