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2014年9月24日

改めて日本の国土でありますところの北方領土について(前史)

宗谷岬に間宮林蔵が臨む





おはようございます。

2014年9月のビルメン王(@shinya_ueda)提供の日本の固有の領土である北方領土に関するブログ配信記事です。

最近古代中国の書物を紐解いて、西南鎮西の地のことについて数回に分けて述べましたので、日本の北端のことにも少し触れておこうと思いまして筆を取りました。

北方領土のことです。

改めて、北方領土がどこなのか、どんな島々なのか、そもそも何で北方領土というのか簡単におさらいしておきたいと思います。

今回は、2,000年以上も前の日本列島の話ではなく、ほんの60年ほど前までの話になります。

北方領土とは、北海道本島の東北の海上に連なっている歯舞諸島(はぼまいしょとう)、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島のことをいいます。

少し昔の日本人が住んでいた頃の様子ですが、人口は1万7千人、小学校は39校あったそうです。

主な産業は漁業。

寒流と暖流が交わる天然の漁場であり、古くは松前藩の時代から大規模な漁業が行われていました。

また林業も主要産業で、良質の森林から生産される木材は重要な輸出源でした。

古く江戸時代に遡ると、江戸幕府は蝦夷地や北方領土などの様子をくわしく知るため、最上徳内や近藤重蔵といった、すぐれた探検家を送って国内領土の調査を行いました。

間宮林蔵は、樺太(サハリン)が島であることを突き止め、対岸の大陸にも渡り、その地に清の役人が定期的にやってきていることを確かめ、ロシアの勢力はまだこの地および樺太には及んでいなかったことも確かめています。

さて、時は下り最初に日本とロシアとの間で結ばれた日露通商条約において、日本とロシアの国境は、択捉島とウルップ島の間、樺太は両国雑居と決まりました。

その後、樺太・千島交換条約を締結して千島列島は日本の領土となり(代わりに樺太はロシアの領土となり)、日露戦争の結果、ポーツマス条約にて取得した南樺太を合わせて日本の領土は拡大しました。

このまま、運命の昭和20(1945年)8月を迎えることになります。

[後半、北方領土後史に続きます(リンクあり)]

(平成26年9月24日 水曜日)