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2017年4月14日

トップの権限を2人以上で負担し合うという組織運営の進化を論じます





おはようございます。

2017年4月の組織のトップに関する配信記事です。

現在の今上天皇の譲位の意向を受けた政府が慎重に有識者会議を開いて、必要な法整備や政令の準備を行なっていましたが、ようやくその最終方針がまとまり政府に対して最終答申を行うというニュースが流れて来ました。

これで、ようやく今上帝が譲位できる制度的担保が進みそうです。

そして、譲位後の天皇陛下をどう呼称するか、についても、「上皇陛下」ということで一致したということです。

皇位継承第一位となる秋篠宮は「皇嗣殿下」と呼ばれるとのことです。

何にせよ、組織のトップが変わるということは非常に大変なものです。



会長と社長のダブル統治体制




翻って庶民が運営する会社組織形態におきましても、昭和の昔は社長職一本だったのが、最近は組織運営の高度化から会長や取締役会議長といった「別の」お目付的な地位を置くことが増えて来ました。

課長島耕作で始まったシリーズ主人公も、ついに会長になってさらに経団連の中での出世階段を登っていく、昭和のサラリーマンというものは常に上昇志向があるものですが、最近の平成の世の中ではこうしたスタイルも相対化されて来ている感はあります。

筆者が大事にしております経済小説の名作に「小説日本興業銀行」というのがありますが、この主人公の戦後興銀の第2代頭取である中山素平という人は、頭取職を去る時に後輩たちに特に慰留されて「会長」に就任します。

それまで、大銀行のトップといえども頭取一本だったのです。

副頭取も1人しかいませんでした。

中山素平は2年だけだという約束通り2年で会長職も退きますが、その後の日本経済社会においては会長職が一般的となり、ついには人事権など社長より権限が大きくなるといった状況になるに至り、輸入呼称であるCEOという呼び名を社長や会長の前につけて、結局どちらがトップなのか、といったことを示すようになったりしております。

会長と社長の間には副会長を数名、社長の下には副社長や副頭取を数名置くようなスタイルが一般的になってきています。

もちろん大組織を束ねるにはそれなりの人数は必要かもしれませんが、昔とくらべて明らかに頭取や副頭取といった単体の地位が軽くなったように思うのは筆者だけでしょうか。

脱線ついでに書きますと、1998(平成10)年の年頭に、当時の日本興業銀行の西村頭取が全役職員に向けて送った内部向け書簡は、これこそ総合企画部あたりの社内官僚ではなくトップの頭取自らが書いたに違いない迫力に満ちたものでありまして、当時新人であった筆者などは衝撃を受けたのを覚えています。

ですので筆者の中で頭取、といえばこの西村頭取のイメージが物凄く強いわけです。

それから時代は流れ、代表取締役会長兼社長CEO、という一見わけのわからない肩書きも出現しています。




古代ローマの皇帝とはどのような地位の集合体だったのか




この点、古代ローマで皇帝が誕生した時、その皇帝という地位がどのような称号で呼ばれて総体として皇帝という地位や権限を有していたのかとを比較すると面白いです。

古代のローマ皇帝は、少なくともこれから列挙する4つの称号を同時に保有する主体として皇帝と通称されたのです。

1つめは、「アウグストゥス」という称号で、初代皇帝オクタヴィアヌスが元老院から送られた尊厳者を意味する称号です。

2つめは、「インペラトール」という称号で、もともと最高司令官を意味する言葉です。英語のエンペラー(皇帝)の語源です。

3つめは、「カエサル」という称号で、これはカエサル家の棟梁である初代終身独裁官であり事実上第0代皇帝ともいえるユリウス・カエサルの正当な後継者という意味です。ちなみにこれが英語になってなまってシーザーになり、ドイツ語でのカイザー(皇帝)の語源になります。

4つめは、「プリンケプス」という称号で、これはアウグストゥスの尊号が贈られる前にオクタヴィアヌスが使用していた「第一人者」という称号です。これは、元老院の中の一員ながら、最初に発言する権利があるという権利を示すものでした。

あとは、国家の父とか祭祀を主催する称号とかいろいろありますが、とにかく最重要な尊称として、この4つは必ず歴代皇帝につけられたというわけです。

今後の21世紀の日本においても、会長、社長のほかにも、今後取締役会議長とか監査役会首席とか、報酬委員会委員長とか、いろいろと実質的なトップを呼称する地位が生まれてくるのかもしれません。

夜の帝王やカラオケでの大統領を僭称しながら実質は夜の中洲のパトロール巡回に留まっている筆者からは以上です。

(平成29年4月14日 金曜日)