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2017年9月5日

映画でも小説でも物語でも契約書でも原典に当たるのは大切だと思う話




おはようございます。

2017年9月の記事です。

今までブログを始めて4年超、いつも自分で書きたいことを書いて来たのですが、実はあの話を書いてくれ、あの話についてのコメントをお願いする、といった依頼がくるようになっておりまして、その要望に沿ってネタを整理して書いたこともございます。

今後は、読者(少ないですが)との双方向のコミュニケーションツールとして本ブログを発展していくのも面白いかと思いまして、まだどのような形で記事投稿の要望を受け付けるかそういった具体策は何も決めていませんが、本日時点でそのようなことを考えていると言うことはお知らせしていこうと考えております。

さて、今日の記事ですが、まだ自分自身しか記事要望を出す者はいないので、やはり自分の書きたいことを書かせていただきたいと思います。



原作にこだわる姿勢を大切にしたい


世の中には、原作中毒というべき、原作原理主義者がいるものです。

実を言いますと筆者もその口でして、各種メディアコラボというのがどうしても好きになれないのです。

例えば、ある「漫画」で非常に感銘を受けたものがあるとして、それをアニメ化するまでは良いとして、どうしても実写化するのを見るのは躊躇する、といった具合です。

また一方、原作が「映画」で非常に感銘を受けたものがあるとして、それを小説版にするといったことについては、やはり動画が原作だから文字表現だと迂遠だ、となってしまいますし、原作が「小説」のものをアニメ化しても、どうしても感情移入できない、例えば俺の中のラインハルトやヤン・ウェンリーは違う(銀河英雄伝説)ということになってしまうのです。

さて、そんな世界中にあまたある各コンテンツの中でも、筆者がもっとも原作原理主義者だと申し上げてはばからないのが、「風の谷のナウシカ」であります。

ナウシカ?あの映画でしょ?というそれしか知らない人に対してこれ以上申し上げる気はないのですが、少なくとも一言だけ言わせていただくと、強烈に原作を推し進めます。

原作を買え、ポチれ、というか貸してやるから読め、と申し上げます。

そもそも映画版ナウシカ(今後映画版と記す)は、全7巻構成でバイブルと化した原作において、2巻執筆時点で製作されたものなのです(1984年)。

そのため、映画版製作当時には存在していないお話が、その後大量に驚くべき質感を持って迫ってくるのであります。

原作において、ナウシカ世界は、トルメキア王国と土鬼(ドルク)諸侯連合という二大勢力の狭間に生きる周辺勢力でどちらかというとトルメキアに従って土鬼諸侯連合に侵攻をしかける先兵としての役割を背負わされているわけで、ペジテ市その他の小都市群と一緒に、要するに辺境諸国として使い捨てにされるという立ち位置なわけです。

それが、映画版ではペジテ市がトルメキアと同格になるほど格上げされ、善悪二元論の中で風の谷の地位も向上しています。

原作ではそんなことはありません。

多種多様の主人公たちがそれぞれ泥臭く生きていく群像劇なのです。

そして、映画版の主人公ナウシカほど、原作版ナウシカはかっこよくなく、ちょっとあちらの人になってしまっていて敬遠される感じになってしまう一方、ナウシカ以外のキャラクターは、概ね全て原作のほうが超カッコよく描かれています。

最も違いが際立つのは、トルメキアの皇女で第三軍指揮官のクシャナ殿下です。

原作ではナウシカより好きだと言うファンも多い、もう一人の主人公となります。

その配下のクロトワさんも、映画版より数段格上のいいキャラクターとなります。

あまり書くとそれこそ原作を読んでほしいという筆者の願いに逆に反することになりますのでこの辺にいたしますが、とにかく、宮崎駿という一人の個性が、構想二十年以上をかけたこの原作をまずじっくり反芻していただきたいと考えております。

つまり、コンテンツ全般、それからビジネスの世界においても原典たる契約書に立ち戻っていろいろ考えることが必要なのだと改めて感じたということです。

以上まとまりが全くありませんが終わりたいと思います。

ナウシカ読みたい方は、筆者もしくはアマゾンにてお求めください。

(平成29年9月5日 火曜日)