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2016年7月6日

「頑張る」ことについては功罪あるということにつき深く論じてみる話






おはようございます。

2016年7月の気づきですので記しておきます。

「頑張る」ということの使い方を間違うと、あまり良い幸せな人生が待っていないことがあるという話をします。

「忙しい」という言葉についても同様です。

この、主体的な状態を指しているのに過ぎない言葉にすぎないものが、まわりにとって良くないどころか大いに迷惑となるという場合や可能性もあるので、気をつけたいところです。

頑張れば報われる、と言われます。

しかし、適切な方向性を定めた上で、適切に推進した人が報われるのであって、その適切に推進したところを「頑張った」と抜き出したところで全体の評価をきちんと行っているとは到底言えないからです。

全体からすれば、「推進した」「やった」という部分は、ところてんがつき箱から出てくるくらいの、適切な方向性が取られていて適切に始めた限りにおいて、「ほぼ当然に」期待できる効能効用であり、その部分を殊更評価してもあまりにバランスを欠いています。

評価するならば、方向性を定めて(相互に調整し)実行に移した、というところ、先のところてんの話でいうならばところてんの塊を適切につき箱のなかに入れてつき棒をセットできた、というところにすべきであるのです。

ところてんの代わりにこんにゃくでも豆腐でも、それなりににゅるにゅる出てくるでしょうが、対象が違うわけで、豆腐をついてもところてんは出てきません。

適切な方向性とは、適切にところてんを選ぶというところです。




頑張ったという評価についても同様のことが言えます





同じように、「頑張った」ことに過度にこだわる人は、ホントに腕の良いメンバーや管理職を見抜くことができません。

なぜなら彼らは、「頑張る」という前に頑張らず、ゆるやかに広い目で全体を見渡し、淡々とすること、する順番を決めていき、あとはスケジュールに沿って淡々と、ドラマチックでない感じでしなやかにゆるやかに、いつの間にか仕事やプロジェクトを完成させていくのです。

そこには、目立った「活躍」や「表彰」に値するような英雄的な行為はないことが普通です。

仕事なんですから、余計なストーリーは要らないのです。

いつも締切直前の直前に、完徹でボロボロになりながら原稿をあげてくる売れっ子漫画家よりも、一日8時間寝て、きちんとスケジュールを立てて、淡々と入稿する漫画家のほうが、明らかに仕事の質も高く、本人の健康も維持され、周りも振り回されなくて済み、結果として長期連載を続けることができるのです。

したがって、彼ら有能優秀な人たちは、目立つことはあまりありません。

しかし、静かな信頼感が集まってきます。

逆に、忙しく頑張っている人は、予測できないリスクを抱えた少々面倒かつ迷惑な人であるという評価がこちらも静かに広がっていきます。

予測不能な冒険をしたいのであれば最適ですが、一緒に仕事をしたいとはあまり思われないかもしれません。

ということで、特にプロの仕組み(会社組織など)で仕事や評価をする場合、頑張った人が報われる仕組みといった言葉は気をつけて使ったほうがよさそうです。

難しそうなことを簡単に楽に続けて、着実に淡々とこなしている柔軟な人が、本当に仕事ができるメンバーなのかもしれません。

そうした人はプライベートも淡々と充実しているでしょう。

難しいゴロを、何でもないように捕球してきちんと簡単なようにファーストに送球することができるショートストップが求められているのです。

さて、いろいろ申し上げましたが、ブログとかSNSとかいろいろ超頑張ってる筆者からは以上です。

(平成28年7月6日 水曜日)