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2017年9月27日

仕事はなかなか時給では測れないと改めて思った昭和な話をいたします





おはようございます。

2017年9月の記事です。

昭和後期生まれ、社会人としてどうにか働いて20年の筆者です。

思えば、会社を取り巻く環境はこの20年で劇的に変わりました。

筆者が新人をやらせていただいた職場は、この職場以外の日本のあらゆる職場でそうだったのかもしれませんが、連日深夜残業は当たり前田のクラッカー(古いギャグです)でした。

筆者も指導担当としてついてご指導をいただいた当時の課長代理(当時のデフォルトでは男性)と、あまりにも深夜にわたる業務となり、終電もないので近くの東京神田のカプセルホテルに宿泊し、上司にそのカプセルホテル代まで出してもらい、あげく缶ビールまで奢ってもらいながら、翌日寝坊して7時に起きたのですが上司はとっくに出社していた、といったような経験がございます。

実話です。

1997年(平成9年)の出来事です。

今の会社を取り巻く環境で、このようなことが起こるとは到底想定できません。

例えば、待遇もよく、仕事内容も合っている、しかしながら上司から飲みに連れて行かれて時間を潰されるのが勘弁というのが平成29年に至った平成末期の社会人新人のデフォルトであるかもしれません。

仕事はあくまで業務時間内のこと、自分の時間を犠牲にして上司や会社の人と飲みに行くことなどに意味が見出せないという、よくある論調です。

筆者も、18時から始まった部署の飲み会が翌日の午前3時まで続き(大量に飲んで8曲くらい歌いました)、タクシーで帰って着替えてそのまま翌日(土曜日)のゴルフに向かいそのまま電車を乗り過ごして取引先に大迷惑をかけた、という経験の持ち主ですから、あまりにも長時間にわたる事実上の拘束が大変であることはわかっているつもりです。

しかしながら、それでも敢えて申し上げたいところがあります。

それは、業務時間以外に拘束されたくない、というならば、それならば時給にしてもらえや、ということなのです。

有りていに申し上げれば、それは歯車といった部品の立場に甘んずるということであり、そうした立場になることで文句はない、ということと表裏一体なのです。

自分自身を部品として、レンタルする時間以外、会社や組織と組む、絡むのは勘弁ということであれば、そうしたバイトの延長で時給にしてもらって、とっとと帰って、家で自分の好きなことでも何でもやれば良いと思うわけです。

どういうわけか、そのように主張する者ほど、実は一方で自分は社会の歯車ではない、クリエイティブな仕事をしたいとか言い出すので面白いのですが、世の中ものすごく進んで平成末期になっても、いや時代が進んだからなおさら、そのような部品の歯車な考えの人の代わりなど捨てるほどいるので、社会や取引先や責任と綺麗に切り分けられたところの時給の仕事がいつなくなるかは考えておいた方が良いと思います。

だいたい、たとえば小学校からエスカレーターで、日本国内ブランドだけはある大学のキラキラネーム学部を出ました、英語も中国語もできませんし(日本語もおぼつかないし)、理系文系関わらず専門知識も特にありませんし、プログラミングもできません。

でも、学生時代にサークルと飲食バイトでコミュニケーション力は磨きました。

というのなら、会社の上司と飲みに行くくらい朝飯前だし、それくらいしか最初はできないのではないかと思うわけです。

唯一の強みがコミュ力とネットワークならば、それを武器に世の中渡っていかなければなりません。

それなのに、コミュ力とネットワークだけを誇るそうした学生ほど、なぜか泥臭い営業は嫌です、海外もロンドンニューヨークはいいですが中国の四川省や東南アジアの奥地、ブラジルやロシアやブルガリアなんかは絶対勘弁といった趣味趣向を堂々と披瀝され、できれば都心の本社の内勤であるクリエイティブな感じのマーケティングやら広報やらをやりたいとおっしゃるように見えるのには本当に不思議な感じがいたします。



ということで、黙って飲んどけ



ということで、それが違うというのであれば黙って飲んでおくことをお勧めします。

サラリーマンに限らず仕事人にとっての飲み会やコミュニケーションの場は、スポーツ選手における腕立てや腹筋といったルーティンと同じで日々の積み重ねによる大切なトレーニングの場であり、人や社会や会社を見極める最良の競技場、リング、舞台であるとも言えるのです。

勝負のトラックに上がらずに時給感覚でバイトしたいという労働者に、組織も企業も上司も、責任ある業務を与えることは「ない」のではないのでしょうか。

バイトにも失礼です。

企業も組織も利益を追求しており、上司も自らの評価や評判を背負って部下の指導を行い、部下と一緒に働き大きな成果を得たいと思っております。

しかるに、それを受ける立場の者が時給のバイト感覚で来られては、こちらの期待の空振りといわずして何といいましょうか。

飲み会に限らず、家を一歩出たなら社会人は日々の積み重ねのビジネストレーニングに晒されていると考えた方がよく、そういうとても地味だけれども大変神聖なる反復トレーニングを前にして、それは効果があるのかなど青二才がごちゃごちゃ文句言ったところで誰も聞く耳持ちません。

飲み屋に限らず、ビジネスマン同士のコミュニケーションとは、本気で人との付き合い方や仕事のやり方進め方を学んで、仲間や人脈を作って助け助けられ進んでいき、そうやって率先して汗をかいてリスクを取れ、いろいろ批判されたり指導されたりしながら加えて日々の地道な仕事の成果が伴ったときに、初めて世間や取引先、社内からも必要かどうか判断され、そうして生き残っていく、そういう世界なのです。

少なくとも、朝3時まで飲んでいた昭和の生き残り世代が大量にまだ現役世代として社会のそこかしこに生息している、そうした24時間戦えますかというある意味理不尽なる境遇を過ごし生き残った先達が一定の割合で存在しているという事実を改めてお知らせしたいと思いまして筆をとらせていただきました。

携帯電話で取引先に電話するのは失礼と当時学んだ昭和世代の筆者からのコメントは以上です。

(平成29年9月27日 水曜日)