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2014年4月14日

北九州工業[地帯]が20年ぶりくらいに復活したらしく嬉しい話です

製鉄所




おはようございます。

2014年4月の北九州工業地帯に関する配信記事です。

筆者は北九州市八幡で生まれ育ちました。

小学校のクラスの同級生たちのかなりの人たちが「製鉄所」関連で働いている家庭だったので、友達が転校になるというと、君津や堺、大分や光といった製鉄所がある街ばかり出てきました。

ちなみに単なる「八幡製鉄所」と呼びます。

敢えて言うなら「官営 八幡製鉄所」です。

株式会社とかそういうのはつけないのです。

なので小さいころの筆者は、日本の大きな都市はこのようなところなのかと本当に思っていたのです。

東京とか京都とか大阪とか名古屋とか福岡などというのは相当に遠かったのです。

東京より君津。大阪より堺。

これが北九州スタンダードなわけでした。

彼の地には九州弁が移植され残っているとも聞きます。

何しろ、行きつけの病院も小児科から単なる「製鉄病院」でした。

スーパーは「テツビルストア」です。

地域一番のお祭りは「起業祭」でこれは最初に高炉に火が入ったのを記念したものです。

今は違う名前ですので詳しくは申し上げられませんが、いかに1901年官営八幡製鐵所以来の伝統が染み付いている土地かはわかっていただけると思います。

その八幡や小倉を中心とする「北九州工業地帯」ですが、そもそも官営八幡製鐵所ができたのも、中国からの鉄鉱石など原料の輸入に適した港湾と、筑豊炭田に代表される原材料が豊富な後背地を抱えていたことがあったわけです。

しかしながら、近年は鉄鉱石の輸入先が中国からオーストラリアなどに変わってきたことや、石炭から石油へのエネルギー転換により筑豊炭田も閉山した煽りを受け、工業出荷額に占める割合は他の3つの工業地帯(京浜工業地帯・中京工業地帯・阪神工業地帯)に比べて大幅に低下していき、ついに北関東工業[地域]、瀬戸内工業[地域]、東海工業[地域]などの後塵をも拝するようになり、[地帯]を剥奪されたのです。

2000年に入ってからの頃だったかと思います。




最近になって北九州工業地帯を見るように




しかし、先日小学校高学年の子供の社会の問題集の答え合わせをしたところ、何と北九州は工業地帯として復活していたのです。

子供に聞いたところ、先生によれば北九州はかつて地帯でちょっと前までは地域になっていたけど最近地帯に戻ったとのことです。

歴史的な経緯もそうですが、何より生産設備の集積具合を考慮に入れて地帯地域の名称を決定するということらしいのです。

やりました。北九州工業地帯復活です。

以上未確認情報ですが、筆者としてはこれで十分です。

小学校の先生に感謝します。

納期と品質に絶対価値観を持つ、メーカー城下町で育ったゆえ、サービス業や商売は下手な筆者からは以上です。

(平成26年4月14日 最終更新:平成28年4月14日 木曜日)

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