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2018年6月8日

個々の受講者や部員の現状のスキルに応じた個別の教育プログラムを施す必要について







おはようございます。

2018年6月の学業やスポーツ、芸能などの習熟や進化のための教育に関する配信記事です。

学業でも、いわゆる部活動のようなスポーツでも、芸能ごとであっても、文芸や絵画、音楽といった芸術分野であっても、その他プログラミングだろうが実験だろうが英会話であろうがなんでありましょうが、いわゆる教育による習熟度を上げていく仕組みとしてこれまでの人類社会でずっと行われてきたのが「スクール形式」と呼ばれる集団座学教育です。

これは、黒板(緑の場合が多いですが)に板書しながら、習熟度に長けた先生が、決まったテキストを用いてその解説を行い行間を示す授業形式を取ることが多いです。

この授業形式自体については、問題はないと思うのですが、問題は、この単一の一連の授業を受ける受講生側が、少なくても二十人程度、多いと数百人程度にも上ってしまうというところにあります。

受講生の側の「今から受けようとする」授業の現時点での理解度は、まちまちです。

それなのに、1人の講師や指導者の1つの授業というソリューションしか提示できないのは、あまりにもミスマッチであると言えるのです。

具体的には、上に示したグラフのように、教える側(教授側)において、一定のレベルで受講者側の学力習熟度は、逓増していくという風に割り切って、その進度に応じた最大公約数的な授業で進んでいくということになりがちです。

そうして、残念ながら、その教授側で勝手に設定した授業やスポーツ学習の進度についていけないスピードの生徒は、容赦無く切り捨てられてしまうことになります。

では、その授業の進度を遅くすれば問題は解決するのでしょうか(護送船団方式)。

やはり解決しません。

逆に、進度が早い生徒のモチベーションを著しく下げ、彼らの能力の伸びを頭打ちにさせてしまい、教育機会の欠如となってしまうのです。

これでは教える側も教わる側も、そして教わる側に確実に散在する進度が早い生徒も遅い生徒も不幸です。

さらに、同じ人物についても、教わる科目というのはそれこそ何百種類もあるわけですので、それ毎に、得意科目不得意科目といった偏りができてしまうというわけなのです。

これを防ぐには、各科目、できるだけ細かい進度を設定したクラス編成をするか、もしくは教えることをブロック形式にして、授業ではなくタブレットの視聴方式にして、ある課題がクリアされたら次の課題(ステージ)という風に考えざるを得ないのではないかと思っています。

すなわち、ゲーム的に段階を追って、スーパーマリオブラザーズのステージ1-1から8-4まで、順番に個々の受講者(プレイヤー)の進度と理解度習熟度に合わせて進めていくしかないのではないかと考えるようになったのです。

そして、インターネットとテクノロジーの進化によって、こうした個別切り分け授業の随時視聴ということも全く可能となった現在、教育プログラムも大きく変わることが期待されます。









すなわち、この図のように、まっすぐ切り上がった進度の早い学習者には、どんどん先に進んでもらうようにカリキュラムを自動的に高速回転することも簡単にできますし、標準的な進度の学習者にはそれに見合った学習速度で伸びてもらうことができます。

また、一旦つまづいて、または大きなブランクを感じた生徒で習熟度がその間全く上がらなかったとしても、次に態勢を整えて勉強をやり直してまたゾーンに入って急速に追いつくペースができたとするならば、一気に習熟度を急上昇させることもできるわけです。

なにごとも、習熟には、長い期間に渡っての、間を置いた反復が必要です。

ですので、あまり幅の広くない、限られたペースでの授業については、そこから外れた場合のリカバリーが大変ですが、そのあたりのつまづきも考慮に入れた、懐の広いカリキュラムの中では、なかなか脱落しないし、また進度が遅すぎてつまらなくなってしまって頭打ちになるというリスクも低くなろうかと思います。

これは、学業に限らず野球やサッカーのようなスポーツ競技でも、演劇や文芸、もしくはお笑いや芸能といった分野でも全く同じことが言えると思います。

個々の成長カーブに即した多様なカリキュラムを提示する、これがこれからの教育機関や指導者に求められるマルチな才能であるのかもしれません。

さて従来、伸びが今一つのままこの年になってしまいました大器晩成型の筆者からの意見は以上です。

(平成30年6月8日 金曜日)