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2015年1月3日

大国主命にお参りした話(おおくにぬしのみこと:出雲大社)

出雲大社 本殿



おはようございます。

2015年1月の記事です。

2015年の正月、出雲大社に行ってきました。

60年ぶりという平成の大遷宮の真っ最中で、最も大切な大神殿の葺き替えが終わったところですが総事業費100億円という大事業はまだ続いています。

国宝である本殿は1744年に造営され、これまで3度の遷宮が行われてきましたが、そもそも遷宮とは、大国主命(オオクニヌシノミコト)をはじめとする御祭神に一旦お移りいただき、社殿を修造し、再びお還りいただくこと、となっております。

その意味するところには複数ありますが、そもそも木造建築としての日本の神殿それ自体と造営技術自体の未来への維持継承が必要であったことから編み出された先人の知恵だったということらしいです。

なので、遷宮を行うことで神座がリフレッシュされるというのは後付けの理由なのかもしれません。

さて、大国主命は日本書紀や古事記などによりますと素盞鳴尊(スサノオノミコト)の息子と言われる日本神話直系の神として記録されておりますが、実際は畿内大和朝廷と鋭く対立した古来からの王都出雲朝廷の大君主であったのであろうと思われます。

百余国に分かれていたという2,000年前の日本列島では(まだ日本という呼び名もない)、大きく九州王朝系、出雲王朝系、それから畿内王朝系の勢力が周辺諸国を糾合して成長し、琵琶湖から東のほうは古来からの日本人、いわゆるアイヌ系の人たちが住んでいたというイメージが最も現実を表していたのではないかと思われます。

琵琶湖の西岸に、比良山地という山々がありまして、筆者もその昔学生時代にその山々に登ったことがありますが、比良山のヒラは、大きながけが切り立って海や湖といった大きな水界に突き出たところを意味するとアイヌ研究家に指摘されています。

また、そもそも滋賀県や志賀高原の音のシガ、についても大きな崖のあるところを意味する地名である「シガ」によっているともいいます。

つまり、琵琶湖の西岸までいわゆるアイヌの民はもともと住んでいた、ということなのです。西の大陸から渡ってきて大和に王権を打ち立てた「新日本人」が他の民を追い込んでいく、そんなインディアンの悲劇のようなことは何も奈良時代以降の東北地方に突如起こったわけではなく、日本列島のあちらこちらで起こっていたと想像されるのです。

このように、古代日本がこちらがわの歴史書からすれば「統一」されていく中で、唯一残った王権に糾合する形で他の地域の神話や神自体も統合されていったわけですが、その中でも出雲大社が祀る大国主命はその勢力、威光の凄さからして、滅ぼした側の大和朝廷としても別格中の別格として遇することになったのでしょう。

今年も趣味全開のマニアックな歴史の話にもお付き合い下さい。

世界の半分、死と闇の国の支配者というとRPGドラゴンクエストⅠをすぐ思い出してしまう昭和世代の筆者からは以上です。

(平成27年1月3日 土曜日)