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2014年3月11日

内気な中年男が語る「俺の床屋理論」が静かな支持を集めている話です

もともとは動脈静脈包帯を表すものだそうです



おはようございます。

2014年3月の男の床屋に関する配信記事です。

床屋は筆者のような中年男の心のオアシスです。

行きつけの床屋に行ったとき、男性客のかなり多くの方々が、散髪に関するオーダーをろくにしないという確信を得たのでここに記したいと思います。

すなわち、店に入ってきて、雑談はしたにせよ、どのように切ってもらいたいとかどのような髪型にしてもらいたいなどといった「床屋本質サービス」については店側に任せきりになるという顧客傾向のことです。

筆者も典型だと思いますが、「ああ」「ええ」の中間のような声をぼそぼそ発する以外は全て床屋のマスター任せです。

切った後に鏡で後頭うなじ部分を鏡で見せられますが、ろくに見ちゃいません。

そして「結構です」といったようなことをもごもご言って散髪終了となります。

つまり、寿司屋の大将お任せ状態です。

どのように切られようとも所詮自分では判断できないという諦念の為せる業なのか、はたまた単に面倒なのか、あるいはその両方なのか、床屋に通う男性客の多くはかかる傾向があると確信しています。

逆に、女性客が通う美容室は全く別だといいます。厳密には理容師法によって、理容とは頭髪の刈込、顔そり等の方法により容姿を整えること(理容師法第1条の2第2項)と定められていますし、美容師法によって、美容とはパーマネントウェーブ、結髪、化粧等の方法により容姿を美しくすること(美容師法第2条第2項)と定められています。

顔剃りは理容師(床屋)しかできないのですね。

双方は全く違う資格で、美容の方はまだ検証しておりませんので詳しくコメントできませんが、少なくとも理容のように全てお任せという女性客は少ないのではないでしょうか。

床屋で受けるサービスに我々のような物言わぬ顧客が期待するのは、前切ったとおりになっているというプロフェッショナルによる安心感なのでしょう。

ですので自らそれを判断することはしないし、自らの状況を最大限情報開示するにしても、「以前は何日前に切りました」程度の情報です。




とにかく察してほしい




しかも行きつけの床屋ならば、前来たのはいつかということも即座にわかるため、それすら必要でなくなり、まさに無言でのサービス収受が成立するのです。

駅のキヨスクにおいて、新聞や飲み物の売買が無言で行われる(お釣りも即座に渡される)という高度かつ洗練された商行為コミュニケーションがありますが、散髪というある程度長い時間において、そのサービスの本質に触れずにサービス自体のやりとりが行われるという事例は特異だと思います。

もちろん会話はあるのですが、本質的な散髪サービスについての話題はほとんどないということなのです。

天気の話とか、近所のうわさ話とか、飲み屋の話とか、プロ野球球団の話や芸能界のゴシップなど、たわいもない話です。

無言のサービスについての考察でした。

その会話すらもなく、単に理髪台に腰掛けてひたすら寝ているだけの筆者からは以上です。

(平成26年3月11日 最終更新:平成28年3月11日)