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2018年8月5日

長崎県に限らない地方銀行の過当競争に関して個人的意見を述べておくという記事です








おはようございます。

2018年8月の地方銀行の過当競争に関する配信記事です。

公正取引委員会がずっとこの数年待ったをかけていた、長崎県の地方銀行2行(長崎市地盤の十八銀行と佐世保市地盤の親和銀行)の合併統合に関して、ようやく認められる方向になったようです。

非常に感慨深いです。

既に、2000年代には、狭い日本に全国展開している20行近くあった都市銀行、信託銀行、長期信用銀行たちは、それぞれの収益基盤の先細り感からこぞって集合統合を繰り返し、今の赤グループ(三菱)、緑グループ(三井住友)、青グループ(みずほ)というメガバンク3行体制に収斂してきたのに、場面を地方都道府県レベルに落とした時には、県内融資残高が突出するという論理で統合を頑として認めなかったのです。

これはかなり二重基準と言えまして、例えば長崎県、とひとくくりに申し上げましても大きな経済圏としては、長崎市を中心とした一帯と佐世保市を中心とした一帯に大きく分かれており、この二つの都市圏は歴史も違えば文化も違う、はっきり言って隣の県レベルに何もかも違うわけです。

当職は同じ話をかつて長野県の松本市に行ったときに痛切に感じまして、かの地においては、1998年長野オリンピック(当然長野市で行われますが)は驚くほど盛り上がっておらず、長野新幹線などどこ吹く風、東京からの始発特急あずさに乗って3時間、松本駅から北アルプス上高地、みたいな旅情がそのままたなびいておったわけです。

当時、1998年でしたが間違いなく長野オリンピックを松本城の真ん中で叫ぶことはなかったけれども、長野市の善光寺では、冬季オリンピック一色でありました。

ちなみに松本市の人にとっては、長野県など屈辱的な名前に過ぎず、今でも信州信濃、と呼ぶのがスタンダードのようです(県の歌は「信濃の国」)。

もちろん、学生あがりのペーペー社会人であった筆者の受けた感覚ですから大げさな部分も含まれているとは思いますが、それくらいのインパクトがあったのです。

さて話を長崎に戻します。

つまり、長崎市レベルで見れば十分独占と言える十八銀行の存在、片や佐世保市レベルにおいて見れば大いに独占と言える親和銀行の存在を見るに、それを長らく黙認し放置していた公正取引委員会が、その2行が合併すると長崎県レベルで独占が発生するからよくない、合併統合は認めないと言っているのであれば、一体公正取引委員会というのはどのレベルでの独占寡占を規制している行政当局なのか疑問だということになります。

それに、公正取引委員会が設置されている根拠法である、独占禁止法ですが、この適用対象として、全世界的に展開してほぼ電子商取引の世界で独占状態を続けて独走しているアマゾンや、SNS世界であらゆる新興サービスを吸収合併しながら貪欲に成長し続けるフェイスブックのほうがよほど独占による規制対象としてふさわしいと思うのですが、そうした会社についてはグローバルに展開しているので捕捉しようがないという風に見えるのも、少々二重基準が過ぎるようで面白いと思ってしまいます。

さて、こうしたわけですが、長崎県に限らず、全国津々浦々に存在する日本の地方銀行をめぐる経済環境は、そもそも厳しく過当競争で皆共倒れになるリスクの方が、独占による弊害よりはるかに高いと思います。

何しろ、「銀行」で仮に独占したとしても、顧客に高い貸出金利を要求すれば、顧客である借り手は容易に類似の金融機関、すなわち信組信金農協、それからクラウドファンディングに果てはサラ金、乗り込んでくる隣の県(例えば福岡県の福岡銀行とか西日本シティ銀行とか肥後銀行鹿児島銀行の九州フィナンシャルグループとか)の地銀にまるごと融資シェアを持っていかれ、そしてゼロ金利で全くお荷物となっている支店網の預金吸い上げ機能を抱えたまま、右往左往するしかなくなります。

その上、全世界的なフィンテック革命の嵐の中から、何たらペイを超える革命的フィンテックサービスが乗り込んでくれば、ひとたまりもありません。

ゼロ金利なのですから、わざわざ顧客(預金者)からお金を集めるのではなく、マーケットや他の地銀や他のメガバンクから、インターバンク市場でお金を必要分だけ「調達」してくればよいだけなのに、そうしないのは、地方経済にATMを設置して、顧客(預金者)の利便に現金を供与しなければならないという地銀の宿命でもあります。

合わせて預金部門を廃止してしまえば、例えば将来に金利が上昇してインターバンクでの調達が苦しくなった時(かつての支店網を持てない長期信用銀行が苦しんだ如く)、自前の預金部門があるのが経営安定のために必要であるからでもあります。

しかしながら、いつ金利が上がるのか全く分からない中、ずっと赤自店舗部門を抱えて維持し続けるコストは、本当につらいものであることは間違いありません。

いっそすべてコンビニATMへの「名義貸し」に特化して振り切ってしまう、というくらいの荒療治が必要なところまで来ているのです。

公正取引委員会の存在意義自体まで踏み込んだ、非常に奥深い壮大な問題に切り込もうといたしましたが、いかんせん浅学であるのでそのとば口で筆を置きたい筆者からのコメントは以上です。

(平成30年8月5日 日曜日)