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2018年4月24日

「国民の敵」などという言葉は慎んで使わないようにしたほうがよいと思う話をします







おはようございます。

2018年4月の国民世論に関する配信記事です。

東京都千代田区にある国会議事堂の近くの路上で、2018年(平成30年)4月16日の夜、一人の公務員(自衛官)が、通りかかった国会議員に対して「お前は国民の敵である」云々(うんぬん)と繰り返しののしったとされる、という事案がありました。

なお、暴言を受けたのは、野党の小西洋之参議院議員であり、自身が明らかにしており、これを受けた防衛省では、詳細を調査中という状況です。

また、国民の敵という暴言は発していないという当該対象となっている自衛官の弁明もあったと言われていますので、そのあたりの事実関係は今後の調査を待つとして、現時点では「国民の敵」という言葉がどのように使われてきたのか少し振り返ってみたいと思います。

我が国においては、歴史の授業で習う5.15事件というのがありまして、これは1932年、海軍の青年将校が文書で日本国民に向けて「国民の敵たる既成政党と財閥を殺せ!」と主張しながら総理官邸を襲撃して、時の首相である犬養毅総理大臣を殺害するという、現代では最底辺の政情不安国でもなかなか起こりえない事件がありました。

また、1930年代後半に当時の15の共和国を統べる、ソヴィエト社会主義共和国連邦の事実上の絶対独裁者の地位に就いたスターリンは、独裁者としての権限を史上最悪クラスまで高め、そして少なく見積もって数百万人、控えめに言って2,000万人もの反対派に連なる国民を「人民の敵」として殺害したり収容所に送って強制労働をさせたあげくに見殺しにしたり、それはもう悲惨な状況がありました。

この問題は、社会にじわじわひろがるこうしたヘイトな排除論理がもたらしているものと言えましょう。

自衛官の発言が事実だとすると、これは非常に危険なことでありますが、逆に、例えば基地訴訟や問題に際して、日本国民の生命と財産という大切なものを、それこそ身を呈して守ってくださっている自衛隊の隊員に対し、「人殺し」だの「殺人装置」だの「暴力組織」といった聞くに耐えない暴言を発して、これを思想信条の自由、表現の自由とうそぶく方面や界隈の皆様に対しましても、同様の問題意識で当たっていただきたいとも思いました。

できることなら、「みんながこう言っている」といった他人任せの伝聞方式ではなくて、「自分はこう思う」という堂々たる論拠で、身のある議論をしていただきたいと思っています。

みんなやったほうがいいと言うから、ブログをはじめてみました主体性のない筆者(父親は警察官であった)からの薄口コメントは以上です。

(平成30年4月24日 火曜日)

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