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2018年11月7日

社会人としてどのように振舞ってキャリアを積んでいくのが幸せなのか考察した話です






おはようございます。

2018年11月の筆者のキャリアメイクを通じていかに社会人として振る舞うかということを考察する配信記事です。

実体験に基づく話ですので、一定の説得力はあると思いますが、あくまで一例でありますので参考程度に留めておかれるので結構だと思います。

筆者は就職氷河期と言われた平成9年(1997年)4月に大学学卒で社会人となりました。

22歳の春、東京丸の内の今は無き長期信用銀行の本店の一角で、緊張しながら初出勤をしたわけです。

筆者の世代は、いわゆる昭和47年から50年生まれのちょうど真ん中、ベビーブーマージュニアの最盛期でありまして、競争相手が最初から多いという世界でした。

同い年の日本人が、200万人を超えていた、そんな時代だったのです。

加えて、バブル経済崩壊から随分時間も経ちながら、まったく問題の解決に目処もつかず、日本の銀行は不良債権を抱えてその処理に奔走し、奔走すればするほど新たな不良債権が出てきてしまうという厳しい状況でした。

それなのに、就職する若手世代は、数が多かったものですから、よく言われたものです。

「お前の代わりなどいくらでもいる」

今この人材不足と言われる2018年11月に振り返ってみるに、たかだか20年でここまで変わるのかと驚きでいっぱいです。

さて、そんな過当競争でありながら、大学文系学部卒の特段の専門性も持ち得なかった筆者(旧司法試験も択一試験で落ちた)の生存戦略は、自身の人件費を高くしすぎない、より抑える、ということでした。

日本興業銀行、という当時では無資格で運が良ければ入れる組織ながら、専門職や超絶エンジニアを凌駕する報酬を得てしまう組織に入ってしまったのですが、これは今だけのことだ、金融解放(金融ビッグバン)と情報化で早晩このような報酬体系は立ち行かなくなるなと思い、自分の市場価値を圧縮して様々な業界の現場により直接触れるようにしてきました。

ここで、より高待遇を求める振る舞いをとったとすれば、金融や証券の外資系とかへの転職などが考えられたのでしょうが、その分野は超絶狭く、さらに本源的価値が(少なくとも筆者には)見出せない世界であると感じましたので、全力でそちらから外れて振る舞った結果ここにおりましてブログなど毎日書いている身になりました。

長期信用銀行と都市銀行2行との3行システム統合という、今のブラック企業も真っ青な無理筋の開発現場に突っ込まれたところから、だんだんいわゆる銀行の本流から離れてきたところですが、かえって、その経験が一般社会で即通用するビジネスマンとしての血肉となったと思っています。

そうして、本当の地元の北九州市とは少し離れてはいますがだいたい地元、と言ってよい福岡の不動産会社に転じて、金融危機と不動産下落危機の中、日本でも解禁された上場不動産投資信託を地方で運良く立ち上げ、東証に上場させ、そして不動産本体のグループ会社のビルメン会社で設備点検から清掃、商業施設オープン時の自転車の駐輪整備までできたことは、この自身の人件費を低く保つことで得られたものです。

この「ビルメン王に俺はなる!」というタイトルのブログを書き始めたのも、この設備管理会社で営業やら現場の立ち上げやらをしていた頃のことでした。

BtoBビジネスの最たるこの建物設備管理業務という知られざる業務の、「営業」というフィールドで、より具体的で効果的な成果をあげるにはどうすればよいか、それは納期と品質と何より価格しかありませんけれども、そもそもその価格を提示する見積もりの機会をもらえることが貴重だったのです。

設備管理の営業をやっている、ということを世に広く(といっても福岡界隈で十分)問う方法として、このインターネット公開ブログという形式は、非常に適当なものでした。

これにより、ずっと金融機関に残っていた場合に迎えていたであろう、金融機関が金融機関の取引先と交渉して、個々に「用意」する片道出向先に振り分けられるのを、いわゆる黄昏研修を受けながら待つという人生から早々に離脱できたのは、とても良かったと思っています。

実は、この2018年12月より通算10社目(ほかに非常勤で関わった会社が別に2社)の筆者ですが、まだまだ道半ばでこれからが楽しみでしょうがありません。

このように、できるだけ現場に触れ続けるために、自身の市場価値を敢えて上げずに振る舞うというのは、立派な生存戦略だと思います。

別の、例えば理系の大学院あがりの研究職の事例においても、その専門分野の基礎研究のみではとても数十年立ちいかない場合が多いので、メーカーの研究所に篭るばかりではなく、生産工場でのライン新設の要員に立候補して、現場の生産技術とマッチした専門知識に加えてマーケティングやマネジメントも学べば、ビジネスマンとしての何よりの「研修」「素養」となります。

もちろん、筆者としては国内主流の銀行員、というより商社(三井物産)や海運会社(日本郵船)に入って、世界の新興国でビジネスをする、という手もあったのですが、そちらは運悪く(順当に?)採用面接で落ちてしまったので、それはチャレンジして失敗した、ということで仕方ありませんでした。

さて、40代も半ばにきまして、これから大切なのは、気力と体力、いわゆる健康第一です。

これまでは、人件費を抑えて低めの給与所得で我慢したとしても、そこで得た何者にも替えがたい現場経験と、現場の人たちとのリアルなネットワークこそ、それをはるかに上回る社会人としての財産です。

おかげさまで、社会人になってから交換した名刺の数を今調べてみましたら、8,000枚を超えていました。

社会人生活20年、10社渡り歩いて、8,000枚のリアルネットワークです。

一年あたり、日数を超える400枚の名刺を集めるだけ動いてきた、ということになります。

最近は、Eightという名刺管理クラウド(日本発)というベンチャーも出てきて、簡単に名刺管理ができるようになり、貯め続けた名刺の取り込みを行うことができるようになりました。

こうして可視化された現場経験を糧に、あとは健康第一でしっかり進めばかなり未来も楽しみになってきたような気がしています。

以上、似合わない前向きなことを書きましたが、本当はもうすぐ引退したいと思っているかもしれない筆者からのやる気を振り絞った記事は以上です。

(2018年11月7日 水曜日)