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2014年3月3日

(日本史)石田三成と成田長親で有名な行田の忍城(おしじょう)の戦

忍城(おしじょう)



おはようございます。

2014年3月のビルメン王(@shinya_ueda)によります日本の戦国時代末期に関する胸のすくような配信記事です。

豊臣秀吉の小田原攻めのもう一つの舞台、忍城(おしじょう)攻略戦ですが、秀吉に与えられた大軍を擁しながら石田三成軍が忍城(現在の埼玉県行田市)を落とせなかったのは、三成自身が認めるように自身の軍略の欠如が決定的要因と言えます。

小田原城を居城とした後北条氏については→こちら

変に水攻めなどせずに、大軍ですりつぶすように押し切ればよかったのです。もちろん味方の損害も甚大だったでしょうが、負けることはありません。

しかし、それでは後世に語り継がれる物語にならないのではないかと思うのです。

当時の光成や成田長親(ながちか)もそのように考えたのかもしれません。

戦国時代もいよいよ大詰め、その中で勝ち残り負けたものを糾合したただ強い者がただ勝つ、という状況に対し、「それだけの世の中は何とつまらないものか」という成田長親の命を張ったアンチテーゼ、正直な気持ちに沿った覚悟が軍略を超越したという方がだんぜん面白いわけです。

もう大きな戦はなくなってしまう、という焦りにも似た気持ちが当時の武将の上層部にはあったのかもしれません。

応仁の乱から始まった戦国時代ももう終盤だと。




天下再統一のフィナーレをどのような立場で迎えて歴史に名を残すのか




三成は勝って当然、天下人の戦いをしようなどと勝者の奢りに満ちています。

勝つのは当たり前で、勝ち方により自らの出世もかかっています。

守る成田側は、領民総出で城に立て籠もり、一泡吹かせようとエリート軍団を迎え撃つという構図です。

この手の状況が日本人は大好きです。

一般的日本人を自任する筆者も大好きです。

緒戦に手痛い負けを喫した三成は、備中高松で秀吉に見せられた水攻めをしたいと言い出します。

これは合戦による部下の手柄を奪うことなので諸将の士気はますます下がり、結局三成は部下からソッポをむかれていきます。

逆に成田長親はおのれの命をかけて百姓の心をつかみ、意を決した城外の農民の怒りと共に堤防を決壊させます。

みんな命をかけて戦っているのだから、これは大きな差になります。

三成はその後関ヶ原で敗走、京都六条河原で斬首され果てます。

一方成田正親は68歳まで生きたそうです。

なかなか一時の勝敗では人生わからないものです。

しかしながら、それでもどうにもくそ真面目サラリーマン権化にも見える石田三成を本当の意味で憎める日本人がいるのでしょうか。

それは読めない筆者からは以上です。

(平成26年3月3日)

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