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2016年10月24日

かつての昭和の地方出身者の長期的移動様式を考察してみますという話です

花の都大東京


おはようございます。

2016年10月のいわゆる日本の地方に関する考察記事です。

東京から見れば、皆地方出身者という一つのカテゴリーに収まってしまうのではないか思われる大学・大学院・就職における地方出身者ですが、少なくともこれまでの昭和から平成の初期にかけては、大きく東京以北の東北地方(北海道・上越地方含む)とそれ以外の中部圏・中国圏・四国圏・九州沖縄圏に分けられると考えています。

それはなぜでしょうか。

東北地方出身者の場合、仕事や就職先で外へ出るときにその意識の向かう先は自動的に東京圏一択になるのです。

全体のかなりの部分が東京圏へ向かいます。

特に仕事の場合は、東京圏より先の愛知や関西ましてや広島や九州沖縄になど行く必要がありません。

一般的に東京圏で「すべて」揃うのですから。

この「東京圏へ移動することが極めて多い」というのが重要です。

職がないとか希望する学部を擁している大学が近くにないとか、気分を変えたいとか、とにかく居所を移動せざるをえないときに「東京」へ出ることが当たり前なのです。

都会といったら東京。

例えば九州出身者が新幹線のぞみを乗り継いで、神戸に降りるか大阪に降りるか京都か名古屋か静岡か横浜か、と悩む必要はないわけです。

杜の都仙台から、一気に東京になります。

移動する当人だけでなく親や高校の教師も地域社会もこぞっても東京へ行くものだと若者たちに指し示します。

花の都大東京と歌った元フォークソング歌手は鹿児島出身でしたから、若干の選択の幅があったのかもしれません。

1,300年の都奈良京都でもよかったはずなのです。

人間にとって自由に意思決定ができることは良いことでもある反面、辛いことでもあります。

ですが「東京へ出るのが当たり前」という状況では実は不安もたいへん小さくなります。

現実にまわりの友人も東京へ行きますから、ひとりで行ったつもりでも、いつの間にか周りにに地元の人がいるわけです。

特に戦後、高度経済成長期の頃からは一貫して東京へ人が流れていますから親族や親類がいることも多いのです。

東京で結婚することへの抵抗も非常に少なくなります。

その昔の昭和の高度経済成長期の頃というと、集団就職で上野駅に到着するイメージがあります。

上野駅は東北地方からの終着駅でした。

もちろん東海地方からも沢山きたのでしょうが、実は我々の古い記憶はそこから始まっているのかもしれません。

上野発の夜行列車といえば演歌でなくてもイメージはかなり固まりまして、絶対に津軽海峡に向かわなければなりません。

しかしながら、逆に東京駅から東に下る場合、何処で降りるのかによってイメージが違う、言い換えればわかりにくいと感じます。


東京に定着し残っている人がいてその方々が水先案内人の役割を果たします。

地方は都会と違い、親族関係が密ですから親族同士で助けあうというのが当たり前のように行われています。

たとえば、東京に叔父さんがいる若い子は、東京へ出てしばらくの間は、叔父さんの家に寝泊まりしながら自立していくといった、そういった方法が可能になります。

そして友人も東京にできてきます。

地元にいれば付き合わなかったような同級生であっても、東京でたまたま同じ大学に進学すると仲良くなることは毎年ノーベル文学賞候補になるハルキさんといった日本人作家の作品を読むまでもなくよくあることです。

お互いに故郷を離れて寂しいですから。

また採用する企業側や大学側も、定着率を高めるために例えば毎年新卒を受け入れる際に、「岩森出身者枠」のようなものを非公式にしろ設けるという傾向です。

こうして、たとえば高校生や専門学校卒の学生が学校の斡旋で就職し東京へ出てきます。

そして会社の寮に入ります。

するとその寮には同じ高校出身の先輩が何人もいて最低限の人間関係がつくれます。

いまの若い子にしてみれば若干うっとおしいことであるかもしれませんが、不安を抱えて東京へ出てきて完全に孤立するよりは良いということになります。

ここでは先輩たちとお国言葉で話し、愚痴も言える。お国言葉で話せるか話せないかというのは心の安定にとっても大きな問題です。

そういう寮だとわかっていれば、高校の先生も安心して送り出すことができるのです。

以上このようにそれぞれ個人が自由に進路を選んだとしても、実はある型に収斂していく傾向が地政学的に認められるようです。

我々は生まれた土地文化からなかなか自由になれないようです。

東北地方にはほとんど行ったことがない筆者の勝手な論考は以上です。

(平成28年10月24日 月曜日)