このブログを検索

2018年9月21日

あらゆる才能の中で努力することができるという特別な才能が別方向に伸ばすべきだという話です






おはようございます。

2018年9月の人間の才能と成果に関する筆者の個人的意見を配信する記事です。

人間、あらゆる才能というものが眠っていて、そしてどの才能が本当にあるのかどうかということは、一瞬にしてはわかりません。

例えばお笑いの世界やプロ野球の世界において、才能があるということがわかるかどうか、本当にわかるにはどうすればよいのでしょうか。

そこで非常に注目されるのが、その特殊な才能を磨く「訓練」や「努力」の総量や熱意ということになります。

体操選手は、あの重力に逆らう動きをあの均整の取れた、脂肪を削ぎ落とした体で実現します。

しかしながら、あれだけ均整の取れた逆三角形の身体、泳ぐのには全く役に立ちません。

体脂肪が少な過ぎて、そもそも浮かないのです。

さらに、野球のボールを投げるといった違う動きは全くできません。

そのような「競技」ではないからです。

ですので、細かく仕様がわかれたこのような個々の事象の「才能」があるのかどうかを本当にわかるには、その才能に沿ったスポーツなり芸事なりを、間を置いた反復や努力の総量によって極めようともがくしかありません。

そして、そのある程度の歳月を経た結果、才能があって成功するか、才能がなかったことがわかるか、どちらかに帰結するということになります。

そして、大多数の者が、才能がなかったことがわかる場合の方が圧倒的に多くなりますが、それはそれで大事なことなのです。

才能があって成功した者は、そちらに進めてその道を極めて行けば良いですから、それはそれで終わりというか簡単です。

そうではない、限界までやりきって努力して、そして才能がなかったことが最終的にわかった、という者については、どうすれば良いのかということになります。

こちらの方こそ、その分野以外ではない眠っているかもしれない別の才能を努力によって掘り起こせる人間として、認知され、逆に社会が、顧客が必要とするのかもしれないのです。

若くしてプロ野球選手を解雇されたものを、営業担当として雇う企業は、お目こぼしのためにこうした元選手を取るのではありません。

草野球してもらいたいわけでもありません。

限界まで努力して、才能があるのかどうか、その井戸を試しに掘れるやつであるという人格や努力できる才能に投資するのです。

すなわち、あるかないかわからない別の「才能」より、今日から、今から、すぐにでも投入することのできる、カウント可能な「努力できる才能」を買ったと言えるのです。

努力できるという才能をX軸に取り、他のあらゆる才能をY軸にとって、それを10段階ずつ取れば、X軸の右端に振り切っていることがわかっている人間は、Yの選びようによっては非常に化ける可能性があると言えるのです。

たとえ、野球というYが3か4で、プロ野球選手としては今ひとつであっても、別の才能、例えば営業やら顧客リレーションやらその他の別の能力を開花させ、その世界のYで7か8を取ることができれば、十分社会人として、職業人として、成功するということになるのではないでしょうか。

才能という泉を掘り起こすことができるかどうかは、努力できる才能を示せるかどうかにかかっているのです。

才能を見つける努力できるという才能を磨きたいものです。

さて、振り返りますとX軸の伸びしろがまだまだ大きい筆者からのコメントは以上です。

(平成30年9月21日 金曜日)