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2016年5月26日

勉強しても必ずしも良い就職口があるわけではないという問題について






おはようございます。

2016年5月の自称ビルメン王(@shinya_ueda)です。

小さい頃から勉強に励んで大学の修士課程、博士課程まで進んだけれども、適当な就職先がなくて困っているというような学生さんの悩みというか話がよくあります。

現代版、「大学は出たけれど」「ポスドク」といった問題です。

大学に残れればいいのでしょうが、その世界も熾烈な競争の世界ですので、どこかで見切りをつけないといけないのは他の一般学生や生徒と同じです。

みんながプロ野球選手になれるわけではない、プロサッカー選手になれるわけではないというのと一緒だと思います。

どんな人間でも、自身の連続した節目節目の選択の結果、今の状況になっているわけです。

これまでも、これからも責任を負うのは自分です。

確かに私の学生時代にも、周りにたくさんその手の「天才秀才」がいた気がしますが、みなそれなりに周りや自らと折り合いをつけて進んできていると思います。

ただ一点、学生という「学べる状況」にいられる上で、適当な就職先がないといった発言をなされるとすれば、正直いわゆる社会に出てからの労苦はその人にとっては想像を絶するものといわざるを得ません。

たぶん耐えられないので、象牙の塔に籠る方が幸せなのかもしれません。

しかし、先ほど述べたように大学に「残る」という選択も大変です。

プロ野球選手とは言いませんが物凄い競争力でしょう。

私など学生時代は「優」は1つの劣等生でしたが、「優」ばかりだった同期の女子学生が「優秀な人はもっとたくさんいる」と言って卒業していったのは衝撃でした。

彼女は大学に残ってくれといろいろ誘われたそうですが、卒業して民間人になるという道を選んだのです。

どこまで行っても上には上がいます。

プロ野球の世界でも、一軍に定着してレギュラーになる、またはローテーションピッチャーになれるのはほんの一握りです。

学生は、金払って学べるところ、社会は身と時間を捧げてカネを貰うところです。

自営だろうが企業人だろうがサラリーマンだろうが同じです。




社会に出てからも勉強は続く




社会に出てからも勉強は続く、いやむしろ社会に出てからが別の勉強が始まるのだと思います。

何か、学生で、特に難関と言われる大学に在籍している方々は特に、事前に「準備」しておけばその後楽で都合の良い未来や地位を得られるという妄想が根底にあるような気がします。

しかし、それは違います。

東大生ならば東大生なりの、社会や企業は成果や能力を求めます。

そのプレッシャーは、実はかなりきついものです。

それでいて、実を言いますと東大はわが国の国立大学で最大規模の大学なので、毎年3,000人単位で日本中世界中から供給されます。

別に珍しくも何ともないのです。

それから、そうした外形的学歴や肩書きは、裏返すと、ちょっとでも「期待」にそぐわないと「◯◯くせにできない」と逆にレッテルを貼られ低評価につながることもあることは覚えておいた方が良いと思います。

企業は、その人の能力や教育水準を「把握」はしますが、その売り上げや収益やブランド構築やコミュニケーションに貢献してくれなければ彼らの給料や地位との何の関係も認めません。

田中角栄は田中角栄として努力し人の力を得て頑張ったからこそ、尋常小学校卒というプロフィールで大臣を歴任し、首相になりました。

そして実は、首相になってからの方が、より激務でより頑張ったはずです。

だって首相なのですから。

そして、この日本の国には、さらにその上を行く、極限までの労苦と貢献を国民から常に「期待」される激務、そして、やめたくてもほぼ絶対に辞められない生まれながらの地位というものもあります。

天皇陛下や皇后陛下がそれにあたるでしょう。

そんな方々も、この同じ地上におられるわけです。

いろいろと、人間事情があるものです。

繰り返しますが、勉強にしろ社会勉強にしろ一生続くので、先回りして貯金しておこうという思考は捨てるべきだと考えています。

一瞬一瞬の今が勝負だということです。

いろいろ書きましたが、それでもやっぱり今は楽をしたい通りすがりの筆者からは以上です。

(平成28年5月26日 木曜日)