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2016年4月27日

スタートアップから普通の会社になっていく過程で失われていくものは

創業時の砂漠




おはようございます。

2016年4月の気合い入った配信記事をお届けします。

実体験に基づいたぜひ言っておきたいと強く感じていた話をします。

会社とは不思議な組織です。

会社を立ち上げ、とにかく売り上げが立って日々口に糊することができる状態まで持っていくことが、非常に難しいことは経験的にも感覚的にも良くわかると思います。

売上0から1に跳ぶことができる人、この大いなる砂漠や断崖を超えるパワーと勢いと両立された無計画さと計画性と、そして大いなる運が必要です。

同じ商品でもサービスでも、最初の1つを売るというのが大変なのです。

こうした最初の創業期を乗り越えた人的集団は、オーナーである創業者と少しの仲間であることが大半です。

こうした人間関係は、困難を乗り越えた達成感と連帯感で強くつながっています。




幸せな原始共産制は終わる




しかし、会社の軌道が順調に推移していくと、こうした原始共産制的な人間関係が変容していくことになります。

もともと、0から事業を立ち上げたいと思った人間の集まりですから、安定や安心が心地よくは無くなっていくのです。

したがって、そうした創業者人間集団の中で、特に「評価が高かった」人をつなぎとめることは、一見順調に成長していっている会社にとって、潜在的な大きな課題となるのです。

一般的に、先行者メリットがあるはずの創業時メンバーは、後に参画した人に比べて、会社への忠誠も高く会社を辞めにくいと思われているのではないでしょうか。

しかしながら、筆者は個人的に見聞したこと及び自らの経験から、そのような法則は成立しないと思っています。

すなわち、入社の時期と辞める可能性というのは何ら関連性はないのです。

確かに、今の会社で評価されているのであれば、あえてリスクをとって転職する必要はありません。

しかし、忘れてはいけないのは、そうした「評価の高い」「セルフスターターである」人材ほど、何もないところに転じて0から事業なり仕事なりを立ち上げて何とか「仕事」にしてしまう特殊な能力を持っているのです。

また、そうした人材ほど、一般的に「売れる」能力が高いことも多く、他社も欲しがるのです。

ここで、他社が提案するのは、給料など目に見える「もっと良い条件」であることも確かのですが、実際はそうではない場合も多いのです。




なにを為して死にたいか




有名な話としては、亡くなったスティーブ・ジョブズが、当時ペプシコーラの事業担当社長をしていたジョン・スカリーを口説いたこの言葉、

Do you want to sell sugar water for the rest of your life, or do you want to come with me and change the world?

(意訳:一生砂糖水を売って死にたいか、それより俺と世界を変えないか?)

のように、定量化できないモチベーションが理由である場合が多いのです。

これだけの文句で口説き落としたスカリーですから、相当なタマであったようで、その後、なんということでしょう!

ジョブズはスカリーによって自らの創ったアップルを追われることになります。

ジョブズの独裁的な経営とあまりの横暴っぷりに、「会社を混乱させる元凶」とスカリーによって粛清されたのです。

それくらい個性豊かな人間集団である創業集団が、おとなしく大きくなった会社の各セクションに散らばって「最初から大企業」に勤める新人社員のように振る舞うのはなかなか難しい「変容」「進化」であることは想像に難くありません。




社員のみならず会社自体も変容していく




会社自体の目的も変容していきます。

まず、誰にも期待されていない創業期については、大きな絵を描くことができます。

大風呂敷を描いて引っ張ることが必要です。

といいますか、何の実績もないわけですので、そうするしかないわけです。

少しでも目立たないと、消えて終わりです。

しかし、ある程度大きくなった事業体は、抱えている社員も家族もいますし取引先への責任もある、株主や債権者の期待にもこたえないといけなくなる、ということで「やらないといけないこと」が多くなっていきます。

「やりたいこと」より「やらないといけないこと」が増えていくのです。

会社の事業についても、やることそのものより、やった結果を財務諸表にまとめたり書類を作ったり発表したりすることのほうが重要だとすら思われてくるようです。

そして、いつしか外部の素人にも誰にでもすべてに通じる指標、つまりおカネや売り上げや利益のことしか言わなくなってしまうのです。

挙句の果てには、そういうのは従来のメンバーでは不得手として、外部から銀行屋や会計屋を連れてきて、管理をさせたりします。

また、内部統制やコンプライアンスといって、中の組織間の相互監視をさせたりします。

これらは、確かに普通の会社として必要な機能(ファンクション)なのですが、「必死にフロントや現場や開発の先端で仕事をしている人」から見ればばかばかしく思えてしまう組織いじりと取られてしまう傾向もあるのです。





管理屋が跋扈するようになる





そうして、内向き内政的な仕事を任された管理本部的で頭のまわる、言ってみれば石田光成のような、良く言えば「使える人間」悪く言えば「イエスマン」がいつしか創業者トップの周りに集まり普段からの会話に加わり重要な地位を占めるようになります。

一方創業期の苦楽を共にして一緒に戦場を駆け回って領土を切り取って一緒に成長してきた福島正則や加藤清正や黒田長政からすれば気に食わない官僚連中ということになるわけです。

秀吉が生きている間はこれはこれで絶妙なバランスが取れていましたが、秀吉が死んだあとは、前者は五奉行として現実路線を排して先鋭化し、後者は次の大物である徳川家康に取り込まれ、そして彼の一番の槍と盾となり太閤豊臣家に刃向うことになり挙句これを滅ぼしてしまうのです。

人間、一度成功すると、そこから次の苦労をして成功しようとはなかなか思わないようです。

そのような会社は、いわばキャッシュマシーンとして、売り上げや利益はわずかずつながらも上がっていきますが、どうしても停滞、もしくは人知れず無くなってしまうことも多いようです。

そんな会社が停滞すると、決まって経営者(新しく入ってきた経営者も含めて)は、ますます「売上はどうなった」とか「リストラ」といったカネのことばかり言うようになります。




会社の説明を聞きたいのにカネの話ばかり




これでは社員がうんざりするだけです。

少なくとも「売上」がいくら上がっても、「コスト」をセーブしても、もはや「新しい価値」は生み出されないのです。

これまで述べたことは、商売がうまくいき、会社としての体が整ったところでどの企業もぶちあたる、大きな壁のような気がします。

そこを強烈にリセットしてまた荒野に踏み出すことのできる挑戦者のメンタリティを育くむのが、真の構造改革なのかもしれません。

今日はえらく長くなりました。

失敗続きですが世界を変えたいと願う筆者からは以上です。

(平成28年4月27日 水曜日)