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2017年11月20日

空前の少子化の時代にわざわざ辺鄙な田舎で廉価版学習塾をやろうという会社があるという話

田舎にある廉価版学習塾



おはようございます。

2017年11月の記事です。

空前の少子化で日本の人口の減少もこれから数十年間続いていくことがいよいよ統計上の事実となっております昨今ですが、そんな若年層をターゲットに商売している教育機関、なかんずく大学などは生き残りに必死です。

そんな中、小学校高学年から中学生を対象に、いわゆる勉強のやり方や習慣自体を教える、そのような学習塾の需要は引き続き高いのですが、こうした学習塾も、生徒確保の観点からターミナル駅や住宅街の真ん中に出店する場合が普通です。

そのような環境の中、さらに経済的理由から、少し離れた田舎においての学びの場というのは非常に限られているのが実態です。

そんな現状において、わざわざ辺鄙な田舎でしかも廉価版の学習塾を始めた会社があります。

福岡市のコラボプラネットという会社(西原申敏社長)が始めた「学習塾ブランチ」という学習塾がその一つです。

例えば、福岡県糸島市の学習塾ブランチ志摩校は、福岡市からは車や電車を使って一時間ですが、最寄駅からはかなり離れており、周囲はゴルフ場や農場が多く広がる田園地帯です。

このあたりの中学生にとっての通塾手段は自転車で、都心の塾に行こうにも、移動時間だけ取られて実質的な指導を受けられる時間が限られ、さらに夜の長時間の移動は安全面からも課題があります。

確かに、親やその他の保護者の手厚い庇護があって、塾への送り迎えに弁当の差し入れなどができればよいですが、例えば両親ともに働きに出ているような場合はそれも難しく、それが都会の子供達との明らかな学力差として現れるという避けがたい問題があります。

いわゆる、何をやれば良いのかからわからないという状態です。

このような状況に、学びの機会はいつでもあると立ち上がり、わざわざ辺鄙な場所で廉価版塾をやるという経営戦略を取っているのです。

コスト削減に対する姿勢は一貫しています。

受講料を下げなければ、そもそも辺鄙な場所ですから生徒も集まりません。

教室には、地域の篤志家や事業者に遠慮なく援助を求めて、寺(文字通り寺子屋)や閉鎖された商業店舗を使うこともしばしばです。

教えるのは、地域の方々が、本当に廉価で引き受けてくれます。

本当に高度な問題や解き方にコツが必要な問題があれば、近くの九州大学の学生とネット対話で繋いでその都度解決します。

これで十分なのです。

コラボプラネットは、2013年に個人塾からスタートした完全スタートアップの会社です。

田舎の子供と都会の子供の学力格差の問題とは、単なる地域問題ではなく日本の国力自体の問題であり、そこに住む子供達への教育の実質機会平等を図ることは、このインターネットの時代にこそやらなければならないという明確な理念があります。

だから、わざわざ駅から遠くて子供が少なくて既存の学習塾が出てこない辺鄙な場所でやるというわけです。

しかし、これを事業化しようとして銀行に話を持ちかけても、マイナス金利でお金が余りまくっている銀行でも貸してくれません。

理念は共感するけれど、事業の数字が見込めないので、都心に進出するか、もしくはNPO法人の形で(利益追及の形はやめて)行うのが良いのではないかというわけです。

しかし、社長は補助金や実質的寄付で食わせてもらうのではなくあくまでも事業体として継続するだけの収支をあげることが大切だと頑張っているわけです。

どうせ少子化なのです。

そのうち今の都心だって人口減少します。

だったら児童や生徒がいる家のそばまで現代版寺子屋を持ってきて、勉強のやり方を教えるペースメーカー拠点を田舎にこそつくる、実はこちらの方が細っていく日本の市場における経営戦略としては合っているのかもしれないのです。

塾に通わせるのには少なくない経済的負担があります。

ですので、少ない負担で通えるようにわざわざ経営効率の悪く、賃料が劇的に廉価で、雇う教師や講師の人件費も最低賃金スレスレ、という場所に塾を開き、学生バイトや同好会のネットワークを駆使して将来の社会人を育成する、何より小中生の自分で学ぶという姿勢を作る、これが決定的に重要だと思うのです。

振り返って見ますと、筆者の父親は、九州の中でも田舎の田舎、天草諸島の出です。

この父親が島(今は陸橋がかかっていますが当時は橋もないので船で)を出て本土の大学に進学した時、兄や姉たちが学費を出してくれたという話を聞くわけです。

筆者自身も、周りに有名学習塾があるような立地ではなかったので、塾には行ったことがありません。

たまたま通信教育があって、それなりに理解できましたが、そもそも勉強の仕方がわからなくてつまづいてしまう勿体無い例はどこにでもあると思うわけです。

教室は寺だろうが廃屋だろうが公民館だろうが、どこでもOKなのです。

そういうのは全く問題ではなく、自分で学ぶ姿勢やきっかけが掴める場所ができて意義を感じて意気に感じれば、人間劇的に伸びます。

地域の人が集って勉強のことに限らずいろいろ話ができるという場を作るというのが、まちづくりの基本だと考えているので、こうしたまさに草の根の取り組みが大切だと思い、今回は勝手に紹介させていただきました。

いろいろ訴えましたが、実は相変わらず、何から書けば良いのかわからない筆者からは以上です。

(平成29年11月20日 月曜日)