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2018年10月19日

失敗も人生の味でありそれも成功と同じく人を育てる大切な経験であるという話です







おはようございます。

2018年10月の配信記事です。

記事の前に、先日の筆者の誕生日におかれましては、多くの方々からのメール、メッセンジャー、リンクトインといったSNSサイトからの励ましのご連絡をいただき、誠にありがとうございました。

テクノロジーの進化を感じます。

ちなみに、来年は2019年(和暦元号は未発表)10月18日(金)となっておりますので、よろしくお願いしますとあらかじめ申し上げておくことと、この日まで1年しっかり自分の人生を生きるという気持ちを新たにしました。

さて、世の中そうは言ってもなかなかうまくいかないものです。

失敗の連続ばっかりだったりします。

しかしながら、失敗が人を最も育てる良薬であることもまた事実であり、失敗をものともしない精神的耐性こそ最も大切なのではないかと思います。

かの徳川初代将軍、時代の覇者となった徳川家康ですら、かつて三河の三方ヶ原で、甲斐の国から天下に号令しようと京に軍勢を進めていた武田信玄に自国領地を全く無視され素通りされたことに激昂し、三方ヶ原において追撃戦を敢行し、そして完膚なきまでに敗れました。

命からがら逃げ帰った家康は、なんとその悔しがる自身の姿を絵師に描かせ、それをいつも眺めて心を奮い立たし、また自己への戒めとし、自身の無謀と無能さから死なせてしまった多くの部下や武将に心を致して、そうして豊臣政権の第一人者の地位から関ヶ原を経て文字通り天下人、初代将軍、徳川幕府樹立に邁進するというわけです。

この時代にしては長寿であった家康ですが、これは関ヶ原を経ての最後の総仕上げである、豊臣家の殲滅まで十数年の時を彼が生き抜いたことで完成しました。

成長してこれから人生の華を迎える豊臣秀頼と、人生閉じていく家康、彼ら二人が出会ってしまったところから、秀頼と豊臣家の滅亡は決まっていたのかもしれませんが、歴史にもしを差し込みたい筆者などにしては、ここで都合よく家康が死んでいたりしたら、さてどうなっていたのか非常に見ものであります。

二代将軍として家康から将軍家を譲られた秀忠にしても、関ヶ原に遅参して決戦に間に合わなかったというぬぐいがたい失態を一生抱えていくことになります。

何しろ、親の家康は、数万の軍勢を抱えながら関ヶ原に間に合わなかった秀忠に対し、全く会ってもくれなかった時期があるといいます。

その秀忠は、その失敗を胸に刻み、神君として日光東照宮に神として祀られた初代家康とは違って、徳川支配体制を確立して増上寺に本人の強い意志で葬られました。

あくまで、失敗により育てられた人間として、生きて死んだ証が欲しかったのかもしれません。

そのように人生を考えると、失敗というどん底も、味わっておくべき人生の味のような気がいたします。

それぞれの人生にそれぞれの戦いがあり、それぞれが人生を燃やしているのです。

自分の人生を、己の戦いを、しっかり生きるというのがやっぱり大切なのではないでしょうか。

それでは、また1年後に向けて少しは頑張ろうと思います。

こちらからは以上です。

(平成30年10月19日 金曜日)