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2018年9月19日

身もふたもない話ですが勉強しても経済的に食っていけなければ何にもならないという話です







おはようございます。

2018年9月の身もふたもない記事を配信いたします。

昔、教師という職業の給料や待遇、身分はそれはそれは高いものでした。

宮沢賢治や夏目漱石といった間違いなく当代一の秀才であるような人たちが、平気で教壇に立って、そして教職という職業に従事し教鞭を取りながら、その余った時間を思い切り創作活動に当てて、猫の近代小説をものしたり、クラムボンの詩や銀河鉄道の夜の物語を書いたわけです。

私生活も破天荒であり、留学までして金と時間を湯水のように使い、そしてそれを超える文化的作品を世に返したわけです。

さて、現代の、少なくとも2018年時点の教師は、教師というより「教諭」という一つの職業になっているように感じます。

給金も待遇もそれほど良くないし、そもそも雇用形態も「講師」であれば期限付きのパートさんといってよいものであり、お世辞にも経済的に恵まれるから教職を目指すという人は少ないのではないでしょうか。

それよりも、経済的には恵まれないけれども一定の身分が保証されるから、そういう意味の「職業教諭」というイメージです。

これでは、あまり夢がありません。

筆者としては、その人の講義を聞きたいと唸らせる教師には給料は他人の10倍出しても良いし、ビデオ講義で良いからインターネットで配信して欲しいです。

通常の経済社会においては、商材だろうがサービスだろうが、その中で最も優れたものが洗練され、消費者に選ばれ支持されて、そして改良されてメインストリームを作っていきます。

それなのに、こと、日本の「教育」という巨大産業(売上高や付加価値総額においては大したことはないけれども人間の時間を膨大に消費するという意味においては巨大)においては、まったくもってそれがないのです。

「お」受験産業にしましても、日本の有限の中学校や高校の過去全ての入試問題など、簡単にマイニングして、どのように教えれば最も短期間で効率的に点が取れるかどうか、きっちり考えられる少人数の専門家「チーム」で仕事をすれば、おそらく、少なくとも公立高校の問題レベルであれば今の文部科学省のカリキュラムで必要とされている座学の時限など、おそらく半分に減らせるものだと思っています。

明らかに、例えばメーカーにおける品質管理や改善計画の手法が、教育の現場にはまったくもって抜けています。

150年経過しているのに板書とスクール形式の座学にまったく変更がないのです。

座学でわかる部分は、洗練されたビデオ講義できっちり済ませて、あとは計算問題やら演習問題やら、英語や国語であれば話す書く聞く読む、そういった主体的な学習者側の手と足と頭を動かす演習に充てるべきなのです。

しかしながら、例えば社会や理科といった「授業」において、たとえば教科書を棒読みするだけといったくだらないなぞり学習が多すぎます。

そういうのは、全国で選りすぐった予備校講師陣による、ポイントを押さえた講義を、1.5倍速で動画配信視聴させて、基本的な知識を導入させることで、極めて短縮化できるはずです。

人間、聞くより読んだり頭の中で反芻する方が早いため、1倍速の講義では、実は効率は悪くむしろ眠くなってしまうのです。

なので、聞き取りは容易にできるけれども他のことを考えていたら意味がわからなくなってしまう程度の速度に講義を早めてあげなければなりません。

今のところ、筆者の周りで見渡して見て、これに対応しているのは、リクルート社が提供している「スタディプラス」という講義集だけです。

しかし、不満もあります。

スタディプラス、にはもっと中学の教科書ごとのページごとの解説が欲しいわけです。

公立中学校の中間テストや期末テストにおいて、本当の英語のテストや数学のテスト、理科や社会のテスト問題など出題されません。

極めて限定的な、使われている教科書と文部科学省の指導要領に即した問題が解けるか、その確認という意味合いが強い(というかそれだけの)テストです。

そして、この教諭が教えるネタ本である、各教科書に付されている指導書について、一般人(生徒側)が手に入れそれを解析することはほぼ不可能です。

できても非常に高額であり、またそれを読んでも本来どの部分を中間期末テストで出題するかは、各中学校の各教科担当の教諭にかなりの部分「任されて」いるからです。

筆者は、ここにこそデータマイニング、機械学習の知見をぶち込んで、全国の公立中学校の中間期末テスト問題と「解答」を投入して、最高の学習テキスト課題を出力出版して欲しいと思います。

そうすれば、そのテキストなり問題集ならば、たとえ普通の問題集の10倍の値段でも買うでしょう。

商品やサービスの価値とは、そのようにして決まっていくはずなのに、こうした当然の市場競争のシステムがなく、変な受験コンサルや受験産業の不十分なデータや過去の不正確な経験などによって超過コストを支払わされているようにしか思わないのです。

おそらく、こうしたデータに基づいた「正しい」学習計画に沿ってきちんと学習できるシステムがあれば、東京大学だってシンガポール大学だって、オックスフォード大学だってスタンフォード大学だってきちんと筋道立てて学習すれば、全然難しくないレベルだと思うのです。

サッカー上手くなりたいなら、まずワールドカップのサッカーのプレイを見せなさい。

とはよく言われますが、変な有職故実のような、入試問題に必要な知識とまったく関係のない知識を、さも受験に必要だというのは、控えめにいって無駄だし、率直に言えば詐欺に近いものであると思います。

まったく関係ない知識は重要です。

その、まったく関係ない知識を駆使して、人類は新しい価値を想像してきたわけですから、まったく関係ない無駄知識は大切です。

しかしながら、そのまったく関係ない知識を駆使して「研究」「追求」する立場である大学に入る地位を得るための基礎素養としての基礎学問については、もっと体系化して、効率的に、本質を極めた教授方法で教えた方がきっと他にできる余地が大いにあるのではないかと思うのです。

本日はとりとめのない記事になりました。

しかし、経済社会における競争や正しい洗練の過程を経ない、百年やり方が変わらないような「教授」とは教育の名には値しないのではないかと考えております。

まったく関係ない知識が大好きな、体系化されていない筆者からの記事は以上です。

(平成30年9月19日 水曜日)