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2018年3月15日

日本において「数字」を名称に冠した銀行がいくつか続いて残っているという話について(渋沢栄一)




おはようございます。

2018年3月のビルメン王提供の日本の銀行に関するブログ配信記事です。

最近、三菱東京UFJ銀行が三菱UFJ銀行に名称を変更するという話がありました。

東京銀行といえば、Bank of Tokyoという通り名で世界にその名を知られた名門銀行であり、かつては外為専門銀行として、いわゆる外貨を独占的に扱っていたというわけですが、1996年に当時の三菱銀行と合併して東京三菱銀行となり、そしてそこから20年あまりをかけて、ゆっくりと東京の名は消えようとしているわけです。

当時の東京銀行をぎりぎり知る身としましては、非常に寂寥感がつのるお話です。

さて、日本の銀行には、そのほかにも、第四、七十七、百五といった漢数字がついた銀行がいくつかありますが、この銀行たちはどのような経緯でかような漢数字の名前を持つようになったかご存知でしょうか。

これは、中学の歴史の教科書にも載っていますが、時代が江戸幕府から明治の新政府に移ったところ、日本政府は西洋列強に対抗すべく急激に世界の奇跡とも呼べる近代化を一気に図りますが、その中で、いわゆる通貨を整備することにも着手します。

これまで、慶長小判とか言われていた通貨を、単位「円」として、「両」単位からの脱却をはかったのです。

ただ、幕藩時代の各藩発行の藩札やら、これまでの小判や銀といった通貨が入り乱れている状態であり、この状況打開のため、明治5年(1872年)に、政府は「国立銀行条例」という法律を制定して、通貨の統一に乗り出したのです。

しかし、そこは当時の明治政府、当面自前で通貨を発行できる予算がなかったため、なんと民間が設立した銀行に、銀行券を発行させて、そしてこれまでの紙幣をこの新しい銀行券と交換させ回収したのです。

国立、といっても国は名前を貸しただけ、つまり今でいう「ネーミングライツ」のような、「PFI」というべき仕組みです。

まず、これに沿って民間が設立した「国立銀行」は4つあります。

東京に設立された国立第一銀行はその後、第一勧業銀行を経て現在はみずほ銀行です。

横浜に設立された第二国立銀行は、現在は名称を変え横浜銀行となっています。

第三国立銀行は大阪に作られるはずでしたが、設立時のトラブルで営業開始前に解散した経緯がありまして今も存在しませんが、「国立」ではない純粋民間の第三銀行というのが三重県松阪市にあり、三重県の三を取って第三銀行として営業していますのでややこしいところです。

新潟にある第四銀行は、今もその名前のまま存続しています。

その後、解散した国立第三銀行の後釜として、第五国立銀行が大阪で設立され、これは現在の三井住友銀行に引き継がれています(三井の方が本流になります)。

さて、その後も銀行条例の柔軟な改正もあり、次々に同様の国立銀行が設立された結果、なんと153番目の国立銀行までが設立されたのです。

そして、これらの「国立」銀行が発行する銀行券は、すべて同じデザインで、発行する各銀行の名称だけが違う(つまり番号が違う)ということになったというわけです。

しかしながら、そんな民間由来の公的紙幣発行という予算が少ない中での合わせ技がいつまでも続くわけもなく、やがて明治15年(1882)年に至って、ついに日本の中央銀行として銀行の銀行というべき日本銀行が設立され、日本銀行券(要するに今の紙幣)が発行され、これらの国立銀行券は日本銀行券と交換されていき姿を消していき、そしてこれらの国立銀行も通貨発行の役目を終えて普通銀行として転換して、一般の民間銀行として営業を継続したというわけです。

そんなわけで、明治以来の大事な名前のまま2018年3月現在も営業を続けているのは、第四(新潟)、十六(岐阜)、十八(長崎)、七十七(仙台)、百五(三重県津市)、百十四(香川)の6つとなります。

また、八十二銀行(長野県長野市)は、第十九銀行と六十三銀行が合併してできました。

「19+63=82」というわけです。

冗談のようですが、数字に対するこだわりを垣間見ることができます。

そして、第三銀行については、漢数字ではなく三重県松阪市の三ということですので、厳密にはここから外します。

同じ三重県津市には百五銀行がありますので、さらにややこしいですが、三重県に縁のある方はここのところよく復習しておいてください(テストに出ます)。

三重県に出張で訪れた際に、最高級の松坂牛を一度だけ食べたことがあり、その味がわすれられない筆者(赤福も美味しい)からの感想は以上です。

(平成30年3月15日 木曜日)

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