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2018年7月31日

日本の映画も日本語の字幕を付けるようにしたほうが視聴者が増えるのではないかという話です







おはようございます。

2018年7月のアニメ映画を見たことで考えたことを配信する記事です。

先日、細田守監督の「バケモノの子」というアニメ映画が、地上波で放送されましたので、録画してやっぱり何度か見ました。

もちろん、DVDでも何回かは見たことがあったのですが、今回の視聴で筆者がとてもよかったことが一つありまして、それは「日本語の字幕」がついて視聴することができたということです。

テレビ放映される場合、視聴覚障害のある方向けに、日本語の字幕を付けてもらえる場合があります。

そうして録画したものを視聴すると、少し画面がうるさくなりますが、日本の日本語のアニメであっても、日本語の字幕が表示されるというわけです。

筆者は、この日本語字幕で見ることで、新しい発見がありました。

特に、アニメーション作品を見る場合、日本語の字幕があれば、まるでマンガのようにすっと頭にストーリーが入ってきてみるのが非常に楽であることに気が付いたのです。

しかも、今回見た「バケモノの子」という作品は、主人公やメインキャラクターの心情を、これでもかというくらい台詞で繰り返し、わざわざ言及するという、ある意味全く行間を読ませるところがない作品でありまして、これも筆者個人に限ってですがいい方向に働きました。

アニメーションで、いままで通った道が塞がれているのは完全にわかるのに、わざわざ「今きた道がない!」と主人公にしゃべらせてみたり、もう徹頭徹尾、キャラクターの心情を台詞に言語化しているこのアニメ、字幕にしますともはや活動劇に漫画のセリフがついているように見えてきました。

これが、いつも読んでいる漫画と同じように頭にすっと入ってくるというのは、これは自分が漫画文化にかなり最適化されているのではないかなどと思ったりしたわけです。

もっと、映画やテレビ番組でも、日本語での字幕がついたコンテンツが配信されればいいなと思いました。

というか、そのようなチャンネルがあれば、おそらく筆者は優先的に見ると思います。

英語の字幕については、読むとどうしても疲れてしまう筆者からの日本のマンガ的な配信記事は以上です。

(平成30年7月31日 火曜日)

2018年7月30日

テクノロジーの進化は素晴らしいですが策士策に溺れることにならないように注意したいという話です







おはようございます。

2018年7月のテクノロジーの進化とそれに関する人間の反応に関する配信記事です。

筆者の職場の近く、というか同じ施設の中には、長らくマクドナルドのお店がございます(最近改装オープンしました)が、そのお店は、カウンターごとに人が並ぶ、いわゆる原始的なパラレル並びに終始しており、公平性に勝ると思われるフォーク並びを頑なに拒んでおります。

ファストフード店、という業界の草分けという存在なのに、どうしてこうなるのでしょうか。

もちろんフォーク並びをやっている他のマックのお店もあると思いますが、例えばもっと都心の繁華街のマックでは、明らかにフォーク並びは忌避されているようなのです。

他の、日本発祥のサービスであるコンビニエンスストアチェーンにおいては、セブンもローソンもファミマも、みなフォーク並びを行っていますが、この違いはどうして起こるのでしょうか。

結論を先に述べますと、都心で繁盛していてお客の来客頻度が非常に高い店、しかも店内は賃料の関係から利用する人に比べて非常に狭い店であればあるほど、実はフォーク並びが効率的ではない、というのが応用数学の世界での待ち行列理論では確立されているらしいのです。

すなわち、フォーク並びとは、時間当たりの総処理量(一人一人の効用ではない)であるスループットと呼ばれる効率性尺度を若干犠牲にしたうえで、先に並んでいる人が、後から並び始めた人が先に窓口に到達するというストレスを無くすことを徹底するというシステムであるということなのです。

時間当たりの総処理量を、総体で短縮することを素直に考えれば、フォーク並びなどという「手間」をかけずに、ひたすらパラレル並びを行えばよいのです。

複数の窓口がありますが、窓口からフォークの根元の人に向かって「こちらの窓口にお越しくださいー」と呼び掛けてきてもらうという「手間」がなく、各窓口はその最大効率で持って業務を処理します。

もちろん、処理速度の速い窓口と相対的に遅い窓口はあり、また並ぶ客の方も、注文が速い顧客と比較すれば遅いお客がいるでしょうから、その組み合わせで個々の顧客が窓口にありつける時間には差異(ボラティリティ)が生じるのは仕方のないことです。

しかし、全体の処理速度としては最も早くなるのです。

反対に、フォーク並びの場合、窓口が空いてから次の人がくるまでの時間、窓口は仕事をしていないという、待ち時間が生じてしまうのです。

これは致命的です。

例えば、注文1件あたりの処理時間がわりに短い単純作業の場合であれば、これは無視できない暇時間ということになり、例えば、窓口処理に60秒かかる業務の場合、歩いて窓口にたどり着くまでの時間平均が仮に10秒とすると、これだけで業務時間が1/6、すなわち16.7%も増えてしまうということになってしまうのです。

しかも、フォーク並びは、フォークの根元から各窓口へ個々人が向かう「スペース」を必要とします。

フォークなんだから当たり前なのですが、ここも人が並ぶことに使えてしまうパラレル並びの方が、実は店内に人が整然と並ぶことになり、非常にすっきりするという効果もあるのです。

もちろん、筆者のような、焦りのない、ぬぼーっとしていて待ち行列の横の人の方が先に行ったとしてもそれはそれで自分のこととは直接関係ないと達観している者ですら、場合によってはフォーク並びの公平性、すなわち先に並んだ人から順番に窓口に到達できる、というシステムは日本人的で好むものではあります。

しかし、全体の処理速度を上げたい、と考えた場合、フォーク並びにするためのコストや時間がどうしてもかかってしまう、ということは知っておいて良いことだろうと思います。

フォークでパスタを食べるのが苦手で、やっぱりお箸で食べてしまう日本人的な筆者からの記事は以上です。

(平成30年7月30日 月曜日)

2018年7月29日

藍色の革づくりのコインケースを使ってとても気分が良いという紹介記事です







おはようございます。

2018年7月の、革づくりのコインケースを紹介するという記事です。

革をなめして作る手作り製品で、藍色に染めたおしゃれなコインケースをいただきました。

ブログやっているといいこともあるものです。

モノライフというオンラインショップの屋号で、革製品やモノづくりをおこなっている井手剛さんという方が作られている作品です。

このコインケースは、一枚の革でできておりまして、それを折りたたむ形で極めて効率的にコインや硬貨を収納できます。










一枚の革を、正三角形になるようになめして、二方向のどこからでもすぐに開けることができるので重宝します。

これまで、筆者はお札と硬貨を、同じ100円均一の透明プラスチックのケースに入れておりまして、硬貨を取り出す時にどうしても指を突っ込んでつまみ出さなければならず、かといって通常のコインケースだと角が減ってすぐに痛んでしまっていたのですが、この形のコインケースであれば、かなり長い時間愛用できそうです。











藍色という色も珍しく、筆者は別に青い色の財布も持っているのですが、その財布との組み合わせも合っていて、なんだか気分も上々です。

平行四辺形に革を切って、ボタンをつけるというものですが、この位置どりが微妙で、まさに匠の技だと感心いたしました。

井手剛さん、ありがとうございました。

井手さんたちが運営しております「 本革レザー バッグ革製品 モノライフ通販 」というオンラインショップでは、このコインケース以外にも、肩掛けカバンやウエストバッグ、そのほかポーチなども取り揃えていますので、一度のぞいて見てください。

本記事でご紹介した「藍染のコインケース」の商品はこちらから見ることができますので、合わせてご覧ください。

オンラインの形での商品紹介はいろんなところで行われるようになってまいりましたが、実際の使用感などのレポートがあればより参考になるかと思いまして、ご紹介させていただきました。

あとはコインケースに入れるお金を用意したいところだと思います、一円玉ばかりをやたら多く持っております筆者からの紹介は以上です。

(平成30年7月29日 日曜日)

2018年7月28日

コミュニティとプロジェクトについての一考察を投稿するという話です







おはようございます。

2018年7月のコミュニティとプロジェクトについての一考察に関する配信記事です。

シェアハウスとかシェアオフィスとか、シェアサイクルとかカーシェアとか、いろいろと、シェアリングという考え方が多く出てきております。

そして、こうした取り組みでとりわけ注目、言及される概念に「コミュニティ」というものがありまして、とにかくなんでもつながるコミュニティという考え方が、最近ではもうお腹いっぱいというくらいプッシュ型で濫造されているような感じになってまいりました。

しかしながら、こうして世に提示されている「コミュニティ」という言葉の意味する具体的な出来事は、そのほとんどが、本来意味するであろう「コミュニティ」ではなくて、期限と期待成果が定められた「プロジェクト」に過ぎないのではないかと考えるのです。

プロジェクトの概念は、コミュニティに比べてより明確です。

プロジェクトには、その推進者と参画者、そして目標(ゴール)とそこに至るためのプロセス、予算といった経営資源の投下がなされることが常です。

しかしながら、コミュニティ、とはそのようなものを必要としません。

参画メンバーの心が安まるような場所であれば、それすなわちコミュニティ、ということになるのです。

まず一番小さなコミュニティ単位として、家族というものがあるでしょう。

そして、小さいものでは、行きつけの定食屋や床屋、よく行く飲み屋といった「場」もコミュニティになりうる素質ありです。

人は(少なくとも筆者は)、スーパーやディスカウントストアで買えばはるかに安いはずのウィスキーを飲む「だけ」に、行きつけのスナックに夜な夜な出て行くわけではないのです。

そこにいるであろうスタッフや他のお客さんとの他愛ない会話から世界経済に鋭く踏み込む感度の高い話やカラオケで気持ちよく歌うのを聞いてくれる人がいることまで、そういうことを期待して足が向くわけです。

そういう、一人一人が自由に振る舞える、継続してそこにある居場所のようなものを、コミュニティと呼ぶわけです。

かつての日本においては、「会社」というものが、かなりの部分コミュニティ化していました。

それは、明治維新の時代から、日本が近代国家となり大戦争を経験して経済的成長、復興を遂げて行く中で、村とか集落といった、血縁地縁で結ばれた持続的な居場所を捨てて、日本全国いや世界中を職を求めて放浪するようになった時代における、まさに擬似集落的な場所であったのです。

会社は大きな家族である、と実際に宣言して経営し成果をあげた、出光興産のような例もあります。

大家族主義を掲げて、従業員の定年もない、製油所のトラブルを従業員皆で徹夜で解決したのを見て会社が臨時ボーナスを支払おうとした時に、従業員一同がそれは本給に含まれる、そんな金が欲しくてやったわけではない、石油事業の継続のため、我々自身の誇りとプロ意識にかけておこなったものであるので余計な配慮は無用と言い放った逸話などがあるくらいです。

「村」「町」「地域」という血縁的かつ地縁的な場所を離れて、都会の東京砂漠に出て来た人々には、それを代替する「会社」という居場所が必要だったのです。

そうです。

昭和時代の会社は、とても家族的血縁的で、社会的に包摂される、いるだけで存在価値のある場所だったのです。

なにしろ、昼休みの会社の屋上で、バレーボールに興じたり、休日は全社の運動会もあったのです。

当然、時代は進み会社は株主のものであることが再認識され、合理的経済社会は、こうした擬似包摂社会の場としての「会社」を変容させました。

年功序列や終身雇用は時代遅れとなり、成果主義実力主義になり、契約や派遣という労働形態も増え、そもそも会社間の従業員の流動性も高まっていきました。

これこそ、会社組織がコミュニティからプロジェクトに移行したものであると言えるのです。

しかしながら、人間一人では生きていけません。

社会的孤立感に晒されます。

プロジェクトは、成果は出るのですが、どうしても心の満足を同時に得ることが難しい、吸い取り型の組織形態とも言えます。

実は、この平成末期の現代は、村も町も故郷も、擬似的コミュニティの会社も、そして家庭もプロジェクト化してきた、容易に孤立感に苛まれる厳しい時代になったのかもしれません。

もちろん非常に難しいことだと思いますが、人間が、心から所属して居心地良い空間や仲間を、どのようにシェアリングエコノミーが作り出して行くのか、これから注目していきたいと思っています。

いろいろ高尚なことを書いてみましたが、結局夜の飲み屋に出かけて行く理由と言い訳に過ぎないかもしれないと思う筆者からのコラムは以上です。

(平成30年7月28日 土曜日)

2018年7月27日

スマートフォンのプラットフォーマーが支配する世界に一石を投じたい話です






おはようございます。

2018年7月のスマートフォンのプラットフォーマーが支配する世界に一石を投じたいという配信記事です。

まず、2018年7月現在、この地球上の全世界にスマートフォンというものが何台あるか、大体の数字をご存知でしょうか。

日本の総務省の資料では、「2017年に入り、全世界での利用台数は40億に達していると推計されている。」との引用がありますので、現時点では軽く50億台超のスマホが世界中にばらまかれており、日々無料WifiやGPSの仕組みによってインターネットを通じてクラウド通信を行なっているということになります。

日本において、iPhoneシリーズが発売された2007年から、はや10年の月日が流れましたが、それまで、日本も大きなポジションを持っていた「ガラケー」市場は一気に塗り替えられ、もはや人類一人に一台というペースで爆発的な普及に至ったスマホ市場、自動車という人類未曾有の大発明に並んだ、いやむしろ超えたと言って良いかもしれません。

実際、いい加減おっさんの歳であるところの筆者ですら、新車を買うよりスマホを買い換えた時のサクサク感のほうが、楽しみでしょうがなかったりします。

しかし、こうしたスマホがここまで広く使われるようになった根本の原因は、これが持つ携帯電話という機能ではなく、独自のプラットフォーム、そうです、iPhone端末のAppStoreと、Android端末のGooglePlayという二大プラットフォームの存在抜きでは語れません。

このプラットフォームの恩恵を受け、世界中の開発者たちは、スマホアプリを制作すれば、たとえ個人レベルの制作物であっても一気にグローバルに、数十億端末に配信可能な神器となったのです。

ただし、うがった見方をしますれば、こうしたプラットフォームシステムは、その胴元であるアップルやグーグルが、最初にその利得を利用料として数割取っていく、というビジネスでもあり、加えて彼らプラットフォーマー自体を脅かすような仕組みのものは、どう見たって採用されない、乗っけられない、という面もあるのです。

すなわち、スマホパブリッシャーは、事実上、この2つのプラットフォーマーもしくはその一方が提供している彼らのルール上でしか、動くことができないということであり、その儲けの多くを、優先的に、これらプラットフォーマーに差し出して自らの活躍の場を与えてもらっているということにもなるわけです。

さて、それが本当のイノベーションかというと、疑問に感じる向きから、逆に特定のプラットフォームに依存しないで、どのインターネットブラウザでも問題なく動作する、分散型アプリケーションというべき仕組みが出てきています。

これは、「Dapps(ダップス)」と呼ばれ始めており、それはDecentralized Applicationsの略で分散型アプリケーションという意味になります。

中央で監視しない、ということは、胴元のプラットフォーマーが存在しない、みんなで「承認」しあって管理するというブロックチェーンの仕組みでゲームでも仮想通貨(ポイント)でも運営しようという試みです。

しかしながら、「中央制御」が存在しないということは、かなり処理速度が遅くなってしまうことも意味します。

だって、専属の管理人がいないマンションで、日繰りで住居人同士で順番に管理人をやる、といったことに等しいからです。

しかしながら、中央の胴元の専門性をあえて排除することで、一気に知的財産のオープンソース化が進み、爆発的な進化を遂げる可能性も多いにあるわけです。

今後、世界がどのように進むのか楽しみで仕方がありません。

ブロックチェーンといいますと、仮想通貨くらいしか知りませんが、今年の1月(2018年1月)に起こった、コインチェックの仮想通貨XEMのハッカー盗難事件の被害者26万人のうちの一人であったことは公然の秘密であります筆者からの簡単コメントは以上です。

(平成30年7月27日 金曜日)

2018年7月26日

オンラインガジェットとオフライン文具の融合による業務最適化について






おはようございます。

2018年7月のPCスマホタブレットとオフラインの文具の融合による業務最適化に関する配信記事です。

今まで、仕事やプライベートのちょっとしたことを書き留めておくのに、ノートを使ったりノートパソコンのテキストエディタを使ったり、はたまたスマホのエバーノートのアプリを使ったり、果てはポストイットをポケットに入れていてそれに背広の裏側に仕込んでいるボールペンで書き留めて、それをファイルケースの裏側に貼り付けるといったことをいろいろ試してきました。

しかしながら、メモをとる場面というのは千差万別であり、どうしても一つの方法に絞ることはできない、という結論に至りました。

オンラインだけでもだめだし、オフラインだけでもだめなのです。

オフラインのノートだと、ノートとボールペンを取り出すのに手間がかかりますし、スマホのフリック入力だとどうしても図や表といったハンドメイドの概念を書き込むことができない(できるとしても操作が面倒)のです。

そういうわけで、一つのツールに書き溜めるということは諦めたわけですが、それでも、とりあえずこれさえ持っておけば良い、ということで、今この記事を叩き込んでいるMacbookのケースとして使っている10年近く前のAcer買った時についてきた付属のソフトパソコンケースがいい加減壊れてきたので、これを奇貨として新しいPCケースを購入することにしました。

そして、そのソフトケースは、これまでのケースとは違って、いくつかポケットがついているので、そのポケットの中に、ボールペンとメモ用紙、それからスマホを一緒に放り込んでおくことにしたいと思います。

加えて、メインのPCを入れる部分に、重ねて普通のノートも入れてしまおうと思います。

こうすれば、バッグからこのPCケースさえ取り出せば、とりあえず何らかのメモは何らかのデバイスや文具で取ることができ、もはや書き留めなければ聞いたそばから忘れてしまう筆者のようなものには非常に有力なツールとなるはずです。

というわけで、リアルなノートについても、これまではA4版の大きめのものを使っていたのですが、学校などで使うB5版に変えて、PCソフトケースに入るようにしようと思います。

筆者は基本何でも屋ですが、職種としては営業職にあたり、外出していろいろと現場の情報を取ってきて社内で議論することが求められています。

外に出て取ってくる情報をどのように瞬時に整理するか、メモの取り方一つで結構変わるものですので今後楽しみです。

以上、オンラインガジェットとオフライン文具の融合による業務効率化に関する記事でした。

こちらからは以上です。

(平成30年7月26日 木曜日)

2018年7月25日

チャットアプリツールは究極のオンライン井戸端会議の場になると思うという話です






おはようございます。

2018年7月のチャットアプリツールに関する配信記事です。

チャットアプリツールとは、米国のSlackや日本のチャットワークやTocaroといったサービス名でおなじみの人も多くなってきた、チャット形式で社内やグループの関係者間で、いわば井戸端会議がオンライン上できてしまうという会話掲示板のようなサービスです。

もちろん、LINEやフェイスブックのメッセージ機能においても、このようなオンライン上の「会話」はできるのですが、こうしたチャットアプリの専用ツールにおいては、会話だけではなく電子ファイルデータの共有や保存、別途Todoの掲示板と連動したり、タスク管理ツールが付いているというところが新しく、すでに世界中で数百万社数億人単位でこうしたツールを用いて日々イノベーティブな話し合いからその辺の雑談まで、さまざまな人間間の情報交換がされているというのが現代のテクノロジー全開の世の中の姿ということになります。

この、巨大なリアル会話掲示板(ボード)を維持していくのにかかるITシステム関連コストは、極めて膨大になります。

リアルタイムで放り込まれる会話やファイルといった情報を、必要な人間(端末)には解放してリアルタイムで表示させ、そして会話ごと会員ごとに開かれている掲示板ごとに表示させ続けなければなりません。

全て、リアルタイムで行うのです。

ブロックチェーンのように、たとえば10分に一回整合性が取れればよい、というわけにはいきません。

会話はリアルに行われるものですから、タイムラグがあってはいけないのです。

それでは、手紙、電子メールと変わりません。

彼らは、オンラインを使って隔地間を超えて、雑談をしたいのですから。

そして、間をおいても、前回終わった雑談の終わりから、すぐ会話を再開したいのです。

いちいち、拝啓貴社ますますご清祥のこととお慶び申し上げたくはないのです。

そうした、会話の前後に余計な時候の挨拶を抜きにした、本質を捉えた雑談を行い、物事を素早く決定し実行するためのツールとして、リアルな会話による議論に加え、こうしたオンラインでの議論ツールを手に入れた、世界中の75億人の人類集団ができることは、かなり大きなものになりそうです。

こうした巨大なシステムプラットフォームを支えるのが、我々大衆の潜在的ニーズがここまで育ててきたともいうべき、マイクロソフトやグーグル、アマゾンといったプラットフォーマーたちでありましょう。

Microsoftは、2018年7月現在時点でこの業界でトップシェアを誇るチャットアプリツール「Slack」に本格対抗するため、同社のサービスである「Teams」を無料で提供することを開始しました。

利用する個人ごとに、「マイクロソフトアカウント」というのを取得しなければならないという不都合はありますが、無料というのは振り切った決定です。

こんなのができるのはグーグルだけだと思っていましたが、さすがインド人IT社長を擁するマイクロソフト、フリー戦略によってより大きなマーケットに育ててその盟主になろうとしているのでしょう。

これまで有料の「Office 365」で提供してきたコラボレーションツール「Microsoft Teams」の無料プランは、日本語を含む40カ国語で利用可能というから驚きです。

早速、筆者の手近なグループで、Teamsアプリを導入してオンライン雑談を開始してみました。

無料版でもメッセージ数と検索に制限はなく、ゲストによるアクセスも可能となっています。

そして、一つのチャットアカウントに対して、最大300人までが参加できます。

有料版にあって、無料版で使えない機能もたくさんありますが、かなりのITギークでなければ特に困らない仕様だとライトユーザーの筆者は判断しました。

目下のところの業界のナンバーワンである、Slackも無料版がありますが、こちらは検索可能なメッセージは1万件までで、ファイル用ストレージもteamsより少ない容量となっておりまして、マイクロソフトのteamsには全体的に及ばない仕様です。

IT時代の草創期、アップルと共に市場を切り開いてきた老舗のMicrosoftが満を侍して放つこの究極の策に、ウィンドウズ95からパソコンというものを触ってきた中高年PCユーザーが、一気になびいていくような気がしてなりません。

もちろん、初めて自分で購入したPCに、Windows95を入れて悦入りしていたかつての筆者からは以上です。

(平成30年7月25日 水曜日)

2018年7月24日

いい言葉を贈りましょう「花が咲かないなら根っこを伸ばせ」








おはようございます。

2018年7月の人間の生き方に関する配信記事です。

人間、肉体的な成長というのはどう考えても20代で一旦完成します。

もっと早くピークを迎える部分もあります。

そう、体操とか水泳とかフィギュアスケートとか、それも女子競技に関してはかなり早い段階で「才能」による「ピーク」がきてしまう、残酷な競技です。

しかしながら、最近世界のプロスポーツ界においては、例えば肉体的負荷が極めて強いサッカーといった競技においても、40歳を迎えて現役続行、というより日々進化を続けるという選手も増えてきました。

人間、肉体的な衰えより、精神的なモチベーションの方がはるかに大事です。

成果が出ない、認められない時は我慢の時、根っこを伸ばして強くなれ、と念じてプロサッカー選手を続けている中村俊輔、中村憲剛の両選手のような選手がお手本としています。

このような選手に共通しているのは、サッカーならサッカー、野球なら野球というスポーツを純粋に楽しみ、そして日々向上しようとする向上心に溢れているところです。

もちろん、体力的にきつくなってきている、有り体にいえば衰えているところはあります。

しかし、練習メニューでも、一旦軽めの負荷で全体練習を終えても、追加の負荷は課外的に自らに課して、エアロバイクでもランニングでも、できなければウォーキングに切り替えてでもきっちりとこなす、そうした老獪さと時間の使い方を彼らベテランは持ち合わせています。

トップリーグの監督や、時には日本代表の監督ですら、こうした彼らの姿勢に感銘し、彼らを合宿に呼んだり、また実際の本番に出場させて、違いを出そうとします。

サッカーが、走るのが基本であるという競技である以上、どのようなトップ選手でもコンディション維持を行うことが本当に大切です。

いくら世界的名手であっても、十分な準備が整わないと、たとえ日本のJリーグの2部であっても、その力を発揮するのは難しい、そのような時代になってきているのです。

ここで過去幾度か紹介した、野球のイチロー選手や上原選手も、練習前のストレッチやウォーミングアップ、練習後のクールダウン、そして体のケアや睡眠、そして食事にも時間をこだわりを費やして日々、いや一時間一時間を濃く生きています。

他のプロのサッカーの試合を見るのも、その視点を複層的に養うためです。

睡眠、食事、準備に考え方、戦術戦略、他のチームメイトとの関係の作り方からなんでも、一つひとつの選択、動きに、深い洞察に基づいた理由があるというわけです。

こうして、40歳を超えて年齢や身体的な衰えを受け入れつつも、それ以上に「成長」の種を探そうとしているという、一切の妥協を排した姿勢に、他は感銘を受けるのです。

これこそ、

「花が咲かないときは、根を伸ばせ」

という言葉そのままの態度ではないでしょうか。

どうしても伸びられない時期があります。

その時は、目に見えなくても良い、根っこを必死に伸ばすのです。

毎日人は歳を取って行きます。

そこに耐えて、そして不都合や不具合も納得して、ある程度折り合って、そして根っこを伸ばす。

そうすれば、いつかたとえ小さくても花が咲きます。

そして、こうしたことは、別にプロスポーツ選手に限ったことではないのではないと思うのです。

1年1年が勝負、いや、1日1日が自らの勝負です。

根っこのようにどっしりと、構えてはいるのですがなかなか動き出せない筆者からは以上です。

(平成30年7月24日 火曜日)

2018年7月23日

承認欲求についてつらつら考えてみたことを書いておきますという記事です








おはようございます。

2018年7月の承認要求に関する配信記事です。

ちょっとした(オンライン)ゼミのワークショップにおいて、承認欲求についての話題になりましたので、筆者も少し考えてみました。

承認要求とは、人に認められたいと願う人の欲求のことです。

この、誰かに認められたいという社会的欲求は、誰しもあるものであり、それは適度な緊張感を呼び起こし、自らの行動の源になるものだとも思っていたのですが、最近そうでもないなと思い始めました。

自分も、他人の評価を得たいと思って努力しチャレンジするという前向きなイメージを持っていたのですが、ひょんなことから、その他人から認められたいと思う自分自身のほうが、きちんと他人の個々人をそういった観点から「評価」「評定」しているかといえば、全くそんなことはなくて貧相な自己イメージで相手を勝手に批評している程度にすぎないではないかと思ってしまったわけです。

自分自身の面倒をろくに見ることすらできないのに、他人を偉そうに評価することができますでしょうか、という感じです。

そういうわけで、今に至っては、(ごく限定された仕事とか芸術の特定分野とかいう場面であっても)他人に承認ばかりを求めることは危険であるという感じるようになりました。

これは、筆者の大学からの友人のことも大きく影響しています。

大学の法学部同期から転部して文学部に転じ、そして修士博士と進んでいったところ、ずっと指導を仰いでいた担当教官の転勤(自大学から他の大学への転籍)などがあり、自らとは説を異にするところの次席担当教官が所属研究室において繰り上がり教授となり指導教官となった挙句、ろくな指導を受けることもなく、そのまま当該大学院生は、それでも研究成果をまとめて博士論文の草稿として事前提出しましたが、その担当教官は当該大学院生と十分に議論せず受け取りを拒否した、という博士論文不受理の最中、事態は当該大学院生の突然の自殺で闇の中という「事案」「事件」を経験している身としましては、他者の評価などどうでもよい、自分が生きてこそ、という思いを強くする出来事でございました。

もちろん、ここに書いたことは筆者の単なる「推測」「推理」に過ぎませんのですが、当該大学院生、であった筆者の大切な友人はもはや絶対に生き返らないという厳然とした「事実」だけは残っており、そしてもはや真実がなんであったのかを調査し明るみにする機会は永久に失われたのであります。

だけど筆者は自分が死ぬまでこのことを覚えて、そして考えるでしょう。

他人から良い評価をしてもらえるように先回りして行動するということは危険です。

それは、行動の価値判断が自分軸から他人軸に振りかわることを意味し、それはそのまま自分の人生を生きていないということになるのです。

ああ、我が友よ!

君は日本のクソ大学の大学院博士課程なんかすっ飛ばして、そのまま世界に雄飛すればよかったのです!

そして、くだらないアカデミック・ハラスメントなんかどうでもいい、気にするな、君の研究は素晴らしい大丈夫だ世界が認めていると、我々友人はもっと強く、強烈に彼に伝えてあげるべきだったのです!!

現地のタイ国の警察制度という研究対象に対し、原文のタイ語で書いた論文など読めない、せめて英語か日本語にしろと迫ったとか言ったのならば、それが学術的「指導」の名に値するのかどうか、こちらは学部卒に過ぎない浅学ですが、そのような「(指導)教官」と言われる方々とは、一度とっくりと話し合ってみたいと思っております。

さて、他人に人生を握られるのではなく、自分の人生を生きる方法は、やはりここでいう承認、に説明を加えて「自分自身」を入れることではないかと思います。

自分のやっていることを認める、自分の心象を認める、自分の存在価値を自分だけは認めるということです。

そうすりゃ、少々の他人の批判や無関心など、大したことはなくなります。

自分の意思決定の過程において、他者との関わり合いはとても大切だと思います。

しかしながら、自律し個が確立してからの語り合いでなければ、単なる他者への忖度人生に堕する危険もあるのではないかと思いました。

同じように、何かの成果を比べるにしても、他者基準や他者評価より、自分基準や過去の自分との比較をしたほうが有益で軽やかだと思います。

成人式を2回も超えてまいりますと、他人は他人でコントロールできない、変えられるのは自分のみ、という傾向を強くなっておりまして、その方が他人の自由や権利を尊重する、ということにもつながると最近とみにそう思うのです。

変えられるのは自分だけ、そうすれば世界が変わる、とは誰かの名言でした。

意外に真実はシンプルにできているのかもしれません。

いろいろと書きましたが、飲み会と夜のラーメン好きはどうしても変えられない筆者からは以上です。

(平成30年7月23日 月曜日)

2018年7月22日

何事も始めるより終わらせる方が大変で体力を使うという一般的な話をいたします






おはようございます。

2018年7月の何事も始めるより終わらせる方が体力を使うという配信記事をいたします。

進学とか就職とか結婚とか、家の購入とか、人生においては非常にその後を左右する大きな決断をすることに迫られることがあります。

そうした時に、「そうしない」という決断をすることは割と容易なのですが、一旦、そうした決断をした後、しばらくやってみてやっぱりこれってちょっと合わないよな…、と思ったところで「辞めること」については非常なエネルギーが必要になってまいります。

例えば、退職です。

会社辞めるだけなのですが、これは結構大変です。

筆者が最初に辞めたのは、2003年6月当時のみずほコーポレート銀行(2018年7月現在のみずほ銀行)という名前の銀行業をやっている会社でしたが、正直退職が組織的に決まるまでにかなりの自分の内心の葛藤があったのは事実です。

そして、直属の上司の課長代理に退職の意思を伝えて、課長、次長、部長、そして人事にも同じことを伝え、同じこと、といっても「退職します」の一言ではなんとなくダメで、どうしてそのような決断に至ったのかをそれぞれが聞きたがり、どこへ行くのか転職するのか、ということを面談する上司以外の周りの同僚先輩後輩にも非公式に聞かれ、個別に飲みに行き、内々に後任者が決まり業務の引き継ぎをして、そして退職日には終礼時に一緒にやっていたみなさんに対して惜別の挨拶をするという、そのようにかなりのエネルギーが必要でした。

別に距離的物理的業界的にごく近くの会社に転職するだけで、地球の反対側や宇宙の果てに出向くわけではないのにです。

そして、残った有給を1日も消化せずに、次の職場に翌日出社して行く、というような状況だったのです。

本来ならば、職場が変わるという人生の割と節目であることから、有給も消化したいし新しい会社での出社日から逆算して心身整える準備期間なり少しは欲しかったのですが、当時は平成15年とまだまだ時代は昭和の労働慣習が色濃く残っておりまして、そんなことは叶いませんでした。

辞められただけで、ラッキーといえる、そんな時代だったのです。

正直、辞めるだけなのでもっと簡単にできるはずです。

しかしながら、特に昭和生まれの筆者世代(2回目の成人式を迎えている程度以上)については、なんだか会社は辞められないという妙な勘違いをしている人が意外と多く、そこまで思い込んでいなくても、忙しいので辞められない、とか辞めるのは裏切りかといった罪悪感が先に来て、どうも重苦しい感じがするのです。

では、退職を決めたらあとは弁護士に任せて、そして会社との交渉を全て弁護士を通じて行う、という方法もありますが、費用面等を考えるとそこまでやることは気乗りしない、ということになってしまうし、いきなり弁護士を立てて「交渉」するなどそれこそ会社に与えるインパクトが大きすぎる、こちらは淡々と退職して次に行きたいだけなのに…、という退職潜在ニーズに対して、最近では「退職代行サービス」なる、交渉を全くしなくて単に会社の窓口になってもらうというサービスが始まり注目されています。

初回の退職については基本料金5万円(正社員の場合)。

そして、2回目以降の同サービスを利用した退職については、1万円の割引がきくそうです。

退職の代行、にすぎませんので、代行業者は依頼者が退職したい会社に対して、依頼者の退職したいという意思を淡々と通知するだけです。

そして、代行ですので、会社からの連絡も代行業者に入れてもらって、そっくりそのまま依頼者に伝えます。

間に入った代行業者は、会社との交渉はもちろん、本人との交渉も一切しない、という淡々さが逆に受けています。

ミッションは、退職の完了です。

それまでの連絡の仲介については回数無制限です。

依頼者の意思として、会社側に対して、「依頼者本人には連絡しないで欲しい」ということも、これも依頼者の言葉としてそのまま会社に伝えることももちろんできます。

退職届や、保険証の返却といった書面のやりとりは、郵送で全く問題なく、この代行業者に依頼した以上、依頼者は出社する必要はありません。

これは、どうしても本人が退職の意思を言い出せないケースにまず有用です。

また、退職の意思を伝えているのになんやかんやと辞めさせてくれない会社に対しての強力な援軍となります。

第三者が間に入れば、職場での同調圧力といったものがかなり減殺されて、対等な会社と従業員との淡々とした冷静なやりとりになり、退職というドラマは通常の「手続き」になってスムーズに進んで行くのかもしれません。

従業員本人に対しては、辞めるなという強い態度が取れたとしても、本来心が離れている組織に対して忠誠を誓わせてもそれはなかなか本人のモチベーションやパフォーマンスの向上に繋がらず、会社側としても期待する働きをしてもらえず結局お互い不幸になってしまうのではないかと思うわけです。

もちろん、突然今日辞めます、などと引き継ぎもなく会社の取引先に迷惑をかけるなどの損害が生じることがないとは言えず、そのような場合、会社から損害賠償の請求を受けるというようなことが絶対にないとは言い切れませんが、こうしたサービスによって、労働力の流動性が高まるのは、この人手不足の日本の状況に鑑みると、経済社会全体によって有用であると思います。

一旦始めたら辞められない、これでは気楽に始めることができなくなるという点で、始めやすく辞めやすい社会を目指すのも良いかと思いました。

昭和生まれでありますが、最初の退職以降、わりと頻繁に退職(3回以上?)を繰り返している筆者からは以上です。

(平成30年7月22日 日曜日)

2018年7月21日

トップはソリューションを提示するのではなく未来の話をしなければならないと思う








おはようございます。

2018年7月の暑い暑い日本列島に対して暑苦しいことを語る配信記事です。

エアコン(冷房機)がなければ、日中は集中して勉強するどころの話ではないようになってきた気がします。

さて、小中学校に早くエアコンを導入してもらいたいというところについてはもちろん同意いただいたのですが、それで教育長が自分の部屋のエアコン止めて、さらになり変わった筆者が校庭で青空勤務(スーツにネクタイ)をしたところで、それが実際に何になるのか、または教育長自体が同様に暑さに苦しめば、教育行政自体の効率が下がってしまうのではないかという至極真っ当なご質問を賜りましたので、その返答というか自らの考えを述べておこうと思って筆を取りました。

もちろん、当該教育行政遂行に責任を持つ行政組織の長として、行政判断の「正統性」を担保するには、短期的に業務効率を下げてでも民衆と一緒に苦しみを分かち合うことがやはり必要なのか、といった議論が成り立つ余地もございますが、ここは筆者はより達観した、というか諦念のような感情を持っています。

筆者のような昭和生まれの無駄な40数年間を生きてきました者の観点から申し上げますのは、甚だ僭越ではございますが、現在の硬直した行政組織において、本当に市長や教育長のイニシアチブが発揮されるような場面は極めて少なくなっているのではないのかと「達観」しており、その点においては(私は先に申し上げた通りもはや立派な昭和生まれのおっさんですので)「諦念」に近いものも持っております。

なぜかと申しますと、一例を挙げますれば、国会議員削減しますとあれだけ大見得を切って、当の国会で公党の長として「宣言」しておきながら、なぜか人口減少が顕著になってきた数年後には逆に参議院議員が増えてしまうという面白い国になっているこの世の中、いくら民主主義で平等を標榜しても、どうしても選挙に行く暇のあるシニア層に寄った政策しかなされない、さらに言えば選挙権のない子供を本当の意味で顧みる政治家や行政官が、そのトップ層にどれだけいるか、はなはだ疑問であります。

そんなことを続けているので、人は子供を作らなくなり、子供は減り続け、生まれてこなかった国民にはもちろん選挙権も、請願も要求もできずに年だけ食うおっさんおばさん達が過去の蓄積をくいちらかすだけの国に実際になってきているようで悲しいです。

生まれてこなかった国民は、何も言うことができないのです。

そこは、かなり強く許せないなと思っているのです。

トップにとって大切なのは、姿勢を見せて、方針を示し、そして起こった結果に責任を負う、ということです。

自ら動いて何か作業をする、ということはもはやできない、その意味では大変不自由な存在であり、その極致におられるのが、日本においては、世界で最も権威の高い(ローマ法王と同格か高いくらい)天皇陛下、ということになります、というのが私の考えです。

だから、庶民に対してその姿勢だけでも見せろといいたい、というのが私の意見です。

加えて、教育行政に業務効率を求める、というのは何だかな、と思ってしまいます。

もし効率をきちんと求めるのであれば、速攻議会はオンラインになっているはずだし、選挙は電子選挙になっているはずではありませんでしょうか。

電子政府で運営されているエストニアのような国を見れば、それができない理由はないことは明白だと私は思っています。

議論はチャットで十分で、かつその議論の履歴が検索できるようになっていれば全く問題ないと思うのに、そうなっていない、授業も同じ内容であるならば多くを有名講師のタブレット配信動画授業にすれば良いはずなのに、その方が教育の衡平に資すると考えることもできるのに、受験産業以外がなかなかそうなっていないのは、そうなったら困る人が多く政治の世界や官僚組織におられるからではないでしょうか。

そうした、本当の意味で効率化を考えていない組織が、自らの組織防衛のために、業務効率化だの働き方改革だと叫ぶのは、たいへん面白く聞こえますし、こうした本当は業務効率化などやる気のないのではないかという「予断」を持って読む人にとっては、これも別の受け止め方がされるのではないかと思っています。

以上、行間のお話でした。

また、例えば、日本の教育行政のトップにいる人が、そのまま自分のご子息を、全国に数少ない大学医学部に裏口入学させるとか、そのまんまギャグ漫画に出てきそうなことが明るみになる世の中になっております。

人の上に立つ者は、その力をどのように使うか高い倫理性が求められますが、なかなか難しいようです。

筆者は大した人間ではないと自負していますが、ここまで心を堕としたくはないなと激しく思うものです。

トップがソリューションを提示する時代は終わったと思っています。

そういうのはチャットやSNSなどで簡単に集まる皆の集合知とAI(人工知能)が「考える」というか「提示する」という世の中になります。

トップは、未来の話をしなければなりません。

自分が死んだ後の世界の話を。

暑い季節に暑苦しい話で失礼いたしました。

こちらからは以上です。

(平成30年7月21日 土曜日)

2018年7月20日

義務教育を受けさせる小中学校においてこの酷暑に冷房ないという異常事態に対して静かにもの申したいと思います







おはようございます。

2018年7月の大変残念でならない酷暑の熱中症被害に関する配信記事です。

先日、教室に冷房の設置されていない愛知県豊田市の小学校で、ついに小学校1年生のお子さんが熱中症で亡くなるという痛ましい事件が起こってしまいました。

将来の日本を支える、数少ない国民の宝というべきお子さんが亡くなるというのは、全くもって噴飯ものであります。

大変腹立たしいところです。

この事案を少し整理します。

愛知県豊田市で市立梅坪小学校1年の男子児童(6歳)が、課外授業で発症した熱中症で、クーラーのない教室で休ませたが死亡したという事故です。

豊田市内の市立小・中学校と特別支援学校計104校には、一部の特別教室を除いて扇風機しかなかったとのことです。

もちろん、教室ではなく、例えば冷房のある保健室などで休ませれば良かったという意見はあると思います。

しかしながら、2013年に設置した扇風機の設置で当面十分だという不作為の認識が市にあって、豊田市の市長は、会見で「当時はこれで様子を見ようという判断で適切だったが、こういう事態があったので見直す」と述べたとのことです。

死亡した児童を含む梅坪小学校1年生の計112人は2018年7月17日午前10時ごろ、校外学習のため約1キロ離れた和合公園に徒歩で向かったとのことです。

そして、公園で30分ほど虫捕りなどをした後、同11時半ごろ教室に戻りました。

男子児童は教室で休憩中に意識を失い、救急搬送されたが死亡したとのことです。

男子児童が命を落とした教室にエアコンはなく、4台の扇風機しか設置されていませんでした。

さて、義務教育として国の宝である子供を強制的に学校に通ってもらっている学校教育関係者の皆さんにおかれましては、そろそろ、というか死人が出てからでは本来遅いのですが、少し考え直す必要がありましょう。

エアコンつける予算がないというのなら、どうして市庁舎や市長室、教育長の部屋にはエアコンが入っているのでしょうか。

明らかに、気温は一本調子に年々上昇しており、昔の暑いと今の暑いは全く違ったものになっております。

熱帯夜(25度以上の夜)も無かった昭和時代の以前すぎる経験をもとに昔の人が、昔は我慢したとか言うのが全く筋違いなわけです。

今は超熱帯夜(30度以上の夜)も珍しくありません。

市役所の建物より(義務教育の)子供のエアコンや冷房対策の方が明らかに緊急の課題だと思います。

東日本大震災の時の東京の計画停電の際に、皇居はもちろんその対象外であったけれども、天皇皇后両陛下の強いご意思で、計画停電で「第1グループ」に分類された地域の停電時間に合わせ、1回約2時間にわたり、明かりや暖房といった電気の使用を一切控え、時にはろうそくや懐中電灯を使いながら過ごされたとのことです。

人の上に立つ人というのは、こうでなければなりません。

ですから、この市の教育行政を司る市長と教育長くらいは、本気で自分の部屋のエアコンは即止めて、全ての小中学校の教室に冷房が設置され稼働を確認するまで、そのまま執務するべきだと思います。

私が市長か教育長ならば、その上で、時間を限って校庭の真ん中で青空執務させていただく覚悟です。

もちろん、官僚に必須のスーツとネクタイです。

それくらいやらないと、申し訳が立たない、夏が暑いということは統計的に明らかであるにもかかわらず、昭和な授業を適切な設備を用意せずに進めた不作為の罪は重いと考えます。

何なら、7月から9月は全校休校もしくは、10時~2時は休校にするなりすればよいのです。

必要な授業は、冬休みでも春休みでも使って行えばよろしいし、土曜授業を復活しても全く問題ありません。

昭和の授業にこだわるならば、筆者もそれが常識であった土曜半ドンを復活すれば良いでしょう。

もしくは、午前午後の二登校制にするとか、やり方はいくらでもあるはずです。

義務教育を掲げておきながら、最低限の安全対策を取ることすらできないのであれば、予算がないというのであれば、もはや義務教育の看板は下ろして、高認(昔大検といった)と同じく中卒相当の資格というものを別途認めて、小中学校に行かなくても良い自主教育の自由を認めるべきだと思います。

どうやら日本は、既に借金まみれのくせに、市役所を建てたり、参議院議員を増やすことには熱心なのに(総人口は顕著に減っているのですが)、こういうところが全く硬直的だなと思いました。

夏の外回りは厳しいですが、実はクーラーの効いた室内でこれを書いているのを反省したい筆者からの主張は以上です。

(2018年7月20日 金曜日)

2018年7月19日

世界一になるには世界一練習しないとダメだと語った小学生が見た世界の話






おはようございます。

2018年7月の将来の夢に関する配信記事です。

今を遡ること少し前に、ある小学校6年生が書いた作文を紹介します。

ぼくは大人になったら、世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。
世界一になるには、世界一練習しないとダメだ。
だから、今、ぼくはガンバッている。
今はヘタだけれどガンバッて必ず世界一になる。
そして、世界一になったら、大金持ちになって親孝行する。
Wカップで有名になって、ぼくは外国から呼ばれてヨーロッパのセリエAに入団します。
そしてレギュラーになって10番で活躍します。
一年間の給料は40億円はほしいです。
プーマとけいやくしてスパイクやジャンバーを作り、世界中の人が、このぼくが作ったスパイクやジャンバーを買って行ってくれることを夢みている。
一方、世界中のみんなが注目し、世界中で一番さわぐ4年に一度のWカップに出場します。
セリエAで活躍しているぼくは、日本に帰りミーティングをし10番をもらってチームの看板です。
ブラジルと決勝戦をし2対1でブラジルを破りたいです。
この得点も兄と力を合わせ、世界の強ゴウをうまくかわし、いいパスをだし合って得点を入れることが、ぼくの夢です。

すごいですね。

書いた夢がそのまま現実になっているというのは、こういうことを言うのでしょう。

3度目のワールドカップに出場し、その全てで得点を入れた、セリエAの強豪クラブで10番をつけた、そしてもちろん日本代表の看板になったのは、もうわかりますね、あの本田圭佑選手です。

しかし、本田選手は、数ある高額の講演のオファーを断って、自分の出身の小学校にボランティアで挨拶に出向き、そして子供達にこう伝えたそうです。

「自分は夢を叶えるために、今そこにある困難に立ち向かう勇気を持ちつづけるようにしたい」

これこそ、
世界一になるには、世界一練習しないとダメだ。
だから、今、ぼくはガンバッている。
今はヘタだけれどガンバッて必ず世界一になる。
と決めたときから続けてきた、彼の壮絶な努力への姿勢を示すものでしょう。

この卒業文集の作文で一番読むべきところは、世界一練習するために頑張る、というこの困難な部分ではないかと思うのです。

日本のJリーグからオランダリーグに入団した時、必死に覚えたオランダ語で挨拶し、日本車のHONDAじゃないけど、あれくらい正確無比な高性能プレイを披露する本田と覚えてください、とジョークまで飛ばして会見した、普通の人間では持ち得ない強力なメンタル(精神力)を持ちつづけたこと、これこそが本田選手が自ら認めて恃(たの)んだ自身の強い才能であったのかと思います。

サッカーの才能に頼るのではなく、困難に立ち向かう勇気を持ち続けて、困難と格闘し続けたこと、努力を続けたこと、サッカーだけではなく、周囲に自らを認めて貰うために、オランダ語だろうが何だろうが何でも吸収して糧としたこと、卒業文集にワールドカップで得点を決めることと宣言して、そこから逆算して今やるべきことを、日々明確に決めづつけて歩んできた太い人生の軌跡が、日本初のワールドカップ3大会連続得点(総得点4)という、奇跡を生んだのです。

ロシアワールドカップ2018も終わり、数々のドラマがありました。

夜を徹して生中継を見られた方も多かったかと思います。

こちらも、お仕事やその他やること多い中、たいへんお疲れ様でした。

人生という舞台を思い切り燃やすため、日々過酷な努力を続けるアスリートたちの晴れ姿をとことん見られるということが、こうしたスポーツの最大の醍醐味ではないかと思いました。

ここまで書いておきながら、それでも努力するよりぐうたら寝ていたい筆者からは以上です。

(平成30年7月19日 木曜日)

2018年7月18日

人事評価のフィードバックは未来の話をした方が盛り上がるという話です





おはようございます。

2018年7月の人事評価に関する配信記事です。

人事評価は何のために行うかというと、それぞれの対象社員のキャリア形成やモチベーションアップのために行うべきだという答えが結構返って来ます。

しかしながら、単なる給与や賞与の水準を決定する評価であると考えてしまうと、単に決まった「評定」を「通知」するだけの面白くない場になってしまうのも、また人事評価面談における面白いところです。

筆者も、評価されたり評価したりするということを繰り返して社会人となり、実に20年以上、さまざまな組織でこのような評定なりフィードバックなりを受けたりしたりしてきましたが、最近ようやく、この手の面談が、面接側被面接者双方に対して最も満足するのは、評定結果の通知はさっさと済ませて、対象社員と管理職双方の未来について話し合うことであると思い至りました。

ですので、最近では、下記のようにフィードバック面談というのを進めています。

①評定結果を淡々と伝える(通知するのではなく、できれば「共有」する気持ちで)

②その結果を踏まえて、評価された側から忌憚ない意見を貰う(管理職は聞き役に徹する)

③管理職と評価された社員との「未来」の話をする

全体で30分の時間が取れるなら、①②③をそれぞれ10分ずつ、時間を区切って行うようにすれば、タイムマネジメントも取れた有益な話し合いになると思います。

①については、包み隠さず、できるだけ率直に伝えた方が良いです。

いい評価だろうがよくない評価だろうが、それが評価だからです。

まずは、それは受け入れてもらわなければなりません。

そして、究極的に納得できない場合は、転職するなり退職するなりの手段が、社員個人個人には当然いつでも留保されているということも合わせて伝えます。

しかしながら、辞めてもらいたいというアウトプレースメントの面談ではないので、結果を共有したらすぐ②や③に移って前向きな希望をや姿勢を評価して、チームとして何を成し遂げたい、そしてそれよりもより大切な、そのような未来に向かう姿勢をどのようにして個人およびチームで持つように話し合ったらいいか、とにかく未来に向けた話をするのです。

こうすると、やはりいつでも、人間区切りをつけて、また頑張ろうといい意味でリセットできるのではないかと考えました。

評価の面談などで、何を話したら良いのかよくわからない管理職の方がいらっしゃれば、参考にしていただければと思います。

自らについても、前向きに、ここまでの低い評価を見返すような動きを期待したいと願う筆者からは以上です。

(平成30年7月18日 水曜日)

2018年7月17日

マイクロソフトのTeamsというチャットツールがおそらくこの市場を席巻すると予想します






おはようございます。

2018年7月のチャットツールに関する配信記事です。

チャットツールとは、たとえばLINEのように、一定のグループ内でよもやま話や井戸端会議、雑談が手軽にオンライン上でできるツールの総称です。

Skype、LINE、facebook(のメッセージ機能)、iOS(のメッセージアプリ機能)、Slack、Chatwork、Zoom、などなど2017年6月現在、このチャットツールは様々あります。

まさに時代は戦国時代、群雄割拠状態です。

こうした中で、筆者が現在使用するに至り、そしてその使いやすさから、今後のビジネス系チャットツールの中では最もシェアを獲得していくだろう、そして世界を席巻するだろうと勝手に思っているのが、2017年にMicrosoftが発表した「Teams」というチャットツールです。

Teams とは、2017年にMicrosoftが発表した新しいチャットツールですが、アップデートを重ねてもはや発売当初にチャットツールと呼ばれたその領域をはるかに越えてきております。

そして、マイクロソフトの公式サイトでも「チームワークを実現するためのハブ」という表現をしているくらいです。

このTeamsというサービスを一言で表現すると「コミュニケーションを基軸にしたクラウドベースのワークポータル」という言い方になります。

なんのことかピンとこない人には、

「雑談や井戸端会議で」
「その知見がクラウドに一元管理されるから」
「いつでも取り出して仕事に使えちゃうみんなの仕事場に早変わりできる」

といったところでしょうか。

「もはや、仕事を始める時にはいつもTeamsが起点となる」

と、実際にマイクロソフトのエンジニアの方が言っていたというくらいです。

すなわち、これまでは、仕事を始めようと思ったら、

①社内グループウェアを立ち上げて
②メーラーやブラウザを立ち上げて
③その他ソフトウェアを立ち上げて
④ようやく仕事を始められる
⑤情報が一元管理されていないからいろいろなファイルやブラウザをのぞかなければばならない
⑥①に戻る

といった面倒なプロセスであったものが、

これからは、

「Teamsを立ち上げればOK」
「全ての今までの検討結果と関連情報やファイルがTeam内にまとめて格納されている」

という状態になっていくというイメージです。

これは、導入しない手はないのではないでしょうか。

何しろ、Teams内で音声通話(厳密には電話とはかけない)すらできてしまうのです。

Teamsの中で、メンバーと話題を分けて複数の「窓」を管理すれば、その窓自体が一つのプロジェクトして、途中から入った人にもわかりやすく経緯が示されているし、必要な資料などの閲覧も容易です。

一度、このようなチャットツールを使ってみれば、その便利さがわかるのではないかと思います。

チャットツールで話す友達が少ない筆者からのレポート記事は以上です。

(平成30年7月17日 火曜日)

2018年7月16日

N高等学校というれっきとした学校教育法第1条で定められた通信制高校のカリキュラムが凄いと思うという話です






おはようございます。

2018年7月の新しいネットの高等学校に関する配信記事です。

N高等学校という通信制高校があります。

2016年4月に開校したので、まだ卒業生はいませんが、すでに数千人の在校生がいる、ネット授業配信を行なっている、日本の教育上「高等学校卒業資格」が取れるれっきとした
日本の高等学校です。

「高等学校卒業資格」とは、学校教育法の第1条で定められた全日制、定時制、通信制いずれかの高等学校を卒業した人に与えられる資格のことです。

そして、高等学校を卒業するためには下記の条件が必要です。

①3年以上の在籍
②74単位以上の修得
③特別活動30時間以上の参加

そして、N高等学校はこの学校教育法の第1条で定められた(通信制)高等学校です。

卒業すれば、高等学校卒業資格を得ることができます。

ちなみに、最近までは大検(大学入学資格検定)と呼ばれた制度は、平成17年度より、高等学校卒業程度認定試験に変わりまして、これは一般に「高認」と呼ばれています。

これは、様々な、どちらかといえばネガティブな理由等で、高等学校を卒業できなかった者等の学習成果を適切に評価し、高等学校を卒業した者と同等以上の学力があるかどうかを認定するための試験です。

合格者には、大学・短大・専門学校の受験資格が与えられます。また、高等学校卒業者と同等以上の学力がある者として認定され、就職、資格試験等に活用することもできます。

しかしながら、高認は、高校を卒業したわけではありませんので、最終学歴「高卒」とはなりません。

あくまで、「高校を卒業した人と同じ学力を持っている」ということの証明に過ぎないということです。

もちろん、事実上の差異はそんなにありませんが、明確に法的な扱いが違いますのであえて述べておきます。

さて、そんな中でN高等学校は、ネット社会である現代にマッチした、その名の通り、インターネット(通信制)高校です。

学校の運営はネット社会で存在感を示すカドカワが行っています。

そして、ネットの高校で必須の授業以外に、特別授業として

・プログラミング
・文芸小説創作
・エンターテインメント
・ファッション/ビューティー/パティシエ
・農業等の一次産業体験
・難関大学受験特化

といったそれぞれの学生の興味関心に即したプログラムや課外授業が用意されていて、通常の全日制高校とは違った「思い切り振り切った」時間の使い方で高校生活を過ごすことができます。

極端な話、例えば東大に受かるということを第一目標に考えた場合、進学実績確かな学習塾と提携した、通信制高校なのに全寮制で3年間みっちり大学受験勉強一本、しかも東大に絞って行うといった「振り切った」プログラムも選択できるのです。

学生のニーズや興味関心に即した、これだけの幅が取れる教育機会の提供、やはりインターネットによる情報革命は地理的制約を超えています。

この高校は現在3年目ですが、すでに全校生徒は6,500名を越えており、これは筆者の近くの全日制県立高校の定員で言えば6〜7校分ということになっています。

今後、この数は増えることはあっても減ることはないのではないでしょうか。

おそらく、毎年発表される東大合格者出身校ランキング、というようなものに、伝統的な中高一貫校やら各地域の一番手の公立高校らを押しのけて、通信制のN高校が割って入ってくることは、時点を近い将来に置いた「事実」として我々の前に現れてくるものと思っています。

何しろ、四半世紀、25年前に全日制高校を卒業したこの筆者ですら、高校今からやり直すならN高かなーと思っているくらいです。

1年間は、プログラミングやら小説やら書きまくって、夏休みには田舎に農業体験行って単位とって、高校2年から(一定以上の学力を示して)全寮制プログラムに「編入」して受験勉強にぶっ込めば、(もちろん相当以上の努力集中が必要だと思いますが)おそらく世界のどの大学にも入れるだけの英語数学の達成度には到達するのではないかと思うのです。

ネットの高校は、その授業料も魅力です。

3年間の学費が合わせて65万円から、という安さです。

ネット回線を利用した授業ですから、要するに生の講師や教諭がいちいち授業を行う必要がないのです。

言ってみれば、生のお芝居と映画の上映、と同じようなもので、それは映画の方が繰り返し繰り返し放映できますので、より多くの視聴に耐えられるということになります。

言ってみれば、これらネットの先生たちはごく初期からのユーチューバー、ということになりましょうか。

面白い時代になったものです。

本来、学習とは、時間や場所を気にせず行えるというのが最大の魅力です。

これは、学習に限らず仕事や作業、クリエイティブにおいてもそうでしょう。

ですので、ワークスタイルはリモートになり、地球全体をオフィスにして、自分の好きなところで作業をして、その成果はクラウドで一括して管理する、知見はチームで随時リアルタイムで共有するような、そんな世の中になっていくでしょう。

何事も目標の設定と、それを実現させるための具体的方策の整備と準備が一番大切だと改めて感じた昭和生まれサラリーマンの筆者からの紹介は以上です。

(平成30年7月16日 月曜日)

2018年7月15日

企業組織の海外展開の遠心力と求心力の絶妙なバランスについて考察してみました







おはようございます。

2018年7月の日本の少子高齢化に伴う海外進出に活路を求める方策についてという配信記事です。

日本は少子高齢化の傾向がこれから数十年続くことは確実で、すでに国内企業の多くがその成長余力を海外マーケットに求めているのは当たり前の風景になってきました。

建機メーカーのコマツや、たばこメーカーのJT、それからガラスメーカーの日本板硝子といった会社は、すでに日本の会社というより海外での売上高比率の方がはるかに高い、グローバル企業という側面を持っています。

この傾向が強まることはあっても、少なくとも我々が生きている間の時間においては、世界人口の推移が、推計されているものによりますと、

2015年 73億人
2011年 70億人
1998年 60億人
1987年 50億人
1974年 40億人
1961年 30億人
1927年 20億人
1802年 10億人

ということからすると、たとえば1927年の日本人口がだいたい1億人であったことに鑑みますと、この時期最も世界的に大きな割合(1/20)を占めた「日本人」という存在も、世界人口の爆発とともにその地位を急速に低下させ、今では(1/75)程度になり(1/100)以下になるのも確実に見えているということで、少し寂しい感じもいたします。

ちなみに、世界人口が50億人に到達したと推計される1987年7月11日を記念して、国連人口基金ではこの日を「世界人口デー」と1989年に制定しています。

100億人に到達するのも、わりと近い将来でしょう。

しかしながら、こうして海外に活躍の場を求めている日本企業においては、どうしても、現地の人材からは「いくら頑張っても出世できない、結局は日本人がすべてを握っている現場では将来がない」という意見が多く、優秀な人材であればあるほど、他社へ引き抜かれてしまうというジレンマがあります。

これでは、いくら必死で人材教育をしても、砂漠に水をまいているようなものです。

こうしたジレンマを解消すべく、こうしたグローバル企業においては、求心力を保持しながら徹底的に経営を現地に任せることで、そこをブレイクスルーしようとしています。

そこで、コマツは180度方針を変更し、「徹底した経営の現地化」を目指しました。

手っ取り早い方法は、現地法人のトップを現地の人材にするということです。

日本人でないと管理できない、指導できない、信頼できないというのは間違っていて、まずはこちらが信頼しないと海外からも信頼されません。

グローバル企業として、多様な人材を受け入れ、世界中の社員が頑張りがいがあって報われる会社になるというのが、骨太の方針ということになります。

一方で、海外現地法人に経営の現地化を任せる過程で、現地最適化が進み過ぎてしまうと、ガバナンスの問題が発生します。

ここが、「遠心力」と「求心力」の巧みなバランスでさじ加減が必要なところです。

海外現地子会社に任せっぱなしにすることで、海外事業の推進力は得られるものの、本社からの距離がどんどん遠くなり、管理やガバナンスが行き届かなくなって起こる問題です。

これも、手っ取り早い方法がありまして、経営の現地化によって現地人材の活性化を行いながら、現地社長を支えるナンバーツーを本社派遣の日本人の駐在員が担い、本社とのパイプ役としているのです。

要するに各藩に幕府の代官を派遣する、こういった感じです。

こうした本社からの、多くは日本人駐在員のことを「ブリッジ人材」と呼んで、現地法人と本社とのまさに「架け橋」としての役割を明確にしています。

架け橋人材自体に対しても、単なる連絡役以上の、本社におけるグローバルな経営方針や考え方を現地に浸透させるという積極的な役割が求められますので、決して、ただの視察団にならないようにしています。

そして、こうした海外現地の幹部を経験しなければ、本社においても上のポジションには行けないようにするということで、絶妙な人事バランスを図っているのです。

こうした人材配置一つを徹底することで、海外市場へと外へ向かっていく力(遠心力)と、本社が現地法人の手綱を上手に引く力(求心力)の微妙なバランスを生みだし、企業全体の推進力が保たれているのです。

下手な英語と暑苦しいまでの推進力で、早く海外に打って出たいと考えております筆者からの記事は以上です。

(平成30年7月15日 日曜日)

2018年7月14日

本体を充電しながら他の機器の充電もできるパススルー機能付きモバイルバッテリーが登場したので買った話






おはようございます。

2018年7月時点の最新のモバイルバッテリーに関する配信記事です。

モバイルバッテリーについては、特に手持ちのスマホの電池がすぐ切れてしまうような筆者のようなものについては必須のアイテムです。

そして、最近では、このブログ記事を書くようなPC(Type-C給電方式のMacなど)の充電も、電源タップが手近にない場合できないものかと思っておりました。

ここで、フィリップスという老舗の家電会社が、非常に面白い機能のあるモバイルバッテリーを発売していて、早速購入して使用感など確かめたところ、大変使い勝手が良かったのでそれをレポートするものです。

このモバイルバッテリーは、まず105×61×22 mmという片手に収まるコンパクトサイズでポータブルでありながら、10000mAh の大容量リチウムイオンバッテリーを搭載しており、大容量でもコンパクトな実装です。

満充電状態で、iPhoneなら約4回、そしてMacについても2回弱、充電可能となっております。

バッテリー残量はLEDランプ4段階で表示するので、モバイルバッテリーのバッテリー残量が一目でわかります。

そして、その充電方式として画期的なのが、従来のMicro USBケーブルを使っての充電でも3時間の急速充電が実現されていますが、Type-Cケーブルでも充電が可能になっているのです(こちらの場合、さらに短く2時間で満充電されます)。

さらに、双方向可能なType-Cケーブルの利点で、このままMacなどのPC機器に接続すれば、そのまま給電を開始するという優れものなのです。

加えて、最もすごい機能は、パススルー機能というモバイルバッテリーとデバイスを同時充電する機能が搭載されていることです。

これまで使っていたモバイルバッテリーはスマホと本体を同時に充電することができませんでした。

すなわち、当たり前ながら、必ず交互に充電する必要があり、海外旅行や出張など時間が限られている時は電源タップが少ない場合などっちかを選んで充電していたので、不便なものでした。

早速試してみますと、電源からモバイルバッテリーにつなぎ、さらに スマホに繋いだ時、ライトが2つ同時につきます。

...感動です。

モバイルバッテリー本体を充電しながら、スマホなどのデバイスも充電できるので、交互に充電するという面倒がなく、例えば寝ている間でモバイルバッテリーとスマホが同時に充電できてしまうというのは大変便利であります。

これで、type-Cでの充電給電機能に加え、パススルー機能つきの有能なモバイルバッテリーを手に入れ、PCスマホライフもより便利になりました。

デバイス環境は改善しても、頭は変わらないため記事の内容はなかなか向上しない筆者ですが以上です。

(平成30年7月14日 土曜日)

2018年7月13日

仕事や他人に関心など持たなくても良いからただ外形的に仕事をしている「ふり」を続けてくださいと言ってみる話







おはようございます。

2018年7月の人付き合いに関する配信記事です。

人付き合いやコミュニケーションと書いて、筆者が真っ先に思い出しますのは、東京の大手コンサルティング会社が行なっている会社幹部の管理職研修という泊りがけの研修を受けることになって行った際に、いわゆる無気力な部下をどのようにモチベートして上手に仕事に集中してもらうか、その面談を行うというシミュレーションでした。

これは相当きつく、ああ言えばこう言う、という部下役の研修側講師のプロののらりくらりとした演技に、はらわたが煮え繰り返りそうな感情を抱いたものです。

しかし、パワハラや心理的な追い込みは厳に慎め、という事前のお達しがあった以上、有効な打ち手はないものか非常に疑問です。

さらに、人手不足の世の中であり、代わりの人はすぐ採用できないのであくまで、目の前のいわゆる「不良社員」を更生させる方向でやってくれということなのです。

喉の先まで、「じゃああんた辞めてくれ」と言いたいところを、我慢して語りかけたのですが、なかなか厳しいところでした。

実際、やる気がない役職員というのは、生暖かい作業する置物という状況以上の者にはなりにくく、打ち手がないような感じです。

ただし、人間ですから息して飯も食っているわけですし、家族とも疎遠であって完全に他人には関心がないということであっても、それでも何かのきっかけで社会や世間や他人との接点を持とうとするかもしれない、とその講師は筆者にシミュレーション後の振り返りで筆者に問うたのです。

そのソリューションとは、相手にわかってもらおうとはしない、ただ率直にこちらの思っていることを素直に伝え続ける、という手法でした。

こういう条件を与えるので、こうしてもらいたい、という通常の「交渉」プロセスでは、こうした心のスイッチというのは決して入らない、むしろ固まってしまう方が多いというのです。

そして、具体的な行動として、相手に求めたいのは、仕事や他人に関心など持たなくても良いから、ただ外形的に仕事をしている「ふり」を続けてください、ということだったのです。

言い換えれば、形から入る、ということでしょうか。

求められた作業を復唱して、実行し、報告する。

同僚や取引先が感謝の気持ちを持つであろう言葉を並べて報告する、そして感謝されたら少し自ら咀嚼して返す、という「仕事やコミュニケーションのふり」を、別に心の底からそんな気持ちが全く湧き出てこなくても、単なる学校の勉強の課題宿題のように、めんどくせーと本当に思っても淡々と、「こう書けば概ね正解」というテンプレで結構なので作業して返して感謝している「ふり」をしばらく続ける、これを意識的にやっていただきたいと依頼してみるわけです。

あなたの内面や内心には全く立ち入らない、ただ会社としては給料を支払い仕事をしてもらいたいので、外形的にそのように振る舞ったその姿勢と具体的外部作業成果にはお金を払う、と伝えるわけです。

ポイントは、本音でどのように考えていても考えていなくたって結構、ただ他人にそう見える「ふり」をしばらく続けてみてください、というところです。

このソリューションは、最近になって、講演した高校の場で、聴いていた高校生から疑問が出た、「いわゆる国語の問題がわからなくてしんどい、主人公の気持ちとかわからんし」というヘルプに対して、「主人公の気持ちなどわかる必要はない、つまり大多数の採点者がそれなりに納得するロジックの文章を回答として提供すればOK、で、その回答案はほぼパターン化できるから、そのパターン練習のために、できるだけ良質とされる原文と、問題解答例をたくさん読んで書いて、無意識レベルで取り出して書けるようになっておけば良いだけである」という当方からの回答がもっとも多数の聴講者の納得感を得られた、ということからも、概ね有効なものではないかと思います。

それで、面白いことに、そうして採点者との意識レベルが合って採点自体が上がってくると、何となく「国語が得意」というふうに学習者自身も自己満足し出し、今度は自ら進んで学ぼうとしていくようになるのが面白いところで、このように、形から入って本質に至るアプローチもありじゃないのかなと思ったわけです。

形から入るということでは、例えば食事会で話が盛り上がらない、といっても心配することはありません。

ただ二人で並んで無言で弁当食べることからでも、始めたらいいと思います。

コミュニケーションは言葉だけではありません。

ただ並んで食べている、というだけでも随分と違うものなのです。

そんなことをふと思いました。

食事のお誘いをお待ちしておりますが、デートで食事しても、話題が取り出せずになかなかしゃべれない、そんな実は引っ込み思案な筆者からは以上です。

(平成30年7月13日 金曜日)

2018年7月12日

自らはいい歳でもう自分は絶対にやらないことを他人特に何も知らない子供や年少者に勧めるのは欺瞞と思うという話です







おはようございます。

本日は若干筆致強めでまいります。

2018年7月のマスコミ大新聞の記事に関して筆者があくまで個人的に思うことを空気読まずに述べるという配信記事です。

2018年7月9日(月曜日)付日本経済新聞の夕刊(第4版)という日本有数の大新聞の一面に「あすへの話題」というコラムがありますが、この日の内容は、コニカミノルタ取締役会議長の松崎正年氏が書いた「「はだしっ子」が原点」という文章でした。

少し引用しますと、

「(子供時代は)毎日自然と格闘していた。子供たちは群れを作って元気に遊び回っていた。今日のモラルでは非難されるべきことも沢山あったが、多くの経験を重ね、体力・気力・感性・知恵等々、生きていくための基盤が知らずして育まれ・・」

「(中略)・・踏切の無い線路を北側に歩いて渡って、・・・暗くなりコウモリが飛び回る時間まで遊び回っていた。(線路の)南側に住む子供と北側に住む子供の石合戦をはじめ、落とし穴を掘ってサバイバルゲームをした・・」


といった一見、さらっと読めば昔は良かった的な牧歌的な話が語られています。

しかしながら、少し注意して読むに、さすが、取締役会議長ともなると、昔の想い出話を書くだけで大新聞の一面を飾れるのかと思う気持ちと、こんな文章をよく掲載OKした新聞編集側の危機意識の欠如と二重基準(ダブルスタンダード)に控えめに申し上げて当惑というか、率直に言って大いに落胆失望したのです。

どこが筆者の感性を大いに下方方面に刺激したかと少しだけ説明いたしますと、これだけ幼少期のいじめとか職場でのパワハラやセクハラ、学校大学でのアカハラ(アカデミックハラスメント)といった問題が取りざたされていて、児童や学生、従業員や社員、働く人々個人のモチベーションを維持向上させることが急務とされているのに、こうした問題点には何らの解決方針も示さず、幼少時の腕白遊びや「危なそうなところで危なそうなことをする遊び」こそ万全の解決策だと思い込んでいる、救えない懐古趣味です。

控えめに申し上げて迷惑ですし、率直に言って有害です。

もし本当にここに書いてあることがいいことであれば、年の大小に限らず、この筆者も、いい年なんでしょうが、今からも現役で「踏切のない線路を渡って」「石合戦」だの「防空壕探検」して、「今日のモラルでは非難されるべきこと」も沢山やればいいのです。

モラルで非難されるどころか、立派な犯罪です。

集団でのいじめや暴力暴行は暴行罪であり傷害罪ですし、踏切横断は鉄道法に道路交通法違反、落とし穴は(自分の土地でないことはほぼ確実でしょうから)不動産損壊罪や侵奪罪にあたります。

子供が暗くなって徘徊していたら、青少年保護条例で補導されます。

老人の徘徊だって警察保護の対象です。

または犯罪予備行為として職務質問の対象にもなりましょう。

さらに、このようなことをやったら今の世の中、いじめ、鉄道法違反、暴行障害としてすぐさま拡散され、思い切り世間の非難を浴び、SNSで叩かれ、そして学内アンケートによる教育委員会からのいじめ公表に始まり捜査機関の捜査と司直の裁判、そして大マスコミ(当然日本経済新聞も含みます)の格好の記事ネタとして長く繰り返し繰り返し晒されることになること必定です。

新聞の方も、こうした無責任なる文章を掲載しておきながら、いじめ問題などが起こると徹底究明が必要だと叩き批判するのはダブルスタンダードも過ぎる卑怯な対応だと思います。

現代を生きている、企業の経営者、管理職、そして学校の教諭や校長、そして家庭で実際に日々の子育てに奮闘している保護者や親に対して、この文章は全く、何ら有益なソリューションを提供していません。

石合戦して、自分の子供の目が見えなくなった怪我を受けたら、親としてはどうすればよいのでしょうか。

または、管理している学校の責任は?

怪我させた子供本人と、その保護者の教育責任は?

地域社会の取り組みは?

再発防止策は?

そんな特集記事を、大新聞やマスコミは、こぞって書き立てるのではないでしょうか。

それで、記事の閲覧数を増やそうと姑息にも考えるのではないでしょうか。

だいたい、はだしで駆け回って押しピン踏んで大怪我した、という場合ですら、裸足で走らせる方が悪い、いや押しピンを使わせている学校が悪い、という論調になるのが、今の大新聞・マスコミの大多数の報道姿勢ではないのでしょうか。

筆者は(筆者ももういい年ですけど)小学校のとき、普通の運動靴で外を走っていたら割れた瓶で凹型になっていて尖った部分を踏んづけてしまって、ガラスが足裏に刺さり、静脈を傷つけたのでしょう、靴下と靴が血でべっとり真っ赤に染まって大変なことになりました。

割れたビール瓶と破片はそこらへんに転がっている、そんな時代だったのです。

その時は危なかったな、注意して走らなきゃな、という感想くらいしかないですが、靴ですらそうなったのだから、やはり裸足は危ないな、というのが本音のところです。

防空壕探検なんて、天然洞穴探検で閉じ込められて1ヶ月近くかかって保護されたタイの子供達を笑えないのではないでしょうか。

もはや自らは功なり名を遂げた「いい年」であることを理由に、自分は絶対にもうやらないことを、他人、とくに何も知らない子供や年少者に勧めるというのは、大いなる欺瞞だし不誠実な態度だと思うのですがいかがでしょうか。

真におすすめすることであるならば、せめて野山を駆け回る、というところで止めておけばいいものを、俺だって昔は悪かったんだぜ、というのを公表して反省もなくかっこつけるじいさん経営者、控えめに申し上げても痛いしあまりにも恥ずかしすぎるのではないでしょうか。

恥ずかしい、という感覚すらないのではないかと思うのでした。

これと同じ文章やコメントを、70歳無職独身生活保護者の独居老人(男)が発した場合、受ける印象は全く変わると思います。

ですが、やったこと、は「やったこと自体」で評価されるべきで、「やった人」によってやったことの評価が変わるのはおかしい、ということです。

これは、筆者も大学法学部の刑事訴訟法のゼミでも、罪刑法定主義、ということで学びました。

ゼミでは圧倒的な劣等生であり不勉強であった筆者ですら覚えています。

大統領だろうが総理大臣だろうがスティーブ・ジョブズだろうが街中の浮浪者だろうが子供だろうが、言っていることは言っている人と分けて考えるということが必要なのではないかということを改めて強く思いました。

少なくとも、石合戦で怪我をした知人や知り合いが筆者のまわりにいたとしたら、筆者としては悲しいですし、小さい頃、冬の雪合戦で石を入れたのか偶然入ったのかが目に当たって失明寸前になった知り合いがいた、という話をリアルに知っている世代としては、全て子供のはだしっ子遊び、と割り切れる自称大物経営者、その想像力の宇宙レベルの粗さに驚きの思いを禁じえません。

いつもは適当な記事が多いのですが、こうした自称大物の「肩書ビジネス」に惑わされない、健全な批判的精神を持ってこれからも生きていければと思いまして、少しだけ筆者独自の解説をさせていただきました。

コニカミノルタのカメラなどは幸いにも持っていませんが、とりあえず他人のふり見て我がふり直せ、と改めて締め直したい筆者からのコメントは以上です。

(平成30年7月12日 木曜日)

2018年7月11日

音楽もクラウドシステムで自分用のを外部保管して取り出しながら聴く時代になったという話です







おはようございます。

2018年7月のクラウドシステムに関する配信記事です。

先日、筆者はマネーフォワードというクラウド資金口座管理システムを本格導入して、家計の外部クラウド化を実現したという記事を書きました。

今回は、資金口座や家計簿の話ではなくて、自分が聞いてきた、CDなどで買ってきた音源、曲、歌などのクラウド管理による外部保管に関する記事を配信します。

すなわち、具体的なサービス名は、「iTunes Match」といいます。

これは、曲の無料ストリーミングサービスとしてAppleが提供している「Apple Music」とは違ったサービスとなります。

「Apple Music」では、確かにユーザーのライブラリをクラウド上に保管する機能が提供されるのですが、あくまでAppleが一定月額料金を支払った顧客に一律のストリーミング楽曲群を提供して、その中からユーザーは好きな曲をストリーミングして利用するという機能であるにすぎません。

これとは根本的に違うサービスとして、iTunes Matchは、ユーザーごとに自分の曲として持っているいろいろな楽曲群(CDで取り込んだものや、iTunesで自ら購入してきた曲も含む)としてのライブラリを、一つのiPhoneやMacといった端末に限るのではなく、AppleIDで繋がったあらゆるデバイスで利用できるように、専用のクラウドシステムにこの個人個人の楽曲群を置き換えるもの、と定義すれば理解が少し早いのではないかと思います。

iTunes MatchはパソコンやiPhoneの端末に独立して保有されているところのiTunesのライブラリを一律クラウドにアップロードし、端末全体に配信し直す機能であることから、パソコンのローカルストレージに保管されるという不便から解消されます。

つまり、自分の持っている曲を、どの端末からでも「ストリーミング」して聴くことができるようになったというわけで、これは画期的なことです。

音楽を聴くというのは、何かの再生プレイヤーがそばにないといけないわけですが、これがPCでもスマホでもタブレットでも、基本なんでもOKということになるのは、非常に音楽を聴く環境が広がるということで、非常にいいことだと思うのです。

自分の持っている音楽ライブラリのすべてを一つの端末の固有のドライブに格納するというのは、壊れた時のバックアップもできないという、非常に不安定な状況にあるということでもありました。

こうした不安も、このクラウド化で解消されることとなりまして、さらに最近のネット回線の状況も高速化しており、クラウド側のストレージ容量も増えてきております。

こうしたことから、ライブラリをクラウドにコピーして、ユーザーごとに区分けして一括で管理すればいいというサービスを、それなりに低廉な年会費をもって提供するのがiTunes Matchというサービスの本質ということになります。

これで、ユーザー側で管理するデータはさらに少なくなるというわけです。

今のところiTunes Matchでは、同じApple ID、iTunes Storeアカウントを使っている機器10台まででライブラリにアクセスして再生することができます。

クラウド側の曲はストリーミング再生もできるし、必要に応じてローカルにコピーすることもできるので、もしネット環境のない極限の状況に置かれた場合(たとえば冬山とか)においても、コピーした曲は問題なく再生でき安心です。

このように、生活や仕事のあらゆる場面でクラウド化というのはますます進んでくるなと感じています。

歌を歌うのは好きで声も大きいですがなにぶん下手な筆者からの回想は以上です。

(平成30年7月11日 水曜日)

2018年7月10日

反射的に概念を理解できる漢字かな交じり文という日本語の優れたところについて考察する






おはようございます。

2018年7月の漢字に関する配信記事です。

上の作文は、最初はさらりと読んでしまいますが、おかしいと思って読み返すと気持ち悪い文章です。

なにしろ、使われている漢字が実に半分間違っているという状況なのです。

それでも、なんとなく語感で意味を取ることができるのが漢字かな交じり文という、世界でも独特の文字文化を持って、日々学校や教育現場でそれを鍛え続けている日本人の優れた認識能力ということになります。

これは、表意文字と言われる日本語の「漢字」の持つ素晴らしい機能でありまして、特に漢字2文字の「単語」の種類はことのほか多く、2語を瞬時に意味ある概念につなげて認識することができるのは、漢字かな交じり文を小学校1年生(6歳)からひたすら読み書きして訓練している賜物です。

ですので、「文宇」も「文字」とすんなり読めますし、「埋解」も「理解」できるのです。

文字の字が宇宙の宇と書くことは、通常では極めて稀でありますし、理解の理が埋めるという文字になることも、めったに起こりません。

この、あり得ない組み合わせ、を自動的に排除し、あり得る組み合わせを瞬時に脳内にフラッシュバックするというのが、いわゆる学習効果ということになります。

そして、こうした地道な学習や勉強の「訓練」や「習慣」がついたものにしか、本当に新しい発想や仕組みというものは「降りて」来ないものなのかもしれないと思いました。

そのためにも、日々勉強する姿勢や習慣を大切にしたいと改めて思いました。

今日から勉強、と思いながら明日に先延ばししてしまうことだけは得意な筆者からの意気込みは以上です。

(平成30年7月10日 火曜日)

2018年7月9日

睡眠禁止帯とも言うべき寝るには効率の悪い時間帯を誰でも持っているという話です






おはようございます。

2018年7月の眠くなる配信記事です。

こんな文章を書いているとやっぱり眠くなってしまうこともありますが、筆者として最も筆が進むのは、寝る前の20時から22時の間であるというのはなんとなく感覚としてわかっておりました。

しかしながら、その時間はどうしても別の作業や行為(飲み会や食事会や飲酒やネットサーチなどなど)に費やしてしまうことが多く、この時間に眠くならないのは、ウェイウェイ飲んでいるから、というのが社会人になってからずーっとなんとなく考えていたのが筆者の貧相なイメージになります。

しかいながら、どうも楽しい飲み会ばっかりやっているから眠くならない、というわけではなさそうなのです。

むしろ、眠くならないように身体が瞼を調整してくれているから、ついつい飲みすぎてしまうというのが真相のようなのです。

説明しましょう。

起きてから、人間いろいろな活動をします。

朝起きたとして、午前中はそんなでもないのですが、14:00〜16:00の時間帯に、人間急に眠くなります(個体差があるので傾向として)。

そして、それが通り過ぎた18:00過ぎから、夕食を食べて寝る直前まで、大体の人が、ほぼ全く眠くならない睡眠禁止帯、ゴールデンゾーンというべき時間を迎えるのです。

人間不思議なもので、昼間に疲れたはずのところ、寝る前の安全を確保するためなのか、一定の時間を、思い切り覚醒させることで身辺整理を行うように仕向けているようなのです。

つまり、もちろん個人差はありますが、起きてから自然光を浴びて、14時間程度経過したところで、この睡眠禁止帯、ゴールデンタイムを迎えるように人間の身体ができているようなのです。

ですので、早寝早起きにおける一番の敵は、週末の寝坊ということになるのです。

もちろん、土日の休日も朝5時に起きろというのは厳しいところではありますが、これは漁業や八百屋やボート競技や競輪競馬に登山といった、朝早く活動を始める競技や生業に従事したことがある人なら、間違いなくわかる話ではないかと思うのです。

もちろん、昼間の寝不足感も強くなりますが、これは15分程度の昼寝を挟めば意外なほど軽減するものですし、逆に週末に寝坊してしまった時の、夜の眠れなさからくるストレスほどきついものはなく、月曜日の朝の辛さと相まって、体調を崩してしまう人も多いと聞きます。

寝坊、遅起きしてしまった結果、無理やり「睡眠禁止ゾーン」で必死に寝よう寝ようとしても効率が悪いだけですし、逆に神経が高ぶって眠れません。

ですので、睡眠リズムの問題と割り切って、とりあえず眠くなるまで待つ、という手段対処で十分だと思います。

やたらと早寝を強いられて夜間徘徊が悪化している認知症の高齢者や、不眠や眠気に悩む早出遅出深夜勤務者などなど、こういった世界の方々にも意外に「睡眠禁止ゾーン」を知らないことによる不具合は多いような気がしています。

もちろん、個人差がありますが、自分が最も寝にくく目が冴えている時間帯というものをコントロールできるとすれば、それは素晴らしいことだと思うのです。

といいながら今日は午前中10時に起きてしまった夜間徘徊真っしぐらのダメな筆者からは以上です。

(平成30年7月9日 月曜日)

2018年7月8日

居酒屋業態も戦国時代で立ち飲み屋や唐揚げ専門店などで違いを出していかなければ生き残れない時代に






おはようございます。

2018年7月の立ち飲み屋が大規模にまた興隆してきているという配信記事です。

首都圏を中心に、駅前や繁華街で立ち飲みの省スペースの居酒屋が増えているということです。

賃料や運営コストを下げて、その分商品単価に反映したお酒や料理(つまみ)を提供するサービスで、顧客の支持を得ているようです。

働き方改革といった世のトレンドに押され、いわゆる歓送迎会や新年会や忘年会といった大箱での利用がますます少なくなってくる中、こうした立ち飲み屋といった業態はますます増えていくことが予想されます。

メニューの単価が安いということも、こうした店が支持される理由だとは思うのですが、筆者のような昭和生まれでも大きく理由として上げたいと思うのは、こうした店の敷居の低さです。

つまり、少人数、言ってみれば1人でも、さっくり入ってさっと飲んでつまんでさっさと帰る、こうした多忙なライフスタイルに即したその場その場での対応ができるというのが、最も受けている原因ではないかと思うのです。

これは、飲み会のファストフード化とも呼ぶべき現象ではないかと思います。

つまり、お金を持っている人が、いえお金を持っているからこそ、時間の方を大切にして、例えば握り寿し屋で十数カンの握り寿しを食べてさっくり出てくる、そして2万円とか3万円とかをポンと払う、こうした傾向と同じ面があると思うのです。

すなわち、時間でもらう時給ではなく、成果主義的な考え方が、食や飲み会の場でも浸透してきたのではないかと大胆に仮定するのです。

ですから、いきなりステーキのような、立ち食いでいきなりステーキを食べさせる店や、立ち飲み屋が流行るし、こうした店は、おそらくメインの食材であるビールなりステーキなりが、待たずにすぐ出てきて味わえる、ということではないかと思うのです。

さらに加えて、立ち飲み屋は他のお客との距離も近いです。

さらに、酒とフードの受け渡しは、客がカウンターまで取りに行くセルフ方式を採用したり、いろいろとシェアリングの考え方を導入し、人件費を圧縮しています。

こうして、一回の一人当たり利用単価がわずか税抜1,000円であっても、利益を出せる店の構造にしているのです。

居酒屋業界では、こうしてメニューの幅が広い「総合居酒屋」の苦戦というか顧客離れから、各社は例えば原料単価が安い割に意外に高価格で売れる「焼肉」「焼き鳥」「唐揚げ」「ラーメン」といったものに特化したアルコール業態へ転換を進めて、売上減に対抗しています。

そもそも、居酒屋文化の一見した衰退に見えるこのような動きは、決して働き方改革などで、同僚と飲む機会が減ったことが原因ではないと思います。

団体客相手の大箱狙いの業態より、顧客一人一人のニーズを丁寧に汲み取った業態が勝っていく、これは飲食業界に限った話ではないような気がします。

かつて日本を制覇した飲食チェーン「養老の滝」で歓送迎会をよくやっていたことが懐かしい昭和生まれのサラリーマンの回想と見解は以上です。

(平成30年7月8日 日曜日)

2018年7月7日

長雨で買い物いけないので適当に作れるおかゆやゆで卵といった簡単調理をやってみた話です






おはようございます。

2018年7月の長雨と増水に関しての配信記事です。

一旦関東地方が梅雨明けになりながらの、まさかの梅雨前線の再び南下し再活性化からの、西日本地帯一帯に激しい局地的な大雨を降らせながら数日梅雨前線が南からの湿った空気と北からの風に挟まれて常時エネルギーを補給されながら強化されている、といった天気図上の典型的な梅雨の気圧配置で連日大雨に晒されている西日本に住む筆者です。

そんなわけで、1日前から断続的に続く激しい雨により、公共交通機関も寸断されておりまして、出社しても最低限の業務で早めの帰宅を推奨される、そんな状況の中、食材の買い物もままならない中当面どのような食事で凌ごうか考えております。

とりあえず、久しぶりにおかゆなどを作ってみました。

おかゆのレシピは簡単です。

筆者でも作れます。

米1/2合、そして水は600mlです。

これを鍋に入れて、そして中火で沸騰させて、あとはコトコト20分くらい蓋をして炊けばOKです。

最後に、塩をふたつまみくらい投入して、さっと混ぜてお椀に盛って、いただきます。

もう少し元気が出るなら、卵を溶いて醤油を垂らした卵かけ雑炊、にしてしまってもよいですし、それなら青ネギを少し切って添えるなり、または梅干しや納豆などもつけてしまえば、一気に豪勢さが増します。

これぞ世界に誇るべき和食!というメニューです。

そして、おやつ代わりにはゆで卵です。

こちらも簡単です。

水800mlくらいを沸騰させます。

あとは、冷蔵庫から出した生卵を4個か5個くらい、杓子に入れてそっと沸騰したお湯に沈めます。

そしてさらに10分じっくりと茹でます(筆者は蓋をして茹でる派です)。

そうすれば、中の黄身が半熟ではないけれどもつやつやした黄色鮮やかな感じは保たれた、いい感じの茹で上がりになります。

これ以上茹でてしまうと、黄身が薄い黄色になってパサパサになってしまうので、あまりお勧めしません。

もちろん、茹で時間が短いと、半熟になりますので、釜玉うどんにでも入れるのでなければ、茹で時間は10分が目処、と覚えておいて損はないと思います。

卵の殻がむきやすくなるように、茹でる前に卵のお尻のところにつまようじで小さな穴を開けたら良いと言った豆知識もありますが、確かにそれでむきやすさが多少上がったとしても、いちいち生卵のお尻に小さい穴を入れるという割れるリスクや手間をかけるのがおっくうなので、筆者はそのまま処置せずダイレクトに投入する派です。

ただし、沸騰するお湯の中に、直接つまんだ卵を入れると確実に卵が割れるので、そこは鍋用の柄杓なり、大きめのスプーンに乗っけて、そろりといれることをお勧めします。

水から茹でる、という手もあるのですが、「沸騰したお湯で10分」という茹でタイムマネジメントが甘くなるので、筆者もこちらもあまり取りません。

さて、保存食と言いながら、剥いたそばから食べつくしてしまった筆者からの、実はカレーと牛丼くらいしか作れない卵調理レポートは以上です。

(平成30年7月6日 金曜日)

2018年7月6日

日本のドライバーの志向が劇的に変わりつつあることがよくわかる日産ノートの売れ行きについて






おはようございます。

2018年7月の日本の乗用車販売市況に関する配信記事です。

日産が販売している「ノート」という乗用車機種が、実に同社として48年ぶりに、2018年上半期(1月から6月)の国内新車販売台数の首位に輝いたということです。

日産車としての、その前の首位は実に1970年の「サニー」以来といいますから、実に半世紀近く、トヨタやホンダといった強力な競合メーカーの後塵を拝していたわけですが、では、このノートという車種のどのあたりに消費者は支持を与えたのでしょうか。

その答えはズバリ、自動車のエンジンで発電だけを行い、そしてバッテリーに貯めたその電力によって動かすモーターで走るという、ガソリンで動かすエンジンを完全に発電機にしてしまったという割り切り技術にあるのです。

こうしますと、実際に車の車輪を動かすのは、100%電力ということになりまして、運転感覚が、これまでのガソリンやディーゼルによるものとは格段に違って運転しやすいという評価となり、要するに電動のラジコンを運転するくらいの「楽」な運転で疲れない、というところにつながり爆発的に売れたということなのです。

おさらいしますと、日本自動車販売協会連合会が発表した2018年の1~6月の販売統計では、

1位日産「ノート」(7万3380台)
2位のトヨタ自動車「アクア」(6万6144台)
3位の同「プリウス」(6万4019台)

となっておりまして、これら全てがハイブリッドもしくは(駆動系は)電気自動車、というカテゴリの新しいクルマばかりであることに驚きです。

「ノート」以下の「アクア」「プリウス」は、いわゆるHV(ハイブリッド)車の代表機種で、エンジンを回しながらその駆動力で電気を貯めて、そしてスタート時などにはそのバッテリーに貯めた電気を併用して使うことで、燃費を格段に上昇しているというシステムです。

しかし、新型ノートは、ガソリンエンジンで発電した電気でモーターを回して走る完全分離のハイブリッド(HV)技術「eパワー」を搭載しています。

これで、ガソリン1リットル当たり34キロメートル(ノート)と比較的高い燃費性能が実現できますが、それよりも、格段に向上するのはその運転感覚なのです。

モーターで駆動するeパワーは電気自動車(EV)と同じく、素早く加速します(電気ですから電気自動車と一緒というのは当たり前です)。

反対にアクセルから足を離すと強めに減速します(すなわち、通常のエンジンのように、しばらく燃焼しつづけるということがありません)。

つまり、この運転感覚は、普通に運転していてもブレーキを踏む機会が減って楽だということなのです。

そして、信号待ちや渋滞の多い日本の道路事情を考えれば、試乗会で加速性能や運転が楽になる効用に目覚めた購入層が、わっとこの新型ノートを購入していくということなのです。

カーシェアの市場も急速に広がり、もはや車も持つ時代から利用する時代になってきています。

新しい商品開発というものの足の速さを感じました。

未だ、自分の車というものを持ったことがありませんが、レンタカーやカーシェアでたくさんの車種は乗ったことがあることが自慢の筆者からの乗用車記事は以上です。

(平成30年7月6日 金曜日)

2018年7月5日

マネーフォワードという複数資金口座管理システムを利用してクラウド家計簿を実現した話です







おはようございます。

2018年7月のクラウドシステム利用に関する配信記事です。

筆者は最近、マネーフォワードという家計資金管理システムを使いはじめました。

これは、家計簿を自動作成してくれたり資金決済を日次でトレースして記録してくれる優れものの連動システムで、具体的には銀行口座や証券口座、クレジットカードの残高などのバラバラになっている情報を、自身で設定したマネーフォワード口座に一元管理して連動させ、家計の今の状態や資金の入り払いを確認できるところが画期的なサービスの本質となっております。

具体的には、毎月筆者の意識していない会費の引き落としがなされていて、これは無料期間が終了したアマゾンの読み放題サービスが数ヶ月続いていたものであることがわかったり、TSUTAYAのオンデマンド視聴会員が二重にカウントされていたり、金額にして数百円ほどの月間費用ですが無駄に発生していたことが改めてわかり、素晴らしいことだと感じています。

そして、このシステムの運用で一番良かったなと思えることは、このマネーフォワード口座に連動していないクレジットカードや銀行口座や証券口座については、運用を中止または解約する踏ん切りがついたということになります。

マネーフォワード口座に登録されているクレジットカードを使えば、クレジットカードを使用し、クレジットカードの負債残高に一旦計上され、そして一か月か二か月後に指定預金口座(こちらも当然マネーフォワード口座に登録しています)から引き落とされる、その一連の資金の流れを少なくとも数回目にすることができます。

これで、大きな買い物をしたことを忘れていて、翌月クレジットカードの引き落とし日に資金不足に陥る、といったことも(極力)なくなるというわけです。

現金の管理もできるようにシステムは組まれていますが、筆者はそこまでやっていません。

すなわち、銀行口座から引き出されたお金(現金)については、即なくなったものとして考えるようにしています。

つまり、筆者の観念上、いつも現金残高は0です。

支払い予備として財布の中には一定のキャッシュがありますが、管理としては全て費用化してしまったものと先に認識しておくことで、余計なストレスや現金過不足を気にする必要もなくなります。

幕末明治にかけて、三菱財閥の基礎を築いた岩崎弥太郎は、収入を増やすのではなく支出を適切に管理することこそ蓄財と商売のコツであると口を酸っぱくして説いたそうです。

その事例にはるかに及びませんが、筆者もこれでようやく家計管理ができるようになったと思っています。

飲み屋での、現金の減り度合いには自信のあります筆者からの感想は以上です。

(平成30年7月4日 木曜日)

2018年7月4日

ドラム式洗濯乾燥機の構造的問題である乾燥フィルターが詰まりやすいという件について考察しました







おはようございます。

2018年7月のドラム式洗濯乾燥機の手入れに関する配信記事です。

ドラム式洗濯乾燥機にとって、衣類の埃がフィルターに詰まるのは、ある意味構造上仕方のないところです。

メーカー各社は、この問題に対応するため、各種の機能改善を図っていますが、なかなかこれといった解決策がないところです。

その中で、筆者が使っている日立のビートウォッシュという機種は、あえて、このフィルターの目を細かくすることで、ユーザーの手による埃を取り出す手入れの回数を増やすことで、逆に乾燥機能の維持を図るという方向にシフトしているように感じます。

なぜならば、前回同機種のドラム式乾燥洗濯機を使っていた時には、その搭載されているフィルターの目は、もう少し粗く、すぐ詰まることはなかったのですが、今回購入した新しい型の同機種のドラム式洗濯乾燥機においては、フィルターの目が一目見るとわかるくらいに細かくなっていることが分かったからです。

そして、乾燥するごとに、手で取り外すところのフィルター部分については水洗いし、さらに本体に設置されている側のもう一つのゴム製フィルターも、プラスネジ一本で割と簡単に取り外せる仕様になっているため、10回に一回くらいは取り出して水洗いをして、裏側に付着した埃を取った方が、結局乾燥性能が保たれる、ということを、メーカーメンテナンスの方に教えてもらいました。

これで、ユーザーの方で定期的にメンテナンスをしながら、家電を長く使い続けることができるようになったというわけですが、やはりこのドラム式洗濯乾燥機というものの構造的な弱点はどうにかならないものなのかと考えてしまいます。

二層式洗濯機の昭和時代が懐かしく感じる筆者からの家事についての感想は以上です。

(平成30年7月4日 水曜日)

2018年7月3日

2018年7月3日(火)早朝に日本が見たW杯の夢と本気のベルギーの話です(2-3)






おはようございます。

2018年7月のサッカーワールドカップに関する配信記事です。

まずは海外から送られた日本に対する称賛の言葉です。

Today is a day when #Japan made Asian football proud.
Sometimes results don't portrait the right picture... Japan played better than Brazil against Mexico. Respect Japan may have lost the match but they definitely won our hearts! .


これからの日本サッカーで長く語られるであろう、2018年ロシアワールドカップベスト16、日本対ベルギーの戦いは、2-3でベルギーが勝ちました。

勝てば間違いなく日本サッカー史最大の歴史的1勝となった本気の試合でした。

まずは2018年ロシア大会の予選リーグを突破した、16か国を再掲しておきます。

Still unbelievable Japan is alive in the knockout rounds(16/32)

<Qualified>
Europe 10/14
South America 4/5
North America 1/3
Africa 0/5
Asia 1/5 <-------- Only Japan

<FIFA ranking>
2 Brazil
3 Belgium
4 Portugal
5 Argentina
6 Switzerland
7 France
10 Spain
12 Denmark
12 England
14 Uruguay
15 Mexico
16 Columbia
20 Croatia
24 Sweden
61 Japan <--------
70 Russia









FIFAランキング61位の日本は、決勝トーナメント1回戦で同3位のベルギーと対戦しました。

ベルギーが赤い悪魔なら、日本はサムライ・ブルーです。

前半、ベルギーに押し込まれる場面が多かった日本でしたが、後半3分(48分)にMF原口元気(27)(ハノーファー(ドイツ))が走りこんで受けたパスをワンステップでずらして右足で「ここしかない」ところを突いた見事な先制ゴールを挙げます。

続いて、後半7分(52分)にはMF乾貴士(30)(ベティス(スペイン))が、こちらも見事なペナルティエリア外からの、豪快かつ繊細な、見事なコースを突いた無回転ミドルシュートで2点目を挙げます。

日本サッカーの全員で攻めて全員で守り、最後は技ありの一刺しで決める、見事な試合運びを見せました。

しかし、ここから本気のベルギーがなりふり構わず迫ってきます。

思わぬビハインドを背負ったベルギーは64分、長身フォワード、194cmのフェライニ選手らを投入して勝負に出ます。

そして、69分、ベルギーがいきなり1点を返します。

コーナーキックで上がったエリア内の高いボールを、日本ゴールキーパー川島永嗣(35)(メス(フランス))の位置を見定めたベルギーのフェルトンゲンが、頭でふわっとしたボールをゴールに向けて供給、これが見事に枠に収まってゴールとなりました。

これで得点の形を得たベルギーは、続いて本気モードで日本に襲い掛かってきます。

そして74分、コーナーキックの流れからクロス(センタリング)で待っていた長身フェライニ選手にドンピシャリのヘディングが決まります。

日本、本気のベルギーに6分間で痛恨の2失点を喫します。

ここからベルギーは、高さを生かしたパワーゲームを仕掛けてきます。

日本は非常に苦しい時間が続きます。

相手クロスからヘディングシュートを2本放たれますが、守護神の川島が2本とも見事な反応で防ぎ切ります。

さらに直後のフェルトンゲンのミドルシュートも止めます。

日本も必殺必中のカウンターでベルギーゴールに迫りましたが、最後の最後、後半アディッショナルタイムにおいて、日本が得たコーナーキックを奪われ、ベルギーに一撃必殺のカウンターを許してしまい、押し込まれ万事休すでした。

西野監督は、試合直後

「W杯の怖いところでしょうか。追いつめましたけど、やっぱり何が足りないんでしょうね。本気のベルギーがそこにありました」

と語りました。

ワールドカップ、負けてしまいました。

戦前、あれだけ弱い勝てない期待できないと言われ続けた今回の日本代表、しかしながら間違いなく日本サッカー史に残る名勝負を仕掛け、世界の強豪ベルギーを驚かせ、慌てさせ、本気にさせた、堂々たる試合運びでした。

言葉にならない悔しさですが、正々堂々、まさに勝ちに行く試合運びと姿勢は、何より日本の、世界のファンに刻まれました。

8年前の2010年南アフリカ大会も、死闘に敗れ、ベスト8の夢は破れました。

2002年日本・韓国大会も、ベスト8に届きませんでした。

しかし、今回、私が声を大きくして言いたいのは、この戦いができて世界を驚かすことができたということは、近い将来、おそらく日本の個々の選手の能力アップと代表チーム内での競争によっては、もっと先に行くチャンスが確実に見えたということです。

事前の予想や批判は、あまり関係なく、むしろ注目されていることを力に変えるくらいの強い精神力で準備して試合に臨めば、想像しえないかなり遠いところに行くことができるということを、このチームには教えてもらったような気がします。

日本は頑張った、いまは悔しさしかないですが、その姿勢を讃えたいと思います。

ベルギーは次の準々決勝で、ブラジルと対戦することが決まりました。

本気を見せてもらったベルギーには、この戦いをバネにして、優勝目指して突き進んでもらいたいものです。

そろそろ自分も本気出したいと思いました筆者からは以上です。

(平成30年7月3日 火曜日)

2018年7月2日

二次元移動と三次元移動のフィールドにおける戦場の根本的相違について考察しました





おはようございます。

2018年7月の二次元移動と三次元移動のフィールドの根本的相違について考察するという記事です。

筆者は小さい時より、古来からの歴史、特に戦史に対してはひとかたならぬ興味を持って見てきておりました。

例えばアレクサンダー大王がペルシャ帝国ダレイオス一世と戦ったガウガメラの戦いから、おなじくペルシャ軍とギリシャがエーゲ海で戦火を交えた最大規模のサラミス海戦、カエサルのガリアでの戦いやアクティウムで古代エジプトプトレマイオス朝が滅びた戦いから、チンギスハーンの大遠征、そして日本海海戦、奉天大会戦、それから第一次世界大戦、第二次世界大戦と、ざっと数千年に及ぶ人類の歴史においてあまたあります戦争の歴史ですが、これはあくまで「平面上」の戦いであったと大きく定義できます。

もちろん、約百年前に登場した空飛ぶ乗り物であります飛行機の登場により、航空戦法というものが登場しましたし、その前には大艦巨砲主義で人のはるか頭上(一説には富士山の高さの2倍以上)もの高さに打ち上げ、数十キロメートル先の対象物を破壊しうる大容量の弾頭、それから自走するロケットやミサイルといった飛び道具も進歩しましたが、これとても、所詮地上から見れば数キロメートル程度の薄い皮の上を非常に限られた航続時間上作戦行動ができるという意味では、「平面上」の戦いの延長線上にあると言ってしまって過言ではないと筆者は考えております。

さて、この平面上の定義に唯一現在異を唱えられるとすれば、海中における潜水艦の戦いでしょう。

現代の潜水艦の潜水深度は、1,000メートルにも達しておりまして、こうした深深度に潜った潜水艦は、レーダーなどでは全く探知できません。

したがいまして、原子炉という無限の電池で動くということを前提にするならば、潜水艦こそ最強の隠密兵器ということになります。

当然ですが、海中においては三次元航行が可能でありまして、極端な話、漫画「沈黙の艦隊」で描かれていたように、最新鋭の米国イージス艦であろうとも、信管を抜いて爆発しないように処理された魚雷を直接スクリューにぶち当てて壊してしまえば、いかに有能な洋上戦であっても走行能力は失われ、かつ洋上からの飛行機の爆撃攻撃にはほぼ無力であるという平面上の戦いを強いられるというわけです。

もう一つ、こちらは現在においては想像上のものでしかありませんが、三次元上に無限に広がる戦域というのは、地球の大気圏内と海中を別にすれば、宇宙空間ということになります。

もし、宇宙戦艦ヤマトや銀河英雄伝説のような世界が現実のものになれば、将棋やチェスは二次元から三次元にそのルールを変え、サッカーもフライングサッカー、バスケットもクィディッチのような三次元世界のものに様変わりするのではないかと思います。

三次元の宙域に艦隊を配し、双方の指揮官の知略をふるって戦う宇宙上の艦隊戦が、見るもの読むものの想像力をかきたてるのは、こうした想像上の戦いが、これまで我々が歴史的に知りうるどの二次元平面上の戦いを超えた面白さをもつであろうことから来ているのではないかと思います。

円形に包囲するのではなく球状に包囲する、包囲戦だけとってもその意味するイメージはかなり変わります。

最後になりますが、アニメ「銀河英雄伝説 Die Neue These」という最新作が上梓されておりますが、これはなかなかよくできていると思います。

特に、三次元空間である宇宙空間における戦い方について、非常に示唆に富むものでありましたので、重ねて申し上げておきます。

結局、新しいテレビアニメが出てそれを見て書いただけの記事であることがばれてしまった筆者からは以上です。

(平成30年7月2日 月曜日)

2018年7月1日

2018年6月の大阪府北部地震は一部損壊が多く公的支援が行き届かない恐れがあるので寄付を合わせてお願いします






おはようございます。

2018年6月に起こった大阪府北部地震についての配信記事です。

大阪府北部の高槻市等で震度6弱を観測した地震については、被害調査が進んで来まして、被災した家屋の数は近畿4府県で8千棟超に拡大したとのことです。

しかしながら、そのほとんど(99%)は倒壊を免れた一部損壊のケースとなっておりまして、こうなりますと原則公的支援や地震保険の対象外となってしまうため、復旧工事に進め方などに戸惑う被災者が多く、地震規模としては小さかったところ、ブロック塀が倒れるといったセンセーショナルな事案も含めて、全国的に影響が大きくなってきています。

そんな当該地区の各市町村自治体の窓口には、被災者からの相談が殺到しておりまして、これを受けて、被災家屋を多く抱える大阪府は無利子の融資制度を新設する準備に入った模様です。

現在用意されている住居の再建に向けた公的支援の主なものは、災害救助法に基づいたもので、大規模半壊や住居半壊の場合、1世帯あたり58万4千円を上限に公費で屋根や外壁、柱の修理修繕が可能となっています。

また、被災者生活再建支援法を適用すれば、被災者に対して最高で300万円が支給される仕組みも用意されています。

ただし、これらは全体の被害規模がある一定以上であることが条件となっており、今回の地震では規模が小さかったため、ほぼ適用されないという状況になっています。

公費での支援と並行して、保険制度による手当ても用意されています。

地震保険に加入していれば、多くの場合で保険金が出ます。

居住用の建物の場合は各保険会社の担当者が震災後に現地を調査し、損害額を算定します。

家屋や家財の時価に対する損害額の割合に応じ損害の程度が4つに区分され、損害額が家屋の時価額の50%以上ならば「全損」と判定され、保険金が満額支払われることになります。

しかしながら、ほかの区分は被害程度が大きい順に「大半損」、「小半損」と続き、「一部損」の場合に支払われる金額は保険金額の5%に過ぎません。

そして、被害が軽微と認定され、損害額が家屋の時価の3%未満と判定されると保険金が支払われないのです。

しかしながら、半損だろうが一部損壊だろうが、屋根だけで100万円を優に超える修繕工事費用がかかり、またブロック塀の撤去については、数百万単位のお金が平気でかかってしまうという状況です。

また、地震保険はブロック塀やプレハブといった建屋には適用されないので、こちらも自費での対応が迫られます。

直接の地震被害から、どのように街を立て直すか、地震の規模に関わらず地震国日本に住む我々が全体として考えておかなければならないとあたらめて思いました。

思う以上に、民間としてできることは、公的団体への寄付です。

ヤフージャパンで手軽にできるTポイント寄付を始め、数クリックで寄付ができる仕組みがたくさんありますので、これ読まれて大変だと思われた方、手持ちのTポイントの余りの数十円数百円分で結構ですので、寄付のご検討をよろしくお願いします。

その昔、関西で学生時代を過ごした筆者からのお願いは以上です。

(平成30年7月1日 日曜日)