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2014年9月26日

実際の北方領土回復アプローチについて私見を述べておきます

ボリス・エリツィン




おはようございます。

2014年9月の記事です。

北方領土についてここ数回書いていますが、では実際にその返還交渉はどのように行われてきたのか、またこれからありうるアプローチは何かという私案も示さないといけないと思いましたので書きます。

戦後の北方領土占拠から、日本も手をこまねいていたわけではなく、時の政権トップはこの問題に様々なアプローチを続けてきました。

1956年の日ソ共同宣言において、両国の国交は回復、関係も一応正常化しましたが、肝心な国境問題は先送りされました。

その後、田中角栄総理とプレジネフ書記長との会談では田中総理側からしつこく四島問題について尋ね、プレジネフに領土問題についての存在を認識させ言質を得、さらに1993年の細川護煕総理とエリツィン大統領との東京宣言において、領土問題として北方四島の島名を具体的に列挙して、その帰属に関する問題と位置づけることにこぎつけました。

そして、1997年、ロシアのクラスノヤルスクにおいて、橋本龍太郎総理とエリツィン大統領の間で、東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすことで一致しました。

そして1998年4月、日本の川奈における橋本総理とエリツィン大統領の間で、平和条約に関し、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けた日露の友好協力に関する原則等を盛り込むことで一致したのです。

この川奈合意の交渉の席上、橋本総理側から日本外交の乾坤一擲の矢が放たれたそうです。




国境だけとりあえず定める





それは、「ウルップ島と択捉島の間を国境と定める」、ただそれだけというものです。後は当面何もしなくてよい、ただ観念的な国境のみをそこに引くことで、あとは100年かけてでも実在としての主権をじっくり回復していけばよいという気の長いアプローチです。

筆者はこの話を聞いて日本の政治家や外交官も相当やるなあと思いました。

国境線を引くということを認めるだけで、各種の経済支援やら経済交流などの「実利」を取れるのであれば、実際の主権回復をロシア側の都合で相当先延ばしにしていけばこの先数十年ロシア側にとってもおいしい案だと言えるからです。

一日三食バランスよく、原理原則を大切にしたいと思いつつも、つい目の前のお菓子は別腹と食べてしまい、夜は飲み屋帰りの四食目五食目と延長しがちな筆者からは以上です。

(平成26年9月26日 金曜日)