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2015年6月17日

二代目が偉いという事実を歴史のエピソードを交えながら論じてみます

親の七光



おはようございます。

2015年6月の配信記事です。

写真は言わずと知れた太閤秀吉公の兜ですが、これこそが親の七光りの語源になったとも言われます。

以前、最初のフォロワーが大切だという記事を書いたことがあるのですが、同じように、企業や政治体制においても、二代目が偉いという話をしたいと思います。

二代目というのはなかなか評価されないもので、親の七光などど色眼鏡で見られてしまいます。

やったらやったで当たり前のように言われますし、やらなかったらやらなかったでめちゃくちゃ言われてしまうこともあるようです。

しかし、日本の歴史で最も有名であろうエピソードである、信長秀吉家康と来て、徳川260年の礎が固まったのは、世を去り東照宮で神君となった初代家康の遺徳ではなく、人間として生きた二代目秀忠の努力と気の利いた所為の賜物です。

また、日本の宗教史に巨大な足跡を残した室町時代の本願寺八世蓮如という偉人がいますが、こちらも、開祖親鸞の浄土真宗を文字通り日本一の教団に押し上げた立役者です。

京都大坂から北陸地方を中心に御文というわかりやすい教義を広め、一向宗という教団にまとめ上げ、加賀や大坂石山において、守護大名を凌ぐ自治権を確立しました。

後の信長も、石山本願寺との抗争では非常に手を焼いています。

あまりにも続く抗争に嫌気がさして、信長軍随一の守将である荒木村重が謀反を起こす遠因にもなったと言われます。

今も特に北陸の地は南無阿弥陀仏の浄土真宗が深く浸透しています。




蓮如は中興の祖をはるかに超えた巨大な二代目と定義できます





蓮如は、親鸞以来衰亡の危機にあった浄土真宗を興隆させたことから、中興の祖とも呼ばれますが、実質的には巨大な二代目です。

確かに初代、開祖ではないものの、蓮如は宗教的指導者というより、組織人としてのトップを志向したようで、この立場からは実質二代目で行くほうが何かと都合が良かったのかもしれません。

この点、天皇から征夷大将軍に任ぜられた者が幕府を開いて実質的に政治を司る、という日本の国の仕組みも二代目嗜好なのかもしれません。

時にその将軍から権限が更に移り、執権とか大老とか側用人などという「孫請け」が実質的な権力を握る場合もあります。

天皇から摂関家、天皇から上皇や法皇といった権力移譲についても、同じような展開で説明がつくのかもしれません。

天皇だったのに「皇子」と記してみたり、親王なのに単に「王」と記してみたり、古事記や日本書紀でのにもそのように写し間違いでは済まされない意図があるようです。

二代目とは初代の攻めの姿勢と出来上がりつつある組織や体制を守り強化するという両面を志向しなければならない、稀有なバランス感覚を要請される特異なポジションです。

全国の二代目を応援したいと思います。

ゼロ代目の筆者からは以上です。

(平成27年6月17日 水曜日 最終更新:平成28年6月17日 金曜日)

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