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2016年10月19日

政党の役目は終わったのかもしれないと考える所以(ゆえん)について





おはようございます。

2016年10月の政治経済に関する配信記事です。

2012年冬や2014年冬にありました我が国最大の国政選挙である衆議院議員選挙で各政党が準備運動から集合離散を繰り返したことが思い起こされます。

そもそも政党の役割はもうこの現代においては終わったのかもしれません。

すでに地方選挙においては特定の政党に所属せず推薦とか支持といったゆるい支援を受ける無所属で立候補するのが当選への鉄板の戦略になっています。

また選挙戦は無所属で活動しながら当選後にどこかの政党や会派に所属して存在感を出すといった動きです。

すでに特定の政党というものに所属するメリットが薄れてきた、言い換えれば有権者が大人になってきたともいえるのではないのでしょうか。


ヒトラーの時代を紐解くまでもなく、今の日本も昔のヨーロッパもアメリカも時の「風を受けた」政党が大勝する事例が多くありました。

ヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)は最も良い例で、ごく少数支持の尖った右翼政党だったのが一気に議会の第一党になってしまう例もありましたし、現代の日本でも郵政解散後の自民党や政権交代選挙後の民主党などの事例もあり枚挙にいとまはありません。


ナチスの時のドイツ国会は、ヒトラーによって瞬時に永久解散されてしまうので第一党という意味も特にありませんでした。

さて特定の政党ではなく有権者が候補者一人ひとりの能力や政策を見て投票するようになったとすれば、これは議会制民主主義という制度が浸透してきた歴史の進歩であり候補者も自らの選挙区の有権者へのアピールこそ最も大事だと気付いてきたということになるのかもしれません。

なにしろこれからの日本における政権与党は流動的な可能性があるのです。

とりあえず政治家やるなら永久与党の自民党で下積みを積めばじきに大臣まで用意されているという時代ではないのです。

ですのでこれからは、候補者の行動は大きく二つにわかれます。


一つめはひたすら旬な新しい政党に乗り換え続ける(日本新党という党もありました)こと、二つめは政党はあきらめて無所属で活動し選挙区の候補者に自らを訴え続けることです。

後者のほうが有権者としてはありがたいかもしれません。

そのような候補者が自らの価値観で選挙を勝ち上がり、党議拘束から真に自由な国会議員として活動することがこれからの日本の舵取りに必要なのではないでしょうか。

こう述べてきたことの結論として、今や、政党交付金で生きている既存政党は早晩解体される存在なのかもしれません。


幹事長、総裁、代表、代表代行に委員長と役職のネーミングも古いです。

政党交付金は議員個人に支給すれば宜しいでしょう。

もちろん議員間の会派という自主的な連帯は残るかもしれませんが、あくまで議員個人の資質が一層試される時代が来るような気がするのです。

ほっとけば政治ネタとスポーツネタばかりになってしまいます、正しい中年男子の筆者からは以上です。

(平成28年10月19日 火曜日)