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2018年12月2日

2018年11月最後の日に人間として大事なこととは何かを語ってみた飲み会の話をします






おはようございます。

2018年11月最後の配信記事です。

年の暮れに入る中、もう10年来の友人であります、今は上場企業の若い社長より、自社の社員の研修の一環として、社会人の先輩として話してくれないかという依頼を受けたので、夜の飲み会に顔を出して来ました。

18時30分開始、そして20時30分終了、2時間一本勝負の焼き鳥をつつきながらの座談会です。

来られたのは、地場では有名になった全国の自治体をクライアントにして、自治体資産のスペースを広告スペースとして「買取り」そしてそのスペースを、広告主となりうる民間組織や企業に「売る」という新しい事業領域を開拓してきた株式会社ホープの、将来を嘱望される「ホープ」の4人とその社長の5人です。

社長とは、確か2007年くらいに出会いまして、仕事の関係というより純粋に人間同士として付き合ってもう10年来になりますが、こうして節目節目で面白い機会に当職を呼んでもらえるというのは楽しいものです。

最初にお会いした時、筆者は30代前半、社長は20代でしたから、時が経つのは早いものです。

その際の同社の社員は、7人。

今は、マザーズに上場し、社員数も150名以上と、当時とは雲泥の違いです。

知り合いが世に出て行くのを見るのは楽しいものです。

そういった、出会いからの話を一通りした後で、そもそも社会人として、外に通用するものは何かといった話になりましたので、筆者は素直であること、率直であることであろうということを答えました。

社会人になると、勤めている「会社」とか、その組織での「地位」とか「役職」とか、その他「業務経験」と言われるような武勇伝とか、いろいろな「衣」が付いてきます。

そして、残念ながら、素の人間本来の姿が見えなくなってくるのです。

それではいけない、服が歩いているわけではなく、人間が服着て歩いているだけだから、常に人間の方に話すようにしよう、そうすれば、あまり間違った判断をすることはないのではないかと話しました。

そして自らも、素で粗で野で全く構わないから、卑しくはなるな、そのいい例として、報道によれば120億円以上を20年近くにわたる自らの役員在任中に「不正に」自らの報酬としていたと言われているフランス人経営者と、筆者が以前仕えたその当時の所属会社の社長の、厳しいけれども正当で衡平で私心のない振る舞いを引き合いに出して話しておきました。

そして、飲み会(研修?)を時間通り解散し、歩いて帰りながら言い忘れたと思い出したのは、やはりこの話です。

瀬戸大橋、全長9.4キロメートル。

5つの島を6つの橋で結んだ、本州と四国を結ぶ大動脈です。

昭和30年、国鉄連絡船「紫雲丸」の沈没という、国鉄(1987年3月末まで存続した国営の日本国有鉄道)未曾有の大惨事でありました。

死者168名、数で書いた数に数倍する家族、親戚、縁者、友人、知人、そして日本国全体を震撼させた事件です。

紫雲丸には、たくさんの修学旅行の小学生の児童、中学生の生徒たちもいたのです。

この事件は、瀬戸内海を繋ぐ橋の開設を願う国民全体の願いとして、瀬戸大橋開設を国鉄の尊厳をかけた一大プロジェクトに定めるのです。

普通、橋は川に架けるものを、瀬戸大橋は、海にかけるのです。

橋を作るための、国の組織である公団、本州四国連絡橋公団ができました。

そのリーダーに、建設団を束ねる所長の役目に抜擢されたのが、香川県丸亀市出身の杉田秀夫さんという人物でした。

本州と四国に計六つの橋をかけて一本に結ぶ、本州四国連絡橋建設計画として、世に出たそれは、まさに世紀の大事業でありました。

中でも、その中の最大の橋となった、「南北備讃瀬戸大橋」は、道路だけでなく在来線と新幹線の二つの鉄道をも通すという、「併用橋」として世界最長でありました。

そして、特に橋台と橋脚を支える基礎工事は、前例のない大深水下と速い海流下で行われるため、机上検討では考えられない、想定し得ない空前の難工事が予想されたのです。

そんな本四公団、坂出工事事務所長に就任したとき、杉田秀夫さんは41歳。

元々は国鉄の技師であり、入社以来、数々の難工事をその卓越した指導力で成し遂げてきた杉田秀夫さんは、将来を嘱望されたまさにエリートであり、地元丸亀高校の星だったのです。

杉田秀夫さんは、この困難な役目を、「人生の大仕事」と定め、国鉄からの出向すら断り、本四公団に転籍し、退路を経つ覚悟で挑みました。

杉田秀夫の指揮下に入る工事関係者は5,000人。

5,000人それぞれに、家族、親類、縁者、そして友人知人先輩後輩がいる、その大集団を戦う組織に変えていきます。

その所長となれば、社用車が用意され、スーツ姿での出勤が当たり前であったところ、杉田所長は仕事をやり遂げるには体力第一と自転車通勤を始めました。

服装は作業服の上下に、ごつい工事靴、ネクタイもせず、髪は角刈り、飾り気などまるでない所長だったのです。

部下たちは度肝を抜かれます。

そして、杉田所長は、現場所長こそ最初に現場を見るべき、という自ら定めた教えに忠実に従い、紫雲丸以下たくさんの船を海の藻屑としてきた瀬戸内海の暗黒潮流と呼ばれる魔の海中に自ら身を委ね、ウェットスーツに着替え海に飛び込んでいくのです。

この日のために、潜水士の資格を取得し、ひそかに訓練を重ねてきたのです。

そんな難関の海底に、橋桁を作るために行う海中工事のためには、海底を爆破し、地均し(じならし)をしなければなりません。

爆破調査の結果、魚場に及ぼす影響が分かります。

それも尋常でない影響です。

杉田所長はその「よろしくない」データを、包み隠さず全て漁師たちに公開しました。

怒った漁師たちからは、罵声を浴びせられ、胸倉を掴まれ、詰め寄られます。

しかし、杉田所長は穏やかにその必要を説き、工事への理解と協力を呼びかけお願いするのです。

その説明会の回数、実に500回。

紫雲丸の悲惨な事故と橋をかける大義と、それに伴う大きな犠牲と労力、協力を呼びかけたのです。

瀬戸大橋くらい高い橋になると、橋桁をまっすぐ建てたとしても、地球は丸いので橋桁のてっぺんでは幅が違うそうです。

そんな途方も無いことをやろうとしている人がいる。

やがて、地元の漁師たちも気づき始めます。

「この所長、尋常な男ではない」

いつしか、漁師たちも工事関係者も地元の人々も、杉田所長の実直な人柄に惚れ込み、我も我もと話を聞きたがり、酒席の輪が出来たといいます。

そんな厳しくも楽しく一体感ができてきた大工事のさなか、杉田所長を大きな不幸が襲います。

13歳年下の妻の和美さんが末期の胃がんと宣告されたのです。

二人には、まだ幼い三人の娘がいました。

それでも、このことを、杉田所長は部下たちには一言も漏らさず、毎晩遅く仕事を終えると妻の病室に泊まり込み、身の回りの世話と看病と下の世話までして、そして自分は床にマットを敷いて仮眠をとったとのことです。

そんな、世紀の大工事と妻の死期を悟った看病と三人の娘たちのこと、そんな大きな難題に対し、杉田所長は一切の弱音を吐かずに淡々と、一つ一つきっちりと毎日向かい続けたのです。

和美さんの死を知った時、杉田所長を知る人全ては強い衝撃を受け、自らに照らし合わせて、難工事を自らの戦としたのです。

そして、瀬戸大橋は完成しました。

再婚の話はすべて断り、そして出自の国鉄の20万人組織の頂点の技術を統べる技術長になることを切望されましたが、そんな栄達を全て捨て去り、淡々と過ごしました。

そして、杉田秀夫さんは平成5年、娘達に囲まれ62歳での生涯を閉じるのです。

瀬戸大橋を作り終えた後、杉田秀夫さんは母校の丸亀高校の講演に乞われ、このようなことを話しています。

橋を作る経験が人より余計にあったからといって、これは人生の価値とは全く別のことなんです。
人生の価値とは何か、偉大なる人生とは何か、どんな人生をいうのか。
これは非常に難しい問題なんです。
橋を作るより遥かに難しい問題です。

自らの役目に真摯に誠実に向き合い、そして周りの人間を、自らに照らし合わせ、己に恥じぬ生き方を示した、そんな杉田所長の働き方を先の飲み会で示してあげたらより良かったかもしれないと思いましたので、ここに書いておきます。

学校教育の目的とは、企業研修の目標とは、いろいろあると思いますが、人間の器の大きさを体感すること、そして人間力自体を上げることではないか、と改めて思いました。

こちらからは以上です。

(2018年12月2日 日曜日)