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2015年3月4日

直感(第1感)を大切にするのは非常に合理的な選択であるということ

裁判所(大阪高等裁判所)



おはようございます。

2015年3月の裁判に関する配信記事です。

筆者は大学時代に刑事訴訟法を研究するゼミ(講座)に所属しておりました。

刑事訴訟法とは、刑法典に書いてある各種の「罪と罰」を、どのような手続きを経て「決定」し、それを「執行」するか、の一連の流れのうち、「手続き」にしつこくフォーカスしたものです。

すなわち、罪の認定は捜査機関(警察組織や検察官)が挙げてきた証拠に基づいて、検察官の起訴によって始まる刑事裁判によって、裁判官のみが行うこととされております。

有罪とか無罪とか、それを決めることができるのは日本においてはその裁判における証拠と双方の主張を吟味した裁判官のみとされているのです。

その裁判を仕切る裁判官が、「通常人なら誰でも疑いを差挟まない程度に真実らしいとの確信を得る」に至った場合、裁判上で「再現」された事象は、事実として認定されるのです。これを事実認定といいます。あったこと、もしくはなかったことになるというわけです。




逆に言えば真実らしい確信ない場合は認定されない




逆に、裁判官の心象として、疑いを差挟まない程度に信じるらしいという確信までは至らなかった場合、(犯罪)事実としては認定されません。

疑わしきは罰せず、というわけです。

この点、繰り返して申し上げますが、裁判で再現される事案は、自然科学の用いる実験に基づくものではなく、人間社会、なかんずく社会科学で用いられる歴史的証明なのです。

二つは、明確に違います。

真実そのものを目標とするにあらず、歴史的証明として真実であろうことの高度な蓋然性(人々からの信用みたいなもの)を追求するたぐいのものなのです。

したがって、通常人なら誰でも疑いを差し挟まない程度に真実らしいという確信というのは、いわば裁判官も当然具有している、一般人としての「直感」に似たものであることになるのです。

ということで、厳格な日本の裁判制度においても、直感の持つ有用性が触れられている以上、我々の生活においても、ぐちゃぐちゃと理屈をこね回す前に、もっとシンプルに、直感に従って行動したほうがうまくいくのではないかと思います。

ゼミの成績は直感に従い「可」スレスレだった筆者からは以上です。

(平成27年3月4日 水曜日 最終更新:平成28年3月4日 金曜日)