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2013年8月21日

ブログ開設にあたり筆者兼管理人からご挨拶をいたします







おはようございます。

2013年8月のはじめの記事です。

一部の方にはすでにお知らせのとおり、
私管理人は今までの不動産投資信託(J-REIT)の資産運用会社、
から、
地元個別ビルの保守管理運用会社、
に異動しました。

まったく違った環境ですが大変新鮮な気持ちで頑張っています。
早速ですがここで感じたことがありますのでここに問いたいと思い筆を取らせていただきます(前にツイッターで流しましたが反響が大きかったので、
一部加筆修正の上再掲)。

今までは、
不動産という資産を運用する「大家」の立場で、
「利益を出すこと」をよいこと、
として仕事を進めておりました。

その中で、
発生する費用(コスト)は、
必要なんだけどいわば必要悪として、
できるだけ削減することが理にかなう、
と考えておりました。

あくまで、
事業成績を判断するものは利益。
どのようなファイナンスの本を読んでもそう書いてある。

売上-コスト=利益、

この利益の長期安定分配こそ、
投資家(株主)の利益であり、
そこに資産運用会社としての鼎の軽重が問われる、
その合理的な「理」に何の違和感もなく進めてきました。

しかし、
ここに来て、
見方が深まりました。
それは何か?

コストは仕事であり、
雇用であり、
そこに関わる人々を潤し、
生活の基盤を作っているきわめて大事なものなのです。

総資産1,600億円の不動産投資信託、
そこからあがる一年間の賃料収入は約140億円(保証の限りではないですが)。
いろいろなコストを差し引いて、
これまでは年間約40億円程度を利益として投資家に分配してきた、

ということなのですが、

その40億円の利益は、
一旦利益と認識されて各投資家に分配されたが最後、
どこにいったかもよくわからない、
消えてしまうはかない存在なのだなあと思ったのです。

投資家は世界中にいます。
したがって利益は世界中の投資家に分配されます。

しかし、
利益がその後どうなったのか、
利益を出した、
それを分配しちゃった我々はわからない。

多分、
利益を直接受け取った投資家にもわからないのではないでしょうか。

利益とは、
それを出すために多大な期待がかけられるが、
一旦利益として確定し認識されたが最後、

桜の花びらのように、
すぐ意識の中で散ってしまうようなものなのだなあと思うのです。

利益を出すために事業を選び、
投資家は投資を行う。
しかし結果として得られた利益の寿命は少ない。

いつも次の利益への期待(せっつき)が事業者に課せられます。
次の予算は?利益予想は?と。

反面、
コストは違います。
コストを抑えろと各方面から合理的な、
または非合理的な(無茶な)要求はたくさんやってきます。

しかし、
コストを0にすることはできません。
何かの売上を上げようとしたら、
何かをコストをかけて構築運営しなければならないのは当たり前で、

その意味で「最小のコストで最大の効果を」という言葉には意味がありません。
言うなら「一定の(適正な)コストで最大の効果を」というところでしょうが、

その一定の、
というところの説明が難しい。

特に売上が右肩下がりであることが如実な今の経済状態では。
どの業界でもそうでしょう。

しかし、
コストはそこに集う人々の大事な雇用なのです。
コストは仕事なのです。

同じ経理上の数字ですが、
利益よりはるかに中身がある。

これは、
何かを「主体的にやる」ということが積み上げたコストになることに対して、

利益はあくまで「売上-費用」の差分概念でしかない、
ということに表れているのではないでしょうか。

自らを定義づけるために、
他の2つの概念(売上、
費用)を用いないと説明できない、

そのような不確かな、
あいまいな、

漠とした、
とらえどころのない、
要するに大したことのない存在なのです。
利益というやつは。

コストは我らの仕事で、
生き方そのものです。

もちろん、
先の例で売上(140億円)、
利益(40億円)の差である100億円がコストということになりますが、
全てが雇用に直接結び付くわけではないでしょう。
減価償却費も公租公課(税金)もありますしね。

しかし、

減価償却費は従前の期にお仕事としていただいた建築コストを翌期以降に定額の割合で費用化していく単なる経理上の処理であるし、

公租公課はお上に取られるもの、

ですが結局国民が選挙で選んだ議会のコントロールに置かれた政府によって適切に我々国民に振り分けられる建前(あ・く・ま・で・理屈上の建前を言ってますが)であるからして、

やはり全てのコストの行き先はより具体的に把握することができます。

そして、
このコストとして仕事をいただき、
生活している関係者、
裾野の何と大きいことかと深い感慨に包まれるのです。

1年間で100億円。

このコストという付加価値を地元経済に与えている。
もちろん賃料収入という売上を超えるコスト=雇用は発生しえませんから、
さらに根源的に大事なのは経済全体の売上、

ということになりましょう。

言ってみればGDPですが、
その大事な売上を上げるためにかけるコストを、
単に必要悪として、

とにかく削減すればよい、

というのは結局自らの雇用を含む、
人々の大事な生きる糧、
生きがいを蔑ろにしているのではないかと思い至ったわけです。

福岡という都市の成長においても、
良質な雇用の確保、
が最重要であるということのようです。

考えたら当たり前のことです。
雇用とはコストそのものであり、
我々の生きる糧。

良質な雇用をどのように守り育てるか、
その具体的一里塚が日々の業務から少しでも生まれるよう、

主体的に頑張りたいと思います。
久しぶりに長く書きましたが、

ご清聴ありがとうございました。
ではこれからよろしくお願いします。

(平成25年8月21日)