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2018年1月9日

映画「君の名は。」は宮水神社の一族誰が欠けても成立しなかった秀逸なバトンパスのような作品です





おはようございます。

2018年1月の記事です。

アニメや漫画、ライトノベルについては自分基準でまったく初心者の筆者です。

しかしながら、先日映画「君の名は。」に関する筆者の独自考察を載せたところ、ビギナーズラックか思わぬ大きな反響がありましたようですので、続編を期待されているのかと勝手に勘違いしてそのまま続けて書いてみようと思います。

前回と同様、できるだけネタバレを起こさないように書きますが、文章の構成上どうしても触れなければならない部分もありますのでその点はご容赦ください。

今回も核心をズバリと書きますが、この映画のストーリーと世界観は、超常の能力を持つ宮水神社の一族と、それによって交信(入れ替わり)をさせられるフツーの人間との間の物語になります。

そして、ヒロインの三葉は明らかにその超常の能力を受け継いだ者ですが(どうも女子にその能力は強く遺伝する模様)、主人公の瀧は、ただの東京のバイトばっかりやっている普通の中高生(のちに大学生になり、卒業ギリギリまで就職活動をしてなんとか社会人になる)に過ぎません。

しかし、その宮水神社に婿養子としてやってきた宮水トシキ氏(旧姓は不明)、および今回の瀧くんは宮水一族の歴代の女性陣(いずれも美人。おそらくおばあちゃんの一葉も若い時はそれはべっぴんさんだったと確信します)に引き寄せられるようにやってくるわけです。

女系の宮水一族の大きな意思が、一族の巫女をして一般の(普通の)男たちを強烈に魅惑させあるいは引き寄せ、そして一族の大望を成就せんと図るそのようなおどろおどろしい話、と読めなくもないわけです。

口噛み酒、なんかはその最たる「武器」でしょう。

これを中年男の筆者などが作ったところで(作れますし成分的に三葉や四葉が作ったものとほぼ同じであることは科学的にも立証できるのですが)、その印象たるや全く違います。

筆者だって飲みたくありません。

こうした宮水神社の歴代の人々の「使命」は、繭五郎の大火という200年前の火事により文献が消失してしまったことにより今ではわからなくなっておりますが、御神体が隕石原因としか思えない正円クレーターの中のほこらであること、そのほこら(祠)の内部の天井部に極彩色の流星(隕石)の絵が書かれていることに鑑みますと、どうやら定期的に(といっても1,200年ごとのティアマト彗星などですが)やってくる彗星の地球接近による隕石飛来被害を人類に警告し適切に避難させるというお役目だったと思われます。

そうして、科学技術が発達してその回避策が代替されるまで、その超常的な力でもって、未来の、もしくは隔地間の人体と入れ替わるという超常の技を駆使して、未来の人間をして過去(つまり自分がいる現在)を改変せしめるという考え方によっては恐ろしい技を駆使して千年以上の間生き永らえてきた一族なのです。

天皇家に寄り添い、時に操り、1,500年以上にわたりこの日本の時代時代を牛耳ってきた藤原氏もびっくりです。

そうして、この年、ついにティアマト彗星が地球に接近し、割れた一部が地球に飛来する直前となり、すでに嫡子であるところの二葉を病で無くしてしまっていた一族の意思(ご先祖様たちの一般意志みたいなもの?)は、当時まだ高校生に過ぎなかった三葉にその能力の全てを預けたのです。

当然、三葉の方はそのような起死回生の一族のアイデンティティなど知りようもありませんから、来世は東京のイケメン男子にしてくださーいなどとのたまう通り、実際に東京の3年後の男子高校生である瀧くんに「転生」「入れ替わり」することになるのです。

ですので、この物語、背景に鑑みれば主人公は瀧くんではなく完全に三葉です。

ヒロインでもありますが、その前に圧倒的に宮水一族1,000年の血が、真の主人公三葉に囁くことから全てが始まるのです。

瀧くんの物語的な位置付けで申しますと、スターウォーズ・エピソード7から始まる三部作における、主人公「レイ」に対比される男性出演者である「フィン」くらいの位置付けと考えていただいて結構です。

さて、宮水一族の1,000年ミッションである、隕石被害から人々を救うという大目的のため、さまざまな人々が細い糸のような可能性を手繰り寄せて目的を完遂します。

もちろん、映画を見ている方は、三葉と瀧(普通の解説本は瀧と三葉と並べるでしょうが、上記の理由から筆者は三葉こそ主と考えるのでこの順番で表記します)がまた出会えるのかというところにばかり興味が行くと思いますが、より大きな真の目的といえば、体と心が再度合体し隕石が落ちた後の世界を見てきた三葉が父親である婿養子であった町長の宮水トシキにまっすぐな目でこのことを打ち明けて住民全員の避難を決意させた、というところがミッションコンプリートなのであり、これがなされたところで宮水一族(=宮水神社)としては大団円なのです。

なにせ、宮水神社を隕石は直撃し、宮水一族は一族の記憶もろとも消し飛び、蒸発してしまうのですから。

しかし、宮水神社としては満足の消滅であったはずです。

映画ターミネーターも驚く、自己犠牲の崇高なる精神。

日本が世界に誇ってよい、美しい視点です。

この点、筆者は古いSF物語である「風の谷のナウシカ」という作品の最終目的地「墓所」が守っていた世界の秘密に似たものを感じたのでした。

最後、三葉と瀧が出会い、そして「普通の」恋愛をはじめる、というところで、三葉が無意識にせよ背負わされた宮水一族の長い長いお役目は本当に終わりを告げ、三葉も普通の人間として生きるということになるのでしょうか。

どうか、この二人の子供(娘?)がまた超常の能力で世間を困らせることがないことを切に祈りたいと思います。

このあたりは、古典SFの名作である「火の鳥・未来編」のマサトが数十億年にも及ぶ世界作り変えの大業を終えて、最後に宇宙と一体になって帰って行く、というシーンのオマージュのような気もしています。

もちろん、全て勝手な解釈であり筆者の妄想です。

しかし、妄言は宮水の血だというセリフもあるくらいですから、妄想妄言、大いに結構だと思います。

さて、書きたいことの数十分の一くらいにしかなっておりませんが、ひとまずここで終わります。

続きは、オフ会でもやった時に思い切り語り明かしたいものです。

興味がある人がいれば、ですが。

以上、無理して書きましたがやはりアニメや漫画については、これから勉強の筆者からは以上です。

(平成30年1月9日 火曜日)