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2018年6月16日

万引きは作った人たちの思いを踏みにじる重罪であると改めて思った話です







おはようございます。

2018年6月の短い配信記事です。

万引き家族という日本の映画が、カンヌ映画祭で最優秀賞(パルムドール)に輝きました。

おめでとうございます。

作品として、エンターテイメントとして多くの人の印象に残る、そのような作品だったのではないかと思います。

ちなみに、筆者はまだ見ていていないのですが、例えばキャラメル一箱、鉛筆一本ができるまでに、どのくらいの人の手が関係しているか、かかっているかを調べたのを見たことがあります。

分業による効率化、大量生産、均一した品質の製品供給とか、そういう生産ラインのお勉強です。

そして、たとえば一個の商品にどれくらいの人の手がかかって実際の売り物になるのかというと、100人は下らないということでして、それは、単に鉛筆を生産するということだけではなくて、原料の調達先から工場の仕入れ、生産、そして卸売小売網での配送、そして店頭陳列まで含めると膨大な人の手がかかっているというわけです。

そうして、最後、その小売店なり販売所なりで、鉛筆やらキャラメルやらをお客さんに渡して、そしてお代を頂戴する、そのお金でもって、この膨大な人の手から人の手へ、という長いラインが完結し、そして次の取引へ繋がっていることになるのです。

そうして、万引き(窃盗)とは、その最後の大事な大団円、締めくくり、明日へのスタートを根こそぎぶった切ってしまうという、恐ろしい犯罪行為です。

筆者が例えば、と申し上げましたこの100人の鉛筆キャラメル生産販売の関係者は、この鉛筆やらキャラメルを手にした人の喜びのために、一生懸命自分の持ち場を守って仕事をしています。

お母さんが子供にキャラメルを買ってあげる。

おこずかいで子供がキャラメルを買う。

進学祝いで、鉛筆を弟や妹にプレゼントする。

そんな場面を見たい、想像したいと思って仕事をされています。

サプライチェーンをぶったぎる以上に、そんな多くの皆さんの思いを踏みにじる行為です。

聞くところによると、万引き(窃盗)行為自体に快感を覚えて繰り返す者もいるとのこと。

人間の業の深さを感じざるを得ません。

芸術作品は芸術として見るとして、実際の生きる場面で想像力を働かせれば、このような常識に立ち戻ることになるなとぼんやり考えました。

鉛筆は、未だ2Bを愛用しておりますキャラメル好きの筆者からは以上です。

(平成30年6月16日 土曜日)