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2018年9月18日

(2018/09/18)人間はどこまでも進化することができるのかもしれないと希望が持てた話をいたします







おはようございます。

2018年9月の衝撃のマラソンのニュースから書き始める記事です。

平坦なコースで世界記録を狙うのには万全の舞台と名高い、ベルリンマラソンが2018年9月16日に行われたのですが、ここで、2016年リオデジャネイロオリンピック(五輪)金メダリストのエリウド・キプチョゲ選手(33歳:ケニア)が、なんと驚異的な2時間1分39秒で世界記録を樹立したのです。

これまでのマラソンの世界記録は2時間2分57秒ですから、それを1分以上短縮し、人類初の2時間1分台に突入するという、恐るべきものでした。

本人の体調と気合いと苦痛、そしてコースの気候、そしてペースメーカーの支援や沿道の声援、その他もろもろもの条件がピタリ一致しない限り、このような快挙は達成できません。

すでに、陸上競技もチームによる「プロジェクト」になったと改めて感じた瞬間でした。

リオデジャネイロのオリンピックは今から2年前ですから、そこからギアをまた上げてオリンピック金メダルから世界一の快走マラソンランナーへの目標を上げて臨んだ今回の大会、キプチョゲ選手にとっても彼のチームにとっても、また高原長距離ランナーを多数輩出するケニア共和国にとっても、誇るべき快挙でした。

本当に、おめでとうございます。

最近、ビジネスの世界でも、一度功なり名を遂げた五十代、六十代の諸先輩方が、また一から新しいチャレンジに向けて準備を始めたりするということが多くなっているように感じます。

オリンピックで金メダルを取った後でも、そこから新しい目標(金メダルの二連覇三連覇というものも含みますが)を定め、もう一度一から積み上げを図ろうとするのです。

これが、例えば二十代や三十代といった若い頃の働き盛りと呼ばれる世代の動きであればわかるのですが、逆に、このような若い世代にバリバリやらせてもらった、という世代は、自らもフロントラインや第一線でまだまだやれるというところで、どうしても組織構造上、その上の方に据えられてマネジメントをやらなければならない、逆に言えば個人としての力の発揮場所に飢えてきているという面もあるのかもしれません。

世の若い人たちの奮闘を見て、よし自分もそのような手助けをするだけにとどまらず、自らも戦う姿を示して見てもらいたい、といったもう一踏ん張りわざわざ苦労を買って出るというような動き方です。

一度、創業した事業を売却するなりしてエグジットしてしまった起業家についても同じようなことが言えまして、あれだけ苦しかっただけの創業から上場といったエグジットまでの駆け抜けた日々を思い返しながら、もう一度やるならもっとうまく、周りを巻き込み幸せにやれるはずだと念じて再起動する、そんな元創業者も多いようです。

当然このような人たちは、経済的に生活するのに困ることはないのでしょうが、それでも、ここから悠々自適なだけで過ごすことをよしとせず、何らか社会との接点を持ちたい、できれば社会に価値を提供したいという一途な思いで、そうしてまた起業とか立ち上げといった、厳しいばかりのビジネスの戦場に旅立って行くわけです。

こうした振る舞いができる人たちは、筆者はとても大切にしたいと思っています。

当然、やらないよりやるだけ苦労も増すばかりなのですが、自らの成長を含めた先の世界を見たいと日々奮闘する、そんな人々の振る舞いが好きなのです。

そんな、わざわざする苦労を、能力が高くバイタリティがある人たちが、日々限界まで行なっている場が、ビジネスの最前線です。

そんな酔狂な彼らがいなければ、人類はここまで発展しませんでした。

こんな酔狂なご先祖様がいたからこそ、我々ホモ・サピエンスは南極大陸を除く地球上のあらゆる陸地を走破し得たのです。

これだけ伊達な先輩たちの振る舞いで、なんと近縁だけれども明らかに違う「種」であるネアンデルタール人との交配、交雑して彼らのDNAをも取り込み、自らを変えて、変化に対応して、そして世界を制覇する動物として形質を獲得し、周りに聞きまくって知見を上げて行くという集団の力でここまでやってきたのです。

こうした、一見苦労しかない、そうした活動を生きる味だと、面白いチャレンジだと感じて、個人の能力およびそれまで培った知見のすべてを賭けて挑戦して行く人々、これこそがホモ・サピエンスとして生まれて今まで発展してきた現生人類の何よりの原動力のようなものなのではないでしょうか。

もちろん、こうした振る舞いをすべての人がせねばならない、ということではないのです。

むしろ、そうではないまともな大多数の人々がいるからこそ、こうした自ら苦労を買いに出る奇特な人たちの挑戦はサポートされるのです。

誰も、一人ではコトはなし得ず、どこかのタイミングで、その奇特な人のすぐ後ろを、フォロワーがついていってくれない限り、ビジネスも、価値創造も、芸術の発展もマネジメント技術の進化も、何もなし得ないのです。

かつて、最初のフォロワーが重要、という記事で書いたように、とにかく踊りだした変人をいち早く見つけて一緒に踊ってくれるフォロワーがいて初めて、彼ら変態のチャレンジが成功する可能性が開けるのです。

そういうことで、最初に踊る人か最初に踊る人に真っ先について行く存在になるべく、日々余念無く過ごしていきたいと願っております筆者からの記事は以上です。

(平成30年9月18日 火曜日)