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2018年8月14日

人は他人の承認を求めて行動する生き物であるならその他人の中に自分を入れれば良いのではないかという話






おはようございます。

2018年8月のお盆の暑い中の記事です。

お盆では、ご先祖様に思いを馳せて、そのご先祖様が一生懸命いきてくれたからこそ自分の人生につながっているのだということを肌で感じるようにしたいものです。

それも、一つの承認要求を満たす行為なのでしょうが、すでにこの世にいないご先祖様ではなくて、その辺の、生きている他人に認められたいという欲求ばかりが強くなってしまうと、いろいろと生きにくくなるなと感じています。

誰かに認められるということは素晴らしいことだし、当然誰かに認められたいということを前向きなモチベーションにして、何にしろ取り組む、頑張るという姿勢もそれはいいことだと思います。

行動の原動力になるといって問題ありません。

しかしながら、あまりにも他人の承認行動を求めるあたり、他人の評価ばかりを気にして本当に自分のしたいことからずれてしまうという危険性も同時に感じています。

自分の人生なのに、その自分の行動の価値判断基準を自らの価値観ではなく、他人の価値観を「想像して」それに合わせようとする同調圧力がかかるということなのです。

ここで大切なのは、他人の価値観など実はそんなによくわからないと言うことなのです。

美人投票のアノマリーとして知られているのは、かの経済学者のジョン・メイナード・ケインズが、投資行動を美人投票に例えた以下の話が有名です。

玄人筋(投資をプロとして行なっている者)の行う投資は、投票者が100枚の写真の中から最も容貌の美しい6枚を選び、その選択が投票者全体の平均的な好みに最も近かった者に賞品が与えられるという新聞投票と同じようなものであると喝破したのです。

これは、各投票者は、「自身が最も美しいと思う写真」を選ぶのではなく、「他の投票者の好みに最もよく合うと思う写真」を選択しようとすることである、ということなのです。

筆者の下手な株式投資に関しても、市場参加者(=投票者)の多くが、値上がりするであろう(=容貌が美しいであろう)と判断する銘柄(=写真)を選ぶことが有効な投資方法であるということになっておりまして、その点でも、自らの判断だけで投資銘柄を選ぶのは危険だということになります。

あれ?違う話をしていたような。。。

そうでした。

株式投資のような他者の影響を考えなければならない経済事象と違って、自分がやりたいことや自分が満足することに、他者の(承認要求という)影響を入れすぎないようにしたい、ということが、ここで言いたいことでした。

こうするための方法論として、自分がおすすめするのは、自分で自分を承認するという方法です。

自分が自分のやることを承認していけば、ここに他者からの観点が入り込むというノイズが起こりにくくなります。

自分の承認要求を満たすために、自分の心の中の意思に背を向けて、その判断基準を他人に委ねるということがなくなります。

なくならないまでも、かなり減らすことができます。

そして、自分の側面はたくさんあるものの、全て自分自身であり、客観的に見た場合これ以上自分にとって最適な「他人」もいないのではないかと思うのです。

そして、その承認欲求を満たす承認については、非常に些細なもので全く構わないと思います。

何も火星旅行に行って帰ってきた、といった大それたことをしなければならないと気構える必要はありません。

例えば、今筆者はこの文章を書いていますが、これも毎日やることのリストをただ淡々とこなしているだけですが、それでも改めて、今自分はブログの記事を書いているなとか、
毎日がんばってるな、とかそういうことでも立派な承認行為となると思います。

そして、自分が真にやらされているなと感じることや違和感を感じることについてはだんだん自然と遠ざけていくこともできるのではないでしょうか。

付き合い残業とか、無駄な相槌とか、その他もろもろあるでしょう。

承認を自家発電しているようなものですから、これはとても効果的だと思います。

そして、自分の意思決定を自分のものとして再定義することができるというのは、非常に大きな推進力になるのではないかと思っています。

このあたり、どうも承認しすぎるとそのままたゆたってしまう傾向もある筆者にとってはこれからも研究課題となる点ですが、今のところの筆者の持論の感じは今述べた通りになります。

とりあえず、変えられるのは世界より他人よりまず自分から、でいきたいところです。

実は承認どころかずっと寝ていたい筆者からの記事は以上です。

(平成30年8月14日 火曜日)