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2017年11月4日

文化の日(11月3日)がどのようにして祝日になったか知っておくべきという話





おはようございます。

2017年11月の記事です。

さて、毎年11月3日は日本では祝日となっております。

「文化の日」ということで、現在の祝日法には、文化の日の意義としては、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」という趣旨となっております。

確かに、文化の日として例えば文化勲章の授与が行われたりと、祝日ムードが定着しているとは言えます。

しかしながら、そもそものこの11月3日になぜ文化の日というよく考えれば曖昧模糊とした祝日が定められているのか、真の意味を知っている方は少ないと思いますので、本日はこのようなブログ記事でもひとつくらい賢くなってもらいたいと願って書いておくものです。


11月3日文化の日は戦前の明治節で明治時代は天長節(天皇誕生日)


はい、いきなり解答を題字にして乗っけておりますが、まどろっこしいことは嫌いな性分なのでお許しください。

もともと、近代日本においては天皇誕生日は祝日でした。

その時代における一世一代の天皇陛下の誕生日を、天長節と称して、祝日にしていたわけです。

つまり、明治時代の今上天皇陛下のお誕生日である11月3日を、明治時代その当時の天長節として祝っておったわけです。

明治天皇が崩御され、時代が大正昭和と変わりゆく中で、明治神宮の創建など明治天皇への崇敬から明治天皇記念祝日制定の請願運動が起こり全国から署名が集められ、衆議院と貴族院に提出されました。

こうした国民の運動の結果、時の加藤高明内閣において明治天皇記念祝日の制定が建議され、大正天皇崩御後の1927年(昭和2年)3月3日、「明治節制定ノ詔書」により11月2日は明治節という祝日になったというわけです。

そのまま1945年(昭和20年)の終戦により新憲法公布、施行という大行事を控えることになりました。


新憲法(今の日本国憲法)の公布前夜の攻防


敗戦、そしてGHQの支配の中で、日本は新しい国の再興を自らの手で行なっていくこととなります。

そうして、新しい国会議員を決める総選挙を行い、新憲法の枠組みを決定し、その公布および施行するところまでこぎつけました。

あとは、公布するのみです。

憲法の施行については、当時の社会情勢から今までの大日本帝国憲法と大きく異なる日本国憲法の周知期間に半年(6ヵ月)しか使わないというのは驚きでしたが、それでも私たちの先輩たちはそれでよいと、いよいよ公布に望むことになったわけです。

ちなみに、日本国憲法第100条は、

「この憲法は、公布の日から起算して6箇月を経過した日から、これを施行する。」

と定めています。

この日本国憲法公布前夜において、当時の内閣法制局長官であった入江俊郎さんという人が、後にこの経緯について記しているので筆を借りようと思います。

曰く(ここから引用します)、

新憲法は昭和二十一年十一月三日に公布された。
この公布の日については二十一年十月二十九日の閣議でいろいろ論議があつた。
公布の日は結局施行の日を確定することになるが、一体何日から新憲法を施行することがよかろうかというので、大体五月一日とすれば十一月一日に公布することになる。
併し五月一日はメーデーであつて、新憲法施行をこの日にえらぶことは実際上面白くない。
では五月五日はどうか。
これは節句の日で、日本人には覚えやすい日であるが、これは男子の節句で女子の節句でないということ、男女平等の新憲法としてはどうか。
それとたんごの節句は武のまつりのいみがあるので戦争放棄の新憲法としてはどうであろうか。
それでは五月三日ということにして、公布を十一月三日にしたらどうか、公布を十一月三日にするということは、閣議でも吉田総理、幣原国務相、木村法相、一松逓相等は賛成のようであつたが、明治節に公布するということ自体、司令部の思惑はどうかという一抹の不安もないでもなかつた。
併し、結局施行日が五月一日も五月五日も適当でないということになれば、五月三日として、公布は自然十一月三日となるということで、ゆく方針がきめられた。
公布の上諭文は十月二十九日の閣議で決定、十月三十一日の昼に吉田総理より上奏御裁可を得た。
— 入江俊郎『日本国憲法成立の経緯原稿5』、入江俊郎文書
とあります。

内閣法制局長官といえば、内閣の直下で法制についての事務を行う機関の長であり、内閣法制局による法令解釈は各法令ごとの齟齬や調和を限界まで緻密に組み上げているといえ、その判断は非常に高い権威を持ち官庁の中の官庁として畏怖された機関です。

そうしたギリギリの司令部(GHQ)との交渉の中で、なんとか明治節にあたる11月3日を憲法公布、そして半年後の5月3日を憲法施行日とすることになったわけです。

その後、衆議院参議院のすり合わせやGHQの意向も絡み、この11月3日を憲法記念日にすることはできなかったけれども(施行日の5月3日を憲法記念日にすることが先に事実上決定することで11月3日の目が消えた)、その代わりとして、なんらかの祝日として11月3日も決定して良いというGHQからの「意向」もあり、こうしてようやく11月3日を「文化の日」として戦後の祝日体系の列になぞらえることはできることになった、というわけなのです。

先人や先輩たちの数々の悩みと貢献あって、この11月3日は祝日として祝うことができる日となったわけです。

ですので、ぜひ11月3日については、昭和22年までは明治節、明治時代は天長節、そして11月3日は憲法「公布」の日として文化の日になった、と覚えていただければと思うのです。

国家公務員1種(総合職)試験は受けておりませんが、代わりに国会議員政策担当秘書試験は受験し合格資格を保有しております法令解釈おたくの筆者からは以上です。

(平成29年11月4日 日曜日)