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2018年3月11日

たった数十年前の映画が今上映できないレベルになるまで世間が進んだことを感じる話





おはようございます。

2018年3月の昔の映画に関する配信記事です。

映画「スタンド・バイ・ミー」を久しぶりに観ました。

ドラえもんのやつではありません。

本家本元の方です。

観るといっても、映画館や家のテレビでDVDというわけではなく、今やすっかりお馴染みとなったアマゾンの動画配信サービスの、プライム会員無料版に挙がってきたので、ちょっと拝見してみたというわけです。

そして、カーナビの映画機能よろしく、ギガ通信で少々通信容量を使っても問題ない契約にしてしまっていることを良いことに、車で遠出して買い出しに行く途中、手元のスマホにこの映画を流しながら、一部英会話のお勉強と称して視聴したわけです。

この映画を観ながらつくづく思ったのは、日本は、いや世界の意識はかなり前に進んだということであり、以前(といっても筆者たちが子供であった頃)はこれほどまでに暴力的な表現が「許され」、かつ実際にもこのような暴力的なシーンが普通に見られていた、そのような環境の中で我々は育ってきた中で、今の子育てや地域活動や企業活動においては、相当慎重に振る舞わないと、この世界中ネットで同時中継されてしまう世の中にあっては一瞬でブラック男(野郎)のレッテルを貼られて社会的に抹殺されてされてしまうだろうな、というような感覚でした。

何しろこの映画、始まるしょっぱなから10歳近辺の少年4人組が隠れ家の木の上の小屋に篭って、というかたむろして、親からくすねてきた煙草をふかしながらポーカーに興じている、というシーンから始まるのです。

そして、列車にはねられた子供の死体を見に行こうという提案で、なぜか数十キロ離れた湖畔までキャンプと称して歩いて4人の男の子が行くというのですが、この4人組の兄貴分でより不良度の高い連中も、同じく車で死体の子供を見に行き最初の発見者になろうとするわけです。

この兄貴連中の不良度はさらに卓越していまして、おそらく無免許の車を乗り回して、家の庭先にある郵便ポストを金属バットで走りながら叩き壊すという「ゲーム」に興じながら同じく死体のありかを目指します。

徹頭徹尾、不良少年と主人公たちの悪い素行や劣悪な家庭環境や不幸(主人公の兄はアメフトの有名な学生選手でしたが事故で亡くなる)を描いて、最後に主人公がピストルをぶっ放すために構えるまで、女性がほぼ出演しない(唯一主人公の母親だけ)という映画は終わります。

女性に対する蔑視発言もそこかしこに見られますし、この映画を今の小学生に文部省特選で見せるわけにはもういかないでしょう。

世間はそこまで成長してしまいました。

昔小学生の時にゴールデンタイムで放映していてよく見ていた藤子不二雄作「エスパー真美」の再放送が決してされることがないことにも通じる映画の評価も時代によって変わるという話でした。

筆者の世代のさらに上の世代になれば、幼少期に戦争というものが色濃く反映されますし、その上の世代になればあの超大国のアメリカとガチで戦い、その海軍軍艦や戦闘機の多くを海の藻屑として叩き込んでいるのです。

たかだか100年くらいの時の流れの中に、人間の集団意識とはこうも変わるのかと驚いたドライブでした。

結局、映画に夢中で買うべきものを買い忘れて大目玉をくらった筆者からは以上です。

(平成30年3月11日 日曜日)