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2015年1月18日

直接民主制という制度の意味する目指すところは実は自由ではないという話について


島です




おはようございます。

2015年1月のビルメン王(@shinya_ueda)配信の政治に関するブログ配信記事です。

自由主義とか資本主義とか、そういうのをイデオロギーと言いますが、自由主義とよく並列に扱われる民主主義はよく考えるとかなり異質の概念だと思います。

自由主義とは、誰もが侵されることのない(不可侵)の、自由とか(基本的)人権を持っていますよ、というのが自由主義ですし、資本主義も、私有財産というのは強く守られなければなりませんよ、そうしないと安心して経済活動できませんよ、という考え方です。

一人ひとりの個人の自由や権利を尊重するということです。

それに引き換え、民主主義というのは「誰が決める」というのを「みんなで」と「擬制」するのです。

みんなが一度に一瞬に全く同じ考えに至るということはありませんので、そこに集まる「総体」としての民衆の「総意」「一般意志」による「合意」を形成しないといけないわけです。

ここで、100人くらいまでの「集団」ならば直接民主制として、全ての権利者に出席させてとことん議論するようにすれば、曲がりなりにも「合意」形成はできます。

最後は多数決で決めるでしょうが、「多数決で決めたことには従う」ということの100人の合意はあると言えるからです。





多数すぎる組織では直接集まって決めることは不可能




しかし、これが1億人の国家とか、70億人の世界とかになりますと、話は違ってくると思うのです。

絶対に、直接民主制としてみんなを一同に集めることはできません。

できないので、最初から、議論なく多数決で選ばれる「議員」が、選挙民に公約その他でがんじがらめに縛られて、これまた国会で多数決で決めるというプロセスになりがちなのです。

世界的なグローバルコングロマリット企業体があったとします。

そこに集まる経営会議(取締役会)のメンバーは、グローバルに様々な領域に進出した各事業領域のリーダーであることが多く、自社資源をどの分野に投入するかの利益代表の面を強く帯びます。

社長や会長、CEOの職もその「事業部門」間の競争により選出されることになり、ここに、会社全体の未来に一義的に責任を負うという者がいなくなってしまうのです。

どこかの大学のようですね。

総長、といっても法学部出身か医学部出身か、はたまた理学部工学部出身かといったように。

ここに至れば、分社化やスピンアウトといった方法が取られたほうがいいかもしれませんが、スピンアウトする方もされる方も、これまた力関係で決まる面もあり、それが真に会社全体によいのか悪いのか誰も立証できない、立証できなくても責任が取れないということになりかねません。

株主も、あまりにも広範に数多く分散しているため、影響力を行使できません。

ちょっと雑な議論になってきましたが敢えて見直さず提示します。

その方が直感として考えていることが鮮明に現れるように思えるからです。

今日はここまでと致します。

落ちのない、たまには真面目な筆者からは以上です。

(平成27年1月18日 日曜日)

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