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2018年9月30日

忘れるということの効能と困った副作用について述べておきます(ほぼ雑談です)







おはようございます。

2018年9月の記憶に関する配信記事です。

実は、昨日の昼食に何を食べたかも覚えていない筆者です。

そして、人間40年以上も過ごしてきますと、すでにかつての人類の平均寿命を軽く超えて来て生きているからでしょうか、かなり直近のことでも覚えていないことが多々あります。

特に、この傾向は男の方が多いようです。

そして、特に対女性に対して、家族とか同僚とかそうした近いところにいる女性には、会話を適当に流しているのではないかと思われてしまうのです。

その対処法としては、大きく二つあると思います。

1つは、まともな解決策で、紙のメモとかEvernoteとか、そういった外部記憶装置の助けを借りることです。

この方法は、とてもよく世界中に知られており、よく歴史的な起業家などがメモ魔であったことが引用されたりもします。

しかしながら、こうした偉人たちは単にメモをとる以上に、他の分野でも異常だったため、異常な成果をあげることができたということを忘れてはいけません。

筆者のように、書いたことも忘れてしまっているのでは、話にならないのです。

それは、記憶を無くしたことと一緒です。

もう一つは、忘れるものであるということを理解してもらうことです。

「今の」人類がアフリカの南部で生まれてからだいたい20万年、そのほとんどの期間は飢えと気候変動に苦しみながら版図を世界中(南極大陸を除く)に広げてきたという歴史の中、特に男たちの何よりの生業は狩りに出ることでした。

そして、狩りの成功率は低いものでした。

要するに、失敗をいつまでも覚えていて次に踏み出せないのは生存確率を下げます。

ですので、意図的に忘れる能力を身につけ、ようするにバカになり、繰り返し繰り返し失敗しながら少しづつ学ぶという方法を身につけたのです。

逆に、女性の方は、長い妊娠期間を経て産んだ子供をこれまた長い期間をかけて母乳で育てるという、子育てに必要な資質として、木の実や植物の食べ方、調理の仕方、保存の仕方、そして危険な猛獣や病気から身を守る手段を多く学び、そのためにも、記憶して使えるようにするという風に脳を鍛えてきた、ということのようなのです。

これは、長い数万年というスパンでそれぞれ鍛えられてきた女と男の「傾向」というものであり、そうそう一世代の教育などでは変わりません。

そういう生き物として賛同せずとも、理解しておくことは大切ではないかと思うのです。

ということで、忘れてしまっている中年のおっさんがもしそばにいるのであれば、彼はすぐに忘れるアホな男であるという側面、裏を返せば過去のことにはこだわらない超前向きな、狩りの能力が高い男なのかもしれないのです。

本日は、忘れることも能力という話でした。

昨日の昼食ですが、確か何かに夢中で食べる機会を逸してしまった、というのが正解なのであろうと今思い出した異常な筆者からは以上です。

(平成30年9月30日 日曜日)

2018年9月29日

日本の東京地下鉄の路線図を高低差まで再現したプラモデルに見る人間の探究心のお話です





おはようございます。

2018年9月のホビーマニアのお話です。

東京地下鉄といえば、世界一複雑で正確無比な運行を誇る、世界の都市機能に冠たる公共交通機関です。

最初にできた銀座線の地下鉄通路が、そのまま今も現存して100年以上経った今でも使われているという奇跡の路線でもあります。

都市圏で1,000万人を超える、いわゆる世界都市は世界中に存在しますが、すでに150年以上前の江戸の街の時ですでにロンドンやパリを人口ではるかに追い抜いて100万人都市へ変貌していた東京という街の活力を一手に引き受けた存在が、この東京メトロと都営地下鉄です。

このように、世界一複雑で世界一正確といわれるその奇跡の路線を縮尺だけではなく高低差まで再現した立体モデルが日本のホビー会社大手のバンダイから発売されています。

各路線は路線別カラーのクリアパーツで構成され、模型玩具としてだけではなくインテリアとしても楽しむことができます。

東京メトロで9路線

都営地下鉄で4路線

合計13路線が複雑に絡み合い、高低差最大50メートルと言われる地中を走り回るその路線図のさまは、鉄道マニアに限らず建築家や都市デザイナー、一般市民までの興味を引くものでしょう。

機能美とは、それだけで商品になるなと感じた筆者からは以上です。

(平成30年9月29日 土曜日)

2018年9月28日

スマホやタブレットに続いてPCでもダークモードが標準装備されたという話です





おはようございます。

2018年9月のダークモード、すなわち暗いお話です。

暗い話といっても、雰囲気が暗いというわけではなく、あくまでPCやスマホやタブレットの画面が、白を基調としたものから黒を基調にして文字を白く出すという反転投射に変えたモードが設定できるようになったというものです。

最近、マッキントッシュ、今は単にMACというアップルが出しているPC機種のOSが最新バージョンにアップデートされ、このダークモードという、黒を基調にしたものに変えたところ、かなり目に優しくかつ消費電力も少なくなったようなので、気に入っているのです。

黒を基調にするということは、明度が下がるということで、明度を下げれば消費電力は極めて少なく済みますから、バッテリーの持ちも良くなったようなのです。

現に、正規品ではないType-cのジャックで繋いでPCで作業していても、なかなかバッテリーの容量が上がってこなかったのですが、このダークモードに変えると、かなり満足する水準でバッテリーの容量%が上がってくるようです。

この調子に合わせて、持っているスマホ(iPhone7という、2018年9月時点においては最も販売されている中で古い機種となってしまいましたが)でも、同じようにダークモードができないか調べて設定してみました。

すると、「設定」の中に「反転表示」といった機能があり、これを設定すると、白黒反転した、まるで闇の中にいるような、黒を基調とした画面に変わりました。

例えば、電子メールを読むにも、これまでは、白い紙に黒い文字、という紙の文字を読むような感じだったのですが、ダークモードにしますと、黒い紙に白い文字が浮かび上がり、なんだか変な感じですが、確かにこれだと明るさを示す部分は文字部分だけでいいので、消費電力的にはこちらのほうが断然良いということになるのです。

具体的には、福岡空港から東京羽田空港に出張に行き、スマホをいじり続けておりましたが、一度小さい充電器から充電をするだけで、熊本県益城町(2016年熊本地震の震源地そば)経由で福岡市内まで夜中戻って来ましたが、その中でもバッテリー切れを起こさず作業ができたくらいです。

黒い基調に文字やコンテンツを浮かび上がらせるダークモード、このコントラスト自体よりも、筆者は消費電力を抑えられるという点で非常に気に入りました。

髪はまだ原則黒いですが白いものも混じり始めており、肌は黒く、しかしながら腹は黒くはなくどちらかというと何でも食べられる、そんな真っ白な心根の筆者からは以上です。

(平成30年9月28日 金曜日)

2018年9月27日

日本の歴史に根深く浸透している怨霊(祟り神)という考え方について軽く述べるお話です






おはようございます。

2018年9月の日本の歴史を軽く考察してみるという記事です。

東京(少し前まで江戸)に行っているという若い友人が、関西に帰るまでの高速バスまでの時間が空いたので、誰かお茶でもしませんかーとフェイスブックのメッセージ昨日などのSNSを使って呼びかけてきました。

便利な世の中になったものです。

地球にいて通信回線を通してインターネットに接続すれば、クラウドシステムを通じて同じ情報が瞬時に同報されるという、少し前では考えられなかった恩恵に我々はあずかっています。

しかしながら、実際に足で訪れて目で見て耳で聞く、これが旅の醍醐味です。

いくら写真や動画で見たとしても、それ以上の臨場感を感じるには、現場に足を運ぶ、これに勝るものはありません。

そういうわけで、例えば東京の丸の内にいて少しだけ時間があるのであれば、筆者ならば三井物産の本社ビル(現在建て替え中ですが)のそばに立っている平将門の首塚に参ることをオススメしましたが、ここで、何で世界都市の東京の一等地に、こんな古い塚が立っているのか、撤去されないのか不思議に思う若い人もいるかと思います。

実際、その若い友人も、将門塚のことを知りませんでした。

しかしこれは、数々の呪いの伝説に彩られたパワースポットであり、日本史上最大の怨霊を封じ込める大切な装置なのです。

平将門といえば、坂東武士を糾合して朝廷に反旗を翻し、関東八州を実質的に支配下に入れて、「新皇」として君臨した日本古代史上の英雄にして梟雄(きょうゆう)です。

普通、歴史上の大きな騒乱や事件を名付ける場合、その時代の元号をとって、例えば大化の改新とか応仁の乱などといった名称をつけることが普通です。

文永の役、弘安の役(いわゆる元寇)もそうです。

それなのに、日本の歴史において、その主人公、しかも反乱側が名前になるというのは異例中の異例であるということなのです。

それだけ、平将門という人物が謀反人であるけれども一方の地方に名声を得た大人物、英雄であって、朝廷はその鎮圧に苦慮した、とも言えるのです。

平安の覇王という存在であった、桓武天皇の直系の子孫にして臣下に降っても一級の名門であった平将門ですが、だんだんと中央政府(朝廷)との折り合いが悪くなってしまい、東国の不満分子の棟梁として反旗を翻さざるを得ない状況に追い込まれてしまいます。

こうして、平安時代中期、関八州を一気に手に入れ、新皇として独立するまでの勢いをもった大反乱が勃発します。

残念ながら、この時代においては、職業軍人としての武士階級が出来上がっていたわけではなく、あくまで武力による反乱も農閑期である秋から冬にかけては可能であったものの、農繁期である春から夏にかけては専用の兵団を確保することができず、乱は鎮圧され、そして将門の首は晒されることになりましたが、この首が突如として生まれ故郷の坂東に飛んで行った、その首がたどり着いたところが今の東京都の大手町の将門塚ということになるのです。

そうしたわけで、この日本史上最大手の怨霊を封じ込めるべく、将門の反乱は時代の要請にあったもので地元の熱心な支持があったことに経緯を評して、英雄将門の首を丁重に葬り、そうして今に至るまでこの場を清めて保存してきたというわけです。

このように、日本には怨霊を封じ込めるパワースポットがたくさんありまして、素人の筆者の知る限りでも、

・讃岐の崇徳院の金毘羅さん
・太宰府の菅原道眞公

といった、当人は無実かそれに近いところながら、時代に翻弄されて無実の、もしくは過度の罰を受けこの世を恨んで死に、そうして後の世に災厄を振り掛けるという怨霊(祟り神)になってしまった貴人の霊があって、それを封じ込め、その災厄をも防止しようとする試みがいたるところでなされてきたと思うわけであります。

祟りが怖い、というのは少し前の日本人までは持っていた普通の感情だったのです。

ここでいう祟りとは、無実の罪を着せられ非業の死を遂げ、その無念の思いが強くて後世の政治社会に生きる人間たちに大きなマイナスの影響を残す、そういうものです。

つまり、怨霊と認定された貴人たちは、実際は全くの無罪であったということがいみじくも証明されたことになるのです。

このあたり、かなり西洋の「聖人」といったカテゴリイメージとは異なっているので、注意しておきたいところです。

古くは大国主(オオクニヌシ)を祀っている出雲大社からして、これこそが日本史上最大の怨霊封じ込め装置であると唱える研究者もいます。

確かに、日本のあらゆる神社の礼拝手法が、2拍手であるところ、この出雲大社と大分の宇佐神宮のみ、4拍手となっているのです。

筆者は幸運にも両方ともお参りしたことがあるのですが、両方とも、ざっと二千年くらい前のこの日本列島に渦巻いた、陰謀と戦乱と混乱といった、さまざまな国づくりのダイナミズムを感じざるを得ませんでした。

本日はいつにも増してとりとめのない記事となりました。

鎌倉幕府末期、鎮西探題を攻めましたが敗死した菊池武時の動きが九州における鎌倉幕府討幕運動の契機となり、この2ヶ月後の1333年5月22日に鎌倉幕府は滅亡するに至ります。

その菊池武時公(後に朝廷より従一位を追贈)の首を祀った菊池霊社というパワースポットのすぐそばに実は住んでおります歴史好きの筆者からの記事は以上です。

(平成30年9月27日 木曜日)

2018年9月26日

時間は有限であるからやらないことを決めて自分自身の心を整えるのが大切だという話です








おはようございます。

2018年9月の自己実現に関する配信記事です。

これまで、勉強や学習を進めて行くことは、数直線上の点が右上に動いていくようなイメージで考えていたのですが、自分の視野が広がるという意味で、最近では扇型の先の方が照らされるようなそんなイメージで捉えた方が良いと考えられるようになりました。

そして、あらゆる分野で勉強や学習や、仕事の研修などを進めてスキルや能力や技術が上がれば上がるほど、その扇型の広がりは無限に広がっていき、そして、近い分野のものだと(初学者時点では)思っていた分野も、扇型の先に進めば進むほど、これほどまでに距離が離れるものなのか、と驚くような、そんなイメージで専門性というものを捉えることができるようになりました。

同じIT技術者でも、コーディングができるプログラマと、サーバー周りやWifiといった通信系、つまりハードウェアにつよい技術者では全くその求められているところも専門性も違います。

魚釣りと定置網漁法くらい、同じ漁業でも違うのです。

米作農家と、いちご農家では、求められる知見も、立地も、何もかも違うのです。

同じ農業というカテゴリと素人は括っても、そんなのなんの役にも立ちません。

さて、そんなスキルを磨くために人間に与えられた一番限りのある大切な資産、これは寿命までの「時間」ということになります。

1日24時間、1年365日(4年に1回は1日増えますが)、これは誰に取っても変わりません。

しかし、この時間をいかに主体的に濃く過ごすかどうかは、各人次第ということになります。

目一杯詰め込んでも、一日中寝ていても、1日は1日です。

そして、専門性が高くなり、仕事のスキルが上がってきて、例えば給料や報酬や売上が見込めるようになってきたり、仕事やプロジェクトにおける責任ある地位やリーダー的な役割を求められるようになればなるほど、今日という大切な日に「何をするのか」ということが大切なのと同様以上に、「何をしないように決めるのか」ということを定めることが非常に大切になってくるようです。

やらないことを決めるというのは、結構大変です。

しかし、時間を自分に取り戻すために、定期的に、スキルが上がってきたと感じられた節目節目で行うようにすることはとても大切だと思います。

自分にしかできないことをあぶりだし、自分ができるように時間を配分する。

そのために、自分に時間を取り戻すために、自分以外の人ができるようなことは極力他人に思い切って任せたり、外注したりするという「分業」の考え方や、そもそもその作業は必要なのか、やめてもいいのではないか、やめなくても頻度を減らせばいいのではないか、または他の作業や行動とまとめることはできないか、よく考えるのです。

そうすれば、時間が少しずつ染み出すように捻出できることでしょう。

そうして、自分にとっての時間を取り戻し、自分に自信を持って前向きに過ごしていきたいものです。

時間がないと、無理やりプライドを引っ張り出そうとしてしまいますが、これは焦りや劣等感からくるものであり、非常に不安定なものです。

他人といつも比べているような強迫観念から自由になりません。

それよりも、他者との比較ではなく、過去の自分との比較で考え、自らこれだけ進歩したという自らの存在を尊いものだと感じることができればしめたものです。

時間を自由に動かし、自尊心を高め、プライドは低めに、ついでに腰を低く泥臭く物事に当たれば、大抵の物事はうまく行くものです。

頑張っていきましょう。

とりあえず、昨夜出席の披露宴の後の二次会三次会に加えて締めのラーメンという、飲み過ぎ食べ過ぎ胃のもたれ、で次の日の午前中をまるごと回復に充てざるを得なかった筆者からの反省を込めた記事は以上です。

(平成30年9月26日 水曜日)

2018年9月25日

人とリアルに会って話す場合にどんな話題で盛り上がるかを探ろうという話です






おはようございます。

2018年9月の、リアルに人と会って話す場合において、コンテンツや物事に詳しい相手といかにすぐ盛り上がれるかそのコツのようなものを披瀝するという記事です。

「口は一つで耳は二つ、だから自分からしゃべるより聞き役に徹するようにせよ」

とは営業でも人付き合いでも円滑な人間関係構築には非常に有効な格言だと思っておりますが、そもそも、何を聞いてもらえるか安心できないと、人は胸襟を開いて話してくれません。

そして、自分が大切にしている世界観やスポーツやコンテンツの話題で、盛り上がることができればその人とは非常に仲良くなれるはずなのですが、さりとてなかなかどういった分野で盛り上がれるのか最初は当然わからないので、そこを「探る」ところが非常に大切になってきます。

何より、人間忙しいですから、手当たり次第に話題をぶつけ続けるわけにもいきません。

さらには、自分がはまっている世界やコンテンツのことを話し出してしまい、最初の原則である聞き役に徹することができずに自分のことばっかり話し始めたら、さらに残念なことになってしまいます。

相手の興味ポイントを探るはずだったところが、自分の趣味の独演会になってしまうのです。

こうしたことは、よく懇親の席などで起こりますので、筆者なども注意したいと考えています。

さて、相手の興味の引き出しをどのようにノックするのか、その一つの方法論として、かるくそういった話題にさりげなく触れてみるということがあります。

しかし、ここで注意したいのは、誰でもわかるレベルのことであれば、それは相手の心を揺らすものにはなりにくいということなのです。

例えば、野球選手でイチロー選手や松井選手、今なら大谷選手のことを話し始めても、これはメジャーすぎてあまり話が続きません。

誰でも一通りのことは知っているレベルの話題は、希少性がありません。

なので、相手がこの野球という話題に食いつきたいか、それを探るにはもう少しだけ掘り下げたノックが必要です。

例えば在京球団ではない福岡ソフトバンクホークスや北海道日本ハムの、一軍半レベルの選手のエピソードなどを挟むのです。

ソフバンのショートの今宮選手の負傷離脱は痛いですね

代わりにスタメン出場している高田選手には頑張って欲しいですね

といった、少しマニアにはたまらないけれども一般国民全体には知れ渡っていない程度の話題が、こうしたノックには最適です。

相手が反応してきたら、そのまま相手の話を聞くモードに入れば良いし、スルーされたら次の話題に行くだけです。

筆者の直近の事例には、このようなことがありました。

動物が話題とするNHKのダーウィンが来た!という番組で、先週は南アメリカアマゾン川の奥地で生きるめずらしい種類の魚を特集していましたが、そこで出て来たデンキウナギについて、筆者は何気なく

「マーズランキング第2位ですね...」

と呟きました。

それを聞いた側は、火星のテラフォーミング用に放たれて人型へ進化したゴキブリ「テラフォーマー」達と、それを駆除するために特殊な手術を施された人々との戦いを描いたSF漫画の「テラフォーマーズ」の場面を一瞬にして想起し、そして我先とばかりこの漫画コンテンツの示す世界観やら、火星への居住可能性やら、果てはイーロンマスクのスペースXが募集した有人月周回旅行に日本人で初めてエントリーしたZOZOTOWNの前澤社長のことなど、とめどなく話題が展開し、それは楽しい会話になったわけです。

筆者は、実はこのテラフォーマーズという漫画に詳しいわけではありません。

漫画の設定や世界観、初期のキャラクター、それから主要クラスの人物像くらいをなんとなく把握しているだけです。

それでも、マーズランキング第2位がドイツから来た幹部(オフィサー)であるアドルフ・ラインハルトであることを全くわかってなくても、なんとなくデンキウナギの能力を取り込んで周囲を数万ボルトで感電させる能力の持ち主であるという適当な前提知識で少しだけノックするだけで、これだけの相手の話題を引き出すことができたわけです。

一度つかまえたら、もう入れ食い状態です。

この漫画の主要主人公たちが、最期の時を迎える時かならず神話が流れるのですが、その神話の出自がどこだの、火星を居住可能な惑星にするための方策だの、果ては火星旅行の実現性など、その手の話題が好きな相手からは、面白い話が湧き出てきます。

こういうのが、リアルな出会いの面白いところです。

そして、これはオンラインでチャットの文章のやり取り(論理的であることが多い)ではなし得ない面白さなのです。

頭で考えるというより、心が動くという感じでしょうか。

このように、せっかく時間と手間を使って人と直接会って話をするというまたとない機会を、大切にしてもらいたいと思います。

今日は、会って何を話そうかという最初の話題のノックについての話でした。

テラフォーマーズについては、第1章とNEVERまとめしか読んでいないですし、ワンピースに至ってはイーストブルーを出る前に読むのを中断してしまっておりますが、ジブリ映画についてはだいたいセリフの一つ一つまで諳んじることのできます筆者からの記事は以上です。

(平成30年9月25日

2018年9月24日

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします







おはようございます。

2018年9月の配信記事です。

働くということを最初から考えてみたいと思ったたとえ話をいたします。

学生時代から一生懸命勉強して、倍率の高い、有名な企業の研究職として、または組織の幹部候補生(総合職)として採用されたとします。

しかしながら、そんな、待遇の良い企業でもどうしても我慢ができず退職し転職して行く人が後を絶ちません。

なぜ、そんな有名企業のホワイトな職場から去って行く人が多いのか、それを論じていきたいと思います。

誰もが、働くということについて、例えばエンジニアなら技術開発、プログラマならコーディング、そして文系管理職であっても店舗管理やマネジメントの現場といった場所をイメージすると思います。

しかし、一部上場企業といった待遇の良い仕事になればなるほど、そのような現場の実業や実務から遠い、社内官僚的な、「上流工程」と呼ばれる管理だけの職種に割り当てられることが多くなるというジレンマがあるのです。

そういった企業のポジションの待遇はとても良いものになります。

例えば、エンジニアならば技術開発に命と魂をかけて取り組むという気持ちに変わりうる綺麗でホワイトな労働環境を与えてあげないといけないからです。

そうして、このような会社は、日本の会社の中でもとりわけ高待遇であり、合コンでの受けも良く、年収も高く、有給の消化率も高くなります。

例えば週の中日の水曜日はノー残業デーです。

残業も、月30時間を超えることはありません。

食堂と書いていながら、まるで中身はレストランかカフェテリアかというレベルの美味しい昼食や夕食、時には朝食まで食べられますし、職場の中や近くにはスターバックスなりタリーズコーヒーもあって休憩時間には、いや業務時間中の打ち合わせでもそんなところを利用して専門店のコーヒーをいつでも楽しむこともできます。

労働環境でいえば、日本の中でも最高度に洗練された、まさに活性炭で汗臭さを吸い取り尽くしたような、そんな職場でしょう。

究極のホワイト企業です。

しかし、そんな高待遇で理想的な職場環境でも、それでも仕事を続けることができない人が続出します。

それはなぜか。

魂を震わせる、現場の仕事ができないからです。

例えば技術職での業務分野が自動車業界で今最も注目されている先進安全、自動運転に関係する研究所だったとしましょう。

研究所という名前が組織についているなら、当然に技術開発がその中でなされているのではないのかと思われるのは早計です。

そういった、綺麗な研究所やセンターでは、全く技術開発というのは行われていないのです。

では、どうやって先進安全や自動運転の機能開発をおこなっているのか。

それは、協力会社や外注先、サプライヤーと呼ばれる部品、備品、システムを納入するメーカーに対して技術開発ごと丸投げしているのです。

そして、その本体企業の専任社員たちの仕事は、そうしたサプライヤーや協力業者の工程の管理、それから彼らが開発している部品や製品技術の不具合やこちら側で想定する結果に至らなかった場合に、そうした彼らを呼び出して叱りつけるといった「管理」業務にすり替わっているのです。

そして、このような、本来縦のものを横にするだけの整理作業が、いつしか「上流工程」と呼ばれ、実際は協力業者の日程管理と発注作業、部品や研究内容の不具合が出た場合の叱り役程度の役割を持つ人間程度が、本来の製品開発を行う人々に「上」に立つという、よくわからない構造が構築され、固定化されるのです。

だいたいそのような研究職を夢見て小さい頃からそんな立志伝中の人々の伝記をみて育った人々は、このような現実を前に驚愕します。

ソニーを作った盛田昭夫、井深大や、世界のホンダをに育てた本田宗一郎の話が大好きなのは筆者も同じです。

技術者じゃなくても、技術者を集めてiPhoneなりを作り上げて売りまくった、スティーブ・ジョブズのようなちょっといかれた実業家のようなものにも憧れます。

そんな、絶対にそうした自由で愉快なる理想工場で熱い技術開発をするんだと心に決めて、そうして学生時代、きつい実験奴隷の生活にも耐えて、学業成績優秀な結果を納めて社会に出てきているのです。

それなのに、そうして入った夢だったはずの職場で待っていたものといえば、

憧れていたそんな企業の姿はどこにもなく、サプライヤーの日程管理、パワーポイントの資料作成、部品の不具合が出た時にサプライヤーに問い合わせ、その内容をまとめるという屋上屋を架すような作業(仕事とは呼べない)が延々続いていくんだと「理解」した瞬間、熱い気持ちは冷めてしまうのでしょう。

技術開発を自前でおこなわない、技術はサプライヤーから買ってくるだけ、人も足りなくなったら買えばよい、やるのは機能の上流工程というパワポとエクセル管理だけである、これが理想の職場や研究所と言えるでしょうか。

そんなことばかり、本当は優秀なはずの研究者にやらせていけば、刀はなまくらになり、先輩や上司の技術力はとても低くなり新人の目から見ても絶望的に映ります。

パワーポイントでは感動は生まれない。

待遇はよいけど、技術者として、社会人として全く成長できない。

むしろ退化する。

パワポの紙芝居と外注先のエクセル日程管理と問い合わせ対応を、延々と、来る日も来る日も定年まで延々と続けなければいけない、そう考えれば、のっぺりとした綺麗な研究所に漂う絶望感に絶ち眩んでしまうのも道理でしょう。

自らの手で技術開発をおこなわず、新商品の開発も行わず、顧客営業もしない、技術やノウハウ、営業網まで「買ってくる」だけの技術商社、投資会社と化してしまい、その投下した資金を活かすため自らが飛び込むこともできない大いなる管理業者、そんな高待遇の、年収の高い職場というのが本当に幸せなのか、仕事とはなんなのか考えてしまうわけです。

業界全体がそんな「管理」業務のような「上流工程」のような業態も存在します。

現代の銀行業、といった業態などその最たるものかもしれません。

かつて、筆者も大好きだった「プロジェクトX」で見た熱い思いの技術開発や商品開発、新事業の創造や苦しい営業行脚、そんな前向きな苦労ができること、挑戦することができることそれ自体が自分にとって一番大事じゃないか。

そして、そんな好きなことができるのであれば、企業規模は小さくとも、年収が数割下がったとしても、それでも意味がある、と思うわけです。

魂の技術開発や商品開発、足を棒にする本物の営業活動ができる、本当に責任を問われる、生の現場で、場所で生きて、生きてるという実感を、サプライヤーの報告越しではなく自分の目や耳や足で、心で感じたい、そう腹を括った人間は強いと思います。

さて、そういうわけで、筆者もかつて所属した大組織に比べれば、吹けば飛ぶような小さい会社に勤めております。

もちろん、前の会社での立場や同期の待遇や給料に比べれば劣後するでしょうし、責任は重く毎日毎時間問題は起こるし気が抜けませんが、仲間と同僚にも恵まれ、毎日充実した現場生活を送ることができています。

実際に手を動かし、物やサービスを創り出し、顧客に自分の手で営業して提供する。

これは、パワポで作る紙芝居の数十倍楽しいものだと再び思い出しました。

やはり社会人たるもの、勤め人たるもの、自分で手と足と頭と口を動かし、そして物やサービスを作り出し、大抵上手くいかず、どうやれば上手くいくのだろうか、売れるだろうか、告知できるのだろうかと悩み、そんな課題を一つずつ解決し、周囲と自分を納得させていくこと自体が一番大事で、それこそが成長の糧であり、生きている味だと思うわけです。

働いていい待遇を得ることは大切です。

しかし、いい待遇のための作業、になっていくのは勘弁してほしい、という贅沢かつめんどうくさい悩みを持っているわけです。

「黄金の奴隷となるなかれ」

とかつて出光佐三氏は言ったそうです。

めんどうくさい作業は嫌いな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月24日 月曜日)

2018年9月23日

日本の歴史で最初に名前が出てきた個人名「帥升等」という人に想いを馳せてみる記事です







おはようございます。

2018年9月の歴史に関する配信記事です。

時々書きたくなる日本古代史の話です。

日本の歴史の中で、初めて出てくる固有名詞の人である「倭国王帥升等」について、書いてみようと思います。

後漢書東夷伝、という中国の史書に曰く、

「建武中元二年、倭の奴国、貢を奉じて奉貢朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜ふに印綬を以ってす。」

「安帝の永初元年、倭国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願ふ。桓霊の間、倭国大いに乱れ、更相攻伐し歴年主なし。」

とありまして、これを適当に訳しますと、

建武中元二年(西暦57年)、倭の奴国が朝貢してきた。使者は自分のことを大夫と名乗った。奴国は倭国の南端である。光武帝は、印綬(金印と組紐)を与えた。

安帝の時代である永初元年(西暦107年)、倭国王と名乗る帥升などが生口(奴隷のこと)160人を献上し、安帝に謁見(お目通り)をお願いした。桓帝、霊帝の時代(西暦146~189年)の間、倭国は大いに乱れ、さらに互いに攻め合い、何年も王がいなかった。

という感じになりましょう。

で、第一段落のほうは、有名な「金印」が出土した博多湾志賀島のことを持ち出すまでもなく、有名な話でありますが、残念ながら「奴国」というクニが中国に朝貢してきた、という事実だけで人名まではありません。

そして、第二段落において出てくる、「倭国王帥升等」というのが、日本史上初めて出てくる個人名ということになるわけです。

有名な、卑弥呼じゃないのです。

魏志倭人伝ではなくて、その前の、後漢書東夷伝の第二段落に出てくる、この人「倭国王帥升等」こそ、日本史で最初のリアルな登場人物なのです。

そこんところ、ぜひ認識を改めていただきたいところなのです。

さて、本来ならばここでこの記事は終わってもいいのですが、「倭国王帥升等」、これをどう読むのかがさらに問題です。

通説、といいますか筆者も、「倭国の王」である「帥升」等(など)が、生口(奴隷)160人を献上した、と読んでいたのですが、よく考えれば、等を「など」とここだけ現代読みをする必要は全くないわけです。

ですので、国王たちが何人かで謁見した、という意味ではなくて、「倭国王帥升等」で一つの固有名詞だという理解にして話を先に進めたいと思います。

そうしますと、国王が単体(複数形ではない)で自ら奴隷を献上した、というのはあまりにも野蛮過ぎ、また、帥升等という人は倭国王として書かれている、ということは、すでにその地位を中国側にも認められていた、という仮説にさらに立つことにしますと、生口(奴隷)と言っても実質は、中国の技術を導入しようと倭国側から派遣された技術者や技能修習生といった人たちではなかったかと想像するわけです。

のちの日本の、あの最澄や空海も行った、遣隋使や遣唐使のはしりのようなことが行われたのではないかと思うわけです。

でないと、それまで奴隷を献上していたところからいきなり聖徳太子なりが、対等外交やって技術者や僧侶を派遣しようと思ったという苦しい説明になってしまいます。

そんなわけで、この「倭国王帥升等」とは,いったい誰かというところを改めて日本側の歴史も見ながら考えてみたいと思うわけです。

大和朝廷が成立していたとしても、成立していなかったとしても、160人もの人々を中国まで運ぶのは,並大抵のことでできるものではありません。

そして、倭国王という以上、少なくとも倭国を代表する程度の勢力をもった王のはずであり、奴国といった小国レベルでラッキーにも金印もらえたレベルではないと思うわけです(筆者は、かつての「奴国」推定地らへんに住んでいますので、一応謙遜して言います)。

そして、このレベルの倭国王として考えられる最右翼の存在といえば、やはり天皇以外を考えることは難しかろうということになってしまいます。

先の話のように、「帥升」では日本人らしい名前にもならないので,その次の「等」も人名の一部と考え、読み方を古代日本風に読みしてみると、「スシト」という風にも読め、そして、スシトに近い読み方での天皇を探すと、第四代の懿徳天皇(大日本彦鍬友命・スキトモ)といったところと一致するのではないか、といった「想像」もできるわけです。

そうすれば、日本の初期の天皇が、単に人間160人もわざわざ連れてくるということは、それなりの覚悟と目的があったわけで、やはりこの160人は、この後の日本(じゃなかった倭国)を背負って立つ若い技術者や技能者、教師や神職者といった人たちであったと考える方が「自然」ではないでしょうか。

戻ってきた技術者たちは、その大和朝廷の意を受け、また自らの使命感に燃え、貪欲に中国の技術を学び、そしてそれを持ち帰り、「日本」じゃなかった「倭国」各地に伝えて行ったのでしょう。

何も分かっていなかった当時の「日本」じゃなかった「倭国」の朝廷の人たちは、とりあえず統一国家らしいものができあがったところではありながら、その国家をどのように運営したら良いか、そのノウハウを海外に学びに行こうと計画したのでしょう。

この点では、鎖国から開国、徳川幕府打倒からの明治新政府の私たちのご先祖たちがやったことと、全く同じであります。

日本人、昔から行動様式があまり変わりません。

でもそれだから、日本の歴史開闢以来、諸外国とできるだけ対等に、誇りある地位を保って過ごして来れたのではないかと思っています。

2018年の現在においては、西の大陸の大国中国、北からのロシアの圧力、太平洋を隔てた「同盟国」米国およびシンパシーと尊敬をある程度受けながらもなかなか具体的連携が取れない台湾から南の東南アジア諸国との関係で、神経を使う状況が続いておりますが、こうした歴史の中で我々のご先祖様が辿った苦難と挑戦の歴史を見れば、少しばかり光明も見えた気もいたします。

遠いご先祖様の「倭国王帥升等」さん、あなたには教えられること多かったです。

どうぞ遠い空の上から、私たち子孫の活躍をお祈りください。

2,000年後の日本国の西のほうに住んでいる、おそらく奴国の民の子孫でありましょう筆者からの非常に長い記事は以上です。

(平成30年9月23日 日曜日)

2018年9月22日

いわゆる同窓会や懇親会の運営方法について具体的な効率化提案をしたという話です






おはようございます。

2018年9月の筆者の本音を好きなように話す配信記事です。

筆者は、今を去ること21年前に、京都大学法学部を(4年で)卒業しました。

そして現在、生まれ故郷の北九州市にほど近い、福岡市内に住んでささやかに仕事をしたり、たまにブログを書いていたりするわけでありますが、最近、平成26(2014)年11月に、福岡県ゆかりの同窓生を会員とする、京都大学福岡同窓会というのが発足したようです。

そして、この同窓会は、この会の目的の一つである地域貢献の活動として一般公開の講演会を開催しているということで、同窓生間での親睦や情報交換にとどまらず、福岡県内で学ぶ高校生や大学生が将来の夢や新たな進路を考える上で役立ててもらうことを企図しているということです。

加えて、この活動に必要な運営費用は、毎年のこの同窓会の例会・懇親会に参加された会員の参加費より賄う、ということで、講演会に参加する若い高校生や大学生が無料で参加できるように、できる限り開催費用の削減努力を行ってきましたが、現状では費用捻出が非常に厳しい、という窮状を切々と述べております。

すなわち、このオフラインでの例会・懇親会は、その参加費を、通常の一般社会人においては、10,000円という比較的高額な、政治家の政治資金パーティー並みに設定していますが、それはこの例会・懇親会に合わせて別途行う講演会の開催費用に充てている、ということなのです。

そして、昨年度から新たに、同窓会例会・懇親会に参加されない会員も含めて、同窓会会員全員に対して講演会の開催に関わる費用の支援をお願いする、つまりオフラインの懇親会の出欠にかかわらず寄付してほしい、というお願いシステムに広がったというわけです。

さて、お願いするのは自由ですが(京都大学の校風は「自由」です)、ここで一会員としての疑問があります。

一番に思うのは、この窮状を切々と訴える文章が、「郵送」で、紙で送られてきたことです。

出欠の連絡も、「料金受取人払郵便」でのオフラインでのハガキでの連絡となっています。

このインターネット時代において、郵送での開催通知および出欠ハガキを年一回やり取りする、この手間と費用がかかりすぎるシステムを採用し続ける理由は何なのでしょう。

浅学非才な筆者にはわかりかねます。

そこで、窮状については理解いたしました一会員としての筆者は、例年通り、例会・懇親会及び講演会の出欠欄の「欠席」にVチェックをつけ、任意のメッセージ・通信欄には

・費用削減努力と仰いますが、郵送で出欠とっているところが最も残念だと思います
・事前振込の結果をもって出席意思完了とすれば良く
・連絡や通知はフェイスブックのメッセージ等で十分と考えます
・本会(講演会も含む)の告知もWebで十分で、紙のフライヤー(印刷物)を郵送物に同封する必要はないと思います

といった考えうる一連の経費削減策を提案記入し郵送にて返信しておきました。

時代錯誤的だと言えば言葉が強いかもしれませんが、羊皮紙や粘土板に楔形文字を打ち込むような、もしくはロゼッタストーンに記録するような、そんな感覚をよしとする風潮が支配的であるとするなら、自由の校風とはいったい何ぞかと思います。

英国の教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)が集計する「世界大学ランキング」の最新版(2018年版)によると、京都大学は世界の74位です。

同窓生がこのような昭和以前な伝書鳩的情報交換を続けているようでは、100位以下への転落も早いのではないかと思います。

全ては自由の名の下に教育や大学の進歩を否定し閉鎖的に堕した、そうした振る舞いを続けた筆者も含むOBOGである同窓生の責任であること、痛切に反省する次第です。

虎の子の国費を潤沢に投下した国立大学にあって、この体たらくでは、日本国民に対して向ける顔がございません。

償うのは容易ではありませんが一つ一つしっかりやっていきたいと思います。

自由な校風を大切にしていきたいので、自身の発表の場においては自由に発言することをこれからも続けていきたい筆者からのコメントは以上です。

(平成30年9月22日 日曜日)

2018年9月21日

あらゆる才能の中で努力することができるという特別な才能が別方向に伸ばすべきだという話です






おはようございます。

2018年9月の人間の才能と成果に関する筆者の個人的意見を配信する記事です。

人間、あらゆる才能というものが眠っていて、そしてどの才能が本当にあるのかどうかということは、一瞬にしてはわかりません。

例えばお笑いの世界やプロ野球の世界において、才能があるということがわかるかどうか、本当にわかるにはどうすればよいのでしょうか。

そこで非常に注目されるのが、その特殊な才能を磨く「訓練」や「努力」の総量や熱意ということになります。

体操選手は、あの重力に逆らう動きをあの均整の取れた、脂肪を削ぎ落とした体で実現します。

しかしながら、あれだけ均整の取れた逆三角形の身体、泳ぐのには全く役に立ちません。

体脂肪が少な過ぎて、そもそも浮かないのです。

さらに、野球のボールを投げるといった違う動きは全くできません。

そのような「競技」ではないからです。

ですので、細かく仕様がわかれたこのような個々の事象の「才能」があるのかどうかを本当にわかるには、その才能に沿ったスポーツなり芸事なりを、間を置いた反復や努力の総量によって極めようともがくしかありません。

そして、そのある程度の歳月を経た結果、才能があって成功するか、才能がなかったことがわかるか、どちらかに帰結するということになります。

そして、大多数の者が、才能がなかったことがわかる場合の方が圧倒的に多くなりますが、それはそれで大事なことなのです。

才能があって成功した者は、そちらに進めてその道を極めて行けば良いですから、それはそれで終わりというか簡単です。

そうではない、限界までやりきって努力して、そして才能がなかったことが最終的にわかった、という者については、どうすれば良いのかということになります。

こちらの方こそ、その分野以外ではない眠っているかもしれない別の才能を努力によって掘り起こせる人間として、認知され、逆に社会が、顧客が必要とするのかもしれないのです。

若くしてプロ野球選手を解雇されたものを、営業担当として雇う企業は、お目こぼしのためにこうした元選手を取るのではありません。

草野球してもらいたいわけでもありません。

限界まで努力して、才能があるのかどうか、その井戸を試しに掘れるやつであるという人格や努力できる才能に投資するのです。

すなわち、あるかないかわからない別の「才能」より、今日から、今から、すぐにでも投入することのできる、カウント可能な「努力できる才能」を買ったと言えるのです。

努力できるという才能をX軸に取り、他のあらゆる才能をY軸にとって、それを10段階ずつ取れば、X軸の右端に振り切っていることがわかっている人間は、Yの選びようによっては非常に化ける可能性があると言えるのです。

たとえ、野球というYが3か4で、プロ野球選手としては今ひとつであっても、別の才能、例えば営業やら顧客リレーションやらその他の別の能力を開花させ、その世界のYで7か8を取ることができれば、十分社会人として、職業人として、成功するということになるのではないでしょうか。

才能という泉を掘り起こすことができるかどうかは、努力できる才能を示せるかどうかにかかっているのです。

才能を見つける努力できるという才能を磨きたいものです。

さて、振り返りますとX軸の伸びしろがまだまだ大きい筆者からのコメントは以上です。

(平成30年9月21日 金曜日)

2018年9月20日

日本経済をこれ以上痛めつけないようにしないと取り返しがつかないことになるという話です







おはようございます。

2018年9月の日本経済に関する筆者の本音を披瀝する配信記事です。

誰も言わないので、正確には言っても益も希望もない話なので、誰も既読スルーでやり過ごしている話ですが、そろそろこの零細ブログくらいでいい始めておかないと本当に日本が崩壊するので書いておきたいと思います。

そろそろ、大規模な、異次元の金融緩和政策を始めてから丸6年が経過しようとしています。

これは、とにかくお札を刷りまくり、市中の現金の量を2倍、2倍にしようとするという、そうすればなんとなくお金を使わないといけない、というその気にみんながなるはずだ、という「政策」であり、そもそもそんなのが政策の名に値するのか(信じたい、というのであれば「宗教」の方が近いかと思います)という議論もある無理筋なものであるのですが、そんな、今の瞬間だけ、という感じで舵を切った異次元の緩和とやらが、いつの間にやら6年も続く通常運転になってしまったという感じなのです。

これが続く理由は簡単でありまして、短期的には見かけ上成果が出ているように見えるからでありまして、お金刷りまくってゼロ金利、マイナス金利で事実上円安に誘導すれば、とにかく輸出した財物サービスが見かけ上「高く」売れますので、それなりの成果や景気の数字上の持ち直し感がみられるというわけです。

しっかり、GDP指標も(研究開発費用を国民総生産に参入するといった)お化粧を施し、なんとなくプラス感を数字上は示しております。

しかしながら、タダより高いものはないとはよく言いまして、ドル建てでの日本のGDP規模は、激しく劇的に下がってしまいましたし、大幅すぎる金融緩和を続けてしまった以上、今後金利が上昇するような場面において、日銀や政府が打てる手は何もないという状態になってしまいました。

そのわりに、税収は滞り消費税も上げきれず財政再建も全く進んでない、むしろ毎年放漫財政で財政規模ばかり大きくなるけどその増分は全て借金、国の借金レベルはなんとGDP比較で250%、すなわち、国を2年半運営してその歳入を全て借金返済に当ててようやく完済できるという状況なのです。

一体、どこの組織や企業体が、売上の2年半もの借金を背負って運営できるというのでしょうか。

そんな借金であるところの日本国債の信用も、随分下がってしまっておりまして、国債的な信用はほぼなく国内消化という細い給付に頼っている状態、そしてゼロ金利やマイナス金利という金融政策とは、国民の預金および日本の金融機関に実質「課税」をかけて国債の償還や利払いに充てているのと変わりはありません。

こんな、いつまで息を止めて潜ってられるか、仮死状態になってるけどまだ我慢できるよね、みたいな限界へのチャレンジみたいな政策は、即刻やめないと先人が積み上げた日本経済の基盤は根底から崩れ去ると思っています。

もう、古いゴム紐が限界まで引っ張られているような感じで、いつバチンと切れてもおかしくない、そんな状況まで来ているのです。

もしくは本当に札束の海に溺れるか。

本来、金融政策や財務政策の目的は、経済自体の生産性を上げ、潜在成長率を上げて効率的な経済社会を作り出すことであります。

それなのに、降りかかってくるヘリコプターマネーに群がって、この少子高齢化の世の中、生産性を上げる=無駄な作業や会議や稟議といった調整ごとから、実地の作業にリソースを集中させること、をサボりにサボった結果、全く生産性が上がらず時間稼ぎの借金だけが残ったのが今の日本経済社会の状況なのではないでしょうか。

借りた金は返さなければなりません。

実質的に、昭和の時代から借りまくった借金で首が回らなくなっているのが日本経済の今の状況であり、残念ながら、昭和並みの公共事業投資による恩恵、十分な年金、気前のよい医療保険といった各種の恩恵を一旦ゼロベースで考え直さないといけない時期に来ています。

平均寿命の伸びも続いている中、企業の定年も65才は早すぎ、現在43才の筆者が経済社会を実質的に引退するのは、80歳以上になっているであろうというのが筆者の個人的な予想です。

その頃の平均寿命は、男性で80歳を超えてくるでしょう。

ですので、一経済人としてできるのは、煙草を吸わず(周りに受動喫煙の危険に晒さない)、酒はほどほどに、早寝早起きで高タンパク低脂肪の食事と適度な運動、つまり朝食前に走って納豆食べて会社に行くとか、そういうことによって健康年齢を上げて行くことが一番であろうということです。

そして、75歳以上であっても給料または報酬、または事業所得が得られるように、日々勉強を怠らず、社会との接点を続け、物理的な働き人を引退してからも、投資家もしくは助言者、もしくは社外取締役や監査役といった「切られ役」を引き受けるなりして、現役でリスク張って頑張る現役世代をしっかりサポートする、といった振る舞い方なのです。

働き方改革、というのはこういうことです。

かつて、戦後すぐに平均寿命が65才程度であったときに定められた終身雇用というシステム、この定年だけがフィックスしたまま、なぜか平均寿命だけが伸びた、これは日本社会の成功でもあったわけですが、そもそも働かざるもの食うべからず、ということを考えればこちらの方が時宜にかなっていると思っています。

今日の日本経済に関する筆者の放談は以上です。

(平成30年9月20日 木曜日)

2018年9月19日

身もふたもない話ですが勉強しても経済的に食っていけなければ何にもならないという話です







おはようございます。

2018年9月の身もふたもない記事を配信いたします。

昔、教師という職業の給料や待遇、身分はそれはそれは高いものでした。

宮沢賢治や夏目漱石といった間違いなく当代一の秀才であるような人たちが、平気で教壇に立って、そして教職という職業に従事し教鞭を取りながら、その余った時間を思い切り創作活動に当てて、猫の近代小説をものしたり、クラムボンの詩や銀河鉄道の夜の物語を書いたわけです。

私生活も破天荒であり、留学までして金と時間を湯水のように使い、そしてそれを超える文化的作品を世に返したわけです。

さて、現代の、少なくとも2018年時点の教師は、教師というより「教諭」という一つの職業になっているように感じます。

給金も待遇もそれほど良くないし、そもそも雇用形態も「講師」であれば期限付きのパートさんといってよいものであり、お世辞にも経済的に恵まれるから教職を目指すという人は少ないのではないでしょうか。

それよりも、経済的には恵まれないけれども一定の身分が保証されるから、そういう意味の「職業教諭」というイメージです。

これでは、あまり夢がありません。

筆者としては、その人の講義を聞きたいと唸らせる教師には給料は他人の10倍出しても良いし、ビデオ講義で良いからインターネットで配信して欲しいです。

通常の経済社会においては、商材だろうがサービスだろうが、その中で最も優れたものが洗練され、消費者に選ばれ支持されて、そして改良されてメインストリームを作っていきます。

それなのに、こと、日本の「教育」という巨大産業(売上高や付加価値総額においては大したことはないけれども人間の時間を膨大に消費するという意味においては巨大)においては、まったくもってそれがないのです。

「お」受験産業にしましても、日本の有限の中学校や高校の過去全ての入試問題など、簡単にマイニングして、どのように教えれば最も短期間で効率的に点が取れるかどうか、きっちり考えられる少人数の専門家「チーム」で仕事をすれば、おそらく、少なくとも公立高校の問題レベルであれば今の文部科学省のカリキュラムで必要とされている座学の時限など、おそらく半分に減らせるものだと思っています。

明らかに、例えばメーカーにおける品質管理や改善計画の手法が、教育の現場にはまったくもって抜けています。

150年経過しているのに板書とスクール形式の座学にまったく変更がないのです。

座学でわかる部分は、洗練されたビデオ講義できっちり済ませて、あとは計算問題やら演習問題やら、英語や国語であれば話す書く聞く読む、そういった主体的な学習者側の手と足と頭を動かす演習に充てるべきなのです。

しかしながら、例えば社会や理科といった「授業」において、たとえば教科書を棒読みするだけといったくだらないなぞり学習が多すぎます。

そういうのは、全国で選りすぐった予備校講師陣による、ポイントを押さえた講義を、1.5倍速で動画配信視聴させて、基本的な知識を導入させることで、極めて短縮化できるはずです。

人間、聞くより読んだり頭の中で反芻する方が早いため、1倍速の講義では、実は効率は悪くむしろ眠くなってしまうのです。

なので、聞き取りは容易にできるけれども他のことを考えていたら意味がわからなくなってしまう程度の速度に講義を早めてあげなければなりません。

今のところ、筆者の周りで見渡して見て、これに対応しているのは、リクルート社が提供している「スタディプラス」という講義集だけです。

しかし、不満もあります。

スタディプラス、にはもっと中学の教科書ごとのページごとの解説が欲しいわけです。

公立中学校の中間テストや期末テストにおいて、本当の英語のテストや数学のテスト、理科や社会のテスト問題など出題されません。

極めて限定的な、使われている教科書と文部科学省の指導要領に即した問題が解けるか、その確認という意味合いが強い(というかそれだけの)テストです。

そして、この教諭が教えるネタ本である、各教科書に付されている指導書について、一般人(生徒側)が手に入れそれを解析することはほぼ不可能です。

できても非常に高額であり、またそれを読んでも本来どの部分を中間期末テストで出題するかは、各中学校の各教科担当の教諭にかなりの部分「任されて」いるからです。

筆者は、ここにこそデータマイニング、機械学習の知見をぶち込んで、全国の公立中学校の中間期末テスト問題と「解答」を投入して、最高の学習テキスト課題を出力出版して欲しいと思います。

そうすれば、そのテキストなり問題集ならば、たとえ普通の問題集の10倍の値段でも買うでしょう。

商品やサービスの価値とは、そのようにして決まっていくはずなのに、こうした当然の市場競争のシステムがなく、変な受験コンサルや受験産業の不十分なデータや過去の不正確な経験などによって超過コストを支払わされているようにしか思わないのです。

おそらく、こうしたデータに基づいた「正しい」学習計画に沿ってきちんと学習できるシステムがあれば、東京大学だってシンガポール大学だって、オックスフォード大学だってスタンフォード大学だってきちんと筋道立てて学習すれば、全然難しくないレベルだと思うのです。

サッカー上手くなりたいなら、まずワールドカップのサッカーのプレイを見せなさい。

とはよく言われますが、変な有職故実のような、入試問題に必要な知識とまったく関係のない知識を、さも受験に必要だというのは、控えめにいって無駄だし、率直に言えば詐欺に近いものであると思います。

まったく関係ない知識は重要です。

その、まったく関係ない知識を駆使して、人類は新しい価値を想像してきたわけですから、まったく関係ない無駄知識は大切です。

しかしながら、そのまったく関係ない知識を駆使して「研究」「追求」する立場である大学に入る地位を得るための基礎素養としての基礎学問については、もっと体系化して、効率的に、本質を極めた教授方法で教えた方がきっと他にできる余地が大いにあるのではないかと思うのです。

本日はとりとめのない記事になりました。

しかし、経済社会における競争や正しい洗練の過程を経ない、百年やり方が変わらないような「教授」とは教育の名には値しないのではないかと考えております。

まったく関係ない知識が大好きな、体系化されていない筆者からの記事は以上です。

(平成30年9月19日 水曜日)

2018年9月18日

人間はどこまでも進化することができるのかもしれないと希望が持てた話をいたします







おはようございます。

2018年9月の衝撃のマラソンのニュースから書き始める記事です。

平坦なコースで世界記録を狙うのには万全の舞台と名高い、ベルリンマラソンが2018年9月16日に行われたのですが、ここで、2016年リオデジャネイロオリンピック(五輪)金メダリストのエリウド・キプチョゲ選手(33歳:ケニア)が、なんと驚異的な2時間1分39秒で世界記録を樹立したのです。

これまでのマラソンの世界記録は2時間2分57秒ですから、それを1分以上短縮し、人類初の2時間1分台に突入するという、恐るべきものでした。

本人の体調と気合いと苦痛、そしてコースの気候、そしてペースメーカーの支援や沿道の声援、その他もろもろもの条件がピタリ一致しない限り、このような快挙は達成できません。

すでに、陸上競技もチームによる「プロジェクト」になったと改めて感じた瞬間でした。

リオデジャネイロのオリンピックは今から2年前ですから、そこからギアをまた上げてオリンピック金メダルから世界一の快走マラソンランナーへの目標を上げて臨んだ今回の大会、キプチョゲ選手にとっても彼のチームにとっても、また高原長距離ランナーを多数輩出するケニア共和国にとっても、誇るべき快挙でした。

本当に、おめでとうございます。

最近、ビジネスの世界でも、一度功なり名を遂げた五十代、六十代の諸先輩方が、また一から新しいチャレンジに向けて準備を始めたりするということが多くなっているように感じます。

オリンピックで金メダルを取った後でも、そこから新しい目標(金メダルの二連覇三連覇というものも含みますが)を定め、もう一度一から積み上げを図ろうとするのです。

これが、例えば二十代や三十代といった若い頃の働き盛りと呼ばれる世代の動きであればわかるのですが、逆に、このような若い世代にバリバリやらせてもらった、という世代は、自らもフロントラインや第一線でまだまだやれるというところで、どうしても組織構造上、その上の方に据えられてマネジメントをやらなければならない、逆に言えば個人としての力の発揮場所に飢えてきているという面もあるのかもしれません。

世の若い人たちの奮闘を見て、よし自分もそのような手助けをするだけにとどまらず、自らも戦う姿を示して見てもらいたい、といったもう一踏ん張りわざわざ苦労を買って出るというような動き方です。

一度、創業した事業を売却するなりしてエグジットしてしまった起業家についても同じようなことが言えまして、あれだけ苦しかっただけの創業から上場といったエグジットまでの駆け抜けた日々を思い返しながら、もう一度やるならもっとうまく、周りを巻き込み幸せにやれるはずだと念じて再起動する、そんな元創業者も多いようです。

当然このような人たちは、経済的に生活するのに困ることはないのでしょうが、それでも、ここから悠々自適なだけで過ごすことをよしとせず、何らか社会との接点を持ちたい、できれば社会に価値を提供したいという一途な思いで、そうしてまた起業とか立ち上げといった、厳しいばかりのビジネスの戦場に旅立って行くわけです。

こうした振る舞いができる人たちは、筆者はとても大切にしたいと思っています。

当然、やらないよりやるだけ苦労も増すばかりなのですが、自らの成長を含めた先の世界を見たいと日々奮闘する、そんな人々の振る舞いが好きなのです。

そんな、わざわざする苦労を、能力が高くバイタリティがある人たちが、日々限界まで行なっている場が、ビジネスの最前線です。

そんな酔狂な彼らがいなければ、人類はここまで発展しませんでした。

こんな酔狂なご先祖様がいたからこそ、我々ホモ・サピエンスは南極大陸を除く地球上のあらゆる陸地を走破し得たのです。

これだけ伊達な先輩たちの振る舞いで、なんと近縁だけれども明らかに違う「種」であるネアンデルタール人との交配、交雑して彼らのDNAをも取り込み、自らを変えて、変化に対応して、そして世界を制覇する動物として形質を獲得し、周りに聞きまくって知見を上げて行くという集団の力でここまでやってきたのです。

こうした、一見苦労しかない、そうした活動を生きる味だと、面白いチャレンジだと感じて、個人の能力およびそれまで培った知見のすべてを賭けて挑戦して行く人々、これこそがホモ・サピエンスとして生まれて今まで発展してきた現生人類の何よりの原動力のようなものなのではないでしょうか。

もちろん、こうした振る舞いをすべての人がせねばならない、ということではないのです。

むしろ、そうではないまともな大多数の人々がいるからこそ、こうした自ら苦労を買いに出る奇特な人たちの挑戦はサポートされるのです。

誰も、一人ではコトはなし得ず、どこかのタイミングで、その奇特な人のすぐ後ろを、フォロワーがついていってくれない限り、ビジネスも、価値創造も、芸術の発展もマネジメント技術の進化も、何もなし得ないのです。

かつて、最初のフォロワーが重要、という記事で書いたように、とにかく踊りだした変人をいち早く見つけて一緒に踊ってくれるフォロワーがいて初めて、彼ら変態のチャレンジが成功する可能性が開けるのです。

そういうことで、最初に踊る人か最初に踊る人に真っ先について行く存在になるべく、日々余念無く過ごしていきたいと願っております筆者からの記事は以上です。

(平成30年9月18日 火曜日)

2018年9月17日

なぜ力が弱く頭も足りない我々ホモ・サピエンスが地球上に生き残り繁栄したのか






おはようございます。

2018年9月の人類の死生観に関する配信記事です。

先日、ネアンデルタール人と我々の直接の祖先であるホモ・サピエンスが中東のどこかで出会い一部混血していた、という最新の人類学の調査結果に基づき記事を書いたところ、非常に反響がありましたのでそれをお知らせするとともに、ではなぜ力も強く脳の容積も10%以上ホモ・サピエンスより多かったネアンデルタール人がイベリア半島の先端、ジブラルタルまで追い詰められて絶滅したのか、代わりにホモ・サピエンスが興隆して世界中に広がったか、その違いは何であったのか興味深いところになります。

現時点での回答は、社会性と集団の凝集性に差があった、というものです。

すなわち、ネアンデルタール人の集団は、家族単位で、多くても20人程度のものであったことに対し、ホモ・サピエンスの集団は、数家族から数十家族を巻き込んだ、最大150人から歴史が下れば400人もの集団に成長していたことが遺跡等からの発掘結果からも明らかになってきつつあるのです。

そして、ホモ・サピエンスの集団は、その社会性の中で、力が弱くても安全かつ効率的に狩りができる道具である「投擲器」「笛」といった画期的な発明を行います。

そして、笛や言葉で情報を交換しながら、獲物を追い込み、そして投擲器という、非力な彼らでもテコの原理を用いて手投げの約2倍以上の飛距離を伸ばせる飛び道具を駆使して、集団で、効率的に、役割を分担して、安全に狩りを行うシステムを確立していったのです。

これに対し、力が強く、個人として賢いネアンデルタール人は、独力もしくは少人数での、大型動物相手の肉弾戦の狩りに明け暮れました。

したがって、ネアンデルタール人の出土化石には、こうした狩りでの戦いで負傷した跡がたくさんあるとのことで、命がけの狩りで平均寿命も非常に短かかったと見られるのです。

平均寿命が短い小集団であれば、知識や知恵の伝承がなかなか起こりません。

そうして、相対的に平均寿命が長く大集団であったホモ・サピエンスの方に、文明の利器や知恵といった積み上げが起こり、そして結果として大きな違いとなっていったと考えられるのです。

現代においては、インターネットという技術の発達により、文明の利器や知恵といった知識やノウハウは、かつてない勢いで広がり、かつ同時に利用できる共通知となりました。

農業革命、紙の発明、火薬の発明、そして20世紀後半から起こった情報革命。

これらは全て我々ホモ・サピエンス(一部ネアンデルタール人との混血)の重要な特質であった集団性と相互の情報共有から生まれた結果なのです。

こうした人類共通の共有知をこれからどのように生かして行くのか、これからの人類の行く末を決めることになるでしょう。

現代人類がアフリカの南半分で突如として興ってから実に25万年の歳月が経過し、地球上に75億個体が存在する状態まで我々は急拡大しました。

今後を占うのにこれほど楽しみでかつ解決が難しい時代もないと思います。

そんな楽しい時代をこれから生きられることが楽しく、長生きしてその行く末を見ていきたいと思っています。

その前に、まずはもう少し人類の歴史なり言葉なりを勉強しておこうかと思いました筆者からは以上です。

(平成30年9月17日 月曜日)

2018年9月16日

我々はホモ・サピエンスとネアンデルタールの混血の子であるという最新の人類考古学の結論について







おはようございます。

2018年9月の人類のはじまりについての配信記事です。

我々は、30種類程度生まれた「人類」の最後の最後に枝分かれして生まれた「ホモ・サピエンス」という種類の人類であったということはわかっていたのですが、実は、その我々のご先祖であったところのアフリカ南部で生まれた「原ホモ・サピエンス」が、アフリカ大陸を出たところで、それよりも前に生まれて主にヨーロッパに広く生息していたネアンデルタール人と同時代に出会いを果たしていたのです。

そして、近しい種族の彼らにおいて、必然とも言える「交配」により、アフリカを除くホモ・サピエンスのDNAには、彼らネアンデルタールのDNAが2%から3%程度混じり、そしてそのいわば混血のホモ・サピエンスが、我々の今住んでいる遠いアジアの端やら、アラスカを超えて北アメリカや南アメリカまで、要するに南極大陸を除く地球上中に広まったというわけです。

これを、グレートジャーニーと言いますが、我々のご先祖様たちは、それはそれは新しもの好きで、どんどん新境地を拓いていく、そんな好奇心と冒険精神に満ち溢れた方々であったというわけです。

隣り合っているとはいえ、種別として明らかに別の「人類」との交配も辞さないその貪欲な姿勢。

おかげで、寒冷地にも耐える肌の白い遺伝子や金髪、そして寒冷地に潜むウイルスや細菌耐性にも優れた形質を獲得することにも成功しました。

さまざまな冒険をして、そこで得た知見を元に、さらに遠くに行く。

シベリアの奥地からアラスカ、そして日本や太平洋の島々といった「海を隔てた新天地」にも、船での航海技術なども駆使して遠慮なく冒険していった、そうした先輩たちの成果の先に我々は生きているわけです。

さて、75億人以上に増えてこの世の春を謳歌しているに見える我々ホモ・サピエンスでありますが、ようやく21世紀の終わりには果てなき拡大、人口増大の時代が終わりをつげ、ゆるやかな人口減少の世界に入ることがほぼ確実視されています。

インターネットの発達により、ホモ・サピエンスが他の人類に先駆けて強みを得た大きな集団の社会性という強みは極限まで発達しました。

この先に何があるのか、人類は経験したことのない人口減少社会に差し掛かり、その知恵を全力で試されることになりそうです。

それもまた面白い冒険です。

移民政策がどうとか、排外主義とかブロック経済とか、現代社会においてはいろいろ利害調整の話が言われていますが、そんなもの、かつて他種族との「混血」すら辞さなかった、そして自らを作り変えて世界を制覇する形質を勝ち取っっていった我々のご先祖様の偉業を思えば、本当に小さなことに過ぎないのかななどと思った次第です。

異性の好みのストライクゾーンはかなり広いことで定評のあります筆者からの勝手な記事は以上です。

(平成30年9月16日 日曜日)

2018年9月15日

緊急特番「iPhoneのホームボタンよさようなら」(2018年9月の新商品発表会を受けて)






おはようございます。

2018年9月のスマホガジェット最大手「iPhoneシリーズ」に関する配信記事です。

iPhoneシリーズも、2007年1月に初版が発表されたiPhoneシリーズも、11年を経過し、2018年9月時点の最新機種は「Xs」(テンエスと読むらしい)といいまして、思えば遠くにきた感がありますが、顧客の支持とアップル社技術陣のたゆまぬ努力で、ここまで高機能に、そして高価格になってまいりました。

なんと、最高品質機種である、「Xs Max」は、

256GB 153,144円 !

という、これはもうパソコン何台か買ったほうが早くないかという、モバイルガジェットを超えたお値段になってしまいました。

ここにきて、アップルの戦略は、

アップルの信者や新しもの好き(アップルストアに並んでハイタッチしたい層)については最新機種

それ以外の大多数の一般人は、1年から2年経過した旧型モデルを「新規に」購入する

ということで顧客を分けるという判断をしたものと思われます。

筆者が現在持っているiPhone端末は、実に「iPhone7(スペースグレイ)」ですから、今回の製品ラインナップの変更(繰り上がり)により、ひっそりと退場した

・iPhone6sシリーズ
・iPhoneSE(小型液晶版)

に続く、次のアップデートの際のリストラ候補であることは間違いない機種ということになりました。

そして、ひっそりと退場した旧型機種を上回る、涙なしでは語れない別れもあったのです。

そうです。

ホームボタンとの別れです。

今回発表されたiPhoneの新製品群において、あの、11年我々ユーザーの、まさに羅針盤、北極星、真夜中の灯台のように向かうべきところそ指し示していてくれた、ホームボタンがなくなったのです。

アップル本社のクパチーノで、2018年9月13日(木)ホームボタンは死んだのです。

同日のApple Special Eventで発表された新しいiPhoneは、繰り返しますが「iPhone Xs」「iPhone X MAX」「iPhone XR」の3機種でした。ずれも「X」の名を冠した、全面ディスプレイのFace IDモデル。

そして、ベゼルレス。

2018年9月、Appleはついにルーキーの頃から付き添った古い友人であるホームボタンを完全に消したのです。

これは、筆者のようなスマホガジェットの使用方法がどうしてもよくわからないレガシーな使用者の、いつでもどこでも知っている風景に戻れる、いわばドラクエでいうところのルーラの呪文のような実家強制回送機能が失われた、今後はアプリの大海の中たゆたうことになる、いわばマイクロソフトのウィンドウズのスタートボタンがなくなってしまったWindows8以来の衝撃というものを感じることになるのでしょう。

さようならホームボタン。

と、書きながら未だiPhone7を使い続ける予定の筆者からの衝撃感想レポートは以上です。

(平成30年9月15日 土曜日)

2018年9月14日

プラットフォーマーが抱える情報自体が富として認識されるような時代になったという話です

駅のプラットフォーム






おはようございます。

2018年9月のプラットフォーマーと呼ばれる巨大情報産業に関する配信記事です。

インターネット回線を通じた「クラウド」(雲)という情報収集手段によって、世界のプラットフォーマー企業と呼ばれる巨大情報産業会社が、世界中のありとあらゆる情報を握る時代になりました。

そして、富としてこれまで認識されてきた、貴金属や宝石、不動産や貨幣といった伝統的な価値保蔵手段から、情報そのものが価値を持つという認識のシフトが急激に進んでいるのではないかと思っています。

具体的には、

①世界一のオンライン小売業から世界中の顧客購買データを抱えるに至り、その巨大な情報クラウドプラットフォームを「AWS」というソフトサービスにして周囲に売り出し、それを使わせることで収益源にしている米国アマゾン、

そして、

②高品質ガジェットデバイス「iPhoneシリーズ」を顧客に毎年買い求めさせ、その端末収入で稼いだ売上を、惜しげも無く自社OS開発費用に充て、そして通信環境とリンクさせた同端末からあらゆる情報をアップルクラウドという名前のクラウドシステムに吸い上げることに成功した米国アップル、

それから、

③世界中の情報に一瞬でたどり着く高難度のインtーネット上のオンライン検索システムを構築し、Gmailをはじめとする無料系サービスを提供し、広告収入で売上を確保しながら、クラウドデータマイニングにより世界一のデータストックを保有するに至った米国グーグル、

この3社がどうやらここでいうプラットフォーマー企業として名が挙がる最右翼の3社と言えましょう。

現在のところ、世界の企業の時価総額ランキングにおいて、この3社とも時価総額1兆ドル(111兆円)近辺で当然トップを走っています。

この3社が保有する、膨大な顧客情報、森羅万象を含むあらゆる情報が、事実上の伝統的貨幣に代わる「富」として認識されているといって過言ではありません。

すでに、個人や一企業レベルで、「情報」を「管理」できる時代は終わりました。

どんなに秘匿しても、電子文書になる、さらには「撮影」されてしまえば最後、インターネットストレージに「格納」され瞬間どこかのクラウドシステムに取り込まれてしまうということなのです。

こうした事実上の公共財とも言えるクラウドシステムを維持発展管理しているのが、これらのプラットフォーマー企業ということになります。

プラットフォーマー企業たちは、ますます寡占状態となり、公共財としてのデータセンターの役割から、情報を人から人へ簡易に伝える情報共有者の役割も果たしていくでしょう。

通信技術の4Gから5Gへの進化により、このクラウドへのデータの反映(ミラーリング)は通信回線が繋ぎっぱなしになるであろう将来においては、ますますデータリンク化が進み、スタンドアローンの機械やガジェットは限りなく少なくなっていくことでしょう。

まさしく、マザーコンピューターが世界の全ての情報を持って支配する、あの手塚治虫「火の鳥」未来編の未来国家ヤマトのような世界が出現するのでしょうか。

それはわかりませんが、整理されない大量の情報を整理することが可能になってきた現在、その将来に向けてどのように向かっていくのか楽しみでもあり少し不安でもあります。

商品やサービス・商品を集めた「場」を提供することで利用客を増やし、市場での優位性を確立する多くのプラットフォームと呼ばれる機能ですが、究極のところ、サービスや商品を全て含めた情報を丸ごと取り込むというところが、プラットフォーマー企業と言われる存在ということです。

本日は、ご静聴いただきましてありがとうございました。

こちらからの言葉足らずのビジネス解説は以上です。

(平成30年9月14日 金曜日)

2018年9月13日

2018年9月時点における筆者の世界経済と株式投資銘柄についての個人的見立てについて






おはようございます。

2018年9月の世界経済や投資環境に関する筆者の私見を述べるという定点観測配信記事です。

現在のアメリカのトランプ大統領の動きを俯瞰しますと、明らかに目的は中国政府が推し進める「中国製造2025」の阻止であることは明白です。

この戦略の是非はさておいて、当否として、世界の覇権を握り続けたいと念ずる米国戦略としては正しいと言わざるを得ません。

そして、この米国戦略の最大の標的は、アリババやテンセントといった、急成長を遂げた中国深センを根城とする中華系IT企業群であることは論を待ちません。

もちろん、中国4,000年の歴史の底力を見せて、このトランプ包囲網を跳ね返し、中国ITネット企業が成長を続けるという可能性もありますが、最近のアリババなりテンセントなり、中国株式指数なりを見るにどうもここは厳しい戦いになりそうです。

トランプの思惑に国益を重ねた、米国ウォール街の欧米金融機関が、トルコに行なったごとくの売り浴びせをかけた場合、その影響はトルコリラの下落など比較にならないものが予想される、というのは本来リスク回避的な動きをすべき投資家の共通認識として正しいと思います。

ここにいたって、2018年9月現在の米中関係は、単なる「経済」的な貿易摩擦というよりむしろ、「外交」「安全保障」といった軍事的な観点において語られるべきと思います。

つまり、少し前の米ソ冷戦のごとく、前回はソ連が崩壊し不戦勝に終わった米国が、新しく世界の覇権を目指し始めた中国に対し、きつい一発をかまして叩き落とそうとしているのであり、これが世界全体にとって不経済といくら経済学者や金融ジャーナリストが叫んだところで、そのような合理的な視点で解決する類のものではないと思うのです。

このように、中国ではアリババのジャック・マーも引退し、トランプは依然として大統領に居座り続け、2期目も伺いながら、アメリカファーストで世界中に経済戦争をしかける模様です。

彼にとっては、戦争も含めて経済は全て単なるビジネスであります。

このトランプ大統領の動きで最も得をするのが、残念ながら彼の最も嫌っているシリコンバレーの米IT企業でありその代表格の1兆ドル企業Amazonであろうというところが皮肉なのですが、それでも、トランプは嫌いなもののうちでも米国企業を優先しようとするでしょう。

現に、トルコといった新興国通貨と株価は、アメリカ株式市場以外は下落しており、中国株式市場はもとより欧州、日本も最近は一進一退の状況に陥りながら、ずるずると下落リスクを顕在化させているように見えます。

この状況の中、アメリカ株だけ独り勝ちなのは、別に世界経済が好調であるというわけではなく、トランプ大統領が世界中から利権をひっぺがえしてきていることが大きく、そして、トランプ大統領はあえて意図していないと思いますが、その経済楽園と化したアメリカの中の、さらにとりわけ自由なカルフォルニア、シリコンバレーに世界中からインド人や中華系、ヒスパニック系の移民がさらに集まり、経済ユートピアを建設していくのではないでしょうか。

そして、世界経済全体は、世界的な人口減少世紀の本格化を控えて、非常に停滞していくことになると思っています。

世界中で、通貨が刷られ、金融緩和は進み、人為的インフレを引き起こした国家財政再建を数十年単位で行うことになると思っています。

特に日本で行われていることが、いずれ世界中に渡るというわけです。

そんな停滞した世界の中、既にグーグルもマイクロソフトもトップはインド人IT技術者になった、そこにファンドで乗り込むウォーレン・バフェット先生や、最近では日系の孫正義氏のような人間も入り乱れて、ここから少なくとも10年はシリコンバレーがIT知能の中心として栄えるのではないかと思います。

なので、筆者のオススメする株式投資銘柄としては、やっぱり

・アップル(孫がiPhone持ってるバフェットも買いだした)
・アマゾン(小売業世界トップ、おそらくAppleを1年以内に時価総額で抜きそう)
・グーグル(世界最高の知能企業)
・マイクロソフト(今を振り返ること25年前からおじさんおばさんの知る唯一の世界標準OSと文書作成、表計算ソフトを提供しつづける世界のデファクトスタンダード企業)

という、いわゆる世界プラットフォーマー企業群となってしまいます。

この点、あの、あまり代わり映えのしないiPhoneの新機種リリースもほとんどバレているあのアップルに今更投資するのか、既に高値圏になってしまったアップルを今更買うのかよ、という向きもありますが、アップルがここから2倍(時価総額2兆ドル)になる可能性の方が、例えば中国ネット企業の代表格であるアリババやテンセントの株価や日本のどこかの企業が今から2倍になる可能性よりはるかに高そうに思います。

iPhoneシリーズに関して言えば、日本の普通のおじさんもすでにiPhoneを普通に持ってアプリ回しているという通常の光景こそが、新しもの好きが飛びつくガジェットから真にiPhone端末がレガシーな人種にも行きわたった通常デバイスに昇華したとも言えると思います。

最近のアップルは新規性がないとかいいますが、マイクロソフトも事実上のスタンダードにWinXPを据えて新規性がなくなったと言われたところからずっと利益をenjoyしているということを合わせて考えますと、新規性がなくなったところの金のなる木に投資するのも投資の王道ではないかということです。

現時点での見解は以上ですが、筆者の見立ては当たることが少ない点については、大いに割り引いて咀嚼いただければと思います。

明日には豹変しているかもしれないながら、現時点においての投資環境についての個人的見解については以上です。

(平成30年9月13日 木曜日)

2018年9月12日

テニスのラケットを折るなんてもってのほかだわ!という基本的な教えを再掲します








おはようございます。

2018年9月のスポーツに関する配信記事です。

2018年のテニスの全米オープン女子シングルス決勝が行われ、20歳の大坂なおみ選手が初優勝を飾りました。

決勝戦の相手は、セリーナ・ウィリアムズ選手。

テニスの四大大会通算23勝を挙げ、そして出産を経てコートに戻ってきた文字通りテニスの伝説的女王です。

そのセリーナ・ウィリアムズ選手(ヴィーナスというこれまた強い実姉のテニスプレーヤーもいますので、どっちのウィリアムズか区別するためあえてフルネームで記します。ご容赦ください)を正面から迎え撃ち、見事な試合運びでストレート勝ちを収めた大坂なおみ選手(こちらの姓「大坂」は地名の大阪ではなくもともとの大阪の地名であったところの大坂ですからこちらもご留意ください。ちなみに大坂選手は大阪市出身で3歳の時にアメリカに渡ったそうです)、本当におめでとうございます。

さてこの試合では、テニスにおける罰則が適用された珍しい試合でした。

接触プレイが原則としてないテニスという競技においては、なかなか罰則というのはないのですが、試合を厳粛に進めるために、審判にはゲームを差配する強力な権限が与えられています。

今回の2018年全米オープン女子シングルス決勝の試合においては、セリーナ・ウィリアムズ選手の


①コート外からコーチングを受けた事への「警告」が課せられ
②その警告にラケットを折って抗議した事への「ポイントペナルティ(ゲーム中の15ポイントが入る)」
③さらに試合を中断してなお続いた審判への暴言に対する「ゲームペナルティ(1ゲームを失う)」


という段階を経ました。

ゲームペナルティまで行くなど、なかななテニスの公式戦にはないのですが、最初の、コート外からコーチングを受けたという点については、このIOT全盛の時代、動画も音声も残っており、外形的には全く抗弁の余地はないでしょう。

そのまま警告だけで済ませていれば、ポイントやゲームを失うことはなく、全く問題はないはずなのに、痛いところがあるから突かれたら騒ぐというのを地で行ってしまったセリーナ・ウィリアムズ選手のメンタリティが追い付かなかったところが大変残念な部分ではありました。

しかし、そうでもしなければ勝てない相手だと認識させた大坂なおみ選手の力強いプレイこそ、誇られるべきでしょう。

これからどれだけ成長してくれるか本当に楽しみです。

さて、このように、テニスが全世界的なスポーツとなった非常に大きな理由として、日本の漫画アニメ界に一家言持つ筆者としては、「エースをねらえ!」という漫画を紹介せずにはいられません。

サッカーにおける「キャプテン翼」、バレーにおける「アタックNO.1」に並ぶ、テニスを世界中に広めた金字塔であり古典だと思っています。

世界のスポーツ史の教科書に載せてもいいくらいの存在です。

今でも芸能界にとどまらず幅広い場面で活躍している男子テニス界でウィンブルドンベスト8まで進んだかの松岡修造選手は、実家の援助が全く得られず極貧の世界ツアーの転戦中、この「エースをねらえ!」全巻だけは肌身離さず持ち歩き、テニス道を極めていったと語っています。

この漫画には、テニスに向かう心構えを通じて人間力を上げるべき、という教えが多くあり、今回のことで最も筆者が思い出したのは、上のシーンです。

主人公岡ひろみの先輩、お蝶夫人は語ります。

曰く、


技があってもそれに見合う精神力がなければダメよ
ラケットを折るなんてもってのほかだわ!
コートにたつまえに
まずその根性をたたきなおすべきね


超世界級の技とキャリアを持つ、セリーナ・ウィリアムズ選手もまだまだ伸びしろがあるということでしょう。

実は、いろいろ語りましたがテニスのプレイについてはほぼ素人で、伸びしろについては人後に落ちない筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月12日 水曜日)

2018年9月11日

リーマンショック10周年に寄せて10年に一度くらいのよくある危機について述べておきます






おはようございます。

2018年9月の国際経済状況に関する配信記事です。

今からちょうど10年前、2008年9月15日(月)に、アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズ・ホールディングス(Lehman Brothers Holdings Inc.)が経営破綻したことに端を発して、連鎖的に世界規模の金融危機が発生した事象がありまして、この事態を総括的にリーマンショックと呼んでいます。

リーマン・ブラザーズは、当時負債総額約6,000億ドル(約64兆円)というアメリカ合衆国の歴史上、最大の企業倒産により、世界連鎖的な信用収縮による金融危機を招きました。

日本はそれまでの長引く不景気から、サブプライムローン関連債権などにはあまり手を出していなかった(出せなかった)ために、大和生命保険が倒産し農林中央金庫が大幅な債券評価損を被ったものの、直接的な影響は当初は軽微と見られていました。

にもかかわらず、世界的な経済の冷え込みから消費の落ち込み、金融不安で各種通貨から急速なアメリカ合衆国ドルの下落が進み、アメリカ合衆国の経済への依存が強い輸出産業から大きなダメージが広がり、結果的に日本経済の大幅な景気後退へつながってしまいました。

結果、日経平均株価も大暴落を起こし、2008年9月12日(金曜日)の終値は12,214円だったが、同年10月28日には一時は6,000円台(6,994.90円)まで下落し、1982年(昭和57年)10月以来、26年ぶりの安値を記録するに至るのです。

当時、筆者は某上場不動産投資信託の運用会社の企画部長という職責におりまして、日々暴落する日経平均を眺め投資家からかかってくる矢のような電話に対応しながら非常に苦しい日々を過ごしました。

結果、100万円を超えていた自社の運用する上場投資信託証券は、28万円まで下落したのをこの目で見ました。

逆に28万円の時に、どうしてこの金融商品を買えなかったのか(内部社員なのでコンプライアンス規制上買えないのですが、それでも)今でも悔やんでいます。

当時、この金融崩壊状況はまさに100年に1度の危機などと言われたものなのですが、本当に100年に一度というならば、日本で1900年前半と言えば国家予算の数年分を費やし満州の荒野まで帝政ロシア相手に国運をかけた日露戦争を戦い数十万の将兵を死傷させていたことを思えば、軽々しく○○年に一度のーというフレーズを使うべきではないと考えておりまして、要するに、人間の希望的観測、机上の空論、こうあってほしいという従来からの発想、要するに根拠のない楽観などにしがみついたために、国民経済や生命財産に多大の犠牲が出ることは、10年に一度くらいの「よくあること」ではないかと思うに至りました。

国民は、のど元過ぎれば意外と熱さを忘れますし、そんな国民が選んで組成される議会や政府にあまり有用な根本治療を期待するのは難しいからだと思っています。

ここで個人的な意見として申し上げておきたいのは、そんな100年に一度の危機というのはなくて、10年単位でわりに頻繁に起こる経済危機といった状況はよく起こるものである、ということです。

普段から備えておきたいものです。

備えなく、憂いの多い筆者自身の反省は以上です。

(2018年9月11日 火曜日)

2018年9月10日

ジャック・マーが20年超にわたる企業経営を引退して英語教師の本職に挑戦するそうです







おはようございます。

中国の「ジャック」・マーこと、馬雲会長が、2018年9月にもビジネスの一線から退く意向を表明するとのことです。

中国IT最大手のショッピングモールとしては中国一位の阿里巴巴集団(アリババグループ)を創業した馬氏ですが、その会長職を次世代経営陣に譲り、今後はやりたかった英語教師の職に戻るということです。

もともと、「ジャック」・マーのジャックという名前は、彼が小さい頃英語を学びたくて街のホテルに顔を出していた子供の頃、初めて友達となった友人につけてもらった渾名です。

そんなチャイナ・ドリームを実現した彼だからこそ、この50台前半という段階で、自分の一番やりたかったことに戻るという決断をすることができたのでしょう。

実際、ジャック・マー氏はアリババの最高経営責任者(CEO)については2013年に退くなど、同グループの権力移譲については他の大手創業ジャイアント企業に比べて先進的であったようです。

大手メディアのブルームバーグの取材に対し、ジャック・マー氏は、

「いつの日か、それも近いうちに、教育の世界に戻るつもりだ。アリババのCEOでいるより、私にはずっとうまくできると思う」

「こうしたこと全てを10年間にわたり準備してきた」

と語ったそうです。

ジャック・マー氏は、行きたかった大学受験に2度失敗した経験を持っています。

失敗した経験があるから、教えることについてはうまくできるかもしれない。

最高の人材ではなく、(やりたい事業に)最も適した人材を充てよ。

これは、ジャック・マー「経営者」の言葉で筆者が最も印象に残っているものです。

そして、これからの、ジャック・マー「先生」の活躍を祈念します。

実はその昔家庭教師や塾講師ではそれなりの「評判」を博していたということをここで自慢しておきたい筆者からのコメントは以上です。

(平成30年9月10日 月曜日)

2018年9月9日

プライベート時間で勉強しない人が勉強する人に仕事でも学習でも遅れていくことについての考察です






おはようございます。

2018年9月のプライベート時間の勉強に関する配信記事です。

働き方改革と言われて久しくなりました。

といいますか、人口減のこの世の中においては、限られた人材を如何に生かすかということが大切なのですが、これはとりも直さず同じ人間が、家庭生活でも、介護の世界でも、地域社会貢献の場でも、そして当然会社や職場でも、期待される仕事や活動ができるようになることが必要であり、かつ、そうしたマルチタスクへの対応力に優れた組織でないと、組織や社会としてそもそも生き残っていけないということと表裏一体だと考えています。

そして、それは、教育という領域にも如実に反映されてきつつありまして、すでに、例えば「プライベートでは一切勉強したくない」などと言うのは通用しなくなってきていると筆者個人は断言します。

もちろん、社会人20年超を数え、昭和な感じの職場もたくさん経験し、いわゆるブラックな職場環境も随分経験してきましたが、職場がブラックなのか否かということとは全く関係なく、その社員が社会人として職業人として伸びるかどうかについては、ひとえにその人が、如何に自立し自立的に勉強を継続できるかにかかっていると言って過言ではありません。

もちろん、プライベートで一切勉強しない、それより貴重な人生の時間を有意義に使いたいという意見については、別段賛同はいたしませんが十分尊重できるものだと考えております。

それを超えて、例えば企業の経営者や管理職として、業務時間を超えて勉強しろだの業務のやり方を覚えろなどと口に出して言うのは、残業規制がここまで実質的に厳しくなっている世の中非常に危険なことだと思っています。

しかし、技術職にしろ事務職にせよ営業職にしても、一般的に社会人たるもの常に直近の社会情勢や最新の技術動向については学び続けていかなければ使い物になりません。

自分にとって充実した人生を送りたいと言うことで、業務時間外は勉強しないと宣言するのは、逆に人生を貧相にし棒に振っているのかもしれません(あくまで私見です)。

筆者も管理職として、基本的に部下の社員のプライベートには一切関与しません。

よってプライベートの時間を使ってスキルアップしなさいとは言いません。

そこは自由です。

その上で、その自由をどのように行使するのか、それは自分のスキルや技術を含んだところの自身の人間力を上げてもらいたい、その一点に尽きます。

遊ぶなら、きっちり考えてしっかり遊んで欲しいと思います。

だらだらするのはよくないと思います。

そして、勉強する社員と勉強しない社員がいたとすれば、おそらく下のようになると思います。

これは、法則ですから多少の例外はあるかもしれませんが、ほぼ全てこの原理に従うでしょう。

すなわち、業務時間だろうがプライベートの時間だろうが、

1 勉強しない人は勉強する人より仕事はできるようになりません
2 1の結果、勉強しない人は勉強する人ほど給料は上がりません
3 12の結果、勉強しない人は勉強する人ほど重要な仕事を任されません
4 123の結果、勉強しない人は転職も厳しくなってくるかもしれません
5 1234の結果、自分の大切な人生をしっかり生きることが難しくなってくるかもしれません

ということになるであろう、というのが、完全な筆者の私見ながら、現在の筆者が到達した思考の結果となります。

普通に考えますと、勉強しない人が勉強している人に勝つことは困難で、そして勉強しなくても全く問題ありませんが、その自身の勉強しないと言う選択の結果については、上記の箇条書きのようなところについて責任を取らなければならないだろうというだけの単純なことです。

やったことの責任をとる

ことより

やらなかったことの責任を取らされる

ことの方がはるかに容易です。

残業ゼロの超絶ホワイトな企業があったとして、それゆえ十分準備されているであろうプライベートな時間の使い方については、全く自由であり、どのように過ごそうとも本人の自由です。

しかしながら、いかなる時間の使い方をしたとしても、それはプライベートという完全に自身の最終決定権に基づき自己責任としてその結果はきちんと受け止めなければならない、というか如何にその結果から逃げようともなるようになってしまうことは当たり前のことです。

それは、決して会社のせいではありません。

そうした、本当に簡単な根源的なこともわからないようでは、社会人になる前に戻って教育しなおしてもらうことが必要なのではないでしょうか(繰り返しますがあくまで私見です)。

会社で研修する、その有無に関わらず技術や会社の業務や政治経済その他世の中の動き全般が好きで興味を持っている人は、業務時間だろうがプライベートだろうがどんどん自分で時間を見つけて勉強を進めます。

当然、時間の経過と共に勉強する人としない人との差は開いていきますから、「勉強しない」という選択をするならば、時間と共に周りに後れを取ることを受け入れられるか否かというところで人間としての選択が試されるということになります。

プライベートで勉強しないことが「悪い」と言っているのではなくて、その結果については受け止めざるを得ないがその覚悟なり諦念なりはきちんとあるか否かという話になります。

勉強と言いましても、別に1日何時間も詰めて勉強しろというわけではなくて、例えば通勤電車の中で1日行き帰り合計1時間の時間でも、立派な勉強時間に充てられます。

人生、何事も勉強だと思います。

勉強すべきということを繰り返して書きましたが、実は結構勉強は嫌いで、できればネットサーフィンしながらぷらぷらしていることの方が性に合っていると思っております適当な筆者からの記事は以上です。

(平成30年9月9日 日曜日)

2018年9月8日

日本の地方銀行の再編淘汰に対する筆者の2018年時点の認識を発信しておきます







おはようございます。

2018年8月の日本の金融業界に関する配信記事です。

日本の地方銀行の経営悪化による再編淘汰のニュースが激しくなってきました。

同時に、単体でそれなりの「収益」をあげていたとされる、スルガ銀行が、実は「かぼちゃの馬車」という女性専用シェアハウス企業といった問題企業に明らかに偏重過剰融資を行い、ついに同社が2018年4月9日、東京地裁へ民事再生法の適用を申請し、監督命令を受けるに至るなど、地方銀行の生き残りをかけた競争環境から不正不当な利益獲得に走った挙句のよろしくない終焉を迎えつつある銀行も出てきました。

同様の事例としまして、最近では東証1部上場を果たした新興アパートデベロッパー兼ネット系不動産会社TATERUが、アパートに投資する顧客から受け取った預金残高など融資に必要な資料を改竄していたことが判明しました。

なんと、23万円しかない預金残高が623万円に水増しされていたとのことです。

そして、この不正をTATERU側は認めたのですが、その、TATERUの顧客の融資の申し込みを一手に引き受けていたのが西京銀行であったという情報があります。

もちろん、TATERUが申請した融資が西京銀行によってすべて実行されたわけではないでしょうが、西京銀行はTATERUの主要取引銀行であることは事実です。

このように、主要法人顧客と「結託」して、投資用不動産向け融資審査を通りやすくするための「改竄」「偽造」を行うというのは、かつて平成初期のバブル経済末期によく流行った手法であり、この時にも日本は大きな不良債権を抱え、当時の都市銀行・信託銀行・長期信用銀行といった大型銀行が20から3に集約されたという厳とした歴史があります。

この平成最後の年になって、日本全国の地方銀行から同様の問題が発生しているということは、地方銀行それぞれの経営状態は、そのようなことをしなければ表面上取り繕えないほど実態は痛んでおり、再編は不可避である何よりの証左とも言えると思います。

実際、地方創生といいますが、残念ながら長期人口減少トレンドに入ってしまった世界の限界集落国家日本においては、唯一東京圏にヒトモノカネが集中しまして、その首都圏に地盤を持つ横浜銀行や千葉銀行といった「地方」銀行ではなく「首都圏」特化型銀行と言ってよい銀行以外は、主要地方都市を地盤にしながら、メガバンクの影響を避けた過疎地域限定でなんとか業務を回しているというようなところが現実的なところだと思います。

もちろん、IOTの飛躍的発達により、リモートワークや在宅ワークが急速に進み、首都圏への人口流入集中が止まるといった劇的な変化がない限り、人が集まるところにモノやおカネは流れていきますので、地方銀行に限らずどうしても地方地盤の企業というのがジリ貧になっていくのは致し方ないところです。

特に、西京銀行やスルガ銀行といった地方のさらに2番手以下の銀行にとってみれば、名門の地場銀行の向こうを張っていくには、特種特別なことをやっていかなければならないわけで、今回の「事例」はそんな危機意識が違法なところまで漏れ出してしまった、と見えないわけではありません。

スルガ銀行はそばに静岡銀行、西京銀行は広島銀行といった地場大手銀行がどっかりと腰を据えています。

しかし、危機意識があるから犯罪行為に走って良いというわけではありません。

経営はトータルで行うものであり、もし本当に打つ手がないのであればきっぱりと独自路線は返上して、大手メガの傘下に入るなり手頃な地方銀行同士の合併で規模の経済を取りに行くなり、やり方はそれでもいろいろあるのです。

もちろん、銀行だけの問題ではなくて、優良な借り手が少なくなっている産業界経済界側の問題もあります。

貸してばかりになった市場で(最も低金利で貸すのが国家という笑えない状況)は、借り手は勘違いして偉そうにしてしまい、それでも低金利で借りてもらうしかなく、また本当の優良企業や有望なベンチャー企業については、直接資本市場や個人エンジェル投資家が出資の形でおカネをつけてしまいます。

なかなか先行き厳しいと見られる日本の銀行業のお話でした。

昔銀行員だった経験も生かして、なんとか優良な借り手に変身したいと願っております筆者からは以上です。

(平成30年9月8日 土曜日)

2018年9月7日

猛暑が過ぎたところで台風や地震がやってきた日本列島において感じたこと







おはようございます。

2018年9月、猛暑がようやく過ぎたところに台風、地震と立て続けて被害に遭っている日本列島です。

伊勢湾台風並みの勢力を保ちながら、実に25年ぶりの強さのままで日本列島に上陸した台風21号の被害もままならぬなか、北海道南部で震度6強の地震が起こり、北海道全域が停電するという状況に陥りました。

気象庁によると、今回の台風は「非常に強い」と分類しました。

この規模の台風が日本列島の本州に上陸するのは、死者・行方不明者48人を出した1993年の台風13号以来で、実に25年ぶりとなります。

この台風の風により、大阪湾では関西国際空港(大阪府泉佐野市)が高潮で冠水し、5,000人以上が一時孤立し脱出を余儀なくされた上、悪いことに強風のため関西空港連絡橋にタンカーが衝突し、一時連絡橋が使えなくなるという状況に陥りました。

また、JR京都駅では、改札口前のコンコースに屋根の一部が崩落するなど、非常に強い突風による影響がありました。

建物の屋根がはがされ飛散したり、電柱が横倒しになり、トラックが横転するなどの被害が各地で出ています。

また、2018年9月6日(木曜日)午前3時8分ごろ北海道南部で起こった直下型地震により、北海道南西部地方を震源とする最大震度6強の揺れを観測した地震で北海道は全域が停電するという、異常な自体となりました。

停電しているので、実はスマホの充電もできず、Wifiも起動していない以上インターネットに繋げる方法は、唯一モバイルインターネット通信に頼るしかありません。

ここに至って、NHK他のテレビやラジオ各社は、電源がなく北海道では番組が視聴できない視聴者のために、他の地域でこれを見た視聴者に対してツイッターやSNSなどで、個別に情報を「拡散」してほしい旨訴えました。

普段は、放送電波による放送媒体がインターネット媒体に「頼る」姿勢を取るとは考えられなかったのですが、時代がそれだけ進化したのでしょう。

実際、2011年3月11日の東日本大震災においても、東北地方一帯が全停電を起こしたわけではなく、この事態は非常に異例なものです。

北海道電力によると札幌市内を含めた道内全域約295万戸が停電し、これは、北海道電力が創設された1951年以来初めてのことだということです。

道内の火力発電所が地震により緊急停止し、その瞬間、実に165万キロワットの発電能力を持ち北海道の使用電力のほぼ半分を供給していた道内最大の火力発電所であったことから、連鎖的に他の道内の火力発電所も停止してしまったということです。

東日本大震災以降のエネルギー政策による、現場発電所への負荷が、思わぬところでこうした大きな影響を及ぼしてしまったのです。

この点、本州からの電力供給体制を整えるには数日を要するとのことで、北海道は数日、電気のない、もしくは非常に少ない夜を過ごさざるを得ないことになりそうです。

7月8月は猛暑で苦しんだ日本列島、9月は台風と地震と大きな自然災害が続きました。

2020年オリンピックに向けて、なんとなく国としての試練の時を迎えて試されているように感じる筆者からは以上です。

(平成30年9月7日 金曜日)

2018年9月6日

ずっと1位というのは上には上がいるということを楽しむことができないつらい立場であるかもしれない






おはようございます。

人生上には上がいるもので、大抵の分野でしばらくうまくいったところで、それよりはるか上がいるということがわかって必ず人は落ち込むものです。

例えば、かの年間42勝という記録を打ち立てた日本プロ野球界の大投手であった稲尾投手(西鉄)も、投手として練習生からプロになってはみたけど、ドラフト上位で入ってきた「同期」の新人投手の放る球が早すぎて目がついて行かずに、キャンプ初日でこれはえらいところに来た、荷物をまとめて帰ろうかと思ったと述懐されています。

しかし、やっぱりプロは凄い、上には上がいるということを学んで、ピッチャーは速い球を正確に投げ分けるというのではなく、打者をアウトにするのが仕事であると考え、どのようにアウトを取るか、そのためにどうやって打者に気持ちよくバットを振らせて凡打を打たせるかに集中することができたとも言っておられました。

しんどいですけれど、大変おもしろい人生です。

まさに、生きているという実感が得られたのではないでしょうか。

これは、逆に申し上げますとある集団の「ずっと1位」というのは、実は成長曲線の上限に張り付いたままになっているという意味では不幸なのかもしれないのです。

人が能力や才能の向上を明らかに感じられる瞬間は、集団の下部域外から、いきなり登場するやいなや、欄外からそれまでの上位陣をぶち抜いていくのが面白いのであって、ずっと1位なんて、期間限定の不老不死みたいで面白くないと思うわけです。

もちろん、なんにせよ簡単に一気に地位が向上するほど甘くない世界です。

しかしながら、ずっと1位になってしまうと、戦う相手は自分自身しかいなくなってしまいます。

成長曲線の上限が、自分自身の成長曲線と近似してしまうというのは、これは大変なことです。

自分の成長が業界の限界点となってしまうわけです。

いくら自分が頑張っても、業界の上限をこじ開けるだけというのは非常に孤独なものだと思います。

そして、切磋琢磨できる良きライバル、競争者がいないというのも、辛いものです。

本日は業界の成長曲線の上限に張り付いたトップパフォーマーについてのお話でした。

成長曲線の下限を突き抜けた下からハーイと登場しそうな筆者からの感想は以上です。

(平成30年9月7日 木曜日)

2018年9月5日

短い文章で面白いものを書こうとすればクイズになるという話です







おはようございます。

2018年9月のクイズや頭の体操に関する配信記事です。

最近、真面目な論調の記事が多くなってきておりまして、たまには、短い文章量で面白いものを、という一部読者のご要望がありましたので、なるほどと思った小学校低学年から解けるなぞなぞクイズを出させていただきます。

(クイズ)

4→8→12→4=△

2→4→8→10→2=□

では、

5→10→2→7→12→5=どんな図形?


という問題です。

ヒントとして、丸いアナログ時計のイラストを載せておりましたので、一瞬でわかるかと思いますが、答えは星形(☆)です。

アナログ時計の時刻の数字同士をこの順番に直線で結んでいけば、三角形(△)も四角形(□)も星形(☆)も書くことができます。

もちろん、12進法の時計なので、厳密には星形が下に長いちょっといびつな形になるのはご愛敬です。

一瞬でわかりましたでしょうか。

今回は、時計の読み方がわかれば解ける小学校低学年からのクイズでした。

普段使わない頭を使って、心も体もすっきり行きたいものです。

サッカーはあまり得意ではありませんが、ヘディングは結構得意な筆者からは以上です。

(平成30年9月5日 水曜日)

2018年9月4日

シェアリングエコノミーの先駆者と言える自転車シェアが具体化してきたという話です






おはようございます。

2018年9月のシェアリングエコノミーに関する配信記事です。

シェアリングエコノミーといいますと、Uberのような相乗りサービスから筆者が新しく入った会社でやっているシェアオフィス事業なども含まれていきますが、今回は、手っ取り早く誰でも利用できる「自転車シェアリング」の具体的なサービスについてその使用感などをレポートさせていただきたいと思います。

まず、ソフトバンクグループが提供しているハローサイクルというサービスです。

全国のセブンイレブンと提携して、セブンイレブンの駐輪場設置可能な店舗に設置を進めています。

筆者の福岡市の家の近くのセブンイレブンにも設置されましたので、早速乗ってみました。

先行して福岡市で展開を始めた、メルチャリとの相違点ですが、

(1)メルチャリは小型自転車のところ、ハローサイクルは電動アシスト自転車である
(2)メルチャリはQRコードをスマホのアプリ画面にかざすだけで解錠されるが、ハローサイクルはアプリやウェブサイトで予約をした後で発行される暗証番号を電動自転車の認証画面に入力する必要がある(別途ICカードでの解錠も可能だが予約は必要)
(3)返却する際にも、メルチャリはリアルに鍵を閉めるだけでOKのところ、ハローサイクルは鍵を閉めた上で電動自転車の認証画面で返却の処理を行う必要がある

というところです。

電動自転車である分、ハローサイクルの方が借りる時も返す時も一手間かかるような感じです。

利用料金についても、

(1)メルチャリは1分単位で4円
(2)ハローサイクルは15分単位で60円

となっておりまして、つまりハローサイクルについては、乗った瞬間に60円が課金され、15分を1秒も過ぎたら120円になる、ということです。

100円バスも走っているこの日本の世の中、15分1秒でも(しかも、返却の手間も入れて)120円かかるということは、ここはかなりのギリギリのハードルではないかと思っています。

この点、メルチャリは、1分4円ですので、極端な話2分59秒使ったとした場合、12円となります。

これは、時間単価という意味では同じですが(1時間あたり240円)、課金する時間単位が1分なのか15分なのかという違いによるものです。

タクシーの初乗り料金と同じようなものでしょう。

課金方法も、メルチャリは月額料金をまとめてコンビニ払いかクレジットカード払いという後払いとしていますが、ハローサイクルは、使う都度クレジットカードかキャリア決済かヤフーウォレット払いかに関わらず、その都度払いが発生するという違いがあります。

また、自転車としての乗り心地の話ですが、当然ハローサイクルの電動アシスト機能つき自転車の方が、漕ぐのは楽です。

しかし、少しの街乗りであれば、メルチャリのような取り回しの簡単な小型の普通の自転車で十分なような気もしています。

いずれも、どこかのポートで借りてどこかのポートで返すというのがシェア自転車サービスの本質ですので、ポート(ステーション)の数自体を増やさないと利用も促進されないのは間違いないようです。

さまざまなシェアリングエコノミーが草の根で進んできているようです。

良質な記事ネタも是非ともシェアさせていただきたい筆者からのシェア記事は以上です。

(平成30年9月4日 火曜日)

2018年9月3日

「レディ・プレイヤー・ワン」という超面白い映画を見てコンテンツの未来に思いを馳せた話です







おはようございます。

40代子供男子のキャラクター・コンテンツ・カルチャーおたくには(ライト層にも)たまらない楽しい2018年9月のお話です。

「Ready Player One」、日本語では「レディ・プレイヤー1」という映画が2018年4月に公開されました。

そして筆者は、シェアオフィスなどの「新規性」のある事業に参画しておりますが、別途2017年夏くらいから仮想ゲーム空間会社の経営にも「参画」しているというところから、さるこの業界の先輩に勧められてこの映画を半分「研修」としてストリーミング配信で見たわけです。

これがもう、面白くてたまりません。

のっけから、FF(ファイナルファンタジー)的主人公の操るバック・トゥ・ザ・フューチャーのデロリアンでのカーレースです。

カーレースのライバルには、「AKIRA」の金田モデルのあの赤いバイクマシンが登場です。

行く手を阻むのはジュラシックパークのティラノサウルス、そして大ボスにはビルからビルを跳躍してクルマたちを叩きつぶすキングコングです。

これは、現時点での20代、ましてや10代などにはその面白さが全くわからない作品ではないでしょうか。

40代男子やっててこんなによかったなと思ったのは久しぶりです。

近未来の仮想VRゲーム世界「オアシス」を舞台にした作品ですが、同じような「設定」は、日本の誇るアニメーションの中で「サマーウォーズ」という世界観でも描かれました。

こちらも、OZ(オズ)という仮想世界を見守る主のクジラたちが主人公たちに力を貸し、一つの仕込まれたバグプログラムからこの世界の過半を握った巨大な敵に立ち向かうというテーマでしたが、この映画の方も、より実写感のある設定とスピード感で、非常に楽しめました。

クライマックスは、指輪物語の最終戦争やSWのクローン大戦を彷彿とさせる壮絶な戦いです。

鉄人28号やメカゴジラ、そして日本が世界に誇るアニメコンテンツ「ガンダム」も登場です。

日本語で、「俺はガンダムで行く!」なんて台詞を、あのスティーヴン・スピルバーグ監督がハリウッド映画で使ってくれる時代になるとは!!

主人公たち、スーパーゲーマーである「ハイ・ファイブ(これも「ゴレンジャー」のオマージュですよね...)」の面々には、日本人や中国人も含まれ、この映画が世代と国境を越えようとしていることがよくわかります。

これ、ただのリメイクではなく各コンテンツやキャラクターの版権元への丁寧な説明や理解がなければ、絶対にできなかった作品だと思います。

このような作品を、筆者が小さい頃から名作 ー そう、あのE.T.から今まで ー を連発しているあのスティーヴン・スピルバーグ監督(この人も20代であの「ジョーズ(Jaws)」を撮ったという、極め付けのオタクです)が渾身の力でまとめげた「レディ・プレイヤー・ワン」、ぜひ一度ご覧ください。

日本語訳では、「ワン」が「1」と表記されていますが、これは2、3とシリーズで続くのではなく、一人一人のコンテンツプレイヤーのことを指すのではないかと個人的には思うのでした。

この作品は、繰り返しますが、ある一定以上の世代以上でないと、その面白さは全くわかりません。

普段おじさんおばさんと呼ばれる世代となった我々が、大げさですがこれまで生きててよかったな、と思えること請け合いです。

スター・ウォーズもターミネーターも、それこそありとあらゆる今までの世界中のコンテンツに対するオタク・ギーク、その他ありとあらゆる言葉で呼ばれる愛好者たちの愛情と尊敬が詰まった作品を楽しんで、明日の活力としてください。

さて、仮想現実と夢の世界で十分に充電したのですが、この記事書いたら夜更かしの代償でまた眠くなってしまいました。

スピルバーグ監督の名作「プライベート・ライアン(Saving Private Ryan:1998年)」をあろうことか現在の妻との初デートに選んでしまった失敗を持つ筆者からは以上です。

(平成30年9月3日 月曜日)

2018年9月2日

外側に責任を求める他責思考と内側に責任を求める自責思考について書いておきます






おはようございます。

2018年9月の困難と自己啓発に関する配信記事です。

昔あった松下電器という会社の創始者の松下幸之助と言う人は、経営の神様などと呼ばれましたが、もっとも優れていたのはその人心掌握術であったろうと思うのです。

もうだいぶ前の話になりますが、当時大阪に本拠を構える松下電器のグループ会社に松下伝送というファクシミリを開発し始めた会社が東京にありました。

その松下電送の当時の社長であった、木野親之氏が松下幸之助氏から突然呼ばれて、

「すわ何事か?」と大阪の松下電器本社をたずねました。

幸之助氏は、何か困ったことがあるのかという質問をされましたが、その言いたかったこととして、外部環境でいくら困っても、自分の心が困ってはいかんよ、という意味を込めて、「困っても困ったらあかんで」と短く伝えたそうです。

松下電送の木野社長は(この人は、松下電器を参考にした漫画「島耕作」シリーズでも前社長として描かれています)、それを聞いて、どんなに開発の環境が厳しくても、他人や環境が厳しいのは外の話で、それを進める自分の気持ちが曇ってはいけない、と思い直し、心晴れ晴れと困難なファクシミリ開発に打ち込んだそうです。

部下にもグループ総帥である幸之助氏のこの教えを伝え、そうして木野さんはこのことを自著で紹介して、こうして筆者のような時代が下ったものであってもこうしたエピソードを語ることができるというわけです。

「他人や環境のせいにしない」

というのは非常に大切な心構えです。

「他人や環境という外の現象面と自分の心は別物であり、いかにしんどい環境に置かれたとしても、それに振りまわされたらあかん」

ということなのです。

困ると思えばますます八方塞がりになりますが、よし困らないぞと腹をくくれば、実際そこから解決していくための道もなんとなく見えてくるものです。

死ぬこと以外はかすり傷、という言葉もありますように、むしろ生きている実感を味わえるまたとない機会と捉えて、苦闘を機会に、ピンチをチャンスに変えて行きたいものです。

わざわざ東京から大阪に来るように、と伝えて直接会って短く成功者の真髄を教えた松下幸之助氏、そしてこれに応えた木野社長、これこそ、机上のお勉強だけではなく人の心を読み切った彼ら一流の経営哲学と実践の姿でありましょう。

困っても困らないようにしたいです。

いろいろと、困ってしまって八方塞がりの筆者からの自責の記事は以上です。

(平成30年9月2日 日曜日)

2018年9月1日

どのネットワークに属してもらってコミットを受けるのかという人材獲得競争になってきたと思う話です







おはようございます。

2018年8月のこれからの組織やネットワーク主体に関する配信記事です。

組織、というよりネットワークが、それ自体に対するコミットを人々からどれだけ受けられるか、という熱量の総和を競う時代になったような感じがしています。

特に、こうしたネットワーク間の熱量競争が激しいと感じられる分野は、いうまでもなく、時価総額がそれぞれ1兆ドルに迫ったApple、Amazon、Google、Facebookといった米国発テクノジャイアント企業群でありますが、ここの組織たちのネットワーク間の人材熱量獲得競争はとにかく熾烈です。

従業員だけではなく、顧客も、この熱量競争の主体です。

一瞬にして、AppleのiPhoneからGoogleのAndroidへ乗り換える顧客、Amazonの決済システムへ乗り換える顧客、それからFacebookが決済システムを早くリリースしてくれないかと心待ちにしているネットワークの住人など、その「採用」「維持」「満足度」を競う競争はますます激しさを増すばかりです。

そうした中、起業家や経営者は特に、人を巻き込んでそれぞれを能力一杯に好意的に活かしつつ、その組織やコミュニティに残ってもらうように日々手入れを怠らずメンテナンスを行うことが求められています。

でないと、本当の良い会社とならず、尊敬を勝ち得ず、ライバルに先を越され、あっという間に奈落の底に落とされるのです。

従業員に対し、顧客に対し、サービスや商品の質それ自体に対して最高のコミットをしつづける、そんな起業家や経営者こそ、投資家や顧客、そして世界に求められているのです。

つまり、「お金(給料や報酬)」だけで人を巻き込むということはほとんど不可能になりました。

墓場にまで金を持っていくということはできません。

生きている間で感じられる、ミッションやビジョンへの共感や、やっていることそのものへのやりがいを生きがいとしていくような、成長したと実感できるような環境へのコミットが一番の報酬になるわけです。

この原則にしたがって、組織の作り込み、働きやすさ、フレームつくり、会社の向かう方向性の定義や研ぎ澄ましなど、一見売上とか利益とかいうものには直結しない組織の環境づくりや準備運動こそ重要になってきます。

良い組織、良い会社、良い仲間と一緒に良い仕事をする。

これは、大変チャレンジングな目標です。

必要なのは効果効能効率よりも人の育成であり、決まった答えよりも誘導や育成による気づきの方ということになります。

今日はいい会社を作りたいという記事になりました。

良い会社を作るために努力したいのですが、まずは寝てから考えたい怠惰な筆者からは以上です。

(平成30年9月1日 土曜日)