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2018年8月16日

徳島市の阿波踊りの運営について地元で対立している本質を勝手に想像して書いてみる話です







おはようございます。

2018年8月の祭りと家具に関して筆者が個人的意見を語る配信記事です。

さて、テレビ等でいろいろ場外戦が盛り上がっております徳島市の阿波踊りに関する記事ですが、筆者のような、まだ生涯一度も徳島県に足を踏み入れたことがないような部外ものにとっては、全くことの本質がわかっておりません。

わかっておりませんながら、なぜこのことを書こうと思ったのか、それは、筆者が多少調べて知っている(つもりになっているかもしれませんが)すでに経営が危機的状況に陥っているとみられる大塚家具と一緒で、ここには共通して「顧客および潜在的な顧客候補にいざこざがどう(悪いように)見えているか」という顧客視点が抜けていることが大きな問題ではないかと思ったからです。

阿波踊りに関しては、テレビにおいては特に問題の本質を掘り下げることなく、徳島市長が赤字を回避するために強権をもって阿波踊りのクライマックス「総踊り」の中止を通達したところ、それに反発した観光協会側が独自で総踊りを決行した、といった事象面の報道に終始しておりますが、それでは、なぜそんなことになったのか、なぜ市長が中止を強行しようとしたのかの背景が全くわからないわけです。

どうも、この阿波踊りのような強力すぎるコンテンツになると、運営側の赤字が累積し、そしてひとたび赤字補填のために、行政からの補助金という名のミルク注入や委託事業という名の果実をもらってしまったが最後、それがいつの間にか既得権となり当たり前となり、地域振興という錦の御旗の名の下、全ての異論(まともなものも当然含む)が封じられるというよくない順路を辿ることが多いようです。

すなわち、もともと祭りというのは、持続する地域のイベントとして、日々毎年、運営側は知恵を絞って運営費用やコンテンツ維持費用くらいは自前で稼ぐプログラムに進化させていかないといけないところ、何をやるにも地域にとっていいことだから、の補助金ありきの運営体制となり、いつしか補助金もらってやってやっているんだ、という精神構造に侵されてしまうのではないか、ということです。

結果、せっかく集客してもその関連するイベントや施設は巨大なプログラムを維持運営する以上の売上を立てることができず、勢い、このイベントを全国もしくは世界に配信するフリーライダーのテレビやインターネットコンテンツ組織のみが、この膨大な祭りコンテンツを消費しつくし、儲けもそちらに流れるばかりになってしまっている、というのが事の本質ではないかと思うのです。

言い換えますと、この阿波踊りという強力イベントを強烈に推進した事務局と地元は、補助金を投入しても大赤字となり、一方、集客された人たちを相手にする宿泊業や飲食店、そして既存の放送網とインターネットを利用したメディア事業者は大儲けするという、本丸の赤字構造と周辺のただ乗り構造が固定化されていることが、問題の本質ではないでしょうか。

ちなみに、今まで運営側の中心にあった観光協会は、それまでの赤字を補填できずに徳島市に泣きついて、そして今回から徳島市がテコ入れして運営側のこれまでのやり方を改革をいろいろと打ってきたようです。

しかし、赤字をどうやって解消するか、という手を打っている(ように見える)、税金の使い方に説明責任を負っている市長に対して、これまで赤字を垂れ流しながらその実なんの手も打ってこなかった(と筆者が勝手に思っている)観光協会側の「阿波踊り振興協会」というのは、市長が総踊りを中止してチケット販売を平均化して赤字補填を行うとした点に反対しました。

あまつさえ、これまで通りの総踊りと称してそれを決行し、「市長の弱いものいじめには負けない」だの「体制には屈しない」だの、市民の代表たる市長の代理である副市長や実行委員会の職員に対して「帰れ」だの、どうも英雄気取りと痛いクレーマーの狭間というか、かなり大きく後者寄りの立場にいらっしゃるのではないか、と思うわけです。

それで、筆者はまだ行った事ない徳島県で、さらにその県庁所在地の徳島市ですが、残念ながら、こんな揉めている土地柄のところに、わざわざ縁もゆかりもない筆者としては、あまり行くことはないだろうなあ、と少し残念な思い出で気持ちもそっと離れてしまいます。

祭りも、家具も、それの本質は縁起物であり、できれば自分の人生を前向きにしたいというかハレの日にわざわざ出向いて鑑賞したり家具を購入したりするものではないかと思うのです。

もし家具が縁起物ではないのであれば、単なる消費財なら、ニトリやイケアで捨てる前提で買うでしょう。

そのハレの日に、わざわざ地域で揉めていたり、親子で揉めていたりする会社の店に行って買おうとか観光しようとか、それはなかなかしないものではないか、と少しだけ思ったのでした。

ですので、全くその地域やサービスや商品を知らない人向けに対する最初の態度としては、できるだけ揉め事があってもきちんと当事者同士で解決した上で、どのように発信するか、という線を決めて発信すればよいのではないか、という学びがありました。

踊る阿呆に見る阿呆。

同じ見るなら踊らにゃ損損。

といいますが、それこそ自分たちは踊りたいから踊る、止める者は体制の回し者だ、借金なんか税金で帳消しにしろ、では徳政令を叫んで打ち壊し回ったかつての農民一揆以上にタチが悪いものになってしまいます。

なぜなら、現代立憲社会国家における税金は踊る人以外の国民から等しく徴収されている血税だからです。

それがわからないのであれば、そういう振る舞いを続けるのであれば、もはや全ての補助金ならびに公共施設(踊り場や道路自体も公共物)の利用を取りやめ、自らの発表の場で、自らのお金で、公共の福祉と法律に反しない限度で、思う存分やられたらいいのではないかと思うのです。

そんな逆効果な宣伝ばかりしていれば、盆踊りのチケットの販売状況も上がらないでしょうし、この問題は次の年もまた次の年も、結構長く尾を引きそうな気がするのです。

大塚家具については、親子喧嘩の店というイメージを最後まで振り切ることができずに、このまま一旦終焉を迎えそうな気配です(あくまで、筆者の個人的なイメージです)。

踊りについては小学校時のオクラホマミキサー以来は結婚式披露宴の汚めの芸事しかやっておりません筆者からの個人的見解は以上です。

(平成30年8月16日 木曜日)