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2014年1月13日

複眼複合都市「福博」に住まうということ(自前の都市発展論)

福博の空(イメージ)



おはようございます。

2014年1月の記事です。

先の講義で見ましたように、福岡と博多、博多と福岡という題名でも気を使っているように、部外者である筆者(筆者は1901年官営八幡製鐵所お膝元の北九州市八幡の出身です。ここを書くと長くなるので本編では割愛し別の機会に)から見るとこの二つの都市の張り合いはかなり深刻に映ります。

博多もんは、今でも博多市にしちゃろうと本気で思っています。

因みにJR博多駅でありJR九州に「福岡駅」というのはありませんので域外の方ご注意ください。

筑前国に福岡などという地名はそもそもない、福岡なぞ中央権力からの天下り役人人事の象徴に過ぎない、あの名君黒田家も嫡流は五代で途切れているし、あとは中央権力の出先にすぎんやんかといいます。

博多なのか福岡なのかの争いは今も続き、ちょうど博多と福岡の中間にある大型複合商業施設の名称を、福岡にするのか博多にするのかも最後まで紛糾したそうです。

結果当時の開発責任者(博多出身)の抜け駆けで「博多」になった模様ですが、この施設に入っているビジネスホテルの名前は「福岡」となっています。ご興味ある方探してみてください。

しかし「中央直轄の出先」だったからこそ、この地に帝国大学もできたし官庁集積もなされて、結果明治以降九州の中心であった熊本をしのぎ、人口150万人の九州の主要都市としての格付けがなされてきたことは間違いないので難しいところなのです。

港町、貿易港、博多商人としての栄光だけならば筆者の出身門司港レトロと同格になってしまいます。




昔は博多港より門司港の方が上だった





そもそも近代国家創設において門司港の果たした役割は、博多港をはるかに凌駕しているのです。

都市としての発展において、そもそもの貿易港としての発展に、城郭経済政治都市としての福岡が加わり、その補完相互反駁作用で今の福岡市の発展につながったと外部から冷静に見るのが大人の対応かと思いますが、筆者も自身の地元についてかような冷めた論調を張られると知らんもんがごちゃごちゃ言うなと思うくちでありますので、この辺で終わります。

福岡と博多を隔てる那珂川を挟み、鉄道も銀行も進学校もちょうどそれぞれ存在する、そんな面白都市福博へどうぞお越しください。

福岡市博多区にございますキャナルシティ博多におります筆者からは以上です。

(平成26年1月13日)