このブログを検索

2017年12月12日

性急な結論を求めずお金とは何か改めて考えてみるという話です





おはようございます。

2017年12月の記事です。

今回は、お金というものの本質がどのようなもので、時代によってさまざまな使われ方をしたけれども、本質としては一緒のものであるのではないかというような話をしたいと思います。

まず、お金が時代によってどのようにとらえられてきたかをざっくり語ると、

お金を、モノとモノとの交換価値ととらえる考え方(米と野菜の交換とか)

から始まり、そして、

時間を節約してコトをお金でやり取りするという時間主義的な考え方(列車とか)

に発展し、そして、

価値自体、つまり「信用」をやり取りする資本主義的な考え方(株式会社とか)

に発展してきて来たのではないかと思っています。

しかし、こうした異なる考え方には一つの大きな本質的な一致があるように思うのです。

それは、お金は人間が生きている間に積み上げることのできるネットワーク手段の最も大きなツールの一つであろうということです。

どうも、お金があるだけでは人は幸せにはならないのです。

しかし、お金を通じた人々の「信用」の結びつきは、人々を幸せにする場合が多いようです。

お互いがお互いのために財やサービスをやり取りしながら、間に通貨すなわちお金が行ったり来たりするだけで、社会全体の富が増えていくというのは資本主義社会の原理でもあります。

ただし、積みあがった富自体が価値を持つわけではないのです。

お金がもっと欲しいと思うのは人情なのですが、お金さえあれば人生は楽になるわけでもないし、お金では買えないものもどうやらあるようだということもようやく21世紀になってわかってきたわけです。

逆に言えば、お金で買えない人からの承認や評価といったものを、いとも簡単に集めてしまえる生き方ができる人は、クラウドファンディングといった手法を使えば、そうした人々が実現したい未来に人は簡単にお金を預けたり、投資したり、ともすれば寄付しちゃったりするという信頼主義の時代になってきたのです。

お金の形も、中央銀行が発行するいわゆる円やドルといった通貨から、ブロックチェーン技術を利用したビットコインなどの仮想通貨に一気にシフトしてきているように思えますし、ビットコインが2017年の1年でその価値を12倍にしたといったニュースを見れば、この有限と決められているものであればなんでも価格が吊り上がるように見えて面白いものです。

そして、このような時代においては、お金は信用のという金庫から出力したものにすぎないといった考え方が主流になり、お金は貯めることを目指すのではなく、お金を生むような信用のある個人を作り上げていくことのほうがよほど大切になってくるというようなところかなと思っています。

金の卵を数えて愛でるよりも、金の卵を産むめんどりを育てよう、自分の中にそのような信用創造機を作りだして強化しようというような方向です。

信用さえあれば、無一文でもクラウドファンディングや寄付などでお金など簡単に集まります。

お金とは信用の出力形態の一つである、といったお金の起源や本質をもっと紐解いていけば、仮想通貨を含む現代の通貨の行く末も少しは見通せることができるのかもしれません。

国家とか、経済とか、社会や宗教、技術の変化を軸にして、お金という媒体が各時代をどのように生きてきてこれからどういう方向に向かうのか、非常に興味が尽きないところです。

さて題名の通り結論なく終わりますが、とにかくお金は天下の回りもの、を地で行き自らの財布にはちっともとどまってくれない筆者からは以上です。

(平成29年12月12日 火曜日)