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2013年8月31日

(筆者お奨めの記事)2013年度版「自己満足の英雄に陥らないために」勤め人のみなさんへ







おはようございます。

2013年8月最後の日に書いた「自己満足の英雄に陥らないために」という記事を改めて紹介します。

自己満足の英雄にならないようにしたいです。

加えてあなたが管理職以上の職階にあるのなら、経営者なら尚更そのような英雄を周りに作らないことも大切です。

多くの仕事と作業をこなしたにもかかわらず、やることは積み上がるばかり、そして机の前に片付けていないそもそも手を付けていない案件が山積み状態の金曜日21時だとしましょう。

あなたはここでどう考えますか?

「とりあえず金曜日は深夜まで働いて、土日も返上して自分が作業すればいいね」と考えてしまうとしたら、それはあなたにとっても会社にとっても間違いだと勇気を持って言いたいです。

逆にさらに問題をこじらせて増やすだけだと。

筆者も、最近のキャリアで関わりを持ったスタートアップ企業の初期やその前のシステムトラブルに見舞われたレガシーな銀行システム部門に所属していた時代においては、一週間(文字通り土日も含んできっちり7日間)で、例えば100時間くらい仕事場にいたこともありました。

渋谷の会社の社長のようですね(ヒラ社員なのに)。




それでも休むべきだったと今でも思う





しかし、今思えばあのときもう少し休むべきだったのです。

唯一夜寝る時と、昼飯のうどんを5分でかきこんだあとで高層ビルの屋上近くの非常階段踊り場でつかの間の仮眠を取る以外にも、必要なのは積極的な休息だったのです。

ということで、過去の苦い、失敗の経験を踏まえて学んだことをここに記しておきます。

重要な締め切り直前やビッグディールの最終コーナー、どうしようもないシステムトラブル対応や深夜の本番データ移行作業や週末バッチ処理を見据えた残業には、いろいろそれぞれ拠ん所ない事情があります。

 そして、自分がやらねばならないという責任感と善意に突き動かされて作業し、目的を一応達成した時には「自分は会社の英雄だな」という満足感に包まれて帰宅し泥のように眠ります。

しかし、自分が「会社の英雄だった」という快感を一度味わってしまうと、加速度的に自らの働き方に「余計な過大な期待」を持つようになってしまいます。

すなわち、過去に成し遂げた仕事量(と残業量)を「基準」として、その前提で見積もった作業をこなさなければ英雄じゃないというような気になってしまうのです。

自分に対する自分の期待が大きくなりすぎ、これっきりだったはずの大規模残業や休日出勤が、いつしか頻繁な「日常」になっていくのです。

そして、次のステップとしてこのような過剰な働き方を有形無形に周りに「推奨」「押し付け」ていくようになります。




大きなお世話だ





まさに、大きなお世話で真っ平御免な仕事クズ人間の出来上がりです。

このような困った会社の英雄が周りに増えていくと、子どもや助けが必要な家族(介護が必要な相方や親など)のいるまともなスタッフが働きづらくなります。

まともなスタッフが働きにくくなり、自己満足の英雄が自己満足に闊歩する職場はあまりよろしくありません。

私がシステムトラブルに見舞われた銀行の基幹システム(預金や融資、内国為替など)の部門にいたときは、ヒラの私は独身で、はっきり言って家(会社の寮)などに帰る必要はむしろないくらいだったので、寝袋やもっといえばシュレッダーにかけた紙を入れておくビニール袋にタオルを置いてその上に寝るといった荒業をやっておりました(盛ってません、マジです)。

上長である課長代理や課長は、それでも家族や子供がいるので、遠い家までタクシーや終電で(早い場合)帰っていました。

でもヒラの私を残すのに若干の後ろめたさがあったはずなのです。

私はその上司の心に沿うことすらできませんでした。

それどころか、深夜に帰ろうとする部長が床で寝袋で寝ている私を踏みそうになったとき、誰のお陰でこのシステムは回ってるんだなどと言ったくらいです。





こいつはいかんやつです






会社の英雄という状況に酔っていたのでしょう。

そして、本人の体調や親の介護がある、子育てなどの事情で残業ができない、週末も別件で働けない「まともな事情の」人に対し、自然に「怠けている」「一生懸命じゃない」と感じるようになってしまうのです。

「会社の英雄」に凝り固まってしまいますと、子育て理由で全時間を仕事に投入できないスタッフが働きにくくなります。

全時間を仕事だけに投入する人員は、その他のすべての子育てとか介護とか地域貢献とか自己啓発とかそういった、人格形成滋養のために必要なすべてのスキルとネットワーク取得の機会を自ら放棄しているともいえます。

こうした人間としての滋養の形成により、より効果的な仕事のやり方にフィードバックして生産性を上げたりもっと上位からの仕事のやり方を覚えるということが、社会人としての成長なのですが、そうした機会を自ら閉じているのです。

そうして人生そのものを閉ざしていくのです。

そして、そうした自己満足人間がはびこる組織は、いつしか業務成果に基づいた正当な評価は影を潜めてしまい、単なる根性と自己犠牲が組織評価の差別化要素になるのです。

本来会社は違います。

自己満足に高い点数をつけてはならないのです。

客観的な業務成果や顧客満足といったできるだけ定量的な指標が必要になります。

定量的な営業成績や業務成果を得るためには、単に会社に詰めているだけではダメで、共用とか行動力とかオンオフのメリハリ切り替えとか自己啓発とか英語とか会計知識やその他諸々人間社会に対する深い洞察や考察力、構想力、要するに人間としての幅が絶対に必要になってまいります。

そして、残業が日常化すると、ある仕事を達成するのに必要な日数を考える際に、当然のように目いっぱいの残業を計画に組み込んで無意識のうちに見積もってしまうようになります。

そして、いつも日程に比して仕事量が過剰になってしまい、実際にそれを実行するとなると仕事量が多すぎて、チームメンバーが燃え尽きるか手抜き作業となりどちらにしろ組織は持続しないのです。





自己満足のすばらしい仕事は素晴らしくない





そして、もう一つの罠ですが、深夜まで集中して仕事をしていると、なんとなく自分が深夜に「すばらしい仕事」をしていると錯覚してしまいます。

現実は、標高5,000M以上の高地にいる登山家が、低酸素のため頭が働かず靴紐を結ぶのに1時間かけてしまうような、質の低く時間がかかる作業成果しか示していません。

全て、私の実体験から言えることです。

深夜まで熱中して会社規程や規約を書いたりテストプログラムケースを考えて、翌朝げっそりした顔で職場で起きて、出社してきたメンバーに示すメールを書いているとき、発覚するのが瑣末なエラーやそもそもの前提の取り違えやタイプミスのオンパレードです。

深夜1人での作業は、周囲に自分の仕事と進度をチェックする人がいないため、自己満足に陥りミスも起こりやすいのです。

本来ならば、残業などせずに家で寝るなり風呂に入るなりして、積極的に休むべきだったのです。

そして、積極的に休む効果はてきめんです。

思考が明晰になり、作業から帰結される会社の方向性についてより戦略的に考えることができます。

集中力はより高まり、生産的になります。

そして何より、周囲のメンバーに対して、より強い連帯感と責任感を持つことができるのです。

加えて家族との時間はより安定します。

自分はうまくいっていないのではないかという、ふとした瞬間に虚しくなるといった不安感からも解放されるのです。

人ができる仕事量には限界があります。

英雄ではなく会社にとって必要な生きたメンバーになりましょう。

そうすれば時間の使い方について賢くなり、個人の時間という決して無駄遣いすべきではない時間を大切にすることで、会社の時間の生産性も高めることができるようになりましょう。

会社にとっても、真に必要で、「面倒臭い」人員になってしまっては悲しいところです。

気の利いたオチがありませんが今回は以上です。

(平成25年8月31日)