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2013年12月29日

城郭の石垣建築にみる旧い技術が優れることがあるという事例について

野面積みの石垣の例



おはようございます。

2013年12月の記事です。

日本の城郭建築において基礎となる石垣積みの技術は非常に大切です。

江戸時代に近くなっていくと石を採石場から切り出してから、平地に真四角の用地に壮大な城郭を建築するようになりますが、その時代には既に城郭は要塞としての役割というよりも為政者の権威の拠り所としての意味付けのほうが大きくなり、実際に城主が通常住まうのも天守閣ではなくその下の本丸御殿といった平屋の建物になってきます。

その時代の天守閣は居住用というより倉庫としての用途くらいになってしまいます。

少々幻滅する話ではあります。

城主が壮麗な天守閣に住まっていた例としては、築城後3年で焼け落ちてしまった織田信長の安土城が有名でしょう。

詳しい城郭構造は想像に任せるしかないのですが、記録された文献によれば信長がここに実際に居住していたことは明らかになっています。

しかし何層にもわたる高層建築物に、エレベータもなく階段のみで住むというのは、城主も楽ではないということになります。

さて石垣ですが、この安土城の時代までは、野面積みといって、自然の石をそのまま石なりに積み上げ、その隙間は小さな石で埋めるという業で石垣を作り上げてきました。

後世においては切込み接ぎといって切り出した石を隙間なく積んでいく技法に代わり、我々の今よく知る城郭の多くはこの方式でのものになっています。

しかし、切り込み継ぎでできた石垣は、中に雨水がたまって孕み出しという石が外に浮き出てくる現象に悩まされ、定期的な手入れが必要になってしまいます。

その点、野面積みの石垣は、雨水も隙間から適度に排出することができるため、何百年の風雪に耐えて現代までその遺構が残っています。

旧い技術が優れている点があるというお話でした。

参考になれば幸いです。

古い発想と頭で仕事しています筆者からは以上です。

(平成25年12月30日)