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2018年3月6日

満足感や達成感は努力のプロセスそのものにあり結果にあるのではないという話





おはようございます。

2018年3月の納得感に関する配信記事です。

満足感や達成感、納得感は、努力のプロセスそのものにあるのであって、決して結果にあるのではないという話をします。

充足感は努力そのものの中にあるということは、かのインドという多民族多階級の複雑社会であるインドの光となった偉大な政治家マハトマ・ガンジーも言った言葉です。

ちなみに、マハトマとは、サンスクリット語(南アジアおよび東南アジアにおいて用いられた古代語であるが、文学、哲学、学術、宗教などの分野で広く用いられ、ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語でもあり、現在もその権威は大きく、現代インド公用語22のうちの一つでもある)で、「偉大」を意味する「マハー」と「魂」を意味する「アートマン」を合わせた、「偉大な魂」を意味する尊称です。

最初から、マハトマ・ガンジーさんという人がいたわけではありません。

ガンジーさん(こちらは本名)が、インド独立の運動を粘り強く行ったプロセスに感嘆したインドの人々が、彼にこの尊称を贈ったわけです。

努力することが成功することそのものであるということでしょう。

結果を求めるための目標を設定することは大変重要です。

しかし、一旦定めた目標に向かって具体的なアクションを行わなければ、目標はただの絵に描いた餅となってそのままです。

ただ、その目標に向かって行った具体的な努力や過程や実践は、目標それ自体が達成に至らなくても、その人の血となり肉となり経験となり、その後の人生において非常に重要な指針やよりどころとなるのです。

そうしたよりどころのようなものを言い換えて、達成感とか納得感とか満足感と呼ぶのかもしれません。

究極的には、達成されない目標であっても、そこに向かって努力した軌跡は残る。

ただし、努力を始めるには目標(望ましい結果)を定めなければならない。

こういったところでしょうか。

結果が結果として成就するか成就しないかはさほど重要ではないが、結果(目標)を定めてそこに向かった具体的なアクションを始めることは超重要、と言い換えることもできます。

プロスポーツ(アマチュアスポーツであるオリンピックもここでは含む)やビジネスといった世界では、よく結果が全てといった言われ方がなされます。

しかしながら、この結果に向かった個々のアスリートやビジネスパーソンの努力のプロセスは、それぞれの人生にかけがえのない糧となってその人たちとその人たちの周りの人生を豊かにするのでしょう。

正しいプロセスを積み重ねるということが大切です。

たとえ、競技で金メダルに輝いたとしても、ドーピングというプロセスを経ていた場合は剥奪されるように、そのプロセスは誰もが納得できる公明正大であることが求められます。

試験ならばカンニングはしない。

競技ならドーピングはしない。

結果にこだわる姿勢は、「より目標をクリアにイメージして、これから踏み出す具体的な努力の一歩を明確にするため」に使いたいものです。

日本銀行、日本開発銀行、日本郵船、東京三菱銀行(当時)、三和銀行(当時)…。

かつて、当職が就職面接に落ちた会社たちです。

どう社会人として働くのか、何を目指すのかといったことを考えるためにも、こうした機会は大変重要でありました。

これが、結果それ自体がそんなに重要ではないという筆者なりの根拠です。

ここまで書いてもなお、楽してお金を稼ぐ結果が欲しいと思ってしまう煩悩な筆者からは以上です。

(平成30年3月6日 火曜日)