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2019年2月23日

自分の作品や労働成果を世の中に正当に評価してもらいたいと思ったらすぐやるべきことについて書きます






おはようございます。

2019年2月、労働に対する正しい評価と題して小文を寄稿します。

労働や製作物に対する正しい評価を得るのは難しいです。

特に、個人で製作している美術作品やアニメーションやイラスト、演芸に漫画といった創作活動に対する正当な評価を求めることは非常に難しいです。

しかしながら、そういう、「正しい評価」をして欲しいと真に望むのであれば、そうして創作活動に勤しんでいる方々の方も、ひょっとしたら潜在的に馬鹿にしているのかもしれない、下に見ているかもしれない、サラリーマンや中小事業者が日々間断なく行なっている、事務だ総務だ営業だ経理だ管理だといった仕事に対しても、相応のリスペクトを抱いてもらいたいと思っています。

人の評価は自分の他人に対する評価の合わせ鏡であると申しまして、人の仕事を馬鹿にしている人の仕事だけが「評価」されることはないのです。

引きこもりの、自称「創作者」と違って、ほとんどのサラリーマンや中小事業者や個人事業主は、健康に留意して、体を整えて、穴を開けまいと配慮して慎重にシフトを組んで、役割分担して仕事を進めているのがほとんどであり、そうした従業者の上司は管理責任と業務結果責任を負い、「マネジメント」という非常にリスクの高い、嫌われることの多い厳しい役割に従事しているのです。

オタクと言われている人たちが、安全な自宅警備員という立場で引きこもって作品を作り上げました、そして、それを売上まで運ぶにはチームの力が必要であり、作家でもイラストレーターでも、それらを機能させる機能部門事務部門は必ず必要になってきます。

嫌だから、外と交渉するのがおっくうだから、世に出すことができないというのでは、頭の中にしまいこまれたままであるのと一緒です。

アプリで作品を提出するといっても、その裏には必ず人がいるわけですから。

そうした、外で頑張るサラリーマンに対する「正当な」労働に対する評価もできないものが、自分の創作活動だけリスペクトしてくれ、といったってそれは通らない、だったら一見誰でもできる、とお前らが思っている事務作業の一つでもやってみなはれ、ということです。

かの禅宗曹洞宗の開祖、道元禅師は、「雲水」と言われる修行僧に対し、座禅や諷経(お経を読むこと)だけではなく、炊事睡眠掃除作務(労働作業一般)も同様に重要な仕事の一部と教えています。

つまり、「普通に」できると思われている事務作業や雑用と言われるようなことであっても、その難しさと奥深さ、相手あることの困難さや責任や納期や社内のレビューや報告や議論の方向性を持っていく根回しや構想力、どれだけの専門性があるのか、それを想像しえない、わからないようなものに修行をする資格はないということなのでしょう。

それが、給料をもらって仕事をするということなわけです。

自分がやっていることを評価してもらいたいと思うならば、市井の人々の普段の積み上げた労働や振る舞いに対する「感謝」や「尊敬」が必要ではないか、ということです。

仕事の99%は雑用。

凡事徹底、それが仕事道です。

いうなれば、我慢ができるということです。

感情のままにそんな単純なこと、やってられないとむき出しにするのは、プロの振る舞いではない、そんな日常の修行を習慣にまで高め、自然に高度な技を連続して繰り出し、そしてそれを特別なものと思わせない、それができる仕事人というものであります。

最近筆者も年を取ってきて思いますに、ちょっと労働して対価をもらう、ということに対して甘い考えがあるのではないかと思いまして、あえて苦い言を呈しておきました。

と書きながら、本当は楽して儲けたい筆者からのコメントは以上です。

(2019年2月23日 土曜日)