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2018年3月31日

すぐできてお金も手間もかからず絶対的に良い印象を持たれる習慣について書きます






おはようございます。

2018年3月のすぐできて最高に良い印象を持たれる習慣に関する配信記事です。

ここまで書いても、筆者を含めてやらないことが多いことなのであえて書いていきます。

とにかく挨拶です。

世界中のどこにいようが、どんな組織に属していようが、とにかく社会的存在である人間にとって挨拶は基本中の基本です。

とにかく朝初めて会った時にしっかり挨拶ができるというだけで、かなり見た目からの評価が変わるのは間違いありませんが、筆者を含め何となく恥ずかしいのでそのままぼそぼそしているというのが通常の姿です。

とりあえず元気よくおはようございますと挨拶することから初めて自分の中の眠気もシャキッとしたいものです。

欧米の人たちは、挨拶に加えて握手をすることが多く、これなんかは訓練された素晴らしさを感じることが多いです。

とりあえず初めて会ったら挨拶、これを徹底するだけで印象は全然違います。

4月を控えて、新しい社員(新人)や新入生を迎える組織も多いと思いますが、彼らに対する教育や自己啓発をする前に、筆者を含め基本的な人間社会の基本である挨拶を今一度きちんとできるようにしておくというのは、お金も時間もかからないとてもコストパフォーマンスが良い基本的なところであると思います。

資格や能力、成果ももちろん大切ですが、それらを兼ね備えていても基本ができていないならば、よほどの天才でもない限りそれを組織や社会なりで活かすこともできないわけです。

筆者を含め自戒を込めて書いた記事は以上です。

(2018年3月31日 土曜日)

2018年3月30日

地球全体が職場というクラウド(仮想)事務所という働き方について考察した話です






おはようございます。

2018年3月のテクノロジーの進化と働き方に関する考察配信記事です。

リモートワークという言葉が言われるようになってきました。

これは、一定の人々が凝集するオフィス(本社)という形態を持たなくするという方向の働き方で、自宅だろうが外出先だろうが海外だろうが山の中だろうが孤島の上だろうが、とにかく全国世界中に散らばっている人たちが、それぞれ電子デバイスや無線通信手段を用いて相互にコミュニケーションしつつ業務を適宜適切に遂行するという業務形態です。

そして、そうしたリモートワークを追求していくと、本社や支社といったもともとの「オフィス」であった場所すらも、逆転の発想で「単なるパブリックビューイング」や「たまたま社員が多めに凝集している喫茶店」のようなものとして考えられることになるわけです。

つまり、リモートワークというのがどうもうまくいかないと思っている人たちの多くは、彼らの頭の中が、当然にリアルな空間という絶対的な存在が前提として(天動説のように)あって、そしてリモートワークのほうがそのリアル本社のおまけとして扱われている、あくまで主従でいうとリアル本社が主で、リモートは、何か特殊な事情か宗教的禁忌や親の遺言や子供の授乳や病気や両親の介護やによってリアル本社に出社できないという「業」を背負った事情持ちの補完で従にすぎないということなわけです。

しかし、そんなことはないのです。

社員10人で社長と副社長がそれぞれ1人ずつ、合計12人で組織されている会社があったとします。

本社がありますが、仮にある日「朝礼」を行おうとしたときに、挨拶すべき社長が海外、南の島のビーチサイドにいて副社長が国内出先の取引先の会議室の待合にいて、社員の半分は自宅で管理作業をしていて残りの半分が営業で外に出ています、たまたま1人の営業が本社に立ち寄っていますという状況の場合、その「会議」のメインの「場所」ってどこなのだろうかと必然的に思われるわけです。

これはもう、クラウドの会議システム内にメインの会議の「会場」は存在し、そのクラウド上の本社会議室に、各所からメンバーがアクセスしているということ、すなわち、この会社の「職場」とはクラウドシステムを通じて地球全体に広がっているのではないかと思うわけであります。

このように、全てオンラインが先にあると考えると、リモート飲み会もリモート花見もリモート入社式も内定式もできるわけです。

そして、クラウドの中が本丸という考え方になるので、たとえ数人が本社に集まって会議に参加していても、これは従来の「本社」という盛り上がった場所を各所に散らばった他の社員が物欲しそうに、ちょっと寂しげに眺めているというわけにはならないのです。

これは、盛大に本社で行なっているイベントを、外で在宅勤務している人にも雰囲気だけ画面を通じて「お見せする」というような発想しかない人には絶対に到達できない観点です。

違うのです。

盛大に「クラウド上」で盛り上がっているイベントを、各所のリアルな場所から参加する、そのリアルな場所としては、パブリックビューイングを本社の会議室に用意してもいいし、逆に球場に設置してもいいわけです。

もちろん、個人でその場(自宅など)から参加してもらっても構いません。

これが、地球全体をクラウド職場としてとらえるという考え方です。

これは、リアルな本社を持ってはいけないということとは違います。

本社も支社も事業所も、支店も海外現地法人子会社オフィスも持っておけば良いのです。

「どこから」クラウド上の本社(イベント)にアクセスするかという論点なので、できれば騒がしくなくて知っている者同士数人でもリアルに集まれる場所として本社が適当であるならば、それはそれで本社としては有用なことは間違いないからです。

本社から支社に「リアル出張」している人が社内のクラウド会議に「支社の人」と一緒に出ているというだけで、何の違和感もありません。

筆者は北部九州の地方出身者で、京都の大学で東京の銀行の採用活動に応じて上京して内定式などやりましたが、一緒に内定式をやるにせよ、入社式をやるにせよ「地方出身者」として交通費支弁でいちいち東京丸の内まで上京してまいりました。

それはそれで楽しいわけですが、このテクノロジー進化の時代、本社機能をどこに持つかなど、特段のブランド構築が必要であるような業態であれば必要かもしれませんが、ほとんどの業種にとっては本当は不要なものであるのかもしれません。

このように、入社式や内定式、会社の周年イベントといった会議の大部分を、逆転の発想でオンラインのクラウドの中で行なってしまうという考え方は、オープンイノベーションとしてもっと突き詰められてよいと思いました。

実は寂しがりやなので事務所出勤率は非常に高い筆者からは以上です。

(平成30年3月30日 金曜日)

2018年3月29日

デザインの力は世界に通用する貴重な技術であると改めて思った話です






おはようございます。

2018年3月の海外渡航に関する配信記事です。

日本の福岡国際空港から、セブ島に向かっております

以前に海外渡航した時より、明らかに訪日外国人が多く、空港カウンターは人々でごった返しております。

筆者の海外渡航はこれで通算9回め、

釜山、ソウル、台北、シンガポール、シンガポール、シンガポール、クアラルンプール、ハワイ、そして今回のフィリピンのセブ島となります。

いずれも、日本人が過去国家として到達したことがある地点であるということが共通点ということで、何らかの縁を感じざるを得ないわけですけれども、今回は日本を出てすぐに感じたデザインの力について少し書いておきたいと思います。

過去の海外旅行や日本における訪日外国人に対するいろいろな情報提供は、これまではやはり「文字情報」が主だったように思います。

たとえば、同じことでも、日英韓中の4ヶ国語で表示するとか、そういうことですけれども、これでは同じ情報を違う言語ツールという手段で4回繰り返しているだけなので、なかなか情報量を載せられません。

その点、最近思うのは、こういう情報のやりとりに、フラットでシンプルなデザインが非常に多く使われるようになったということです。

たとえば、日本における観光資源である「食事」について、ごはん(丼もの)やうどん、ラーメンなどをこのように数個の共通のイラストで表示するといった具合です。

小さいことですが、これはものすごいセンスだと思います。

こうしたセンスが要求されるのがデザインの力であり、言語情報を超えた、デザインで一瞬で伝えるという力です。

このような世界に通用するイラストやアニメの力を持つ日本の誇るべき技術は、電子機械技術のほかにもあるのではないかと思いました。

何でも好きなアニメの話に持っていこうとしてしまう筆者からの論評は以上です。

では行ってきます。

(平成30年3月29日 木曜日)

2018年3月28日

明日からがんばるのではなく今日からがんばるのでもなく今日だけがんばる






おはようございます。

2018年3月の営業研修に関する配信記事です。

外部顧問的といいますか、外部役員的なお役目を頂戴しているところの、スタートアップ企業で話をしていましたら、人材育成や新人研修といった話になりました。

そこで筆者は、筆者自身も20何年か遡れば立派な新卒新人であったわけであり、もうほとんどのことを忘れてしまっているものの、一つだけ覚えていることがあり、それは、「ビジョナリーカンパニー」というビジネス本と「ナニワ金融道」という漫画のことであった、という話をしたところ、やたら反応が良く雑談に花が咲きました。

普通、外部役員的なおっさんが話をするとなると、非常に退屈なものだと思うのですが、やたらそうした話をしてくれという空気になりましたので、調子に乗ってどんどん深い議論になってきたのですが、そこで気づいたのは、筆者が新人であった20年前においてもすでに漫画コンテンツが心構えやモチベーションといった分野で非常に奥深い名言を残したり印象を与えたりしていたところ、時代が下りますますそうした分野においても漫画やコンテンツといった手法で訴えることがむしろ普通になってきているなというようなことでした。

つまり、歴史の授業、例えば日本史なんかの理解をさっと行うためには漫画「日本の歴史」を通読するのが一番です。

いきなり教科書を頭から読んでも頭にはいりませんところ、漫画日本の歴史では中だるみせず、日本の有史2,000年くらいをさらりと読破できるわけです。

同じように、金融業をやるなら(銀行業も金融業の一つ)ナニワ金融道で、取り込み詐欺の話や法定利息の話、取り立ての現場や現実を追体験することができるという意味で、その意義は図り知れません。

さて議論の中で、最近の漫画コンテンツの中で、目標設定や心構えに関する心の整え方、といったところで話に挙げたいのは、「賭博破戒録カイジ」というカイジシリーズ初期の作品中のセリフです。

引用します。

 「明日からがんばろう」という発想からは…
 どんな芽も吹きはしない…!
 そのことに 20歳を超えてもまだわからんかのか…!?

 明日からがんばるんじゃない…
 今日…今日だけがんばるんだっ…!

 今日がんばった者…今日がんばり始めた者にのみ…
 明日が来るんだよ…!

  講談社「賭博破戒録カイジ」第7話「亀裂」より

発言の主は、地下強制労働で他人から吸い上げることしか頭にない、大槻班長という超小物でありますが、こんな誰からも目標にされないような人間であっても、それでもその生き方に学ぶべきところがあるのかもしれないという、衝撃の名言です。

人間ですから、人間って、ついつい「明日しよう」と思ってしまいます。

でも、「明日しよう」はなんの決断でもないのです。

明日が今日になったらまた別の日です。

そうではなく、今日からずっとがんばるのではなく、とりあえず「今日だけ」頑張るという発想の転換です。

今日からずっとではなく、今日だけ、明日のことは考えない、今だけ頑張る。

明日も今日になった時に「今日だけ」頑張る。

こうして、1日1日を本気で生きていけば、けっこう人間変われそうな気がします。

「明日からがんばる」でもなく「今日からがんばる」でもなく「今日だけがんばる」を意識すること、こうすれば人生しんどいけど楽しくなっていくのかもしれません。

偉そうに若手の前で喋りましたが、今日やることは明日やる、明日になったら先延ばしの筆者からは以上です。

(平成30年3月28日 水曜日)

2018年3月27日

専門家って何だろうと改めて考えさせられる素敵な話(ハリーポッター誕生秘話)






おはようございます。

2018年3月のコンテンツに関する配信記事です。

専門家って何だろうと考えさせられる話をします。

J・K・ローリングというシングルマザーの女性が、子供を眠らせるためにベビーカーで街を歩いたあとに、近くの「THE ELEPHANT HOUSE」というカフェにこもって、時には何時間も粘りながら執筆したのが、あの「ハリー・ポッター賢者の石」という作品です。

映画化もされ世界中の人が知っているとは思いますが、「ハリー・ポッター」シリーズは、処女作「賢者の石」から合計7巻、現代のイギリスを舞台にしながら、魔法を使える魔法族の学校「ホグワーツ魔法学校」を舞台に、ハリーの両親を葬った闇の魔法使いのボス、ヴォルデモートとの因縁と最終決戦を描き切った物語です。

世界全土で数億部のベストセラーです。

筆者もその読者の一人です。

その作者であるJ・K・ローリングさんは、小さい頃からもともと物語を書くのが好きだったそうですが、祖国であるイギリスを離れてポルトガルに渡ってそこで結婚、一児(娘)の母となりました。

しかし、夫との生活がうまくいかず、ほどなく離婚して子連れでイギリスに帰国します。

お金もないし、子供は育てていかなければならない、その状況で高校のフランス語の教師になるという道もあった中、迷っていた小説を書くことを仕事にするということについてアドバイスを求めるべく、途中まで書いていたハリーの物語を妹に見せて感想を聞いたそうです。

感想が、通り一遍のものだったならば、思いを断ち切って高校教師になるべく準備をしよう、と決めていたところ、妹からは「これは面白い、続きが早く読みたいわ」との感想で、それならばということで高校教師は辞めて小説家一本で行けるところまで行こうと決めたそうです。

そうして数ヶ月後、「ハリー・ポッター」の草稿が完成しました。

実はこの間、離婚後の生活苦と貧困でうつ病になり、自殺も考えたことがあったそうです。

そして、このうつ病の苦しさの経験がハリー・ポッターシリーズに登場するかの「ディメンター」のもととなったとも語っています。

娘の存在という支えと自身の強固な意志でうつ病を治し、そして貧しいシングルマザーとして生活保護を受けながら、カフェや自宅で書き溜めた「ハリー・ポッター」シリーズ第1作「ハリー・ポッターと賢者の石」は完成します。

早速、出版社を回ったローリングさんですが、この作品があまりに長編で、出版する会社は一向に現れませんでした。

持ち込まれた出版社の担当者は一様に、「これは長いね、退屈だよ」といった感想だったそうです。

ろくに読みもしないのに。

そして、いよいよだめかと思った時に朗報がもたらされます。

新人による子ども向け書籍の出版に取り組んでいたブルームズベリー出版社が本書を出版することとなったのです。

エージェントより受け取った原稿を、同社の社長のニュートン氏が自分で読む前に8歳の娘のアリス・ニュートンさんに手渡して反応を見たのです。

アリスさんは約1時間後、「ほかのどの小説より、とても面白い!」と目を輝かせて自室から出てくると、その後数カ月間、ニュートン氏に「あのお話の続きが読みたい」とせがみ続けたということです。

出版後のベストセラーぶりはみなさんご存知のとおりです。

振り返れば、孤独な挑戦を続けたJ・K・ローリングさんには、2人の味方が現れたわけです。

一人はローリングさんの小説家としての才能を認めてくれた妹さん。

そしてもう一人はこの小説を面白いといって初めてのファンになった出版社社長の娘さん。

ここに、出版や小説家の「専門家」って一体何だろうと考えされられるのです。

「まことに残念ですが…」と題した不朽の名作への『不採用通知』という本がありまして、ここには、パール・バックの「大地」やメルヴィルの「白鯨」などのさまざまな不朽の名作が世に出る際に、出版を断られた出版社から届いた「断り状」の言葉が集められています。

世の中を見通すことは難しく、また全てを受け入れることはできません。

であれば断るときにも心に沿った断り文句を心がけたいものです。

将来、大成功した相手と世間から物笑いになる場合であっても、少しは癒されるでしょう。

専門家の人も、専門家でない人も、開かれた未来に対しては全く平等なのだというようなことを感じます。

こちら、まことに残念ですが、ブログが売れるにはまだまだ時間がかかりそうな筆者からは以上です。

(平成30年3月27日 火曜日)

2018年3月26日

日本の全国紙新聞メディアの落日が近いところに迫ってきたという話です




おはようございます。

2018年3月の新聞・マスコミに関する配信記事です。

日本の新聞が苦境に立たされています。

日本新聞協会が毎年まとめている新聞の発行部数合計という指標がありますが、朝夕刊セットを1部と数えた場合の日本全国の新聞の発行部数合計は、現時点で最新の2017年10月で4,212万部ということです。

これは、2016年10月の1年前から▲115万部(約▲2.6%減)ということで、長期低落傾向に歯止めは全くかからずむしろ加速しています。

この新聞発行部数のピークは1997年の5,376万部であったので、すでに最盛期の78%に市場全体が縮んでいるという状態です。

さて、こうした中、新聞を「紙」から「デジタル」に移行しなければならないといった論調がなされることがあります。

しかし、少なくとも日本においては、朝刊夕刊を日本全国津々浦々に「宅配」するという世界でも類を見ないシステムが確立している以上、「紙」での配信ができなくなることで失うものが大きすぎるのです。

日本以外の諸外国、例えば国土の広いアメリカなどでは、例えば日本における読売新聞や日本経済新聞といった全国紙というのはほとんどなくて、それゆえに各媒体も、紙面を「デジタル化」することにより、これまでの読者層に加えて新しい読者を、例えばアメリカ東海岸の新聞が西海岸の読者を獲得するということができたので、全体としての顧客層を広げることで、記事のデジタル化に伴う記事単価の減少分を補うことができたわけですが、日本においては既に紙での提供を日本全国津々浦々に展開しつくしているため、そうした新領域が見つからないのです。

したがって、残念ながら全国紙としてこれだけの紙面が引き続きやっていけるとは思えず、かつての都市銀行の統廃合と同じように、全国紙の統廃合はこれから待ったなしで進んでいくものと思われます。

逆に、地方紙においては、地場以外の顧客層にリーチできるので、デジタル化はむしろ歓迎すべき環境変化なのかもしれません。

結局、ローカルに「濃い」記事は、例えばラーメンの新店やうまいうどんの記事といったものでも意外によく読まれるということからして、地方新聞社については、零細ながら生き残る手段があるような気がしています。

昔は新聞配達少年でもあった、地方新聞社に対してもはるかに零細な、零細ブログメディアの筆者からの感想は以上です。

(2018年3月26日 月曜日)

2018年3月25日

国際政治をやっていく上で必要なインテリジェンスについて例をあげて説明します






おはようございます。

2018年3月の国際政治に関する配信記事です。

日本政府は、国内問題を抱える中、外交での成果を政権浮揚の一手としたい模様で、これまで強硬一辺倒だったいわゆる北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国と名乗っている一派)に対する対話を行う非公式ルートを通じた打診を行なっているとの観測が流れています。

国内での問題を抱えた政権が、外交での勝負に打って出るのはなにも昔のことだけではないようですが、ここで想起されるのは、今を遡ること十数年前、2004年7月に北朝鮮の拉致被害者であった曽我ひとみさんが夫のジェンキンスさん(米国籍)と再会して一家で日本の佐渡島に移り住むというお膳立てを日本政府が行なったときのことです。

この時も、参議院議員選挙を控えた日本政府は、拉致被害者の曽我ひとみさんが家族で日本で暮らすことができるようにと、夫のジェンキンスさんと二人の娘を北朝鮮から呼び寄せるという勝負に出ます。

再会は、第三国であるインドネシアの首都ジャカルタのホテル、曽我ひとみさんは2004年7月8日に日本を民間機で出発し、ジェンキンスさんと2人の娘は日本政府がチャーター機で7月9日に平壌まで出迎え、北朝鮮を出国させました。

そして、双方がジャカルタのインターコンチネンタルホテルにて再会し、2003年10月に曽我さんが拉致された北朝鮮から無事に母国日本に帰国して以来、実に1年9カ月ぶりに一家は再会し、そうして曽我ひとみさんの説得によりジェンキンスさんとその娘2人は母の母国の日本に永住することになったのです。

さて、なぜインドネシアが選ばれたのかと言いますと、(1)日朝両政府の大使館があり、警備もしやすい(2)医療施設が整っており、体調面で不安があるとされるジェンキンスさんが安心できる、といった一見もっともな理由が取りざたされましたが、そうではありません。

それは、もともと在韓米軍を脱走して北朝鮮にやってきたジェンキンスさんの特殊な事情があったわけです。

つまり、犯罪者をその所属する国に引き渡す条約が米国となされていない、それに加えて北朝鮮と国交がある、という国を探すことが必要だったわけです。

そうして、日本政府(外務省の官僚のみなさん)が頭をひねって調べて考えて、そうして、ちょうど上記の2点を満たすインドネシアを選定して現地政府と交渉して、ことを運んだというわけです。

日本に住んでいると、どうしても世界の国際情勢に疎くなってしまうようですが、このように諸外国との交渉ごとは日々状況の変化に対応して打つ手が変わっていくというわけです。

アメリカ本土にもヨーロッパにも、未だ足を踏み入れたことのない国際音痴の筆者からの解説は以上です。

(平成30年3月25日 日曜日)

2018年3月24日

みずほフィナンシャルグループが採用人員を半減することから見えるもの






おはようございます。

2018年3月の企業の人員削減に関する配信記事です。

メガバンクの一角、みずほフィナンシャルグループが2019年春の新卒採用を、これまでの実績比で半減させる方向で検討しているとのことです。

その前に、2026年度までに全従業員数の4分の1に当たる1.9万人を減らす計画を立てており、採用人数を絞るということですが、新卒を減らすというその安易な計画が、既存の仕事が細っているから人員を削減するという工夫のない弥縫策に見えてしまうのは筆者だけでしょうか。

新卒人員は、これからの事業を革新的に変えてくれるはずの戦力であり、一番のイノベーションの種だと思うのですが、人が一番大事などと唱えている割に言っていることとやっていることが別だなと感じるわけです。

2018年4月の採用人数は、みずほフィナンシャルグループの中核銀行と信託銀行合わせて1,360人とのことですが、公式には、入出金や口座管理などを担う次期勘定系システムの開発に目処がついたので採用を抑制するということですが、これでは人を機械が代替したというだけのことを言っているだけで、新しい時代に向けた事業展開といった話は全く見えていないことを図らずも示したとも言えそうです。

そもそも日本の銀行業界は、本業の貸出と預金の差額でのスプレッド商売が、日銀の続くマイナス金利政策で非常に細っており、収益環境は厳しさを増すばかりです。

それよりも、デジタル技術やテクノロジーの進展は、そもそも銀行の店舗やATMなど全く必要としないバンキングを可能にしており、銀行法で守られた収益の牙城は切り崩されていくばかりです。

構造不況業種として認定されつつある銀行業界、新しい事業領域の開拓が急務となっています。

元銀行員で新しい事業領域の開拓に相変わらず苦労しております筆者からは以上です。

(平成30年3月24日 土曜日)

2018年3月23日

東京駅を挟んで東西の三菱村と三井村の開発合戦について書いておきます






おはようございます。

2018年3月の東京中心街に関する短い配信記事です。

私たちベビーブーマー第二世代(昭和40年代後半生まれ)が若かりし頃は、東京駅といえば別段他の駅と変わらないけれども単に東京の中心にあるというだけの駅でした。

単に働いているオフィスビルがあるというだけの場所であり、特段観光客を魅了するような街ではなかったのです。

しかし、東京駅がいわゆる創建当時の丸屋根に大規模なお金をかけて改装されて復元された今、東京駅の周りは来るべき東京オリンピック2020年に向けて急速に整備されています。

もともと、皇居のそばの沼地であった東京駅の西側すぐの丸の内という場所を100年前に払い下げを受けた三菱財閥は、そこに巨大なオフィスビル街を建設し、ロンドンの中心街シティを目標にまちづくりを進めました。

対して、最近になって、同じく東京駅の今度は東側すぐの日本橋という場所に、同財閥のはしりとなった三越日本橋本店を構えていた三井財閥は、商業の中心が銀座や六本木、新宿といったダウンタウンに移っていったところから趣向を変えて、三菱が開発していた丸の内に対抗して、日本橋を最先端のお洒落なオフィス街に変えようと意気込んでいます。

そうして、昔からある三菱村(丸の内)と、最近すごい勢いで整備が進んでいる三井村(日本橋)という双璧の構図となり、それぞれが切磋琢磨しあって東京の玄関口は、急速に発展し極めて綺麗な街並みとなってきました。

三菱財閥は現在の三菱地所を中心として丸の内を、三井財閥は現在の三井不動産を中心として日本橋の開発をそれぞれ担い、世界に通用する東京の玄関口を整備し世界の有力企業やサービスを導入しようと躍起になっているのです。

最近東京に行くことが少なく、たまに行ってみると浦島太郎状態の筆者からの解説は以上です。

(平成30年3月23日 金曜日)

2018年3月22日

憲法学徒の端くれとして現代中国の終身国家主席に謹んで意見しておきます






おはようございます。

2018年3月の独裁政治に関する考察記事です。

日本の主要メディアも報じておりましたが(遅まきながら当零細報道機関でも言及しますが)、中国(中華人民共和国、以下特に断らない限り同国を指し、1911年建国の中華民国政権が事実上統治している台湾については除きます)が憲法で現在2期10年までと定めている国家主席の任期に関する規定を削除しました。

ということで、これは、2018年現在の習近平政権がずっと続いていく、ということになります。

ロシアの最高権力者、プーチン氏も、大統領に関するロシア憲法の規定に一応従い、一旦首相に「降りて」、再度大統領に再任されたという経歴を持っていますが、それを上回るレベルの、憲法から変えて自身の終身独裁制を完成させたという、憲法学徒の端くれとしてはまことに末恐ろしい事態となりました。

一体、世界は進歩したのかどうか、甚だ疑問です。

中国で、何と言っても一番の権力基盤は中国共産党です。

中国の最高権力者、習近平氏の代表的な役職は3つあります。

共産党中央委員会総書記(日本においては最大与党自民党の総裁のパワーアップ版のようなもの)
国家主席(超強力な内閣総理大臣のようなもの)
共産党中央軍事委員会主席(超絶強力な防衛大臣のようなもの)

今回、対外的にも国の顔である国家主席の任期が無期限となったということは、その権力の源泉である共産党を抑えている習近平にとっては、そのまま習近平独裁の完成ということになります。

ちなみに、共産党総書記の任期は1期5年ですが、再任が可能であるため、これも要するに自動更新契約のように、習近平が生きている限りほぼオートマチックに再任されるということになるのでしょう。

次は、始皇帝に習って(倣うという漢字をあえて使わない)不老不死でもやりますか?というレベルに達しました。

いや、この世も進歩してきていると思っていたのですが、こんなわかりやすい、第二次世界大戦前夜のヒトラーの総統就任からのワイマール憲法停止のコンボを超える歴史事象を生きたこの目で見ることができるとは思えませんでした。

国家主席ポストは1954年に設置され初代に毛沢東氏が就任しました。

要するに毛沢東独裁の色の濃い、毛沢東主義そのままの制度だったので、彼の、彼による、彼のための文化大革命(共産党内の権力闘争)の中国人民大量虐殺の反省を受けて1975年にいったん廃止されました。

しかし1982年、より時代に即した「まともな」指導者と目される鄧小平時代に復活しました。

ただし独裁者に極度に権力を集中させないために憲法上の制約として任期とその制限が設けられたのです。

以来、国家主席につく人間は、この権力への縛りを守ってきました。

しかし、毛沢東時代の再来を夢見る習近平にはただのうるさい制度にしか過ぎないのでしょう。

絶対権力は絶対に腐敗します。

このような制度を許す人民の民度にこそ真の問題があると思います。

現代の独裁政治を現出させた全人代(全国人民代表大会)の「賛成2,958票」のみなさん、よほど後の世の歴史家や国民に厳しく指弾される覚悟がおありと見えます。

「反対2票、棄権3票」を投じた方々、名前は存じませんがわが零細メディアは全力であなたたちを支持支援したいと思います。

大学でもたいして勉強してきませんでしたが、絶対権力は絶対に腐敗するという英国アクトン卿の言葉だけはきちんと教わった筆者から以上です。

(2018年3月22日 木曜日)

2018年3月21日

世の中を本気で変えたいと思ったらどう振舞うべきかを科学的に考えてみた話





おはようございます。

2018年3月の心構えや振る舞い方に関する配信記事です。

全ては思うところから始まる、とは筆者の恩師が述べた言葉だったと思います。

大学への入学でも、職探しでも、それよりももっと大きな世の中を変えたいといった漠然とした願いも、全てはより強く思うところから始まるというわけです。

その何とかしたいという思いを、かのソフトバンク創業者の孫正義社長が、「志」という言葉で熱く語ってくれました。

何かを成し遂げたいと希求する強烈な熱意、それが「志」いうわけです。

そして、その熱意は周囲に伝わり、その熱にみんなが参画して、思いを乗っけていくことになります。

そして、節目節目でそういった志をつないでいってくれる仲間や支援者やメンターや協力者がそこここに現れてくるものだ、というようなことを語っています。

世の中を変えるだけの人の条件は、志を持つこと、そして志は、全て思うところから始まるとなります。

もう少し具体的に話を進めます。

例えば、事業遂行能力や事理認識能力といった、いわゆる人の「能力」については、かなり客観的に測れるようになっていて、その多寡や度合いもわかるのですが、実はそれだけで世の中を変えるだけの原動力を持つ人になると問われたら、ほとんどの人たちが感覚的に違うと答えます。

経験的にも直感的にも、「能力」だけでは決定的に何かが足りないのです。

そして、このテクノロジー全盛の時代は、実は才能や能力すら、世界中にアクセスして借りてくることができるわけで(アウトソースできるともいう)、問題は、能力それ自体ではないという論拠をさらに強くしているように思います。

となれば、なぜ生きるのか、自分の人生において何を為したいのか、といったところを具体的に、期限を切って語れる熱い目標がある人が浮かび上がってきます。

そうした振る舞いができる人が、志がある人として人に認知され、そしてリーダーとなって行くのではないでしょうか。

そして、志という言葉には、目標に向かってハードワークする、必死に頑張るという過程が必ず対となってきます。

この、ハードな目標に向かう過程というか心構えがなければ、「志」は「願望」に格下げされます。

そうなったらいいな、では残念ながらその実現は遠いでしょう。

実現する前に寿命が尽きてしまうかもしれません。

というわけで、世の中を変える可能性のある人の資質を重要なものからまとめると、

・志

・努力する過程

・能力

というところだと思いますが、最後に、正しい方法論というのを付け加えておきたいと思います。

これだけの情報化社会にあっても、人間なかなか必要なところにリソースを割かないで、別の他に任せていいところにばかりこだわってしまったり、また逆に方法としては全く正しくない方法で突き進んで行ってしまうという失敗があとをたちません。

この方法論、こそ学習によって修正できるところではないかと思っています。

最後にまとめますと、世の中を変える人に必要な要素は、

・志、継続力(努力する姿勢、心構え)、能力、そして正しい学習による方法論の確立

というところになりそうです。

異論反論、論評お待ちしています。

いい記事を書けたみたいなので、まずは酒でも飲みたいと強く願う筆者からは以上です。

(平成30年3月21日 水曜日)

2018年3月20日

(時事レポート)初の自動運転車による歩行者死亡事故が発生した模様です





おはようございます。

2018年3月の自動運転車業界におけるニュースです。

自動運転車の公道実験が進んでいるアメリカのアリゾナ州において、おそらく世界で初めて起こった自動運転車による歩行者死亡事故のレポートになります。

歩行者の女性は、夜中に自転車を押しながら横断歩道のない場所を横断していたところに、Uberの自動運転試験車が走行速度そのままに突っ込んで激突したとのことです。

Uberの自動運転車には、運転者は乗っていませんでしたが、もしものために手動運転に切り替えるために同乗していたオペレーターについては、過失運転致死なのかどうなのかわかりませんが、なんらかの罪に問われる可能性もあるとのことです。

これを受けて、Uberは米国の各州で行なっている自動運転実験を一旦全て中止し、プログラムの見直しなど検証を行うと発表しました。

もちろん、人が運転する自動車による死亡事故は、日本でもアメリカでも残念ながら普通に、日常茶飯事に起こっております。

日本においても最近まで、年間の交通事故死亡者数が1万人を超えており、自殺と並んで日本人の病気や老衰による死因以外の大きな部分を占めています。

(自殺も広義には精神の病気ではないかということもできますが、ここでは一旦病気とは切り離して考えます)

これを受けて、そもそもテクノロジーの進化に懐疑的な保守的な層の勢いを増すことに繋がり、規制緩和への取り組みが頓挫するのではないかという懸念があります。

UberやGoogle(参加のWaymo)は、自動車メーカーと共に自動運転技術に対して多額の研究開発投資を行なっていますが、その成否は、免許を持つ人間にテクノロジーが追いつくか、そうしたテクノロジーに安全を委ねる決定を規制当局(要するに人間)が行えるかという点にかかっています。

実は、自動車メーカーやハイテク業界の経営者たちは、自動運転技術はまもなく人の運転技能を軽く超えることを予測しており、逆にドライバーによるわき見運転や居眠り運転を無くし、むしろ多数の人命や建物といった財産が守られることになると逆に主張しています。

確かに、この面も首肯する部分はあるのですが、かといって、「本番で死者が出るテスト」を繰り返してもらっても困るというところが一般的な心情だと思うため、その利益衡量が非常に難しいというところです。

テクノロジーの進化に、人々の意識が追いつかない、そんな時代に私たちは生きています。

とりあえずメタボでも、シートベルトは緩まずいきたい筆者からは以上です。

(平成30年3月20日 火曜日)

2018年3月19日

絶対権力は絶対に腐敗するという古今東西の公理を改めて述べておきたい話です






おはようございます。

2018年3月の国際政治経済に関する配信記事です。

お隣の国中国(あえて中華人民共和国とは書きません。1911年に建国された中華民国の正当後継である政府が台湾にいる以上、そこに部外者が立ち入るのはよしとしないスタンスです)における権力闘争は激化の一方ですが、その政府の挙動が世界政治経済に無視できないレベルに達しつつあるのは衆目の一致するところです。

現在、中国において暗闘を繰り広げているのは太子党と共青団という略称で呼ばれる2つの大きな派閥です。

太子党とは中国共産党の元老たちの子弟で構成される緩やかなギルド的派閥です。

太子とは言葉の通り「プリンス」の意味で、親の権力と人脈、ネットワークによって強い地位につきます。

現在の代表は明らかに習近平国家主席であり、その父は習仲勲(元国務院副総理、つまり副首相)です。

親の地位を子が超えることが稀ですが、たまにこのようなことがあると、親子二代に渡って周王朝(間違えました「習」です)のような状況を呈してきます。

今回、中国憲法が「改正」され、国家主席の任期は2期8年であったのが、「無期限」となったことも、現在の習近平国家主席および彼の率いる太子党の権力が、かつての日本の藤原氏や平家を彷彿とされるレベルに達したことの証左でありましょう。

太子党の面々が崇拝するのは、建国の父である毛沢東です。

一方、中国共産党のエリートテクノクラートの養成機関の側面を大きく持つ、党の下部組織である共産主義青年団(共青団)は党の青年組織として、こちらも多大な力を持っています。

出自に関わらず、有能かつ他に推挙されうる人格と個性、人徳を持つ人物が自然と推戴されていきます。

全国家主席の胡錦濤、および現在の国務院総理(首相)である李克強といったメンバーが、青年団の代表です。

この二派に、実は政治的思考の違いはそんなにありません。

単に出身母体の違いというだけであるというところも面白いところです。

さて、中国の国家統治のあり方としては、国家主席と国務院総理(首相)の二重権力状態として相互に牽制監視させるというのが少なくとも制御装置として機能してきたようですが、この国家主席の無期限化によって、大きくその構造は「終身独裁」に舵を切ったように思われます。

世界最大の人口を擁する国、未だインターネットの書き込みが明確に監視されている国、不思議な大国の動向に世界が直接影響を受ける、そのような時代に我々は生きているのです。

台湾には行ったことがありますが、実は中国本土には行ったことがない筆者からは以上です。

(平成30年3月19日 月曜日)

2018年3月18日

コミュニケーションに障害を設けないようにしないと事業が進まないという話です





おはようございます。

2018年3月の火星旅行を夢見る事業家に見る企業経営の考え方に関する配信記事です。

「できることなら、火星で死にたいね」

と公言する世界的企業家であるイーロン・マスク氏が、電気自動車や自動運転車を展開しているテスラグループの社内向けに出した書簡がとても興味深かったので紹介します。

ちなみに、イーロン・マスク氏は、電子決済の先駆けであるPayPalの創立者で、宇宙ロケットの推進部分を再利用することで打ち上げコストを画期的に下げたスペースXや、最近の世界的なEV・自動運転のブームを作り出したテスラの創業者です。

それでも、次々に新しい事業領域を破壊的に開拓して、突き進む企業家であることをやめていません。

むしろ加速しています。

そうして、今は、人工知能の会社を立ち上げて、ついでに火星に行くことを公言しています。

そんなイーロン・マスク氏は言います。

企業内での情報の流れには大きく2つあると思う。

で、これまでのところ最も一般的なやり方は、すでにある指揮命令系統に従う方法です。

つまりこうです。

あなたは常に上司に指示を仰ぎます。

上司から伝達された業務命令を遂行します。

判断が必要な状況になったら、また上司の指示を仰ぐのです。

はい、この方法の問題点は、上司の力を強化するだけで、会社のためにならないということです。

問題が発生した場合はその部門の人が関係部門の人と話し、正しい行動を起こして迅速に解決するのが一番早いです。

にもかかわらず、指揮命令系統の下では、人々はまず上司に報告せねばならず、その上司がそのまた上司に報告して、その上司の上司が他部署の管理職に相談し、その管理職が部下に相談するといった回りくどい流れをとります。

その後、もう一度同じ経路を逆流し情報が伝えられます。

こんなバカなことがあるか、即刻やめろ。

当社ではこうです。

誰にメールしても会話しても構わないし、すべきです。

企業全体と自身の利益(自分の昇給とか評価とかキャリアップとか名誉とかなんでも)のために、自分が考える最速の解決方法をとるべきです。

上司の許可なく上司の上司に相談しても全く構わないし、別の部門のトップに直接相談してもいいし、イーロン・マスクCEOに相談してもらっても問題ありません。

誰かと話すことに誰かの許可は要らないのです。

さらに、課題解決のために、自分にその義務が常にあると考えるべきだ、ということです。

これは、どの企業や組織体についても当てはまることです。

本来、案件を高速で確実に成果に結びつけるために企画された組織が、組織自身の自己保身のために情報を統制しだすと、ろくなことはおころないのです。

いつも、問題を解決するのは新鮮で機微にとんだ、知性であることは間違いなく、組織の管理職と言われる人々が一番に注意しなければならないのは、このように企業は縦割り組織の弊害に常に晒されており、常に巻き起こる精神的な壁を壊し続けて、率直なコミュニケーションを続けていかなければならないということなのです。

ということで、率直なコミュニケーションを続けていかないといけないという話でした。

「できることなら、稼いで死にたい」ところですが、なかなか稼げない筆者からは以上です。

(平成30年3月18日 日曜日)

2018年3月17日

朝の光を浴びて体内時計をリセットすれば1日をスッキリ過ごせるという話です






おはようございます。

2018年3月の生活習慣に関する配信記事です。

本日は、できるだけ同じ時間に起きるようにすれば1日の体のスケジュールが整ってスッキリ過ごせる可能性が高まるという話をしたいと思います。

人間は、太陽を中心とした1日24時間のリズムより少しだけ長い、1日25時間の生体リズムで生きていると言われています。

なぜぴったり24時間に合わせていないのか、そこは遠い遠いご先祖様に聞いて見ないと本当のところはわからないのですが、一説には、完璧に24時間に合わせてしまうと、何かの事情(安全の確保等)で眠らずに遅くまで動いていないといけない場合などに備えて、わざと長くずらしたものと考えられています。

そうして、人間の体内時計は1日に25時間のサイクルで回ろうとしているので、現実の生活としては、毎日毎日1時間分の体内時計を戻して行くという必要があるというわけです。

そうして、その体内時計のリセットに最も有用なのが、朝の陽の光であることもわかってきているということで、日光が目を通して脳に信号として送られると、体内時計が一旦リセットされて、そこからまた1日が始まるというわけです。

それでも、夜は1時間分体内時計がずれたまま進んでいますので、できれば早く寝るように心がけて、そうして翌朝また眠いけれども一気に陽の光を浴びて、体内時計をリセットするのが、長期的に最も人間としてのパフォーマンスを上げる最も適した方策ということになるのです。

ということで、朝起きる時間を一定にし、できれば起きるときに陽の光を浴びて二度寝しないという習慣を身につければ、非常に強力な力となることはわかったと思います。

逆に、夜中に強い光の下にいることや、朝食を抜いたり、夜食を取ったりすることは体内時計を後ろにずらし夜型生活パターンを助長することとなりあまりよくありません。

よいこともよくないことも、よくよくわかったところなのですが、どうしても宵っ張りの朝寝坊、夜中のラーメンから抜け出せない煩悩に浸かった筆者からは以上です。

(平成30年3月17日 土曜日)

2018年3月16日

人手不足がこれから常態となる日本においてどう振る舞うかが大切だという話です






おはようございます。

2018年3月の人手不足に関する配信記事です。

日本ではかつて、35歳までしか転職の窓は開いていないなどと言われていました。

しかし、それは明確に嘘でした。

2018年現在、少子高齢者で縮む人口ピラミッドを前に、日本国民はこぞって全員野球で、人手不足の大合唱の中、人材確保に必死になっています。

企業の方から、労働需給環境の悪化に先手を打って、例えば保育所を完備します、フレックス勤務を認めます、リモートワークや在宅ワークを推奨しますといった流れになってきています。

リモートワークを採用すると、副次的にオフィス・ファシリティコストが劇的に下がることがわかります。

シェアオフィスでの勤務を認めれば、豪奢な本社ビルや会議室、セキュリティに過剰に守られた執務スペースの中に篭って専用サーバーで業務することの高コストぶりに驚くわけです。

店舗もそうです。

単一の業態ではなく、カフェを併設、勉強ルームも設けた書店は大人気です。

勉強ルームを利用する場合にコーヒーを買う、もしくはチャージを支払うようにすれば、そもそもその客は時間単位のスペースを「買い」に来ているわけであり、必要なのはコーヒーやサンドイッチ以上に、電源やWifi環境であったりするのです。

もう少しで、あらゆるカフェ業態において、Wifiが問題なく使える時代がやってくるでしょう。

5Gという、現在の4Gの数十倍の実測体感速度でやり取りできる通信技術が確立した場合のインパクトは計り知れません。

常時、音声動画サーバーで繋いでおくことすらできるのです。

そうすれば、電話をかける、チャットをするといった状況をはるかに超えた、隔地間でのリアル飲み会や懇親会、パーティーなどもできてしまいます。

世の中のやり方の仕組み自体が変わる、そのような面白い予感がいたします。

全世界の人口は75億人(2018年3月現在)まで増えました。

これだけの人間が、それぞれの能力を本当に発揮し始めたら、世界が狭くなるのも当然です。

ここから世界人口は50年はゆるやかに上昇していきます。

明らかに、世界は発展するということは予定された未来だということです。

その中で、一足先に急激な人口減少の波にさらされる日本において、どのように限られた人材を用いて成長する世界と伍していくか、そこがこれからの我々に課せられたところなのだと思います。

日本を何かしらの形で変革させていく原動力となるような者、周りを巻き込みながらチャレンジできる、広い視野を持って行動できる者、そんな人間に

ぜひなりたいと

願うだけの筆者からは以上です。

(平成30年3月17日 土曜日)

2018年3月15日

日本において数字の銀行がいくつか続いて残っているという話について




おはようございます。

2018年3月の日本の銀行に関する配信記事です。

最近、三菱東京UFJ銀行が三菱UFJ銀行に名称を変更するという話がありました。

東京銀行といえば、Bank of Tokyoという通り名で世界にその名を知られた名門銀行であり、かつては外為専門銀行として、いわゆる外貨を独占的に扱っていたというわけですが、1996年に当時の三菱銀行と合併して東京三菱銀行となり、そしてそこから20年あまりをかけて、ゆっくりと東京の名は消えようとしているわけです。

当時の東京銀行をぎりぎり知る身としましては、非常に寂寥感がつのるお話です。

さて、日本の銀行には、そのほかにも、第四、七十七、百五といった漢数字がついた銀行がいくつかありますが、この銀行たちはどのような経緯でかような漢数字の名前を持つようになったかご存知でしょうか。

これは、中学の歴史の教科書にも載っていますが、時代が江戸幕府から明治の新政府に移ったところ、日本政府は西洋列強に対抗すべく急激に世界の奇跡とも呼べる近代化を一気に図りますが、その中で、いわゆる通貨を整備することにも着手します。

これまで、慶長小判とか言われていた通貨を、単位「円」として、「両」単位からの脱却をはかったのです。

ただ、幕藩時代の各藩発行の藩札やら、これまでの小判や銀といった通貨が入り乱れている状態であり、この状況打開のため、明治5年(1872年)に、政府は「国立銀行条例」という法律を制定して、通貨の統一に乗り出したのです。

しかし、そこは当時の明治政府、当面自前で通貨を発行できる予算がなかったため、なんと民間が設立した銀行に、銀行券を発行させて、そしてこれまでの紙幣をこの新しい銀行券と交換させ回収したのです。

国立、といっても国は名前を貸しただけ、つまり今でいう「ネーミングライツ」のような、「PFI」というべき仕組みです。

まず、これに沿って民間が設立した「国立銀行」は4つあります。

東京に設立された国立第一銀行はその後、第一勧業銀行を経て現在はみずほ銀行です。

横浜に設立された第二国立銀行は、現在は名称を変え横浜銀行となっています。

第三国立銀行は大阪に作られるはずでしたが、設立時のトラブルで営業開始前に解散した経緯がありまして今も存在しませんが、「国立」ではない純粋民間の第三銀行というのが三重県松阪市にあり、三重県の三を取って第三銀行として営業していますのでややこしいところです。

新潟にある第四銀行は、今もその名前のまま存続しています。

その後、解散した国立第三銀行の後釜として、第五国立銀行が大阪で設立され、これは現在の三井住友銀行に引き継がれています(三井の方が本流になります)。

さて、その後も銀行条例の柔軟な改正もあり、次々に同様の国立銀行が設立された結果、なんと153番目の国立銀行までが設立されたのです。

そして、これらの「国立」銀行が発行する銀行券は、すべて同じデザインで、発行する各銀行の名称だけが違う(つまり番号が違う)ということになったというわけです。

しかしながら、そんな民間由来の公的紙幣発行という予算が少ない中での合わせ技がいつまでも続くわけもなく、やがて明治15年(1882)年に至って、ついに日本の中央銀行として銀行の銀行というべき日本銀行が設立され、日本銀行券(要するに今の紙幣)が発行され、これらの国立銀行券は日本銀行券と交換されていき姿を消していき、そしてこれらの国立銀行も通貨発行の役目を終えて普通銀行として転換して、一般の民間銀行として営業を継続したというわけです。

そんなわけで、明治以来の大事な名前のまま2018年3月現在も営業を続けているのは、第四(新潟)、十六(岐阜)、十八(長崎)、七十七(仙台)、百五(三重県津市)、百十四(香川)の6つとなります。

また、八十二銀行(長野県長野市)は、第十九銀行と六十三銀行が合併してできました。

「19+63=82」というわけです。

冗談のようですが、数字に対するこだわりを垣間見ることができます。

そして、第三銀行については、漢数字ではなく三重県松阪市の三ということですので、厳密にはここから外します。

同じ三重県津市には百五銀行がありますので、さらにややこしいですが、三重県に縁のある方はここのところよく復習しておいてください(テストに出ます)。

三重県に出張で訪れた際に、最高級の松坂牛を一度だけ食べたことがあり、その味がわすれられない筆者(赤福も美味しい)からの感想は以上です。

(平成30年3月15日 木曜日)

2018年3月14日

人手不足でサービス終了する前に値上げしてもらって存続してもらいたいと思う話





おはようございます。

2018年3月のサービスの人手不足に関する配信記事です。

ビジネスはビジネスです。

大切な商品・サービスを提供してきながら、そして黒字でも後継者がいないから廃業する、といったニュースが後をたたない昨今の人手不足の現場です。

少子高齢化というのは、モノやサービスが売れなくなることと同じように、モノやサービスを提供する人手も減るということになります。

しかしながら、黙って廃業して行く前に、少しだけ最後あがいてほしいと願わずにはいられません。

つまり、正々堂々と人手不足を解消しうるだけの値上げを行い、そしてサービス提供側として考える正当な値段で提供する、ということです。

そして、余計なコストをサービス提供側が支払うことを強要されていると感じる場合、その部分を切り出して客にさせることで、かなりの問題解決になるということも改めて強調しておきたいところです。

世界最大の小売業に、創業20年あまりで到達したアマゾンという米国の会社があります。

すでに、「オンラインショッピングサイトの会社」という会社の枠を超えて、リアル店舗も保有し小売業以外の業態も着々と侵食している会社ですが、この会社の得意とするのが、「客ができるところは客にさせる」という手法です。

オンラインショッピングは、客が注文した商品を彼らの配送センターから配送し届けたところでサービス提供は終わります。

ダンボールから取り出して袋を破る、そしてそのダンボール類を処分するという作業は、顧客側にさせるのです。

そもそも、客に商品の説明をするところから、オンラインで商品提供業者にさせ、さらにその商品の「評価」すらユーザー間でさせるという手の抜きようです。

それでも、そのコスト減の部分を商品単価で還元し、そして余計な手間がかからないというオンライン配送システムを磨き上げて、アマゾンは頂点に立ったわけです。

ここで重要なのは、アマゾンはやることを絞ってコストを捻出しましたが、決して安売りをしたというわけではないということです。

もちろんコストは厳しいですが、限界までやった努力をもって、正々堂々と値付けして顧客に提示しているわけです。

正当な価格で、素直に提供することが、商売において最も信頼される部分だと思います。

話を転じて、日本の外食業界を見てみますと、たとえばラーメン屋がにんにくや野菜の高騰によって運営限界、廃業や店舗の統合を行うといった話や、うなぎの稚魚が激減しているからうなぎ屋が蒲焼の提供やめるとか、そういうのが悲しいニュースに溢れているわけです。

こういう外部環境の変化にそのまま沿ってしまうと、

(ア)原材料が高騰しているし
(イ)人材も確保できないし

ということだから店は畳まないといけない、ということなのですが、それはちょっと待った、と言いたいわけです。

一番大事な、提供している商品やサービスが秀逸で、本当にお客に支持されているという自信があるのであれば、

(ア)原材料の高騰分を商品単価に上乗せ(変動相場制にするくらいの勢いで)
(イ)配膳や片付けは客自身でやってもらう(ファストフード方式)

といった対応策で、かかるコストを調整削減して、営業を続けて利ざやを獲得してもらいたいと思うのです。

それもかなわずそもそもの売上が立たない、ということであれば、真の原因は、原材料の高騰でもなく人材難でもなく、単に提供する商品が売れなかった、競争力がなかったというだけのことなのです。

ここを勘違いして、早々にうちの商品サービスはもうやっていけない、廃業、というのは少し待ってもらいたいと思います。

飲食店であれば、事業承継に困ったらこの味を守ってくれる後継者を店の張り紙やネットで公募するとか、そういうやり方はいくらでもあると思います。

M&Aなどといっても、それは一部の金融屋や会計屋のお仕事ではありません。

事業を続けるための、現場の人たちの知恵なのです。

昔、筆者が働いていたオフィス街の近くの百貨店が、百年以上の歴史を閉じて閉店することになりました。

閉店の日、最後の最後まで客でごった返して、泣きながらお客を見送る従業員の皆さんの姿に、集まった人だかりの人たちはしきりにもらい涙でフラッシュを浴びせていましたが、そもそも、存続できないくらいに売上を低迷させてきたのはその客の側ではないかと冷めた目でみていた自分がおります。

同じような話で、本当にうまい店でなくなったら困ると思う店があるならば、極力自分で利用することが大切なのです。

なくなってから、あの店美味しかったのに残念だね、などと言うのは寂しいです。

値上げするとお客さんに悪い、などと店の側が思っていたら、そんなことはないと励ましてあげましょう。

ビジネスというのは、客と売り手と双方に利潤や利益があってこそ、継続するものなのです。

それが経済社会の原理だと思います。

お店がきちんと利益を上げて、従業員に給料が支払われ、笑顔の質の高いサービスや商品が継続的に受けられるという信用がある店に対して、客は足を向けて訪れ、わざわざお金を払うのです。

もっと申し上げますと、ちょっと値上げしたくらいで文句をいうようなのは本当の客ではないとすら思います。

そろそろ、客を選ぶという発想の転換も必要ではないかと思うのです。

以上、いろいろ書きましたが、実はアマゾンで一番買い物してしまっていて安い飲み屋しか行かない筆者からは以上です。

(平成30年3月14日 水曜日)

2018年3月13日

手作りでICO(トークンイベントによる地域通貨発行)をやってみようという話です





おはようございます。

2018年3月の仮想通貨界隈に関する配信記事です。

記事に入る前に、筆者もコインチェックからの連絡通り、奪われた仮想通貨XEM(ネム)をJPY(日本円)に兌換した代わり金を受領いたしましたので、ここに謹んでご報告いたします。

何事も、理論より実践ということで買ってみた仮想通貨ですが、いきなりの電子強盗事件、そしてコインチェック等の仮想通貨取扱業者への一斉行政処分といった激しい動きを経て、どうやって調達したのかは不明ながら一応代わり金の現金(日本円)が戻ってきたということで非常に面白い経験となりました。

これで、一旦全損したと思ったお金が戻ってきたので、周囲の人と一緒に飲みにでも行ってこようと思います。

さて、このように、既存の法定通貨(JPYとかUSDとか)に兌換できる仕組みにした場合、そのような仮想通貨を取り扱う業者は、仮想通貨業者として当局(金融庁)の監督を受けるということになりますが、保育園幼稚園町内会バザーの紙のお金や、家で親に渡す肩たたき券といった法定通貨に紐つかないトークン(厳密には通貨ではないのでコインとか呼ばない)については、物々交換の一形態なので特に問題になることはなく、発行もしやすかろうという話になります。

具体的には、例えば千円単位で払い込んでもらい、その対価としてかまぼこ板のようなものを1枚渡します(通常の1枚千円の売買契約です)。

一般のかまぼこ板とは違って、一応発行体の「刻印」のようなものを付しておきます。

これで、単なる木札とは違った立派なトークン(いわゆる地域通貨)となります。

この木札、何に使えるかというのはオープンリソースですからその時点(発行時点)では何も決まっていません。

決まっていないけれども、その後その木札面白いね、と考える複数の人々がそれを媒介とした財・サービスを後から考えていきます。

例えば、

・会議室を借りるには1木札
・焼肉食べさせてあげるから3木札くれ
・マッサージしてあげるから3木札で支払って

といったサービスが付いてきた場合、木札でしか支払わない、となればどこかしらから木札を調達しないといけないわけです。

木札の調達手段は大きく2つです。

・持っている人から買うなり自分でサービス提供して引き取る
・発行体のトークンセールに参加して木札をもらう

ということになります。

この場合、最初の1枚1,000円というレートはしばらくは固定でしょうが、だんだん市場参加者が増えてくると、変動してくるでしょう。

しかし、この木札システムの管理にはコストがかかります。

ある一定期間ごとに、木札を誰が持っているかといった元帳管理を誰かが(もしくはみんなで)行わないといけないのが面倒なわけです。

でも、このトークンエコノミーを「面白い」と感じて、わざわざ効率化の極地にあるJPY(日本円)での決済を「あえて」やらずに面倒な木札決済という、決済コストも管理コストもかかることをわざわざやるという経済圏が小さいながら確立すれば、これはもう自立経済圏としての明らかな息吹なわけです。

とても、面白いと思いませんか。

ということで、木札エコノミーが始まったら、1,000円くらいは図書カードかクオカードで投げ銭してみようかと考えております、昔はビックリマンシールを元気一杯集めていた筆者からの妄想は以上です。

(平成30年3月13日 火曜日)

2018年3月12日

他人との適切な距離の取り方についての社会的合意がなかなかできないのがしんどいと思う話

ツイッターより「おじさんLINE」講座




おはようございます。

2018年3月の他人との適切な距離の取り方に関する配信記事です。

少し前より、主に若い学生、または働く女性の間で、いわゆるしつこいおじさんから読むのがしんどい、胃もたれするようなLINEメッセージをよく受け取ることがあって困る、といった記事がありました。

いつの時代にも他人の距離感がずれていて、このようにやたら一方的に距離を詰めてくる人は、別におじさんに限らずおばさんだろうがおじいちゃんだろうが、なんなら若い人でも子供でもあるわけですが、このような少数の人たちがいて少々困っている人がいるということが広く社会に認知されてしまうと、もっとよくない影響、すなわち本来距離を近づけてほしい人たちがやたら遠巻きにしか接してこないという問題が起こってしまいます。

つまり、セクハラやパワハラといった社会問題の「認知」が、これ以上ないくらいに職場や世間に浸透した結果、多くの「健全な」「普通の」おじさんが、若い女性(男性も含む)とうまく話し合う機会がなくなりつつあるという逆の社会問題を生むというパラドックスです。

「セクハラ」「パワハラ」という言葉は、すでに社会的一般名詞として人口に膾炙しています。

そして、男性の、特におじさんと自己認識している層のほとんどは、「自身の行動は全てセクハラだと指弾され批判される可能性がある」と認識せざるを得ない状況になっています。

何しろ毎週のように新潮や文春といった週刊誌にその手の話は載っていますし、#Metoo運動による大物著名人への告発といったネット社会を味方につけた運動も急速に高まり、これまで不当な待遇を我慢してきた(多くは女性の)芸能人の言葉を見ない日はないという状況です。

言葉や行動は、匿名性や時間の経過による忘却といった逃げ道を失ってしまいました。

「私や妻が関係していたということになればこれはまさに私は間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということははっきりと申し上げておきたい」

と約1年前に述べた言葉が繰り返し動画でアップされ、テキスト文字として駆け巡る世の中なのです。

そういうわけで、立派な中年おじさんであります筆者などの自己防衛手段としては、若い人たち、特に若い女性に対しては、「連絡の回数や接触は必要最低限にとどめ、かつオープンな場所で行い、セクハラパワハラなどと微塵も誤解をされないようにいわば木で鼻をくくった言動に終始しよう、なんなら直接話すのもやめてチャットで要件を伝えるだけにしよう」とするのが自然な行動になるわけです。

これは、おじさんおばさんと若い人たちとの間に横たわる、徹底的な「溝」になっています。

今の時代に、嫌がっているのに二人で飲みに行こうとしつこく誘うそんな典型的な昭和サラリーマンが多数派を占めるとは思いません。

しかし、社会にセクハラパワハラの「極端な」事例が蔓延してしまったことにより、普通の善良なおじさんが若い人に普通に連絡を取ることが非常に難しくなってきた、これは間違いないと思います。

どうも逆に生きにくい世の中になったのかもしれません。

こうなれば少子化高齢化まっしぐらじゃないでしょうか。

人の接触が減れば子供が少なくなるのは道理です。

みんなが目指したセクハラパワハラのない社会、どうも抑止効果が効き過ぎて、これではもっと前の高度経済成長期の終わりに言われた、

ビルの谷間の 川は流れない 
  人の波だけが 黒く流れて行く♪

あなたがいれば 
  ああ うつむかないで 
  歩いて行ける この東京砂漠♪

(唄:内山田洋とクール=ファイブ)

みたいな情景に戻ってきてしまったのかもしれません。

結局、セクハラとかパワハラとかに限らず、こうした社会問題の本当の解決策は、互いに誤解をされない程度の距離をたもつというコミュニケーションスキルの問題に過ぎないのではないかと思っています。

したがって、本稿の結論としては、

「こちらの心情を理解しようともせず、ひたすら距離を詰めてしつこく絡んで連絡をしてくるしんどい人」が、「適切な距離」を取ることができるようなスキルやノウハウが巷に広がることを期待したい、というところになります。

何事も、あまりにも神経質で、過剰とも思える対応をしてしまうと、却ってそのこと自体が人を傷つけてしまうことがあります。

これも、距離の置き方が適切でないことから起こっているのだと思います。

人間同士の心地よい距離感をつかむのは大変難しいところですが、適度なトライ&エラーで男性だろうが女性だろうが、とにかく「自然な人付き合い」ができるようになっていくのが理想です。

自分が忖度されたくないから上司には絶対忖度しないことをポリシーとしていきたい、「健全な」「普通の」おじさんではない距離感ゼロの筆者からの意見は以上です。

(平成30年3月12日 月曜日)

2018年3月11日

たった数十年前の映画が今上映できないレベルになるまで世間が進んだことを感じる話





おはようございます。

2018年3月の昔の映画に関する配信記事です。

映画「スタンド・バイ・ミー」を久しぶりに観ました。

ドラえもんのやつではありません。

本家本元の方です。

観るといっても、映画館や家のテレビでDVDというわけではなく、今やすっかりお馴染みとなったアマゾンの動画配信サービスの、プライム会員無料版に挙がってきたので、ちょっと拝見してみたというわけです。

そして、カーナビの映画機能よろしく、ギガ通信で少々通信容量を使っても問題ない契約にしてしまっていることを良いことに、車で遠出して買い出しに行く途中、手元のスマホにこの映画を流しながら、一部英会話のお勉強と称して視聴したわけです。

この映画を観ながらつくづく思ったのは、日本は、いや世界の意識はかなり前に進んだということであり、以前(といっても筆者たちが子供であった頃)はこれほどまでに暴力的な表現が「許され」、かつ実際にもこのような暴力的なシーンが普通に見られていた、そのような環境の中で我々は育ってきた中で、今の子育てや地域活動や企業活動においては、相当慎重に振る舞わないと、この世界中ネットで同時中継されてしまう世の中にあっては一瞬でブラック男(野郎)のレッテルを貼られて社会的に抹殺されてされてしまうだろうな、というような感覚でした。

何しろこの映画、始まるしょっぱなから10歳近辺の少年4人組が隠れ家の木の上の小屋に篭って、というかたむろして、親からくすねてきた煙草をふかしながらポーカーに興じている、というシーンから始まるのです。

そして、列車にはねられた子供の死体を見に行こうという提案で、なぜか数十キロ離れた湖畔までキャンプと称して歩いて4人の男の子が行くというのですが、この4人組の兄貴分でより不良度の高い連中も、同じく車で死体の子供を見に行き最初の発見者になろうとするわけです。

この兄貴連中の不良度はさらに卓越していまして、おそらく無免許の車を乗り回して、家の庭先にある郵便ポストを金属バットで走りながら叩き壊すという「ゲーム」に興じながら同じく死体のありかを目指します。

徹頭徹尾、不良少年と主人公たちの悪い素行や劣悪な家庭環境や不幸(主人公の兄はアメフトの有名な学生選手でしたが事故で亡くなる)を描いて、最後に主人公がピストルをぶっ放すために構えるまで、女性がほぼ出演しない(唯一主人公の母親だけ)という映画は終わります。

女性に対する蔑視発言もそこかしこに見られますし、この映画を今の小学生に文部省特選で見せるわけにはもういかないでしょう。

世間はそこまで成長してしまいました。

昔小学生の時にゴールデンタイムで放映していてよく見ていた藤子不二雄作「エスパー真美」の再放送が決してされることがないことにも通じる映画の評価も時代によって変わるという話でした。

筆者の世代のさらに上の世代になれば、幼少期に戦争というものが色濃く反映されますし、その上の世代になればあの超大国のアメリカとガチで戦い、その海軍軍艦や戦闘機の多くを海の藻屑として叩き込んでいるのです。

たかだか100年くらいの時の流れの中に、人間の集団意識とはこうも変わるのかと驚いたドライブでした。

結局、映画に夢中で買うべきものを買い忘れて大目玉をくらった筆者からは以上です。

(平成30年3月11日 日曜日)

2018年3月10日

アマゾン創業者のベゾス氏が世界長者番付の首位となったスケールを語る話です





おはようございます。

2018年3月のお金持ちに関する配信記事です。

筆者にはあまり関係ない超金持ちランキングですが、今年も世界の長者番付の最新版(フォーブス世界長者番付2018)がアップデートされまして、これまでずっと首位を走ってきたマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ氏にかわって、アマゾン・ドット・コムの創業者であり現在もCEO(最高経営責任者)の地位にあって爆走中のジェフ・ベゾス氏がトップの地位についたそうです。

ベゾス氏の個人資産は、そのほとんど全てが保有するアマゾン株で約12兆円(1,120億米ドル)ということになります。

まあまあ多いですね。

(日本国全体の借金をベゾス氏で換算すれば、約1,200兆円なので100ベゾスということになりましょうか、こちらは非常に多いですね!)

ちなみに、約1,000億円(10億米ドル)以上の資産を保有するいわゆるビリオネアの数は、過去最多の2,208人に上ったということです。

世界人口が75億人になっている現在、結構多くなったなと思う超金持ちの数ですが、日本においてはソフトバンク創業者の孫正義氏(約2.3兆円、39位)を筆頭にするもののそのスケールは若干見劣りがいたします。

かつて、この長者番付には土地成金などもいたようですが、世界の超金持ちはほぼ全てが創業株を保有する創業者であることが多くなってきました。

やはり株式投資というのは広く世界に開かれている性格のものであることから、究極の資本主義の倍々ゲーム手段として世界に浸透してきたということなのでしょう。

アマゾン株を高騰させているのは、世界中のアマゾンのサービスを利用している消費者たちであり、アマゾンは顧客や市場の支持を得ながら創業から一貫して顧客ファーストの巨額投資を続け、ついに世界中の株式時価総額の数パーセントを占める、ビッグ4と呼ばれるテクノロジー株となりおおせました。

1994年7月5日、アメリカ合衆国ワシントン州シアトルで創業した小さな小さな会社は、わずか25年足らずで世界の頂点に立ったことになります。

世界の動きはかように早く、そして激しくなってきています。

そんな中、相変わらず低空飛行の配信記事を続けております筆者からの報告は以上です。

(平成30年3月10日 土曜日)

2018年3月9日

「いい人」がこれからは大切な資質として崇められる世の中になるのではないかと思う理由





おはようございます。

2018年3月のいい人に関する配信記事です。

いいひと。という漫画が1990年代の昔にありました。

ひたすらいい人に徹する主人公とその周りの社会人たちの物語なのですが、正直その当時はいい人だけでは世の中渡れないという常識に対するアンチテーゼではなかったかと思うのです。

しかしながら、今や時代は変わりました。

陰徳を積むという言葉がありますが(隠匿ではありません)、興味深いのは、そうした陰徳を積むいい人の行いというのは、それまではお天道様しか見ておらず、本当に人の目に触れることは少なかったのですが、このIOT全盛のテクノロジーの時代が、そうした陰徳を陰徳として許さず、すかさず「シェア」という方法で全世界に同時に拡散できる手法が確立されたことで世の中変わったのです。

逆に、それまで「隠匿」されていた不都合な事実などが、同じ手法で一気に暴かれそれまで注意深く築かれてきた虚構の信用が一気に崩れ去るという、いわばまともな世の中になったのです。

#Me too 運動の広がりなどはその最たるものと言えるでしょう。

そういう世の中になった以上、事業活動を行う企業としても、人材採用において興味深い方向にシフトしています。

つまり、「いい人」という資質を認めてそれを積極的に自社の社員として取り込もうとするのです。

いい人だけでは仕事はできない、という考え方はもう古いのです。

なぜかというと、グーグルやフェイスブックといったテクノ系大企業においては、天才的な知能や高度なスキル、ネットワークや才能などは、それぞれが必要な時にピンポイントで、世界中のリソース(全世界の人口75憶人に直接)にアクセスしてその都度外注(アウトソーシング)すればいい、と考えているのです。

もしくはプロジェクトごと買収するといった話です。

優秀な社員がいる会社なので、会社ごと買ってしまった、というのは、自分の好きな電車ダイヤを組むために電鉄会社ごと買っちゃうといった発想ですが、今やスキルは何でも買えるので、自社のコアな従業員(正社員)に唯一望むものは、いい人であるという資質それのみであるということになるわけです。

いい人こそ雇え、これは日本の浪花節映画の金字塔である、例えば男はつらいよの寅次郎や、釣りバカ日誌シリーズの浜ちゃんに通じるGood Personこそ、これらの会社が求める人物像なのかもしれません(すみません未確認ですが)。

とにかく信用できるいい人に出会えれば、何らか飯の種は見つかるものだと信じている筆者からは以上です。

(平成30年3月9日 金曜日)

2018年3月8日

スポーツ用品メーカーアシックスの社名の由来を知っていますか





おはようございます。

2018年3月のスポーツメーカー「アシックス」に関する配信記事です。

アシックスは特に筆者などはシューズメーカーとして、小学校のころから知っていまして、特徴あるあの#のようなロゴマークが入ったスポーツシューズを買いたくて、近くのデパートの靴売り場で靴をずっと眺めていたものです。

あと、ジャージなんかも作っていて、青地に金字で#の刻印がされたのが結構おしゃれでした。

そんなアシックスは、1949年に兵庫県神戸市で創業された、社員4人の鬼塚株式会社が前身で、創業者の鬼塚喜八郎さんは、終戦後に、「もし神に祈るならば健全な身体に健全な精神があれかしと願うべき」というローマの作家ユベナリスの言葉に感銘を受けて、スポーツによる青少年(今では中年老年も)の育成により社会全体の発展に寄与貢献することを志したと社史にあります。

そして、1977年に、アパレルやスポーツ用具の会社2社との合併を機に、この名句のラテン語の原文である

Anima Sana In Corpore Sano(健全な身体に健全な精神あれかし。健全な身体に健全な精神が宿る、ではない)

の頭文字をとって、新しい社名「ASICS(アシックス)」としたのです。

そして、2018年の今、全世界の社員数10,000人を超える大企業に成長しましたが、アシックスの皆さんはこの言葉を企業理念として今も大切にしているとのことです。

これだけ聞くと、和製スポーツブランドのアシックス#のマークにさらに愛着がわいてきますが、政府の成長戦略においても、日本再興戦略2016という閣議決定された官民プロジェクトの一つとして、スポーツの成長産業化が明記され、現在のスポーツ市場の規模を5兆円から15兆円に2025年までに成長させようという方針が示されています。

身体を動かすことやスポーツを楽しむことに、ICTやIoTといった最新技術やテクノロジーを駆使して、さらに手軽に楽しめ、データ化していく要素を付加していけば、トラッキングデバイスの普及などと共にスポーツをより身近に感じられる機会はもっと増えると思います。

運動不足なのでダイエットし甲斐があります筆者からは以上です。

(平成30年3月8日 木曜日)

2018年3月7日

2分で読んでだいたいわかる日本の医学部等制度についての雑談をします





おはようございます。

2018年3月の日本の医学部等制度に関する配信記事です。

なぜ、医学部と書かずに医学部等と濁して書いたのかと言いますと、日本の医師養成機関としては、◯◯大学医学部、ということで総合大学の医学部に収斂されてきているものの、未だ単科医科大学としての、◯◯医科大学という単科大学も複数残っているため(残っているという言い方も本当のところはよろしくないため)、等という言葉を付させていただくものです。

日本国といたしましては、獣医学部を50年ぶりに新設するということで、国会でもその設置の経緯が大激論となった2017年の記憶も新しいところでありますが、獣医ではなく人間の医療を行う医学部については、かの田中角栄内閣(第二次)の中で1973年に策定された「経済社会基本計画」の中に当時の医師不足を反映して、当時医学部がなかった15県に医学部を設置しようという意欲的な取り組みが行われ、一気に医学部の設置が進んだという背景があります。

日本も、やればできるのです。

黒船の歴史を紐解くまでもなく、危機に際しては一致団結、ことの解決にあたって一斉に動き出すというのは日本人の(良くも悪くも)特性であると思います。

なお、医学部を設置するといっても、その当時の国立の総合大学はいわゆる大学紛争の真っ最中であり、そこに医学部を新設してもまともな教育ができそうにないだろうという特段の配慮がなされました。

すなわち、医学部としての設置は当初、既存国立大学への医学部増設として当たり前に勧められたところ、当時の文部省(現在は文部科学省)がせっかく新設した大切な医学部の学生に、既存の総合大学の学生運動の影響が及ぶことを懸念したのです。

そこで、当時大学ごと新設しつつあった筑波大学と同様の新構想の大学として、単科大学での設置を進めたのです。

こうして、早速1973年に旭川医科大学、山形大学医学部、愛媛大学医学部、筑波大学医学専門学群、1974年に浜松医科大学、宮崎医科大学、滋賀医科大学、1975年に富山医科薬科大学、島根医科大学、1976年に高知医科大学、佐賀医科大学、大分医科大学、1978年に福井医科大学、山梨医科大学、香川医科大学、1979年に琉球大学医学部と、7年間で16校の国立医科大学(総合大学の医学部)が相次いで新設されました。

田中角栄が推し進めた、この一県一医大構想は、わずか発表より6年で実現されることとなったわけです。

政治の力、おそるべしです。

さすが、故郷新潟に新幹線(上越新幹線)を引いた総理大臣です。

やることがいちいちでかいです。

この結果、日本の医学部等の数は同時期に認可された私立大学を含め1979年末時点で80大学となり、入学定員は既存学部の入学定員増を含め8,000人を超える水準となったのです。

そして、琉球大学医学部の設置を最後に、ごく最近(2016年)まで医学部の新設は実に40年弱も沙汰止みになるのです。

その岩盤規制がようやく崩れたのは、東日本大震災を端緒とする災害医療と国際化に対応した医療および国家戦略特区制度による医学部誘致を合わせて行った2つの私立大学の医学部設置です。

2016年に被災地復興支援の特例として「東北医科薬科大学」(東北薬科大学から改称、仙台市)が認可されたのに続いて、2017年4月には国家戦略特区事業の枠組みで、国際医療福祉大学(本部・栃木県大田原市)の成田キャンパス(千葉県成田市)に医学部が新設されました。

また、別途、2004年の国立大学法人化等の改革によって、文部科学省はこれら新設の医科大学と地元国立大学との統合を推進し、浜松医科大学・滋賀医科大学以外の医科大学は同一県内の国立大学と統合し、統合された国立大学の医学部となりました。

筆者は琵琶湖でボートを漕いでいた時に、滋賀大学経済学部のクルーを「しがけい」、滋賀医科大学のクルーを「しがい」、と呼んでいました(彼ら自身もそう呼んでいたと記憶しています)が、筆者は実は今更、両者は同じ大学の違う学部というわけではなく、滋賀医科大学という独立した医科大学のボート部であったのだということにようやく気づいたくらいです(滋賀県界隈の方々、がさつな九州出身者の認識で本当にすみません)。

浜松医科大学については、静岡県に今もくすぶる静岡県の盟主は浜松市か静岡市かどちらか、という根深い問題に根ざしているようですので、ここでのこれ以上のコメントは避けたいと思います(筆者は静岡や浜松にはほぼ縁がございませんので、机上の感覚ですご了承ください)。

最後、旭川医科大学については、これは流石に北海道の広さからして、また北海道大学にはそもそも医学部があることからしても、くっつける国立の総合大学がない例、ということになるのではないかと思います。

以上、2分で読めるわが国の医者養成制度に関する振り返りでした。

琵琶湖に浮かんでいた頃に阪神淡路大震災が起こってから20年余、ようやく滋賀について、滋賀は琵琶湖だけという虚構新聞並みの理解から少しだけ詳しくなった学習の遅い筆者からは以上です。

(平成30年3月7日 水曜日)

2018年3月6日

満足感や達成感は努力のプロセスそのものにあり結果にあるのではないという話





おはようございます。

2018年3月の納得感に関する配信記事です。

満足感や達成感、納得感は、努力のプロセスそのものにあるのであって、決して結果にあるのではないという話をします。

充足感は努力そのものの中にあるということは、かのインドという多民族多階級の複雑社会であるインドの光となった偉大な政治家マハトマ・ガンジーも言った言葉です。

ちなみに、マハトマとは、サンスクリット語(南アジアおよび東南アジアにおいて用いられた古代語であるが、文学、哲学、学術、宗教などの分野で広く用いられ、ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語でもあり、現在もその権威は大きく、現代インド公用語22のうちの一つでもある)で、「偉大」を意味する「マハー」と「魂」を意味する「アートマン」を合わせた、「偉大な魂」を意味する尊称です。

最初から、マハトマ・ガンジーさんという人がいたわけではありません。

ガンジーさん(こちらは本名)が、インド独立の運動を粘り強く行ったプロセスに感嘆したインドの人々が、彼にこの尊称を贈ったわけです。

努力することが成功することそのものであるということでしょう。

結果を求めるための目標を設定することは大変重要です。

しかし、一旦定めた目標に向かって具体的なアクションを行わなければ、目標はただの絵に描いた餅となってそのままです。

ただ、その目標に向かって行った具体的な努力や過程や実践は、目標それ自体が達成に至らなくても、その人の血となり肉となり経験となり、その後の人生において非常に重要な指針やよりどころとなるのです。

そうしたよりどころのようなものを言い換えて、達成感とか納得感とか満足感と呼ぶのかもしれません。

究極的には、達成されない目標であっても、そこに向かって努力した軌跡は残る。

ただし、努力を始めるには目標(望ましい結果)を定めなければならない。

こういったところでしょうか。

結果が結果として成就するか成就しないかはさほど重要ではないが、結果(目標)を定めてそこに向かった具体的なアクションを始めることは超重要、と言い換えることもできます。

プロスポーツ(アマチュアスポーツであるオリンピックもここでは含む)やビジネスといった世界では、よく結果が全てといった言われ方がなされます。

しかしながら、この結果に向かった個々のアスリートやビジネスパーソンの努力のプロセスは、それぞれの人生にかけがえのない糧となってその人たちとその人たちの周りの人生を豊かにするのでしょう。

正しいプロセスを積み重ねるということが大切です。

たとえ、競技で金メダルに輝いたとしても、ドーピングというプロセスを経ていた場合は剥奪されるように、そのプロセスは誰もが納得できる公明正大であることが求められます。

試験ならばカンニングはしない。

競技ならドーピングはしない。

結果にこだわる姿勢は、「より目標をクリアにイメージして、これから踏み出す具体的な努力の一歩を明確にするため」に使いたいものです。

日本銀行、日本開発銀行、日本郵船、東京三菱銀行(当時)、三和銀行(当時)…。

かつて、当職が就職面接に落ちた会社たちです。

どう社会人として働くのか、何を目指すのかといったことを考えるためにも、こうした機会は大変重要でありました。

これが、結果それ自体がそんなに重要ではないという筆者なりの根拠です。

ここまで書いてもなお、楽してお金を稼ぐ結果が欲しいと思ってしまう煩悩な筆者からは以上です。

(平成30年3月6日 火曜日)

2018年3月5日

日本の大学教育の方向性がどうにも定まらないように思えて意見したい話





おはようございます。

2018年3月の日本の大学に関する配信記事です。

文部科学省によると、日本の大学は大学ごとに3種類に格付けして分類し、それぞれ管理するということのようです。

少子化で大学の経営環境はますます厳しくなる中、認可している私立大学、国立大学法人、その他公立大学や大学校も含めて、大学ごとの特色を明確にする、と謳っていますが、はっきり言って大きなお世話だと思うのは筆者だけでしょうか。

文部科学省の素案では、「世界的研究・教育の拠点」「高度人材の養成」「実務的な職業教育」の3種類に分類するとのことですが、一体日本の今からの将来の大学において、「世界的研究・教育の拠点」などと本当に言える大学があるのか甚だ疑問であります。

世界的研究・教育の拠点というならば、世界大学ランキングあたりでは、常時、そうですね20位以内くらいには常時入っていただいておかなければならないと思うのですが、21世紀に入ってからそうした日本の大学があったか、筆者の耳が遠いのか寡聞にして存じ上げません。

文部科学省によると、「世界的研究・教育の拠点」となる大学は世界でも卓越した研究力をめざし、博士課程を含む大学院を中心に、高度人材の留学生も呼び込み、国をリードする人材を育てるらしいですが、日本の有為な人材にとってみれば、正直米国や欧州、アジアの主要大学の博士課程(大学院)へ無償の奨学金込みで入れば良いし、学部生の能力と意欲さえあれば問題なく入れるので、わざわざ受験トリビアを駆使して日本の大学学部への異常なまでに厳しい大学入試過程を経る必要など本来ないわけなのです。

日本においては高専や地方国立大学の工学部電気系や機械系学科で学部生のうちはしっかりと勉強して、あとは英語と、できれば中国語とシミュレーション系に汎用的に使えるプログラミングさえできれば、そのまま全くフィルターなしで欧米の一流大学の大学院への道がまっすぐに拓けてくるのに、あえて日本の私立大学や国立大学の文系学部に行ってサークル活動やゼミ運動といったコミュニケーション系の活動だけしかやってなくて何の専門性もない学生のまま卒業を迎える段になって、それまで個性を重視した教育だの言っていたその口が、百人一色の同じ色のスーツを身にまとい、新卒一括同一待遇採用という謎の雇用慣行に縛られた日本の企業群へ一斉に就職活動と称して突っ込んでいく様は滑稽を通り越してむしろ哀れですらあると考えています。

個性を重視するなら、自分の好きなことを突き詰めるなり、専門性を高めるために大学時代という貴重な時間を費やすべきで、コミュニケーションや議論など、実は社会人になって背負っているものが大きくならないと、本気の付き合いや議論などはできないと思う分野のシミュレーションをやったところで役に立たないと思うのです。

さらに、文部科学省は自分が交付金をこれ以上出せないというところから、国立大学については法人化させ(直営をやめて)、私立大学を含む大学全般への運営交付金も減らしていっているのにどうして、このようなよくわからないカテゴリを付して管理を強めるのか、これこそ狭い日本しか見えていない日本の官僚仕事の最たるものではないかと思うのです。

世界の大学と本気で伍していくのであれば、高校卒業を半年早めて8月には卒業させ、世界標準である9月入学にしないと、日本の学生もいつも一年遅れの浪人生で不利ですし、日本の大学の留学生の受け入れも全く進みません。

日本の大学を所管する文部科学省も、本当はもういい加減国におんぶにだっこをやめて、大人なんだから自分で稼いで生きていってほしいと思っているくせに、例えば稼ぎのいいことを見つけてきても、それは世間体的にダメだとかくだらない容喙をして自主性を損ねているとしかいいようがないと思うのです。

どんなに経営環境が厳しくても、それを打開する方策を必死に考えて実行する組織だけが本当に生き残るのであって、たとえばイギリスのケンブリッジ大学なんかは世界最古の大学と言われるオックスフォード大学を街ごと追い出された流浪の学生たちがケンブリッジに流れ込んで創立した、というように、志さえあれば何とでもなると思うのです。

そのようなハングリーさがなければ、世界的研究機関など絵に描いた餅でありましょう。

それでも、筆者は日本の国立大学の中には、きちんとした運営戦略と有為な人材を糾合する仕組みを続ければ、研究や教育、そして実社会における名誉ある地位と実績を出せる可能性があるものが少なくないと思っています。

そういうわけで、日本においては受験シーズンですが、各大学におかれましては入試問題の出題が誤っていたといった瑣末な問題にとらわれるのではなく、世界と勝負する気概と意志を持ってほしいなと思います。

本当は東のハーバード大学に対する西のスタンフォード大学かオックスフォード大学から分離独立したケンブリッジ大学に留学したかった筆者からは以上です。

(平成30年3月5日 月曜日)

2018年3月4日

働き方改革ではなく働き時間の意識づけを変えることが必要ではないかという話です






おはようございます。

2018年3月の働き方に関する配信記事です。

働き方改革というのが言われるようになってきまして、政府もさまざまな労働法制の改正を国会に提出する構えです。

振り返りますと、その昔、1986年に男女雇用機会均等法が施行されたのを皮切りに、産休制度や育児休暇制度といった制度は確かに整備されてきまして、そこからざっと。30年余を経て、ようやく2015年、女性活躍推進法が施行されたというのがこれまでの大きな流れです。

しかしながら、一体いわゆる女性の地位がどれほど向上したのかというと、そんなに実感がないのが実際のところではないでしょうか。

この何となくの感覚は日本だけにしか通用せず、世界経済フォーラムによる各国の男女同権平等の度合いを示した「ジェンダーギャップ指数」というのがありまして、2017年版において、日本は114位という、大変ありがたくないランキングに格付けされているのです。

いわゆる先進国の中ではダントツの最下位です。

しかしながら、この問題の本質は、男性とか女性とかに限らず、とにかく労働時間の塊が長い、ということ一点に尽きるのではないかと思うのです。

現在の、家事も育児もしなくてよく、専業主婦と子供を含む幾人かの家族を、一家の大黒柱として、一本足収入打法で養うという、美しき分業の労働慣行が、いわゆる働き方を、ひたすら長期間、全国世界中への社命による異動も当たり前、という無理ゲーに昇華させ続けてきたことが問題の根源ではないかと思うのです。

雇う企業側にしても、家族4人(子供2人の場合)を養うだけのでかい収入を一家の大黒柱(たいてい男性)に求めるのならば、その全精力を仕事に注力していただかないと割りに合わないし、社命一つで日本のどこでも、世界中のどこでも(ブラジルサンパウロだろうがロシアのハバロフスクだろうが)異動していく忠誠度を求めるのは当然のところではあります。




会社にいること自体が当たり前になってしまう




そういった、一家の大黒柱的な働き方というのは、労働時間の一単位が勢い非常に長くなります。

休みも少なくなります。

生産性が高い低い云々の前に、とにかく全人格を社業に捧げないと会社側に貢献できないという「空気」が職場に蔓延します。

そうして、こうした組織では、仕事や業務の「成果」で物事を測ることが非常に不得手になります。

なにしろ長時間職場にいるということ「自体」が至高の価値に置き換えられ、冷静に各人ごとの業務成果を相互に確認しあうといった当たり前のフィードバックや振り返りも組織として行われないので、実際定量的な評価というのが全くできなくなるのです。

そうした組織においては、唯一、自身の大切な「時間」をいかに社業に捧げているかというのが唯一無二の価値観となるため、それは男であろうが女であろうが相当の覚悟がないと入れない組織になるのです。

ですので、ここの問題の本質は、「無意味にしこり固まっている長時間労働」を細分化して、本当に業務推進に役に立っている作業ごとに切り分けるということが必要ではないかと思うのです。

それが、本当の働き方の改革です。

そして、一律出社して昼食挟んで8時間労働、そして(必要に応じて)残業、というステレオタイプな労働時間を細かく分析して分割することが絶対必要だと思います。

困難は分割せよ(公立中学国語の教科書に載っているルロイ修道士の言葉から)、という箴言のとおり、8時間+残業時間をどういった有意義な業務に充てて行くか、労働者個人個人に割り付けて行くことが、当の労働者自身と会社側に求められます。

会社側も、その人を雇うことで、具体的にどのような成果を求めるかを適宜頻繁に方向修正しながら伝えなければなりません。

労働者側も、自分自身が社業に貢献するためには、単に会社に「いる」だけではなく、具体的に、プラクティカルにどのような動きをするのかの行動計画を立てて随時会社に認めてもらうように主体的に動かなければなりません。

案件をかかえて、そして腐らせて大問題というのが最もやってはいけないことです。




まとめます




今回ここで話したいのは、女性の問題ではなく男性も含む労働者全体と経営者全体の問題でありまして、男女労働者経営者問わず、とにかく働き方そのものの問題であるということです。

黒船で日本が急速に目覚めて30数年後には当時世界最強の陸軍国と戦争して勝つ、というように、日本は危機的な状況を前にするといきなりまとまり世界も驚く成果をあげるという民族特性があるようです。

ですので筆者は希望を持っておりまして、今まさに日本も本当に変わってきているのではないかとも思っているのです。

そんな未来への期待を込めて、働き方に関する筆者の考えを終わります。

こちらからは以上です。

(平成30年3月4日 日曜日)

2018年3月3日

祝!本ブログ記事の全面https化を行いサイトの安全性を高めることができました





おはようございます。

2018年3月のインターネットサイトの安全性に関する記事です。

ようやくですが、本ブログについても記事の全面https化(SSL化)を行いサイトの安全性を高めることができました。

ですが、そもそもhttpsとは何でしょうか。

HTTPSは、Hypertext Transfer Protocol Secureの頭文字を取ったもので、HTTP通信を、より安全に(セキュアに)行うためのシステム上の仕組みです。

そして、その仕組みのポイントは暗号化で、通信しているそのプロトコルを第三者が横から盗聴したり、そもそも第三者自体が正当な相手に「なりすまし」を行って大事な情報や取引が抜き取られたり、クレジットカードの情報や資金決済情報が他人に向かい盗難されるといった予期せぬ被害を防ぐことができるのです。

Webサーバとブラウザ間の通信を暗号化してセキュリティを高めた規格がHTTPSであるということです。

これまでは、例えば資金決済や物品サービスの購入等の情報入力ページのみ、HTTPSにしているという対応でしたが、かのインターネットの巨人であるグーグル(先生)も全面セキュアのHTTPSを強力に推奨しています。

具体的には、HTTPSでのページを、同社の検索結果の上位に表示するなどの優遇措置を行うと言っておりまして、またグーグル社が提供するブラウザのchromeでは、今後HTTPSに対応していないページに対して、「安全ではありません」旨の表示を常に付すといった措置を取ると発表しているのです。

具体的にグーグル社の公式発表を以下引用しますと、

セキュリティは Google の最優先事項です。

Google は、デフォルトで強力なHTTPS 暗号化を導入するなど、業界でも最先端のセキュリティを Google サービスに導入することに力を注いでいます。

…(中略)…

ユーザーがもっと安全にサイトを閲覧できるよう、すべてのサイト所有者の皆様に HTTP から HTTPS への切り替えをおすすめします。

とのことです。

そして、隗より始めよのたとえ通り、グーグル社が提供する検索サイトやサービスページは、全てHTTPS化が完了しています。

遅ればせながら、本ブログサイトも、試行錯誤の結果ですがHTTPS化いたしましたので、ここに謹んでご報告と致します。

記事閲覧の安全性は強化されましたが、記事の内容は安全でないブログの筆者からは以上です。

(平成30年3月3日 土曜日)

2018年3月2日

卒業式や年度変わりのシーズンになってまた一つ歳を取ったなと感じる話をします







おはようございます。

2018年3月の卒業に関する配信記事です。

外に営業に出ますと、筆者の働く大型商業施設に併設するシティホテルで専門学校や大学、短大の卒業式が行われているらしく、羽織袴姿の女子学生が楽しそうに歩いておりました。

最近の若いもんは、などというのはおこがましいほど、最近の若い人というのは人生を考えているもので、例えば

・学生生活はすごく楽しかったです

・でもこれからの人生で学生の頃が一番楽しかったと思うような生き方はしたくないです

・リスクをとって、常にその時を一生懸命に楽しく生きていきたいです

というくらいのことを語るくらい大人なわけです。

とりあえずこれから行く営業先から仕事取れたらなんとか今期も格好つくな、社長に怒られなくて済みそうだ、程度しか考えていない当職などに比べれば、

どっちが大人かわかりません。

また、企業の方も年度変わりや周年行事で面白いことをやっています。

例えば、100周年とか50周年とかいう節目を迎えたある会社では、初心を忘れないように、小学校とかでよくやるタイムカプセルを用意して、そこに2018年3月の今の資料やら未来の(20年程度先の)自分へのメッセージを入れて会社の敷地に埋めるという行事をしたようです。

そして、タイムカプセル専用製造販売会社というのもあるそうで、中のものの湿気等による痛みを最小限に抑える専用カプセルが隠れて人気だそうです。

これまでの100年、これからの100年、いろいろな人が「節目」を持ってこの3月を過ごしているようです。

竹も「節目」があるから強くしなやかに育つといいます。

遅ればせながら、筆者も人生の「節目」にふさわしい動きをしたいと思います。

とりあえず、目先のことですがブログを読んでいただきたいと本当は思っております筆者からは以上です。

(平成30年3月2日 金曜日)

2018年3月1日

世界の音楽界の巨人のスポティファイがついにニューヨーク証券取引所に上場するという話






おはようございます。

2018年3月の音楽配信サービスに関する配信記事です。

音楽ストリーミング配信サービス業界というのが急速に拡大しています。

その世界の最大手はどこかご存知でしょうか。

アップルのアップルミュージックは全世界の有料会員数3,600万人(そのうちの一人が筆者ですが)、アマゾンのアマゾン・ミュージック・アンリミテッドは1,600万人、そしてパンドラ・メディアの提供するサービスの会員数は548万人という公表数字がある中、ニューヨーク証券取引所に提出したスポティファイの上場申請書類によりますと、有料会員数は7,100万人と群を抜いているのです。

今回の、スポティファイの上場は、この上場において新株を発行するというような公募増資を伴わないダイレクト・リスティングと呼ばれる直接上場の方式をとります。

つまり、会社には何の資本の払込もなく(必要もないため)、また会社の認知度を上げるという必要も限りなく薄く(すでに1億人に迫る勢いで有料会員数が増えつづけているため)、この上場の意味するところは、たった一つ、通常の手順は全部すっ飛ばして、株式市場へいきなり上場することにより、同社の社員やすでに株式を保有している人たちが市場でSpotify(スポティファイ)の株式を自由に売買できるようにする、つまり流動性を与える、株式の購入の機会を与える、というものなのです。

申請書類に基づく大手メディアの試算では、企業価値(時価総額)は約190億ドル(約2兆円)となります。




それでも赤字のスポティファイ




それでも、スポティファイは相変わらずの赤字なのです。

スポティファイの2017年売上高は40億9000万ユーロ(49億9000万ドル)で、前年の29億5000万ユーロから増加したものの、2017年の営業赤字は3億7800万ユーロと、前年同期の3億4900万ユーロからさらに拡大しているのです。

それでもスポティファイは上場して、その株式には値段がつくのです。

これが2018年の資本市場の評価です。

赤字だけれども成長性が半端なく可能性を感じられる企業であれば、小さくまとまって利益を上げるより、大きく成長して将来の市場を制覇してもらいたい、そのような夢が詰まった上場になることでしょう。

何でもアップルやアマゾン、ではつまらないという判官贔屓もあるのかもしれません。

スポティファイの音楽配信サービスは月額9.99ドルの定額制と広告収入で運営される無料制があります。

つまり音楽を聞く前に広告を聞いたりすることで、無料で配信を受けられるというわけで、この点は普通の公共のラジオ放送と一緒です。

スポティファイは、「広告に基づくサービスの提供によって、従来型地上波ラジオ放送からシェアを獲得し、ユーザー数を増やす見込みは大いにある」と表明しています。

そして、この種のサービスは、まだアップルやアマゾンは本格的に参入していません。

NYSE(ニューヨーク証券取引所)には普通株式を上場し、そのティッカー・シンボルは「SPOT」となります。

日本の東京市場では4桁の証券番号が付されますが、NYSEでは、短縮された英単語で示され、それをティッカー・シンボルと呼びます。

いずれにせよ、世界のコンテンツを制覇する戦いはまだまだ続くということだけは間違いないようです。

ブログの認知度を上げるという必要性が限りなく高い筆者からは以上です。

(平成30年3月1日 木曜日)